トリステイン王国最大の都市、王都トリスタニア。

 王国最大の河川沿いに築かれたこの街は、ハルケギニア大陸に貴族社会が興る以前の古代から、この国の政治・経済の中心地たる役割を担っていた。街の中央を流れる川を境に北部地区と南部地区とに隔てられ、このうち北部地区には、古代からの田園風景が広がる他にランドマークとして、トリステインの王宮があった。

 トリステイン王宮の外観は、現代地球の分類に無理矢理当てはめれば、レクタンギュラー・キープ形式の城に似ていた。イギリスはロンドン塔に代表される建築様式で、最大の特徴は矩形を基調とした天守を持つことだ。小高い丘を拓いた平地に建つ城壁は、なるほど、確かに長方形のラインを上空へと示していた。

 そのトリステイン王宮の正門の前では、当直の番兵が幻獣に跨り闊歩していた。全員、魔法衛士隊の隊員だ。

 戦争が近いという噂が、二、三日前から街に流れ始めていた。隣国アルビオンを制圧した貴族派“レコン・キスタ”が、トリステインに侵攻してくる、という噂だ。

 市井で民たちが口にしていることとはいえ、そうした噂話が王城に届くこと自体が異常事態。ために、城を守る衛士隊の空気は、必然、警戒と緊張から、ピリピリ、と強張ったものとなっていた。王宮の上空は幻獣、船を問わず飛行禁止令が出され、これを守らぬ者に対しは一回の警告の後、撃墜する許可が与えられていた。

 また、門をくぐる人物のチェックも激しくなっていた。いつもならなんなく通される仕立て屋や、出入りの菓子家の主人までもが門の前で呼び止められ、触診によるボディ・チェックと、ディティクト(探査)マジックを使った検査を受けなければならなかった。これまた、身体検査を拒もうものなら、即座に逮捕する権限が魔法衛士隊には与えられていた。

 そんな情勢下だったから、王宮の上空に一匹の風竜が姿を見せたとき、当直の隊員達は等しく色めきたった。

 魔法衛士隊は三隊から構成されている。三隊はローテーションを組んで、王宮の警護を司っていた。今日の警備担当はマンティコア隊。蝙蝠の羽根とサソリの尾、そしてライオンの頭部と胴体を持つキメラに騎乗したメイジ達は、王宮上空に現れた風竜目がけて、一斉に飛び上がった。

 風竜の背には、複数の人影があった。さらに風竜は、巨大モグラを一匹咥えていた。怪しいことこの上なかった。

 魔法衛士隊の隊員たちは、ここが現在飛行禁止空域であることを大声で告げた。しかし、風竜はなおも王宮の中庭を目指して飛行を続けた。警告を無視したのではなく、どうやら風竜の背中の上で言い争いをしているらしく、こちらの声が聞こえていない様子だった。

 筋骨隆々たる体格に髭面が特徴的なマンティコア隊の隊長は、これはいかん、と部下を引き連れ風竜へと迫った。

 マンティコアの背中から生えた蝙蝠の翼は、本来、ドラゴン族のような高速飛行を可能とするような構造にはなっていない。しかし、衛士隊のマンティコアは過酷な調教の末に、短時間であれば風竜にも負けない速度で飛行することが可能だった。両者の距離は見る見る縮まっていった。

 風竜に近づくにつれて、言い争う声がより鮮明なものとなって、衛士達の耳朶を叩いた。

 どうやら言い争いをしているのは三人の男のようで、そのうちの二人は、トリステインではあまり見ない黒髪の持ち主だった。さらにうち一人は、距離を隔ててさえそうと分かるほど、身体から濃厚な血の臭いを発していた。どうやら衣服に、血糊が付着しているらしい。

 髭面の隊長は、警告の声が聞こえないほど熱中している彼らの議論が気になって、耳を傾けてみた。

「だから愛花タンこそが最高なんだって! 他の二人もいいけど、やっぱ同級生の魅力には勝てない!」

「ハッ、分かってないな、サイト! 年下で後輩の凜子ちゃんこそが至高の存在! これこそが正解への一択!」

「バッキャロー! 才人君。ギーシュ君。いいか、二人ともよく聞け。お姉さんキャラで包容力のある寧々さんこそが、選ぶべき唯一無二の選択肢なんだ!」

「…………」

 言い争いの内容を耳にし、その意味を理解し、胸の内で咀嚼したマンティコア隊の隊長は、タハ乱暴の稚拙な文章力では表現不可能な、味わい深い表情を浮かべた。というよりギーシュ、なんでおんどれはあのゲームのことを知っているのか。

 ちなみに風竜の上では、白熱した議論をぶつけ合う男三人に向けて、女性陣が冷た〜い眼差しを向けていた。

 「サイトさんは同級生好き」とか、「リュウヤは年上好き」とか、なにやら怨嗟を孕んだ呟きを聞いて、隊長はいっそうげんなりとした。

「……隊長、どうしましょう?」

 隊員の一人が、同じく味わい深い表情を浮かべながら訊ねた。

 髭面の隊長は、慌てず、騒がず、迷うことなく、にっこり微笑んで、

「落とせ」

と、攻撃命令を下した。

 トリステインの上空で、汚い花火が花開いた。

 

 

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:50「ならば、わたくしは……勇敢に生きてみようと思います」

 

 

 

 

 

 どがーん。

 ばごーん。

 いやーん。

 ばかーん。

 うっふーん。

 あっはーん。

 そこはおちちなのー。

 気の抜けた爆発音という、なんとも珍妙な轟音が、トリステインの空で炸裂した。

 王家を守る精鋭部隊、マンティコア隊の面々が放った魔法攻撃の直撃弾を受けたシルフィードは、黒煙を引きながら墜落していった。

 魔法攻撃のダメージに加えて、もともとかなりの荷物を抱えていた身だ。重力に翻弄されるがまま、美しき風竜は急激に高度を下げていった。ほとんど、垂直落下に近い状態だ。

 とはいえ、数多いる幻獣の中でも、最高位にあるのがドラゴン族だ。自慢のタフネスに加えて、主人のタバサの腕が優秀なこともあって、シルフィードは二〇〇フィートの高度でなんとか体勢を持ち直した。

 背中の翼を大きくはためかせて揚力を生み、長い尻尾で重心バランスを整えて、姿勢を安定させる。

 それを見て、髭面の隊長の口から、「ほほう……」と、感嘆の呟きが漏れた。

 わが隊の魔法攻撃の直撃を受けてなお姿勢を安定させるとは……竜も、御者の娘も、かなりの実力のようだ。

 シルフィードはそのまま、タバサの「中庭」という呟きに頷き、ゆっくり高度を落としながら、王宮の中庭へと着陸した。手負いのドラゴンとはとても思えない、見事なアプローチだった。

 風竜の背中に乗っていた男達が、次々飛び降りた。

 ルイズ、キュルケ、ギーシュ、タバサ、ケティ、マチルダ、才人と続き、いまだ軍服から血の臭いを発している柳也が飛び降りる。最後に、シルフィードが咥えていた巨大モグラのヴェルダンデを解放した。使い魔の巨大モグラは主人たちと同様軽やかに着地……とはいかず、背中から地面に落下した。なんのいたわりもなく口から離したシルフィードに、ヴェルダンデが抗議の声を上げる。

 マンティコア隊は、シルフィードを包囲する形で中庭に着陸した。腰からレイピア杖を引き抜き、次の呪文に備えて一斉に切っ先を掲げた。髭面の隊長が、大声で一行に命令する。

「杖を捨てろ!」

 ルイズ達は一瞬、むっとした表情を浮かべたが、ここで暴れても益はないと、命令された通り杖を捨てた。柳也と才人は、それぞれ無銘の脇差と、デルフリンガーを地面に放る。

 相手の武装解除を見て、髭面の隊長はレイピア杖の切っ先をこちらに向けたまま言った。

「今現在、王宮の上空は飛行禁止だ。ふれを知らんのか?」

「……申し訳ありません。しばらく、トリステインを離れていたものなので」

 髭面の隊長の質問に、ルイズが答えた。

「きみは?」

「わたしはラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズです。怪しいものではありません。姫殿下に取り次ぎ願いたいわ」

 隊長は口髭をひねって、ルイズの顔をしげしげと眺めた。ラ・ヴァリエール公爵夫妻なら知っている。高名な貴族で、パーティの席などで何度か話したこともある。なるほど、言われてみると、目元が母君の面影を残しているように思えた。

 隊長は掲げた杖を下ろした。

「ラ・ヴァリエール公爵さまの三女とな?」

「いかにも」

 ルイズは胸を張って隊長の目を真っ直ぐに見つめた。

「……なるほど、見れば目元が母君そっくりだ。して、要件を伺おうか?」

「それは言えません。密命なのです」

「では、殿下に取り次ぐわけにはいかぬ。用件も訊ねずに取り次いだ日には、こちらの首が飛ぶからな」

 隊長はルイズの顔を見、ついで背後に控える柳也を見て言った。衣服を、尋常ではない量の血で汚している彼を、隊長は特に警戒している様子だった。

「アルビオンとの戦争が近いと、そこら中で噂になっているのだ。そのため、王城周辺の警戒を強めている。貴公らのことは勿論姫殿下に伝えるが……きみたちが怪しい人間ではないと分かるまで、捕縛させてもらいたい」

 捕縛、と聞いて、ギーシュの顔がさっと青ざめた。敬愛する姫殿下の密命を無事に果たし、意気揚々と凱旋した末の、この仕打ち。急転直下の展開に、彼は軽く眩暈さえ覚えた。

 そのとき、宮殿の入り口から、鮮やかな紫のマントとローブを羽織った人物が、ひょっこり顔を出した。その姿を見て、魔法衛士隊の面々がぎょっとする。紫は王族の人間だけが着用を許される高貴な色。先帝亡きいま、トリステインであのマントとローブを羽織れるのは二人しかいない。そしてそのどちらもが、いまの王国には欠くことの出来ない人物だった。

「姫さま! 来てはなりませぬ!」

 髭面の隊長は駆け寄ってくるアンリエッタを制止するべく叫んだ。

 しかし、アンリエッタは隊長の命令を無視して、衛士隊に囲まれたルイズのもとへと飛び込んだ。

「ルイズ!」

「姫さま!」

 駆け寄るアンリエッタの姿を見て、ルイズの顔が、薔薇をまき散らしたように、ぱあっ、と輝いた。アルビオン大陸での一件以来、久しく見ていない、ルイズの笑顔だった。

 ルイズとアンリエッタは、一行と魔法衛士隊が見守る中、ひっしと抱き合った。主従関係とは別に、強い絆で結ばれた二人の少女は、相手の存在を確かめ合うように、固く、固く、お互いを抱きしめた。

「ああ、無事に帰ってきたのね。うれしいわ。ルイズ、ルイズ・フランソワーズ……」

「姫さま……」

 ルイズの目から、ぽろり、と涙の雫がこぼれた。

 もらい泣きをしたギーシュの目尻からも、熱い雫がこぼれる。隣に立つ才人に、「ギーシュ、お前泣いてんのか?」と、指摘され、金髪の美少年は「う、うるさいな!」と慌てて顔をそむけた。

 やがて、抱擁を解いたルイズは、シャツの胸ポケットからそっと手紙を見せた。

「件の手紙は、無事、このとおりでございます」

 アンリエッタは大きく頷いて、ルイズの手をかたく握りしめた。

「やはり、あなたはわたくしの一番のお友達ですわ」

「もったいないお言葉です。姫さま」

 アンリエッタはそれから、ルイズの背後に立つ才人達を見た。魔法学院を発ったときと比べて、一行の変化は著しかった。知らない顔が二人増えているほか、ワルドの姿が見当たらない。それに、ウェールズの姿も。

 再会の喜びから一転、アンリエッタは表情を曇らせた。

「……ウェールズさまは、やはり父王に殉じたのですね」

 ルイズは目をつむり、神妙に頷いた。

「……して、ワルド子爵は? 姿が見えませんが。別行動を取っているのかしら? ……それとも、まさか……敵の手にかかって? そんな、あの子爵に限って、そんなはずは……」

 ルイズのみならず、一行の表情が等しく曇った。

 才人は沈痛な面持ちで、ワルドの裏切をアンリエッタに告げようとした。

 しかし、柳也が肩を叩き、それを止める。かぶりを振った彼は、一行とアンリエッタのやり取りを興味深そうに眺めている魔法衛士隊の面々を、顎でしゃくってみせた。

 ここでは、人目に付きすぎる。

 柳也の言わんとするところを、アンリエッタも察したか、彼女はマンティコア隊の面々にルイズ達を客人と紹介して、彼らを下がらせた。

 それから、アンリエッタは再びルイズに向き直った。

「道中、何があったのですか? ……とにかく、わたくしの部屋でお話ししましょう。他の方々は、別室を用意します。そこでお休みになってください」

 

 

 

 

 キュルケとタバサ、ギーシュとケティ、そして柳也とマチルダを謁見待合室に残し、アンリエッタは才人とルイズを自分の居室に招き入れた。小さいながらも、王室の紋章をかたどったレリーフが刻まれた椅子に腰かけ、アンリエッタは机に肘をついた。

 ルイズは、アンリエッタにことの次第を説明した。

 魔法学院を発ってすぐに、敵の襲撃を受けたこと。そのときに、級友のキュルケ達と合流したこと。アルビオンへと向かう船に乗ったら、空賊に襲われたこと。その空賊頭が、ウェールズ皇太子だったこと。ウェールズに亡命を勧めたが、断られたこと。そして……ワルドと結婚式を挙げるために、脱出船に乗らなかったこと。結婚式の最中、ワルドが豹変し、ウェールズを殺害。ルイズが預かった手紙を、奪い取ろうとしたこと……。

 永遠神剣に関係する出来事を省いて、ルイズはアンリエッタにすべてを包み隠さずに告げた。

 ルイズの説明を聞き終えたアンリエッタの表情は、暗いものだった。

 かつてアンリエッタがウェールズに宛てた手紙は取り戻した。“レコン・キスタ”の野望もつまずいた。さらに、トリステインの命綱たるゲルマニアとの同盟も守られた。これだけの吉報にも拘らず、王女は悲嘆にくれていた。

「あの子爵が裏切りものだったなんて……。まさか、魔法衛士隊に裏切り者がいるなんて……」

 魔法衛士隊は王室直属の最精鋭部隊。代々の王族を守ってきた、王家最強の矛。そんな部隊から、裏切り者が出るなんて……。それも下級隊員ではなく、一隊の指揮を任された上級指揮官から出てしまうなど…・…もはやアンリエッタは、何を信じてよいのか分からなかった。

 同時に、重苦しい後悔と自責の念が、アンリエッタの胸を掻き乱す。自分はそんな裏切り者を、ウェールズのもとに送ったのか。だとすれば王子の命を奪ったのは、自分も同然ではないか。

 アンリエッタは、かつて自分がウェールズにしたためた手紙を見つめながら、はらはらと涙をこぼした。

「わたくしは、なんということを……」

「姫さま……」

 ルイズは、アンリエッタの手をそっと握った。

 才人も、かぶりを振って彼女に言う。

「王子さまは、もとよりあの国に残るつもりでした。ワルドにやられなかったとしても、たぶん、どこかで命を落としていたと思います。お姫さまのせいじゃ、ないですよ」 

「あの方は、わたしの手紙をきちんと最後まで読んでくれたのかしら? ねえ、ルイズ」

 アンリエッタの問いに、ルイズは辛そうに頷いた。

「はい、姫さま。ウェールズ皇太子は、姫殿下の手紙をお読みになりました」

「ならば、ウェールズさまはわたくしを愛しておられなかったのね」

 アンリエッタは寂しげに首を振った。

「では、やはり…・…皇太子に、亡命をお勧めになったのですね?」

 悲しげに手紙を見つめたまま、アンリエッタは頷いた。

 ルイズは、アンリエッタからの手紙を読み終えた直後のウェールズの言葉を思い出した。彼は頑なに、王女は亡命など勧めていない、と否定していたが、やはりルイズが思った通り、嘘だったのだ。

「ええ。死んでほしくなかったんだもの。愛していたのよ。わたくし」

 アンリエッタは、それから窓の外へと視線をやった。

 浮遊大陸アルビオン。いまいる位置からは見えないが、彼女は遠き白の大陸に、想いを馳せている様子だった。

「わたくしより、名誉の方が大事だったのかしら」

 気の抜けた呟き。ウェールズが、彼女には笑顔が似合う、と言った美貌からは、生気が失われていた。

「違う!」

と、才人は思わず叫んだ。

 叫ばずにはいられなかった。

 名誉を守ろうとして、ウェールズはアルビオンに残ったわけじゃない。彼は、アンリエッタを守るために、アルビオンに残ったのだ。愛する彼女を守るために。愛する彼女の国を守るために、死地に残ることを決断したのだ。

 突然の大声に、ルイズとアンリエッタが驚いた表情を浮かべる。

 そんな二人の様子を見、彼は、はっ、として声のトーンを落として続けた。

「……お姫さま、違いますよ。あの王子さまは、姫さまやこのトリステインに迷惑をかけないために、あの国に残ったんです。俺、そう聞きました」

「わたくしに迷惑をかけないために?」

「自分が亡命したら、反乱勢が攻め入る格好の口実を与えるだけだって、王子さまは言ってました」

「ウェールズさまが亡命しようがしまいが、攻めてくるときは攻め寄せてくるでしょう。攻めぬときには沈黙を保つでしょう。個人の存在だけで、戦は発生するものではありませんわ」

「……そうかもしれない。けど、それでも、迷惑をかけたくなかったんですよ……きっと。王子さまなりに、守りたかったんです。この国を……」

 あなたのいる、この国を。

 アンリエッタは、深々と溜め息をついた。

 才人は、ゆっくりと思い出すように言う。

「勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。それだけ伝えてくれ、って王子さまは言ってました」

 寂しそうに、アンリエッタは微笑んだ。薔薇のように綺麗な王女がそうしていると、空気まで沈鬱に淀むんでしまうようで、才人は悲しくなった。

 アンリエッタは美しい彫刻が施された、大理石削り出しのテーブルに肘をつき、悲しげに問うた。

「勇敢に戦い、勇敢に死んでいく。殿方の特権ですわね。残された女は、どうすればよいのでしょうか」

 才人は、何も言えなかった。黙って、下を向いて、バツが悪そうにつま先で床を叩いた。

 男の特権。そう言われてしまえば、たしかにそうだ。美しく戦い、美しく散っていく。死にゆく本人達はそれで満足かもしれないが、残された者の気持ちはどうなるのか。家族や友人、恋人たちの気持ちは、どうなるのか。

 いやきっと、聡明なウェールズのことだから、そのあたりのことも考えた上で死を選んだのだろう。自分の気持ちと、残されるアンリエッタの気持ち。双方を天秤にかけて、熟慮の末に決断したに違いない。

 ただそれを、アンリエッタに伝えることは憚られた。言えば、彼女の心にさらなる傷を負わせてしまう、と思ったからだ。

「姫さま……。わたしがもっと強く、ウェールズ皇太子を説得していれば……」

 アンリエッタは椅子から立ち上がり、小さくかぶりを振った。申し訳なさそうに呟くルイズのを手を取り、にっこり笑う。

「いいのよ、ルイズ。あなたは立派にお役目通り、手紙を取り戻してきたのです。あなたが気にする必要はどこにもないのよ。それにわたくしは、亡命を勧めてほしいなんて、あなたに言ったわけではないのですから。

 わたくしの婚姻を妨げようとする暗躍は未然に防がれたのです。我が国はゲルマニアと無事同盟を結ぶことができるでしょう。そうすれば、簡単にアルビオンも攻めてくるわけにはいきません。危機は去ったのですよ、ルイズ・フランソワーズ」

 王女は、努めて明るい声を出して言った。

 ルイズはポケットから、アンリエッタにもらった水のルビーを取り出した。王女からは売ってよいと言われた品だが、こうして無事に帰ってこれた以上、やはり返却するのが筋だと思った。

「姫さま、これ、お返しします」

 しかし、アンリエッタはかぶりを振って、ルイズに言った。

「それはあなたが持っていなさいな。せめてものお礼です」

「こんな高価な品をいただくわけにはいきませんわ」

「忠誠には、報いるところがなければなりません。いいから、問っておきなさいな」

 王女の瞳に映る、強い意思を見取って、ルイズは頷いた。彼女は水のルビーを、自らの指に嵌めた。

 その様子を見て、才人はジーンズの後ろポケットに入っているある物の存在を思い出した。謁見待合室での別れ際に、アンリエッタに渡してほしい、と柳也から託されていた品だ。才人はそれを取り出すと、アンリエッタに見せた。

「お姫さま、これ……」

 才人が取り出したのは、ウェールズが指に嵌めていた風のルビーだった。アルビオンからの脱出の際に、柳也が皇太子の指から抜き取った物だ。

「これは、風のルビーではありませんか!」

 アンリエッタは目を大きく見開いて指輪を受け取った。隣に立つルイズも、驚いた表情を浮かべている。

「ウェールズ皇太子から、預かった物です」

「ウェールズさまから?」

「そうです。王子さまは、最後にこれを俺に託したんです。お姫さまに、渡してくれって」

 才人の言葉を聞いて、ルイズははっとなった。

 使い魔の少年は「最後に」と、口にしたが、ウェールズと最後に言葉を交わしたのは柳也だ。その柳也にしても、王子から指輪を託されるような時間はなかった。彼女は自分の使い魔が、アンリエッタを慰めるため嘘をついていることに気がついた。

 アンリエッタは掌の中の風のルビーをしばらく見つめ、やがて自らの左薬指に嵌めた。男のウェールズが嵌めていた物なので、彼女の細指にはゆるゆるだったが、アンリエッタが小さく呪文を呟くと、指輪のリングがすぼまり、ぴたりと収まった。

 アンリエッタは、風のルビーを愛しそうに撫でた。それから才人の方を向いて、はにかんだような笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。優しい使い魔さん」

 寂しく、悲しい笑みだった。しかし才人への感謝の念が篭もった笑顔だった。美人から向けられる笑みに慣れていない少年は、口の中で、いえ、その、ともごもご呟き俯いた。

「あの人は、勇敢に死んでいったと。そう言われましたね」

「はい。そうです」

 才人は顔を上げて頷いた。

「ならば、わたくしは……勇敢に生きてみようと思います」

 アンリエッタは、指に光る風のルビーを見つめながら言った。

 

 

 

 

 才人とルイズがアンリエッタの居室へと足を運んでいるちょうどその頃、謁見待合室の柳也とギーシュは、白熱した議論をぶつけ合っていた。

「……だからなぁ、ギーシュ君! 年上なのに保護欲を掻き立てる真那先生こそが、真のメインヒロインなんだ!」

「ハッ! ミスター・リュウヤは何も分かっていませんね? ロリッ娘、オッド・アイ、ギャップ萌えに軍人属性と、男心をくすぐる要素満点のラウラたんこそがメインヒロインでしょう!」

「いや、それはもういいから」

 二人の舌戦を隣で聞いていたマチルダが、呆れた口調で言った。

 二人がいったい何を話しているのか、異世界人のマチルダにはさっぱり分からなかったが、くだらない内容だろうとは予想がついた。なお、同じく異世界人であるはずのギーシュが、なぜあのライトノベルを知っているのか、とか突っ込んではいけない。絶対に、いけない。

「まぁ、出版社が同じだからかな?」

「……ギーシュ君、さすがにそれ以上は不味い」

「いえ、それ以上も何も、今回の話、最初からみなさんの会話は不味かったと思いますけど……」

 今度は柳也の対面に座るケティが苦笑混じりに呟く。

 二人のやり取りを聞いていたキュルケが、同意するように頷いた。

「まぁ、ISの話はこれぐらいにして……」

「おい、ギーシュ君。いくら出版社が同じだからといって、そこは伏せ字にしとこうぜ」

「ところでミスター・リュウヤ」

「無視かい。で、なんだ?」

「サイトが神剣士になったっていうのは本当ですか?」

 それまでのふざけた態度から一転、ギーシュは柳也に訊ねた。どうやら自分が眠っている間に、礼拝堂で起こった出来事について聞かされたらしい。己を見つめる弟子の眼差しは真剣だった。

 柳也は自らも表情を引き締め、質問に対して首肯した。

 続く彼の言葉は、何となく予想がついた。すなわち自分に対して、新たな鍛錬を求める声だろう。

 柳也はギーシュが、才人に対して深い友情と同時に、強いライバル心を抱えていることに気づいていた。そしてそれは、才人もまた同じだろう、と考えていた。

 平賀才人とギーシュ・ド・グラモンの二人は、生まれも育ちも違うばかりか、戦士としての適性もまるで正反対の二人だ。しかしそれだけに、自分になくて相手にはあるものへとつい目が向いてしまう。相手だけが持つものに対して、嫉妬心を覚えてしまう。

 いまのギーシュは、才人が永遠神剣を手に入れたと聞いて、友人が得た新たな力を羨ましく、そして妬ましく感じているのだろう。あるいは友情ゆえに、彼が力を得たことで自分一人だけが置いていかれたように感じているのかもしれない。柳也自身、身に覚えのある経験だ。というより、剣者ならば誰しもが一度は経験する感情だろう。昨日まで同格と思っていた相手に、追い越される焦燥感というものは。

 自身幾度となくそうした経験をしているだけに、柳也にはいまのギーシュの気持ちがよく分かった。

 ライバルと目している男に追い抜かれた。少しでも差を縮めるには、いままでの何倍、何十倍という努力が必要だ。これまでとは違った、新しい鍛錬が必要だ。そう考えているに違いない。

 ゆえに、彼は愛弟子が何か言葉を発する前に、先手を取って言う。

「何を考えているのかは大体察しがつく。だがな、ギーシュ君。きみはまだ稽古を始めて日が浅い。無理に背伸びをして新しい修行法に取り掛かるのは、かえってきみの足枷になりかねない。いまは地力をつけることだ。ワルキューレをもっと上手く使いこなせるようになることだ」

「……はい」

 ギーシュは甘い美貌に渋い表情を浮かべて頷いた。

 強さへの渇望を捨てきれないものの、柳也の言うことももっともだと、不承不承納得している様子だった。

 そんな弟子の姿を見て、柳也は、

 ――今度、以前から請われていた剣術を教えてみるか。

と、考えた。剣士としてのギーシュの腕前は未知数だが、それだけに、意外な結果を生むかもしれない。

「……ところでギーシュ君、実は俺からも、きみに話があるんだが」

「なんです? ……はっ、とうとうミスター・リュウヤも、ラウラたんの魅力に気がついて!」

「あの、ギーシュ様? その話はもう終わったんじゃぁ……」

「いや、俺は真那先生一筋だよ? そこは譲らないよ?」

「リュウヤ、あんたももうやめなよ」

 ケティとマチルダが溜め息混じりに呟いた。

 肩を落とす二人を見て、柳也は、なんでそんなに疲れているんだろう、と思いながらも、ギーシュとの会話を続けた。

「弟子のきみにこんなことを言うのは情けない話だが、すまないがちょっとカネを貸してくれないか?」

「お金ですか?」

 目の前で手を合わせて言った柳也に、ギーシュは目を丸くした。

 目の前の男が魔法学院に正式に努めるようになって僅かに数日、たしかに、いまだ給金は出ていないだろうが……。それにしても、異世界人の彼が、いったい何に使うつもりなのか。

「そんな大金じゃなくてもいいんだが」

「べつにいいですけど、何に使うんです?」

「いやなに、ちょいと服を買おうと思ってな」

「服を?」

「ああ」

 柳也は頷くと、いまだ血糊の付着したM-43フィールド・ジャケットを示して言った。

「さすがにこれだけの返り血を浴びては、な。洗濯しても取れんだろう。お気に入りの一張羅だが、新しいのを買おうと思ってな」

「……必要ない」

 そのとき、ケティの隣に座るタバサが、それまで読んでいた本を、パタン、と閉じて呟いた。どうやら本に目線を落としながらも、自分達の会話は聞こえていたらしい。読書の邪魔をしてしまったかと、少し反省する柳也達。

 タバサは目線を柳也の顔に合わせ、涼やかな声音で続けた。

「破壊の杖事件の後、あなたの左胸に表れた“守護者”のルーンについて調べてみた。その服は“守護者”の使い魔のあなたが、特殊能力で呼び出した鎧」

「ですから?」

「鎧は、使えば傷つく。傷ついた鎧を、あなたはどうする?」

「そりゃあ、損傷軽微ならば補修して、破損がどうしようもないときは新しく買い替える……って、まさか?」

 柳也の問いかけに、タバサは頷いた。

「あなたがもう一度、その服の綺麗な姿を思い浮かべれば、傷ついた服は再構成される。汚れも、落ちる。

 左胸のルーンに意識を集中させながら、イメージしてみて。その服の綺麗な姿を」

 言われた通り、柳也は左胸に刻まれたルーンの位置に手をやって、頭の中にM-43フィールド・ジャケットのデザインをイメージしてみた。

 するとどうしたことか、突然、彼の纏っていた軍服が淡い光を発し始めた。

 いったい何事か、と柳也自身が思う間もなく、まるで繭を形作るかのように、光の繊維が彼の体に絡みついた。これがタバサの言っていた再構成かと、おぼろに理解する。

 発光現象は一瞬の間に終息し、やがて現れたのは、ヨーロッパの風景に同化するオリーブ・ドラブのコンバット・スーツだった。返り血は、無論付着していない。血の臭いも、神剣士の嗅覚を刺激することはなかった。

 驚くべきことに、戦闘服からは汚ればかりか一切の傷が消えていた。魔法学院を出立する際にワルドのエア・ハンマーを受け止めて生じた袖口の痛みも消えている。新品同然の仕上がりだった。

「……スゲェな。よもやリアルに特撮ヒーローの変身を体験出来るとは!」

 柳也はやや興奮気味に呟いた。

 発光現象からの変身は、男児の永遠の憧れなのだ。

 ――たしか鎧は、俺の記憶から形作られる、って話だったな……ということは、イメージ次第で仮面ライダーやゴレンジャーの姿になることも出来るということか!?

「鎧の再構成は、それで終わり。だけど気をつけて。鎧の生成には、少なからず体力を使う。いくらあなたでも、一日に何度も生成するのは危険」

「まぁ、一日のうちのそんなに衣装替えをするのは、披露宴のときぐらいでしょう。……それにしても助かりました。これでギーシュ君に金を借りずにすんだ」

 到底堅気の人間には見えない凶悪な面魂に人懐っこい笑顔を浮かべて、柳也はタバサに礼を言った。

 「べつにいい」とだけ呟いて、タバサは再び目線を本に落とした。

 ちょうどそのとき、待合室の戸が開いて、才人とルイズが入ってきた。どうやらアンリエッタと謁見が済んだらしい。

 柳也は立ち上がると、才人に訊ねた。

「指輪は?」

「ちゃんと渡しました」

「そうか。すまないな。面倒な役目を押しつけて」

「いえ……たぶん、俺が柳也さんでも、同じように、指輪を抜き取って、渡したと思いますから」

 柳也はアンリエッタの美貌が悲しみに歪むところを想像し、一方で才人は、実際に悲しみにくれる王女の顔を思い出して、溜め息をついた。

 


  <あとがき>
 

 ちなみにどーでもいいことですが、タハ乱暴はシャルロッ党です。

 読者の皆様、おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。今回もゼロ魔刃をお読みいただきありがとうございました! 今回の話はいかがでしたでしょうか?

 今回の話では久々にメインのメンバーが登場しました。いやぁ、瞬に比べてなんと書きやすいこと。実は今回の話、本文だけで一万二〇〇〇文字あるんですが、実質四日で書き上げています。タハ乱暴的には異常なペースです。前回の瞬・ザ・ストーリーが、EPISODE:48、49合わせて六万字オーバーで、二ヶ月以上かかったのを考えると、怖いぐらいの順調ぶりでした。前回の三倍の速さです。よし、明日からはあずき色のシャツを着て出勤しよう……服装規定に引っかかるわ!

タハ乱暴’sシスター「第一、洗濯するのとアイロンかけるのが面倒臭いわ!」

 次回もお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜




柳也サイドに戻ってきて早速、中々に電波な会話を。
美姫 「柳也らしい……のかしら」
何はともあれ、ようやく帰って来たな。
美姫 「そうね。まあ、手放しで喜べない成果だったけれどね」
それでも一応、旅立ったメンバーは無事だったんだ。
美姫 「まあね。さて、無事に戻ってきた面々だけれど、次は何が起こるのかしらね」
気になる次回は……。
美姫 「この後すぐ!」



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