付記:作中使用した設定についての補足

 

 

 

 

 

 ●舞楽(ぶがく)『蘭陵王』(らんりょうおう)

 

 日本古来の宮廷音楽として、長きに渡る伝統を有する雅楽。

 その中にあって舞を伴うものを舞楽と呼び、この内の一曲が『蘭陵王』である。

 概要については本編で取り上げているが、振りが比較的速く活発な、走舞(はしりまい)と呼ばれる曲

で、中国は唐の時代の音楽(唐楽)や、それに準じて日本で作られた音楽を伴奏とする、

左方舞(さほうまい)と呼ばれる系統に属している。

 作中、恭也は派手な装束に抵抗感を感じているが、左方舞に用いる装束は(例外もある

かもしれないが)大抵緋色だそうである。つまり恭也は、久我講師からの依頼を引き受け

た時点で「ど派手な装束を着る」事が、確定していたのであった。

 舞楽の装束については、雅楽関連あるいは雅楽に造詣のある個人のサイトなどを検索す

ると、画像(写真や動画)が掲載されている場合があるので、参考にしていただけると幸

いである。

 なお、自分は実際に舞を見た事はないのだが、曲の演奏が収められたCDを運良く購入

する事が出来た為、これを聴いたり動画を拝見するなどして、イメージを浮かべながら執

筆した。

 

 ●無心一刀流

 

 作中に登場するこの流派そのものは架空であるが、参考とした流派がある。

 つまり、教会の礼拝所を道場に使っている流派が実在し、師範は実際にその教会の牧師

(プロテスタント)なのである。自分はこの事を知った時ひどく驚いたものだが、結局の

ところ、

 

「事実は小説よりも奇なり」

 

 という言葉のひとつの好例が、現実に示されているわけだった。

 実在の流派の師範と作中における流派の師範では、同じキリスト教と言っても入信して

いる宗派が違う、という事で違いを付けたつもりである。

 なお、カトリックの神父の場合、本来は何年かの周期で赴任先が変わるそうで(例外と

して、長年同じ教会に同じ神父が在任したという事例は当然ある)、そうした神父が生活

する為の施設が司祭館であると、知人より聞いている。

 元々礼拝所(聖堂)は、剣術の稽古に使うような場所ではなく、礼拝や冠婚葬祭、音楽

活動(ヨーロッパでは、様々なクラシック音楽を教会で録音するケースが結構多い)以外

に施設を使うとなれば、カトリックでは信徒会館と呼ばれる施設をそれに当てるという事

である。

 

 ●『幻滅』

 

 19世紀ロシアの詩人、エフゲニー・バラトゥインスキーによって書かれた詩で、この詩

は同時代の作曲家、ミハイル・グリンカ作曲の歌曲『故なく私を誘うな』の歌詞となって

いる。

 筆者は、その断片を適宜作中(冬の情景第三話)に組み込む事で、ある種の効果を意図

しているが、その成否の判断は作品を読んだ方達に委ねたいと思っている。

 なお、全訳文は以下の通り。筆者が若干意訳している事をご了承いただければ幸いであ

る。

 

  故なく私を誘うな、優しい素振りを見せて

  夢を失った者には、過ぎ去った全ての誘惑の日々は無縁なのだ

  私はもはや、誓いの言葉を信じない

  私はもはや、愛を信じない

  私はもはや、裏切られた夢に再びふける事など出来ないのだ!

 

  私の言葉なき憂いを増やすな

  過ぎ去った事を、また言い立てるな

  そして世話好きな友よ、病み疲れた私のまどろみを、そっとしておいてくれ!

  私は眠る、私にはまどろみは心地好い

  昔の夢は忘れるがいい――私の心に波立つものがある

  だが、君が呼び起こすものは愛ではないのだ

 

 ●『苦しみの谷にあっても絶望する事なかれ』

 

 19世紀ドイツの詩人、フリードリヒ・リュッケルトによって書かれた宗教的な詩で、ロ

ベルト・シューマン作曲による同名の合唱曲の歌詞となっている。

 作中(冬の情景第四話)にて断片を引用した意図は、先述『幻滅』の項目で記した通り。

 訳文を以下に示すが、筆者の意訳と省略が多く含まれている事をご了承いただきたい。

(宗教曲では詩句の繰り返しが多い事もあり、歌詞としての全文はやたら長い)

 

  苦しみの谷にあっても、絶望してはいけない

  多くの喜びは、苦しみの中から生まれるものだから

  しばしば嵐が吹き荒れ

  嵐が、嵐が吹き荒れ

  そして、その後ろからささやきが

  その後ろから、神のささやきが聞こえる

  不気味な雲が、雲が覆うその時、稲妻にあらず、ひと筋の光が漏れ落ちる

  苦しみの谷にあっても、絶望してはいけない

  多くの喜びは、苦しみの中から生まれるものだから

  絶望してはいけない!

 

  冬が、何度も頭上を通り抜けていった

  それでも、葉は落ちない

  嵐が幾度も、残った葉に押し寄せた

  それでも葉は、緑を残している

  時が、いくつもの喜びを贈った

  いくつもの強さを

  グラスの中の苦味が

  未だ残っていても

  信じなさい、ベールに覆われた御手を信じなさい

  ベールに覆われた御手を信じなさい

  誰も選んだ後に導いてはくれない

  だから常に、浮き沈みを覚悟しておきなさい

  それが世の常なのだから

 

  苦しみに耐えなさい

  消え去れと、それに神が命ずるまで

  耐えなさい、耐えなさい、苦しみに耐えなさい

  耐えなさい、消え去れと、消え去れと、それに神が命ずるまで

  苦しみに耐えなさい、苦しみに耐えなさい

  それに神が命ずるまで

  苦しみに耐えなさい

  耐えなさい、耐えなさい、耐えなさい!

 

  そして、主なる神の息吹を期待しなさい

  それは、限りない恩寵を与える

  それは恩寵を、恩寵を、限りない恩寵を与える

  限りない恩寵を

  限りなく

 

  そして、限りない喜びは花を開く

  限られた、わずかな人生の中で

  苦しみの谷にあっても、絶望してはいけない

  多くの喜びは苦しみの、苦しみの中から生まれるものだから

  だから、絶望してはいけない!

  そして、主なる神の息吹を期待しなさい

  それは、限りない恩寵を与える

  絶望を、絶望をしてはいけない、絶望をしてはいけない

  そして、主なる神の息吹を期待しなさい

  それは限りない、限りない恩寵を与える

  絶望してはいけない、絶望してはいけない、絶望してはいけない!








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