直心影流剣士・桜坂柳也の朝は基本的に早い。

 午前の五時半には起床し、六時にはもう朝稽古を始めるのが習慣づいている。

 毎朝五時半にきっちり起きるようセットされた彼の体内時計は、異世界ハルケギニアに召喚された翌日も、一秒の狂いもなく作動していた。

「……夢じゃなかったか」

 お世辞にも快適とは言い難い寝心地の硬い床の上、毛布を一枚羽織っただけの状態で目を覚ました柳也は、開口一番嘆息した。

 瞼を開けて最初に映じたのはいかにも高級そうなインテリアで固められた女の部屋。鼻をつく香水の匂いは男の自分には無縁の代物で、いま居るこの場所が、本来は異世界の見知らぬ住人が暮らしている部屋だという事実を実感させる。もしかしたらこれは悪夢ではないか、と儚い望みを託して抱いた甘い幻想は、目の前の現実に脆くも打ちのめされた。

「認めるしか、ないか」

 いま自分を取り巻いている環境はすべて現実だ。目に映る景色も、耳朶を撫でる音も、すべて現実のものとして、そこにある。まずはそれを認めよう。そして、認めた上で腹を括ろう。

 自分はいま、ファンタズマゴリアとは別な異世界にいる。別な世界で、生きていかなければならない。生きて、有限世界に戻る方策を考えねばならない。

 ――問題をまず整理しろ。何が問題で、何から解決出来るのか。優先順位を付けるんだ。

 まだ目覚めたばかりで、いまいち動きの鈍い頭を必死に動かして、柳也は考えた。現在自分が直面している問題は、次の五つに絞られる。

 一つ、自分のいま居る場所が異世界だということ。

 一つ、いまのところその異世界から脱出する術がないこと。

 一つ、今回の異世界召喚でも自分以外に同道者がいること。

 一つ、半ばなし崩し的だったとはいえ、いまの自分はとある少女の召使いに身をやつしていること。

 一つ、この世界についての情報が不足していること。

 差し当たって解決すべきは……

【まずは情報ですね】

 ――ああ。ここは孫子に倣うとしよう。

 人類最古にして最大の兵法書、孫子の『兵法』では特に情報戦を重視している。また『戦争論』を著したクラウゼヴィッツも、自著の中で『戦争は不確実性の世界である』と、前置きした上で情報の大切さを説いている。

 そして情報を集めるためには、

「行動あるのみ」

 だ。

 とにもかくにも、まずは外に出よう。日課の走り込みのついでだ。この世界の風土を見、人に会う。この世界の人間が何を着、何を食べ、どんな酒を飲み、どんな夢を見るか。その果てに心を許せる友の一人でも見つけられれば、元の世界への帰還もより早まるというものだ。

 柳也は上体を起こすと、辺りを見回した。天蓋つきのベッドの上で安らかに寝息を立てているご主人様と、自分と同じく床で眠っている才人少年が起きる気配は、まだない。

 柳也は二人を起こしてしまわぬよう極力物音を抑えつつ立ち上がった。

 ハルケギニアには脇差を除けば文字通りこの身一つでやって来た。毛布を跳ね除けたその姿は、やはり全裸だった。

 柳也は静かにクローゼットの前に立つと、いちばん下の引き出しを開けた。中から、純白が眩しい白い帯を取り出す。褌だ。

「って、チョット待てェ――――――ッ!!!」

 その時、背後から黄色い悲鳴が上がった。

 振り向くと、ベッドから飛び起きたルイズことるーちゃんが、顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいた。

「おお、おはよう、るーちゃん。お早いお目覚めだな?」

「るーちゃんって呼ぶな! っていうか、な、な、なななななんでわたしのクローゼットにあんたの下着が入っているのよ!?」

「何故って……勿論、昨晩仕込んでおいたからさ」

 柳也は屈託なく笑うと、引き出しを箱ごと引っ張り出して中身を見せた。

 引き出しの中には、これでもか! と言わんばかりに、白い帯が満載されていた。褌だ。勝負下着ならぬ、黒い勝負褌まである。

 ルイズは思わずよろめいた。寝起きの頭がクラクラする。

 それにしても柳也は昨晩仕込んだと言ったが、いったいいつの間にこんなに大量の褌を用意したのか。

 いやそれ以前に、クローゼットのいちばん下の引き出しには、自分の下着が入っていたはずだが……なんだろう、この嫌な予感は。

「……ねぇ、ところでそこの引き出しにはわたしの下着が入っていたと思うんだけど?」

「…………るーちゃん、残念だが、無から有は生まれないんだよ」

「解いたのね!?」

 ルイズは柳也の首を絞めた。本人は万力の力を篭めている様子だが、柳也はいたって平然としている。なにより体力とタフネスが自慢の彼だった。

「答えなさい! 解いたんでしょ? 解いたのよね?! わたしの下着、全部解いて作ったのが褌ってどういうこと?!」

「いやぁ〜、さすが貴族のお召し物だけあって良い生地使っているなぁ、って思っていたら、つい……」

「つい、でわたしの下着を解いたのかぁ!」

「その通りだ! ところでるーちゃん……」

「何よ!? あと、るーちゃんって呼ぶな!」

 柳也はルイズの肩に両手を置いた。優しく、幼子に語り掛けるような口調で、言う。

「褌の材料にしたショーツだが、クロッチの部分が少し黄ばんでいたぞ? ちゃんと洗濯をしないと駄目じゃぼふおばあああッ!!!」

 柳也は最後まで言い終えることなく絶叫を上げた。

 コークスクリューを加えたアッパーカットが男の顎先を撫でさすり、七四キロの巨体が宙を舞う。

 グシャァ、と嫌な音が鳴った。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE03:「この上腕二等筋に惚れろ!」

 

 

 

 朝のどたばたから僅か二分後、ルイズの鉄拳制裁を受けた柳也は、しかしすぐに回復すると日課の走り込みに出かけた。

 情報収集をかねてのランニングで、いちばんの目的はトリスティン魔法学院とその周辺の地形の把握にある。

 あるの、だが……

「ま、迷っちまっとぅぁぁぁああああッ!!」

【主よ…】

【ご主人様、これで何度目ですか?】

 鬱蒼と茂る森の中、柳也は絶叫した。

 頭の中に響く相棒二人の声からは、呆れた感情イメージが伝わってくる。

 初めて走る場所とあって、好奇心の向くがままにあちらへ行ったりこちらへ行ったりを繰り返したのが不味かった。

 気が付くと見覚えのある場所をぐるぐる回っていることに気付き、自分が迷子になってしまったことを自覚した。

 いざ戦場とあらば圧倒的な力で敵を屠り、無類のサバイバル能力を発揮する柳也も、平時には少々……いや、かなり間の抜けた部分がある。そこを笑って誤魔化せるのは彼の器量だが。

「くそぅ。るーちゃんからは、朝食までに戻ってこいと言われているが」

 いまのままでは戻れそうにない。なにしろ東西南北の方位さえ分からないのだ。切り株の年輪を見る、太陽の位置から方角を推測する、水の上に磁石を浮かべる、などの方位測定法は、地球であればこそ通用したもの。ハルケギニアで通用する保証はない。というより、通用しなかった。

「むぅ……もし、このまま朝食までに戻れなかったとしたら……」

【たぶん、お仕置きされちゃうでしょうねぇ。朝ご飯抜きか、それともさっきみたいに鉄拳制裁か】

「朝飯抜きはきついなぁ」

 〈戦友〉の言葉に柳也は頬を掻く。六尺豊かな巨体を生かすためには、相応のエネルギーが必要となる。そして自分は植物ではなく動物だ。光合成が出来ない以上、食物からエネルギーを摂取する他ない。

「……仕方がない。多分に博打的な要素が強くなってしまうが……二人とも、アレを使うぞ」

 柳也は深々と溜め息をついた。

 通常の方法で方位を知り得ない以上、残る手段は一つしかない。

「桜坂柳也四大特技が一つ……久々に登場、美人さんいらっさ〜いレーダー、起動!」

 柳也はそう叫ぶや、禁じ手、美人さんいらっさ〜いレーダーを起動させた。

【もしかしたら忘れているかもしれない読者の皆のために説明しよう。“美人さんいらっさ〜いレーダー”とは我らが主、桜坂柳也の四大特技の一つで、美人であれば老若男女問わず、その位置を特定することができる、極めて特殊なレーダーである!】

【最大有効美人半径は約五〇〇メートル。最大探知美人数は二五二。内同時追跡可能美人数は最大二六。特定位置の誤差範囲は±五センチ。ご主人様、凄いです!】

 〈決意〉と〈戦友〉の二人が、読者の皆様に向けて説明する間にも、柳也の変化は着々と起こっていた。

 柳也の黒髪が突如として波打ち始めたかと思うや、絶叫する黒い波間から比較的長めの一房が、ニョッキリ、と頭をもたげ、つむじの部分で全長一五センチはあろう搭を築く。身長一八二センチの体躯は、一九七センチへと急成長を遂げた。

 そして次の瞬間、柳也の身長は一九五センチへと下がった。塔の先端二センチが直角に折れ曲がり、なんと本物のレーダー端末のように回転を始めたのだ。おそらく美人を捜し求めて特殊な電波を送っているのだろう。

 時折、何かの電波を受信してか、塔全体が、ビビビッ、と音を立てて振動する。

 それは到底ありえるはずのない光景だった。

 常識的な感覚の持ち主であれば、心の病に陥ったとしても不思議ではない。

 それほどに、人間離れした柳也の特技だった。

「こい、こい…………むむむっ!? 美人電波を受信したぞ。……こっちだぁ!」

 頭上のアンテナが、一方向ばかりを示すようになり、柳也は身を翻した。

 鬱蒼と茂る森の中を、軽やかに駆け抜ける褌姿の男。こう描写するともはやギャグでしかないが、本人もタハ乱暴もいたって真面目である。

 やがて、開けた場所に出た。

 視界を遮る木々の類は一切なく、人の手が加えられたと思しき芝生には中規模の井戸が一つだけある。どうやらここは水汲み場らしい。

 貴族の通う学校だけあって、井戸はよく整備されていた。ポンプ式ではなく桶で掬うタイプだが、滑車を使うことで女子どもでも使えるよう配慮がなされている。

 そしてその側では、一人の少女がたらいを前に洗濯の真っ最中だった。

 自分や才人と同年代と思しき若い娘だ。シックなデザインのエプロンドレスに身を包み、ショートボブの黒髪にはレースが可愛らしいカチューシャを着けている。目の覚めるような美女、というほど端麗な顔立ちではないが、素朴な美しさが目を惹く娘だった。かすかに浮いたそばかすが可愛らしい。いまはメイド服然とした衣装を身に付けているが、少し着飾って可憐な笑みでも浮かべれば、十人が十人、思わず微笑み返してしまうだろう。どうやら学園の貴族達に奉仕する使用人のようだが。

 手元の作業に没頭しているためか、少女は柳也の存在に気付いていない。

 額に浮かんだ汗を拭う仕草が、なんとも男心をくすぐってくれる。

「……いかん。思わず恋をしてしまった」

 にやけっ面で小さく呟く柳也。

 森の中で迷子になって困っていた直後に嬉しい遭遇だ。このところ不幸続きだったから、なおのことこの出会いが嬉しい。

 柳也は、これは是非ともお近づきにならねばと、気合を入れて彼女に歩み寄った。…………なぜか、上腕二等筋を強調したマッスルポーズを取りながら。

 さて読者の皆さんにはここで思い出してほしい。いまの柳也のいでたちを。

 有限世界ファンタズマゴリアに召喚された時と違い、ハルケギニアには脇差一振りの他は何一つ持たずにやって来た我らが主人公。彼はいま、女性下着を材料に自作した褌を締め、脇差を閂に差している。

 想像してみてほしい。褌の他は服を着ず、脇差という凶器を腰に差した筋骨隆々たる巨漢が、第一印象は笑顔が肝心とばかりに、満面の笑みを浮かべながら、マッスルポーズを取りつつ摺り足で近寄ってくる様子を。

「もし、そこのお嬢さん! ちょっと道を訊きたいんだが……」

 背後から声をかけられたお嬢さんことメイド服の少女は、当然、声のした方を振り向いた。

 そして、見た。認めた。口を開けた。

「ひっ……いやぁああ〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 轟く絶叫。つんざく悲鳴。

 目の前に迫る到底受け入れ難い現実を前に、少女は恐怖に顔を引き攣らせる。

 娘の唇から迸った悲痛な叫びに、柳也は動揺を露わにした。

「な、何だ?! いったいどうしたというんだ?!」

【むぅ……どうやら怯えているようだな】

 動揺を隠せない主に代わって、〈決意〉が冷静に状況を分析する。

【なんということだ。目尻に涙まで浮かべて……何か、恐ろしいものを目にしたらしいが】

【涙まで……同じ女として許せません! こんなか弱い女の子を恐がらせるなんて、いったいどこのどいつですか!?】

 怯える少女の姿を見た〈戦友〉が憤慨した。

 どうやらこの三人、自分達のいでたちが客観的に見て不審者然としている自覚がないらしい。

 ――とにかく、まずは彼女を落ち着かせよう。

 このままでは道を訊ねることもままならない。

 そう考えた柳也は、しかし、いったいどこをどう考えたらそんな結論になるのか、少女を落ち着かせるべく、マッスルポーズを取った。

 どうやら彼の頭の中では『筋肉を見せる=安心させる』という等式が成立したらしい。

 丸太のような両腕に絞られて、柳也の大胸筋が隆々瘤を作る。

「さぁさぁ、お嬢さん。この俺の筋肉を御覧なさい。そして、落ち着きなさい!」

「いや、いやぁ! こ、来ないでください!」

「大丈夫っ、俺の筋肉恐くない!」

 いったい何を根拠にそんな妄言を吐けるのか。

 褌の男はなおも怪しげなマッスルポーズを取りながら、摺り足で少女に迫った。彼女の身を案じる柳也の心中はさておいて、傍目には変質者が若い娘に襲いかかろうとしている状況にしか見えない。

「来ないでッ、来ないでッ!」

 貞操の危機とか、生理的な嫌悪感はとうに通り越していた。目の前の変質者に対して、いまや生命の危機すら覚えた少女は、喚きながらたらいの中の洗濯物を投げつける。

 鋭い放物線を描いて襲来する水気を含んだ衣類の数々を避けながら、柳也は顔をしかめた。

 折角洗った衣服がまたぞろ汚れてしまわぬよう、極力飛んでくる凶器を掴みつつ、小さく呟く。

「いかん。錯乱状態が始まった」

 どこまで自分に都合の良い解釈をすれば気が済むのか、この男は。

【むぅ、これは危険だ。仕方あるまい。主よ、この娘を落ち着かせるために、我を鎮静剤代わりに寄生させるのだ】

 切迫した状況を鑑みて〈決意〉が言った。

 体内寄生型の永遠神剣達は、契約者の柳也の考え方一つで自在に形態や性質を変化させることが出来る。勿論、薬剤の代用品としての機能を付加することも可能だ。もっとも、〈決意〉も〈戦友〉も所詮は第七位の低位神剣だ。心臓肥大やがんのような難病の特効薬にはなりえない。それでも、鎮静剤や簡単な解熱剤代わりにはなるはずだった。

 刀や槍といった無機物に寄生させるしろ、動植物のような有機物に寄生させるにせよ、柳也が相棒の神剣の一部を自分以外の何かに寄生させるためには、直接対象物と接触していなければならない。

 なおのこと少女に近付かなければならなくなった柳也は、このようなゆっくりとした歩みでは埒が明かないと、とうとう強行手段に訴えた。

 マッスルポーズを解き、両の掌をぴったり合わせ、次の運動に備えて両膝を軽く曲げる。

 直後、彼は地面を蹴った。そして、跳んだ。伝説のル○ン・ダイブだ!

「ル○〜〜〜〜ン、ダァ〜〜〜〜イぶぼほおおおあッ!」 

「何やってんのよッ、あんたは!」

 メイド服の少女に飛びかかろうとした柳也が宙へと舞い上がったその瞬間、どこからともなくやって来たるーちゃんが飛び蹴りを放った。

 予期せぬ方向からの攻撃は奇襲の効果を生み、小柄の少女の蹴りをして六尺豊かな大男の身体を吹っ飛ばした。

 もんどり打って地面を転がる我らが主人公。しかし、受身を取るのは忘れない。

 褐色の素肌には傷一つなく、柳也はすぐに立ち上がった。

 現われるなりいきなり飛び蹴りをかましてきた無法者のご主人様に、食ってかかる。

「と、突然何をするんだるーちゃん!?」

「それはこっちの台詞よッ! 帰りが遅いから探してみたら……あんた、この娘に何をしようとしていたの!? あと、るーちゃんって呼ぶな!」

 肩で息をし、頬を紅潮させたルイズは柳也を睨みつけた。

 褌の男を見据える眼差しには、怒りを伴った険が滲んでいる。

 実を言えばルイズは、柳也と娘のやりとりを少し以前から見物していた。

 客観的に見て、柳也の取った先の行動は、武器を携えた半裸の男が若い娘に襲い掛かろうとしていたようにしか思えない。

 仮にも貴族の召使いが、平民の娘を力ずくで手篭めにしようとしていたのだ。他ならぬ雇用主のルイズは貴族として、また同性としても許せなかった。

 剥き出しの怒りを突きつけられた柳也は真顔になった。

「何を……って、こちらのお嬢さんの様子が変だったから、とりあえず筋肉を見せて落ち着けようとしたんだよ。あと、残念だが、俺はもう、“るーちゃん”以外の呼び方は思いつかない」

「……ごめん。意味が分からないんだけど」

 ルイズは思わず頭を抱えた。この男の言うことが、さっぱり理解出来ない。特に後半部分。普通にご主人様と呼べないのか、この召使いは。

「どこをどう考えたら、そんな結論に達するわけ? それから、るーちゃんって呼ぶな」

「ふむ。ならば分かりやすく式で答えよう。それから、その命令は断固として拒否する」

 柳也は毅然とした態度で言い放った。

「まず、『筋肉=力強さの象徴』という等式を考える。次に、『力=安全を保障するもの』という等式を考える。この二つを組み合わせることで『筋肉=力強さの象徴=安全安心の象徴』という関係が成立するわけだな。この関係を踏まえた上で、『逞しい俺様+マッスルポーズ』という式を考えてみよう。答えは『逞しい俺の筋肉さらに強調』となり、それはすなわち世の中に安心を振り撒くもどうぜ……」

「おのれはアホかぁぁ――――――ッ!」

「ぶぼらばはあっ!!!」

 得意顔で講釈をしていた柳也の脇腹を、鋭い左フックが薙いだ。るーちゃん怒りの鉄拳だ。それが、肝臓を押し上げる形で炸裂する。タフネス自慢の柳也も、これはたまらない。

「ば、馬鹿なッ……この俺の完璧な論理が通じないなんて……」

 柳也は悔しげに呻いた。呻きながら、膝から崩れた。

 こんなにも屈辱的な、それでいて強力な一撃をもらうのは、現代世界でメダリオと戦った時以来だった(マテ)。

 そんな柳也を冷たい視線で一瞥して、ルイズはメイド服の少女を見た。

 少女の肩が、びくり、と震える。彼女を見つめるルイズの目線には、怒りの感情が滲んでいた。

「そこのあなた」

「は、はい」

 メイド服の少女の顔が、褌の男に言い寄られていた時とは別な意味で青ざめた。

 ハルケギニアの平民にとって、貴族は絶対的な権力者であり、また圧倒的な暴力を振りまく存在だ。貴族は魔法を使うことが出来る。少女の瞳が恐怖からくる怯えの色で染まってしまうのも無理なきことだった。

「うちの召使いが悪かったわね。今回は素直に謝っておくわ」

 ルイズは不機嫌な態度を隠すことなく、ぶっきらぼうな口調で小さく頭を下げた。

 謝罪を受けた少女はいまだ、ガタガタ、と震えている。

 平民と貴族の力の差を考えれば仕方のないことだが、そんな少女の、おどおど、した態度が、ルイズのむかっ腹を余計に刺激する。

 なぜ、貴族の自分がたかが平民の娘に頭を下げねばならないのか。それもこれも、みんな召使いのこの男のせいだ。

 ルイズはいまだ腹をさすっている柳也の背中を蹴った。

 ローファー越しに爪先蹴った男の背中は広く、自分程度の脚力ではビクともしない。むしろ蹴ったこっちの足が痛いくらいだ。

「ほらっ! もう朝食の時間なんだから、さっさと立って、さっさと行くわよ」

「りょ、了解。るーちゃん」

 腹の痛みが治まったか、褌の男は立ち上がると膝に着いた砂埃を払った。

 普段から荒事に慣れているだけあって、さすがに回復が早い。

 柳也が立ち上がったのを確認したルイズは、またもや一瞬不機嫌そうに渋面を作ると、踵を返した。

 後ろを振り返ることなく、ズカズカ、と一人歩き出す。学年別のマントを羽織った後ろ姿が、「着いてこないと置いていくぞ」と、無言で語っていた。

 柳也はその背中を一瞥すると、ついでいまだ怯えた眼差しをルイズに向けているメイド服の少女を見た。

「……申し訳なかったな」

「え?」

 貴族のルイズにばかり意識を向けていた少女は、柳也の声に、はっ、となって彼を見た。

 自分より頭一つ分以上背の高い大男は、その巨体に似合わぬ憂いの帯びた表情で、彼女を見下ろしていた。

「いや、俺自身よく分かっているとは言い難いが、るーちゃんの口ぶりから察するに、どうやら俺の行動が君を恐がらせてしまったらしいから。……本当に、申し訳なかった」

 柳也は苦渋に満ちた口調で呟くと、深々と腰を折った。

 自分が本当に悪いと思ったら、恥も外聞も捨てて素直に謝りなさい。幼き日、両親が死んだばかりで荒れていた時期に、柊園長から何度も諭された言葉だ。

 思春期を迎える以前に両親を失った自分に、しらかば学園の教師達は人として最低限の礼節を叩き込んでくれた。その教えを、無駄にするわけにはいかない。

「侘びと言ってはなんだが、少しだけ、君の両手を見せてくれないか?」

 頭を上げた柳也は、白い歯を見せて笑いかけた。

 決して美男子とは言い難い容姿の柳也だが、屈託のない満面の笑みには人を垂らし込む不思議な魅力が滲んでいる。邪気を感じさせないところが、女子どもに安心を与えるのかもしれない。

 柳也の莞爾としたはにかみを受けて、それまで怯えてばかりだった少女は、急に肩の力が抜けていくのを感じた。

 つい先ほどまで、悪鬼の如き形相で自分に飛びかかろうとしていた男と同一人物とは思えない、底抜けに明るい微笑。はて、彼のいったい何に怯えていたのかと、自分自身に問いかけてしまう。

 呆気に取られてしまった少女は、おずおず、と自分の手を差し出した。

 ヤスデの葉を思わせる大きな掌が、そっとそれを包み込む。

 男の落とした真剣な眼差しが、妙にくすぐったかった。 

「……ふむ。やっぱりそうか」

 女の小さな手に注がれていた視線が、上を向いた。

 娘の目線と、柳也の目線が間近で交差する。黒檀の塊を思わせる大振りな双眸。何者の意見にも惑わされない意思の強さを感じさせる瞳に見据えられ、少女は思わず頬を赤らめた。

 柳也の薄い唇から、溜め息とともに言の葉がこぼれる。

「先ほどから、ちらちら、と見て気になっていたが、少し荒れているな。普段から、水仕事は多いのかい?」

 愚問だった。貴族が自分で洗濯や皿洗いなどするはずがない。ましてや、手に優しい化学洗剤など望むべくもない文明レベルのハルケギニアだ。少女の細腕に、相当な負担がかかっているのは明白だった。

 少女の返事を待たずして、柳也は「少し、じっとしていてくれ」と、呟いた。

 エスペリアやハリオンほどではないが、自分にも回復の力はある。

『神剣の主、柳也が命じる』

 柳也の唇から、また言の葉が爆ぜた。

 しかしそれは、現代世界にも、ハルケギニアにも存在しない、未知の言語体系の発音から構成されていた。聖ヨト語だ。

 一語、一語を紡ぐにしたがって、柳也の掌を中心に、熱いオーラの輝きが集束していく。

『我が闘志のオーラフォトンよ、今は安らぎの光となりて、傷負いし者達の癒しの糧となれ。……オーラヒート・ヒール』

 詠唱が完結し、熱いオーラフォトンの奔流が、柳也の手から少女の手へと流れ込んでいった。

 オーラヒート・ヒールは、柳也の命ある限り無限に生産される闘気のオーラフォトンを使った回復魔法だ。オーラの宿す激しい熱で対象の細胞を活性化させ、自然治癒力を高める効果がある。一回の回復量は緑スピリットの回復魔法に負けるが、肉体をマナで構成していない人間にも効用のある、汎用性の高い魔法だった。

 急速に体温が上昇していく掌に、メイド服の少女は困惑の表情を浮かべた。

 ついで、見る見るうちに張りと艶、柔らかさを取り戻していく自分の手を眺めて、驚愕の表情を作る。

「ま、魔法?! もしかして、貴族の方なんですか?」

「いいや、違う」

 柳也はきっぱりと首を横に振った。

「魔法は魔法だが、俺のは、貴族の皆さんがお使いになるような、高尚なものじゃない」

 目の前の敵を倒すための技だ。戦友を助け、より多くの敵を殺すための技術だ。

 口から出掛かった言葉を飲み込んで、柳也は自嘲気味に苦笑した。

 こうして龍の大地の離れてみて、改めて自分達のやっていた戦争という行為の虚しさを実感する。いまにして思えば、とにかく自分達に益のない戦いに加担していたものだ。

「……しばらくは熱さで違和感があるかもしれないが、熱を帯びているのは回復が進んでいる証拠だから、安心してくれ」

 暗くなりかけた気分を払拭するように、柳也は努めて明るい声音で言った。

「あ、ありがとうございます」

「礼には及ばないさ。……言ったろ? 侘びの印だって」

 柳也はまたはにかんでみせると、軽くウィンクを投げた。

 握っていた手を離し、明るい口調で囁きかける。

「俺が魔法を使えるってことは、みんなには内緒だぜ?」

「あ、はい。……ところで」

「ん?」

「あの、あなたのお名前は……」

「おっと、これは失敬。女性に話しかけるのに、最大の礼を失していた」

 柳也は莞爾と微笑んだ。

「リュウヤ・サクラザカだ。ミス・ヴァリエールことるーちゃんの召使いさね」

「こらー! リュウヤ、さっさと来なさい!!」

 耳朶を撫でるルイズの声。なんのかんのと言って、自分が来るのを待ってくれているらしい。

 可愛いところがあるじゃないかと含み笑いをしつつ、柳也は「いま行くって!」と、応じた。

「それじゃあ、機会があればまた会おう。ええと……」

「シエスタです」

「オーケー、シエスタ。美人との出会いは一期一会だ。また会える日を、心から楽しみにしているよ」

 柳也はにっこり笑ってそう言うと、水汲み場を後にした。

 これから楽しい朝食の時間が待っている。

 


<あとがき>

 いかん。アセリアAnother本編よりも四割増しで柳也が変態だ。

 というわけで「ゼロ魔刃」EPISODE:03でした。

 今回の話はリレーSS板時代には書かなかったシエスタとの出会い編でした。読者の皆様が彼女とるーちゃんを哀れに思ってくれれば我が意を得たり。

 次回もお付き合いいただければ幸いです。ではでは〜




柳也がやたらと筋肉を誇示しているような。
美姫 「でも、その行動をらしいと思ってしまうのは何故なのかしらね」
確かに。しかし、思わず某魔法使いを狩るハンターさんの一人が脳裏に浮かんでしまった。
美姫 「まあ、それは良いとして、サイトよりも先にシェスタに会った事になるわね」
これで後に何か変化が出るのか、それとも殆ど影響なしなのか。
美姫 「興味深いわね」
うんうん。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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