注)この話はHeroes of Heartに登場するオリキャラ……闇舞北斗のストーリーであり、本編開始前の外伝的内容となっております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1973年3月10日

 

 

 

 

 

 カウンターだけの店だった。店内の広さは畳8畳あるかないかで、当のカウンターも、詰めるに詰めて6席しかない。

 バー『クロック』は創業以来ずっと閑古鳥が鳴き続けている小さな店だった。年間の客足数十人。これといって品目の値段が高いわけでもなく、周囲の人々は「それでよく経営が成り立つな」と、口を揃えて言っている。

 それにたいしての店長・村上昭二(73歳)の言い分は、「店の方は道楽だから別に客が来なくても構わないんだ。本業の方に客が来てくれればな」とのこと。もっとも、その本業について誰も詳しくは知らないというあたり、不気味ではあるが。

 とにかく、そうした諸事情から『クロック』は、最近営業時間自体が短くなったこともあって、より一層の客足低下を招いていた。

 しかしその日、『クロック』には2人もの客の姿があった。物好きな連中だと思いながらも、アルバイトの青年は珍しい客に興味を示し、2人の男をじっと観察していた。

 ライダースーツを着た男と、トレンチコートを着た男の、2人組み。ともに180センチは超えているであろう長身は、2人とも何かスポーツをやっているのか、身長以上に堂々たる体格を支えている。先刻の夕立にやられたのか、2人の服はびしょびしょに濡れていた。

 

「『ピンク・ジン』を……」

 

 アルコールには相当強いのか、ライダースーツの男がかなり度数の高い、ジン・ベースのカクテルを頼む。

 対称的に、トレンチコートの男はアルコールに弱いらしく、注文は控えめだった。

 

「あ、俺は『プッシーキャット』で」

 

 ノンアルコール・カクテルだ。酒が飲めない女性向けの甘く優しいカクテルで、ベースもアルコールではなくフルーツジュースである。

 

「おいおい、折角バーに来たっていうのに……ノンアルコールはないだろう」

 

 トレンチコートの注文を聞いて、ライダースーツの男が呆れたように言った。

 対して、トレンチコートの男が薄い唇を尖らして、しかめっ面で言う。

 

「酒場に行こう…って、言ったのは闇舞じゃねぇか。俺が酒飲めないって、知ってるだろう?」

「知らん。……十数年ぶりの再会だぞ? そりゃ昔は飲めなかったかもしれないが、今なら飲めるだろうと思うのも当然だろうが」

「へぃへぃ、そりゃあご期待に沿えず申し訳ありませんでしたね」

 

 卑屈に苦笑するトレンチコートの男。

 2人の口振りから察するに、男達は十数年ぶりの再会を果たしたばかりらしい。積もる話もあるだろう。ここは、2人きりにしてやるべきか……

 どちらにせよ、自分にカクテルは作れない。

 青年は店長の老人を呼ぶために店の奥へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 カウンターから青年が立ち去り、店内に2人の男だけが残された瞬間、場の空気は突如として変態を遂げていた。

 先刻までの穏やかな雰囲気は影を潜め、殺気混じりの気配が到来する。

 

「……14年前になるか。俺と、お前が最後に会ったのは」

「ま、そんなところだな。時間の経過は思いのほか遅い。あんまりのんびりしすぎているから、正確な日数は忘れちまった」

 

 改造人間の一生は長い。外見上は年齢を経ても、十数年の時間は実質数年ほどの時間しかない。それを短く感じるならまだしも、長く感じるとは……

 

「長かったぜ〜この十数年間は。改造人間になってからの数年間は特に長かった。地獄の訓練プログラムに数多の実戦。冗談抜きに、何度も死にそうになった」

 

 やや大仰に語る獅狼に、北斗は出かかった言葉を呑み込んだ。

 

『お前は本当に改造人間なのか?』

 

 言葉にするまでもない。分かりきったことだ。自身の鋭敏すぎる感覚も、獅狼本人も、彼が改造人間であることを認め、証明している。

 

「……誰だ?」

「あん?」

「誰がお前をそんな体にした? あの後、いったい何があった? この14年間、何をしていたんだ?」

 

 吐き出すような北斗の言葉に、獅狼は苦笑で答える。

 

「おいおい、質問は一つずつにしてくれよ。俺はお前みたいに頭良くねぇんだから。……最初の質問についてだが、俺を改造したのは〈ゲルショッカー〉だ」

「〈ゲルショッカー〉……?」

「正確には〈ゲルダム団〉時代に改造されたんだけどな。その後も何度か微調整改造をしてるから、改造人間としちゃあ、お前よりも新型だぜ?」

 

 改造手術を施したのは自分ではないのに、何故か得意げな様子の獅狼。そんななんでもない仕草から、昔の彼の面影を感じ取って、北斗は絶望した。

 獅狼は変わっていなかった。小島獅狼は、北斗がかつて親友と呼んだ男のままだった。

 愚直なまでに空手道に命を費やし、愛する者を守ろうとした誇り高き男。なにより、殺人マシーンであった自分に、少なからず“人間らしさ”を取り戻させてくれた、唯一無二の親友。

 そんな大切な友を、改造人間などという魔性の存在に変えたきっかけを与えたのは自分であるという事実は、彼の心を苦しめた。

 獅狼の言った〈ゲルショッカー〉という組織について、1年前、長い仮死の眠りより目覚めたばかりの北斗はプロフェッサー・ギルから教えられたことがある。

 『仮面ライダー』と、彼らの活躍に追随する組織によって存続の危機に瀕した〈ショッカー〉が、南アフリカを中心に活動していた秘密結社〈ゲルダム団〉と組織合併をすることにより再編された組織。旧〈ショッカー〉同様に改造人間を主戦力とし、旧組織以上に大量虐殺、大都市破壊などの大規模作戦をおもだった活動とする、恐怖の軍団。

 はたして、北斗はいつまで〈ショッカー〉という名の鎖に縛られていなければならないのだろうか。

 北斗の苦悩をよそに、獅狼は言葉を続ける。

 

「――まぁ、もっとも当の〈ゲルショッカー〉も、今や『仮面ライダー』御一行様のおかげで組織は壊滅。我らが偉大なる首領〈ショッカー〉は最終組織〈デストロン〉を組織して、頑張ってる。――で、二つ目の質問だが……」

 

 獅狼は、トレンチコートの胸ポケットに指を滑り込ませると、中から小さなビニールの密閉袋を取り出した。

 その中身を覗き見て、北斗の表情が硬化した。

 彼の動揺と、それに伴った表情の変化を見て、獅狼はニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「さすが闇舞、やっぱ頭良いな。……もう14年も前の事なのに、コイツを見て、すぐに思い出すなんてな」

 

 忘れるはずがなかった。忘れられるはずがなかった。

 袋の中で鈍い輝きを放っているのは、乾ききった血のりで少しだけ赤黒く染まった、鉛の弾頭だった。

 ――25ACP弾。主にベレッタM1919などの小型拳銃に装填される、ストッピング・パワーの低い小口径拳銃弾。

 

「ま、忘れるわけねぇか。テメェで撃ったモンだもんな。……そうだ。お察しの通り、コイツはあの日、お前が春香にぶち込んだ弾丸だ」

「……」

 

 絶句する北斗に構わず、獅狼は言葉を継いでいく。

 

「――あの後、俺は気が付くと〈ゲルダム団〉の基地にいた。お前があの後〈ショッカー〉に回収されたように、俺も連中に回収されちまったってわけだ。改造人間の、素体としてな。〈ゲルダム団〉は俺の傷を癒し、春香の遺体も回収してくれた。そして、基地司令の『ブラック将軍』は色んな事を話してくれた」

「……」

「お前の事、〈ショッカー〉の事……この世界がどれだけ狂っていて、どれだけ壊れているかを知ったとき、正直、絶望したよ。憎い仇であるはずのお前の境遇を知って、涙さえ流しちまった」

「……」

「最初は『春香を殺したのは闇舞じゃねぇ。春香を殺したのはこの狂った世界だ』って、自分に言い聞かせようとした。……けど、やっぱ駄目だった。春香の体内から出てきたこの弾丸を見た瞬間、頭に血が昇っちまった。この25ACP弾を撃ったっていうベレッタの残骸を見た瞬間、俺の中で、何かドス黒いモノが駆け巡った」

 

 小島獅狼という男は、こんなにも饒舌に言葉を駆使する男だったか。まるでナニモノかに取り憑かれているかのように、獅狼は次々と言葉を吐き出していった。

 

「『ブラック将軍』は言ったよ。『我々の目的は君の恋人の奪った原因の一端でもある〈ショッカー〉の壊滅にある』ってな。一発で嘘だって分かったし、事実そうだった。…けど、そんな事はこの際関係なかった。俺にとって重要な事は、改造人間になればお前を倒せるだけの力が手に入るって事だけだった」

「それで……それでお前は改造人間になったのか!? 元の……人間の肉体を捨ててまで!!」

「へッ、その通り」

「なんてことを……」

 

 北斗は強烈な力で殴られたように項垂れた。

 あの時、自分がしたことは一体なんだったのか? ……あの時、獅狼と春香の、互いを気遣い、守ろうとする心に打たれ、北斗は瀕死の獅狼にトドメを刺さなかった。…否、刺せなかった。結果的に彼は生き延び、こうして自分の目の前に現れた。それはとても喜ばしいことであり、幸福な瞬間であるはずだった。

 しかし、14年ぶりに再会した親友は変わってしまっていた。かつての自分の所業が遠因となって、変わってしまっていた。

 因果応報というにはあまりな運命、あまりな悲劇。

 もし、この世に神という存在が本当にいるのならば、何故、彼の者は北斗にこうも茨の道を歩ませようとするのか。

 苦悩する北斗が獅狼に何かを言おうとしたその時、不意に、奥の戸が開いて、『クロック』の店長・村上昭二が姿を現した。

 慌てて口を噤む北斗。

 度し難いほどの怠慢だった。いくら心が乱れているとはいえ、老人1人の接近を察知できないなど、本当ならあってはならないことである。

 北斗の内で渦巻く数多の感情に、しかし老人のくすんだ瞳は気付かない。

 村上老人は2人の注文を確認すると、北斗のピンク・ジンから作り始めた。

 滝のように勢いよくドライ・ジンが注がれ、2・3滴のアンゴスチェラ・ビターズが振りかけられる。

 シェーカーを使わず、直接グラスに氷や酒の材料を注いで作るピンク・ジンは、その製作過程を見て楽しむことができる。しかし、いつもは心躍るその光景も、今の北斗には効果はない。

 黄色みのかかった淡いピンク色の液体が、北斗の目の前に差し出される。

 北斗はグラスを手に取ると、一気にアルコールを喉へと流し込んだ。

 味を楽しむ余裕はなかった。ただ、どうしても酒が飲みたかった。飲んで、飲んで、飲みまくって……泥酔し、何もかもを忘れたかった。

 しかし、改造人間の肉体は身体がアルコールで酔うことを許さず、酒豪・闇舞北斗の潜在意識は彼の精神が酔うことを許さない。

 酔うことも叶わず、忘れることすら叶わない。現実逃避という選択肢は、彼には許されなかった。

 獅狼のプッシーキャットが完成し、北斗が2杯目のカクテルを注文する。

 

「おやおや、せっかちなお客さんだ」

 

 そう言いながらも、アルコール度数の高いカクテルを一気に飲み干した北斗の飲みっぷりが気に入ったのか、村上老人は快く注文を承る。

 

「店長、そろそろ軽めのオードブルなんか頼んます」

 

 ノンアルコールにも拘らずチビチビとカクテルを飲む獅狼が言った。カクテルは本来、食前・食後酒である。

 その時、不意に北斗の耳膜を聞き慣れぬ声が打った。

 常人の感覚器官では口から発することはおろか、耳で捉えることすらままならぬ周波数の声。

 誰が発声しているかは明白だった。今この場で、その特殊な発声ができる者は2人しかいない。

 

「最後の質問に答えようか。俺がこの14年間、何をしていたかについて……」

 

 グラスを唇に付けたまま、発声器官だけを振動させて、獅狼が言う。唇は、いわゆる“あいうえお”の形をとっていない。

 

「しばらくは組織に尽くして働いていた。お前達〈ショッカー〉がベトナムで戦っている傍ら、俺も現地にいたし、〈ゲルショッカー〉ができてからは四国で必死こいて警察や自衛隊の連中と水面下で戦っていた。…んで、組織が壊滅してからは……」

「……」

「生き残りの残党連中を連れてお前のことを探していた。……何のためか、分かるか?」

「……俺への、復讐のため、か?」

 

 北斗もまた、唇は動かさず、発声器官だけを動かして常人には認識不可能な声を出す。

 獅狼は、ようやくプッシーキャットを飲み干して、言った。

 

「ああ、そうだ」

 

 はっきりと、店内に響き渡る声で、獅狼は言った。

 

“ピシィ……”

 

「この14年の間、俺は常にお前のことを考えてきた。お前をどうやって殺してやろうかって…、14年の間に何百万通りもシミュレーションしてきた」

 

“ピキッ…ピキキキッ……”

 

「改造人間になったのも、組織に従ってきたのも、全部お前を殺すためだ、闇舞。俺から……大切なモノを奪っていったお前に対する、復讐のためだけに、俺は今日まで生きてきた」

 

“パリンッ!”

 

 獅狼の手の中で、空のグラスが音を立てて割れる。

 シンプルな形状のグラスの破片は、獅狼の皮膚に突き刺さり、ズタズタにしながら、しかし彼の掌からは一滴の血も流れなかった。

 

「小島……」

 

 獅狼は、静かに席を立った。非常にゆったりとしていながら、それでいてまったく隙がない。一連の動作は、この14年間、獅狼が高度な訓練を受け、そうして得た力を、実戦の中でどう磨いてきたかを如実に表していた。

 北斗は、突然立ち上がった獅狼に怪訝な表情を浮かべ、次の瞬間、彼の体から放出される膨大な殺気に、思わず身構えた。

 ――その時、北斗の視界の隅で、閃光が走った。

 

「ッ……!」

 

 それが獅狼の放ったアッパーカットだと北斗が悟った刹那、彼の体は顎に炸裂した衝撃に吹き飛ばされていた。

 

“ガシャァアンッ!”

 

 背中から店の壁へと激突する北斗。

 木製の壁がいとも簡単に陥没し、壁に掛けられていた油絵が“ゴトリ…”と、鈍い音を立てて落下する。

 2人のやりとりを茫然と見ていた村上老人が、はっとして獅狼に掴みかかろうとした。

 しかし、老人の華奢な手が獅狼の体を捉えることはなかった。伸ばされた手は所存なく空を掴み、たった今しがた店内で暴力行為を働いた男は、すでに壁にめり込んだ男の胸倉を掴んでいた。

 ぐいっ…と、片腕一本だけで北斗の巨体が持ち上げられる。

 獅狼はシニカルな笑みを浮かべると、そのままもう片方の手で拳をつくり、北斗の体を何度も打った。

 

「……ッ!」

 

 獅狼が、5発目の拳を叩き込もうとしたところで、北斗が機敏に反応し、獅狼の手首を手刀で撥ねようとする。

 だが、北斗が獅狼の手首を捉えたと確信した時、圧倒的な速さで獅狼の拳は加速した。

 

「……グッ!?」

 

 またしても叩き込まれる拳撃。獅狼の拳は、北斗のそれよりも速かったのだ。

 さらに10発ほど拳を叩き込んで、獅狼はようやく北斗を解放した。

 

“ドサッ”

 

 床に仰向けに倒れ伏す、北斗の体。まるで抵抗するのを諦めたかのように、その身はピクリとも動かない。

 そんな北斗を見下ろしながら、獅狼は静かに告げる。

 

「……今日のところは挨拶代わりだ。テメェには春香のことでもっと苦しんでもらわなけりゃならねぇからな。……いずれ、キチンとした決着はつけるぜ」

 

 獅狼は、トレンチコートのポケットから牛革の財布を取り出し、中から数枚の1万円札を取り出した。

 

「カクテルとオードブルの代金。……それから、店の修理費です」

 

 満面に、少年のような屈託のない笑みを浮かべて、獅狼は唖然とする村上老人にそっと近付き、その老いた両手に1万円札をしっかりと握らせた。

 大きく、温かい手だった。所々節くれだち、巌のようにゴツゴツとしていたが、握っていると不思議と安心できる。村上老人は奇妙な感覚に戸惑いながら、床で倒れる北斗と、獅狼の顔を交互に見比べた。

 

「それじゃ、俺はこれで。……カクテル、美味しかったです」

 

 礼儀正しく腰を折り、獅狼は村上老人に背を向けた。

 その背中を凝視して、村上老人は先刻とは打って変わって戦慄する。

 よく『男は背中で語る』と言うが、まさにその通りで、様々な色で薄汚れたトレンチコートを纏った獅狼の背中は、それまでの凄惨な人生を無言のうちに語っていた。自分の3分の1も生きていない男の、それまでとこれからを想像して、老人の背筋は震えた。

 老人は、先の大戦で出兵し、そのまま帰ってこなかった己が息子の背中と獅狼の背中を重ねながら、彼を見送った。

 そして店内には、大きな物音を聞きつけて慌てて駆け込んだアルバイトの青年と、茫然と獅狼が出て行った扉を見つめる村上老人と、静かに床に倒れ伏す北斗だけが残された。

 不意に北斗は、扉を見つめる老人に向かって口を開く。

 

「この店の名は…たしか『クロック』といいましたか……」

「あ、ああ、そうだが……」

 

 突如として口を開いた北斗にぎょっとし、村上老人は愕然と応じた。

 

「『クロック』――『時計』か……」

 

 自分と獅狼の間を隔てる、14年という月日。

 もしそれを寸刻も逃さずに刻み続けてきた『時計』があるとしたら、北斗はその時計の針を元に戻したいという、叶わぬ願いを胸の内に抱いた。

 

「夕凪…留美……」

 

 そっと瞼を閉じれば、すぐに思い浮かぶ2人の女の顔。

 今は亡き、自分の記憶の中だけの存在となってしまった2人に、北斗は問いかける。

 

「……俺は、どうしたらいいんだ?」

 

 記憶の中の2人は、北斗の問いには答えず、ただ優しい微笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Heroes of Heart外伝

〜漆黒の破壊王〜

――失われた誇り――

第十二話「闇舞光」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……2人に訊くまでもなかった。答えなど、最初から決まっていたのだ。

今更どう足掻こうが、すでに終わってしまった事を変えることは出来ない。過ぎ去りし日々は、もう2度と戻ってこないのだ。

やるべき事は最初から結論されていた。そして、それを実行できるのは自分だけであるということも。

……ただ、それ(・・)を実行するためには多大な勇気が必要だった。

そして残念なことに、俺にはそれだけの勇気がなかった。

 

 

 

 

 

俺は夏目先生の部屋にも帰らずにイスカリオテを走らせた。

……ようするに、俺はこの現実から逃げ出したのだ。

かつての俺の行いが遠因となって、掛け替えのない親友の人生を滅茶苦茶にし、あろうことかその親友と雌雄を決せねばならないという悲しすぎる現実に、俺の、何千人もの人間を殺しても動じなかった鉄の精神は、耐えられなかったのだ。

ひとつしか残されていない選択肢を選ぶことすら放棄して、ひたすら逃避する。

それが単に問題の先送りにしかならないことは分かっている。

バーで垣間見た獅狼の復讐の炎は、逃走する俺の道筋すら焼き焦がそうとするものだ。とても逃げ切れるものではない。

……だが、今だけは…………

今だけは、酒に溺れることすら出来ぬこの体と心から、今の現実に対する諸々の感情を拭い去りたかった。垢のようにこそぎ落としたかった。

そして、懊悩の果てに俺が選んだ風呂釜は……

 

 

 

 

 

……夕立はとうに過ぎ去り、もうすぐ日付も変わろうという時刻。

俺は、如月学園の、立ち入り禁止区域の屋上に居た。

あいつらと初めて出会い、自分の半身と再会を果たしたこの場所……シオニズムを気取るわけではないが、俺はこの聖域に……戻ってきたのだ。

俺は濡れたコンクリートの床に背中を預け、ただ虚ろに夜空を見上げていた。

夜の夜気が、“シン…”と、身に染みる。

天に浮かぶ金色の三日月が、俺の心を優しく癒す。

 

「はぁ……」

 

月と星の優しい明りに包まれながら、俺はゆっくりと深呼吸をした。

肺の中に冷たい空気が滑り込み、俺の体内で熱され、また口から滑り出ていく。

オーバーヒート気味だった頭は、大分落ち着いていた。一瞬の間に起きた、外界のめまぐるしい状況の変化に着いて来れなかった理性が、ようやく本能に追いついて、俺の心を鎮めたのだろう。不思議な気分だった。

 

「フッ……」

 

先刻まであんなに現実から逃げようとした男が、今は心穏やかに1箇所に留まっているという事実に、我知らず唇から失笑が漏れる。

おそらく、この場所には不思議と落ち着くことの出来る、“何か”があるのだろう。

……そう、俺に対してはたらく、何らかの力の加護が、この場所にはあるに違いない。

 

「……やっぱり、ここだったんですね」

 

顔を見ずとも、誰であるか手にとるように分かる。

あの時と同じだ。

……いや、いつもそうだった。

高校に入学して早々、安息の場所をこの場に求めた時も、長い仮死の眠りから目覚めて、ロボット刑事を破壊し、逃避の果てにこの場を選んだ時も、俺はこの場に独りでいて、そして彼らが、屋上へ続く扉を開けたのだ。

 

「心配したんですよ。闇舞先生ったらコーヒーを買いに行ったっきり帰ってこないんですから」

 

仰向けに寝転がる俺の顔を覗き込むように、夏目先生が移動する。

改造人間の視力に頼らずとも、月明かりに照らされた輪郭ははっきりと映っていた。美しい唇は穏やかな微笑をたたえている。

カラカラに乾ききった喉と唇、それから舌を動かして、俺は言葉を紡いだ。

 

「……よく、ここにいると分かりましたね」

「ええ。闇舞先生の帰りが遅いから探しにいこう……って、思って。そしたらなんとなく最初に思いついたのがここだったんです」

 

「ビンゴでした」と、まるで子供のように赤い舌先を出して、彼女は笑った。

正直、その答えには驚いていた。

この場所で、俺と夏目先生の接点といったら、昨年の11月に再会を果たした事ぐらいしかない。そもそも俺自身この場所に来ること自体、あの再会以来なのだ。帰りの遅い俺を心配して探すにあたって、いちばん最初に除外されるべき場所ではないだろうか。

 

「隣り、座ってもいいですか?」

 

言葉短く「構いません」と、答える。

すると夏目先生は、いかにも高級そうなコートを着ているのにも拘らず、まだ雨水の残るコンクリートへ直に腰を降ろした。「服が濡れてしまいますよ」と、忠告すると、「服って、身体が汚れるのを防ぐためにあるんですよ」と、返事が返ってきた。

まったくもって正論なので口を噤む。

そんな俺の様子が可笑しかったのか、夏目先生は手を口に当てながら失笑を漏らした。

そして夜空を見上げ、

 

「綺麗ですね」

 

……と、一言、唇から歌うように言葉を紡いだ。

そう、たしかに綺麗だ。

しかしそれは、夜空に浮かぶ金色の笹舟に対してなのか、俺の目の前にいる彼女に対してなのか……俺には、皆目見当が着かない。

 

「月が、ですか?」

「ええ。……東京の空はあまり星が見えないじゃないですか。だから、月が余計に目立って、すごく貴重なものに見えてきません?」

「……たしかに」

 

夏目先生に言われ、俺もまた夜空へと視線を向け、そこに浮かぶ三日月を見る。

なるほど、周りにちらほらと見える星々は、改造人間の視力だからこそ見えるものなのだ。

常人である夏目先生には、さしずめ漆黒の、そして静寂の海に浮かぶ、1個の淡い輝きを放つ宝石にも見えるだろう。

 

「闇舞先生は大阪万博、行きました?」

「…ええ。開催の年はちょうど留美が教師になって1年目でしたから、家族サービスということで連れて行ってやりました。……月の石も、見ましたよ」

 

もっとも、アメリカがアポロ計画を成功させるより7年も前に、例の如く〈ショッカー〉は月面に着陸し、その資源を貪っていたから、当時の俺にはあまり目新しいものではなかったが。

 

「私も万博には行ったんですけど……月の石は見れませんでした。どんな石だったんです?」

「別に普通の石でしたよ。正直、こんな物を見るために、なんで何時間も並んでいたのかと……でも、留美はそれなりに喜んでくれました」

 

当時のことを思い出すと、自然と笑みが浮かんでくる。

自分でも信じられないぐらい心が安らいでいた。この場所で、この人と、あいつとの思い出を語っているだけだというのに。

どんなに現実から目を背けたところで、この先待っているであろう未来は、変わらないというのに……

 

「……物好きな娘ですよ。昔から、少しミーハーなところがありました」

 

と、俺の寸評に、しかし夏目先生はやんわりと首を横に振った。

そして穏やかに月を見上げたまま、

 

「それはきっと、月の石が見れて嬉しかったんじゃなくて、闇舞先生と一緒に出かけていたから嬉しかったんですよ」

「……そう、なんでしょうか?」

 

問いかけに、夏目先生はようやく俺の顔を見た。

 

「きっとそうです。あ〜あ、その時に闇舞先生と出会っていて、こんな風にお話出来るぐらいの関係だったらよかったのになぁ」

 

珍しく、ちょっと拗ねたような素振りを見せる夏目先生。

そういえば、彼女とは何度も体を重ねているが、そういう風に2人きりで出かけたことは1度もなかった。

今度……その今度がいつあるか、あるかどうかすら分からないが、機会があったら、どこかに連れて行ってやろうか。

そんな他愛もない……本当に他愛もない、しかし心休まるひと時を過ごしながら、俺は自分の中で、彼女に対する感謝の気持ちが大きく膨らんでいくのを感じていた。

彼女がここに来た理由が、帰りの遅い俺を心配して探しに来てくれたということなら、何故俺がここにいて、何故家に帰らなかったのか、当然疑問に思うだろう。

だが、彼女は何も訊いてこない。

あくまで俺から話すを待ち、そのための状況を作ろうと、穏やかに、しかし熱心に尽力してくれている。

少なくとも、俺にはそう思えた。

 

「……ありがとうございます」

 

知らず、無意識のうちにそんな言葉が口から出ていた。

突然の言葉に、キョトンとする夏目先生。失礼な言い方だが、どことなく間抜けなその表情が、少し笑いを誘う。

しかし俺の言葉の意味するところに気が付いたのか、次の瞬間には彼女の表情は真摯なものへと変わった。

 

「何で俺が帰ってこなかったのか……何も、訊かないこと」

 

正直、その心遣いはありがたかった。

 

「……でも、大丈夫です。むしろ、あなたには……光には聞いてほしいんだ」

 

しかし同時に、彼女にだけは隠し事はしたくなかった。

四国でお互いに確認したではないか。俺と彼女は……

 

「光は俺の半身。だから、隠し事はしたくない」

 

俺は、ゆっくりと上半身を起こした。

真摯な表情の彼女の目を、直視する。互いの視線が絡み合い、意思の疎通は完了した。

 

「聴いてくれますか? 俺の話を……」

 

……はたして、俺は今どんな表情を浮かべているのだろうか。眼前の彼女の表情に、ふっと翳りが差し込んだ。

自分の半身と勝手に決め、しかしそれに応えてくれた女性……光は、俺の問いに、首を縦に振ってくれた。その時には、もうあの翳りはなかった。

俺は、言葉を発したばかりにも拘らず乾ききった唇を舌で舐め、ゆっくりと、言葉を探しながら口を開いた。

 

「……もう、14年も前のことです……」

 

 

 

 

 

1960年代末、時の首相・池田勇人は、今後10年間で平均7.2%の経済成長を達成し、70年には国民1人辺りの所得を60年の倍……20万8千円にするという壮大な計画を発表した。いわゆる、『所得倍増計画』である。

これに対する日本の経済成長は、計画の目標値を大きく上回った。60年代には一貫して10%以上の成長を続け、67年にはイギリス・西ドイツを抜いて鉱工業生産が世界第2位となり、69年には国民総生産すらも世界第2位となった。日本はまさしく、高度経済成長の時代にあった。

しかし70年代に入ると、栄光の日本経済にも翳りが見え始めてくる。

高度経済成長の負の遺産……公害。重工業化、都市化が急速に進行した結果、大都市では効果が光化学スモッグが大気を汚染し、土壌を六価クロムが、海をヘドロが蹂躙する。

公害は人類に対して、公害病や、“怪獣”という形で牙を剥いた。

そしてその標的は、主に一般市民であった。

高度経済成長とは、強者は繁栄を謳歌し、弱者は容赦なく切り捨てられ、犠牲となっていく……そんな時代でもあった。

 

 

 

 

 

この時代の渦中にあって、設備が旧式化し、廃棄された倉庫というのはさして珍しいものではない。かつてはとある貿易会社の下で生鮮食品を一時的に保存するために使われていたその倉庫もまた、然り。

過ぎ去りし日々には、食品の鮮度を保つために完備され、フル稼働していた空調システムも、送電がストップした今ではその役目を果たすことすら出来ず……、もはや浮浪者が雨風を凌ぐ程度のはたらきしか出来ぬこの倉庫こそが、小島獅狼の根城だった。

北斗と別れ、途中何件かの店に立ち寄ってきたのであろう。

その証ともとれるビニール袋の中を“ガチャガチャ”と鳴らしながら、獅狼は海際の倉庫街の最奥……『A−197』と表記された倉庫の前へと立った。

長い年月の間に汚れ、錆びついた巨大な扉に手をかける。

ぐっと力を篭めると、錆びの酷い扉は勢いよく開いた。

 

「――今、帰ったぜ」

 

一歩足を踏み入れると、そこはまるで異世界である。

送電のストップにより照明が役目を果たせぬ室内は暗く、光源といえば割れた窓ガラスから注ぐ月明かりしかない。改造人間である獅狼の眼にはそれでも十分だったが、そうでない普通の人間なら、その一歩目にして最初のちょっとした段差に躓き、足元を掬われていたであろう。

獅狼は、大股で10歩前に進むと、おもむろに立ち止まり、暗い部屋を見回した。

閉鎖の際にあらゆる備品を根こそぎ持っていかれた倉庫は、相変わらずのみすぼらしさだった。

だが、物がない分倉庫には広い空間が出来ており、どことなく開放感すら感じる。

獅狼は、その場にどっかりと胡坐をかくと、ビニール袋の中身を取り出した。

月光を受け反射する銀色の筒は、ペット用の猫缶と、同じくペット用のビーフジャーキー。

犬と猫。出自も歴史も、似て非なる2種の動物の食べ物を、取り出した獅狼は、ふと唇をすぼめ、口笛を吹き始めた。

まるで音楽とは思えぬような、酷いメロディラインが空間を支配する。

すると、どうしたことか、倉庫の暗がりから獅狼の元へ、10匹…否、20匹はいるであろうかという、猫と犬の群れが現れた。

獅狼は口笛をやめると、出現した一団ににっこりと笑いかけた。

 

「よ、元気してたか? 今日の分、持ってきたぞ」

 

ビニール袋からは、普通のドッグフードやキャットフードが、まだまだ出てくる。

獅狼は屈託のない笑みを浮かべながら、「ちょっと待ってろよ〜」などと言って、まず猫缶の蓋を己の爪をもって開け始めた。

薄い金属の蓋にザックリと獅狼の爪が突き刺さり、“メキメキ”と音を立てて封印されていた宝物が徐々に姿を現す。

(少なくとも猫達にとっては)香ばしい臭いが夜気に乗って猫達の鼻腔をくすぐり、獅狼に『早く頂戴!』と、雄雌構わずおねだりのポーズ。

チラリと一瞥して苦笑すると、獅狼は「良い臭いだ」と呟いて、中身を皿に盛って床に置いた。

直後、猫達が一斉に跳びかかろうとする。しかし、

 

「待て」

 

……と、獅狼のその一言に、猫達の動きがピタリと止まった。どうやら彼らの間では、犬猫問わず獅狼を中心とする主従関係が出来上がっているらしい。

硬いものもほどほどに、続いてビニール、紙と…次々にペットフードの包装を開く獅狼。

どうやら犬達にも一匹一匹に嗜好があるらしく、そのメニューは豊富である。

先刻の「待て」がまだ効いている犬猫総勢23匹。全員がパブロフの犬状態で涎を垂らしている彼らに、獅狼はすべてを開封し、盛って、ようやく「よし…」と、号令をかけた。

今度こそ、それこそ獣のように(獣だが)一斉に食事に跳びかかる犬、そして猫達……。

獅狼はやはり笑いながら、ちゃっかり確保していた自分の分の猫缶と、ビーフジャーキーを口に運んだ。

 

「……ん、美味い」

 

静かに、口の中に広がる味を噛み締める獅狼。

ペットフードを食べ、それを美味いと感じる男……一種異様な光景ではあったが、本人はいたって嬉しそうである。

犬達…あるいは猫達は、そんな獅狼の足元で戯れ、身を摺り寄せ……彼に頭を撫でられた者達はちょっと得意気に、そして気持ちよさそうな表情を浮かべる。羨望の眼差しが集まり、『自分も、自分も』と、彼らはアピールをやめない。

主従関係……というよりは、親子と、表現するべきだろうか。

 

 

 

 

 

平穏な夜の一時。

だが、その一時を無粋な来訪者は台無しにしてしまった。

 

「……帰っていたのですか」

 

硬質感すら感じる、事務的な声。

足下の犬猫達はそのままに、振り向くと、そこには8人の男達がいた。それが制服であるのか、ツナギを思わせるブルーの全身タイツで身を包み、原色のコントラストが眩しいフルフェイス・タイプの覆面を着用している。

全員、見知った顔だ。

獅狼は足下で戯れる彼らの頭や喉、頬や腹などをひときしり撫でさすってやると、“パンパン”と、ズボンやコートに付いた埃を払いながら立ち上がった。

そして、男達に向かって一言。

 

「情報収集、ご苦労さん」

 

と、ねぎらいの言葉をかけてやった。

――ゲルショッカー戦闘員。旧ショカー戦闘員の約2倍の戦闘力と、SIDE〈イレイザー〉隊員にも匹敵するトータル・スペックを持っているとされる、秘密結社〈ゲルショッカー〉の主戦力。

元〈ゲルショッカー〉の改造人間であるという獅狼の部下なのだろう。彼を前にする8人の態度は、終始礼儀正しい。

獅狼の言葉に、8人の戦闘員達は一様にして頷き、リーダー格らしき男が一歩前に進み出た。

どこから取り出したのか、両手の中に魔法のように分厚い書類の束が出現し、戦闘員は獅狼にそれを渡す。

獅狼は静かに頷くと、書類が濡れないよう注意しながら読み始めた。

1枚、2枚とページを進め、20ページ目辺りで、その手が止まる。

 

「……おい、この『闇舞留美・死亡』っていうデータはなんだよ?」

 

どことなく不機嫌な調子で、獅狼が戦闘員に訊ねる。

戦闘員はそんな感情の起伏著しい上司に向かって冷静に、

 

「世間一般、そして闇舞北斗自身にとっては、『闇舞留美』は行方不明でなく、すでに死亡した人物として見なされているようです」

 

と、事務的に答えた。そして「もっとも……」と、言葉を続け、

 

「もっとも、実際は“レオウルフ様”は彼女を〈ショッカー〉の怪人から救い出したことで、『闇舞留美』は今でもアメリカで健在のようですが」

「…ったく、勝手に人様を殺してるんじゃねぇっての」

 

少し憤慨したように言う獅狼。いかに復讐の対象の妹とはいえ、やはり知り合いが勝手に死んだ事にされているというのは、彼には耐えられないのだろう。

笑ったり、不機嫌になったり、怒ったりと感情の変化、表情の変化に忙しい獅狼に、戦闘員はまた冷静に、

 

「……そうは言いますが、世間一般には“レオウルフ様”もすでに死亡したことになっておりますが」

「な、なにぃッ!?」

 

戦闘員の突っ込みに、さも今知ったかのように驚愕する獅狼。というより、本当に今日この瞬間までその事実を知らなかったようである。

 

「はぁ〜……通りで実家に電話してもイタズラと間違えられるわけだ」

 

裏社会に生きる人間としては結構致命的なことをしている獅狼である。

愚痴をこぼしながらも、獅狼は書類を読むのを再開した。

戦闘員は、そんなどこか子供っぽい上司を冷静に観察しながら、彼と過ごしたこの7年余りの時間に、思いを馳せる。

 

 

 

 

 

彼は元々〈ショッカー〉のように市民を恐怖のどん底へと追いやる暗黒組織の人間ではなく、命を賭して市民を守る警察官であった。

しかし、仕事一筋に生きてきた彼は長年連れ添った愛妻に逃げられてしまう。

失意のどん底にあった彼を拉致し、その身に人外の改造手術を施したのが、当時の〈ゲルダム団〉だった。

それから2年、〈ゲルダム団〉の戦闘員として過酷な訓練を受けた彼は、獅狼の部隊に配属される。そして、もう7年……

アフリカでの地獄の訓練、ベトナムでのいつ果てるともしれぬ激戦、世界最強のSASを相手にしたアイルランドでのテロ支援活動、膨大な数の屍を積み上げた〈ショッカー〉残党の粛清、なによりも激しい毎日であった日本侵略作戦、組織壊滅後の逃走劇……40数年の人生の中で、これほど密度の濃い、そして充実した日々はもう来ないであろう。そうした意味で、彼は自分を改造した組織に対してむしろ感謝しているぐらいだ。

……なにより、目の前にいるこの男の下で働けることを、なによりも彼は組織に感謝していた。

最初に出会ったときは、まだほんの子供程度にしか考えていなかった。いや、子供っぽい……という点では今も変わらないのだが、少なくとも第一印象は『体はでかいが精神的にはまだまだな年下の上司』程度のものだった。

その認識が変わり始めたのは、いつからだったか。

たしかに彼は子供だった。

子供であるがゆえに、大人にはないものを持った男だった。

子供が持つ良い面を、そのまま抱いて成長した、大人だった。

誰よりも真っ直ぐな瞳と、純粋な心を持った男。

暗黒社会の人間としては致命的なまでに策や打算を好まず、何事にも正面から体当たりでぶつかっていく……そのために彼はいつも傷ついてばかりで、時には生死の境にすら立つこともあったが、部下や仲間達だけは傷つけるようなことはせず、だからこそいつも最後には勝利を手にする。

ベトナム戦争に参加していたときの事だ。〈ショッカー〉、〈ゲルダム団〉は改造人間の性能テストの一環として、ベトナムに戦力を投入していた。獅狼を含む彼らもまた、ベトナムには上陸していたのだ。

当時、国際法上、南ベトナム国内以外での作戦を公式には禁止されていた米軍は、北ベトナム軍の補給路(ホー・チ・ミン・ルート)に対し秘密爆撃『アークライト作戦』を敢行。その爆撃を隠れ蓑に、獅狼達の部隊は主に米軍特殊部隊(グリーン・ベレー)の偵察パトロール隊を相手に性能テストを行っていた。

しかし当時、組織はまだ〈ショッカー〉との結びつきがそれほど強くなく、改造技術は杜撰なもので欠陥も多く、投入された戦力で満足にその高性能を発揮出来た者は3割にも満たず、獅狼達の部隊もまた当然苦戦を強いられた。

年浅く、経験の浅い指揮官は頼りなく、部隊のメンバーは次々にめいめいが自分達の判断で勝手に行動を始めてしまった。始めのうちはそれでもよかったが、戦闘が激しくなるにつれて案の定、彼らは捕まってしまった。

当時、すでに米軍は〈ショッカー〉の存在を非公式ながら確認しており、組織になんらかの関連があると思われる〈ゲルダム団〉の戦闘員達を捕虜として、そして人体実験の素体として扱うことにした。

捕虜として捕らえられた彼らは前線より後方――つまり、秘匿性を重んじる組織としては最も手の出し難い場所――の、中枢へと運ばれた。そして、まさに本国への輸送機に搬送されようとしたその時……彼は現れた。

激しい戦闘が静かに、そして密かに行われた。囚われの戦闘員を救うためにやってきたのはたった1体の改造人間。それに対して、敵は南ベトナムに派遣された200名の米兵と、密命を受けて輸送機の護衛にあたった南ベトナム政府軍500名の総勢約700名。

1対700の戦い……しかも人質がいるという最悪の状況に、しかし彼らの指揮官は無謀にも真正面から挑んだ。

まさに阿鼻叫喚の地獄絵図が展開された。数百、数千の銃弾が獅狼を襲い、獅狼もまた己の肉体ひとつで数百の軍勢を襲った。

傷だらけになり、血まみれになりながら、獅狼は戦い続けた。

徐々に、700人の戦士達から戦意が失われていった。流血する者の数は200人にのぼり、死者は50人にのぼった。シェル・ショック(戦場神経疲労症)で戦えぬ者も続出した。たった1体の改造人間を相手にしてのこの惨事は、その場にいる米兵にとっては“硫黄島”、“沖縄”の再来であり、ベトナム兵にとってはこれから起こる“テト攻勢”の前触れだった。

戦力を削がれ、戦意を削がれた彼らに、もはや孤独な改造人間の進撃を阻む手段はなかった。死者が100人を突破し、傷を負った者が400人を超えたところで、とうとう彼らは進んで捕囚の身となった戦闘員達を解放した。

後から知ったことだが、当時の獅狼もまた、改造技術の限界からその性能は50%も発揮できない状態だったのだという。そんな状態で、彼は上層部の命令に逆らって捕囚の身となった戦闘員達を救出に来た。そして、それを成功させた。

救出された後、彼らは獅狼に謝罪した。獅狼の命令をちゃんと聞いていたら、こんな事にはならなかったかもしれないのだ。

しかしその謝罪に対し、獅狼はかんらかんらと笑いながら、ただ一言。

 

「お、ようやく俺とちゃんと話、してくれる気になったか」

 

一瞬、彼が何を言っているか分からず唖然とした。

そして、話の続きを聞いて彼らはさらに愕然とした。

 

「……ったく、テメェら、俺ばっかり除け者にしやがって…ジャングルん中で1人は寂しかったんだぜ」

 

それが本心からの言葉であると、すぐに分かった。

血まみれで、傷だらけで……しかし彼の表情は明るかった。

彼は子供だった。どうしようもなく寂しがりやで、それでいて優しすぎる少年だった。

自分達が遠い昔に置いてきた“もの”を持っている、魅力溢れる少年だった。

 

 

 

 

 

“パタンッ”

 

ファイル状に束ねられた書類が、閉じる音。

その音にはっとなった戦闘員は、書類を読み終えた獅狼の次の言葉を待つ。

獅狼は、やはり少年のように屈託のない笑顔で、8人の顔を見回した。

 

「完璧な情報だ。サンキュな」

 

その、裏社会に属する者には不釣合いなほど眩しすぎる笑顔に、戦闘員達は規定のマスクの下、知らず安堵の笑みを浮かべる。

しかし、獅狼の次の台詞によって、彼らのその笑みは凍りついた。

 

「……これで終わりだな。お前達との付き合いも。今まで、どうもありがとう」

 

一瞬、彼が何を言ったのか分からなかった。

数秒の間を置いて、最初にその言葉が意味するところを理解したリーダー格の男が、両目を見開き、唾を飛ばす。

 

「ど、どういう事ですか!?」

 

努めて冷静に言ったつもりだったが、実際は獅狼を糾弾するかのような口調になってしまった。そのことに後悔すると同時に、突然の解雇通告ともとれる発言に対してささやかな憤りを感じる。

 

「どういう事も何も、言葉通りの意味だ」

 

獅狼は、うろたえる8人の目を真っ直ぐに見据えながら、言葉短く答える。

あまりにも冷静な獅狼の態度に感化されたのか、リーダーの男も徐々に冷静さを取り戻していった。

 

「……理由は、話してくれますね?」

 

その問いに対して獅狼は答えず、視線を割れた窓ガラスへと向けた。正確には、割れた窓ガラスの向こう側に浮かぶ月に、視線を送っていた。

そして彼は、とつとつと語り出す。

 

「……今日、闇舞のヤツに会ってきた」

「……そうですか」

 

別段驚くことではなかった。

8人の誰もがいつかはそうなる事を予想していたし、そのうえで獅狼と行動をともにしていたのだから。

 

「闇舞北斗に対しての、俺の復讐は組織の命令でもなんでもねぇ。俺の私怨…俺の我侭だ」

「…“レオウルフ様”、それは……」

「〈ゲルショッカー〉が壊滅した今となっちゃ、俺の言葉に強制力はないし、そもそもお前達は俺の部下ですらねぇ。……なのに、お前達は組織が壊滅してから今日まで、この俺の我侭に付き合ってくれた。その結果が、この体たらくだ…」

 

〈ゲルショッカー〉の日本侵略作戦の際、獅狼達の部隊は四国に配属された。四国には仮面ライダーなどによる妨害もなく、獅狼達の部隊は1人の欠損もなく、組織壊滅の日まで存続していたのだ。その当時の部隊の総員数約1000名。

 

「組織が壊滅した後、お前達に俺の過去……そして復讐の話をしたとき、お前達は揃って全員が俺の私的な復讐に付き合ってくれた。この1年、あいつの居所を掴むために、色々と奔走してくれた。……残り少ない、命だってのに」

 

〈ゲルショッカー〉の戦闘員は、強大な戦闘力を得るための代償として、一定期間内に『ゲルパー薬』という特殊な薬品を摂取しなければ生命を維持することが出来ない。もしそれを怠れば、たちまちにしてその身は滅びてしまう。旧〈ショッカー〉において何度かあった裏切りを防ぐための予防策であり、組織への服従をより強固なものとするための策である。

 

「組織が壊滅しちまって、ゲルパー薬の残りストックも少ない状況でお前らは俺のために頑張ってくれて、その結果が、今の……たった9人の現状だ」

 

自分の私怨のために、見知った仲間が1人…また1人と帰らぬ人となっていく。この男にとって、これほど苦痛を被ることがあるだろうか。

苦渋のあまり歯軋りをする獅狼に、戦闘員達は慰めの言葉をかけてやることすら出来ない。仮にかけたところで、小島獅狼は自分を許さないだろう。

 

「もうこれ以上、お前達に迷惑はかけられない。幸いゲルパー薬のストックはお前達の分だけなら10年分はある。それだけ時間があれば、薬の精製方法を確立することぐらい可能だろう。……いざとなったら、『デストロン』の“結城丈二”を頼ればいい」

 

「話は以上だ」と、言わんばかりに獅狼はそのまま口を閉ざした。

沈黙が空間を支配する。

戦闘員達は、獅狼の気持ちが痛いほどよく分かった。自分の私怨……復讐という、最も低俗な行為のために、1000人近い犠牲を生贄に捧げてしまった男……彼の苦悩、そして絶望は、人ひとりの身で到底支えきれるものではない。

やがてリーダー格の男が、意を決したように口を開いた。

 

「……先ほど、“レオウルフ様”はおっしゃりましたね」

「……」

「『俺の言葉には強制力はない』と……。なら、私達は自分の意思で行動します」

 

リーダーの男は、背後の1人に片手で何かのサインを送った。

サインを送られた男は、静かに頷くと、一目散にその場を走り去る。

 

「……私は、あなたの復讐に協力します」

 

戦闘員の言葉に、獅狼が大きく目を見開いた。

 

「お前……」

「自分の言葉に強制力はない。そうおっしゃられたのは、他でもありません。“レオウルフ様”です。私は、私の意志であなたのために協力します。……勝手ながら、ベトナムで私は決めたんですよ。この命果てるその日まで、あなたに着いていく…と」

「……本当に勝手な話だぜ」

 

獅狼は彼に文句のひとつでも言ってやろうかと視線を元に戻した。そして、驚愕した。

先ほど倉庫から出て行った戦闘員は戻ってきていた。その手には物騒なことに、米国製・M−14オートマチック・ライフルが握られている。

M−14を握っているのは彼だけではなかった。8人の戦闘員全員が、オートマチック・ライフルを握り締めている。

戦闘でもないのに、M−14を握る戦闘員達……彼らの意思は、正確に獅狼に伝わった。

 

「……ったく、馬鹿ばっかりだぜ」

 

獅狼は、怒ったように言って、8人に背を向けた。振り向き様に散った水滴は、果たして彼のコートに染み渡っていた雨水か、それとも……

 

「ええ……あなたの部下ですから。馬鹿が、伝染(うつ)ったんですよ、きっと」

「はっ、言ってくれるな」

 

獅狼は、後ろを向けながらコートの裾で眼の辺りをゴシゴシと拭った。

そして再び、割れた窓ガラスから三日月を見る。

漆黒の海の中、煌々と静かに浮かぶ三日月に、今は亡き彼女の笑顔を重ねながら、獅狼は心の中で(ありがとうな……)と、誰に対してでもなく呟いた。

獅狼は、もう一度8人に向かって振り返った。

……あの、屈託のない笑顔を満面に浮かべ、

 

「分かった。もう、何も言わねぇよ」

 

掛け替えのない仲間達。しかし、抗いようのない運命を持つ者達。

相手は世界最強の男『killing gentlemen』闇舞北斗。とてもではないが、全員が無事に生きることは望めまい。

獅狼は、彼らと一緒に最期の戦いに挑むため、言葉を続けた。

 

「……お前らの力、遠慮なく貸してもらうぜ」

 

おそらく、彼らにその借りを返す日はもう二度と来ぬであろう。

男達の別れの時、決着の日は、確実に近付いていた。

 

 

 

 

 

「――だんだんと体から力が抜けていく夕凪を、俺にはどうする事も出来なった。闇舞北斗という男は、人の命を奪い取ることは簡単に出来ても、消えゆこうとする小さな命を救うことは、出来なかった」

 

慈愛の光をたたる月を見上げながら過去を語る男の口調は、徐々に熱を帯びていった。

一旦そこで言葉を区切ると、北斗は当時の瞬間を思い出したのか、しばし懊悩に顔を歪ませる。閉ざされた薄い唇の下では、震えのためか“ガチガチ”と、歯が鳴っていた。

光が心配そうな視線を送ると、「大丈夫だ…」と、言葉短く答えて、彼は己が半身に自分の過去、そして現在置かれている状況を伝えるべく再び口を開く。

 

「……夕凪を失った俺は、怒りのあまり初穂を撃った。そして俺は、彼女と戦った。勝ち目なんてまったくない戦いだった。俺は生身の人間で、相手は怪人。だが、俺はなんとか右腕一本を犠牲にして、怪人態となった初穂を殺した」

 

生まれて初めての、改造人間との戦い……当時の恐怖は今でも鮮明に思い出せるし、新しく再生された右腕も、追想をすればすぐにあの時の痛みで疼き出す。

かつては利き腕であった右腕を擦りながら、北斗は口元に自虐的な笑みを浮かべた。

思えば、あの日から己の第二の人生が始まったのだ。“生き地獄”という名の、改造人間の人生が……

 

「その後、出血多量からか心労が重なったからなのか、俺は意識を失った。とにかく俺は〈ショッカー〉によって回収され、そこで急遽改造手術を施された。執刀医は〈ショッカー〉最高のブレーン・死神博士。瀕死の重傷だった俺を、死神博士はなんとか生き返らせてくれた。そして俺は……〈ショッカー〉の戦闘員として、生を受けた」

 

それからの日々は毎日が激動であった。

アメリカ海軍の特殊部隊『SEALs』には「楽に過ごした日は昨日だけ(The easy day was yesterday.)」という言葉があるが、まさにその通りで、改造人間になる以前と以降では、世界はまるで違っていた。

やっている事は以前とさして変わらない。学校に行って、勉学に勤しむ傍ら、“裏”の仕事を請け負う。基本は今まで通りの生活だ。

だが、それまでとはその質が圧倒的に異なっていた。これまで以上に“表”の顔をカモフラージュし、これまで以上に“裏”の顔での働きを要求された。

 

「毎日が戦いの連続だった。学校が終わったらすぐにアジトに行って、訓練を受けるか指令を受けるかの毎日。それでいて、絶対に留美には、俺が具体的に何をやっているかは知られてはならない。今考えても無茶な注文だったと思う。なにせ、俺の戦場は世界中にあったから」

 

7つの大“陸”に3つの“海”、そして唯一にして広大な“空”。

本当にあらゆる場所で戦った。あらゆる兵器の操作方法を徹底的に叩き込まれ、今では東西両陣営問わず、100種類以上の歩兵装備、50種類以上の兵器を扱うことが出来るようになった。それ自体は誇れる事でも、なんでもなかったが。

 

「忙しい毎日だった。でも、決して退屈はしなかった。辛いこともあったが、満ち足りた日々だったから。世界中を駆け回って、色々な事があって……大学を卒業してからは教職にも就いて、光にも出会った」

 

徐々に彼の話は現在へと近付いていく。

一つ一つの単語を紡ぎ出すその都度、過去を回想しているのか、北斗の表情はそれこそ目まぐるしい変化を見せていた。

そして彼の話は、“現在(いま)”へ……

 

「……今日、久しぶりに小島と会ったよ」

 

率直に、結論だけを述べた。

それまでずっと話を聞いていた光の表情が、はっと硬化する。

 

「……久しぶりに会ったあいつは、俺のことを恨んでいた。夕凪を殺した男として、14年もの間探していたんだそうだ」

「え、でも……」

 

北斗の言葉に、奇妙なものを感じて光は首を傾げる。

今、北斗自身から聞いたばかりではないか。彼の親友、そして彼のもう1人の親友の恋人は、〈ショッカー〉のエージェントが殺したのだ、と。

北斗は軽く頷くと、自嘲気味に答える。

 

「ああ、夕凪を殺したのは紛れもなく初穂だよ。…しかしその時の瞬間を、小島は実際に見てはいないんだ。『吼破・水月』の威力を半分受けて、屋敷の外に吹っ飛ばされて気を失っていたから。……おそらく、夕凪の死のことはすべて〈ゲルショッカー〉――いや、〈ゲルダム団〉から聞いたんだろう」

 

〈ゲルダム団〉に――否、〈ショッカー〉にとって、それは北斗に対する二重の服従策だったのかもしれない。

おそらく、留美を人質にとるだけでは彼を組織に縛り付けておくのには不十分と判断し、彼の親友である獅狼に発破をかけ、北斗を組織に拘束しようとしたのだろう。

……少なくとも、北斗はそう考える。

 

「目覚めたあいつにとって、唯一信じられる情報は〈ゲルダム団〉が……ブラック将軍がもたらすもののみだったんだろう。……今のあいつにとって俺は、自分達を欺き、あげく自分の大切な恋人を殺した、復讐の対象なんだ」

「そんな……」

 

北斗の語る現実の凄惨さに、光は哀しみで目を伏せる。

悲観に暮れ、夜空の月さえ直視出来なくなってしまった彼女は、しかしそれなら、『小島獅狼に夕凪春香についての真実(・・・・・・・・・・・)を明け、彼の理解を求めては?』と、北斗にとるべき手段を問うた。

しかし彼は、光同様視線を伏せて首を横に振った。

 

「それは出来ない。……今日、あいつと会った時、あいつはこの14年間、俺への復讐心を糧に生きてきたと言った。…小島獅狼という男は、負けず嫌いな面もあるが、ちゃんと事情を説明すれば現実を受け止め、理解してくれるだけの“潔さ”がある。そんな男に、言えるわけがない」

 

昔の獅狼のことを思い出し、懐かしんでいるのか、北斗の口調は穏やかである。しかし、その表情は今の獅狼のことを思っているのか、暗い。

 

「もし小島に真実を話せば、あいつは間違いなく怒りの矛先を俺ではなく、夕凪を撃った〈ショッカー〉に向けるだろう。だが、憎しみをぶつけるべき〈ショッカー〉は、もうこの世には存在しない。確かに、〈ショッカー〉の後続たる〈デストロン〉は健在だ。けど、夕凪を撃った張本人……初穂は、すでに俺が殺してしまっているんだ」

 

北斗は、伏せた視線をつつ…と移動させ、屋上のコンクリートの床にできた水溜りを見る。

風で揺らぐ水面に上空でひっそりと浮かぶ三日月が映り、ゆらゆらと形を歪ませている。

そっと仰ぎ見る水面の月を、北斗は自らの左手を重ねて見た。自然体で開かれた指の合い間より覗く三日月が、ややぼやけて北斗の視界に映る。

あの時、初穂にトドメの『吼破・静月』を放ったこの掌は、その時の感触を未だ鮮明に覚えていた。

再びこの掌勢が命を刈り取る時……それは一体、誰の生命であるのか?

 

「あいつには最終的に怒りをぶつけるべき相手が、もうこの世に存在しない。14年もの間、復讐心で身を焦がし、それだけを拠り所にして生きてきた男に、そんな事、言えるわけがない……」

 

話せば、その男から生きる拠り所を奪い取ることなってしまう。

14年もの間に蓄積された憎悪の捌け口を、消し去ることになってしまう。

行き場のない怒り。どうしようもない絶望。

北斗は、その果てに何が待っているのかを、“経験”として知っている。

自分もそうだった。留美という最愛の存在の喪失に、自分は〈ショッカー〉に対するどうしようもない怒り、絶望、その他諸々の感情を制御出来ず、何をやった?

怒りに任せて、当時試験運用中だったロボット刑事を破壊してしまったではないか。

北斗ですら、それだけの惨劇なのだ。おそらく、北斗以上の能力を持っているである獅狼が暴走し、その力が破壊のために使われれば――――その被害、起こりうる惨劇は、北斗の時の比ではない。

……否、それだけならばまだ良い。

真に最悪の未来は、小島獅狼が純粋であるがために、今の自らの肉体を恨んでしまうという事態。

『真に忌むべきは闇舞北斗ではなく〈ショッカー〉である』と、その事実に獅狼が触れた時、そして、『己の身体がその憎むべき〈ショッカー〉の後裔……〈ゲルショッカー〉によって作られたものである』と、彼が気付いてしまった時……事態は、誰にとっても“最悪”なものになってしまうだろう。それだけは、絶対に避けねばならない。

真実を話すわけにはいかないのだ。

 

「話すわけにはいかない」

 

獅狼のためにも、自分達のためにも。

 

「小島本人のためにも、周りの人間のためにも、あくまで夕凪春香を殺したのは、闇舞北斗でなければいけないんだ」

 

それは自分にとって、ある種の死刑宣告であった。

彼の周りを想っての決意は、彼にとって最悪の選択だった。

かつては親友と呼んだ男との、もう二度とあってはならなかったはずのこと……“殺し合い”。

本当はやりたくないことだ。しかし、自分と彼を含めた誰もが幸福に生きるためには、やらなければならないことだ。

己を欺き、友を欺き、大切な、己が半身を欺いてでもやらねばならない事……。

北斗は、自分に出来る、最上級の笑みを浮かべ、光を安心させるべく口を開く。

 

「安心してくれ……」

 

おそらく、次の戦いで死者が皆無……という事態は、ありえないだろう。

 

「小島は俺にとって親友だ。……例え、ヤツに恨まれることになっても、必ず生かしてみせる」

 

自分はかつて〈ショッカー〉で最強と呼ばれた戦士。そして現在形で、世界最強と呼ばれる男。

そして対する相手は、自分達〈ショッカー〉の改造人間を、あらゆる面で凌駕しているであろう〈ゲルショッカー〉の改造人間。

 

「それに四国でも言っただろう? 必ず光の元へ帰ると……」

 

技術や経験は自分の方が上だろう。しかし、獅狼にはそれらを無意味と化す圧倒的なパワーと、なにより自分を恨む底なしの憎しみという、無限の原動力がある。

勝利の可能性は双方等しくあり、悲しいかな、勝敗を分かつ結末はひとつしかありえない。

 

「今再び、光に誓う。俺は……闇舞北斗は、必ず戻ってくる」

 

生か、死か。

闇舞北斗が生き延びるか、それとも小島獅狼が生き残るか、結末は2つに1つ。

両方ともが生き延びることは――最善を尽くすつもりではあったが――ありえないのだ。

 

「小島獅狼は生かしたまま、必ず、光の元に帰ってくる。……だから安心して、あの部屋で、俺の帰りを待っていてくれ」

 

北斗は、光に優しく微笑みかけた。会心の出来の、笑顔だった。

 

「…………ない」

 

ポツリと、光が小さく何かを呟いた。

依然として顔は俯いたままで、その表情を読み取ることは出来なかったが、かろうじて聴こえた語尾の部分は、ほんのりと怒気を孕んでいる。

しかし北斗は、自分と彼女を偽ることに必死で、その怒気に気付かなかった。

彼は「え……?」と、視線を水面の三日月から光の方へと移し、聞き返した。前にもこんなシチュエーションがあったような気がしたが、その思いはすぐに掻き消えてしまった。

光は、顔を上げ、北斗を見て、口を開いた。

 

「……それじゃ安心なんて、出来ない」

 

彼女の声は、今度ははっきりと夜気を切り裂いて、北斗の耳に届いた。

 

「そんな辛そうな顔で『安心していてくれ……』なんて言われても、説得力なんてない」

 

静かに唇から紡がれる言葉が、北斗の胸にグサリと突き刺さる。

――そういえば、以前にも同じような台詞を彼女から聞かされたことがあった。あれはいつ、どこでだったか……。

 

「……どうやら、また失敗していたようだな」

「ええ。失敗していたわ」

 

光の冷たい言葉に、北斗は深い溜め息をついた。

どうして自分はいつもこうなのだろう。仕事中や平常時は完璧なポーカーフェイスと作った表情が浮かべられるのに、肝心な時になると、いつも失敗してしまう。

内心で自分に毒づきながら、北斗は光の目を見た。『本当のこと、言ってください』と、視線が語っている。

あまりに真っ直ぐな視線に正視していられず、北斗を背けようとした。しかし光は素早く両手を伸ばして彼の頬を挟むと、彼の顔に自分の顔を近付けた。互いの吐息を肌で感じるほどまで、2人の顔が接近する。

北斗はもう一度深い溜め息をつき、諦めたように口を開いた。

 

「正直言って、勝率は5割といったところだろうな」

「……そう」

 

宣告された現実を、光は冷静に受け止めた。冷静にその現実が意味する事を理解した。

勝率が5割……それは裏社会に生きる人間にとって、かなり危険な博打ではないだろうか。

 

「……その勝率が5割っていうのは、北斗が小島さんを本気で殺すつもりで戦って…ってこと?」

「ああ。まだ実際に戦ったことはないんだが、プロフェッサー・ギルの話によると、〈ゲルショッカー〉の改造人間は手加減して勝てるような相手ではないらしい」

「北斗は……出来ることなら、小島さんを殺したくはないんでしょ?」

「……出来れば、な」

 

北斗には光しか見えず、光には北斗しか見えない。

そんな状況の中で、2人は互いのことだけを見つめながら、話し合った。

互いに『己が半身』と認め合った相手と、彼らは本心からの言葉を交わした。

 

「……本当は辛いんでしょ?」

「なにが…?」

「小島さんと戦うこと」

「……ああ。辛くないわけが、ない」

「だったら……」

「…けど、やっぱり真実は打ち明けられない。あいつのためにも、周りの人間のためにも」

「でも、そうしたら北斗は……」

「ああ。辛い戦いになるだろう。もし勝って生き延びたとしても、一生後悔するだろう」

「それでもよいの?」

「よくはない。だが、それは俺にしか出来ないことだから」

「それは自己犠牲?」

「違う。…いや、たしかに俺達の問題で、光を含めた周囲の人々に危害が及ぶのを俺は恐れている。だがそれ以上に、これは俺自身のための戦いでもあるんだ」

「自分のための戦い?」

 

北斗は、ゆっくりと頷いた。

顔を動かしたがために北斗の前髪が光の額を撫でる。

 

「そう。これは闇舞北斗の……青春時代の残影の、後始末でもある。すべての決着は、俺がこの手で着ける」

 

北斗は光の手を取って“ギュッ……”と、可憐なその手を握り締めた。

彼の手から伝わる熱を感じながら、光は静かに瞼を閉じた。より強く彼の存在を感じたいのか、握られる手の指に自らも力を篭め、“ギュ……”と、握り返す。

 

「決意は固いみたいね」

「……ああ」

 

光は彼の手の熱を少しも逃すまいとしながら、しかし、ゆっくりと指を解いていった。

 

「……でも、やっぱり辛いんでしょ?」

「…………ああ」

 

やがてその指は彼の引き締まった腹を撫で、広い背中へと回され……

 

「……泣いて、いいよ」

 

光は、まるで赤子を抱くように北斗の頭を自分のふくよかな胸へと押し付けた。

一瞬、何が起きたのか分からずに北斗は顔をずらし、彼女の顔を見ようとした。

しかし、その動きは彼女の両腕によって押さえつけられてしまった。

 

「光……?」

「今私は、北斗の顔は見えないから。もし北斗が、もう1人の自分の前では泣けない……って言うんだったら、これで思いっきり泣けるでしょ?」

「なにを……」

「だって北斗、『小島さんと戦うのは辛い?』……って、2回も聞いた時、泣きそうな顔していたから」

 

光は、まるで聖母を思わせる慈愛の笑みを彼に向ける。

一方の北斗は、押し付けられた豊満な乳房の柔らかく、温かい感触を感じながら、同時に光の心臓の音を聴いていた。どこか安心出来る、不思議な音だった。

 

「辛かったんでしょ? 悲しかったんでしょ? ……そういう時は、泣いちゃった方がすっきりしますよ」

 

「それに今ならこれは雨で濡れちゃったんだって誤魔化せるし」と、優しく続けて、光は北斗の頭を撫で擦った。

 

(――温かい……)

 

ただ温かいだけではなく、どこか安心感のある、不思議な温もり。

かつてどこかで同じものを感じたことがあるような……と、考えて、思い至る。

 

(そうだ。これは……)

 

もう20年以上も前に失った、あの人の温もりだ。

 

(……母さん)

 

北斗は、無意識のうちに自分から頭を光の胸に押し付けた。“トクン……トクン……”と、耳に心地の良い、規則正しい心音が彼の心を揺さぶる。

顔を押し付けられた光は、不意に、何か温かいものが服を濡らしていくのを感じた。

やがて北斗は、堰を切らして泣き始めた。

留美を失ったと知った時にすら流れなかった涙が、今、溢れ出た。

仮死の眠りから覚めて以来……否、SIDE〈イレイザー〉の仲間達を失った時以来に流した、初めての涙だった。

光は、北斗が泣き止むまでずっと彼の頭を撫で続けた。

北斗は、すべての悲しみを吐き出した。

 

 

 

 

 

――1973年3月11日

 

 

 

 

 

結局、あれから2人が光の部屋へと帰宅したのは、すでに日付も変わりつつあった11時半のことだった。

交代でシャワーを浴び、2人でかなり遅めの夕食を終えると、すでに時刻は12時45分。

時計を見た光は、「これじゃ明日は遅刻かもしれませんね」などと苦笑しながら、今しがた平らげたばかりで汚れた食器を、キッチンへと運ぶ。

 

「洗い物ぐらい、俺がやりますよ」

 

暗殺業一本となった北斗と違い、教師である光には今日もまた授業がある。あまり無理をかけさせるわけにはいかないと、北斗は席を立った。

 

「あ、いいですよそんな。……それに今日は闇舞先生も色々あって、疲れているでしょう?」

「だったら2人でやりましょう。それなら少ない労働力で、早く終わります」

 

北斗にしてはやや強引に、彼は光の手から食器を3分の2ほど奪い取る。

どうせ今夜はこの後、いつものようにブローニング・ハイパワーのメンテナンスをして終わりだ。洗い物のひとつやふたつ、苦になるような労働ではない。

それに、光のおかげで大分すっきりしたとはいえ、今日はやはり考える事が多すぎてすぐには眠れそうにない。それなら少しでも体を動かしていた方が、まだラクである。

 

「じゃあ、お願いします」

「はい」

 

光の言葉に頷いた彼は、汚れた食器を流しへと運んだ。

大きなボールに水を張り、その中に食器を投下すると、2つあったスポンジを軽く水で濡らして洗剤を染み込ませ、よく揉み泡立てる。隣に立った光に泡立ったスポンジを渡して、2人は作業を開始した。

2人で作業を進めると、流石に早い。

特に普段は、光の小さな手では少々洗うのにてこずる大きさの大皿も、手の大きな北斗が洗うとものの数秒で元の光沢を取り戻してしまう。

5分も経つ頃には、最初に水を溜めたボールも洗い終え、2人は各々自分の寝床へと戻っていった。光は自分の寝室へ。そして北斗は、光から貸し与えられた己が砦へ。

8畳半の部屋にはダブルサイズのベッドと本棚、クローゼットがひとつあり、さらに部屋の隅にはひとつ立派なロッカーがあった。ベッドも本棚も安物……とまではいかずとも、いたって普通の物で、唯一ロッカーだけが、外観からして相当な値段が張られているのが分かる。

容易には動かせぬよう壁と床に鋲で固定されたロッカーに、北斗は真っ直ぐ近付くと、本格的なダイヤルと錠を操作して観音開きの戸を開けた。

ガン・オイルの臭いが、北斗の鼻腔をくすぐる。一見すると玩具屋の一スペースともとれる光景が、そこにはあった。

姿を現した二列三列の棚に並んでいるのは、すべて武器弾薬であった。

上段にはライフルの一群が並べられていた。そのラインナップは米軍制式のアサルト・ライフルM16A1、同じく米国製アーマライトAR18、イスラエルのガリルARM、ベルギー製FN・FAL、西ドイツの傑作H&K・G3、ソビエト産の小さな大量破壊兵器・カラシニコフAKMと、1人の人間が所有するには明らかに多すぎる6挺。

中段は拳銃と短機関銃の一群で、北斗の愛銃ブローニング・ハイパワーを筆頭に、同じくジョン・M・ブローニング設計のコルト・ガバメント、ワルサーPPK、S&W・M10、M29、M60ら6挺の拳銃、イスラエル製UZI、米国製イングラムM10の2挺の短機関銃の計8挺。

下段にはM79・40mmグレネード・ランチャーと、それに装填されるロケット弾型の榴弾、それとは別に自らの腕力をもって投擲する手榴弾、同型のナパーム弾、缶詰に指掛けリングを付けたような催涙ガス弾と煙幕弾。さらに小型のTNTに、プラスティック爆弾に、ダイナマイトといった爆薬の数々。これから戦争でも始める気なのか、北斗の部屋はまさに武器庫と化した。

北斗はいちばん上の棚からH&K・G3を、真ん中の棚からブローニング・ハイパワーを取り出して、新聞紙を敷いたベッドの上に、“ドサリ”と2挺の凶器を放った。さらにベッド下の収納スペースからクリーニング・キットを取り出すと、分解・掃除を始める。

何百回にも及ぶ反復訓練の賜物で、分解方法はもはや目が見ずとも指が勝手に覚えていた。ものの40秒でまずG3がバラバラになり、10分念入りに手入れされた後、再びものの40秒で元の形状を取り戻す。続いてブローニング・ハイパワーを分解。こちらは部品数が少なく、使い慣れていることもあって10秒と経たずバラバラになった。

一通りの整備を終えると、北斗は再びロッカーに向かい、ブローニングの予備弾倉を10本と、G3の予備弾倉を10個取り出した。さらに上段と中段から、それぞれに対応した弾薬箱を取り出す。

50発入りの紙箱を破り、用意したG3の予備弾倉に1発1発、7.62mmNATO制式弾を詰めていく。強力な7.62mmNATO弾を薬室へと送り込むG3のマガジン・スプリングは強靭で、詰める弾数が増えれば増えるほど装填にはより力を必要とするが、改造人間である北斗にはさして苦労するような仕事ではない。

あっという間に予備弾倉10個、計200発を装填した北斗は、続いてブローニングの予備弾倉に弾薬を詰めていった。

秘密結社『ダーク』でかなりの改造を施されたブローニングに装填されるのは、通常の9mm弾ではなく、改造人間や人造人間を相手にしても効果を発揮する超強力な9mm特殊徹甲弾。市販の紙箱とは少々意匠の異なった50発入りの箱を破り、北斗は13連発の弾倉に弾丸を詰めていく。予備弾倉10本、計260発。5分とかからずに、装填を終える。

その様子はまさに、これから来るべき決戦に備えての準備であった。

そう、H&K・G3も、ブローニング・ハイパワーも、これから起こるであろう獅狼との決戦のための、武器であった。

やがてすべての準備を終えた北斗は、型は違えどもう10年近く愛用している拳銃だけを残して、今しがた用意した武器、弾薬をロッカーへと収納した。

北斗の部屋のドアが2回叩かれたのは、まさにその時であった。

常識的に考えて来訪者は光以外ありえないのだが、非常識な世界に暮らしているのが闇舞北斗。念のためブローニングの銃口をドアに向けながら、北斗は「どなた?」と、訊ねた。

「私です」と、光の声がして、北斗はブローニングの銃口を床へ向ける。

右腕に巻いた腕時計で時刻を確認すると、すでに午前1時半。

こんな夜更けに何用かと思いながら、北斗は足早にドアの方へと向った。

扉を開けると、そこにはパジャマ姿の光が居た。3月になったとはいえまだ夜は寒く、彼女は厚手の寝巻きの上に、さらにセーターを着ている。

「どうしました?」と、訊ねて、北斗は思い至った。そういえば自分から光の部屋に訪ねたことは多々あったが、彼女の方からこの部屋を訪ねてきたのはこれが初めてではないか。

光の顔を見ると、彼女は何か決意を秘めているような、しかしその決意を悟られまいとしてか複雑な表情を浮かべていた。

 

「今日は考える事が多すぎたせいか、眠れなくって」

 

「遅刻確定ですかね」などと呟きながら、光は肩をすくめて見せる。

その苦笑は北斗にはいつも通りのものに見えたが、どこか硬い。

 

「それで……あの、ちょっとだけ話し相手になってもらえますか?」

 

北斗のことを気にしてか、不安げに訊ねる光。そんな他愛もないことですら相手を気遣う光の優しさに苦笑しながら、北斗はその申し出に頷いた。もとより、北斗に断る理由はない。

北斗の首肯にほっと安堵する光。

北斗は彼女を部屋へと招き入れた。

 

「それじゃ…おじゃましますね」

「おじゃましますって……元はあなたの部屋じゃないですか」

「いえ、一応」

 

数ヶ月ぶりに見た一室はすっかり変わり果てていた。まるで生活感のない部屋に一歩足を踏み入れた光は、進入して早々苦笑する。

 

「えっと…なんとコメントしてよいやら……」

「……無理しなくてもいいですよ」

 

奇妙な会話だと思いながら、合の手を入れる北斗。改めて部屋を見回してみて、たしかにこれはコメントし辛いだろうと納得する。

今日び、一人暮らしの苦学生でさえもっとマシな部屋造りをしているというものだ。

唯一、かろうじて生活感を感じることの出来る本棚も、中身は仕事に必要な専門書ばかりである。

 

(我が事ながら、一度、自分という人間を見直すべきか)

 

今更な意見である。

椅子はおろか座布団もない部屋だ。光をベッドに座らせ、自分も横に腰を降ろす。

さて何を話すべきか……。思案する北斗に、光は自分から声をかけようとする。

 

「あの……」

「ん?」

「…………」

 

聞き返すと、光は開きかけた口を閉ざし、言い難そうに沈黙する。

どうやら、口を開いてみたはいいものの、いきなり本題を振るべきか迷っている様子だ。

少し待っても二言目が出ないのを確認して、北斗は助け舟を出す事にした。

 

「そういえば……」

「?」

「柴崎君、覚えていますか? 昨年、俺の生徒だったんですが……」

「え? ……あ、はい。たしか、闇舞先生がよく気にかけていた生徒ですよね?」

 

別段、気にかけていた……という意識はない。

ただ、彼を見ていると、その前年に亡くなってしまった“浩平”や、昔の自分を思い出してしまい、どうも放っておけなかったのだ。

 

「結局あの後、俺は行方不明ということになっていましたから。気になっていたんですよ。あいつ、どうしました?」

「……元気でやっているみたいですよ。今は自動車の製造工場で働いてるみたいです」

「無事に、卒業したんですか?」

「はい」

「よかった……」

 

ポーズではない。ほっと、心から胸を撫で下ろす北斗。

日本のヤクザやチンピラは執念深い。あの後、自分がいなくなってしまったことで、哲夫に彼らが手を出さないという保証はなかったのだ。

 

「柴崎君、闇舞先生がいなくなってからずっと先生のこと気にしていました」

「え?」

「自分が暴走族を抜けるときに、先生には迷惑をかけちゃったから。もしかしたら先生は、自分のせいで、ヤクザに目を着けられたんじゃないか……って、ずっと…ううん、多分今でも、気にしていると思います」

「……そうですか」

 

――今度、時間があったら彼の働いている工場に顔を見せにいこう。

そう小さな決意を固める北斗の肩に、不意に柔らかな重みが圧し掛かった。

 

「……夏目先生?」

「私も……」

 

北斗の体に寄り添うにして身を預ける光が、おずおずと口を開く。

普段は嗅ぐことすら稀な香水の香りが優しく北斗の鼻腔を包み込んだ。

 

「私も……ずっと闇舞先生……北斗のこと、気にしていました」

「……すみません」

 

見上げる光の視線をまともに直視することが出来ず、北斗は向かい側に鎮座するロッカーをぼんやりと見つめ続ける。そうしながらも、改造人間として強化された五感は、常に周囲の情報を収集していた。無論、すぐ側で彼に語りかける光の言葉もまた、ちゃんと北斗の鼓膜を打ち、脳へと流れ込んでいる。そして確実に北斗の心を、打っている。

 

「今までにも何度かありましたよね。北斗がいなくなったりすること」

「それは……」

 

〈ショッカー〉の任務。他者には決して漏らすことの出来ぬ、悲しき仕事。

教職と戦闘員の二足草鞋の生活は、暗殺者一本に絞っている現在の生活と比較しても大変なものであった。誰にも気付かれることなく、悟られることもなく、時と場所を選ばぬ〈ショッカー〉の任務を遂行するためには、時に教師としての仕事を欠勤せねばならぬほどで、北斗はその都度、上手い言い訳を考えることに苦労したものだ。

 

「――今なら分かります。あれは全部、〈ショッカー〉の任務だったんですよね。…でも、それはいいんです。欠勤するとき、北斗は嘘でもちゃんと理由を言っていましたし、無断欠勤をした時だって、ちゃんと帰ってきて、私の前に姿を見せてくれましたから」

「…………」

「……けど、あの時は……あの時だけは、北斗は何も言わないで消えてしまった。あの時だけは、帰ってこなかった」

「…………」

 

返す言葉もなかった。

たしかに、何も言わずに消えてしまったのは緊急の任務であったからであり、その後長い仮死状態に陥ってしまっていたからであって、北斗自身に非はない。だが、自分のいなくなってしまった3ヶ月間で、どれほど周囲に迷惑をかけてきたかを、改めてこの場で知ったのだ。

光はますます北斗に体重を預けてくる。さすがの北斗も、このまま相手を見ずでは支えるのが難しくなってきた。

仕方なしに、一瞬だけ光の顔を見、彼女が身体を預けやすいよう身を動かす北斗。チラリと一瞥した瞬間、彼は後悔した。

北斗の顔を見上げる光の目尻には、光るものがあった。

それはまだ“涙”と呼べるようなものではなかったが、光の表情にははっきりとした悲しみ――もっと具体的に言い表すなら、寂しさが感じられた。

……紡ぎ出される言葉は、少しだけ湿り気を帯びていた。

 

「……昨日、学校の屋上で北斗の話を聞いた時、あの時の気持ちを思い出しちゃいました」

「あの時?」

「はい。北斗がいなくなってしまった、あの時です」

「…………」

 

なぜだか分からなかったが、声を聞いているとすぐ側にいる光が今にも消えてなくなってしまうような錯覚に襲われて、北斗は彼女を抱こうと腕を動かそうとして――動くのをやめた。

先ほど銃を整備する際に使用したオイルが、まだ付着している。このまま彼女に触れたら、折角身体を洗った彼女を汚しかねない。

一旦伸ばそうとして止めた油まみれの手を見て、光は僅かにはにかんでみせた。しかし、それだけ。彼女の表情が晴れることはない。

 

「今まで当たり前のように側にいた人が、突然消えてしまった。すごく悲しかったですし、寂しかったです」

「……」

「しかも、いなくなったのが私の好きな人だなんて……もう、たまったもんじゃないですよ」

「…………え?」

 

突如耳慣れない言葉を耳にして、北斗の顔が呆けたものとなった。

やや曇った表情に赤みを差しながら、光はそんな北斗の様子を見て破顔する。その瞬間、彼女の目尻より一筋の滴が頬を滑った。

 

「やっぱり、北斗ったら気付いてなかったんだ」

 

少しだけ憂いを帯びた語調で、光はなおも言葉を続ける。

 

「北斗がいなくなったって知った日、私、数年ぶりに大泣きしちゃった。すごく悲しかったし、すごく辛かったから…。だから去年の11月に、北斗がまた私の前に現れてくれて、しかも私にだけ自分の秘密を教えてくれて、本当に嬉しかった」

「…………」

「でも昨日、北斗から昔の話を聞いた時――小島さんと戦う…っていう話を聞いた時、なんとなく……本当になんとなくだけど、北斗の影を薄く感じた」

 

それは“女の勘”とすら、呼べぬような直感だった。しかし光は、その後北斗の語った言葉から、その直感が決して自分の妄想でないことを確信した。

北斗は……彼は……

 

「北斗は小島さんとの戦いで死ぬつもりね?」

「違う。俺は……」

「ううん。死ぬつもりはなくっても、死んでもいい、とは思ってる。違う?」

「…………」

 

「違う」と、反論しようとして、口を閉ざす。

改めて考えてみて、もしそうなってもよしとする自分がいることに、気が付いたのだ。かつて自分が獅狼にした仕打ちに対して、報いを受けるべきではないか? ……と、思っている自分に、気が付いたのだ。

北斗は愕然とした。

あれほど“生”に執着し、渇望していた男が、今は“死”を受け入れようという気になっているというのか?

 

「やっぱり……」

 

光は、悲しげに微笑んだ。

涙が、一筋、また一筋と流れ落ちる。

 

「……私は、もう嫌よ。あんな悲しい想いをするのは…もう嫌」

 

茫然とする北斗の肩から離れ、光は彼の目の前に立った。そして、彼をそっと抱き締めた。

 

「我が侭だっていうのは分かってる。でも、北斗がまた私の目の前から消えようとしている。しかも今度は、もう二度と会えないかもしれない。……そう思ったら、気持ちが抑えきれなくて……」

「……」

「……だから、一気に言っちゃった。私が北斗を好きだって事。北斗がいなくなった時、死んじゃいたいぐらい悲しかったって事。もう二度と私の前からいなくなっちゃ嫌だって事。全部、言ったから」

「…………」

 

俺は――

俺はこんな時、彼女にどうしてやればいい?

何度心の中で問えども、答えてくれる者はいない。北斗に出来ることは、彼の胸に顔を埋める光の体を、そっと支えてやることのみ。

 

(……一度、整理してみよう)

 

まず、闇舞北斗という人間は、自身が思っている以上に社会的な影響力を持っていたらしい。数ヶ月前に表社会から姿を消さざるをえなかった際、自分の失踪によって多くの人間に迷惑をかけてしまったのだという。それはすぐ側にいる自分の半身もまた同様で、特に彼女には大変な精神的を被る結果となってしまった。

彼女がその時感じた苦痛は、彼女にとっては耐え難いものであったらしい。彼女は、もう二度とあんな思い――自分を失った時の悲しみや絶望感――を味わいたくはないという。

だがしかし、何故彼女は自分ごときの事でそんなにも追い詰められたのだろうか? その答えは…………彼女が……夏目光が、自分を“好き”でいるという、恋愛感情があるから。

 

「――ったく、馬鹿野郎が…」

 

無意識に、自分に対して愚痴をこぼしてしまう。

ようやく気が付いた。

職場の同僚とはいえ、何故、光が自分にああも親切にしてくれたのか。

何故、彼女が自分に体を預け、『自分の半身になってくれ』という、身勝手な申し出を聞き入れてくれたのか……

 

(まったく、我ながらこの鈍さ加減にはほとほと愛想が尽きたぞ)

 

光から顔が見えないのをよいことに、北斗はロッカーの金具に反射して映る歪んだ自分に向って、自嘲的な笑みを投げかけた。金具の形状に合わせて歪んでいる顔に表情が加わったことで、妙に笑いを誘う顔になった。

 

「……いつからです?」

「え…?」

「さっき、俺の事が好きだ、って、言ってくれましたよね? それはいつから?」

「……初めてお会いした時、あなたの眼が気になった。その後、あなたと一緒の時間を過ごしていくうちに自然と」

 

――すると、自分はずいぶんと長い間彼女を待たせてしまったことになる。

北斗は長年にわたって熱い視線を注がれながら、それに気付かなかった自分の鈍感さを呪った。

とはいえ、北斗にとってそれは無理もないことであった。初穂との一件……自分が殺した、最期に自分のことを愛しているといったあの少女との一件によって、闇舞北斗の恋愛感は180度変換してしまっていたのだ。それまで目の前のベストカップル――小島獅狼と夕凪春香の2人――こそが、恋愛の理想形と信じて疑わなかった彼は、自分の恋愛についてひどく臆病になってしまった。自分を愛していると言った少女の手によって大切な親友達を失った一件は、彼の心に大きな楔を打っていたのだ。

しかし彼は今、ついに光が今まで自分に抱いていた想いについて知ってしまった。

知ってしまった以上、北斗は彼女に答えを出さねばならない。

そのためには、自分が一体彼女のことをどう想っているのか、知らなければならない。

Must be の迷宮に陥ってしまった北斗は、自分を深く見つめ直した。

果たして自分は、彼女が……光のことが、好きなのか、否か。

無論、彼女が“好き”であることは確実である。まさか嫌いな相手に、『自分の半身になってくれ』などという要望をするほど、北斗はもの知らずではない。問題は、その“好き”がLike であるのか、Love であるのか……

かつて夕凪春香にもしたその質問を、15年の歳月を経て北斗は再び問いかけた。今度の解答者は、他ならぬ自分自身である。

しばしの静寂があった。

埃すら舞うのをやめた静謐な空気を、北斗の太い腕が掻き乱した。

ゆっくりと伸ばされた両腕は、しっかりと光の背中に回され、北斗はしっかりと、強く彼女を抱き締めた。

驚いたように光の体が硬直したが、彼女は彼を受け入れ、自分もまた彼の背に回した両腕に力を篭めた。

熱く、力強い、それでいて優しい抱擁であった。

ただ優しいのではない。優しく、相手を労わり、大事にしている抱擁だった。優しく抱き締めるだけならば誰にでも出来る。しかし、大事にする……というのは、もっと神聖で、別次元の事だ。自分が北斗にそうされていることを感じてか、光の瞳の端で、再び何か光るものが煌いた。

北斗は、ゆっくりと言葉を噛み締めるように彼女に囁いた。

 

「……高知で俺は光に言ったな? 『夏目光の命は、闇舞北斗の命でもある』と」

 

光は北斗の胸に顔を埋めながら頷いた。

 

「あの時、俺はこの言葉を別の意味で捉えていた。一度空を飛ぶための翼を失った俺に、もう一度空を飛べる翼を与えてくれた光を、絶対に守りたい、今の俺があるのは彼女がいたからなんだ……という、感謝や、親愛の情からくるものだと思っていました。けれど、今は違う。……今は別の意味でこの胸に抱き続けているのだと、今、初めて知った」

 

光は、北斗の胸板から顔を離し、彼を見上げた。真摯な彼の視線が、彼女を出迎えた。

 

「……闇舞北斗は夏目光の半身。夏目光は闇舞北斗の半身。闇舞北斗と夏目光は、2人で“1つ”なんだ。例え俺が地獄に行き、光が天国に行ってしまったとしても、2人で“1つ”なんだ。…永遠に俺の側にいてほしい」

「北斗…………」

「はっきりと言葉にして言おう。……光、俺は君のことが好きだ。愛している」

 

何の虚飾もない、あまりに単純すぎて陳腐にすら思える言葉。

しかしそのたった一言に、北斗は万感の想いを篭めた。

光の目尻から、涙が溢れ出した。彼女は体を震わせて泣いた。長い間自分が抱いてきた想いが、ようやく報われたという嬉し涙だった。

 

「北斗……私も愛してる」

 

光がそっと目を閉じた。

北斗は自分もまた目を閉じると、彼女の唇に自らの唇をそっと重ねた。

ついばむような…しかし途中から互いの熱を、互いの存在を確かめ合うような熱いキス。

北斗は光を……

光は北斗を……

2人は互いを強く求め合った。

やがて1分も経過しただろうか。名残惜しげに、2人の唇は離れた。

北斗は濡れた唇で言葉を紡いだ。

 

「たった今から夏目の姓を忘れて、闇舞光の名を胸に刻み込んでくれ。……こんな頼みは、横暴すぎるか?」

 

光は涙でクシャクシャになった顔に満面の笑みを浮かべ、首を横に振った。

 

「いいえ……闇舞の姓をいただきます。あなたを、一人占めにしたいから」

 

2人はもう一度互いを求め合った。

しかし、決して2人は行為をセックスへと持ち込もうとはしなかった。

彼らは、ただ互いの存在を確かめ合うためだけに、身を寄せ合い、抱き合った。

部屋には2人の息遣いと、僅かなガン・オイルの香りだけが残った。

 

 

 

 

 

――1973年3月25日。

 

 

 

 

 

「あ、光せんせーい!」

 

夕暮れ時。

はるか日本海へと沈みゆく太陽に照らされて橙色に映える如月学園の校舎の中から、女子生徒の声がした。

本日の勤務を終えて帰路へ就こうとしていた光は、名を呼ばれたことに気付き、その場に立ち止まって振り返る。

土間の入り口から2人の女子生徒がこちらに向かって手を振っていた。裸眼で両目1.2の視力を凝らして見ると、どちらも見知った顔だった。光が受け持っている2年生の生徒だ。この時間まで学校に残っていたということは、部活動をしていたのだろう。

反応して手を振ってやると、2人は“パタパタ”と駆け寄ってきた。

春風ではためくスカートから覗く足は健康そのもので、筋肉で引き締まってスラリと細い。

 

「新谷さん、田村さん…部活、終わったの?」

「はい。光先生は今帰りなんですか?」

「ええ。今日はちょっと早めにね」

 

上品な微笑を浮かべる光に、2人の女子生徒も釣られて笑みを浮かべる。ショートカットの少女が新谷涼子で、セミロングの少女が田村美香。

2人は光の隣に並ぶと、3人揃って歩き出した。どうやら3人は途中まで同じ帰り道のようだ。

 

「今日はちょっと早めに……って、もしかして彼氏ですか?」

「りょ、涼子ちゃん! そういう質問は先生に失礼だよ」

 

なかなか突っ込んだ質問をする涼子を、美香が控えめにたしなめる。どうやら2人の力関係は涼子の方が上のようだ。

『彼氏』という言葉に北斗を連想した光は、品のある笑みを浮かべながら、

 

「残念ながら違います」

 

と、答えた。

 

「実はこれから近くの楽器店に行くのよ」

「楽器店?」

「そう」

 

光はやや大きめのショルダーバッグの中から愛用のソプラノフルートが納められたケースを取り出した。

 

「私、昔からこれをやっているのよ」

 

蓋を開け、中からフルートを抜き出す。銀色のボディが夕日を反射し、一瞬2人の女子生徒の視界を覆った。

再び元の視界が戻ってくると、少女達は露わとなった管楽器を覗き込んだ。

 

「わあ……」

「は〜……」

 

2人ともあまり見慣れていないのだろう。それこそ食い入るように見つめている。光はなんだか自分が見つめられているようで、少し恥ずかしくなった。

光がサッとフルートをケースにしまい、バッグにしまうと、2人は感想を口にする。

 

「私、フルートをこんなに間近で見たの初めて」

「私も。いつもテレビか吹奏楽部が吹いているのだから、ちょっと遠くて…」

「でも、光先生にフルートかぁ……」

「うん。なんか似合ってるよね」

「今度、絶対に聴かせてくださいね!」

「……楽器に似合うも何もないと思うけれど」

 

苦笑する光だったが満更でもない様子である。どこか頬がほんのりと赤いのは、決して夕日のせいだけではないだろう。

光はショルダーバッグの金具を“パチン”と閉じると、話を再開する。

 

「――それで、先日私に生徒ができてね」

「生徒?」

「フルートの、ですよね?」

「そうよ、田村さん。その生徒――男の人なんだけど、手の大きい人でね。市販の練習用ソプラノフルートじゃちょっと小さすぎるのよ」

「ああ、だから……」

「製作を頼んだのは2ヶ月前なんだけどね……色々あって、遅れちゃったみたい」

 

そう言って肩を竦める光。

3人は校門を出てようやく100メートルほどの距離に差しかかろうとしていた。

さらに50メートルほど歩いて、他愛もない会話をしていた涼子が、不意に思い出したように言った。

 

「――そういえば光先生、さっき生徒は男の人……って、言ってましたよね?」

 

突如として期待の視線を光に投げかける涼子。目まぐるしい表情の変化は天真爛漫というか無邪気というか。傍らでは美香が「涼子ちゃん、また……」などと、情けない声を上げて米神を押さえている。

一方、突然50メートルほど後ろで話した内容に話題が移ったことに、しかし教師としての体面か光は困ったように笑っていた。

 

「え? ええ」

「じゃあじゃあ、もしかしてその人……光先生の彼氏だったりします?」

「だから涼子ちゃん、そういう質問は夏目先生に失礼だってば…」

 

無遠慮にわりと突っ込んだ質問をする涼子に代わって、美香が「すみません」と頭を下げる。ひとり大変そうな彼女であるが、しかしその眼は涼子同様どこか期待の色を孕んでいた。やはり年頃の少女というのは、色恋沙汰の話が好きなものなのだろう。

ぺこぺこと頭を下げる美香の瞳からそんな感情を敏感に感じ取った涼子は、口を尖らせた。

 

「なによ〜ひとりだけ良い子ぶっちゃってさ。自分だって知りたいくせに」

「そ、それは…」

 

涼子に指摘され、うろたえる美香。

ようやく事態を理解した光は、やや乾いた笑みを浮かべて「まあまあ、その辺にしておきなさい」と、言った。光の言葉に、涼子はしぶしぶといった様子で従う。

すると今度は、涼子の言葉の矛先は光へと向った。

 

「――それで? それで? その男の人は光先生の何なんですか?」

「何って言われても……」

 

どう答えればよいのだろう? 恋人? 婚約者? それとも夫?

北斗から『闇舞光の名を胸に刻み込んでくれ』と言われた光だったが、まだ正式には籍を入れているわけでもなく、また、裏社会最強の戦士たる北斗が役所に届出を出しての結婚など出来るわけがない。

するとやはり、自分と彼の関係は――――――

 

「――もう1人の私……って、ところかしら?」

「え? それってどういう……」

 

涼子が更なる追求をしようとしたその時、不意に、光と美香の歩みが止まった。

 

「?」

 

2人とも前方を見たまま固まってしまっている。

何事かと涼子が前を見ると、そこには薄汚れたトレンチコートを着た男がいた。まるで自分達を待っていたかのように道路の真ん中で仁王立ちしている。

男が屈強であることは一目瞭然だった。コート越しでもはっきりと認識出来るほど鍛えられた肉体は無駄がなく、180センチに届くか届かないかという長身に、一層の凄みを与えている。

(――こいつ、ヤバイ……)と、涼子が本能的に察したのと、男が傷だらけの唇を開いたのは、ほぼ同時だった。

 

「はぁ〜、資料や写真で何度も顔は見たが、実物も本当に美人だなぁ。…ホント、あいつには勿体ねぇぜ」

 

3人は無意識のうちに1歩後退した。彼女達は男の声から、無意識のうちに“恐怖”を感じ取っていたのだ。彼女達にとって男はまさに、“恐怖”を生産する者だった。

その時、光が何かに気が付いたかのように「あッ!」と、声を上げた。

 

「も、もしかしてあなたは……」

 

しかし、その先の言葉が続くことはなかった。

 

「……ま、なんにしろこれで“人質”3人確保、か」

 

“人質”――その言葉の意味を光達が理解するよりも早く、男……小島獅狼の手刀は、3人の延髄を素早く叩いていた。

 

 

 

 

 

『夏目光が誘拐された!』

 

北斗にとってその報告は半ば予想していたものだった。

復讐のために当事者の身辺……それもごく親しい者を人質にとるというのは、北斗達の住む世界においてはよくあることで、事実、そうした事例はアイルランドを始めとして世界中で今もなお起きている。

誤算だったのは、人質が光のみならず何の関係もない2人の女生徒にまで及んでしまったという事だ。獅狼の性格から考えて、彼が3人に危害を加えることはないにしても、無関係な人間を2人も巻き込んでしまったという事実を世間から隠蔽することは難しいだろう。

北斗は今、夏目財団の主要企業・西部湘南産業社長……夏目源三郎の執務室にいた。部屋はテニスコートを半分にしたぐらいの広さで、卓球台より2回りは大きな机が置かれている。机には椅子の数だけ何らかの端末機能が埋め込まれており、部屋全体の印象は執務室というよりも、むしろ小会議室に近い。

あるいはここは本当に小会議室なのかもしれなかった。少なくとも、今この場では、3人の男が神妙な顔つきで対面しているのだから。

闇舞北斗、夏目源三郎、そして秘密結社『ダーク』首領・プロフェー・ギルの3人は、起きてしまった最悪の事態にどう対応すべきか議論をしていた。……といっても、もっぱら言葉を交すのは源三郎とギルの2人だけで、最も対策を口にするべき北斗は対称的に沈黙し、ただデスクの一点を見つめている。そこには、光が誘拐されたという現場に残された彼女のショルダーバッグと、その内容物が並べられていた。その中には、彼女愛用のフルートも鎮座している。

 

「――攫われた3人の居場所はまだ特定出来ないのですか!?」

「現在、『ダーク』の情報部が総力をあげて3人の居場所、犯人の特定を行っております。今しばらくお待ちを」

「頼みます。……それにしても分からない。犯人からの連絡がないことから察するに身代金目当ての誘拐でないことはたしかなはずだが、だとしたら連中の目的は一体……?」

「それについても現在調査中です。……とはいえ、犯人の特定すら終わっていないのですから、今出来ることといったら情報を待つことでしょうなあ」

 

娘が事件に巻き込まれたのはこれで2度目とはいえ、さすがに源三郎の顔色は蒼白だった。

一方、源三郎を落ち着かせるよう、努めて冷静な口調のギルの顔色もまた、決して良いとは言えなかった。相当に疲れが溜まっているのであろうことは明白で、何か他に悩んでいることでもあるのだろうか、何度も米神を押さえている。

ここ数ヶ月ほどの間に、『ダーク』夏目財団は互いになくてはならぬほどの関係を築き上げていた。表社会における夏目財団の経済力は所詮、裏の組織にすぎない『ダーク』にとって旨味のあるものであり、給料がいらず、年に一度の総点検と燃料費がかかるだけで普通の人の何倍もの働きが期待出来る『ダーク』の人造人間の無償給与は、数十万の労働者を抱える夏目財団にとってたいへん魅力的な話だったのである。また、夏目財団にとってはビジネス上邪魔な相手を、暴力団などの手に頼らずに始末出来るという利点もある。

そうでなくとも、源三郎とギルとは北斗を間に挟んで密接な関係を築き上げていた。ギルがこの場に居るのもそのためだ。

源三郎は、表面上は口調を荒げながら、しかし意気消沈した様子で犯人についての推測を語った。しかし、その辺りはやはり素人。経済界では回転の速いことで知られる頭脳も、 夏目財団や『ダーク』の事情を知っている者の犯行だの、犯人の個人的な怨恨からの犯行だの、女子生徒2人までもを攫う必要性がまったくない推測ばかりだった。

何のヒントにもならない推測を聞きながら、プロフェッサー・ギルは、救いを求めるように未だ一言も喋らぬ北斗に視線を向けた。

北斗は、相も変わらず沈黙したままだ。

やがて北斗は、ゆっくりと光のフルートへ手を伸ばした。

ひんやりとした金属のボディを、傷だらけの指が這う。思わずじっと見入ってしまうギル。

ギルの視線が自分に向けられていないことに気付いた源三郎も、顔を北斗の方へと向けた。すると、彼はやはりゆっくりと両の目を閉じた。

瞼の裏……暗闇の世界では、北斗にしか見えぬビジョンが展開されていた。

如月学園の校門……

2人の女子生徒に微笑みかける光の姿……

見慣れた、トレンチコートを着た男の姿……

やがて男は3人の延髄へと物凄い速さで手刀を炸裂させた……

光の肩からずれ落ちるショルダーバッグ……

落ちた拍子に金属製の留め金がはずれ、中身が地面にぶちまけられる……

転がるフルートのケース……

5メートルもない場所に、アイドリング状態で青いジャガーが停車している……

男が3人後部座席へと運び込むと、ジャガーは発車した……

ジャガーの、ナンバーは…………

 

「――プロフェッサー・ギル……」

 

北斗は、静かに自らの命を救った暗黒組織の長の名を呼んだ。

それまで沈黙を守り続けていた男が、突如として口を開いたことにただならぬものを感じ取ったのだろう。ギルその呼びかけに応じなかった。その代わりに彼は聴覚を研ぎ澄まし、北斗の発言を一言も聞き逃すまいと彼の話に耳を傾けた。

 

「情報部に伝えてください。誘拐が複数犯によるものなのか、単独犯によるものなのかは分かりかねますが、少なくとも誘拐の実行犯の背丈は180センチ。年期の入った白のトレンチコートを着た日本人の男で、体格はかなりがっしりとしています。犯行に使われたのは青いジャガー。ナンバーは品川30の……」

 

先刻、この空間で自分のみが垣間見ることの出来た映像を回想しながら、迷いなくナンバーを読み上げていく北斗。伝えるべきことは、思いのほか短くまとまった。

さもその時、その場に居たかの如き口調で語る北斗に、源三郎もギルも、怪訝な視線を向けた。

もっとも、ギルの方はすぐに察しがついたのか、怪訝な表情から納得したように頷いた。

 

「……読んだのか?」

「はい。このフルートの記録――いえ、記憶を辿りました……。生憎フルートは地面に転がってしまいましたから、何処へ行ったかまでは分かりませんでしたがね」

 

――過去視。物体に触れることでその物体がこれまでに辿ってきた軌跡や、人物の過去を視、読むことの出来る超能力。

かつて、数ヶ月にわたる仮死の眠りから覚めた北斗は、自分達の暮らしていた部屋に行き、その場所で起きた出来事を知って絶望したのだ。

だがしかし……と、ギルはそこで思い至る。

まだ〈ショッカー〉が存在し、『ダーク』と密接な関係を築いていた頃、自分は闇舞北斗に関するデータを〈ショッカー〉から入手したことがある。厚さ2センチにも及ぶたった1人のデータが記載された書類には、たしかに『闇舞北斗は超能力者である』と、書かれていた。しかし、その能力は『予知能力』という未来を読む力であって、『過去視』とはまるで正反対の能力ではなかったか。

考えが表情に出てしまっていたのだろう。ギルの顔を見た北斗は、自虐的な笑みを浮かべた。

 

「――人間一度死にかけると、色々な事が出来るようになるらしいですね」

「なに?」

「初めて気が付いたのは覚醒した日……俺達が暮らしていた部屋に戻った時です。…仮死の眠りから覚めたことが直接の原因なのか、昔ランバート少佐から授かった“力”が今更ながら変質したのか。……とにかく、どうしてかは判りませんが、気付いたときにはもう備わっていました。『予知能力』と『過去視』……これでまた一歩化け物の仲間入りですかね?」

 

最後の方は、ギルや源三郎というよりも、むしろ自分に向けた言葉だったのかもしれない。

北斗は再び能面のような表情に戻ると、2人の組織の長に向って言い放った。

 

「事態を収拾するにあたって、警察は使わない方がよいでしょう。犯行の不手際さから分かりにくくなっていますが、相手はおそらくプロの戦闘者です。並みの警官じゃ徒に犠牲者を増やすだけですし、警視庁最強の第七機動隊でも逮捕出来るかどうか……。御用の際は、俺を呼んでください。この件は、表沙汰にならないように処理しましょう」

 

それは無論のことである。

限りなく0に近いとはいえ、『ダーク』としても自分達の存在が一般社会に知られる可能性は潰しておきたいし、夏目財団の方も『家族が誘拐された』などというスクープは、下手をすれば財団の名に傷がつく恐れがある。

あくまで事は穏便に、決して誰にも知られることなく……そうすると、源三郎とギルが知る共通の人物で、それが可能な人間は1人しかいない。

北斗は光のフルートを手に持ったまま立ち上がると、踵を返した。顔だけを2人の方に向けながら、特にプロフェッサー・ギルに対して口を開く。

 

「万が一の事態に備えての準備のため、一度部屋に戻ります。報告や連絡は、イスカリオテの通信機に」

「…待ってくれ」

 

退室のため一歩踏み出そうとしたところを呼び止めたのは、意外なことに夏目源三郎。この手の事に関して3人の中で唯一素人である彼は、しかし先刻の北斗の言葉に不信を抱いたのだ。

 

「闇舞先生、キミは今『犯人はおそらくプロの〜』と、言っていながら、すでにそれが確定しているかのように話を進めた。……キミはもしかして、犯人に心当たりがあるんじゃないのか?」

 

さすがは経済界という戦場でいくつもの敵を蹴散らしてきた夏目源三郎。細かい事にも良く気付く。

源三郎の観察眼・洞察力の鋭さに内心舌を巻きながら、北斗は顔を背けたままコクリと頷いた。

さすがのギルも、これには目を丸くした。何故今まで黙っていたのかと、縋るような視線から一転して攻撃的な視線を彼の背中に送る。北斗は意にも介していないようだった。

 

「やはりそうか…」

 

娘の命が掛かっているからだろう。いつもは商売敵を相手に自慢の作り笑顔を浮かべている源三郎も、この時ばかりは北斗に対して露骨に不快感を露わにしていた。

 

「それで、誰なんだね? その人物というのは。大体の見当は、ついているんだろう?」

「闇舞北斗、源三郎氏がこう言っている。答えろ」

 

2人の直接の上司に質問と命令を浴びせられ、北斗は一瞬悲痛な表情を浮かべた。しかし、背を向けているため2人は判らない。

北斗は口を開くことを一瞬躊躇った。

しかし、いずれは話さなければならないことであると知っていたからこそ、彼は閉ざしていた唇を開いた。

 

「…………犯人は、おそらく俺が……かつて親友と呼んだ男です」

 

ドアの前まで歩いていき、「では…」とだけ振り向き、腰を折った北斗は、執務室を跡にした。

 

 

 

 

 

“バタン……”

 

扉を閉める音が、やけに大きく、余韻を持って聴こえる。それは周囲の空間が静かだったからなのか、俺自身の心が静寂を保つ事に成功していたからなのか。

最初にその知らせを聞かされた時、俺は瞬時に感情の起伏を制御するスイッチを押し、腸が煮えくり返るような怒りと、涙で大海を生み出すかの如き悲しみを殺すことに成功した。光を失ったことによる源三郎氏の混乱や動揺は、かなり大きいものであることは簡単に推測出来たし、ここ最近の『ダーク』内における混乱を見る限り、プロフェッサーの心労は如何ともし難い状態であったのは明白で、事実、2人ともそうであった。そんな2人の前で、まさか俺までもがみっともない姿を晒すわけにはいかない。

しかし、取り繕うのももう限界だ。

悲しみと怒りは、すぐにやってきた。

 

“ダンッ!”

 

拳が壁にめり込み、粉砕する音が廊下に響く。

外で控えていた源三郎氏の秘書が何事かと振り向き、継いで驚いたような表情を浮かべてこちらにやってきて、何か怒鳴り始めた。

だがその声は、俺には届かない。

“人質”という手段は俺達のような闇に生きる者達のみならず古来からの常套手段で、特に近世以前には活発に行われていた。かつての俺にとっての留美がそうであり、俺自身もまた何度となくその方法をとり、作戦の成功を収めている。

だから俺にあいつを非難する権利はない。もし非難しようものなら、今まで闇舞北斗という人間の過去の大部分を否定せねばならない。

しかし、だ…。頭の中では理解していても、一度理性の下を離れた感情は、それを許さなかった。

 

「おのれ小島……」

 

理不尽な怒りであることは百も承知だ。だが、血液と一緒になって体中を駆け巡る激情を俺はコントロールすることが出来なかった。

拳が埋まったままの壁に“ビシビシ”と亀裂が走り、その光景を垣間見た秘書の顔が蒼白になる。ようやく口を閉ざしたのをよいことに、俺は拳を引き抜き、彼の横を通り抜けようとした。

だが彼はそれを許そうとはしなかった。俺の動きにいち早く気付いた男は、俺の左手首に右手をかけた。

源三郎氏がこの男を業務をサポートする秘書というよりもボディガードの目的で雇い入れたことは公然の秘密だった。元プロレスラーの192センチ、92キロ。背丈は俺よりも高い。

俺は手を払い除けようとして――――――気が付いたときには体は勝手に動いていた。

そして男は宙を舞っていた。どうやら男の右手を絡め取って放り投げたらしい……と、俺が理解したのは、男が10メートルも後方の壁に激突し、女性社員の悲鳴が上がった時だった。

それは俺の理性や条件反射はおろか、脊髄反射といった原始的な行動すらも超越した、本能からの攻撃だった。しかも俺は、無意識のうちに改造人間の力を持って男を投げてしまっていた。

一瞬、俺の中に(男を介抱しなければ……)という考えが浮上し、消えた。

俺の肉体は完全に理性の制御下を離れていた。

こうなると、再び理性が肉体の支配権を取り戻す方法はひとつしかない。本能が求めている行動を、理性が一緒にやるしかない。

俺は足の運ぶままに廊下を歩き、階段を降りた。俺の場合、エレベーターを待っているより、走って降りた方が早い。

地下駐車場に降りて、いちばん奥に停車したイスカリオテに跨る。

エンジンをキックすると、轟音が地下の空間を占拠した。

 

「光……」

 

きつく噛み合わさった歯の隙間から、知らず愛する者の名が漏れる。

続けて、今の俺の中に溜まった怨磋のすべてを孕ませた言葉をひとつ……俺は吐き出した。

 

「小島……」

 

かつては親友と呼んだ男。いや、今でも俺は彼のことを親友だと思っている。……出来ることなら、彼を傷つけたくないとすら、思っている。

しかし今日、この瞬間ほど彼のことが憎らしいと思ったことはなかった。そして、今日この瞬間ほど、彼に対して殺意を覚えたことはなかった。

 

 

 

 

 

「――大丈夫だろうか? 彼は……」

 

北斗が出て行った扉を呆然と眺めながら、源三郎は言った。それはギルに対する問い…というよりも、自分に対しての問いかけだった。

しかし、源三郎の心中を知らぬ帝王は、律儀にもその独り言に答える。

 

「――闇舞北斗はプロの暗殺者です。例え相手が親友であったとしても、請け負った仕事や任務のためとあらば必ずや標的を……」

「いえ、私の言いたいことはそうじゃないんです」

 

あらぬ回答をしていたギルは、椅子一つ分の隙間を隔てて立っている男の、未だ茫然とした横顔を見る。

ギルの視線に気付いているのかいないのか、源三郎はドアを注視したまま言葉を続けた。

 

「敵がかつての親友であるとか、そうでないとかは、私は心配していません。私は実際に彼の戦いぶりを見たことはないが、四国で娘達を救ってくれたときにあなた方から提出された報告書には、彼は仕事のため、任務のために強大なひとつの組織を完膚なきまでに殲滅した様相が、詳細に記されていました。文字だけでも十分に理解しましたよ。闇舞北斗という男が、任務のため、仕事のためならばどれほど冷酷に、そして強大な力を発揮出来るのかを……」

 

源三郎は知らない。かつて〈ショッカー〉に人質同然の形で監視されていた留美のために、北斗がどれほど身を削って獅子奮迅をしてきたのかを。

源三郎は知らない。自分の娘と彼が、どれほど深く愛し合い、互いに強く想い合っているのかを。

ゆえに彼の言葉には、『闇舞北斗という男は、任務のため、仕事のため、そして愛する者ためならば、限界以上の力を発揮出来る』というフレーズが足りていなかった。

だからなのか、次の言葉を紡ぐ源三郎の表情は、茫然とするものでありながらも、どこか不安げな色が見え隠れしていた。

 

「去り際の彼の口振りからして…敵の、彼のかつての親友というのは、旧知の仲であると窺い知れました。私が恐れているのは、その彼の親友というのは、もしかしたら『彼のその実力を知っているうえで勝負をけしかけてきたのではないか』ということなのです。もし彼の実力を十分に熟知しているうで、彼に挑戦しているのだとしたら…単に無鉄砲なだけなのか、それとも十分な勝算があるのか……私としては、前者の方に賭けたいのですが」

 

損得勘定のみが北斗達の住む裏社会を動かす歯車である。北斗の真の実力を知っているということは、すなわち相手もまた裏社会の人間であるということを意味している。考えなし、計算なしの無鉄砲では、世を渡っていくことは出来ない。

まして相手は世界最強の『killing gentlemen』。緻密な分析と計算を抜かしては、対面すら叶わないような男だ。

源三郎はそこで言葉を区切ると黙り込んだ。

自分の考えをすべて述べたからではない。ギルの胸ポケットの辺りで、何かが震えるような音がしたのだ。

ギルは「失礼…」と、告げると、胸ポケットに手をやって、超小型の通信端末――後の携帯電話――を取り出した。

端末を耳に当て、着信ボタンを押すと、作られた機械の音声……『ダーク』の戦闘員・アンドロイドマンの声が帝王の耳膜を打った。

ギルが部下との通信をする間、源三郎は振り返って執務室の窓から外を見下ろした。執務室は西部湘南産業本社ビルの8階にあり、見下ろす下界では、一刻を争うような自分達の状況に反して、ゆるやかな“時”が流れていた。

――と、不意にその間断なき“時”の流れは急変した。

地下駐車場への入り口から飛び出した1台のバイク。

大半の人々はそのバイクに一瞥もくれなかったが、そのバイクと、バイクに乗るライダーは、人知れぬ“死”の瘴気を街に振り撒きながら疾走していった。

源三郎の視界からイスカリオテが姿を消したのと、ギルの通信が終了したのは同時だった。

交信するギルの声が途切れたのを見計らって振り向いた源三郎は、彼の顔色を見て「おや?」と、小首を傾げた。

ギルの顔色は、通信が入ったのとそれ以前とでは雲泥の差があった。それほどまでに、彼の顔色は良く、表情には心なしか嬉々としたものすらあった。

置かれている自分達の状況に反して良好なギルの表情は、娘を攫われた源三郎の煮え滾った心にしこりを残したが、経済界の知将はそれを表情に出すことなく、「何か良いことでもあったのですか?」と、訊ねた。

 

「ええ、まぁ…」

 

曖昧に肯定するギル。どうやら先刻の通信は秘密結社『ダーク』のトップ・シークレットに属する内容の遣り取りがされていたらしい。あまりその話題には触れてほしくないのか、彼は先ほど途切れてしまった会話を継ぐように口を開いた。

 

「ご安心ください。闇舞北斗は、必ず娘さんとその生徒達を連れ戻してくれることでしょう」

「……彼のことを信用しているのですな?」

 

話題を変えさせられたことに何か腑に落ちぬものを感じながら、源三郎は訝しげな表情を浮かべる。

対するギルは、「信用というよりは……」と、言葉を続けた。

 

「信用というよりは、確信ですね。……時に夏目さん、あなたは戦闘者・闇舞北斗についてどう思いますか?」

「……先ほども申し上げたが、私は彼が戦うところを実際にはまだ一度も見ていない。私が彼について知っていることは、あなた方の組織から送られてくる報告書や、他人から聞いた話に過ぎない。そのうえであえて語るとしたら、まぁ……強い男であるとは思います。なにせ、『世界を変えうる3人の男』のひとりとして、全世界から認められているわけですから」

 

源三郎の回答に一応の頷きを見せたギルは、彼から視線をそらし、おもむろに硬質な窓の外を見下ろした。

下界では行き交う人々がいつも通りの生活を送っていた。

その光景を見て何を思ったのか、不意にギルの唇が愉悦に歪む。窓ガラスに反射して映る表情の変化を背後から見た源三郎の背筋に、“ゾクリ”と、何か冷たいものが走った。

源三郎の慄きなど知るよしもなく、ひたすら視線を往来へと向ける帝王は、自分の表情が愉悦の笑みを浮かべていることにすら気付かずに語った。

 

「…たしかに、闇舞北斗という戦闘者は強い。だが、単に強いだけならば、この世界にはそうした人間などごまんといる。単に強いだけでは……『世界を変えうる3人の男』などとは呼ばれんのだよ」

 

ギルは気付かない。心躍るあまり、いつの間にか自身の口調が、自らが統べる暗黒組織の帝王のソレに戻っていることに。

そして源三郎は気付かない。窓に映るギルの表情に注視するあまり、彼の手元でギラリと凶悪な光沢をたたえる鉄塊の存在に……

 

「――闇舞北斗は、天才なのだ。それもただの天才ではない。あの男はまさしく、戦うために生まれてきた、“戦闘の天才”……」

「戦闘の、天才……」

「その通り。よくよく考えてみろ。不断の努力があったとしても、普通の人間がああ(・・)も強力な戦士になりえるだろうか? たかだか30年と少しの期間で、『仕事に必要』、『生きるために必要』というだけで、世界14ヶ国語を解し、数多の格闘技を習得し、あらゆる武器、兵器の操作方法をマスター出来るだろうか? 『改造人間である』という言葉だけでは片付けられまい。これは間違いなく、闇舞北斗という男の才能以外のなにものでもない。ヤツは間違いなく戦闘の天才。戦うためだけにこの世に生を受けた男なのだ」

 

“戦闘”のためならば、一見それとは何ら関係していないようなスキルすら習得し、それを瞬時に応用出来るだけの能力を持った男。はたしてそれは、単なる強力な戦闘者に過ぎないのであろうか? 

否、それはもはや単に強者であるというだけでは説明のつかないこと。

 

「ワシはな…これまで闇舞北斗の戦闘に関するデータを多く集めてきた。あの男が過去に戦ってきた相手の中には、その時点における闇舞北斗よりもワンランクも、ツーランクも格上の敵が何十人といた。…しかし、闇舞北斗はそのいずれとも戦い、時には敗れ、しかし生き延び、再度、再三の戦いを挑んでこれに勝利してきた。例え相手が自分より何倍も強大な存在であったとしても、あの男はいつも最後には勝利を収めてきた」

 

あのダブル・ライダーとの戦いですら、最終的には北斗は引き分けにまで持ち込んでいる。『M.R.ユニット』を起動させたとはいえ、2対1の状況にも拘らず、だ。

 

「闇舞北斗は、戦闘の天才だ。戦えば戦うほど、より強くなっていく……。敗北に敗北を重ねれば重ねるほど、新たな力を得て戻ってくる……。いや、一戦一戦のみならず、一戦の間の、一分一秒の間にもあの男はより強大に進化していく」

 

あらゆる戦闘スキルをマスターし、それを活かせるだけの行動力と知性を持ち、そのうえで、戦えば戦うほどより強くなっていく存在……それはもはや、常人の理や、常識の範疇の外に身を置く存在……。

 

「安心するがよい。闇舞北斗は誰にも負けぬ。あの男は、戦う度にその都度強くなっていく。貴様の娘達は、必ずや救出されるだろう。なにせあの男は戦闘の天才、世界最強の男なのだからな」

「戦闘の天才……世界最強の男……」

 

まるでその2つの単語の響きに陶酔したかのような様子の源三郎。いつしか彼は、プロフェッサー・ギルのカリスマからくる“演出”に呑まれていた。とてもではないが、先刻まで当のギルに戦慄し、怯えを露わにしていた男と同一人物であるとは思えない。

ギルの話術の前に屈し、もはや正気を失いつつある源三郎の様子を、やはり窓の反射を利用して確認したギルは、“ニヤリ”と怪しい笑みを浮かべた。

そして彼は振り向いた。室内の空気が歪み、その空気に乗って、“カチリ……”という、鉄と鉄が擦れ合い、ロックされたような音が流れた。

 

「そうだ。だから〈ショッカー〉は闇舞北斗を自らの組織に招き入れた。だから我々もまた、闇舞北斗を招き入れたのだ。他の人造人間の追随を許さぬ最強の改造人間、最強の戦闘員として。そして……」

 

“パンッ!”

 

「今となっては数少ない、現存する〈ショッカー〉の科学技術の粋を集めた研究材料として、な」

 

痛みは唐突に訪れた。

麻痺していた五感があっという間に本来の機能を取り戻し、霞がかかったかの如くぼんやりとしていた意識が、一気に覚醒する。

男のものとは思えぬほどかん高い悲鳴を上げ、流血する胸を押さえてうずくまる源三郎に、闇の帝王は残酷な冷笑を浮かべた。

 

「痛いか? しかし安心するがいい。撃ったのは38口径のFMJ弾だ。もう少しの間は、その苦しみも続くだろう。……今、生きているという実感が肌で感じられて、嬉しいだろう?」

 

“信じられない…”といった様子で、愕然とギルを見上げる源三郎。

様々な感情や思考が脳内を駆け巡る中、彼は意味もなく憫笑に肩を泣かせる男の名を呼んだ。

 

「ぷ、プロフェッサー……!?」

 

言葉を吐き出すごとに、一緒に血液まで流れていく。いや、流れるのは血液だけではなかった。源三郎の体からは、彼の体温もまた流れていた。

ギルが健三郎に向けて放った銃弾は、彼の言うとおり38口径のFMJ弾だった。直接的なストッピング・パワーよりも貫通力に重点を置いたFMJ弾は、例え45口径の弾頭が体内に残ったとしてもしばらくは死ねない。

地獄の断末魔を味わう源三郎に、ギルはまるで生徒に講釈する教師のように口を開いた。

 

「……そもそも、人体の一部、あるいは全部を機械に挿げ替え、人智を超えたパワーを発揮させる改造人間の技術というのは、本来ならこうして軽々しく語ることすら憚られるような極めて高度、かつ秘匿性の高いものなのだ。〈ショッカー〉の壊滅と同時に一部の研究者や技術者から情報の流出があったとはいえ、その技術は同盟関係を結んでいた我々『ダーク』にすらほとんど入ってこなかった。

〈ショッカー〉の有する改造人間の技術は、我々から見れば喉から手が出るほど欲しいものだった。特に多種多様な機能を有するナノマシンの技術や、生体と機械との融合の技術などは、それさえあればより強力な人造人間、あわよくば『ダーク』製の改造人間の製造すら容易に可能になるからな。……そしてそこに舞い込んできたのが、〈ショッカー〉最強の戦闘員、闇舞北斗だった」

 

『ダーク』にとって、それはこの上ない朗報であった。

闇舞北斗の強力を得たうえでその肉体を調べることが出来れば、門外不出にして禁断の改造人間の技術が手に入るだけでなく、あわよくばその強大な戦力が味方になる可能性すらあったのだ。

 

「闇舞北斗といえば、〈ショッカー〉最高のブレーン・死神博士が直々に執刀したという、いわば〈ショッカー〉の科学技術の最先端にして最高峰が積載された改造人間。証拠隠滅プログラムの問題から解析にはヤツ自身の同意を得ねばならなかったが、おかげで『ダーク』はそれまで以上に強大な力を得た。特に機械の部品と脳の神経細胞の接続技術(・・・・・・・・・・・・・・・・・)は役に立った。……その他にも、ヤツは我が組織に多大なる貢献を果たしてくれたなあ。ヤツのおかげで、貴様らとの太いパイプもできたのだから。感謝しているぞ。ヤツにも、貴様らにも。夏目財団のおかげで研究資金には困らなかった」

 

「さて……」と、プロフェッサー・ギルは一旦そこで言葉を区切るや、すでに手足が痙攣を始め、満足な抵抗すら出来ない状態にある源三郎の米神に冷たい銃口を突きつけた。

 

「さっきも言ったが、ワシは貴様らに感謝しているのだよ。……だからして、せめて貴様にはワシ直々にトドメを。そして闇舞北斗には、今以上の新たなる肉体(・・・・・・)をプレゼントしてやるのだ」

「新たな…肉体……?」

「その通り」

 

シングル・アクションのハンマーがゆっくりと起こされ、機関部が駆動して絶望の音が奏でられる。

プロフェッサー・ギルは、冥土の土産だと言わんばかりに、大仰に語った。

 

「……たった今しがた、送られてきた通信の内容は2つ! ひとつは貴様の愛しい愛しい愛娘達が拉致されている居場所についての調査報告。そしてもうひとつは、闇舞北斗に与える新たなる肉体(・・・・・・)が完成したことの報告! ……アレさえ完成すれば、もう我々が資金面で貴様らの財団を頼る必要はなくなる。アレさえ我が方にあれば、地球防衛軍のウルトラ警備隊やMATですら敵ではなくなる!」

「…だから……用済みとなった……私を……」

「そう、殺すのだ!」

 

“パンッ!”

 

1発の銃声が社長室に轟き、1つの命が、この世から爆ぜた。

 

 

 

 

 

(最近妙な客が多いな…)と、バー『クロック』のアルバイトの青年は、客の手前熱心にグラスを磨くフリをしながら、内心で溜め息をついた。

その男は先日の妙な2人連れが来て以来、初めての客だった。

男はカウンターに座るなり『ピンク・ジン』を注文すると、別に青年に話しかけてくるでもなく、腕を組んで沈黙した。

例の如く店の奥に引っ込んでいた老人を引っ張り出してカクテルを与えても、男はそれを一口で飲み干してまた沈黙した。どうやら男は、酒を飲むためにバーに立ち寄ったのではなく、時間潰しのために来たらしい。

男の興味が酒にはないことを知るや、店長の老人はまた店の奥へと引っ込んだ。青年はそれを止めなかった。

やがて何十分かの沈黙が続いた後、不意に店内の空気を妙な異音が揺さぶった。

異音は男が着ている闇色のライダースーツの胸ポケットから発せられたもので、男が手を伸ばすと、中から小さな金属製の箱のような物が現れた。

青年が男のことを(妙なヤツ…)と、思ったのはそのときだった。

男はその取り出した金属の箱を耳に当てると、あたかも電話のように話し始めたのだ。

青年は、このとき男に対して初めて(ちょっと頭がおかしいんじゃないか?)と、疑念を抱いた。金属の箱はトランシーバーにしてはあまりにも小さく、青年は男が本当に誰かと会話しているのだとは微塵も思わなかった。

やがてひときしり会話を終えたのか、男は金属の箱に付いていた赤いスイッチを押すと、箱を再び胸ポケットにしまった。

そして男は立ち上がった。

カクテル一杯で何十分も粘った侘びのつもりなのか、数枚の万札をテーブルに置くと、彼はバーの入り口へと足を運んだ。

例え相手がどんな変人でも、ちゃんと金を支払ってくれるのなら、店員としては文句は言えない。青年はマニュアル通りの挨拶をすると、テーブルに置かれた万札を手に取るや、何枚あるのかを数え始めた。

 

 

 

 

 

 男にとって、それは招かれざる来訪者も同然だった。

元々男は組織や、組織の長に絶対の忠誠を誓ったわけはなく、ただ自身の目的を達成するためと、自身が生きていくためには組織のバックアップが必要不可欠であったことから、一応指令には従っているに過ぎない。

ゆえに男にとって、やりたくもない指令を遂行するのは苦痛だった。しかし、先刻指令を通達してきたのは他でもない組織の長……闇の帝王直々の通達である。彼にその指令を、断れるはずもない。

 

「――フンッ! ギルのヤツめ」

 

主の名を呼ぶ男の声には遺憾の意が篭められていた。

男が通達された指令に対して憤りを感じているのは明白で、長身からは殺気じみたものまで滲み出ている。幸いにして『クロック』の出入り口付近にはその殺気を感じ取れる者は居なかったが、もし居たとしたなら、それが凄腕の暗殺者や前科十犯の大物犯罪者であったとしても、素足で逃げ出していただろう。

『クロック』は元々人気のない路地の、目立たぬ場所に店を構えている。2・30メートルほどの距離を歩いてようやく人気のある道へと出るのだが、反対の方向へ歩みを進めるとさらに人気はなくなってしまう。

男が歩き始めたのは、後者の方の道だった。

人の視線が嫌いだからなのか、それとも彼が元来にして闇を好むからなのか、気配なき道を進む彼の歩みは終始堂々としている。

やがて20メートルほどの距離を歩くと、男の眼前に数百段はあろうかという石段が姿を現した。

寺のものなのか神社のものなのか、表札も鳥居もなかったため男には分からなかったが、彼にとってはどうでもよいことだった。彼の興味は、放棄されてもう10年は経っているであろう石段の前に停車している1台の真っ白いバイクに集約していた。

一見するとカワサキの350ccオートバイ。しかしよく観察してみると、明らかにその見解が間違っていることが判る。そのバイクは、デザインこそカワサキのバイクに類似しているが中身はまったくの別物だった。

まず車体を覆う装甲が市販の物とは圧倒的に異なっている。まるで戦車や戦艦を思わせる重厚な装甲は硬く、そして重い。速度計は最高600キロまでを計測出来る破格の仕様で、タコメーターも同様だ。さらにメーター機器の下部には小型のコンソールがあり、26個のボタンが陳列している。ハンドルにも、奇妙なボタンやスイッチはあった。グリップのラバーは人間が握ることを前提にしていないのか、過剰なまでの滑り止めが施されている。当然、ナンバープレートは付いていない。

キャンパスを連想させる純白のボディのそのバイクに、『夜の闇に溶け込むのではないか?』と、不安になるような闇色のライダースーツを着た男は静かに跨った。

ゴーグル付きのヘルメットを深く被り、エンジンをキックする。天地を揺るがすかの如き爆音が轟いた。

バイクに跨った男は、まだ件の指令に対して憤りを抱えていた。怒りに顔を禍々しく歪め、男はつい先ほど小型通信端末越しに聴こえてきた帝王の言葉を思い出す。

 

「…………『闇舞北斗を捕獲せよ。他のどの部位を傷つけても構わんが、心臓と脳髄にだけは傷をつけるな……』だと? まったくギルのヤツめ! ヤツは俺を何だと思っているのだ!?」

 

 ――闇舞北斗を生け捕り(・・・・)にしろ。

 その指令は、彼の存在意義の50%を否定されたも同然だった。何故なら彼は、『生かす』ために創造主より生み出されたのではなく、『壊す』ために生み出された存在なのだ。その自分が、標的を“生かし”たまま連れて帰るなど……本当なら、あってはいけないことである。

 

「あの老いぼれめが。未だヤツの居場所も掴めずに、俺にはやりたくもない任務を与えるときやがった」

 

 怒りに形相を歪めたまま、男は闇の帝王に対して愚痴をこぼす。組織のエージェントが聞いたら卒倒しかねないようなその内容は、白きバイクのアイドリングの音に掻き消された。

 やがてしばらくの時を隔てて、ようやく男がハンドルのグリップを強く握り締めた時、彼の表情はやや諦めたようなものになっていた。

 

「……まぁ、いい」

 

 冷静になるために費やされた数分の時間は、無駄ではなかった。

 呟く男はようやく気持ちの整理がついたのか、少なくとも彼の諦めの表情からはもう憤りは感じられない。

 

ヤツ(・・)と戦えないことは残念だが…闇舞、北斗か……」

 

 かつての秘密結社〈ショッカー〉最強の戦士にして、ジェームズ・ボンド、コナー・ウィルソンらとともに『世界最強』の称号を持つ男。

 基本的に彼は強い者と戦うことは喜びであると考えていた。聞けば闇舞北斗なる人物はかなりの戦闘力を誇るという。そんな男と、相手を殺さぬよう如何に手加減をしながら戦うか……それもまた、考え方次第では一興であろう。

 

「フッ……」

 

 ヘルメットの下で僅かな微笑を浮かべて、男はこれから来る戦いに対して武者震いを覚える。

 足でスタンドをはずし、戦いへと赴く彼は、その前に自らが跨る愛車に向って言葉を投げかけた。

 

「行くぞ、白いカラス(アウトロー)……」

 

ハンドルを握り締め、男は孤独なる愛機とともに戦場へと向かう。

“死”と“破壊”を振り撒く悪魔の雄叫びが嘶き、数瞬後には男の姿も、バイクの姿も見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

設定説明

 

 

“H&K・G3”

 

口径:7.62mm×51

全長:1020mm 銃身長:484mm 重量:4450g

ライフリング:4条右回り 装弾数:20発

初速:800m/s 発車速度:600発/m

 

カラシニコフAK、M16と並んで『三大突撃銃』と呼称される西ドイツの名銃。『そのわりにはあまり見かけないぞ?』というのは、ドイツが基本的に海外派兵を禁じているからで、しかしドイツ以外の国でもライセンス生産されているので、メディアでは見る機会はないが、海外旅行などでは見る機会があるという奇妙な銃でもある。

職人ドイツが設計しただけあって性能は良好で、仕様している7.62mmNATO弾が強力すぎてフル・オート射撃に向かないという点を除けば、欠点という欠点は見当たらない。その分コスト高が気になるところだが、開発当時はまだ珍しかったプレス加工をタ用することで低コスト化を実現し、それでいて耐久性にも優れるというまさに秀逸な一品である。

開発から3度の改修が行われ、現在の主流モデルはG3A3と言い、我々が普段G3と呼称する際にはこのG3A3が該当する。また、折り畳みストック式のG3A4があるが、北斗が使用するのはG3A3の方。

体格の大きいドイツ人に合わせて、銃自体も全体的に大きな印象があるが、北斗にはちょうどよい。次回、獅狼達に対してどんな活躍を見せるのか!?

 

 

 

 

 

 

〜あとがき〜

 

 

女の子A「きゃ〜〜〜〜〜〜!」

タハ・ランボー「ガンホー! ガンホー! 今日からこの地域一帯は我々〈ポッキー〉が支配する! 女、貴様も『森○製菓』のチョコなど食わずに、『グ○コ』のお菓子を……」

北斗B「待ていッ!」

タハ・ランボー「む! 貴様は闇舞北斗!?」

北斗B「〈ポッキー〉の幹部タハ・ランボー! 人がどんな菓子を食おうがそれはその人個人の自由! それを強制的に『グリ○』の菓子のみを食わせるなど……その悪行、許すわけにはいかん!」

タハ・ランボー「……ならば、どうするというのだ?」

北斗B「こうするのだ。トゥッ!」

タハ・ランボー「む!?」

北斗B「ドライバ〜……変身!」

タハ・ランボー「むぉっ! どこからともなくデコトラが!?」

お面ドライバー「はっはっはっはっはっ。この地域一帯の『グ○コ』の菓子は買い占めさせてもらった! 見ろッ! このコンテナ一杯の菓子の山を!!」

タハ・ランボー「うぬぬぬぬ……おのれお面ドライバーめ〜!」

 

 

 

 

 

タハ乱暴「……ボクは別に『○リコ』のお菓子、嫌いじゃないですよ?」

真一郎「はい! Heroes of Heart 外伝 第十二話、お読みいただきありがとうございました!」

タハ乱暴「チッ! 強引に話を切り替えやがった」

真一郎「あのまま続けてたら収拾がつかなくなるだろ? さて、今回のお話はいかがだったでしょうか?」

北斗A「これまでと一転して完全にシリアスな話だな」

タハ乱暴「はい。そろそろ外伝も終局に向けてクライマックスに入りましたし、この辺りでパンツのゴムを締めようかと」

北斗C「そのままゴムを締めすぎて皮膚が2ミリ削れる、と…」

タハ乱暴「い、いや、そんなことはないぞ! ちゃんと、適度に、休息を入れつつだな……」

真一郎「でもタハ乱暴の場合、8:2で休息の方が多いような……」

タハ乱暴「フッ! 俺様の頭脳はデリケートだからな。一時間働かせたら4時間は休息をとらねばならないのだ」

北斗C「威張るな! それじゃただの怠け者だろうが!」

北斗A「そもそも上の、何なんだ? あれじゃ俺のキャラが誤解されるだろうが」

タハ乱暴「いいじゃん。本人もノリノリだったし」

北斗B「いやぁ……イイ汗かいた」

真一郎「闇舞さん……」

北斗A「北斗B…激戦続きでとうとう壊れてしまったか……」

北斗C「くそッ! こうなったら俺がディメンション・トリガーであいつの頭を……」

タハ乱暴「わーッ! わーッ! ネタバレ禁止! NGワード!」

真一郎「……ディメンション・トリガーって、本編の第八話に出てた……アレ?」

 

 

 

 

 

タハ乱暴「ふぅ…危ないところだったぜ」

北斗B「いや、すでに致命的な気もするが…。ところで、最後に出てきたあの男、一体誰なんだ?」

タハ乱暴「それは次回明かす予定です。さて、次回といえばついに激突する北斗と獅狼なんですが、もう皆さん予想がついていると思いますが次回はバトル! バトル! バトルに継ぐバトル! ……という、バトルばっかのお話です!」

北斗B「……つまりまた俺が苦労すると?」

真一郎「しょうがないですよ。だって主人公だし」

北斗B「むぅ…その一言を言われると辛いなぁ……」

北斗A「けど今回の話に限って言えば、むしろ俺より獅狼の方がカッコよく、目立っていたな」

北斗B「ぐはあッ!」

北斗C「それに引き換え俺はかなり情けなかったし……」

北斗B「ごぶふぅッ!」

真一郎「……皆さん、自分を苛めてそんなに楽しいですか?」

北斗C「いや楽しくはないんだけどね……さて、今回はこれぐらいか」

真一郎「そうッスね。じゃ、締めはもう二度と出番がないであろう北斗Aさんに」

北斗A「任せろ。……外伝第十二話、ご愛読ありがとうございました! 次回もまた!」

 

 

 

 

 

タハ乱暴「お前らは父親に締めをさせようって気はないのか〜〜〜〜!?」

北斗A「ない」

北斗B「ないぞ」

北斗C「そんなものはとうにドブ川に捨ててきた」

真一郎「つーか、俺のお父さんは違う人だし」

タハ乱暴「うわ〜〜〜〜〜〜〜ん!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜次回予告〜

 

 

 

 

 

すべてはあの日から始まった……

 

すべてはあの日に終局を迎えた……

 

すべてはあの日の決着をつけるために……

 

すべてはあの日の罪を清算するために……

 

男達は、激突する!

 

次回

 

Heroes of Heart外伝 第十二話「決着の日」

 

親友との戦いを終えた男の前に現われるのは、漆黒の微笑……






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