第十六話 HGS






「そういえば、兄さんって結局、通常はどの差し方をしてるんだ?」

いつもの道場での鍛錬が一通り終わると、恭也が唐突に聞いた。
それは刀の差し方……鞘を吊し、刀を納める場所のこと。

「ん?」
「何かころころと変わるだろう。二刀差しだったり、背負いだったり、十字差しだったり。果ては御神流にない差し方や変形までしてる」
「ふむ」

はっきり言ってしまうと、恭吾はどの差し方でも戦える。別段、この差し方で戦うのが苦手とか、その差し方でないと戦えない、というのはない。
さらにそれまでの経験から、普通とは違う差し方というのも開発していた。これは単純に、御神の技を全て体得したため、他にも合う差し方がないかと色々と試行錯誤した結果でもある。
武芸は自分の流派の技を全て体得したからといって終わりはない。既存の技から新たな技を作り出したり、今まで覚えた技をさらに高度なものへと昇華させていくのだ。師がいないため、皆伝こそしていない恭吾ではあるが、実力的にはとっくに皆伝していて、それらの段階に行っていた。

「基本は二刀差しだが、これとは決めてない」
「そう、なのか?」
「まあな」

恭吾の場合、どの差し方でもそれなりに戦えなければならない理由があった。つまり、美由希に教えるためだ。
刀の差し方など、抜刀すればどれでも変わらない、と思うかも知れないが、御神流は戦闘中でも納刀することが多々あるし、小太刀を使わない戦い方もある。
刀を抜いている時に敵が襲い掛かってくるなどという保証もない。そのため奇襲に対処すもためなどの理由で、初撃を入れる、または防ぐために刀の差し方というのは、構えと同じで酷く重要なのだ。
差し方の長短を教え、美由希がどれがいいかを選ばせるために、恭吾はどの差し方でも戦えなければならなかった。そのため、いつのまにかどの差し方も器用に使いこなせるようになってしまっている。
本来ならは、師が一番得意とするものを教えたり、周りに多くいる同じ流派の遣い手を見て選ぶものであったが、恭吾の他には御神流の遣い手いなかったし、美由希には自分に合った差し方を見つけてほしかったので、そんな珍妙なことになってしまったのだ。
大抵は、その人物の戦い方によって得手不得手が出て来るものだが、恭吾にはそれがない。差し方によって、戦い方まで変えることができるようになってしまっていた。ある意味ではこれも器用貧乏と言える。

「事前の状況によって変える。裏が必要ならば背負いにするし、抜刀が必要ならば二刀差しにする。臨機応変でいくならば十字差しに、という感じだ」

暗器を多用したり、武器を隠して行動したいならば背負い、恭吾が最も得意とする抜刀術を前面に使って戦うならば二刀差し、どれも同様の頻度で使うならば十字差し。刀の差し方一つをとっても、御神流の場合は一長一短が出てくるのだ。
他にも初撃や戦い方を考えて、新しい差し方を模索しているし、そこから新しい戦い方もまた作りだしている。

「それはそれで凄いな」

このころの恭也は、まだ美由希が刀の差し方の違いを教えるまでに至っていなかったので、必要のないこと。だから彼の差し方は士郎と同じ二刀差しだ。
慣れというのは恐ろしく、今いきなり十字差しや背負いに差し方を変えても、それに合わせるのは少し難しいだろう。
それを恭吾は相応の努力で可能にしただけだ。

「別に二刀差しでいいというのなら、それで構わない」

二刀差しは、一刀で戦う場合などは有用だ。腰だめに吊すため、抜刀がしやすい。ただし二本同時に納刀するには向いていないし、武器を隠すというのにも向いていない。つまり戦闘準備状態であると推察されてしまうので、裏……暗殺などにも向かない。
実際のところ、抜刀術に相当の自信でもなければ使わない差し方で、さらに抜刀術というのも、一回の戦闘でそれほど多用できる技ではないので、御神ではほとんど廃れていた差し方だ。そもそも薙旋を得意技とする人間の方が御神……その中でもとくに、不破では少なかったのだ。

「ただ、せめてもう一つ……背負いでも戦えるようにしておけ」
「背負い?」
「ああ。武器……鍔を外した小太刀を隠すには背負いが一番いい。日常で小太刀を持ち運ぶときなどのために、慣れておいた方がいいだろう」
「なるほと」

恭也は頷いて、考え込み始めた。
恐らくいきなりその差し方に変えるのではなく、イメージから始めているのだろう。
イメージ。
そんな単語が恭吾の頭の中に浮かぶ。
そこから一つの事柄が繋がった。
知佳と出会ったのならば、教えておいた方がいいかもしれない。

「恭也」
「ん? 何だ、兄さん?」

思考していた恭也が顔を上げ、首を傾げる。
そんな恭也に、恭吾は聞いた。

「例えば思考を呼んでくる相手にどうやって戦うのが正確だと思う?」
「思考を読む? 先読みが上手い敵ということか?」
「いや、本当に頭の中を覗いてくる者だ」
「そんなSFやオカルトじゃあるまいし」

恭也にもそんな存在が身近にいたのだが、このときすでに忘れてしまっていたかもしれない。
恭吾とて彼女の黒き翼を思いだしたのは随分後のことだった。

「戯け。そうやって自分の想像を狭めるな。本当に相対したときどうするつもりだ」
「……そう言われても」

まあ、確かに現実的な話ではないだろう。

「言っておくが、本当にいるぞ。思考を読む能力を持つ者は」
「……本当か?」
「だから言ってるだろう。超常現象を操る者、人を越えた能力を持つ者は現実に存在する。想像力は決して狭めるな」

しかし、そう告げても恭也は胡乱な目つきをするだけで、信じてはいないようだった。
どうせ数年後も経てば、非現実的なことに首を突っ込むことになるというのに、と恭吾は嘆息。

「士郎さんに言われなかったか? この世には絶対ということは絶対になく、ありえないということこそありえない、と」
「……言われた」

士郎のその言葉はきっと超常の能力、または超常の者が存在していることを知っていたからでもあったのだろう。
いや、そもそも御神という一族ならば、そういった超常なる者たちを知っていたとしてもおかしくはない。何と言っても、時代の影に生きてきた一族である。そうであるならば、世界の裏に存在する者たちを知っていただろう。
似たことを恭也も思ったのか、それ以上そういうものがあるか否かの言葉は出さず、そんな存在と相対し、敵対したならと考え始めた。

「それはつまり、攻撃方法という考えも読まれる、ということか」
「そんなところだ」

頷いた恭吾に、恭也はふむと少し考え、

「何も考えずに攻撃する、か?」
「当たりだが、お前の言うニュアンスとは違うだろうな」

そう言った瞬間、恭吾の右腕が霞む。

「!」

同時に恭也は目を見開きながらも、右手を首の庇うように横へと据えた。
次の瞬間、恭吾の手刀が恭也の右手に直撃。
唐突に恭吾は攻撃し、恭也がそれを防いだ。
とはいえ、一瞬でも恭也の反応が遅れていれば、恭吾の手刀はその首に叩き込まれていただろうし、それでも速度はかなり抑えられていたのだが。

「今、反応したな?」
「あ、ああ」

恭吾が手刀を引くと、恭也は慌てたように頷いた。

「お前は今、受け止めると考えたか?」
「いや」
「そういうことだ」

一瞬の間を置いて、恭吾が言いたいことを恭也は理解する。

「条件反射、か」

続く言葉に恭吾は頷いて返した。

「正確には無意識だ。身体を使う以上、脳が働いているのは間違いないが、戦術を練ったときならともかく、お前はいちいち攻撃するときに思考しているか?」
「ほとんどしていない」

戦闘者とは、ほぼ意識なく攻撃をする。今まで何度も、それこそ万回と繰り返し反復した技を意識せずに繰り出すことができる。そこに思考というものはほとんど介在しない。
思考するときは、戦いが始まる直前。もしくは余程戦況が膠着していときか、やはり余程押され、戦術なりを考えなければならないときだけだ。

「そういう能力を持つ者は、脳の中身を読んでいるわけじゃない。あくまで思考を読んでいるだけだ」

そもそも本人だって無意識に行動していることがあり、それを後で気付くということもある。
例えば鍵を閉めたか忘れてしまった、というのは誰でも一度はあることだろうし、考え事をしていたら、いつの間にか目的地に着いてしまった、というのもあるだろう。
これらは日常的無意識と呼ばれる行動のためだ。
所謂『身体が覚えている』というのに近い。
思考せずに、身体が勝手に動いていたため、後にいつそれをしたか覚えていないという行動。
戦闘者の攻撃とは、まさにそういうものが大半だ。隙を見つければ、思考せずにそこへと打ち込む。
そんな自分さえ行動すると意識的に思考していないものを、考えを読めるだけの他者がわかるわけがないのだ。
それを読めたなら、無意識の思考を脳が身体へと伝達する速度よりも、それを読みとる速度が速いことになってしまう。そんなことはさすがに超常の存在でもありえない。

「考える余裕がある戦闘が始まる前は読まれて構わない。近づくとだけ考えればいい。間合いにさえ入ってしまえばそのあとは普通通りにやっていれば、どうということはない。むしろ相手が思考を読める、とわかって、そこで意識してしまう方がまずい。だから無視しろ。
あとは意識的な思考は捨てろ。意識を混ぜた並列思考は決してするな」

無意識の思考と意識的な思考を同時に扱うのは並列思考の範疇であり、当然それも二人はできるが、それをするなという意味でもある。
御神の剣士は複雑な身体操作をこなすことによって、並列思考も自然と体得している。意識的な思考と無意識の思考複数などを同時にこなしたり……無論増やせばいいというものでもない……、もしくは簡略化もできるが、一つに絞らなければならない。

「しかし、相手が格上、もしくは相性の悪い敵だったら?」

それが問題だ。
格上、相性の悪い敵と戦うならば、どうしても思考が必須だし、膠着状態にも陥るだろう。その場合、作戦を練らなければならない。その場合並列思考がやはり必須だ。
しかし、それが読まれてしまえば……

「同じだ」
「は?」
「無視しろ」

だが、それに恭吾はただしと付け加えた。

「組み上げた戦術は、一気に使え。二つ以上が浮かんでも吟味するな。迷うな。選択を高速化させ、矛盾しているだろうが無意識で選べ」
「…………」
「俺たちは戦術を組み立てる、それを実行に移す、の二行程だが、相手はその戦術の思考を読む、それを処理する、その後の戦術を破る方法考え、実行に移すという四行程を必要とする」
「結局は速さで勝負ということか」
「そうだ。しかし、そう言った者たちに、単純な戦闘技術が格上というのはそうそうない」
「そうなのか?」
「ああ。俺の経験上だが、少なくとも他に超常の能力を持っていても、それ以外の技術はほとんど持っていない者が多い。つまり一点特化系だ」

経験上というところに、恭也は目を丸くしたが、恭吾は気にせず続ける。

「しかし、先ほど言ったように、思考を読む者以外にも人間以上の能力を持つ者もいる。それらはやはり戦い方を変えろ」
「人間以上の能力とは、具体的にどんなのなんだ?」
「たとえば、そうだな。人の限界を超えた身体能力を持つ者もいる」
「限界を超えた身体能力」

想像が付かないのか、恭也は腕を組み、首を傾げる。
そんな恭也に、人間の数倍力が強い、速い、と思っておけばいいと恭吾を告げた。

「こういうのは正直、真正面からやり合うべきではない。まあ、相手の技術次第では、正面からでも勝てないわけでもないがな。
やはり先ほど言ったが、そう言った者は技術など学ばすに、身体能力だけの者の方が多いから、そう難しいことではない。だが確実性を取るならば、戦闘などせず背後からの一撃を入れた方がいい」
「なるほど」

二人は御神の剣士ではあるが、それ以前に不破だ。だからこそ背後からの一撃という行為にも忌避感はまったくない。

「しかしまあ、背後からというのもなかなか難しいのだがな」
「なぜ?」
「身体能力が高い存在というのは、大抵気配に敏感だ」
「ますますなぜだ? ほとんど技術を持つ者はいないんじゃないのか?」
「そう言う者たちは、生まれた時から人以上に五感も発達している。このへんは獣に近いな」

だからこそ気配に敏感となる、ということだ。

「……なるほど」
「その分第六感が働かない者が多いようだから、そのへんが突き所だが」

とはいえ絶対とは言えない、と恭吾は付け加えた。
今教えられるのはこのぐらいだろうか。
本当は思考を読まれる云々も、ある程度防ぐことができる方法はある。しかし、これは戦闘中ではあまり意味がない。今教えても意味がなかった。

「お前が今後も御神の剣士として生きるならば、必ずそれら人間を超越した者とも言える存在たちと、どこかで相対することになるだろう。それも敵としてな」
「……そう……だろうか」
「必ずだ。護る者が存在すれば、逃げることは許されない。真正面からでも戦うことになる」

本当にそんなときが来るのだろうか、と眉を寄せている恭也に向け、恭吾は苦笑しながらも小さく肩を竦める。

「だが、まあ心配するな」
「ん?」
「完成した御神の剣士もそれらと似たようなものだ。たかが身体能力が高いだけ、特殊能力を持つだけの、戦闘者以下の存在に遅れを取るほど安いものではない」
「ああ」

かつて恭吾が出会った、まだ恭也が出会っていない月村忍に、自分も人間離れしている、と告げたことがあったが、それは紛れもない事実だ。
正確には恭也ではなく、御神流を体得した者たち。
御神流を体得した人間とて、人間離れしているとしか言えない。
いくら能力が秀でていようと、ただ強いだけの素人に負ける要素などないのだ。負けたならば、それは御神流が劣っていたのではなく、あくまでその遣い手が劣っていたに過ぎない。
何より、それらに勝利してきたからこそ、恭吾は今ここにいるのだ。

「そういう存在もいる、というのを覚えておけば今はいい」

どうせいつか関わってくる。
いや、過去でも、現在でもすでに恭也は関わっているのだ。
そしていつか未来でも大きく関わることになる。
だから今は、それだけ理解していればいい。



◇◇◇



恭吾は日が暮れ始めた道をゆっくりと歩いていた。隣を歩く少女の足に合わせて。

「……えっと、すみません」

少女……知佳は苦笑気味で頭を下げた。

「いえ」

なぜか二人は今、こうして共に歩いていた。
いや、なぜか、というのもおかしいだろう。
全て翠屋店長の陰謀というか、口車というか。まあ、そんな感じた。
この頃知佳は翠屋によく来店するようになった。
武者修行から帰って来る前、知佳と始めて出会ったときからすでに一年以上が経過し、その中で知佳は何度も翠屋に訪れていたと言うが、恭吾と会うことはなかった。
恭吾が手伝いに行く時間と曜日が一定ではなかったためだろう。それはそれでなかなかの確率なのだが、ここ最近は翠屋に来店する知佳の姿をよく見かけたし、何度か休憩中に話すこともあった。
何のことはない。知佳が翠屋に来るその頻度が上がったのと、恭吾は知らないことだが、桃子がある理由で恭吾が翠屋に訪れる時間をリークしているためだった。
自分たちと知り合い、顔を見せるようになってくれたのだろう……と恭吾は思っている。
そして今日は、少しばかり店で話し込んでしまい……恭吾相手というよりも、主に桃子と……知佳の帰る時間が少し遅れた。
とはいえ、特段遅すぎる時間ということもなかったのだが、桃子があれよあれよという間に、恭吾が知佳を送るという状況にまでもっていってしまった。
その手際は見事で、恭吾が気付いた時には、いつのまにか知佳と二人きりなっていた。
しかも本来なら知佳はバスで帰るはずが、徒歩で帰るように修正されている。
やはり恐るべきは桃子だ。
距離的にはさざなみ寮は、もう少し先だ。
しかし、とくに会話に困らない。

「不破さんって、恭也君の従兄弟、なんですよね?」
「ええ、まあ。恭也の父親が俺の叔父に当たりますから、高町家に世話になってます」
「兄妹とかは?」
「血の繋がったというのはいないですよ。恭也と美由希、なのはだけです」

こんな感じで、知佳が色々と聞いてくるからだ。
恭吾は、それに悪いと思いながらも、嘘と真実を半々に混ぜて答える。
人が多くいる翠屋ではできない質問をしてくる知佳だが、彼女はどこか嬉しそうだ。
恭吾としても、彼女が醸し出す空気は好きだった。自分の知る彼女たちと混同する気はないと決めているが、実の所元の時代、世界の彼女の雰囲気とも言えばいいものが好きだったし、自分の力を人のために役立てる彼女を尊敬もしていた。
それはこの世界でも変わらない。
元の世界を別にして、恭吾は別の世界と割り切ったこの世界の知佳も守りたいと思うほどに好きだ。
だからこんな時間は決して嫌ではない。





両脇に多くの緑が目立つ舗装それた細い道。
さざなみ寮に続く道で、それつまりこの二人きりの時間が終わるのが間近に迫っているということを告げる。
それを意識して、知佳はちらちらと横を歩く恭吾を見た。
知佳が兄と慕う耕介ほどの長身ではないが、平均か、それよりも少し上という身長である恭吾相手では、当然ながら見上げる形だ。
何度見ても端正な顔であると知佳は思った。
耕介のように柔和で人好きのするような顔立ちではない。
美男子と言えるが、だが決してテレビの中で笑顔を振りまくアイドルなどとも違う。
むしろ鋭く、笑顔など浮かべない。しかしだからこそ映える。テレビで見慣れてしまったアイドルの笑顔などより、よっぽどこの無表情の方が格好良く見えた。
知佳が彼と出会ったのは一年以上前。それから再会、というべきか、知り合ったというべきか、再び顔を合わせたのは一ヶ月ほど前のこと。
その一ヶ月の間で、それなりに距離は縮んだという感じはするのだが、あれから恭吾がさざなみ寮に訪れたことはない。知佳自身はこの前の約束である宴会を楽しみにしているのだが、なかなか彼の母親である桃子の時間と寮生との時間が合わないのだ。
それならばと恭吾や恭也を誘ったのだが、恭也は薫と勝負するために何度が訪れているものの、恭吾は全て断り続けている。
理由を聞けば、子供の恭也ならばともかく、まだ寮生全員に紹介されたわけでもない自分が女子寮に行くのはまずい、ということらしい。

(真面目、なのかな?)

知佳はそう思うも、何度か恭吾が桃子や美由希、恭也を真面目な顔でからかっているところを見たことがあるので、真面目だけではないことを知っている。
何しろ一ヶ月だ。
その間で、知佳も何となく彼とは長い付き合いになると自然と考えていた。正確には長く付き合っていきたい、だ。
知佳は自分自身が、初めて恭吾に出会った日、彼のことを知った日から、彼を気になっていたのを自覚している。それが恋なのかはわからないが、間違いなく惹かれているのがわかる、ということだった。
だからこそ、知佳には告げなければならないことがあった。

「恭吾さん」
「なんですか?」
「変異性遺伝子障害、っていう病気をご存知ですか?」
「ええ」

知佳の質問に返ってきたのは短い返答。
それを見て、知佳は足を止めた。それにつられるようにして、恭吾も足を止め、知佳の目の前に立った。
恭吾がどこまで知っているのかはわからない。
知佳は手で耳元を……というよりもピアスを弄った。
これから恭吾に、兄、耕介にしてもらったようにしてもらおう。

「私のこと、抱き上げてみてもらえますか?」

そう言うと、恭吾は特段その言葉の意味を考えていないのか、知佳の両脇に手を入れた。

「へ?」

それに思わず知佳は、声を上げてしまう。
おそらく耕介のように、腰と足を持って抱き上げようとすると思っていたのだ。横抱き、所謂お姫様だっこをするように。
しかし恭吾は、正面から……まるで小さな子供に高い高いとするように持ち上げた。
そう、持ち上げたのだ。

「も、持ち上がっちゃうんですか!?」

耕介は横抱き……お姫様抱っこをしようとして、結局まるで浮かび上がらせることもできなかったのに、恭吾は知佳から見ては軽々とした感じで持ち上げたように見えた。とはいえ、知佳は気付いていないが、わずかに恭吾の腕や足は震えている。

「うーむ、女性に言いたくはないのですが……」
「重い、ですか?」
「ふむ。140から150ぐらいの間ですか?」
「も、もういいです」

知佳が顔を真っ赤にして、目線があった恭吾に向けて言うと、彼はゆっくりと知佳を降ろした。

「うう、抱き上げてもらえるなら、お兄ちゃんみたいにお姫様抱っこが……」

顔を真っ赤にしたまま視線を下に向け、知佳がぶつぶつと言っている間に、恭吾は腕を振ったり、足を伸ばしたりしている。やはり外からではわかりづらかったが、かなり無理をしていたようだ。
しかし、知佳が顔を上げると、すぐにやめる。恭吾でも多少の見栄はあるらしい。

「さ、さっきは私の自然体重は147sです」
「知佳さんの見かけではありえませんね」
「はい。いつもは軽くしてます。今も戻しました」
「持ち上げましょうか?」
「い、いいです!」

顔が近くなるのは嬉しいが、さすがに高い高い状態は子供みたいで恥ずかしい。
知佳は顔の赤みが取れると、再びピアスを弄る。
すると知佳の背中に光が溢れ、

「変異性遺伝子障害病、種別XX、パターン『念動、精神感応』」

真っ白な羽根……翼が出現した。

「それが私の正式な病名です」
 
同時にそこらの小石や木の枝が勝手に浮かび上がった。
どこか覚悟を決めるようにして、知佳は恭吾に視線を向ける。

「あ……」

恭吾はただじっと知佳の翼を眺めていた。
しかし、それよりも、とそこで端と知佳は気付いた。
見えない……。
何も……見えない。
もっと早く気付くべきだった。
知佳が意識しなくとも、力を使ってしまえば、そこらにいる人間の思考を読んでしまう。しかし、それが恭吾からはまったくない。
まるで見えない壁があるかのように。
知佳のそんな困惑に気付いたのか、恭吾は頭を下げた。

「すみません。正直、俺の頭の中は見てもそれほど楽しいものではないと思うので」

その恭吾の言葉に、知佳は愕然とした。

「あ、あの……」

――もしかして、この病気を本当の意味で知っている?

「知り合いが、何人かいたんです。思考や記憶を読ませない方法も知っています」

恭吾は顔を上げ、微苦笑を浮かべると、知佳が聞きたいことを告げる。

「す、すみません!」

それを聞いて、今度は知佳の方が頭を下げた。
説明する前にそれではいきなり頭の中を覗かれた、と思われても仕方のないことだ。そもそもこの病気が恐れられるのは、そのへんもある。
見知らぬ相手であれ、親しい相手であれ、自分の思考が、記憶が覗かれるなどたまったものではないだろう。
だからこそ、例えば知佳はピアスでその効果を抑制しているし、意図して覗くことはしないと戒めている。

「いいんですよ。知り合いがいたと言ったでしょう? その人たちの中の一人が力を使ったり、羽根を出してしまうと、本人の意思に関係なく、ある程度その場にいる人間の思考や記憶を読んでしまって困ると言っていましたからね」

とくに俺のなど見てしまえば、困る所か気持ち悪くなるだけです、と恭吾は続けた。

「思考と記憶を閉ざす方法もその人たちに教わりました。まあ、俺の流派というか、家系に伝わっている精神制御を応用しただけですが」

そして、恭吾はただじっと知佳の羽根を眺めた。

「それが知佳さんの羽根ですか」
「……はい」
「綺麗ですね」

微かな笑みを浮かべて言う恭吾の顔を見て、思考を読めずともそれが本心で言っていると、知佳にはわかった。

「怖く、ないんですか?」

同じ病気の知り合いがいるという恭吾。
羽根についても知っている以上、それを持つほどに強力な力があるというのも知っているだろう。
それはつまり、この病気が相手の心や記憶を覗けるだけではないことを知っているということにもなる。
今この時とて、大小に関わらず知佳の周りにある石や木の枝が勝手に浮かびがっている。これが一斉に恭吾へと向かっていったなら、決して怪我ではすまない。それを恭吾は知っている。

「何度も言いましたが、知り合いに何人かいたんですよ。それが一人増えただけの話です」
「でも……」

人を簡単に傷付けてしまえる力。
異質であり、人間とは思えない強力な力。
それを恐れずにいられるのだろうか。
いや、さざなみ寮の人たちは受け入れてくれているのはわかっている。
しかし、それでも知り合いがいる、というからこそ、その力の凶悪さを理解していであろう恭吾は受け入れてくれるのか。
そんな気持ちも恭吾は理解できているのか、やはり苦笑した。

「それに正直に言ってしまうと、勝てないとは思わないので」
「勝てない?」
「知り合い以外にもいましてね。物騒な話ですが、争ったこともあるんです。そのときはとくに問題なく勝てましたので」

それを聞いて、知佳は目を瞬かせた。
自分自身の力であるからこそ、この力の凶悪さはより理解している。自信でも自慢でもなく、男が相手どころか、相手が銃器を持っていたとしても、知佳はそれを防げるし、無力化もできると知っていた。
そして同じ病気で、羽根を持つ者……特にPケースと呼ばれる者……たちは大抵同じようなことができる、ということも知っている。
だからこそ信じられない。
そんなこと頭の中を駆けめぐり、知佳が目を瞬かせいるとき、

「っ!」

幾つもの銀光と共に、恭吾が大きく動いた。
風が吹き、辺りに浮いていた大きな石、大きな木の枝が吹き飛び、知佳の力が干渉できない所に飛んでいく。もしくは砕け小さな欠片になった。
知佳の周りには、すでに大きな石も枝もなく……知佳が全力で力を使ったとしても、殺傷力などない小石や小さな枝切れしかない。
そして、いつのまにか恭吾が知佳の背後……それも遠く離れた場所にいた。
そこからゆっくりと再び知佳に近付いてくる恭吾の両手には、小太刀ではなく、知佳が知るようなナイフよりも少しだけ大きく、刀を小さくしたような片刃の刃物が握られている。
そのまま知佳の前に恭吾は立つ。その手に持つ刃物はそのままに。

「こういうことです」

淡々と恭吾は言う。
この結果を見ろと。

「戦う……いえ、うち倒すという意味でなら、あなたたちの能力はそれほど怖くない。簡単に無力化できます。念動力であれ、元素変換であれ、精神感応であれ、空を飛ぶことであれ、対抗手段は幾らでもある。そういうものを操る人物と出会い、それに対抗する手段を練ってきましたし、元より俺の流派にはそういう技がありました」

もう近くに知佳が武器にできるものはない。そもそもあの一瞬で知佳を攻撃していたなら、何をしたのかも理解できない以上、知佳には対抗することなどできはしない。

「俺はこういうことができるんです」

やはり淡々と告げてくる恭吾。
だが、その顔には苦笑が浮かんでいる。苦笑しか浮かべられないかのように。

「俺は人を殺す技を修め、人を殺すことができ、超常の力であっても対抗できます。そういうふうになれるように鍛錬をしてきました。
普通の人から見たら、俺の方がよっぽど人間離れしているんですよ」

言って、その手に持つ武器を知佳の目の前に晒した。
それは人を殺すことができる武器。刃物。凶器。

「俺が怖いですか?」

逆に恭吾が問う。
俺はあなたでも殺すことができる、あなたは怖くないのか、と。
知佳が私はあなたを傷付けることができる、あなたは怖くないのかと言ったことに対して、恭吾はその答えを返し、逆に問いかけた。
恭吾の力の前には、知佳の力に意味はない。すでにそれは示された。
逆転。
異質な力は人を殺す技の前には無力だった。
この場で最も異質なのは、知佳の力ではない。恭吾の技。
でも、

「怖くないです」

知佳は目の前に、人を殺す凶器を突き出されても、恐怖を見せることなく言い切った。
立場がいつのまにか逆転して、それでも混乱することなく、迷うことなく、知佳は宣言した。
怖いわけがないのだ。

「だって、恭吾さんが本当に人を殺すためだけに、その技を覚えてきたなら、恭也君や美由希ちゃんたちが、あんなにあなたを信頼できるはずがないですよ」

恭也とも数度会い、美由希とはあれ以来一度も会っていないが、それでもあの二人は真っ直ぐだった。真っ直ぐに恭吾を信頼し、兄と呼んでいた。
それは知佳が真雪を姉と呼ぶように。
それを聞き、恭吾は先ほどよりも深く、だが本当に嬉しそうな苦笑を浮かべた。

「あなたがそういう人だから、対抗できるとか、そういうものを関係なしに、俺もあなたが怖くないんですよ」

そうして、恭吾は苦笑から本当の微笑を浮かべた。

「陳腐な言い方ですが、力は力です。力が知佳さんなわけではない。あなたは俺のように、誰かを傷付けることにそれを使う人じゃない」
「恭吾さんは違うんですか?」

あなたは傷付けるのか、そう聞くと、今度は困ったように彼は笑う。

「違います。俺たちは……いえ、俺はそのために剣を握っていますから、必要ならば誰かを傷付けることも、殺すことも厭わない」

それを聞いても知佳の心は揺らがない。
恭吾の心が見えなくても、揺らぐことはない。

「じゃあどんなときに必要なんですか?」
「守るときに、守らなければならない人がいるときに」

やはり恭吾の答えは真っ直ぐだった。
確かにその答えは、人を傷付けることの、殺すことの免罪符にはなり得ない。
だけどきっと彼はそんなことはとうに理解しているのだろう。
理解してなお、正しいことではないとわかってなお、彼はただ守るためにその剣を握っている。
恐らく力のない人たちのために霊障と戦う薫とは違う。
彼はただ誰かを傷付ける技を持ち、だけどそれを見ず知らずの者のためではなく、守りたい人のために使う。
だけど決してその力を悪用することはない。彼は彼の矜持と、ただ守りたい人のためにそれを使うだけ。

「だったら、やっぱり私も不破さんのことは……いえ、恭也君も美由希ちゃんのことも恐くない」

知佳がやはりそう告げると、恭吾は再び微笑を浮かべる。
すると恭吾にあった……精神の……壁が、少しばかり薄れたような気がし、そこから伝わってくる一つの想いがあった。

『未来は関係なく、今のあなたも、俺にとっては守るべき一人だ』

カッと顔が熱くなるのがわかる。

「ど、どうしました?」

知佳の顔の赤みに気付いたのか、恭吾は慌てたように目を瞬かせた。
この表情を見る限り、わざと壁を薄くして読ませたのではなく、おそらく不可抗力で気が緩んだのだろう。
だからこそ本心だとわかった。
未来は関係ない、という意味はわからないが、恭吾にとって本当に自分は守るべき人になっている、というのが知佳にはわかる。
だけどそれはどこまでも明け透けで、どこまでも優しく、どこまでも本心で、どこまでも強い想いで、どこまでも偽りがないというのも知佳にはわかってしまうから、やはりどこまでも殺し文句だった。

「な、なんでもないです」

まだ顔が熱いが、知佳は笑顔を浮かべた。
理由があるのかないのか、それはわからない。だけど恭吾にとって自分が守るべき人間に加わっているということがわかり、無性に嬉しい。
恭吾は、そうですか、と返すと、小さな刀をしまう。それに合わせるように知佳も翼を消した。
それからやはり恭吾は微笑を浮かべ、知佳も笑顔を浮かべる。
お互い恐くなどない。
目の前の人物は大切な人に、守るべき人に成り得る人物。最初から恐いわけがなかったのだ。

「行きましょうか?」
「はい」

再びさざなみ寮に向かうため、二人は歩き出す。
だがその歩みは、先ほどよりも幾分か軽く、またゆっくりとしたものになっていた。

「不破さん」
「なんでしょうか?」
「それ、それです」
「それ?」

知佳が何を言っているのかわからない恭吾は首を傾げた。

「どうしてそんな敬語なんですか?」

恭也もそうだが、恭吾もひどく堅苦しい敬語を使う。
恭也の場合は、可愛いと思えるが、年上でしっかりとしている恭吾にそんな敬語を使われてしまうと、どうしても知佳は気になってしまう。耕介だって兄妹になる前とて、もっと砕けていたというのに。

「半ば性分なんですよ。礼には礼を以て返す」

理由を聞いてみると、本当に恭吾らしいと思う。
らしいとは思うが、それは何となく嫌だ。

「崩せません?」
「……かなり雑になる」
「むしろドンと来いです」

本当に胸をドンと叩いて言うと、恭吾はまた苦笑を浮かべた。

「わかったよ。知佳さん」
「さんも取ってもらえると」
「……はあ、知佳、でいいか?」
「はい!」

笑顔で頷いて返す知佳に、恭吾は彼女の頭に手をのせた。

「では、できれば知佳にも俺相手には名字ではなく、名前で呼んでほしいのがだが?」
「えっと、恭吾さんでいいですか?」
「ああ。あと知佳も敬語を取るとよりいいな」

恭吾は、今度は悪戯っぽく笑ってみせる。
こんな反撃が待っていようとは。
しかし、知佳としてはそれも受け入れられる。

「恭吾さん、でいいかな?」
「上出来だ」

恭吾は薄い笑みを浮かべたまま、知佳の頭に乗せていた手を動かし、彼女の頭を優しく撫でた。
それは耕介にされるのとはまた違った暖かみのあるもの。

「えへへ」

知佳は声を出して笑い、その勢いに乗せられたまま恭吾の手を取った。

「これからよろしくね、恭吾さん」
「ああ、こちらこそよろしく、知佳」

本来なら隠すべき秘密を出し合った二人は、どこまでも仲が良さそうに歩いていく。
それは知佳が耕介と一緒に歩いている時と違い、むしろ兄妹というよりも恋人同士にも見えるだろう。
しかしそんなことに頓着しない二人はやはりゆっくりとさざなみ寮へと向かって行った。


……ちなみに、この姿を真雪に見られ、恭吾が彼女に追いかけ回されるのは、あと数分後のことである。



◇◇◇



「ふう」

真雪を命からがら撒いた恭吾は、帰宅の途中で深々と溜息を吐いた。
彼女に見られていたのに気付いたのだが、嬉しそうにしている知佳をふりほどけなかった甘さであろう。
それよりも……

「勝てないとは思わない、か。まったく、よく言ったものだ」

それは知佳に告げた言葉。
はっきり言ってしまえばHGS……それものPケースの者たちを敵に回せば、恭吾でも勝てるかどうかはわからない。
過去にそれらと戦ったというのは事実だし、勝利もした。
ただ彼らは、基本的に同じ能力を持った者以外は格下、というよりも、下等な別種族……もしくはそれこそ虫と同等……と思っている者たちが多く、それ以外を舐めている傾向にある。はっきり言ってしまえば、慢心の塊のような連中ばかりだ。
故に隙が多く、どうとでもなる者たち。
しかし例えば、未来のリスティたちに勝てるか、と聞かれれば、分が悪いとしか言いようがない。彼女らは、自分たちの力でも敵わない人間がいるということを知っているから。
閉鎖空間ならば勝てる。平地ならば最初から神速で襲い掛かることで、何とかと言ったところ。
まあ、恭吾の場合、勝てないとは思わないというのは事実ではある。正確には殺せないとは思わない、というべきだが。
勝てないならば全力で逃亡し、後日気配を消し、日常の中で奇襲、不意打ちし、後ろから斬り殺せばいいだけの話だからだ。もしくはやはり相手の攻撃の暇すら与えず、最初の一撃でケリを付ける。相手の土俵に合わせて戦うほど恭吾はバカではない。


ちなみにこんなことを考えるのは不破である恭吾だからで、未来の美由希はその場は逃亡し、後日奇襲をなんてことを考慮することはない。精々逃亡を考えるまでで、その後しきり直すぐらいだ。
不破以外の分家、そして御神の宗家を含め、御神の暗殺術の技量はそれほど高くはないのだ。
確かに御神も昔は暗殺を請け負っていた。しかし、その対象の大抵は暗殺自体が簡単の要人ばかりであった。故に高い技量など必要ない。神速で強襲、そのまま殺害、逃亡すればいい。もしくは物陰に潜み、そこから飛針で頭や首を狙うぐらいか。
血生臭い話だが、暗殺というのは、別に人間を背後からや、不意打ちで殺すことではない。
簡単に言えば暗殺する者、もしくは暗殺を依頼する者にとって、敵側、もしくは邪魔な集団の主要な人物……要人と呼ばれる人間を不意打ちによって殺すことが暗殺なのだ。
つまりターゲットに姿を見られようが、真正面から銃を撃とうが、刃物で斬ろうが、衆人観衆の中だろうが、ターゲットが要人であり、そしてそのターゲットにとってそれが不意打ちであれば、殺し方がどうであれ暗殺になる。
そこらにいる一般人を不意打ちで殺したところで、それは殺人であって暗殺とは呼ばれない。また敵対する、もしくは邪魔な集団の一員であってもただの下端ならば、それを不意打ちで殺したところで、やはり殺人であって暗殺とは言わない。無論、暗殺も殺人であることには変わらないが。
御神が行っていた暗殺はさして難しいものではない。それはターゲット自体と暗殺の仕方、その難易度が低かった。
暗殺の技巧的にも拙いものだ。御神が暗殺者などと名乗れば、本当の暗殺者から……それこそ不破からも不平が上がる。もしくは呆れられるか鼻で笑われるかだろう。
逆に不破は暗殺と殲滅のプロフェッショナルだ。
暗殺のターゲットもそれこそ本当に、政治的に重要な人物や裏社会の重鎮などで、その防衛網は高く、難易度も極端なまでに高かった。
それを成功させても、依頼人が望むなら証拠を一切残さない。さらに暗殺の依頼ならターゲット以外は狙わない。
本当の意味でプロなのだ。
ただの御神流の遣い手たちと不破家の違いは他にもある。
不破以外の御神流の遣い手たちは、暗殺技能を持たない。彼らはあくまで御神流で暗殺を行っているだけなのだ。
対して不破は御神流にはない技能を修得し、御神の遣い手たちが学ばない知識を取得し、それらを組み合わせることによって、御神流を正しく暗殺技能にもなるようにした。殲滅に関しても同じようなものだ。
早い話、本来の御神流の遣い手たちは、正しく剣士で暗殺者ではない。剣術を暗殺に使うだけだ。不破は剣士であると同時に、暗殺者であり殲滅者たちだ。
逆に御神は守護の任を受け、襲撃者を屠る力がなければならない。襲撃者というのは大抵において、少なくて四、五人。多くても十四、五人程度がセオリーだ。それ以上だと目立ってしまう。美沙斗がクリステラソングスクールを襲ったように、極限にまで鍛えられた戦闘者が、一人か二人ということまたある。同時に護衛を主とするため、逃げるということは……護衛対象者を逃がすためという意味以外では……絶対にない。
不破以外の御神流の遣い手たちはそれらを倒し、護衛対象者を守る力と知識があればいい。不破のような暗殺能力も、一晩に数百の人間を屠る力もいらないのだ。御神の遣い手たちに必要なのは、あくまで襲撃者を倒す力。襲撃者がどれだけ強力な存在でも、それを蹴散らし、護衛対象者を守り、逃がす力だ。
不破もその対極。守護者としてよりも、死神としての、剣鬼としての能力が求められる。どれだけ厚い防衛網も食い破り、もしくは無視し、人をその強力で見えないない牙で屠る者。
まあ、中には士郎や恭吾のように、どちらも可能とするような猛者もいるが、これはどちらかというと、ここ最近は暗殺や殲滅という仕事がほとんどなくなったためでもある。とはいえ、二人はいつでもまた不破としても動けたが。
この違いが戦いに関しての考え方まで違ってくる。そして、それが恭吾と未来の美由希との違いにもなる。

閑話休題。

「知佳に……いや、知佳さんに真正面から勝つ、というのも無理だろうな」

負けないようにすることはできる。が、同時に勝つ手段もない。
サイコバリアの中に閉じこもられたら終わりだからだ。あれを破れるのは、御神の技の中では、閃ぐらいのものだろう。
その分彼女は元素変換などが苦手だから、攻撃手段は念動力によるものがほとんどだ。そこらの石ぐらいなら先ほどのように神速で全て弾くか砕くかすれば、彼女の攻撃手段は限られるわけだ。

「別に彼女と戦う気などないし、戦うこともないが……」

問題は今後、恭吾では恭也が、彼女と似たような能力を持った存在と戦うことが絶対にない、とは言い切れないことだ。
そうである以上、恭吾はそれらに勝つための方法を考えなければならない。そしてそれを恭也に伝える。
今日、触りだけを説明したがそれだけでは足りない。
恭吾の目的は恭也を完成した御神のすることであり、同時に誰にも負けないほど強くすることでもある。
故に相手が超常の存在だから勝てない、等という中途半端で終わらせるつもりはない。
恭也を強くすめたるに、強くなった恭也と戦うために、自分の力を底上げする方法はすでに恭吾は思いついているし、それを実行に移している。
あとは恭也がどんな存在にでも対抗できる術を考えることだ。不意打ちという方法であれ、真正面から戦う方法であれだ。
それは同時に、恭吾がそう言った存在に勝てるようになる、という意味でもあった。

「難しいものだな」

恭吾は一つ溜息を吐く。
すでに違う道を歩きだしている自分と同じ存在である『高町恭也』。
自分と同じ存在であるからこそ、どう成長させるかを悩む。

「ああ、いや、違うな」

もう同じ存在ではないのかもしれない。
恭也もそうだし、この世界の知佳もそう。

「知佳、か」

彼女を呼び捨てにするときが来るとは思わなかった。
無論、未来とこの時代の人たちを一緒くたにするつもりはなかった。割り切ったつもりでもある。しかし、それでも先入観というのは抜けてはくれないのだ。
どうしても違和感が付きまとう。
だけど、それはすぐに消えていくだろう。

「それでいい」

恭吾はこれからもこの時代、この世界で生きていく。元の世界に返る方法がわからない以上、そうするしかない。
そうである以上、この世界の人間関係はこれでいいのだ。

「これぐらいのことで、考え込んではいられんな」

すでに関わった。
だから恭吾はここでの人間関係を構築していく。
知佳を相手には、敬語を使わず、呼び捨てにする関係となった。
それだけの話なのだ。
恭吾はそう割り切り、今後はどんな人たちと、どんな関係を結んでいくのか、それを少しばかり考えながら、家路を急ぐ。
早く返って、恭也にHGSの対抗手段を錬り込ませよう。
今はそれでいい。
自分が今考えるべきことは、恭也を、美由希を強くし、また二人を強くするために、自分も強くなる方法を考えていれば、それでいい。
そう自分に言い聞かせ、恭吾は歩いて行った。




あとがき

お久しぶりです。
エリス「本当に遅くなりましたー」
今回はこんな感じで、知佳との話になりました。
エリス「んー、知佳の精神感応が防げる、ってありなの?」
だって、防げなかったら恭吾の秘密が全部ばれちゃうじゃないか。
エリス「いや、それもそうだけど」
墓まで持っていくかはわからないけど、さすがにこの時点でばれてしまうのは早い。
エリス「あくまでストーリー上必要ってこと?」
や、他の作品でも似たようのものだけど。黒衣でもそんなこと恭也が言ってるし。
エリス「あー、そういえば」
まあ、さすがに戦闘中までは無理でしょう。それは相手も同じでしょうが。
エリス「読んでくれる人たちがどう思うことか。しかも前回フラグ立てる気はないって言ってたのに、立ってるように見えるけど?」
ぐっ。
エリス「とりあえず今回はこんな話になりましたー。次回は?」
次回は新しいキャラが登場……しません!
エリス「ちょっと!」
いきなり一杯出してもしょうがないでしょうがない。
エリス「まあ、確かに。いきなり出しすぎても収集つかないしね」
そういうこと。
エリス「ということで次回は……誰との話なのか」
それはお楽しみでー。
エリス「ではおつき合いしてくださり、ありがとうございました」
ありがとうございましたー。



恭吾の恭也への指導はHGSや人外の存在に関しても考えるようにする所まで。
美姫 「まあ、まだ恭也は目にしてないから半信半疑の所もあったけれどね」
それも、恭吾や士郎の話で考えるようになったみたいだし。
美姫 「これは恭吾よりも早いかもね」
記憶を持つ恭吾が居るからこそだな。
とは言え、思考するだけで、そういった者たちとの実戦の機会なんてのはないだろうけれど。
美姫 「恭吾の人物関係では知佳とちょっと仲良くなったという感じかしらね」
こちらに関しては、遅かれ早かれ仲良くなっていくだろうけれどな。
これからの恭吾の交友関係など、色々と楽しみだな。
美姫 「本当よね。次回も楽しみに待っていますね」
待ってます!



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