第十二話 さざなみ女子寮







恭吾は道場の中央で目を瞑り、座禅を組んでいた。
道場の外はまだ暗い。時間的にはいつもの鍛錬の時間よりも僅かに早く、日も昇っていない。
当然、道場にはまだ恭也と美由希はいなかった。そもそも今日は、恭也と美由希には休みを言い渡していた。今日はさざなみ寮に行くことになっているため、鍛錬は休みにすることにしたのだ。
恭也は多少不満を漏らしたものの、とりあえず言うことを聞いた。
だが恭吾は、今日さざなみ寮に向かうということで、僅かなりとも緊張しているのか、いつもよりも早く起きてしまった。
そのため今この時間に道場にいる。
だが、実は元よりいつも通りに起きるつもりではあった。

「…………」

恭吾は目を瞑ったまま立ち上がった。
そして次の瞬間、ヒュッと鋭い風斬り音と共に、鞘から抜刀された小太刀が閃く。
小太刀を振り切ったまま、恭吾はゆっくりと目を開けた。

「ふむ……」

恭吾は自らが放った小太刀をしばらく見つめた後、それを鞘に納める。

「どうしたものか」

昨日、今よりも強くならなければならないと思ったばかりだが、どうやってそれをなせばいいものか。
恭也を強くするためには、恭吾自身も強くならなければならない。恭也に負ける、それはつまり恭也が恭吾を越えたということ。弟子が自分自身である以上、その時点で教える理由がなくなってしまうことにもなりえる。
そうであるが故に、恭吾は恭也に負けてやるわけにはいかない。それこそ恭也が皆伝するまで、それが戦闘訓練であってもだ。それがどれだけ難しいことかわかっているが。

(だが、同じ間違いを犯すわけにはいくまいよ)

いくら恭也を強くするために、自らが強くならなくてはならないと言っても、かつて犯した間違いをまた犯すわけにはいかない。つまり無謀な鍛錬には意味がない。
再び一年間武者修行に出たことで、恭吾とて僅かなりとも成長をしている。だが、それはやはり恭也の伸びと比べてしまえば大したものではない。恭吾が一つ成長したとしても、その間に恭也は十や二十は当たり前のように成長しているのだ。
武者修行を終えてしまった今、自身をどうやって成長させるか恭吾は悩んでいた。すでに限界近くまで成長してしまった己を、これ以上どうすればいいのか。
そう考えるが、道など一つしかないとすぐさま理解した。

「武に近道などあるものか」

笑って恭吾はそんな簡単なことを呟く。
強くなるのに近道などない。それは本当に簡単な答えなのだ。
恭吾はそれを思い出し、すぐに小太刀を一刀だけ抜いた。
それをただひたすら振る。
型を反復し、技法を反復し、足運びを反復し……
そんなことを繰り返し、


斬 斬 斬 徹 徹 貫 貫 斬 貫 斬 斬 徹 徹 貫


基礎技術を繰り返す。
今まではそれに慣れてしまっていた。身体が覚えてしまった技を意識していなかった。
型、技、足運び、他様々のものを身体が覚え、意識せずに使えたために、それが鍛錬でもそのままなってしまっている。
それを今更ながら恭吾は思い出した。
身体が覚えるというのは確かに戦う者にとっては重要なことだ。条件反射の域で動けてこそ戦闘者と言えるのだから。
だが、それを鍛錬でも繰り返すのは、ただの惰性とも言えてしまう。
だから今は意識しながらそれらを繰り返す。
型の一つ一つ、技の一つ一つ、足運びの……いや身体の動きの全て一つ一つを意識しながら。

(徹を連続で使用した後の斬が甘かった)

思考しながら。

(腰と腕の振りが連動していない)

自らの動きを理解しながら。

(踏み込みが浅い)

己の全てを客観的に覗き込む。

そんなある意味当然のことを繰り返す。
きっと今の恭也ならば当然に繰り返していること。長い間、自分が強くなるではなく、未来の美由希やこの時代の恭也と美由希を強くするという道を歩いていた恭吾が忘れてしまっていたこと。
それを再び思い出してみれば、己の未熟さがさらに良くわかるというものだった。
何より意識してみると、ある重要なことに気付いてしまった。
どうも先ほどから身体の動かし方がおかしかった。
確かに己の未熟もあるだろうが、それにしてはおかしい部分が多すぎる。
技の甘さは未熟故と納得できる。
だが、腰の振りと連動していないのと踏み込みの浅さは、他に原因があった。

「ちっ……相当に歪んでいるな。これに今まで気付かなかったのか、俺は」

思わず舌打ちしてしまうほど重要なことに今まで気付かなかった己に腹が立つ。
それは身体の動かし方の歪み。
恭吾は、この時代に来たときにどういうわけか身体まで若返っていた。若返っていたというのも正確ではないかもしれないが、小さくなっていたのは事実だ。それがリスティたちの能力を同時に受けての作用なのかは今もわからない。そしてそれはどうでもいい。
その際に彼は身体の動かし方を矯正している。そうしなければ間合いなどがおかしくなる。筋力なども落ちていたから、技の出し方などもある程度変えていた。
恭吾が『高町恭也』であったときの身長は、最終的に一七九p。体重は七一sだった。それがこの時代に来て、どういうわけか身体が若返っていた。その時点ですぐに調べたわけではないので詳しくはわからないが、少なくとも身長は十p以上は違ったはずだ。
たかが十pだが、戦いでも生活でもこの誤差は問題を生じさせた。
特に視界の高さが違うということに慣れるのが一番面倒だったし、僅かとはいえ重心が変化してしまったのも大問題だった。
さらに腕の長さや足の長さの違いは僅か数センチ単位でしかなかったが、恭吾にとってその僅か数センチの誤差すら致命的だったのだ。
彼の技術は自らの身体の大きさから腕の長さまで考慮されていて、それこそミリ単位で剣を操り、ミリ単位の見切りを行っていたのだ。これもミリ単位での身体操作が必要な貫を操り続けたが故の極地の一つである。だからその数pの誤差は大きすぎる。そのため剣を振っても目算と合わないことが多々あった。
それらを全て矯正したのだが、それが良くなかったようだ。
今は筋力などが元に戻り、身長もゆっくりと伸びてきている。どうやらその戻ったという感覚に合わせることができず、矯正した時とほとんど同じ身体の動きをしてしまっていたらしい。

本来ならばこのようなことは起こり得ないことだ。
身体の成長に合わせて、意識せずとも人は行動もそれへと合わせる。極端な話だが、身長が伸び、成長したとしても、一々歩き方を考えて変えたりする……矯正するという者はいるかもしれないが……人間などいない。変わったとしても、それは無意識に行われる。これは何年もの時間をかけて身体が成長するからでもある。
体重はともかく、身長が突然十p近くも低くなるなどというのは、そうありえることではない。
だが恭吾にはそれが起こってしまった。それもすでに成長しきったあとにだ。
それから再び成長する……逆行して、また元に戻るという、ある意味今の恭吾の生活と同じことが身体にも起こったのだ。
本来なら、それも無意識に矯正されることだったかもしれない。
しかしそれが中途半端だったのだ。
一度成長しきった身体が縮み、また大きくなる。そんな矛盾のせいか、中途半端にしか感覚と身体の動かし方が咬み合っていない。
それらが今、歪みとして現れていた。

「よくもまあこれで戦えたな、俺は」

恭也との差はまだ相当あるため、別に問題はなかったが、よくこんな歪みを抱え、そして気付かずに一年もの間武者修行をしたものだと、自分のことながら呆れとも感心とも言えない考えが浮かぶ。

「いや、逆か」

武者修行として、数多くの人物たちと戦っていたからこそ気付かなかったのだ。
旅をしている間、連日恭也と鍛錬をし、他の道場で試合をしたり、何かの事件に巻き込まれたりと忙しかった。そのために気づくのか遅れた。
一番身体が成長したのは、その旅に出ている間だった。そのため旅が終わった今だからこそ気づけたのだろう。
何より、今まで恭吾は自らのことより恭也や美由希のことを優先してきた。そのため自分のことを考える余裕はなかったのだ。
だが今は違う。恭也や美由希を強くするためには、まだ強くならなければならないのだ。そのためにはこの歪みは致命的だ。

「できるだけ早く再び矯正しなくてはな」

恭吾は深々とため息を吐き、再び剣を振りだした。



◇◇◇



恭吾と恭也は、一つの建物を見上げていた。

「ここか、兄さん?」
「ああ。ここが海鳴の人外まきょ……もとい、さざなみ女子寮だ」
「今、何か聞き捨てならない言葉が聞こえたような」
「気にするな」

そう、とうとう二人はさざなみ寮の前にまで訪れていた。
そのさざなみ寮の外観を、恭吾は感慨深げに眺める。
いつかは訪れることになるかもしれない、とは恭吾も思っていた。だがこんなにも早くここに来ることになるとは思っていなかった。
当初は知佳が案内のために翠屋まで来てくれると言っていたが、何となく道は知っていると恭吾はそれを断ったのだ。
別に案内されるのが嫌だったわけではない。ここまで来る道を少しゆっくりと見て歩きたかっただけである。

「土産、翠屋のシュークリームで良かったのか?」

恭也は、桃子に持たされたシュークリームが入った化粧箱を持ち上げて聞く。

「ああ。大丈夫だろう。それより……」

恭吾は頷いて返してから背後を振り向いた。

「美由希、大丈夫か?」

そして、そこにいた美由希を呼んだ。

「うん、大丈夫だよ」

本来ならば美由希は置いていこうと考えていた。だが、今回急遽美由希もさざなみに来ることになった。
その理由は……

「おにー……たん」

美由希の腕の中にいるなのはだった。
今日はどうしても恭也たちの祖母の時間が取れなくなり、なのはの面倒を見れないということだったのだ。美由希に任せても良かったのだが、やはり美由希とてまだ子供だ。旅に出ておいて今更ではあるが、なのはの面倒を押しつけるのは気が引けるし、何かあった場合、まだ心配なところもある。
そのため今回はさざなみ寮訪問を諦めようとも思ったのだが、電話で知佳にその二人も連れてこればいい言われてしまったのだ。
そのため、今回は四人で来ることになってしまった。桃子も来たそうにしていたが、さすがに日曜に仕事は休めなかったらしい。

恭吾は、美由希の腕の中で両手を突きだしてくるなのはの頭を撫でる。だがそれだけだ。

「うー」

なのはは依然として両手を突きだしたまま、抱き上げてほしいと唸る。
どうもなのはは昔……いや、『前』よりも甘え癖ができてしまっているようだ。

「すまんななのは、ここからは危険なんだ」

そんななのはに恭吾は苦笑し、彼女にだけ聞こえるような声で呟いた。
恭吾もできれば抱き上げてやりたいところだが、すでにここは『敵陣』である。いつさざなみの大ボスに攻撃されかわからないのだ。そんなところでなのはを抱き上げているわけにはいかない。

「なあ、兄さん、あの建物から何かとんでもない殺気を感じるような気がするのだが」

さざなみ寮を見上げていた恭也がそんな声を上げた。
それを恭吾も感じていて、僅かに頬を引きつらせた。

「うむ、どうやら本当に誤解されているようだな」
「誤解?」
「気にするな、行くぞ。いつでも戦えるようにしていろ」
「はあ?」
「美由希たちは少し遅れてこい」
「う、うん」

恭吾は意を決したように大きく息を吐き出すと、力強い歩調で歩き、さざなみ寮の玄関前まで移動する。
そんな大仰な行動の恭吾と、寮の中から感じる殺気に恭也は首を傾げながらも恭吾の隣に立つ。美由希はなのはを抱えたまま恭吾の言うことを聞き、少し離れた位置に立って二人を見ていた。
そんな三人を意識しながらも、恭吾はインターホンを押した。それと同時に、中からドタドタと力強く駆ける音が聞こえてくる。
その音を聞いて、恭吾は内心でため息を吐いた。
そして、まるで蹴破られたかのように扉が開くと、中からいきなり飛び出てくる女性が一人。

「てんめーっか! 知佳に粉かけやがった男は!」

叫びと同時に飛んでくる木刀。

「なっ!?」

隣で何がなんだかわからないと驚きの声を上げる恭也。それに恭吾は奇襲に一々驚くな。驚くぐらいなら、その一瞬を対処に回せ、と説教してやりたいところだったが、それどころではない。
恭吾は恭也を嗾けるつもりだったが、どうもそうも言ってられないようだ。
とりあえず隣にいる恭也は邪魔だったので、脇に突き飛ばす。同時に一歩身体を引くことで、女性……真雪が放った木刀による斬撃を紙一重で躱す。
真雪は振り切られた木刀はすぐさま跳ね上げる。しかし、その軌道がいきなり横薙ぎに変わった。切り上げるようにみせてのフェイント。
しかしそれも恭吾はさらに一歩後ろに飛ぶことで避けた。
真雪も木刀を引き戻し、水平に構え、一歩前に出るとともにそれを突き出す。
木刀の切先が恭吾の喉元に向かう。
だが今度は、恭吾は動かなかった。

「…………」
「…………」

ピタリと真雪の木刀は恭吾の喉元へと届く前に止まった。そした二人はただお互いの目を見る。真雪は睨みを効かせ、恭吾は揺れることのない瞳で。

「何で躱そうとしなかった? 見えてただろう?」
「……止めてくれると思っていましたから」
「……ちっ」

図星をつかれたからか、それとも過大評価だと言う意味か、真雪は大きく舌打ちして木刀を恭吾の喉元から離す。

「一つ確認するぞ」
「どうぞ」
「知佳を口説いたか?」
「少なくとも色気のある話はしてませんよ。まだそれほど話していませんし、もし本当に口説いていたとしても、俺のような男に知佳さんほどの女性がなびいてくれるとは思えません」
「あ?」

恭吾の言葉に、真雪は呆れたように口を大きく開く。

「あー、そういうタイプか」

だがすぐに真雪は肩すかしを食らわせられたかのように嘆息し、髪を乱すようにして頭を掻く。今の言葉だけで、目の前の男がどういうタイプかわかったのだ。間違いなく、この男は知佳に手を出してはいないだろう。演技かそうでないかの区別は簡単についた。
真雪は木刀を肩で担ぐ。もう攻撃する意思はないらしい。

「もう一つ。あたしが止めてなかったらどうした?」
「その得物は木刀であって真剣ではないです」
「ああそうかい」

つまり止めなかったとしても、手で弾くなり掴むなりできたということだろう。
そんなときだった。

「おねーちゃーん! 人のお客さんに何してるの!?」

やはりドタドタと廊下の奥から知佳が駆けてきた。
それを見ながら真雪はタバコを銜えた。もっとも銜えただけで火は点けていない。

「ああ? 怪我させてねぇから気にすんな。というよりもんなこと無理そうだ」
「だから不破さんはそういうのじゃないの!」

真雪の言葉が聞こえていなかったのか、知佳は真雪に詰め寄りながら叫ぶ。
それに真雪は、少しだけ気に入らなそうに唇をつり上げた。

「少なくともお前はそうじゃないだろう」
「なっ!?」
「たくっ、一年近く前から出かけるたびにキョロキョロ人探してりゃ気付くんだよ。こいつをずっと探してたんだろうが」
「ちちちちちち、ちが、ちが……」

あからさまに顔を真っ赤にさせ、さらに口ごもる、というか言葉になっていない言葉はまるっきり真雪の言葉を肯定しているようにしかみえない。
だが恭吾は、

(ふむ、礼を言うために一年も探してくれるとは、知佳さんも義理堅いな)

何とも彼らしいことを考えていた。
大きな恩があるならばともかく、ナンパから助けられた礼を言う程度のためだけに、一年も人を探し続けるわけがない。
だが、探し続けていたからこそ、一度だけの出会いでも知佳は恭吾の顔を覚えていられたのだろう。
まあいつまでもこの姉妹を放っておいてもあれだと、恭吾が一歩前に出た。

「こんにちは、知佳さん。今日はお招きいただきありがとうございます」

まだあたふたしている知佳に向かって言ったあと、恭吾は突き飛ばした恭也の方へと視線を向けた。

「まさか中身を崩した、などということはあるまいな?」
「……死守した」

恭也は他に何かを言いたそうな表情を浮かべていたが、手に持っていたシュークリームの入った化粧箱を掲げてみせる。
それを見て、恭吾は満足げに頷くと、視線で恭也にそれを渡すように促す。

「これ、母からのお土産で翠屋のシュークリームです。お口に合うといいんですが」

まったく子供らしくない言葉使い……というよりも、下手をしたら自分よりもしっかりしていそうな恭也に、知佳は一瞬目を瞬かせたが、笑顔で受け取った。

「わあ、ありがとう。ええと……」
「高町恭也といいます。兄さん……恭吾兄さんの弟のようなものです。実際には従兄弟ですが」

その恭也の言葉に、恭吾は本当は同一人物だがな、と内心で久しぶりの突っ込みを入れる。
知佳は、恭也と恭吾の二人を交互に見渡す。

「え、えと、お兄さんに似てるんだね」
「よく言われます」

下手な兄弟以上に似ている二人に、知佳は改めて驚きの顔を浮かべていた。似ているのも当然なのだが、それを知っているのは、やはり恭吾一人。
恭吾は二人のそんな会話を聞きながら背後へと振り返り、後ろにいた美由希を手招きした。
美由希はなのはを慎重に抱えて、少しだけ小走りで四人の元に近づく。

「あ、その子たちは……」
「先ほど電話で話した妹たちです」
「そうなんですかー、うわー可愛いなぁ。お姉ちゃんは美緒ちゃんと同じぐらいかな」
「は、初めまして」
「あー」

美由希は前の件があったからか、少しばかりオドオドと挨拶をし、なのはは笑み浮かべて美由希の腕の中で手を振った。
そんな二人に、知佳は微笑みながら挨拶をする。

「知佳、そんなところで話していないで、とりあえず中に入ってもらいな」

挨拶をしている一同の前に、寮の中から現れた大柄の男性が言葉をかける。
恭也よりも頭一つ分以上高い身長。広い肩幅。何よりその顔に浮かぶ柔和な笑顔が印象的な、エプロンの似合う男性。
恭吾はその姿を見て、他の誰にもわからないぐらいの小さな笑みを浮かべた。
槙原耕介。
恭吾が『過去』に世話になった人の一人。周りに同姓が少ない中で、表には出さないものの、兄のような人物として恭吾は彼を慕っていた。
その彼と再び出会うことができて、嬉しかったために、笑みが浮かんだのだ。
もちろんこれが初の出会いということになるのと、精神的な意味では、この時点で恭吾の方が年上になってしまっているので、そのあたりに妙な違和感を覚えてしまうが。
とりあえず挨拶の続きは中に入ってから、ということなったので、恭吾たちは一応頭だけ下げ、耕介の案内のもと寮の中に入った。



◇◇◇



何となく感慨深い。
そんなことを思いながら、恭吾はさざなみ寮の共用リビングを見渡していた。
ここに入るのは初めてではない。だが、初めてという不思議な状況。
そして、目の前に四人の人物。
先ほどの三人と今日の試合を頼んだ薫の四人。
他にも何人かの寮生がいる……無論、その人物たちを恭吾は知っている……が、今日はそれぞれ用事があるらしく、寮にはいないらしい。そもそも薫とて本来は部活であったろうが、わざわざそれを休んでここにいてくれているのだろう。
恭吾たちはテーブルを挟み、対面になってそれぞれ前に座っていた。
その中で、耕介はやはり笑ったまま頭を下げた。

「改めて、俺はここの管理人をさせてもらってる槙原耕介。といっても、管理人になってまだそれほど経ってないんだけどね」
「初めてまして、不破恭吾です」
「高町恭也です」
「高町美由希……です」
「あのぉはてす!」
「この子は、なのはと言ってます」

なのはも挨拶してくれたものの、まだまだ舌っ足らずで伝わらなかったでろうが、恭吾は少しだけ苦笑を浮かべて訳した。
その可愛らしさに、やはり知佳や耕介、薫は笑みを浮かべていた。

「不破……さんは知ってると思いますが、うちは神咲薫と申します」

と、薫は座っているにも関わらず、綺麗な形で頭を下げた。不破とさんの間で迷ったのは、呼び捨てにするかで迷ったのではなく、君とさんのどちらをつけるか迷ったのだろう。彼女は始業式の一見で恭吾が年上だと知っているためだ。
それに恭吾たちも挨拶を返すが、恭也はかなり深く彼女を観察しているようだった。元より彼女と試合うと言っていたのだから、事前にある程度見ておくのは間違いではないので、恭吾はとくに注意しないし、おそらく薫も気付いているだろう。

「ほら、次お姉ちゃん」
「あー、仁村真雪、一応これの姉」

真雪はタバコを口に銜えてはいるものの、火は先ほどから点けていない。なのはがいるからだろう。彼女は自分勝手に行動する人物ではあるが、そう言った最低限のモラルは弁えているし、情に厚い人だった。だからこそ彼女を嫌うものは少ないし、むしろ慕われるのだ。

「なんて言い方を。というかお姉ちゃん、不破さんに謝ってないでしょ」
「別にいいじゃんかよ。一発も当たってねぇんだし」
「別に気にしてませんよ」

真雪と付き合っていくなら、この程度のことで一々気にしていられない。いや、当然もう止めてほしいが。

「だってよ」
「もう」

知佳は姉の反応を見てため息を吐く。
それを横目で見たあと、薫がじっと恭吾を見た。

「それで知佳ちゃんからは、うちと試合をと聞いとるんですが」
「ええ。できれば恭也と試合ってほしいのですが」
「恭也君、とですか?」
「はい。まだ未熟ですが、それなりには戦えるはずです」

恭吾が言うと、恭也は再び頭を下げるのだが、薫は少しばかり残念そうな顔をしていた。知佳がどう伝えたのかはわからないが、おそらく恭吾と試合するものだと思っていたのだろう。

「一応言っておくと、同年代で恭也の相手になる者は、おそらくこの国にはそうはいないでしょう」

その反応を見て薫に告げると、美由希となのは以外が驚きの表情を浮かべたのだが、一番驚いていたのは恭也だったりする。もっとも恭也が驚いていたのはその内容よりも、それを言ったのが恭吾であるためだが。
身内贔屓……または自意識過剰……の言葉に聞こえるかもしれないが、恭吾は本気で言っているし、事実そうだと思っている。
実際に武者修行で赴いた道場などにも、恭也と同年代の者はいくらでもいたが、正直その中で恭也についていけたのはそれほど多くなかったし、それも恭也が加減をしてだった。その上に有段者である大人を何人も破っている。

「わかりました。うちは少し準備をしてきます。場所はここの庭でよかですか?」
「そちらがよろしいのでしたら構いません」

言いながら耕介を見ると彼は笑って頷いた。
それから薫は動きやすい服に着替えるためと木刀を持ってくるために部屋から出ていった。その間に知佳たちの案内で、恭也と恭吾は庭へと出た。
それらを見守るように、知佳たちはリビングの窓辺に座る。

「いいか、恭也。当然、神速は禁止だ」
「美由希がいるし、いなくても元より使う気はない」

神速は、試合では使わないように厳命している。その意味を恭也もわかっているので反論したりはしない。

「薙旋の使用は許可する。まあ、木刀だから効果は半減するだろうがな」
「……いいの?」
「ああ。彼女たちならば構わない」

本来、試合では奥義……というか、今のところ唯一使える薙旋の使用を許可されることも少ないため、恭也は少し驚いているようだ。それは当然、手の内を隠すため。だが、恭吾もさざなみの関係者ならばある程度はいいと思っている。

「美由希にも見られるが?」
「いくら木刀とはいえ、今の美由希が追える剣速で放ったりなどしたら、後で潰す」

それ以前に今の美由希に捉えられるような技では、薫の相手には効かないだろう。

「……善処する」

兄はこういったことは有言実行すると知っているため、顔を引きつらせ、小太刀の大きさの木刀を鞘代わりになるベルトに押し込みながら頷いた。
そんなことをしていると、運動着に着替え、木刀を持った薫が庭に現れた。

「お待たせしました」

薫はそう言うと恭也の前に立つ。
恭吾は二人から離れ、知佳たちが観戦している窓際に立った。
それを見届けてから、恭也は木刀を一本だけ抜く。

「小太刀?」

木刀のサイズですぐにわかったのか、薫が聞くと、恭也は静かに頷いた。

「ルールは剣のみ、でよろしいですか?」

窓辺に立った恭吾が聞くと、薫は異論はないと小さく頷くが、恭也は少しだけ眉根を寄せた。
正直、剣のみだと相当に戦い方が制限されれるのだ。もちろんそれがわかった上で、恭吾はこのルールにした。恭吾が見たいのは、元から剣のみの薫と恭也の技量の差だったからだ。
このルールの場合、恭吾の予想では十中八九、恭也が負けるだろう。だが、別にそれで構わない。
恭也も眉を寄せたのは一瞬。すぐに頷いて返した。

「では……」

今回は試合だ。それは実戦式でもなく、あくまで剣をぶつけあうもの。故にいきなり始めさせるという手法はしない。そもそもこちらから試合を申し込んだ上に、実戦剣術とも伝えていない。いきなり手を出すのでは、試合を受けてくれた彼女に礼を失する。

「始め」

恭吾が試合の開始を宣言。
恭也と薫の初の試合。
それは本来、もっと未来で行われるはずだったもの。
それが大きく時を遡り、今、始まった。






あとがき

はい。本当にお待たせしました。
エリス「本当に待たせすぎ」
すみません。もうまったく薫の口調がわかりませんでした。
エリス「とりあえず、二人の試合が開始」
です。
エリス「そういえば最初の方の話だけど、恭吾が……ああと、凄い表現しづらいけど、恭吾が恭也だったときの身長と体重が原作の設定と違うんじゃない?」
少し背が高くなってるね。その分体重も少し。
エリス「なんで?」
公式の設定はとらハ3の時代の話のはずだから。そこから少しだけまだ成長しただけ。恭吾何歳の時に来たかは秘密だけど、少なくも本編から数年は経ってる。
エリス「でももう成長期は終わってない?」
男は二十五ぐらいまでは成長する……らしい。実歳私も高校卒業してからも三、四pぐらい伸びたし。
エリス「はー、なるほど」
まあ、とにかく今は恭也と薫の試合。
エリス「それは次回に、と」
というわけで、次回は二人の試合になります。
エリス「では、また次回でー」
読んで下さった方々、ありがとうござまいしたー。



ぐわっ、いい所で次回に。
美姫 「知佳との再会からさざなみ寮へ」
そして、薫と試合という流れ。現在の恭也の実力はどれぐらいなんだろうな。
美姫 「恭吾のそっち方面の鈍さは相変わらずで」
だな。さてさて、これからどうなっていくのかな。
美姫 「気になる次回は……」
この後すぐ!



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