高町恭也は本来、バレンタインデーについて特に、これといった感慨を持っていない方

である。が、今度はそうも言っていられない――らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜その日の風景〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後のひととき。

 海鳴大の一角で、ベンチに座っている恭也はひたすら困り果てていた。

 何が困るのかって、勝手に増えていくチョコレートに他ならない。年に一度、この日に

限って、苦手な甘いものが〔無料で〕贈られて来る。

(これが身内ならともかく、見ず知らずの女子からも、だからなぁ)

 実際に声を出したら、世のモテない男共が一斉に殺意を抱く事確実な、しかし当の本人

にしてみれば、それは切実な思いである。

 身内、と恭也は表現したが、〔家族〕や限られた友人が共通して知っている、恭也の苦

手とするもの。それが甘い食べ物――特に菓子類だった。チョコレートやら生クリーム、

カスタードクリームなどといった類は、とにかく苦手。

 まだ幼い、と言っていい時期に植えつけられたトラウマから、恭也は未だに精神的再建

を果たせずにいる。が、現在彼に好意を抱く女子の大半は、そんな事など露とも知らない

のだ。

 風芽丘学園の頃は、普段見せている無愛想な態度が幸い(?)してか、チョコレートな

んかで困る事などなかった。もらうにしても身内を除けば、そんなに数をもらうなんて事

はなかった恭也なのである。

 それがどうだろう。大学生になった最初の年――まさか、こうなってしまうとは思って

いなかった。

「……やれやれ」

 溜め息を吐く恭也。そこへ、

「お、いたいた。やっぱりここか」

 親友の赤星勇吾(ゆうご)が声をかけてきた。見れば、赤星は大学生協の買い物用ポリ袋――ほぼ

限界まで中身が詰まっている――を、大して重そうでもなく引っさげている。

「今年もまた、随分ともらったものだな」

「そういう高町も、去年までとは大違いだなぁ」

 顔を見合わせ、苦笑する。赤星は恭也の隣に腰を降ろすと、

「しかし、高町は無愛想さがなければ、俺なんかよりチョコをもらえるだろうに」

「……やめてくれ」

 赤星は、恭也の苦手なものを知っていて言ってるのだ。

「まぁ、あれだ。去年の学園祭で派手にやったのが、相当効いてるんじゃないか?」

「ん?」

「あの舞楽を観てたみんなが、手放しで絶賛してたからな。なるべくしてそうなったんだ

ろう、きっと」

 言われて、恭也は考え込んでしまった。そもそも、雅楽同好会からの依頼を受けた辺り

以降、どうも何かが変化したような気がする。自分が、

(俺はこういう道を生きるのだ)

 そう思いきわめていたところから、微妙に距離が開いていきつつあるように感じる。そ

れが悪い、とは思っていないが――迷路に入り込みそうになっているのに気付いた恭也は、

二度三度軽く頭を振ると、

「だからと言って、こんなにチョコをもらっても困るんだが」

 しかめっ面しく呟く。が、

「それは、大っぴらにしなかった高町が悪い」

 赤星にあっさりと一蹴された。どうせ身内が知っていればいいのだし、そんな面倒くさ

い事をする必要もなかろう、などと思って周りに言わなかったのは、確かに恭也本人なの

であり、もはやぐうの音も出てこない。

「まぁ、もらえないよりはマシじゃないか?」

「そうか?……ん……まぁ、確かにそうなのかもしれないが」

「はははは、諦めてもう少し頑張れよ。どうせ、今日だけなんだし」

「簡単に言うな、簡単に」

 今日は一日を長く感じているんだぞ、とばかりに、恭也は肩をすくめるのだった。

 

 

 

 

 

 モテない男が聞けば殺意を燃やしかねない――しかし、この二人にそんなものを向けた

が最後、確実に生きていまい――会話がひと段落すると、

「店の方、バレンタインデーって事でかなり繁盛してたんじゃないか?」

 赤星は大量にもらったチョコレートのひとつを取り出し、包みを開いてぱくりと口に入

れる。

「まぁ、な」

「いい事じゃないか……お、中々甘いなぁ」

「……そうやって、全部食べるのか?」

「さすがに……さすがに一日では食べ切れないけどな。だけど、誰かさんと違って俺は、

好き嫌いがないからな」

「痛いところを……」

 実際、風芽丘学園にいた頃の赤星はやはり、バレンタインデーともなるといくつもチョ

コレートをもらったが、何日かかけても、必ず全部食べていたものだ。その辺り、一種の

義理堅さみたいな部分を、恭也は苦笑混じりながら高く評価している。

(それにつけても……赤星ほどの男が、何故に彼女を持たぬのか……)

 恭也が普段無愛想な印象なのに対して、赤星は普段から表情豊かで、どこからどう見て

も好青年である。ましてや、チョコレートをいくつももらうくらい、女性にモテる。だの

に、浮いた噂のひとつも聞いた試しがない。

 もっとも、恭也はそれについて理由を聞いた事はないし、不思議に思ったからと言って

詮索するつもりもなかった。

 その後は、別段取りとめもない事を話していたが、

「こないだ、桃子さんに会った時聞いたんだが、高町……お前、リリアン女学園の生徒か

ら告白されたんだって?」

 不意に、赤星がそんな事を聞いてきた。

「……む」

 低くうめき声を絞り出した恭也だが、その事自体は事実だ。

「否定は、しない」

「そうかぁ」

「どうしたらいいのか、まだ分からん。今まで、考える事もなかったからな」

 肩をすくめる赤星。が、そのすぐ後の恭也の台詞に驚いた。

「そう、だな……俺は多分、考えないという事で〔逃げていた〕のかもしれん」

 呆然とした顔になる赤星。それを見咎めた恭也が、

「どうした? 赤星」

 聞いてきたくらいだから、相当間抜けた顔になっていたのだろう。

「い……いや……まさか高町、お前の口からそんな台詞聞くとは、思わなかった」

「……おい、今まで俺を何だと思ってたんだ?」

「あ、すまん」

 ともあれ、赤星は気を取り直して聞いてみる。

「で、どうするんだ? 高町。お前の事だから、本当に〔逃げを打つ〕って事はないと思

うが」

 実のところ、赤星は共通の友人である月村(しのぶ)が、恭也に好意を抱いている事を知ってい

るし、美由希の友人の神咲那美(なみ)もまた同じなのだろうと察していた。が、見る限り恭也は、

あくまで二人を仲の良い友人としてしか、見ていないようである。

 他人の事は割とよく見る事が出来るのに、自分に関わる事について頓着ないのは、赤星

も人の事を大して言えない。それはそれとして。

「もう半月、というところ……かな」

「何だ? その半月って」

「……返答の期限」

「そうか、それもまた大変だな」

「まぁ、悩むだけ悩んでみるさ。逃げてばかりでは、答えなんか出やせんからな」

 

 

 

 

 

 赤星と別れてから、この日受けるべき全ての講義を受け終わり、そろそろ帰ろうかと外

に出た丁度その時、

「やあ」

 月村忍に声をかけられた。

「月村か」

「んー、疲れ切ってるね」

「言っておくが俺は、赤星とは違う」

 苦り切った顔を見て、忍はちょっとだけ同情の笑みを浮かべる。もっとも彼女も、恭也

にチョコを渡した一人ではあるが。

「ね、忙しくなかったら、そこで休んでいかない? 今日はちょっと時間余っちゃってる

んだ」

「ああ、構わんが」

 忍が指差したのは、学生会館。食堂やら喫茶スペースやらもあり、昼食時や講義の合間

の時間潰しなど、まず学生のいない時はない。連れ立って喫茶スペースに入り、窓際の席

に腰かける。

「結構もらったねぇ」

「赤星の方が多いがな。それに、チョコは甘くて敵わん」

 そこら辺、忍の方でもちゃんと心得ていて、彼女が去年から渡しているチョコレートは、

甘さを抑えたビターチョコである。

「でも、これだけもらうとお返しが大変だよ?」

 いたずらめかして言う忍に苦笑しつつ、恭也は、

「身内はともかく、下手に返すと話が厄介になるだけだろうな」

 呟くと、溜め息をひとつ吐いた。

「それじゃあ、お返しする本命って、いるの?」

「……さて、な……」

 忍は、恭也の返答を聞いて意外に感じた。ここで予想していたのは、

(いや、そんなのはいないが)

 だったのだが。それが外れたという事は、今の恭也には気になる女性がいる、という事

で――

「もしかして、誰か気になる()でも、いるの?」

 何でもない風に聞いてみる。しかし、それを〔装って〕いる事を、忍は充分に自覚して

いた。恭也は忍にとって特別な存在だ。自分が本当は、

(吸血鬼や人狼を始めとする、いわゆる夜の一族)

 であるにも関わらず、おまけに亡き両親の残した遺産を巡り、親族のひとりとの間で暗

闘があったというのに――何も言わずに、手を差し伸べてくれた。忍は、だからこそ恭也

に心を開いたし、

「高町くんの望む、どんな関係にでもなってあげる」

 それは本心だった。本心である事に違いはなかったが、本当は、

(恭也の一番)

 になりたかった――心の奥底で。恭也の姉的存在である〔光の歌姫〕が、共通の友人で

ある神咲那美が抱いていたのと同じ想いを、持っていた。

「気に、ならない……と言えば、嘘になる、な」

 恭也の返答を聞いて、痛みを伴う直感が働いた。

(高町くんが想っている相手は、私じゃないかも。多分、私が高町くんの近くで知ってい

る誰でもない……もしも、もっと早く、はっきり好き、って言ってたら……)

「……そっ、か。高町くんにも春が来た、かな?」

「あのな……」

 忍は立ち上がり、私は、高町くんを〔好き〕だったんだよ――それは、果たして恭也に

届いていただろうか?――口では時間だからと言って、外へ出て行く。

 恭也は、そんな忍の後ろ姿に何も言葉をかける事が出来ず、ただそこに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 ――家に帰る途中で、神咲那美と連れ立って歩く美由希(みゆき)とばったり会った。

「ん、美由希。それに那美さんも」

「あ、恭ちゃん」

「こんにちわぁ」

 那美は、かつて膝を傷めた時に会った事がある。この頃の恭也は桃子曰く、

(投げやりになっていた)

 時期で、父親の形見である小太刀を、一時は投げ捨ててしまったくらい深刻な状態だっ

たが、彼女はそんな折に手を差し伸べてくれた、恭也にとっていわば〔恩人〕と言うべき

存在であった。

 ただ、その後長く会う事がなかったおかげで、同じ風芽丘学園に通っている事もしばら

く分からなかった、という困ったオチがついて回っているが――そういう意味では、風芽

丘学園で実はクラスがずっと同じだったにも関わらず、三年生になるまで恭也と会話なり

付き合いなりが全くなかった忍も、案外似たようなものか。

「恭ちゃん……今年はまた、すごい数もらったね……」

 恭也が左手にぶら下げたポリ袋――赤星と同じ手段に出たようだ――の中身を覗き見て、

半ばひきつった笑いを貼り付かせる美由希に、恭也は憮然とした表情で応じる。

「しばらくは、チョコを見なくとも良さそうだ」

 小さい頃に甘いもの各種を散々食べた挙句、とうとう倒れてしまった過去を持つだけに、

その言葉には、切実なものを感じさせる何かがある。

「あ、あははは……」

 困りきった笑いを隠さない美由希。やはり困ったような笑顔だった那美が、

「そ、そういう時に何、なのですが……あの、私からも……」

 バレンタインデーのチョコを差し出す。シックな柄の包み紙にリボンをあしらった、慎

ましやかで小ぶりなものだったが、恭也はありがたく受け取った。

 料理の腕はまだまだ、そんな事を言う那美は、一緒に住んでいる〔さざなみ寮〕の住人

と共に、この日の為のチョコを作ったのだそうな。

「晶にレン、なのは……私にかーさんは晩に渡すから、後はフィアッセ……」

 何気なく美由希が指折り数えるのを見て、恭也は肩をすくめる。やはり、甘いものはな

るべく避けて通りたい、というのが本音なのだ――身内からの贈り物が嬉しくないわけは

ないが、それとこれとは話が別。

「時に……商店街か?」

 あからさまに話題をねじ曲げた恭也に、美由希はやれやれと苦笑しながら、

「そうだよ。これから那美さんと一緒に、そこの本屋まで」

 答えた。

「そうか、俺はこのまま家に帰るから、まぁ気をつけて行って来い」

「うん」

「那美さんも」

「あ、はいー。ありがとうございますぅ」

 二人と別れて家路をたどる。しばらくそのまま歩を進めていた恭也だが、唐突にぴたり

と立ち止まった。

「……」

 那美からの贈り物を、ひたと見つめる。そうしている内に、去年受け取った時と、己の

感じるものが確かに違う事に気付く。わずかに、締め付けるような鈍い圧迫感――人によ

っては〔罪悪感〕と認識するであろう、そんな痛みを自覚した。

 どれくらい、その場に立っていた事か。ふと天を仰ぐと、少しずつ勢いを増している太

陽に、薄い雲がかかって光を遮っており、それがどことなく、自分の今の心境に重なって

見えた。

 一度だけ、大きく息を吸い、静かに吐き出す。

(……それが、選ぶ、という事、なのだろうか)

 恭也が瞳を閉じたのはほんの一瞬で、再び足は家へと続く道を踏み出していた。








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