硬い、装甲のような鱗に覆われた皮膚を貫く手ごたえが、妙に心地よかった。

 そのまま相棒の永遠神剣を強引に振り下ろし、肉を断つ感触をひそかに楽しむ。

 袈裟斬り。

 右手一本からの斬撃にも拘らず、振り抜いた闇色の精霊光を纏う刀身は、防御のために掲げた盾ごと相手の肉体を斬割した。

 グェェーッ、という、爬虫類じみた悲鳴。

 返り血を嫌って素早く退くと、案の定、袈裟がけに刻まれた裂傷からは勢いよく血煙が噴出し、夥しい量の鮮血が、辺りの地面を汚した。

 そのまま膝を折り、倒れ込む。

 しばしの痙攣の後、異形の亜人はやがて動かなくなった。

 最後のリザードマンを斬り殺した瞬は、辺りに敵の気配がないことを認めると、ようやくダークフォトンの放出をやめた。

 〈誓い〉の剣身から闇色の光輝が消え、鮮やかすぎる真紅の輝きが戻る。何度も振るって、念入りに血振りをした。一見したところ装飾が過ぎる外見をした第五位の永遠神剣は、その奇妙な形状ゆえに、鞘を持たない。携行の際には、抜き身のまま佩刀するほかなく、さすがにリザードマンの血に濡れたまま腰に佩くのは躊躇われた。

 血振りを繰り返しながら、瞬は改めて自分の周囲を見回した。

 森を切り拓いて作ったと思しき空き地には、濃い死臭が漂っていた。

 二十坪ほどの空間に、リザードマン達の死体が折り重なって倒れている。死体の状態は様々だった。腕を失った者。胴体を真っ二つに切り裂かれた者。頭部をざくろのように粉砕され、首のない骸。果ては、一六十センチ足らずの小さな体を、二十個近い肉片に分割されて、事切れた死体……。その数、四十体は下るまい。処刑場での出来事を知って、援軍にかけつけたリザードマンをも、瞬は全滅させたのだった。

 翻って、彼が被った損害は皆無。

 有効打はおろか、かすり傷一つ負っていなかった。

 リザードマン単体の戦闘力は、有限世界で瞬が戦ったどのスピリットにも劣っていた。スピリットの数十〜数百倍の力を持っているのが、第五位〈誓い〉の神剣士、秋月瞬だ。リザードマン程度の力では、たとえ徒党を組んだところで敵ではなかった。

 ある程度、剣身から血を払った後、瞬は懐に左手を差し入れた。

 やわらかな手触りの手拭いを取り出し、赤い刀身を拭う。現代世界から持ち込んだタオルは、マイクロファイバー繊維で編まれており、一般に拭き取りにくいとされる血痕を、綺麗に取り除いてくれた。

 剣身の汚れを拭き取って、瞬は〈誓い〉をベルトのフックに引っ掛けた。

 抜き身の武器をそのまま腰から提げるなど、本来は危険極まりない行為だ。しかし、腰元の刀剣は永遠神剣。瞬が〈誓い〉の意思に反する行動を取らない限り、万が一にも、契約者の身体を傷つけることはないはずだった。

 瞬は処刑台の上で拘束されている童女を見た。

 返り血で頬を濡らす自分に見られて、恐怖心が込み上げてきたか、拘束されたままの彼女は、びくり、と肩を震わせた。

 処刑台に、誰かが駆け寄ってきた。日の光を浴びてきらきらと輝く金髪が特徴的な少女だった。先ほど、リザードマンとの戦いの中で、自分と目が合った娘だ。先刻は戦闘中ということもあって特に気に留めなかったが、童女の姉か、保護者のような立場の人間だろう。顔立ちから察するに、年齢は自分より二つ、三つ年下か。やや童顔な顔立ちの下、薄緑色のワンピースを押し上げる、圧倒的なボリュームの乳房が、アンバランスに見えた。

【うほっ、なかなかのボインちゃんじゃねぇか〜】

 頭の中に響く、〈誓い〉の下劣な声。

 わが相棒ながら、頭の痛くなる発言だ。

 〈誓い〉は高位の神剣にも拘らず、低位神剣並に己の欲望に素直な人格をしている。特にマナを求める食欲と、女を求める性欲は、契約者の瞬が辟易するほどだった。

 瞬は小さく溜め息をつきながら、胸の内で呟く。

 ――〈誓い〉、これだけは言っておくが……、

【あん?】

 ――胸の大きさ云々で女を語るな。むしろ、女の胸は控えめなぐらいの方がちょうどいい。……たとえば、そう、佳織のような!

【……なあ、契約者よぉ。俺ぁ、テメェのことを最高のパートナーだと思っているが、女の趣味だけは、ついていけねぇよ】

 瞬は真顔で愛する少女の、お世辞にもふくよかとは言い難いボディ・ラインを思い浮かべ、然る後ニヒルに笑った。

 どこからか、「瞬、その発言は駄目ぇ! お前のイメージが崩れるから! そげぶ、は駄目ぇ!」と、この場にはいないはずの柳也の声が聞こえてきた。

 気を取り直して、瞬は拘束台の上の童女達を見た。何か、動物の皮から作ったと思しき拘束バンドを、金髪の少女がナイフで切断しようとしている。しかし、皮に残っている脂のせいか、なかなか上手くいかない様子だ。

 これも、情報を得るためか。

 瞬は再度小さく溜め息をつきながら、拘束台へと近づいた。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:47「the bloody blade and want to tell my feel」

 

 

 

 ティファニアがエマを拘束台から引き離すべく四苦八苦していると、背後から声をかけられた。

「ハヌゥ、シノン(どけ)

 高圧的な声。

 耳慣れぬ発音に、ティファニアが怪訝な顔をしながら振り返ると、そこには赤い瞳の青年が、難しい顔をして立っていた。

 「え?」と、ティファニアは思わず訊き返した。

 知らない発音に、聞いたことない単語の配列。いったい、彼は何と言ったのか。あるいは、エマの解放に集中するあまり、彼の言葉を聞き逃してしまったか。

 ティファニアは困惑した表情で、青年の赤い眼差しを見つめ返した。

「ライ、スング、セム、ハヌゥ、シノン(どけ、と言っているんだ)

 望んだ反応が返ってこなかったのか。赤い瞳の青年は、苛立った声で言った。

 今度は、聞き間違いではない。

 やはり、知らない言語だった。

「え? ええと……」

 ティファニアはますます混乱した様子で、困惑した視線を青年に向けた。

 ハルケギニアに存在するすべての国家は、統一言語を採用することで意思疎通の不便をなくしている。だから、こちらの言葉が相手に通じない、逆に相手の言葉がこちらに通じない、といった事態は、まずありえない。

 それが、起きているということは――――――、

 ――まさか、この人……人間に見えるけど、実は亜人!?

 エマを襲ったリザードマンや、オーク鬼、サイクロプスといった亜人種達。それぞれ多種多様な能力を持つ彼らだが、共通しているのは高い知能を持っているということだ。亜人種の中には独自の言葉を持ち、文字の文化を持っている種族も少なくないという。

 一見、人間に見える彼も、実は亜人だとすれば、言葉が通じないのにも、納得がいく。

 亜人達には、人間が使う統一言語も、関係ないのだから。

「……ラーリク、デ、レンス、ラ、ミスィーハ、セィン、ヨテト、ユキレイ(……やはり、通じないか)

 赤い瞳の青年が、舌打ちをした。

 どうやら、自分が言葉を理解出来ていないことに気付いたらしい。

 それからは青年は右手をティファニアの前に掲げた。

 手首のスナップを利かせて、掌を振った。自分に対して、どけ、と言わんばかりの仕草だった。

 ティファニアは、はっ、として、彼に道を譲った。

 処刑台の前に立った青年は、右手で、エマの五体を縛る拘束具に触れた。オオカミ皮のバンド。童女の細く、小さな両手両足と、胴体をきつすぎる締め付けで拘束していた。

 青年の右手が、闇色の光輝を放った。いまは彼の腰元にある赤い刀剣が、先刻の戦いの中で放っていたのと、同種の光だった。

 青年はエマの左手首を拘束するバンドに触れた。

 たちまち、オオカミの皮から作った拘束具が焼き切れ、童女の左手が自由になった。

 ついで青年は右手、胴体、両足の順に、次々拘束具を焼き切っていった。

「お姉ちゃん!」

 拘束から解放され、死の恐怖からも解放されたエマは、自由を取り戻すや、かたわらのティファニアに飛びついた。その瞳には、大粒の涙が光っている。

 ティファニアは、そんなエマを優しく抱きとめた。

 彼女が少しでも安心出来るようにと、両腕を背中に回し、強く抱きしめる。

 頭を、背を、優しく、何度も撫でさすった。

 辛かっただろう。

 心細かっただろう。

 でも、もう、大丈夫。

 恐い時間は、過ぎ去ったから。

 私が、ここにいるから。

 もう、あなたは、一人じゃないから。

 だから、もう、あなたは怖がらなくていいの。

 大好きな少女の匂いとぬくもりを感じて、ようやく安堵したか、エマは流れ出る涙を拭いもせず、わんわん、泣き続けた。「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と、何度も彼女を呼び、彼女の存在を求めた。

 その一方でティファニアもまた、エマの名を呼び、彼女の存在を求めた。

 エマにとってティファニアが大好きな姉なら、彼女にとっても、自分のためにいちご狩りに出かけたこの少女は大切な、妹のような存在だ。

 彼女の無事な姿を見て。涙声とはいえ、彼女の元気な声を聴いて。

 ティファニアの目尻にも、安堵から小さな雫が浮き出ていた。

 ティファニアは、エマを抱きしめながら、赤い瞳の青年を見た。

 彼のおかげで、エマの命が助かった。彼がいなかったら、妹分は今頃、リザードマン達に食べられていたかもしれない。

 お礼を言わなければ、とティファニアは思った。

 けれど、どうすれば感謝の気持ちが伝わるだろう、とも思う。

 相手はどうやら亜人種らしく、こちらの言葉が通じないようなのだから。

「あの、その……あ、ありがとうございます!」

 しばし悩んだ末に、ティファニアは、とりあえず統一言語で口にしてみた。

 はたして、レスポンスは無言という返答。やはり、普段から使っている言語が違うらしく、こちらの意図は伝わっていない様子だった。

 さてどうしたものか、とティファニアはエマを抱きしめながら溜め息をついた。

 

 

 さてどうしたものか、と思い悩むのは、ティファニアばかりではなかった。

 彼女の目の前に立つ瞬もまた、同じことで頭を悩ませていた。

 有限世界に召喚されたときの経験から、言葉の伝わらない問題については、あらかじめ予想されたことだった。だから、意思疎通の不便はある程度覚悟した上で、彼はエマ達との接触を図った。とはいえ、互いの意思疎通が思うようにいかないというのは、やはり大きなストレッサ―だ。

 ――やはり、当面の課題は言語の習得だな。

 と、瞬は改めてその思いを強くする。

 理想は、現代世界における英語や、仏語に相当するような、人口に広く膾炙した言語を学ぶことだ。この世界にいったい、いくつの言語があるのか知らないが、今後の情報収集を円滑に進めるためにも、最初に学ぶのがマイナーな言語というのは避けたい。

 その意味でも、目の前の二人は貴重な情報源だ。

 目の前で抱き合う二人の少女は、まだ若い。よほど世間に背を向けたひねくれ者でない限り、村や、町といった社会集団の中で暮らしていることだろう。とすれば、彼女達が使っている言語は、それなりの数の人間が、それなりの範囲で使っていると考えられる。

 彼女達の使っている言語を学べば、最低でもその村や町の中では、意思疎通に困ることはないはずだ。

 なんとか彼女達の生活圏まで足を運びたいところだが、さて、自分の意思を伝えるためには、どうするべきだろうか。

 こればかりは、有限世界での経験は活かせない。かつてサーギオスに召喚されたときは、異世界から〈誓い〉の契約者がやって来たと、向こうの方から接触してきた。勝手に歓迎してくれたし、言語についても、向こうが勝手に教えてくれた。

 いまにして思えば、異世界とはいえ、有限世界は楽園だった。

 あらゆる物事が自分の都合の良い方へと動き、まるで図ったかのように、自分にとって理想的な結果がいつも得られた。

 しかし、この世界は違う。

 常に自分に優しかった有限世界とは、違う。

 目の前の少女達からすれば、己は抜き身の凶器を腰からぶら提げた、得体の知れない人間だ。しかも、言葉が通じないときている。

 いくら危ないところを助けてもらった身とはいえ、そんな男を、自分達の生活圏に招くのは抵抗があるだろう。最悪、あの赤い刀剣が、自分達の村や、町に向けて振り下ろされるかもしれないのだ。向こうからアプローチしてくるような都合の良い事態は、まず起こるまい。

 とすれば、自分から行動する他ない。

 彼女達の暮らす場所へ同行したい旨を、どうにかして伝えなければ。

【ンなメンドクセーことせずによぉ、この二人が帰るのを、こっそり尾行すりゃいいんじゃねぇの?】

 頭の中に、〈誓い〉の思慮浅い声が響いた。

 馬鹿が……、と口の中で呟きつつ、瞬は応じる。

 ――〈誓い〉、僕たちがこの世界にやって来た目的は何だ?

【お前のダチの、桜坂柳也を連れ帰ることだろ? それぐらい、分かってらぁ】

 憮然とした声。

 瞬から、馬鹿呼ばわりされたことが、相当頭にきたか、言葉には明確な怒りの感情が載っていた。 

 対して瞬は、冷然とした態度で言う。

 ――そうだ。そして、その目的を遂げるためには、この世界の言語の習得は必要不可欠だ。

 直接、自分の足で柳也を探すにせよ、倉橋時深の言っていたティファニアを探すにせよ、言語の習得は必須条件だ。

 そして古来より、異文化の言葉を学ぶいちばんの方法は決まっている。とにかく、学びたい言葉を耳で聴くことだ。

 赤ん坊が言葉を習得するプロセスと一緒だ。生まれたばかりの赤ん坊は、誰に教わるでもなく、自然と言葉を習得していく。これは赤ん坊が、周囲の大人たちが話す言葉を聴いて、覚えているからだ。

 それまで英語をまったく理解出来なかった人間が、ホームステイなどで英語だらけの環境に放り込まれると、まるで母国語のように習得して帰ってくることがある。これも、赤ん坊の頃から人間が持っている、言語習得の能力がはたらいたからに他ならない。

 ――この二人を尾行すれば、確かにこいつらの生活圏には辿り着けるだろう。だが、そんなストーカーまがいの行動を取った男を、常識的に考えて、信用してくれると思うか? この二人の生活圏が村であれ、町であれ、ほぼ確実に、追い出されることになる。

 村から追い出されれば、必然、学びたいと思う言語を耳にする機会からは遠ざかることになる。

 次にいつ人と会えるかが分からない現状だ。そんな事態は、絶対に避けたかった。

 ――出来るだけ穏便に、この二人を助けたという立場を崩すことなく、こいつらの生活圏に行く必要がある。

【メンドクセーなぁ……】

 瞬に諭されて、ようやく得心したか。

 しかし苛立った様子で、〈誓い〉はぼやいた。

【穏便に、友好的に、信頼関係を築きつつ……メンドクセーことこの上ねぇ。ンなこと、いちいち考えてたら、頭がどうにかなっちまうぜ】

 ――深く考えるだけの頭もないくせに、よく言う。

 呆れたように呟いて、瞬は腰から提げた〈誓い〉の柄に手を添えた。

 意識を神剣に集中し、視覚、聴覚といった感覚野を拡大する。

 一人悶々鬱々と頭を悩ませていても、状況は変わらない。ならば、少しでも現状を変えられる材料はないか、その探索のに努めるべきだ。

 どんな些細な出来事でも構わない。何か、二進も三進もいかないこの現状を変える、きっかけになるような事象はあるまいか。

 瞬は神剣の力で強化した五感をもって、処刑場の周辺を走査した。

 〈誓い〉は、感覚器官の強化に特別優れた神剣ではないが、なんといってもその位階は第五位だ。意識を集中することで、瞬は半径二十キロメートル圏内の様々な情報を得ることが出来た。

 ――どうせ木に阻まれて、視野には限界がある。聴覚と嗅覚の強化に集中しろ。

【あいよ、相棒】

 ――雑音のカットを忘れるなよ。

【……いちいち注文が細かいなぁ、俺の契約者様は】

 ぼやき声とともに、高いところからガラスを落としたような、ひび割れた金属音が頭の中に響いた。

 お馴染みの音だ。

 永遠神剣が、その超常の力を解き放つときの、合図。

 瞬間、それまでは聞こえなかった様々な音が、瞬の耳膜を激しく揺さぶった。

 己の体内で脈打つ心臓。目の前の二人の息遣い。緩やかに流れる風。それに撫でられる草木のささやき。草花を踏む、複数の足音。

 ……足音?

 瞬は切れ長の双眸で周囲の森を注意深く見回した。

 四方を囲む森の其処彼処から、ひたりひたり、と忍び足特有の足音が聞こえてきた。いや足音ばかりではなく、森の中からは、不自然に激しい心音や、緊張を孕んだ息遣いまでもが聞こえてきた。

 間違いない。森の中に、何者かが潜んでいる。それも複数。おそらくは、先ほど戦ったトカゲの怪物の仲間だろう。耳朶を叩く脈音や息遣いはいずれも、人間とほぼ同サイズの大型動物にしか発しえないものだ。どうやら森の中に身を潜め、こちらの様子を窺っているらしい。

 瞬はつい先刻の戦いの様相を思い浮かべた。

 彼が処刑場に駆けつけた当初、空き地に怪物は二十体しかいなかった。しかし、その後の来援に次ぐ来援により、敵の数はどんどん増えていった。どうやらトカゲ頭の怪物は群れ意識がかなり強い動物らしく、仲間の窮地を放ってはおけなかったらしい。最終的に瞬が撃破した怪物の数は、四十体以上に膨れ上がった。

 斯様に群れ意識の強いトカゲ頭の怪物のことだ。いま、森の中に潜んでいる彼らも、集団の危機を察して急遽駆けつけてきた連中だろう、と瞬は推測した。

 同時に彼は、そんな群れ意識の強い怪物どもが、なぜ森の中で息を潜めるばかりで自分に襲いかかってこないのか、その理由についても考えを巡らす。

 それらしい解答には、すぐに行き着いた。

 ポイントは、怪物どもがこの場にやって来たタイミングだ。

 次々と屠られる仲間達の窮地を救うべく処刑場に到着した怪物どもだったが、おそらく、彼らが駆けつけた時点で、すでに戦いの帰趨は決していたのだろう。自分と〈誓い〉の圧倒的な戦力を見た連中は、数を頼んだ正面からの力押しでは太刀打ち出来ないと判じたに違いない。ゆえに、仲間意識の強い彼らをして、森の中から好機を窺うといった行動に走ったと思われた。

 ――使えるな……。

 周辺に潜む剣呑なる手合いの気配を察した瞬は、むしろほくそ笑んだ。

 腰元の〈誓い〉に目線を落とし、残忍に嗤う。

 ――〈誓い〉、お前の力で、周辺に潜んでいる化け物どもの精神に干渉しろ。

 瞬は〈誓い〉に向けて命令を発した。

 直後、耳の奥で、またひび割れた金属音が響いた。相棒の永遠神剣が打った、了解の返信だった。

 有限世界の伝説に登場する四神剣は、そのすべてが、大なり小なり人心操作の能力を持っている。ここでいう人心操作とは、契約者の精神に干渉する強制力とは別物で、すなわち、契約者以外の他者の精神にはたらく能力のことをいった。高位神剣ともなれば、契約者以外の生物の精神に干渉するのは難しいことではなく、むしろ持っていて当たり前の能力の一つだといえた。

 瞬の持つ〈誓い〉は、四神剣中最も強力な人心操作能力を持つ神剣だった。その能力は出力、射程、干渉可能な人間の数のすべてにおいて、他の神剣よりもずば抜けていた。〈誓い〉は契約者不在のときでさえ、大陸最南端のサーギオスにいながら、最北のラキオスにいる人間の精神に影響を及ぼすことが出来た。両都市を隔てる距離はおよそ一〇〇〇キロメートルある。瞬と出会ってからは一層能力に磨きをかけ、いまや〈誓い〉は、同時に十万人の精神に干渉することが出来た。

 〈誓い〉の人心操作能力は、異世界の幻想動物相手でも如何なく発揮された。

 瞬は自らの掌中に、異形の怪物達の精神を感じ取った。勿論、心とは観念論的な形而上の存在であり、形として目に見えるものではない。だから、実際に彼の手が何かを握っているわけではない。あくまでも、そう“感じる”だけだった。

 しかし、その感覚こそが、森の中に潜む怪物どもの心を掌握した証だと、瞬は経験則から確信していた。彼はこれまでにも幾度となく〈誓い〉の人心操作能力を使い、何千人もの人間を己の意のままに支配してきた。

 人心操作の能力は、絵画の制作に似ている。

 心というカンバスに、自分の好きな色を落とし込むことで作品を完成させる。

 相手の心を、自分の思う通りの色で、染めてやるのだ。

 瞬はまず、左翼側に潜む三体の精神にはたらきかけた。

 自分の隙を待つ、という忍耐の精神と冷静さを白色で塗り潰し、その上から、新たな色を落とし込む。いまにも森から飛び出して自分達に襲いかかりたい気持ちになるよう、憎悪を掻き立て、復讐心を増幅させる。

 ――憎め! 目の前の男は、お前達の敵だ。お前達の仲間を屠った、憎き敵だ! 仲間達の仇を取りたいだろう? 仇を取りたいと思うのなら、奴に、飛びかかれ! 奴を殺せ!

 瞬は怪物達の精神に、そう囁きかけた。

 忍従の心に加えて冷静さを奪われたトカゲ頭の亜人達は、瞬の言葉にあっさり従った。

 それまでの待ちの姿勢を捨てて、森の中から、三体の怪物が飛び出した。

 

 

 言葉の通じない相手に、自分の気持ちを伝えるにはどうすればよいのか。

 そのことでティファニアが思い悩んでいると、突然、森の中からリザードマンが飛び出してきた。

 数は三体。全員が、ぎょろり、とした目を血走らせ、手にした白刃を剣呑に光らせながら、ティファニア達を目指して猛然と駆け寄ってくる。一般に知能が高いとされるこの亜人にしては珍しく、疾走する三体の間に連携は見られない。各々が雄叫びを上げながら、遮二無二突撃してきた。

 突然の事態に狼狽しながらも、ティファニアは状況の把握に努めた。

 自分達の立つ位置と、亜人達との距離とを目測し、その間合いが煮詰まるまでのおおよその時間を素早く計算する。

 はたして、リザードマン達が肉迫してくるまで数秒の猶予しかないと判じたティファニアは、咄嗟にかたわらのエマに覆いかぶさった。

 愛おしい妹分を守るべく、強く、小さな身体を抱きしめる。

 ティファニアには、他人には公言することの憚られる特殊な“力”があった。その“力”を駆使すれば、いかなリザードマンといえど僅かに三体ぽっち、無力化するのはそう難しいことではないはずだった。

 しかし、彼女の“能力”には強力な分、二つばかり弱点があった。

 一つは、“能力”を発動させるには極めて高い集中を要することであり、もう一つは、“能力”の発動までにいくらかの時間を必要とすることだった。

 この二つの弱点ゆえに、ティファニアの“能力”は相手との距離が十分離れていなければ使えないという、実用上の制限があった。

 リザードマンが自分達に襲いかかるまで、予想される時間は僅かに数秒。能力の発動は、とてもではないが間に合いそうになかった。

 かといって、逃げることも難しいだろう。もとより、人間とリザードマンとでは、運動能力にかなりの差がある。自分一人であればまだしも、エマを連れている状態では、僅か数秒で詰められる距離はアドバンテージとはなりえない。

 対抗する術はなく、逃げおおす成算もない。

 ティファニアに出来ることといえば、大切な妹分を抱きしめるぐらいしかなかった。

 エマを抱きながら、ティファニアはリザードマン達を睨みつけた。

 迫りくる亜人達は、絶叫しつつ歯を剥き出しにし、涎を垂らしながら、身幅の広い湾刀を振りかぶった。

 そのとき、ティファニアの視界の端で、黒い布地が翩翻と翻った。

 漆黒の外套。

 あの赤い瞳の青年が纏っていた物だ、とおぼろに思った。

 赤い瞳の青年は、ティファニア達に背を向ける形で、リザードマンらとの間に割り込んだ。

 まるで、向かってくるリザードマンから自分達を守ろうとしているかのような立ち振る舞いだった。

 青年の右手から、赤い光線が飛び出した。

 毒々しいほどに赤い刀身が、人間の動体視力では到底補足出来ない速さで宙を舞う。

 真紅の光線は、刹那の一瞬、空中で踊り狂った後、青年の手元へと飛び込んでいった。

 瞬間、先頭を走っていたリザードマンが、青年まであと六歩の距離で、突如として失速した。

 そうかと思うと、リザードマンの胴から凄まじい量の血が噴き出し、どおっ、とその場に倒れ込んだ。

 しばしの痙攣の後、ぴたり、と震えが止まる。

 リザードマンは、狂気に充血した眼窩を、かっ、と見開いたまま、絶命した。

 一瞬たりとも間を置かず、さらなる血煙が、ティファニアの視界で噴水の如く躍った。

 続く二体のリザードマンもまた胴を斬割され、その場にへたり込み、やがて動かなくなった。

 後続のリザードマンと青年との距離は、四間以上の間合いを隔てていた。

 ティファニアの表情が、驚愕から凍りついた。

 まさか、あの一瞬で、三体同時に斬り捨てたというのか。それも、数歩分の距離を隔てながら。

 一見した限り、青年の持つ赤い刀剣は全長が約一メイルといったところだろう。短くはないが、そうかといって特別長大というわけでもない。この剣で、四間以上離れた敵を一刀の下斬割するためには、よほど深く踏み込む必要があるはずだった。

 しかし、ティファニアが後ろから見ていた限り、青年はその場から一歩たりとも動かなかった。

 リザードマン達を斬り捨てる際に、踏み込みの動作をまったく取らなかった。

 その事実が、示すことは―――――、

 ――まさか、剣圧だけで、リザードマンを倒したというの!?

 大気中で何か物体が運動すれば、必然、大なり小なりの空気の流れが生じる。

 空気の流れとは、すなわち、風だ。

 目の前の青年は、斬撃の刃風をぶつけることで三体のリザードマンを撃破したというのか。

 もしだとすればいったい、どれほどの速さで剣を振るったというのか。

 いやそもそも、そんな速さで剣を振り抜くことが、人間に可能なのか。

 ――この人、やっぱり亜人なのかしら……?

 限りなく人間に近い姿をした亜人種。

 かたわらのエマを強く抱きしめながら、ティファニアは驚愕と困惑が共存する眼差しを黒い背中に注いだ。

「ハテス、ラレーネ(逃げるぞ)

 青年が、背中を向けたまま言い放った。

 有無を言わさぬ、強い語気。何を言っているのか、その言葉を理解することは出来なかったが、なんとなく、何か命令しているように思った。

「ハテス、ラレーネ(逃げるぞ)

 青年が、また口を開いた。

 先ほどと、まったく同じ語調、同じ発音の単語。

 肩越しに振り向いた彼は、森の奥を顎でしゃくった。

 ティファニアの顔が、はっ、と硬化した。青年に向けて、しきりに頷く。

 やはり、彼の言葉は理解出来なかったが、彼の意図は、察せられた。

「エマ、立って。……ここから逃げましょう」

 ティファニアは腕の中のエマの耳元で囁いた。

 見上げてくるエマは、「でも……」と、口を開く。小鹿のように大きな瞳は、不安に揺れていた。

「でも、森の中にはリザードマン達が……」

「大丈夫よ」

 ティファニアは大切な妹分の少女に、優しく微笑みかけた。

 それから、自分達を守ってくれた黒い背中に、頼もしげな視線を注いだ。

 青年は、もうこちらを振り向いていなかった。

「彼が、守ってくれるみたいだから」

 ティファニアが呟いたとき、森の中から新手のリザードマンが飛び出してきた。

 今度は二体。先の三体と同様、自分達を狙って真っ直ぐ疾駆する。

 青年の手元から、また、赤い光線が迸った。

 

 

 凶暴な怪物達が跳梁跋扈する森の中を、通らなければ自宅に帰ることの出来ない、二人の少女がいる。どちらも年若い、怪物への対抗手段を持たない娘だ。そんな彼女達が、自宅へと安全に辿り着くためには、誰かがその帰途を護衛してやる必要がある。それも人間の数倍の膂力を誇る怪物達を追い払えるだけの実力を備えた、誰かが……。

 かくして、二人の護送という大義名分を得た瞬は、森の中を駆ける彼女達の後ろ姿を堂々追いかけた。

 その帰路は、道中幾度もトカゲ頭の怪物に襲われては、瞬がそれを撃退するという、剣呑な匂いのするものとなった。

 勿論、襲ってくる怪物はすべて、〈誓い〉の人心操作能力を駆使して、わざとそう仕向けさせた連中だ。

 瞬は彼らを操ることで危機的状況を演出し、自らは少女達を守るために怪物達を払いのけるヒーローとしての役割を演じた。そうすることで少女達の信頼を得つつ、彼女達の生活圏まで着いていこうと考えたのだ。

 先にも述べたように、氏素性の知れぬ自分がこっそり後を尾行すれば、怪しまれるのは必至だ。しかし、二人を守るナイトならば、後を追っても不自然ではない。そう考えた瞬は、トカゲ頭の怪物達の精神を操作し、護衛の必要な状況を作り出した。

 ――柳也の奴なら、この作戦をなんて名づけるかな……?

 背後より殺到した二体の怪物を一刀の下に斬り捨てつつ、瞬は、いまはそばにいない親友のことを思い出す。

 ミリタリー・オタクの親友は、およそ作戦と呼べるような案件にはコードネームを付けるべし、という妙な哲学を抱いている。さて、あの男ならば、自分の思いついたこの作戦に、いったいどんな名前を付けるだろうか。

 ――ザラブ星人作戦、だろうな。

 ハンド・アックスの二刀流という奇妙な戦法で挑みかかってくる正面の敵を斧ごと斬割して、瞬は思わず苦笑した。

 桜坂柳也という男は多趣味な人間で、ミリタリー以外にもSFや空想科学特撮といったジャンルも好む。他方、瞬はSFも空想科学特撮にも興味のない人間だったが、親友の勧めで、いくつかの作品を読み、また視聴したことがあった。そうした作品群の中に、『ウルトラマン』という、日本の空想科学特撮を語る上で、決してはずせないテレビドラマがあった。

 M78星雲は光の国からやって来たこの宇宙人は、怪獣や異星人といった様々な侵略者と死闘を繰り広げた。

 ザラブ星人は、ウルトラマンが戦った宇宙人の一人で、戦闘能力よりも知略に長けた狡猾な侵略者だった。

 ザラブ星人の企てた侵略計画の概要は、人類の守護者たるウルトラマンの信用を失墜させ、逆に自らは地球人類からの信頼を得る、というものだった。初めて地球に来訪したとき、ザラブ星人は人類に対して友好的な態度を取りながら接近。持ち前の超科学を駆使して地球を覆う放射能の霧を除去し、軌道の狂った土星探査ロケットを地球に誘導するなどして、徐々に人類からの信用を得ていく。またその過程で、ウルトラマンは地球制圧を目論む侵略者だと諫言。ウルトラマンに変身するハヤタ隊員を拉致して身動きの取れない状態にすると、ウルトラマンに化けて街を破壊し、彼の信用失墜にと動く。

 しかし、ここで思わぬアクシデントが発生した。防衛チーム科学特捜隊の隊員たちと仲の良いホシノ少年がハヤタを救出し、本物のウルトラマン登場と相成ったのである。かくして、夜の街を舞台に本物のウルトラマンと、偽者のウルトラマンが激突することとなった。結果は勿論、本物のウルトラマンが勝利した。

 結果的にザラブ星人の侵略作戦は失敗に終わったが、ミリタリー・オタクの柳也は、このエピソードを「なかなか完成度の高い軍事作戦だ」と、評していた。

「離間の計は、三国志の赤壁の戦いでも実施された、数ある計略の中でも特に効果的なものの一つだ。呉の策略に嵌まった曹操は、自軍の有力な水軍司令官を二人も、自ら処断している。このことが、後の赤壁で魏が大敗する原因の一つとなった。

 それから、侵略先の現地人の信用を得ることは、外征作戦を実施する上では絶対に押さえておきたいポイントだ。古今東西の戦史で、外征作戦に失敗した軍隊は、たいてい現地住民の懐柔に失敗している。戦闘では勝利を収めたが、その後の占領や統治の段階で失敗するってパターンもある。アフガンやイラクでのアメリカがそれだな。

 ザラブ星人の侵略計画は、着想自体は良かった。持ち前の超科学を駆使することで人類からの信頼を得、その上で、地球征服最大の障害となるウルトラマンと人類を切り離そうとした。シンプルで、良い作戦だ。本物のウルトラマンに登場されては不味いと、破壊工作の前にハヤタを拉致したのもポイント高し、だ。

 難点を挙げるなら、ハヤタの扱いについてだな。拉致監禁という中途半端な処置ではなく、なぜ、ハヤタを殺さなかったのか。監禁に留めるにしても、場所の選別にもっと工夫をするべきだった。それから、ハヤタとの繋がりが深い科学特捜隊の面々やホシノ少年の動向についても、もっと注意するべきだった」

 柳也はそこまで語ってから、「まぁ……」と、続けた。

「まぁ、『ウルトラマン』って作品を軍事面から見るのはタブーだから、いま言ったのは、所詮、軍オタのたわ言にすぎねぇけど」

「タブー?」

「『ウルトラマン』でメインシナリオライターを務めた金城哲夫がな、ウルトラマンを、人類に代わって怪獣を殺す戦争代理人にはしたくない、って言っていてな。実際、『ウルトラマン』よりも軍事色の強かった続編の『ウルトラセブン』じゃ、金城さん、あんま熱が入らなかったみたいだし……だから、俺ン中では、『ウルトラマン』を軍事面から見るのは、背徳的な遊びなのよ」

 わざわざ自分の家に押しかけて、五十インチの大画面で存分にDVDを楽しんだ後、柳也は苦笑しながらそう言った。

 ヒーローを演じる、という意味では、自分の作戦はザラブ星人が企てたものと同種の計略だ。

 ミリタリー・オタクでSF好きのあの男ならきっと、茶目っ気たっぷりに自分の作戦をそう名付けるだろう、と瞬は思った。本性を偽っているという意味でも、いまの自分には、ぴったりの作戦名だと思った。

 瞬達が処刑場を後にしてから、四半刻あまりが経とうとしていた。

 森の中の追いかけっこは、まだ続いている。

 背後より迫りくる追っ手の群れを次々斬り捨てながら、瞬の赤い瞳は上を睨んだ。複雑に絡み合う枝葉が織りなす網の隙間から、雲一つない快晴の空が見えた。蒼空には、一条の煙が薄っすらと昇っている。その光景を見て、瞬は〈誓い〉に嗅覚を強化するよう命じた。

 ものの煮える美味そうな匂いが、整った鼻梁を優しく撫でさすった。

 瞬の口元に、自然冷笑が浮かぶ。

 天へと昇る煙に、食欲中枢を刺激する飯の匂い。人間の生活圏が近い証拠だ。煙の高さから判じるに、火元は現在地から一キロと離れてはいまい。

 苦慮の末に考え付いたザラブ星人作戦も、いよいよ終わりのときが見えてきた。

【お、契約者よ、ようやくゴールが見えてきたか?】

 ――みたいだな。……それでも、このペースではあと十分前後といったところか。

 一度は浮かべた冷笑を引っ込めて、瞬は渋い面持ちで小さく嘆息する。

 小柄な少女二人――それも片方は十歳にも満たない童女――の歩幅に合わせての行軍だ。歩くよりもいくらか速い程度のペースでは、まだまだ時間がかかりそうだった。

 追っ手を切り払いながらの逃走とはいえ、神剣士の自分にとって、三十分程度の駆け足は大した疲労をもたらさない。

 しかし、肉体の疲労と、精神的な疲労は別だ。

 自ら考案した作戦とはいえ、お荷物でしかない二人を守りながら、ごみ同然の怪物ども追い払いつつ森の中を駆け抜ける……なかなかに神経をすり減らす作業だ。これがあと十分も続くかと思うと、自然と溜め息がこぼれてしまう。

【なぁ、契約者よぉ】

 頭の中に、〈誓い〉の声が響いた。

 軽薄な物言いが常のこの真剣にしては珍しい、思慮深さをたたえた声音。何か考えあっての発言のようだが。

【火元の位置が分かったんなら、こんなチンタラ走らずに、テメェがあの二人抱えて走った方が速くないか?】

 〈誓い〉からの提案は、非常にシンプルなものだった。

 しかしながら、なるほど、と瞬は頷く。

 〈誓い〉は特別身体能力の強化に優れた神剣ではない。しかし、なんといってもその位階は第五位。そんな〈誓い〉と契約を交わした自分の運動能力は、ノーマルな人間では比べ物にならぬほど高い水準にあった。一キロ程度の距離ならば、二十秒とかけずに踏破出来るだろう。

 よし、と頷いて、瞬は先頭を進む少女達の背中を見た。

 妹分と思しき童女の手を、金髪の少女が引いている。童女の方はなんとか姉の歩調に合わせようと懸命に足を動かしているが、逆に姉がさり気なく妹分に歩調を合わせるという体たらくだった。あれでは、速度は一向に上がるまい。

 瞬は抜き身の〈誓い〉をベルトのフックに引っ掛けた。

 両腕を広げながら地面を蹴る

 前を行く二人との距離が、一瞬で詰まった。

 次の瞬間、瞬は両腕に、二つの温もりを抱いた。

 

 

 自分の身にいったい何が起こったのか。あまりにも突然の事態に、ティファニアは一瞬、わけが分からなくなってしまった。

 赤い瞳の青年に守られながら、エマの手を引き森の中を逃げること四半刻。ようやく、ウエストウッド村から昇る煙が視界に映じたとき、突然、背後から一陣の突風が吹き抜けた。

 そうかと思うと、何か巨大な力が強引に自分とエマを引き離し、突風とともに二人の身体をさらっていった。

 巨大な力ががっちり四肢を拘束し、二人を、無理矢理どこかに運ぼうとする。

 突然の事態にティファニアは慌て、拘束に抗おうと必死にもがいた。

 が、すぐに抵抗をやめた。

 抵抗の必要はないと、すぐに分かったためだ。

 突風の正体は、赤い瞳の青年だった。青年は左右の腕で自分とエマを抱え持つと、物凄い速さで森を疾駆した。迷いのない、力強い歩み。どうやらこの青年も、蒼空にたなびく糸のような煙を見て、村の位置を察したらしかった。自分とエマの遅々とした歩みを見て、この方が速いと、斯様な行動を取ったに違いなかった。

 実際、青年の疾走は速かった。

 自分とエマ。小柄な女の身と子どもとはいえ、人間二人を両腕に抱え持ちながら、青年はティファニアの知る何者よりも速く森の中を駆け抜けた。

 馬よりも速く。

 風よりも速く。

 人間の数倍の脚力を誇るリザードマンがぐんぐん引き離され、あっという間に見えなくなる。

 青年の、細身だが引き締まった腕の中で、ティファニアはまるで空を飛んでいるようだ、と感じた。

 流れていく緑。

 迫る地面。

 そして、顔を叩く風。

 前後左右。あらゆる向きから、全身をなぶる風。

 凶暴な風だ。

 ティファニアが、生まれて初めて感じる、目に見えない脅威だった。

 青年のスピードがあまりにも速すぎるために、空気のカーテンが分厚い壁となって、行く手を遮ろうとする。

 しかし、ティファニア達を抱える彼は、空気の壁など意にも介さない。

 風の抵抗が強くなれば強くなるほど、一層力強く脚を動かし、前へと進んだ。

 青年の腕の中で、ティファニアは彼の顔を見上げた。

 切れ長の赤い双眸は前だけを見据え、両腕のお荷物に対しては一瞥もくれない。

 ただ一つの目的だけを見据え、その他の事象に対しては一顧だにしない。その真剣な横顔に、彼女はしばし見惚れた。

 さんざん風になぶられているはずなのに、やけに熱い頬の熱を、ティファニアは自覚した。

 

 

 ティファニア達の飛行は、長くは続かなかった。

 赤い瞳の青年が二人を強引に抱え持って走ること僅か十数秒。

 三人は追っ手のリザードマン達を大きく引き離したまま、ウエストウッド村に到着した。

 村に到着したティファニア達を最初に出迎えたのは、ジム、ジャック、サマンサの三人だった。今朝、エマと一緒にいちご狩りに精を出していた面々だ。エマがいなくなったことについて、彼らなりに責任を感じていたのだろう。村の出入口近くでしゃがみ込んでいた三人は、ティファニア達の姿を見るなり、一目散に駆け寄って来た。

 最初、青年の両腕に抱えられたティファニアとエマの姿を見て、三人は驚いた表情を浮かべていた。

 しかしすぐに、ティファニアとエマが無事なことを確認すると、みな小鹿のように大きな瞳いっぱいに涙を浮かべて喜んだ。

「エマ! お姉ちゃん!」

「エマ! ああ、エマ! よかった。よかったよぉ……」

「ごめんな。ごめんなエマ。僕が競争なんて言わなきゃよかったんだ。本当に、ごめんな」

 泣きじゃくる兄や姉の様子に釣られて、青年の腕の中でエマもまた大粒の涙を流す。ティファニアと再会を果たしたときと同様、彼女はわんわんと泣いて、兄弟達との再会を喜んだ。

 エマとは反対側の腕に抱かれながら、ティファニアは「よかったぁ……」と、安堵の溜め息をこぼした。

 と、不意に自分達を拘束する力が消えた。

 同時に、宙へと放り出される感覚。

 青年が、自分とエマを放り投げたのだと気づいたときにはもう、ティファニアは地面に尻をしたたかに打ちつけていた。口から飛び出す苦悶の悲鳴。尻を打ったのはやわらかい土の上だったが、鈍い痛みが骨盤から背骨へと駆け上がった。

 痛みを訴える尻を撫でながら、ティファニアは恨めしげに青年を見上げた。

 普通、こういうときは優しく降ろすのがマナーというものではあるまいか。

 尻もちをついたまま、ティファニアは青年に言葉が通じないのも忘れて抗議の声を上げようとして、息を呑んだ。

 先ほどまでエマを抱きかかえていた、青年の右手に、赤い刀剣の姿があった。

 

 

 金髪の少女と幼い童女を抱えながら森の中を走ること十数秒。

 ようやく、小さな集落に到着した。

 森を切り拓いて作ったと思しき平地に、藁葺き屋根の家屋が十軒ほど、寄り添うように並んでいる。すべて木造の家屋で、ほとんどが一階建ての小さな家ばかりだった。外から一見した限り、建築技術の水準は中世後期といったところか。

 建ち並ぶ家々を見て、瞬は落胆から小さく嘆息した。

 空にたなびく煙の数が一つしかなかったことから、薄々そうではないかと感じていたが、それにしても小規模な村だ。一世帯につき四人いると考えても、村全体の人口は五十人に満たない。これでは、得られる情報など高が知れているのではないか。

 失望に顔をしかめる瞬は、しかしやがてかぶりを振った。

 どんなに小さくても、村は村だ。そこには複数の人がいて、言葉というツールを使ってコミュニケーションを取っているはず。

 言語の習得に集落規模の大小は関係ないと思い直して、瞬は村へと足を踏み入れた。

 村の出入口と思しき場所へ足を運ぶと、子どもが三人、べそをかきながら瞬のもとへ駆け寄ってきた。

 どうやら、両腕のお荷物二人の知り合いらしく、口々に何か喚きたてている。

 鬱陶しいこと、この上なかった。

【子ども嫌いのお前にゃ、辛い状況だなぁ、おい】

 頭の中に、〈誓い〉の笑い声が響いた。言葉こそ自分を気遣うものだったが、明らかにいまの自分を取り巻く状況を面白がっているふうだった。不快なこと、この上なかった。

 く、く、と笑いをかみ殺しながら、〈誓い〉は続ける。

【まぁ、子どもぐらい大目に見てやれよ。苦労の甲斐あって、ようやくザラブ星人作戦終了なんだからよぉ】

 ――いや、まだだ……。

 腰元の〈誓い〉から、怪訝な感情が伝わってきた。

 【どういうことだ?】と、問うてくる彼に、瞬は「まだ後始末が残っている」と、応じた。

 ――僕に盾突いてきた報いだ。あのトカゲの怪物どもを始末する。

 瞬は胸の内で呟くと、両腕のお荷物を放り投げた。

 彼女らに背を向け、腰元の〈誓い〉を取る。

 真紅の刀身に、漆黒のダークフォトンの輝きが灯った。

「ハヌゥ、キネ(来い)

 視界の悪い森の中を睨みながら、静かに、言い放った。

 〈誓い〉の人心操作能力を全開にして、森の中に蠢くすべての怪物達に命令を発した。

 ザラブ星人作戦の一環で瞬達を追っていた者も、そうでなかった者も、自分のいるこの場所へ向かって、一斉に動き出したのを知覚する。怪物達をこの場に集めて、皆殺しにする作戦だった。

 〈誓い〉の人心操作能力は、森の中にまだ二〇〇体近い怪物がいることを瞬に伝えた。おそらくは、メスの個体や子ども、老人を含んだ数だろう。これまでに斬り捨てた連中以外にも、まだこんなに仲間がいたのかと、瞬は内心溜め息をついた。

 ――〈誓い〉、こういうときに取るべき戦術は……分かっているな?

【いちいち斬ったり突いたりするのはメンドクセー。広域神剣魔法で一気に吹っ飛ばす!】

 人間と違って、怪物達の足は速い。とはいえ、森の中に散らばる二〇〇体すべてがこの場に集結するには、最低でも十分少々時間を要するだろう。

 その十分間を、存分に使う。

 十分の間にマナを練る。

 己と、〈誓い〉の持つ、最強の神剣魔法のために、マナを、練る。

「クラー、マナ……(マナよ……)

 瞬の足下に、魔法陣が出現した。

 漆黒のダークフォトンが、昏く、静かに、氷の如く輝いた。

「ハヌゥ、ハテンサ、ナ、ヨテト。ハヌゥ、ソサレク、エト、ワ、イハーテス、ハイ、スゥン、ナ、ラスレーコン(僕に従え。オーラとなりて、敵をぶち殺せ)

 言の葉を、一つ紡ぐ度に、高出力のダークフォトンが瞬の左手に集まっていく。

 まるで、青年の左腕を中心に漆黒の暴風が躍り狂っているかのような光景だった。

 闇色の精霊光は瞬の掌中で荒れ狂いながら、やがて球形を形作っていった。

 ピンポン玉くらいの大きさの、黒い光球だ。

 瞬は黒き精霊光球を握る左手を、天高く突き出した。

 もしこの場にマナの気配を感知出来る人間がいたならば、そのあまりにも巨大なエネルギーを前に、思わず腰を抜かしていただろう。

 瞬の左手が握る光球。ピンポン玉くらいの大きさにすぎない球体には、数万人を一度に葬り去るだけの、莫大なエネルギーが宿っていた。現代兵器でいえば、核兵器の爆発にも匹敵しうるほどのエネルギーの塊だ。それだけのマナをいとも容易く出力してみせた〈誓い〉のポテンシャルに。そしてそれだけのマナをピンポン玉サイズにまで凝縮し、なおもコントロールしてみせる瞬の戦闘センスに、誰もが驚き、腰を抜かしたに違いなかった。

 呪文の詠唱が完成するにつれて、光球はなおもパワーを増大させていった。

 一点に凝縮されたエネルギーが重力をを生み、周囲の空間を歪める。

 肥大化しすぎたエネルギーに耐えかね、地面に無数の亀裂が走った。

【いくぜ、契約者ぁッ、オーラフォトン・レイでまとめてぶっ殺せ!】

 オーラフォトン・レイ。

 瞬の持つ神剣魔法の中でも、最大最強の威力を誇る技。

 掌に集めた精霊光を、高熱を孕んだ光の槍と変えて、目標に向けて射出する。光の槍は、全エネルギーを一本に束ねて射出することも、何本かに分けて射出することも可能で、単一目標を攻撃するにも、複数の目標を攻撃するのにも適した魔法だ。天へ向かって放てば、光の槍を雨あられの如く降らせることも出来た。

 かつて有限世界に表れたエトランジェ、〈誓い〉のソードシルダはこの神剣魔法を得意とし、スピリット数十体単位を一撃で全滅させたという。

 今代の〈誓い〉の契約者もまた、オーラフォトン・レイの魔法を得意としていた。瞬はこの神剣魔法を駆使して、過去にアレタスという龍を屠ったことさえあった。有限世界に召喚されたその日のうちに起きた出来事だ。瞬の初陣であり、彼はこの龍との戦いを通じて、〈誓い〉との契約を交わしたのだった。

【光の槍は何発撃つ?】

 〈誓い〉が訊ねてきた。

 光の槍は、分割する数が多ければ多いほど、一発々々の威力が低下する。

 今回の標的は永遠神剣を持たない軟目標ばかり。スピリットなどと違い、防御力は総じて低い。数を撃っても、十分通用するはずだった。

 また、標的の精神は〈誓い〉の能力で掌握している。精神の支配は、運動機能の支配に等しい。一度狙った標的を撃ち漏らすことは、万が一にもなかった。

 ――撃ち漏らしを懸念する必要はない。標的の数と同じ二〇〇で構わないだろう。

 一体、二体と、怪物が森から這い出てきた。

 十体、二十体と、村の出入口近くで、どんどん数を増していく。

 背後で、子ども達が身を硬くする気配。

 瞬は構わず、オーラフォトンの出力増大に努めた。

 足下を中心に大地が震え、赤い剣を中心に、大気が絶叫した。

 五十体……一〇〇体……一五〇体……一九七体。

 森の中に潜む、怪物が全員、この場に揃った。

 〈誓い〉の人心操作能力で精神を支配された彼らは、瞬の次なる命令を待って、誰もが等しくその場に跪いた。

 瞬は、神剣魔法を発動させるための、最後の言霊を紡いだ。

「ラスレェェコンッ・コンレスッッ!!(オォォラフォトンッ、レイッッ!!)

 天高く掲げられた、青年の左手。

 その左手が握る、闇色の光球が、爆ぜた。

 空中へと放たれた光球は、地上から三十メートルほどの高度でさらに爆発し、地上に、黒い雨を降らた。

 異形の怪物達の心臓へと正確に照準されたダークフォトンの槍が、二〇〇発、地上に降り注いだ。

 

 

 ……やがて、雪崩の如き漆黒の雨はやみ、

 辺りには、大小様々なクレーターの群れが広がるばかり……、

 摂氏三万度の光の槍に貫かれたリザードマン達は、細胞という細胞を焼き尽くされ、蒸発し、跡形もなく、消え去った。

 原始生命力の名残さえ、その場には残らなかった。

  


<あとがき>
 

 読者の皆様、おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。

 今回もゼロ魔刃をお読みいただきありがとうございました! 今回の話は、いかがでしたでしょうか?

 今回の話は難産でした。瞬って、ちょっと気を抜くとすぐ最強キャラぶりを発揮しちゃうので……。この手の最強キャラは、書き方一つで印象がだいぶ変わってしまうのが恐ろしいです。物語の展開(つまりは敵)に合わせていかに彼の戦力を描写するかで苦労しました。

 ちなみに、オーラフォトン・レイと人心操作能力の二点については、基本的には原作通りの設定ですが、描写の手法は原作よりもやや大げさに書いています。原作ゲームでは、オーラフォトン・レイも人心操作能力も、ゲームシステムやシナリオの都合上あまり強力には描かれていませんでした。しかし、公式設定集や、公式ノベライズ本などを詳細に読むと、どちらも数千、数万単位の敵を相手に出来る能力のようだったので(※1、2)。

 さて、予定としましては、瞬のストーリーは次回で一応、完結です。

 次々回からゼロ魔刃は、原作でいうところの第三巻、始祖の祈祷書編に入ります。

 次回もお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜

 

 

※1  原作ゲームにおける解説によれば、前代の〈誓い〉の契約者だったソードシルダは、オーラフォトン・レイでスピリット数十体を一度に消滅させていたらしい。〈誓い〉を第二位の〈世界〉にまで昇華させた瞬は、歴代最強の契約者であろうから、防御力の低い常人相手ならば、万単位での同時攻撃が可能と思われる。また、エネルギー総量が原爆級云々という描写は、公式ノベライズ本において、〈誓い〉と契約を交わしたばかりの瞬が、守護者アレタスを倒していたことから。守護者は、下手なエターナルよりも強いという設定なので、そんな怪物を倒そうと思ったら核爆弾級のエネルギーが必要だろうなぁ、と解釈しました。

 

※2  原作ゲームにおいて、神聖サーギオス帝国の国民は、全員が〈誓い〉のマインド・コントロールを受けていた。公式ノベライズ本に挟まれている設定用紙によれば、サーギオスの人口は約一四万人(アセリアAnotherではいくらなんでも少なすぎるということで、十倍して対応)。〈誓い〉は瞬が召喚される以前から、サーギオスを支配していた。瞬と契約してからはもっと強くなっているはずなので、やっぱり数万人くらいは楽勝だよなぁ、と考えました。




瞬がこちらに来てから、どうやって馴染んだのかという謎もこれで。
美姫 「自作自演に近いけれど、助けたのは事実だしね」
しかし、一から言語を覚えないといけないというのは面倒だし辛いな。
美姫 「まあ、その辺りは仕方ないわね」
ともあれ、これでティファニアから少しは信用される事となったのかな。
美姫 「その後のとんでもない魔法を見て怯えそうではあるけれどね」
どうなっていくのか、次回が楽しみです。
美姫 「次回を待ってますね」



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