夜。

 魔法学院学生寮の自室にて、ケティ・ド・ラ・ロッタは鏡台を前にして深々と溜め息をついた。

 鏡に映る少女の顔は、どうにも暗い。かつては多数のガールフレンドがいたギーシュでさえ見惚れた可憐な笑みはそこになく、紫水晶の瞳には深い懊悩の色が滲んでいた。

 彼女はいま、ある悩みを抱え、そのことで頭を悩ませていた。

 それは他人からしてみればひどくちっぽけな、それでいて本人にとってはひどく重大な事柄だった。

 考えているのは近い将来の出来事。

 次の虚無の曜日を、どうすごすか、ということについて。

 実を言えば、すでに彼女の頭の中ですでにプランは出来上がっていた。

 友達と一緒に街に出て、ショッピングのかたわらおしゃべりを楽しむ。

 問題は件の友人を、どう誘えばよいか、ということだった。

 誘いたい友人の名は、平賀才人。先輩のミス・ヴァリエールの使い魔で、異世界からやって来た奇妙な少年。平民のくせにやたら意地っ張りで、プライドが高くて、きっと優しい男の子。

 才人と柳也の口から、二人の故郷は異世界にある、という説明をなされたあの日から、すでに二週間が経っていた。

 あの説明の後、ケティは異世界からやって来た二人の男に、嫌悪や忌避の感情を覚えなかった。

 むしろ二人の説明を聞いて、彼女はこれまでのことに深く納得した。なるほど、たしかにあの二人の言動には、自分達の常識では考えられないものが多々見受けられた。それらはすべて、彼らが異世界の出身ということに由来していたのか、と。

 得心した彼女は、また同時に二人の暮らしていた異世界について、俄然興味を抱いた。

 もとより、ギーシュとの決闘騒動の後、才人に関心を寄せていた彼女だ。

 二人が自分達と違う世界の人間だからといって、その思いが失われることはなかった。

 それどころか、破壊の杖事件を通じて彼らの人となりを知った彼女は、以前にも増して二人のことをもっとよく知りたい、と思うようになっていた。

 あのフリッグスの舞踏会で一緒に踊ったとき、才人は自分に言ってくれた。

 自分達はもう、仲間だと。

 仲間のことをもっとよく知りたい。彼ともっと仲良くなりたいと思うのは、人間として当然の欲求だった。そのために、ちゃんとお話の出来る時間を持ちたいと思うのも。
 
 とはいえ、相手は平民の男の子。

 ケティにとって、異性の友人は初めてではないが、あまりにも身分が違いすぎて、どう誘えばよいかまるで分からない。

 いっそ高圧的な態度で、有無を言わせず「いいから私と付き合いなさい」と、命令出来れば楽なのだろうが、彼のご主人様は公爵家のご令嬢だ。そんな態度は取れない。

 ――ギーシュ様と付き合っていた頃は、こんなことはなかったのに……。

 恋人同士ということも無論あったが、何より相手も自分と同じ貴族というのが良かった。気軽に、遊びに誘うことが出来た。

 過日の思い出に浸る一方で、ケティはこれからの現実を憂いて溜め息をつく。

 さあ、いったいどんな言葉で彼を誘えばいいのだろう。

 どんな理由を用意すれば、彼を外に連れ出せるのだろう。

 しばらく鏡台の前で悩んでいたケティは、不意に立ち上がった。

 こうして悶々鬱々と悩んでいても、仕方がない。

 まずは行動だ。彼を誘う口実なんてのは、その時になって考えればいい。

 上級生のキュルケを見習え。

 女は度胸だ。行動だ。

 それに、才人は自分の友達ではないか。

 友達が、友達を遊びに誘うことに、何の不自然があろう。

 ケティは決然とした態度を持って、自室を飛び出した。

 あっという間に、階段を下りて、ミス・ヴァリエールの自室へ。

 すると、彼女の部屋のドアの前には、すでに先客がいた。

 ノックをしようと手を持ち上げ、躊躇い、数瞬の後、下ろす。しばらくしてまた手を持ち上げ、躊躇し、下ろす。それを繰り返している人物は、誰であろう、自分の元彼だった。

「……ギーシュ様?」

「け、ケティ?」

 名前を呼ばれるまで、自分の存在に気付いていなかったのか。

 ギーシュは驚いた様子で自分を見つめ、ついでバツの悪そうな顔をした。不味いところを見られたなぁ、と表情が語っていた。

「こんな遅くにどうしたんです? それにここは……」

 ケティはミス・ヴァリエールの部屋の戸を見て言った。

「ミス・るーちゃんの部屋ですよね? いったい何の用が……」

 そこまで言いかけて、ケティは、はっ、とした。

 斯様な夜更けに、殿方がレディの部屋の戸の前に立っている。しかもその殿方は、女好きのギーシュ・ド・グラモン! そこから導き出される答えは、一つしかない。

 ケティはギーシュに冷たい眼差しを注いだ。

「……今度はミス・るーちゃんですか? ギーシュ様、とうとう幼女趣味にまで手をお出しに……」

「ち、違う! いくら僕が女の子好きでも、そんな人の道を踏み外すような真似はしない!」

 ギーシュは慌てて否定した。

 それにしてもこの二人、本人がいないと思って、なかなかに発言がエグイ。

 ギーシュの必死な様子に一応の納得を示したケティは、話を元に戻すことにした。

「それで、何でまた、ミス・るーちゃんの部屋の前に?」

「い、いや、その……笑わないで聞いてくれるかい?」

 ギーシュは、いつも自信に満ちた彼にしては、情けない声で言った。

 ケティが頷くと、彼は躊躇いがちに言った。

「実はね、今度の虚無の曜日に、才人を連れてどこか出かけに行こうと思ってね。彼を誘いに来たんだが……」

「もしかして……」

 なんとなく、ギーシュが部屋の戸を叩くか叩くまいか躊躇していた理由を察したケティは、口を開いた。

 もしかして、この少年がノックを躊躇う理由は、自分と同じ……。

「相手が平民だから、どう誘えばいいか分からないんですか?」

 ギーシュは照れくさそうにはにかんだ。どうやら、当たりらしい。

「こんなことは初めてだよ。相手が女の子や、同じ貴族の友人なら、こんなに悩まなかったんだがね。

 ……恥ずかしながら、どんな態度で誘えばいいか、分からないんだ」

 急速に、目の前の男に対して親近感が湧いた。

 よもや彼もまた、自分と同じことを考え、自分と同じ悩みに直面していたとは。

 ケティは、くすり、と微笑んだ。

 それを見て、ギーシュが憮然とした表情を浮かべる。

「笑わないでくれ、って言っただろう?」

「いえ、これは違います。べつにギーシュ様が可笑しくて笑ったわけじゃありませんわ。ただ……」

「ただ?」

「ただ、ギーシュ様も私と同じことで悩んでいたと知って、なんだか可笑しくなったんです」

「同じ……ということは、君も?」

「はい」

 ケティは静かに頷いた。

「お友達ですもの。彼のことをもっと知りたいと思いまして、今度の虚無の曜日に遊びませんか、と誘いに来たんです」

「そうだったのか……」

 ギーシュは得心したように頷いた。

 それから彼は、はた、といつもの余裕ぶった微笑を浮かべた。

「そうだ。それなら、二人で彼のことを誘おうじゃないか」

 ギーシュは、我ながら名案だ、とばかりに言った。

「異世界からやって来た彼に、この世界のことをよく知ってもらう。そのために、僕達二人で街を案内する。どうだろう?」

「素敵なアイデアです」

 ケティは上品に微笑みながら頷いた。

 ギーシュは嬉しそうに頷いた。

「そうだろう? なあに、心配はいらないさ。一人なら駄目でも、二人ならきっと上手くいくよ」

 ギーシュは軽くウィンクして、ルイズの部屋の前に立った。

 その時、二人の耳朶を、部屋の中から漏れ聞こえてきた声が撫でた。

「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

 ルイズの声。

 聞こえてきた「姫殿下」という単語に、ギーシュとケティは顔を見合わせた。

 まさか、という思いが、二人の頭の中に渦を巻く。

 二人は、悪いとは思いながらも、ルイズの部屋のドアに耳をくっつけた。





永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:24「依頼」





 ルイズの部屋に現われたアンリエッタ王女は、感極まった表情を浮かべて、膝を着いたルイズを抱き締めた。

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

 ルイズはかしこまった声で言った。

 才人は展開についていけず、ぼけっ、と突っ立っている。

 二人はそんな才人が視界に入っていないのか、互いに人目を憚ることなく抱き合った。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはお友達! お友達じゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をして寄ってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族達もいないのですよ! ああ、もう、わたくしには心を許せるお友達はいないのかしら。昔なじみの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

「姫殿下……」

 ルイズは顔を持ち上げた。

「幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で超を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 はにかんだ顔で、ルイズは応じた。

「……ええ。お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルト様に叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみ合いになったこともあるわ! ああ、ケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛をつかまれて、よく泣いたものよ」

「いえ、姫様が勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」

 ルイズが懐かしそうに言った。

「思い出したわ! わたくしたちがほら、“アミアンの包囲戦”と呼んでいるあの一戦よ!」

「姫様の寝室で、ドレスを奪い合った時ですね?」

「そうよ、“宮廷ごっこ”の最中、どっちがお姫様役をやるかで揉めて、取っ組み合いになったわね! わたくしの一発が、上手い具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのおなかに決まって」

「姫様の御前でわたし、気絶いたしました」

 それから二人は顔を突き合わせて笑った。

 才人は呆れた表情を浮かべて、そんな二人の様子を見つめていた。

 昼間の時はおしとやかに見えたのに、とんんだお転婆お姫様だったわけだ。

 アンリエッタは言う。

「その調子よ、ルイズ。ああいやだ、懐かしくて、わたくし、涙が出てしまうわ」

「……どんな知り合いなの?」

 才人が訊ねると、ルイズは懐かしむように瞑目して答えた。

「姫様がご幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ」

 ルイズはアンリエッタに向き直った。

「でも、感激です。姫様が、そんな昔のことを覚えてくださってるなんて……。わたしのことなど、とっくにお忘れになったかと思いました」

 アンリエッタは深い溜め息の後、ベッドに腰掛けた。

 遠い過去を懐かしむ目で、憂いを含んだ声を紡ぐ。

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。何も悩みなんかなくって」

「姫様?」

 ルイズは怪訝な面持ちでアンリエッタを見た。

「あなたが羨ましいわ。自由って、素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

「なにをおっしゃいます。あなたはお姫様じゃない」

「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちに行ったり、こっちに行ったり」

 アンリエッタは、窓の外の月を眺めた。寂しそうに微笑む。

 ルイズの手を取って、彼女は言った。

「結婚するのよ。わたくし」

「……おめでとうございます」

 結婚。女にとって、喜ばしいはずのその出来事を告げる声音に、なにやら悲しげな調子を感じたルイズは、沈んだ声で言った。

 そのとき、アンリエッタは藁束の上に座った才人の存在に、ようやく気が付いた。

 才人は、今更かよ、と思った。

「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら」

「お邪魔? どうして?」

「だって、そこの彼、あなたの恋人なのでしょう? いやだわ。わたくしったら、つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をいたしてしまったみたいね」

「はい? 恋人? あのクリーチゃーが?」

「人をエイリアンみたく言うな!」

 才人は憮然とした声で言った。個人的には、エイリアンよりプレデターの方が好きな彼だった。

 憮然とした態度を取るのは才人ばかりではない。

 ルイズも、かぶりを振ってアンリエッタの言葉を否定する。

「姫様! あれはただの使い魔です! 恋人だなんて冗談じゃないわ!」

「使い魔?」

 アンリエッタは、きょとん、とした面持ちで、才人を見つめた。

「……人にしか見えませんが?」

「人間です。正真正銘」

 才人はわざとらしくアンリエッタに一礼した。

 王女は軽く溜め息をついた。なんとなく、呆れている様子だった。

「そうよね。はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって、昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

「好きであれを使い魔にしたわけじゃありません」

「今度はあれ呼ばわりかよ……」

 才人はやるせなさからメンチを切った。

 アンリエッタがまた溜め息をついた。

「姫様、どうなさったんですか?」

「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね……いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに……わたくしってば……」

「おっしゃってください。あんなに明るかった姫様が、そんな風に溜め息をつくってことは、何かとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは、忘れてちょうだい。ルイズ」

「いけません!」

 ルイズは語気荒々しく言い放った。

「昔は何でも話し合ったじゃございませんか! わたしをお友達と呼んでくださったのは姫様です。そのお友達に、悩みを話せないのですか?」

 ルイズがそう言うと、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。

「わたくしをお友達と呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 アンリエッタは決然と頷くと、言葉を選ぶようにゆっくりと語り始めた。

「今から話すことは、誰にも話してはなりません」

「……俺、席、外そうか?」

 才人はルイズを見た。

 アンリエッタは首を振った。

「いえ。メイジにとって使い魔は一心同体。席を外す理由がありません」

 アンリエッタは物悲しい調子で続けた。

「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったのですが……」

「ゲルマニアですって!」

 ルイズが驚いた声を上げた。

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」

「そうよ。でも、仕方がないの。同盟を結ぶためなのですから」

 アンリエッタは、ハルケギニアの政治情勢を、ルイズ達に説明した。

 アルビオンの貴族達が反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めれば、次にトリスティンに進行してくるであろうこと。それに対抗するべく、トリスティンはゲルマニアと同盟を結ぶことになったこと。同盟のために、アンリエッタがゲルマニア皇室に嫁ぐことになったこと……。

「そうだったんですか……」

 ルイズは沈んだ声で言った。

 アンリエッタがその結婚を望んでいないのは、口調からも明らかだ。

 王女の心中を察して忸怩たる思いにかられたルイズに、アンリエッタは言う。

「いいのよ。ルイズ、好きな相手と結婚するなんて、物心ついたときから諦めていますわ」

「姫様……」

「礼儀知らずのアルビオンの貴族達は、トリスティンとゲルマニアの同盟を望んではいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら、楽に折れますからね」

 アンリエッタは呟いた。

「……彼らは、わたくしの婚姻を妨げるための材料を、血眼になって探しています」

「もし、そのようなものが見つかったら……」

 勿論、結婚はご破談。同時に同盟締結の話もなくなり、二本の矢は一本ずつ折られることになるだろう。

 この時点で目の前の王女が抱える苦悩の正体に気が付いたルイズは、顔面を蒼白にした。

「も、もしかして、姫様の婚姻を妨げるような材料が?」

 アンリエッタは悲壮な顔をして頷いた。

「おお、始祖ブリミルよ……この不幸な姫をお救いください……」

 王女は両手で顔を覆うと、床に崩れ落ちた。

 芝居がかったその仕草に、才人は呆れた表情を浮かべた。

 いちいち大袈裟なアクションをするお姫様だ。もしかして、ここが舞台の上だと勘違いしているのではないか。

 才人はなにやら目の前の光景が、三流役者達の演劇にように思えて、複雑な表情を浮かべた。これなら最近の昼ドラの女優さんの方が演技が上手いぞ、と内心で野次を飛ばす。

「言って! 姫様! いったい、姫様のご婚姻を妨げる材料って、何なのですか?」

 アンリエッタの態度に釣られたか、ルイズも興奮した様子でまくしたてた。

 両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。

「……わたくしが以前したためた、一通の手紙なのです」

「手紙?」

「そうです。それがアルビオンの貴族達の手に渡ったら……彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」

「どんな内容の手紙なんですか?」

「……それは言えません」

 アンリエッタはかぶりを振って言った。

 いよいよ本格的に芝居がかってきた、と才人は思った。ここで引くなんて、なんて王道的展開だろう。

「でも、それを読んだら、ゲルマニアの皇室は……このわたくしを赦さないでしょう。ああ、婚姻はつぶれ、トリスティンとの同盟は反故。となると、トリスティンは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわねばならないでしょうね」

 ルイズは息せきって、アンリエッタの手を取った。

「いったい、その手紙はどこにあるのですか? トリスティンに危機をもたらす、その手紙とやらは!?」

 アンリエッタは首を振った。

「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」

「アルビオンですって! では! すでに敵の手中に?」

「いえ……その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」

「プリンス・オブ・ウェールズ? あの、凛々しき王子様が?」

 アンリエッタはのけぞると、ベッドに体を横たえた。

 もしもし、王女様? それはルイズのベッドですよ? 人様の寝具ですよー?

 才人はそう言いたかったが、話の腰が折れると思い、ぐっ、と堪えた。

「ああ! 破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! 破滅なのです! 同盟ならずして、トリスティンは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 ルイズは息を飲んだ。

 もしやらアンリエッタが自分達に頼みたいこととは……。

「では、姫様、わたしに頼みたいことというのは……」

「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ! 考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」

「何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが、龍の顎の中だろうが、姫様の御為とあらば、何処なりと向かいますわ! 姫様とトリスティンの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ、見過ごすわけにはまいりません!」

 ルイズは膝をついて恭しく頭を垂れた。

「トリスティンの貴族として、そして姫様の友人として、このわたくしめに、その一件、是非ともお任せください」

「……このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしいお友達!」

「勿論ですわ! 姫様!」

 ルイズがアンリエッタの手を握って、熱した口調で言った。

 アンリエッタの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

「姫様! このルイズ、いつまでも姫様のお友達であり、まったき理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れることなどありましょうか!」

「ああ、忠誠。これが誠の友情と忠誠です! 感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません! ルイズ・フランソワーズ!」

「……なあ、ルイズ? 盛り上がっているところ悪いんだけど……」

 それまで黙っていた才人が口を開いた。

 なんだか嫌な予感が、彼の背筋を駆け巡っていた。

 この話の展開だと、自分は近い未来、とんでもない事態に巻き込まれるのではないか。

 はたして、才人の嫌な予感は的中した。

「戦争やってるアルビオンとやらに行くのはいいけど……もしかして、それ、俺も?」

「当たり前じゃないの。あんたはわたしの使い魔よね?」

「……はい。頑張ります」

 才人は切なげにうな垂れた。

 その隣で、やる気満々のルイズが言う。

「アルビオンに赴き、ウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくればよいのですね? 姫様?」

「ええ、そのとおりです」

「急ぎの任務なのですか?」

「アルビオンの貴族達は、王党派を国の隅っこまで追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう」

 ルイズは真顔になると、アンリエッタに頷いた。

「早速明日の朝にでも、ここを出発いたします」

 わーい、明日の朝だって。じゃあ、早速準備しなきゃな。

 才人は半ば捨て鉢な気分で、ルイズの言葉を聞いていた。

 と、それまでご主人様にばかり注がれていたアンリエッタの視線が、自分に向けられていることに気付く。

「頼もしい使い魔さん」

「はい? 俺?」

 アンリエッタに頼もしいと言われて、才人は唖然とした。

 頼もしい? 誰が? 俺が? 柳也さんの足元にも及ばないこの俺が?

 狐につままれたような表情を浮かべる才人に、アンリエッタは続けて言う。

「わたくしの大事なお友達を、これからもよろしくお願いしますね」

 王女は、すっ、と左手を差し出した。

 握手か。そう思ったが、どうやら違うらしい。手の甲を上に向けている。

 いったいこれは何のジェスチャーなのか。

 才人が首を傾げていると、ルイズが驚いた声で言った。

「いけません! 姫様! そんな、使い魔にお手を許すなんて!」

「いいのですよ。この方は私のために働いてくださるのです。忠誠には、報いるところがなければなりません」

「はぁ……」

 才人は怪訝な面持ちでアンリエッタの顔と左手、ルイズの顔を見た。

 しばらく考えた後、彼は、ポン、と手を叩いた。

「……片手でせっせせーのっ、よいよいよい?」

「なにそれ? 違うわよ。お手を許すってことは、キスしていいってことよ。砕けた言い方をするならね」

「そんな、豪気な……」

 才人はあんぐりと口を開けた。

 才人の暮らしていた現代日本も相当乱れた若者文化が席巻していたが、異世界はそれに輪をかけて酷い。こんな呆気なくキスを許すなんて、アメリカ人か!?

 ――とはいえ……。

 才人はアンリエッタの顔を見つめた。はっきり言って美人だ。好みのタイプだ。彼女とキスしたいか、と聞かれれば、迷わず、したい、と答えるだろう。

 ――本人が良い、って言うなら、させてもらうけど……。

 才人はアンリエッタの手を取った。

 そのまま、ぐっ、と自分に引き寄せる。

「え?」

 アンリエッタの口が、驚きで、ぽかん、と開いた。

 才人は間髪いれずに、アンリエッタの唇に、自分の唇を押し付けた。

 柔らかな感触。

 小さな唇をついばむように吸う。

 アンリエッタは、目をまん丸に見開いた。

 その目が、白目に変わる。

 アンリエッタの体から力が抜け、才人の手をすり抜け、そのままベッドに崩れ落ちた。

 才人は慌てた。

「気絶? ど、どうして!?」

「姫殿下になにしてんのよッ!」

「どわばああ!」

 才人が振り向くと、ルイズのローファーの爪先が飛んできた。

 顔面に飛び膝蹴りを喰らい、才人は床に転がった。

「な、な、ななななにするんだよっ!」

 そう言って怒鳴った才人の顔を、ルイズはまた怒りに任せて踏みつけた。

「お手を許すってのは、手の甲にすんのよッ! 手の甲にキスすんのッ! 思いっきり唇にキスしてどーすんのよッ!」

「どうするって……そりゃあ、ひと夏の思い出に……ぶぐほぉっ!」

 ルイズは火がついたように怒り狂った。

 げし、げし、と何度も才人の顔を踏む。

 アンリエッタが、かぶりを振りながら、ベッドから起き上がった。

 ルイズが慌てて膝をつく。

 血だらけの才人の頭をつかんで、床に押し付けた。

「も、申し訳ありません! 使い魔の不始末は、わたしの不始末です! っていうか、あんたもほら、謝りなさいよ!」

「すいません」

 才人は不承不承、アンリエッタに謝罪した。

 あのプライドの高いルイズが、人に謝っている。加えて、わなわなと震えていた。こいつは言う事を聞かないと、後で激しくお仕置きを喰らいそうだった。

「でも、キスしていい、って言うから」

「唇にする奴がどこにいんのよッ!」

「ここ」

 才人は自分を指差して言った。

 粗忽の釘レベルの、ハイ・センスなギャグだ。

 しかし、異世界人のルイズはこのハイ・センスな笑いのネタに着いてこれなかったらしい。正しく拳を握り、才人を殴った。殴り続けた。手が痛くなってくると乗馬用の鞭を取り出し、ピシィ、ピシィ、と振るい続けた。

「い、いいのです。忠誠には報いるところがなければなりませんから」

 努めて平成を装いながら、アンリエッタが頷いた。

 頬が、若干赤い。突然の事態に動転し、心拍数が上がっている様子だった。無意識のうちに胸元を押さえている。

 その時、部屋のドアが、勢いよく開いた。

 何者かが、疾風の如く飛び込んでくる。

「きさまーッ! 姫殿下にーッ! 何をしているかーッ!」

 飛び込んできたのはなんとギーシュだった。
 相変わらず薔薇の造花を手に、凄まじい形相で才人に詰め寄る。

 そんな彼に、ルイズが言った。

「ギーシュ! あんた! 立ち聞きしてたの? 今の話を!」

「すみません。私もいます」

 そう言ってひょっこり顔を覗かしたのはケティだった。

 片手を挙げて、チャオ、とばかりに挨拶をしてくる。才人とルイズはそれに小さく頷いた。

 他方、ギーシュはルイズの問いには答えず、夢中になってまくし立てる。

「才人、君に用があって来てみれば、部屋の中からは妖精のような声が……。それでドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子を覗えば……平民の馬鹿が、キス……」

 ギーシュは薔薇の造花を振り回した。

 目を剥き、鼻息を荒く言い放つ。

「決闘だ! このバカチンがぁあああああッ!」

「その台詞を使っていいのは、キンパチ先生だけだー!」

 才人は隙を衝いてルイズの鞭の猛攻から脱出するや、ギーシュの顔に拳を叩き込んだ。

 お手本のような右ストレート。

 ギーシュの体が吹っ飛び、床をもんどり打って転がる。才人は間髪入れずに、倒れたギーシュをさんざんに蹴り回した。さらにはマウント・ポジションを取って馬乗りに、首を絞める。

「この馬鹿ッ! 馬鹿! この業界で、『バカチンがぁ!』を使って良いのは、三年B組の担任だけなんだよ!」

「あがッ! あがッ! い、いったい何を言っているんだ? 君は!? あいだ! こら! いだだだ!」

「で、どうします? こいつ、お姫様の話を立ち聞きしやがりましたけど。とりあえず縛り首でもしますか?」

「あ、あの……一応、私も立ち聞きしちゃったんですけど……」

「ああ、ケティはいいんだ」

「ちょっ、まっ……ぼ、僕と扱いが違いすぎないか!?」

「うるせぇ。男と女とで、扱い方変えるのは普通だ」

 才人は馬乗りになったまま、ギーシュの頬を往復ビンタした。

 一発。二発。三発。四発。

 だんだんと腫れ上がっていく白い頬。

 突如として始まった狂乱の宴に、きょとんとしていたアンリエッタは、やがて神妙な顔をして呟く。

「そうね……今の話を聞かれたのは、不味いわね……」

「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せつけますよう!」

 一瞬の隙を衝いて才人の馬乗りから脱出したギーシュは、立ち上がって言った。

「え? あなたが? それにグラモンというと……」

「はい。グラモン元帥の息子でございます。姫殿下」

 ギーシュは恭しく一礼した。

「先ほどの話を殿下に何の断りもなく盗み聞きした非礼は謝ります。その上で、どうかこの僕を任務の一員に加えてはいただけませんでしょうか? この僕に、名誉挽回の機会を与えてくれないでしょうか?」

「姫殿下、私もお願いします」

 ギーシュに続き、ケティも彼の隣に並ぶと、膝を着き、頭を垂れた。

「あなたは……」

「ケティ・ド・ラ・ロッタと申します。トリスティンの貴族として、いまのお話を聞いてしまった以上、私もこの国難を見過ごせませんわ」

 顔を上げて微笑んだケティと、熱っぽい口調のギーシュにアンリエッタは笑いかけた。

「お二人とも、ありがとうございます。お願いしますわ。この不幸な姫を、お助けください。ギーシュさん、ケティさん」

「勿論ですとも! 姫殿下!」

 ギーシュが、感極まった様子で笑顔を弾けさせた。

 一部の貴族達の間では薔薇の君と呼ばれるアンリエッタの信奉者は、国内に数多い。ギーシュもまたその一人で、彼は他ならぬ彼女に名前を呼ばれ、有頂天になった。

 陽気なギーシュはさらにルイズと才人を見て言う。

「そうだ! どうせならあの人にも協力してもらおうじゃないか!?」

「あの人……?」

 アンリエッタが怪訝な顔をして訊ねた。

 無論、指示語で示された件の人物が誰なのか、ルイズ達にはすぐに分かった。

 ギーシュは得意気に、我がことのように誇らしげに言った。

「僕の知る限り、最も強く、最も気高い魂を持った男です」




<あとがき>

 ふはははは。やったぞ。俺はやったぞー!

 というわけで、読者の皆さんおはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。

 今回もゼロ魔刃をお読みいただきありがとうございました。

 説明文ばっかだった前話に対し、今回はやりましたよー。

 いやぁ、やっぱりキャラを動かすって楽しいな♪

 ケティとギーシュが動く動く……。

 そして才人のツッコミが冴える冴える……。

 才人は熱血の似合うキャラだけど、一歩引いたところからむなしいツッコミするのも似合うキャラだと思うタハ乱暴です。

 さて、次回は久しぶりに主人公登場。主人公なのに久々に登場というこの矛盾!

 次回もお読みいただければ幸いです。

 ではでは〜









 草葉の陰にて。

柳也「お、お……おでの出番は、どこだ――――――!!?」





柳也のいない所で話は進んでいく。
美姫 「まあ、自分から参加しなかったんだしね」
ケティまでもが同行する事になるし、そうなるとマチルダも来るんだろうか。
美姫 「使い魔契約もあるしね」
いやー、一体どんな展開を見せてくれるんだろう。
美姫 「今から楽しみね」
ああ。次回を楽しみに待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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