第十話






なのはの想いに、何となくとはいえ気付いたが、恭也は変わらなかった。いや、変わらなかったというよりも、今まで通りと言えばいいのだろうか。
兄としてなのはと接する日々。
その日々の中で、恭也はなのはの想いを確信に近づけていった。だからこそ酷いことをしているという自覚もあった。それでも恭也自身が答えを見出せないのだ。
そして今恭也は、道場で一心に小太刀を振るっていた。

「どうしたいんだ、俺は……」

だが恭也は、今まで振るっていた小太刀を鞘に戻し、それを道場の壁に立てかけてからため息を吐いた。
やはり悩みを持ち込んで剣を振るうべきではない。剣筋がまったく定まらなかった。こんな姿を弟子に見せたら何と言われることか。
だがその考えを止める訳にもいかない。悩みの理由が理由のため、蛍以外の者に相談することもできない。もっともなのはのことを相談できる相手が彼女しかいないと言っても、最初以外はそのことについて話してはいないのだが。
蛍とはあれからもそれなりに会ってはいる。もちろん昔ほどの頻度ではないし、昔のような仲でもない。だが、友人という関係は続いていた。
まだ割り切れているわけではない。二人はまだお互い愛しているというのに気付いていた。だが、決してもう前のような関係になることもないというのも理解している。
愛してはいるが、それでも二人は友人であることを願ったのだ。

「ふう」

らしくないと自分自身で思いながらも、恭也は自らの背を剣同様に道場の壁へとつけて、もう一度ため息を吐いた。
そして天井を見上げる。そこは本来足跡などつくところでもないし、刀傷がつく場所でもない。だが御神流という常軌を逸した戦闘を行う鍛錬によって、いたる所に足跡と傷が付いた梁。それを恭也はぼんやりと眺める。

「なのは……」

どうしても妹の姿の浮かんでしまう。
高等部へと進学したなのはは、正直兄としての、父としての贔屓目をなくしたとしても可愛くなったと思う。
だが、それはやはり兄として、父としての考えのはずだ。

(あんな顔を、目をさせてたんだな)

前提を持って接してみれば、良くわかった。
幸せそうな表情も、悲しそうな表情も……切なげな瞳も。
ある理由を前提に見てしまえば、それは何の不思議もないことだった。
だがその前提自体が原因とも言え、恭也には肯定も否定もできないもの。いや、否定しなければならないものだった。
だからこそ、お互いに変わらない日々を演じ、何かを溜め込みながら今まで来てしまった。

(やはり答えなど出ない。いや、最初から決まっていることではあるが……)

恭也は兄という立場。それは変わることはない。
血について本格的に調べないのも同じ理由。本当に血の繋がりがなかったとしても、その立場が変わることはないからだ。
だが同時に恭也は自分自身のそんな考えが今一つ信用できなかった。

自分はなのはの兄だ……ならばなぜなのはの想いを否定できない?
兄ならば否定できるはず。否定しなくてはならないはず。やんわりとでもいい、それをなのはにわからせてやらなければならない。そういう意味でならば、言ってやれることは幾らでもあるはず。自信過剰な発言になってしまったとしても、兄だというなら。
普通はありえないことだから戸惑っている。そう考えることもできたが、恭也は自分が迷っていると同時に、いやに冷静なことに気付いていた。
なのはの想いと自分自身の迷いを冷静に……それこそ他人事のように見ている自分がいるのだ。

「精神鍛錬は積んできたつもりだが、これはな……」

冷静さと迷いが同時にある。
それは今までの鍛錬によって培われたものなのか。
それとも自分も似たような想いを……なのはと同じような想いを抱いているというのか。
だから兄として肯定できず、男として否定できないのか……。
どんなに冷静さがあっても、その答えだけは出してくれない。

「俺はただお前に……」

恭也は常になのはの幸福を願っていた。
平凡でいい。別に大それたことをしなくてもいい。自分たちのように他の誰かを護る道になどいかなくていい。いや、そんな道にはいかないでほしい。誰か好きな男と結婚して、普通の幸せを築いてほしい。ただなのは自身の幸福を目指してほしいと。
それは兄としての、父としての想いだ。できれることなら傷つくことなく、ただ幸せになってほしい。それがどれだけ難しいかも理解しているが、それでもそう願う。
そしてたぶんそれは、蛍が恭也に言ったことに似ている。
自分だけを見てほしいと、剣を捨ててほしいと願い、傷つく所を見たくないと涙した彼女の想いに似ていた。それは大切な人が相手だからこそ願うものと。大切な人だからこそ傷ついてほしくないし、幸せになってほしいという願いに。
なのはが幸せになれるならば何でもしよう。そのためならば、それこそ自分が死んでもいいとすら恭也は思っている。
妹が幸せになってくれるならば、自分のことなど恭也はどうでもいいのだ。

だが、なのはの幸せは……おそらくこのままでは訪れない。

(いつまでもこのままというわけにもいかないか)

このままでは、自分はともかくなのはが壊れてしまいそうに恭也には思えた。壊れないようにするためには、支えてやるには、恭也が受け入れるしかない。
だが、それすら禁忌の道だ。決して幸福にたどり着けるかどうかもわからないもの。それどころか、他の家族すら後ろ指をさされることになるだろう。

「なのは、お前にとっての幸せは……」

そして、自分の幸せとは何なのか。
誰かを本気で愛したからこそ、今の恭也にはわかる。なのはの気持ちだけを優先し、彼女を受け入れたとしても長く続くことはないし、二人とも不幸になるだけであることを。
もちろん恋人関係や夫婦関係を続けるには、何かしらを妥協していくことも大切だ。
恭也と蛍の場合、恭也が剣を置く、もしくは蛍が恭也が傷つくことに耐える、などの妥協点を出していれば、二人は今も続いていたかもしれない。だがそれは二人にとって耐えられることではなかった。だから二人の関係は終わったのだ。
今、なのはを受け入れたとしても、それは恭也が妥協したというだけになる。それも好き嫌いの根本部分を。これではある意味同情だ。
同情が悪いこととは言わない。同情という言葉は、悪い方にとられることの方が多いが、それでも人が持つ優しさであることは間違いないのだから。
だが恋愛関係において、同情で長く保つことはそうないだろう。もちろん例外はあるだろうが、それに片方、もしくは両者が耐えられるかは今の恭也には疑問である。
生物としての本能もあるだろうが、結局人は幸福になりたいからこそ異性を好きになる。だからこそ恭也自身が、なのはと共にいて幸せになれなければ意味はなく、同時になのはも幸せにはなれない。
兄としてなのはと共にいることは幸せだが、男と女の関係としてはどうだと聞かれれば、簡単に頷くことはできない。
男女の関係という意味では、恭也の気持ち自体が重要なのだ。
その重要な部分が、恭也は見えてこなかった。
なのはが幸せになれるのならば何だってしたい。何だってしてやれる。自分の命だって惜しくはない。だが、こればかりは恭也の気持ちも重要で、その気持ちに少しでも迷いがあるのならば、なのはを幸せにはできないのだ。

恭也は今一度深々とため息を吐き、立ち上がった。
そして道場を後にし、庭へと出た。すると縁側に立ち、なぜかキョロキョロと辺りを見渡しているなのはが目に付いた。
恭也は先ほどまで悩んでいたことなどおくびにも出さず、なのはへと話しかける。

「どうした、なのは?」
「あ、おにーちゃん」

なのははそんな恭也に笑顔を向けた。
だがその笑顔すら、いつもと違うというのが恭也にはわかった。何かに耐えるような笑顔。少し前までとは違う固いものだった。
何に耐えているのか、それは恭也にもわからない。だが、ある程度想像することはできた。その笑顔は、蛍と別れたことを告げてから見せるようになったものだから。

「ちょっと出かけてくるね」
「遊びにいくのか?」
「ううん、買い物」
「そうか、わかった」

もう高校生になったなのはに、買い物程度で一々着いて行く必要はない。もちろんなのはから頼まれれば別だが。

「気をつけてな」

その言葉だけでもはや十分な程に、彼女は成長したのだ。

「うん」

恭也から見て、どこか固い笑顔を浮かべなのはは頷くと、いってきますと告げて家から出ていった。
それを見届けて恭也は深く息を吐き出した。

「成長した……か」

先ほど考えた通りなのはは成長したのだ。もう恭也がそれほど心配する必要がないくらいまでに。
もちろんまだ大人とは言い難いが、それでももう女性と評してもいいぐらいにはなった。
それこそ恋人がいてもいいぐらいには。
いつかなのはにも恋人ができる。恭也はそんなことをずっと思っていた。そしてそれでいいとも。
恭也はなのはに甘いと誰からも言われてきたし、なのはに恋人ができたら大変だとも言われていた。自分を倒さなければ妹はやらんと言いそうだと、家族全員に苦笑しながら言われたものだ。
だが、恭也はそんなことはしないと返答してきた。
本当にそんなつもりはなかった。
相手は誰だったいい。ある程度強い男が良いとは思っていたが、自分を倒せるとかそんなのはどうでもよかったのだ。
なのは自身がその男がいいというのなら、本当に口出しするつもりはなかった。
なのはを幸せにしてくれるなら、なのはがその男といて幸せだと思うなら、それでよかった。その男と一緒にいて幸せになれるなら、それだけでいい。反対などしない。
本当にそれだけだったのだ。
恭也がなのはに求めているのは、幸せになってくれること。なのはの相手に求めるのはなのはを幸せにしてくれること。それだけだから。それだけで良かったから。
なのに……

「あいつを幸せにできる男……」
 
その対象が今、自分になってしまっていた。皮肉すぎて笑えてくる状況だ。
実際に恭也は笑ってしまっている。

「俺はお前を幸せにできるのか、なのは」

恭也は呟いて首を振る。
どうやったって、無理だ。今のままでは様々な意味で恭也ではなのはを幸せにはできない。
だが、このままではなのはは壊れてしまいそうで。

「……調べて……みるか」

それは今の悩みを解消してくれるものになるか、もしくはそれこそ修復不可能なところにまでもっていってしまうかもしれない。
しかし、このままだらだらと悩み続けても、遅かれ早かれお互いどこかで壊れてしまうだろう。そして間違いなく、恭也よりも先になのはが限界を迎える。それは目に見えていた。
だから、どんな形であろうと踏み出すためにも……

「調べよう。俺となのはが本当に……血が繋がっていないのか」

ただ一歩を踏み出すという区切りのために。
自分がなのはの何なのかを本当に決めるために。
変わらないという理由で今まで調べなかったそれを、恭也は覆すことを決めた。



◇◇◇



なのはは駅前に立ち、何をするでもなく人通りを眺めていた。
恭也に買い物にでかけると告げて家を出てきた彼女だったが、実際の所はそんな理由はなかった。
ただ……逃げ出したかっただけだ。
恭也以外には誰もいなかったあの家から逃げ出した。
一緒にいたわけではない。恭也は道場にいたし、顔を会わせていたわけでもないのだ。それでも近くに恭也がいて、他に家族は誰もいないという状況に置かれて、どうしていいのかわからなくなったのだ。
なのはの女性としての意識が好きだと言いたいと暴走しそうで、だが妹としての意識が兄妹でいたいとそれを止める。それらが高町なのはという心を軋ませる。
それでも出て行く前にどちらの意識も恭也の顔を見たがるのだから、不安定さが良くわかるというものだった。

「壊れちゃいそうだよ……」

俯いて呟かれた声は、人通りが激しい喧騒の中で、誰にも聞きとがめられることなく消えていく。

本当に壊れそうだった。
恭也が蛍と付き合う前とてここまでではなかった。蛍と付き合っているときだって、こんなふうに壊れと思えるほどにはならなかった。
なのに、恭也が蛍と別れたと聞いたら……一人になったと聞いたら、駄目だった。
諦めた可能性というものを再び目の当たりにしたら、その葛藤は前の比ではなくなってしまう。

「私は……」

恭也のただ一人の『女』になりたいのか、それとも『妹』でいたいのかわからない。
前者は無理だとわかってる。そうなりたいと恭也に告げたとき、それこそ妹としても否定されることもわかっていた。
だから妹としてのなのはがそれを止めるのだ。
だが、それでも女のなのはが、このままでは耐えられないと暴れる。
もう、本当に血が繋がっているとかいないとか、それすらどうでもいいものになっていた。それは女としても、妹としても。
血が繋がっていようと、女としてのなのははもう最愛の人が恭也以外に考えられず、血が繋がっていなかったとしても、妹としてのなのはは兄でいてほしいと願う。
それはある意味矛盾した二つの感情、二人のなのはだった。
その矛盾が、彼女を苦しませている。

「はあ、これからどうしよう」

それは恭也との関係ではなく、本当にこれからという意味で呟いた言葉。
家から出たはいいが、することがない。恭也には買い物をすると言って出たが、本当のところ買い物をする気分でもないし、服を見る気分でもなければ、趣味の一つであるAV機器を見て回っても楽しめそうにない。かと言って自分の都合で友達を呼ぶのも憚られる。
夜には家族が帰ってくるだろうから、それまでは家に帰りたくない。しかし、このままただ立っていても際限なく考え事をしてしまうのがオチだ。
あまり考え込まないように、人通りが多く、雑音が多い場所にいようと思ったが、こんなふうに駅前に立っていては、まるで待ち合わせをしているように見えてしまう。それも待ちぼうけしているようにも見えるだろう。
とりあえず歩くだけでもいいからここから離れようと、なのはは視線を上げた。

「あ……」

そのときなのはは、しまったと微かに頬を引きつらせた。
視線を上げると、数メートル先に一人の男がいた。耳と唇にピアスをつけ、短い髪を金に染めた男。本当になのはの兄とは正反対の男だ。
その男はなのはから見て、どこかいやらしい笑みを浮かべながら、ゆっくりと彼女へと近づいてきた。
その後ろにも似たような男が何人かいて、近づいてくる男に何やら声援を送っている。
おそらくはナンパ。こういうことは今まで何回もあったので、言われなくても何となく雰囲気でわかってしまう。待ちぼうけをしているいいカモと思われているのかもしれない。
今回の相手は外見からして怖い。さらに後ろには仲間らしき人間がいて、断ったらどうなるかさらに怖くなる。
声をかけられる前に動こうとしたが、それに気付いたのか男の足が早くなる。そしてニヤついた顔のままなのはの目の前にまで来て、声をかけようとした。
が、

「ごめんね! 遅くなっちゃって!」

それより早く、なのはの横合いから女性の声が響いた。

「え、え?」

現れた女性は、そのままなのはの手を引く。

「ほら、早くいこう、なのはちゃん」
「は、はい……蛍、さん」

現れた女性……蛍に、なのはは少し呆然としながらも応え、腕を引っ張られながら、駆けるようにして歩く。
すると背後から舌打ちする音が聞こえた。どうやら男は追ってくることはないようだった。
それに安堵を覚えつつもなのはは視線を上げる。そこには彼女の手を引いて歩く蛍の姿がある。この場から離れるために、なのはの手を引き、前を見て歩いてるためその顔は見えない。なのはにはただ短くなった髪だけが見える。
そんな彼女の後ろ姿と短くなった髪を、なのははどこか複雑な表情で眺めていた。



◇◇◇



「はい、なのはちゃん」

蛍は近くの自販機で買ってきた紅茶の缶をなのはに手渡した。

「ありがとうございます……あ、お金」

ベンチに座っていたなのはは、缶を受け取りつつも財布を取り出そうとしたが、それを蛍は笑って止める。

「いいよ、このぐらい」

そう言ってから、蛍はおかしそうに笑った。

「ずいぶん前にもこんなことあったよね?」

本当に昔のことだから、なのはは覚えていないかもしれないが、それでも蛍はそんなふうに聞いた

「はい。初めて……いえ、二回目に会ったときもこんな感じでしたね」

なのはは覚えていたらしく、少しだけ笑って頷く。
それに頷き返し、蛍はなのはの隣に座った。
二人が今いるのは臨海公園。
ナンパされそうになっていたなのはを助けたのは良かったものの、蛍はそのあとのことを何も考えていなかった。そのまま別れるというのは蛍の性格上できない。とりあえずなのはに用があるのか聞けば、とくにないとのことだった。
蛍は長い間なのはが駅前にいたことを知っていた。最初は誰かと待ち合わせだと思っていたし、蛍自身用があったため、そのときは話かけずに終わったのだが、用事を追え、再び駅前に戻ってみれば、なのははまだそこにいたのだ。
そして少し見ていれば、複雑な表情を浮かべていた。それを見て、蛍は放っておけなかった。もちろん高町家の人たち……とくになのはにはどう接していいのかわからない所もあったが、やはり蛍の性格上、放っておけるものではない。
何より蛍はその表情の意味を何となく理解してしまっているから。
そして、声をかけようとしたところ、丁度ナンパ目的らしき人たちがなのはに声をかけようとしていたため、慌てて間に入ったのだ。もちろん怖かった。もっともただ道を聞こうとしていただけだったりしたらどうしようとかも同時に考えていたが。
まあとにかく、とりあえずなのはに用事はないようだったので、この臨海公園に連れて来たのだ。

蛍は買ってきた紅茶を飲みながら、ベンチから見える海を眺めた。

(そういえば、ここはあれから初めて来たなぁ)

蛍は恭也と別れて以来、ここには初めて来た。恭也と付き合っていたときは、ゆっくりしたいときなどにはよく来ていたし、何よりここは恭也と始まった場所だったから、大事な場所だったのだ。
それが今では別れの場所になってしまい、あまり近づきたい所ではなくなってしまった。
ここに来ればどうしても恭也との日々を思い出してしまう。

(忘れられないよ)

今でも蛍は恭也が好きだ。恭也のほうはわからないが、少なくとも蛍は未だ彼の温もりを忘れることはできなかった。

(浅ましいな、本当に)

恭也と会っても、そんな考えを出さないようにはしている。だが結局、それとて恭也の傍にいたいからでしかない。応援すると言ったのも、同じ理由でしかないのだ。
自分から別れを告げたのに、元カノと言ったのも自分であるのに、まだ縋る自分を浅ましいと蛍は感じている。
未だ後悔する日々が続いている。あのときあんなことを言わなければと。
だけど、

(やっぱり、敵わないよね)

今となりにいるなのはを感じながら、そう思う。
彼女の想いには勝てない。その想いにはいきつけない。そんな自分では今の恭也は支えられない。
それが間違いであったのかどうなのかはわからない。だが、そう考えてしまえば、もう恭也と続けることはできなかったのだ。
もちろん他にも道はあったのかもしれない。早急すぎたのかもしれない。しかしもう選んでしまった。

今は自分のことはいい。そう蛍は気分を切り替える。
蛍が意識をなのはに戻してみると、彼女がチラチラと視線を向けてきていることに気付く。やはり彼女もどう接していいのか迷っているのだろう。

「なのはちゃん、本当に用事とかなかったの?」
「え、あ、はい」

当たり障りのない言葉であったため、すぐに終わってしまう。
本当にどうしようかと蛍は悩んだ。

「あの蛍さん」

だが、今度はなのはの方から話かけてきた。

「うん、何かな?」
「最近、おにーちゃんとは……その、会ってますか?」
「えっと、たまにだけど」

昔ほどの頻度ではないが、恭也とは会っている。それは友人として。
恭也もそう思っているはずだし、蛍もそう思っている。それを辛いと思うこともあるが、それも少しずつ、何とか小さくなってきていた。

「あ、もうその、そういう関係ではないから」
「そうなんですか」
「うん。色々あって……友達って感じだと思うよ」

それをなのはや、高町家の人たちがどう思うかはわからないが、それでも今の恭也との関係を蛍は告げておかなければならなかった。
もうそういう関係になることはないと。

「なんで……」
「え?」

小さい声でなのはが呟いたため、蛍は首を傾げて聞き返す。

「なんでおにーちゃんと別れちゃったんですか?」
「……それは」
「私は二人は結婚するんだって、蛍さんはお義姉さんになるんだって思ってました」
「…………」

その言葉に蛍は何も言葉を返せない。
実のところ、蛍自身もそう思っていた。恭也と結婚すると。そしてたぶん恭也もそのつもりがあってくれただろう。辛いだろうになのはにはたまに冗談ではあるが義姉さんと呼ばれたこともあった。なのはに限らず、高町家の人たちもそう思ってくれていたはずだ。
ある意味蛍はそれらを裏切った。

「だから私は……」

なのははそれに続く言葉を飲み込む。
だが、その先は蛍にも想像がついた。
『だから諦めた』
そうなのはは続けようとした。
いや、おそらくはもっと前からなのはは諦めていただろう。恭也とは兄妹だと本当の意味で理解したときから、彼女は諦めていた。
だが、兄妹だからという理由で諦めたくなかった。なぜなら彼女は恭也の妹でもいたかったから。血が繋がっていない可能性があっても、妹でいたかった。だが同時に女でいたい。
どちらかを選べなかった。
だからこそ、諦めたという理由を蛍がいたからということにしたかったのだろう。
それらを蛍は理解していた。

「たぶん、あのままじゃ私たちは幸せになれなかったから」

だから蛍は思ったことを口にした。

「え?」
「幸せになれなかったと思う」

蛍は儚げに、寂しげに笑いながら言う。

「私はね、恋人とかの関係で何より重要なのは、その人と一緒にいて幸せになれるかどうかだと思うの」
「幸せ?」

聞き返してくるなのはに、蛍は頷く。
それは綺麗事で、理想論であることは蛍も理解していた。恋人や夫婦の関係で重要なことは他にもあるだろう。それこそ相手の職業だとか、金銭的なものだとかも。
それでも根底に幸福がなければ、その関係に意味はないと蛍は思っている。お互いが支え合って幸せになれなければ意味はない。

「それこそ、私たちが恋人であるだけで、誰かが不幸になったとしても。酷い話だけどね」

誰かを不幸にしても、幸せになりたいというのは酷い話なのだろうが、それでも好きに人と幸せになりたいと思うのは、きっとおかしなことではない。
それを聞いて、なのはは少しだけ沈んだ表情を浮かべた。
恭也と蛍が付き合ったことで、不幸とは言えないまでも、それでも辛いと思ったのはなのはでもあったからだ。

「でも私たちは、あのままじゃ幸せにはなれなかったと思う。幸せになれる道はあったのかもしれないけど、でもわからなかった。だから私たちは終わった。私は恭也さんの隣に立てなかったから。恭也さんが私の隣に立てなかったから」
「隣……」
「そう、隣。恋人なら、ずっと隣で支えあえないと駄目だよ。私にはそれはできなかった。恭也さんもできなかった。私たちは私たちそれぞれの道を一つにできなかったんだよ」

だから別れた。二人が不幸になる前に。
恭也の隣に立てるのは誰なのか。
自らを犠牲にすることもなく、彼を支えられるのは誰なのか。
それに気付いてしまった蛍には、自らに恭也と共にいる資格がないと思ってしまったから。
その人物に嫉妬も浮かぶが、それでもその想いには勝てないと思わされた。
もっとも、その人物はまだまだ悩んでいるようだったが。

(やっぱり恭也さんには幸せになってもらいたいな。それになのはちゃんにも)

かつての恋人にも、そして義妹になっていたかもしれない彼女にも、幸せになってほしい。それは蛍の本心だった。
だから、なのはの背も少しだけ押したかった。

「なのはちゃんなら、きっと恭也さんを支えられると思うよ。そして幸せにもできる」
「わた……しが?」

なのはは目を見開き、信じられないとばかりに蛍を見つめる。
それを見て、蛍は思わず内心で笑ってしまった。
だって、彼女が支えられなければ、それこそこの世に恭也を支えられる人はほとんどいなくなってしまう。それだけ彼女の想いは純粋で強いものだ。それを自身で気付いていないということに、笑ってしまったのだ。

「で、でも、私は、その……妹だし」
「関係ないよ」
「関係ない?」
「妹とか関係ないよ。それともなのはちゃんは恭也さんを支えたくない? 幸せになってほしくないの?」
「そんなことありません!」

蛍の質問に、なのはは思わずと言った感じでベンチから立ち上がり、大声で否定する。
その大声で、辺りにいる人たちから視線を集め、なのはは真っ赤になりながら蛍に謝るとすぐに座り直した。
その姿に、今度は表情に出して蛍は笑った。そんな彼女になのはは恨めしげな視線を送る。
それに蛍は何とか表情を戻して謝った。
そして話も戻す。

「妹とか、女としてとか、そんなに重要なことかな?」
「それは……重要じゃないかと……」
「そう? どっちにしても、恭也さんに幸せになってほしい、支えになりたいと思うのは同じでしょ?」
「それはそうですけど……え?」

なのはは頷き、だがすぐに目を大きく開いて蛍を見つめた。
気付いたのだろう。
自分が恭也に向ける感情がなんであるかを、蛍が気付いていることに。
だが、それに蛍は何も答えず、話を進めた。

「ただ、なのはちゃんは高町なのはとして恭也さんを見ればそれでいいと私は思うよ」

それはどれだけ無責任な言葉か、蛍とて理解している。
なのはの立場と気持ちは、その辛さは何となくわかる。だが、それはあくまで何となくだ。それを正しくわからない蛍では、どれだけ言っても無責任な言葉でしかない。
それでも……無責任とわかっていながらも蛍は続ける。

「どんな関係であれ、きっとなのはちゃんはこれからもずっと恭也さんと続いていく。ずっと傍にいることになる。だったら、その関係よりも、気持ちの方が重要だと私は思うな」
「けい……さん」

呆然とした様子で自らを見つめてくるなのはに苦笑しながらも蛍は立ち上がった。

「ごめんね、偉そうなことばかり言って」
「あ、いえ……」
「あとはたぶんなのはちゃんの気持ちしだいだよ」

それだけ言って、蛍はなのはに背を向けながら振り返ってなのはの顔を見た。

「じゃあ、私はそろそろいくね」

きっとなのははこれから色々と考えるだろうから、自分は邪魔だと思い、蛍は別れを告げることにした。

「は、はい。ありがとうございました」

そんな蛍になのはは慌てて頭を下げた。
それに蛍は微笑み返し、ゆっくりと歩き出す。
少ししてから蛍はなのはの方を振り返る。
彼女はじっとベンチから見える海を眺めていた。その表情からは何を考えているのか、思っているのかは、蛍にはわからない。
後押しになったのか、余計なことになってしまったのかも窺い知ることはできなかった。

「本当に余計なことだったかな」

なのはの想いに恭也が気付いていることも話してしまっても良かったのかもしれないが、それは本当に余計な混乱をまねきそうなのでしなかった。
だが、それが正しかったのか、そして先ほどまでかけた言葉が正しかったのかも、蛍にはわからない。
だけどそれが悪い方向であろうと、良い方向であろうと、何かの切欠を与えなければ、なのはは自分の想いに押しつぶされていただろう。それによって何かしら心に歪みを与えてしまったかもしれない。
そして、その原因となったのは、蛍が恭也と別れたことだ。もちろんあれらの言葉は恭也と付き合っていて、そして別れてしまった自分が言えたことではなく、偉そうな言葉だと思う。だが同時に、あれは自分が言わなければならないかったことだと、蛍は自分に言い聞かせた。
一歩間違えれば、先ほどの言葉でなのはの心は決定的に壊れていたかもしれない。あの言葉を聞いての行動で、今度こそその想いに押しつぶされてしまうかもしれない。
蛍とてそれほど強い女ではない。もし自分の行動や言動で、恭也となのはが不幸になってしまったら耐えられない。だが、それでもきっと言わなければならなかった。
そしてもう、蛍がすることは、できることはない。
どんな結果になろうと。それこそなのはが不幸になってしまったとしても。
あとはもう見ていることしかできない。
そう、あとは……

「恭也さん次第だよ」

蛍のかつての恋人次第だ。彼がどんな答え出すのか、それだけだ。
だけどきっと恭也は最善の答えを出すだろう。
それを自然と蛍は信じられた。
蛍はなのはから視線を外し、彼女が見つめている海を同じく見つめた。

「私は次の恋を見つけないと」

人の心配ばかりをしていられない。
確かにまだ恭也のことを愛しているが、もうあのころの関係になることはない。
だから一歩を踏み出さなくてはならない。
蛍は海を眺め、一度だけ微笑むと、視線を離し歩き出した。
なのはことは恭也に、恭也のことはなのはに任せればきっと大丈夫だと、漠然とした思いを浮かべながら。






あとがき

とりあえず次回最終話。
エリス「とりあえずってなに、とりあえずって」
まあ、それは次回で詳しく。
エリス「しかしこの物語って恭也となのはの話なのに、本当に二人が絡まないね」
あー、それは半ばわざとです。家族としていつも一緒にいるからこそ、一人の時のことを重点に置いてます。もちろんその間、二人は全然接してないなんてことはありません。
エリス「相手と絡まない恋愛物って……」
そういう趣向なの。会って二人がどう思うのかじゃなくて、一人のときにお互いどう思っているのか、っていう。そりゃ、恭也となのはが友人同士だとか、別の場所に住んでるとかいうなら違うやり方するけどね。
エリス「まあ、なのはと絡めすぎると、シスコンとブラコンの物語にもなりかねなさそうだけど」
あー、それはない。
エリス「そう?」
書いてる私自身が、恭也をシスコンとは思ってないし。なのはに甘いというのはあるけど、そこもシスコンだとは思えない。まあどの作品もなのははブラコンっぽく書いてるけど。
エリス「そなの? なのはにだけ甘いんだから十分シスコンじゃない? あんたの他の作品見てもそんな感じするけど」
シスコンとはまったく書いた覚えはないかな。冗談としてはあるかもしれないが。あれは兄としてというよりも父としての甘さに見えるから。リリちゃのクロノ関係なんかはとくに。
エリス「兄と父としての態度が両方出てるってことかな?」
うん。甘い部分は父としての感情がほとんどで僅かに兄としても入っているだけ、厳しい部分は兄と父と両方からって感じかな。だからいきすぎた甘さにはしないようにはしてる。
エリス「シスコンって言うよりも親馬鹿?」
あー、そっちの方が近いかも。それでも兄としてへんな所まで干渉はしない。彼女の成長のために突き放すべきときは突き放す。絶対の味方ではあるけど、危機に陥っている場面を見るとかなのは自身が助けを求めでもしない限りそう簡単に助けるとかいう行動はとらない。
エリス「そんな感じかなぁ。でも恭也が好きなこの話には関係ないけど、リリちゃみたいに好きな男の人を連れてきたりしたら? 子供の時じゃなくて、大人になって結婚します、とか」
それもリリちゃから見て、気になりはしても、相手に何かするとかありえない。自分よりも強くなくちゃ駄目とかも、冗談でぐらいしか言わないと思う。なのはが決めた相手ならそれでいいんじゃないかな。どちらかというと一歩引いて見守る兄。私のなのはに対する恭也像はそんな感じ。そんなふうに書いてるつもりだけど。
エリス「まあ、とりあえず恭也のなのはに対する話はいいとして、次回で終わりなわけね」
はいです。とりあえず兄妹の恋愛過程はそれで終わり……一応。
エリス「一応って」
そのへんは次回で。
エリス「曖昧な理由は次回で話させますので。それでは次回、最終回で会いましょう」
では、ありがとうございました。



少しずつ何かが動き出す感じ。
美姫 「次はいよいよ最終回との事だけれど」
ああ、一体どんな結末が。
しかも、一応という言葉も気になります。
美姫 「とっても続きが気になるわね」
次回も待っています!
美姫 「待ってますね〜」



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