――二〇〇八年一二月一八日、午前五時三〇分。

 柳也は夢を見ていた。

 夢を見ていると自覚していて、夢を見ていた。

 荒唐無稽な夢だった。

 気が付くとなぜか彼は高度一千フィートの彼方でヘリコプターの中におり、カーゴ・スペースにはこれまたどういうわけか柳也と上官のふたりしかいなかった。

 上官は大尉、柳也はなぜか一等兵で、上官は背中にパラシュートを背負い、柳也は背中に六十キロの錘を背負っていた。

「さあ、飛べ、柳也!」

「なんでやねん!!」

 夢にしてもあまりにも残酷すぎた。見たところパラシュート降下の訓練中のようだが、なんで肝心のパラシュートがないのだろう。いやそれ以前に、パラシュートなしで飛べって……上官は自分に死ねと?

「い、いくらなんでもそれは無茶です!」

「口答えをするなぁッ!!」

 上官の一喝がカーゴ・ルーム中に響く。大して広くない兵員室で、また二人だけしかなかったせいもあって、上官の声は柳也の耳が痛くなるほどだった。

「いいから飛ばんか!」

 なぜか鉛のように重くなってしまった身体を、背後から蹴り飛ばされる。

 いつの間に開いていたのだろう、カーゴ・スペースの扉から万国共通の空挺団伝統の洗礼を受け、柳也は空の人となった……ところで、目が覚めた。

「ぬわんどるふぃぐああああ…………あ、ああ?」

 落下の恐怖と地面に叩きつけられる激突の恐怖。

 人間が耐え切れる恐怖の限界を突破し、夢の中で意識を失った柳也は、唐突に目を覚ました。

「なんだ、夢か……」

 なぜか、少しだけ残念そうな口調の柳也。

 彼にしては珍しいことだ。普段から体を使うことの多い柳也の眠りは深く、大抵の場合は夢も見ずに起きる。

 柳也は珍しいこともあるものだと思いながら毛布を跳ね除けて……そこでようやく、自分が寝ているのがアパートの自室でないことに気が付いた。

「この布団は……」

 見慣れない布団に見慣れない毛布。いつもとは感触の違う枕。そればかりか、天井も壁も、いつも朝起きて最初に見る光景とは違っている。家具などのインテリアに関しては言うまでもなく、何よりそこは純和風の部屋だった。柳也の部屋も畳張りだが、敷金礼金なし、家賃は月一万五千円の部屋とは比較するのもおこがましいほど、広い間取りをしている。

 ここはいったい……不思議に思う柳也は、また同時に自分の着ているものが学園の制服であることに気が付いた。

 はて、自分はこんなところで寝ていたばかりか、着替えもせずに眠ってしまったというのか。

 柳也は綺麗好きというほどではないにしろ、寝る時や休日のときまで着替えないほど無精者ではない。貧乏生活の手前、ほとんど着たきりスズメだが、それでも最低限下着ぐらいは毎日変えている。今、履いているのは、昨日「おはようございます」を告げたはずの勝負下着だった。

 ――……本気で、どういうことだ?

 見慣れない部屋。昨日と同じ服装の自分。そういえば昨夜は水飲み場で急に激痛と頭痛に襲われて、それから……記憶が、まったくない。

 以上のことから推察するに、導き出される答えは…………

「はっ、まさか拉致監禁!?」

「誰が犯罪者ですか!?」

 和室の襖が勢いよく開き、あ〜らあらあら、こんにちは。登場したのは巫女服姿の時深だった。

「時深さん……?」

「おはようございます、柳也さん。身体の調子はどうですか?」

 柳也を起こしに来たのだろうか、起き抜けに犯罪者にされかけた時深は複雑に笑うと、柳也に問いかけた。

 一方、起きて最初に出会った人物が、倉橋時深というサプライズに遭遇した柳也は、目を丸くして巫女服姿の少女を見つめていた。

「……」

「……? どうしました、柳也さん?」

 何も言わない柳也の様子を不審に思ったのか、時深が心配そうに顔を覗き込む。

「こ……」

「こ?」

「こんな美人に拉致監禁なんて、なんて美味しい展開なん……!」

 柳也は、己の言葉を最後まで言い切ることができなかった。

 言いかけた柳也の顔面に炸裂する、時深の拳。そして衝撃の後から柳也の耳膜を打つ、“シュシュシュィィィイイン”という空を切り裂く音。

 どうやら時深の拳は、音速を超えていたらしい。

 薄れゆく意識の中、柳也は、(ああ、やっぱ巫女さんっていいな……)なんて、そんなことを思っていた。





永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another-

序章「白い翼の少女」

Episode03「約定」





 ――二〇〇八年一二月一八日、午前七時。

 カチャカチャと、食器を鳴らす音だけが純和室の部屋に響く。

 すでに早朝の禊を終えて、朝食の準備を整えていた時深。そして彼女の朝食に、一緒にご相伴させてもらっている柳也。

 結局、柳也の意識が完全に覚醒したのは午後六時。いつもなら早朝ランニングに出かける時間だが、さすがに今日はさぼらざるをえなかった。

「それにしても昨夜はびっくりしました。柳也さん、水飲み場で急に倒れるんですから」

「面目ないです…」

 時深から今朝、なぜ自分が神木神社の一室で眠っていたのか、その理由を説明された柳也の第一声は、ひどく情けないものだった。

 昨晩、突然の胸の痛みと頭痛で気を失った柳也は、彼を待っていた時深に運ばれて、彼女が世話になっている神木神社の空き部屋で、一晩厄介になっていたらしい。たしかに昨夜の記憶は胸の痛みと頭痛を感じた辺りで途切れており、柳也はその説明を納得して聞き入れた。

「うぅ……なんだか、時深さんには迷惑かけてばっかりですね、俺。本当に、申し訳ないです」

 正式な意味で知り合いになって、今日でまだ三日目。昨日は心ならずも禊を覗いてしまい、その上で昨晩は意識不明の状態のまま厄介になってしまった。そして今朝は、こうして朝餉まで世話になっている。

 謝罪する柳也の表情が決して明るくいられないのも、無理はないだろう。

 自分は時深に迷惑をかけすぎている……そんな罪の意識が、柳也の顔を暗くしていた。

「迷惑だなんてそんな……それに、こう言ってはなんですけど、昨夜柳也さんが倒れていてくれたおかげで、こうして美味しい食事にありつけるんですから」

 時深が、本当に気にしていないという風にたおやかな笑みを浮かべる。柳也は、その優しい微笑みに自分の心が救われていくのを感じた。

 二人が取り囲む食卓には、朝食のメニューとしては珍しい煮魚があった。せめてもの罪滅ぼしにと、朝食作りを手伝わせてくれと懇願した柳也が、いつもよりも余裕のある朝のために調理した一品だ。

「怪我の功名ですかね? そう言ってもらえると、俺も救われます」

 罪悪感といつもよりも一時間ばかり余裕のある朝ということで、冷蔵庫にあった材料と相談して気合を入れて作ったものだ。嫁入り前の乙女に味あわせてしまった恥辱と、昨日今日と迷惑をかけた分を考えると、こんな煮魚ひとつで帳消しになるはずもないが、そう言ってもらえると柳也も素直に嬉しく思う。

「ちゃんと味も染み込んでますし、煮崩れてもいませんし…柳也さんって、お料理がお上手なんですね」

「褒めすぎですよ。……そりゃ、これでも毎日作ってますから、ちょっとは自信ありますけど」

 料理の良し悪しは基本的に慣れが大きく作用する。経験量の多寡が、味にも調理時間にも影響する。

 ひとり暮らしの上に貧乏生活の柳也だったから、料理を作る機会にだけは事欠かなかった。ちなみに柳也の嗜好は和食派である。

「それに、料理上手って言ったら、時深さんだってそうじゃないですか。味噌汁、美味いですよ」

「お味噌汁って……なにか、褒められている気がしませんけど」

「いやいや、こういうシンプルな料理にこそ、作り手の実力が出てくるものです」

 煮干で出汁をとった芳醇な味わいの味噌汁を口に含み、柳也の顔色が喜色に晴れわたる。具の豆腐となめこ茸も舌触りよく、柳也にとって久しぶりの、他人の手による美味い料理だった。

 ――唯一、難を言うとしたら、量だけど……そこまで言ったらバチが当たるか。

 辛すぎず、甘すぎず、ちょうど良い具合の味噌汁を口に含むたび、柳也はそう思う。

 直心影流二段の実力者は、大きな図体と高い体力を保つためによく食べた。夕食となれば茶碗に大盛りを五杯は食べ、朝食ですら二杯、三杯は当たり前。小柄な時深が用意した食事は、味は文句の付け所がなかったが、ただ一点、柳也にとって量だけが不足していた。

 それでも、おひつによそった白飯を、柳也はよく食べた。

「柳也さん、よく食べますね」

「う! す、すいません。さすがに図々しかったですかね?」

「いいえ」

 時深はとんでもないとばかりに首を振った。

「男の方なんですから、むしろそれぐらいの方がちょうどよいかと…。柳也さんの食べっぷりを見ていると、作った方も嬉しいですよ」

「は、はぁ……」

 柳也は恥ずかしげに俯いた。

 しらかば学園で兄弟達とともに寝食をともにしていた時代、そして小鳥や佳織と時折食卓をともに囲むことも多い最近、女性と二人きりで膳を囲むということに慣れているはずの柳也だったが、なぜか時深の前では彼は緊張していた。

「柳也さんのお嫁さんになる人は、毎日その食べっぷりを見てすごすんでしょうね」

「いやはや、恥ずかしい次第ですよ。こんな大飯喰らいの役立たず、旦那に貰ってくれる人がいるかどうか…」

 そう言って、柳也はおひつの中の白飯を茶碗によそった。すでに四杯目の白飯だった。

 柳也の発言には他ならぬ彼の本心が篭められている。未だ初恋も知らぬ自分だ。彼は、自分は生涯独身であることもやむなしとさえ思っていた。

 すでに時深は自分の分を食べ終えている。

 一方の柳也は、まだ食べたりないのかおひつの中のご飯を残らず平らげた。

「本当にすごい食欲ですね」

 時深が感心したように言った。今朝、炊いておひつに残ったご飯は、時深の昼食、ひいては夕食になるのが常だった。それが今朝は米の一粒として残っていない。

「よくよく考えたら、昨夜は何も食べてなかったことを思い出しました」

 柳也は恥ずかしそうに身を小さくしながら言った。

 図体のなりに似合わぬ柳也のもの言い様に、時深が品のある笑いを見せた。






 ――同日、午前七時半。

 トキミの料理を満足いくまで食べ終えた頃、時刻はちょうど七時半を示していた。神木神社から学校までは大した距離ではないが、一旦帰宅して準備を整えてから登校するとなると、ちょうど良い頃合だ。

「ところで柳也さん……」

 出立の準備を終えようとしていた柳也の背中を、時深の声が呼び止めた。

「お聞きしたいことがあるのですけど」

「ん? なんですか、時深さん?」

 昨日今日の間にだいぶ温くなってしまったペットボトル入りの紙袋を持ち上げて、柳也が振り向く。

「あの…変なことを訊ねてしまうかもしれないのですが……一昨日の晩、柳也さんをお見かけしたんですけど…」

「一昨日の晩、ですか……?」

 しらかば学園の弟達に稽古をつけに行った日だ。晩……ということは、柊園長から父の形見だというふた振りを受け取った、帰りのことだろうか。

「あの晩、柳也さん両手に刀を持っていませんでしたか?」

 唐突に時深の口から出てきた意外な質問に、柳也が答えるまでやや間があった。

「え、ええ…。たしかにその晩は、抜き身ではなかったですけど、刀を持っていました」

 “ズキリ”と、一昨日の晩のことを思い出そうとした瞬間、なぜかかすかに頭が痛んだ。そういえば昨夜も、胸の痛みと頭痛を覚える前は、その日の出来事について考えていたなと、思い出す。

 あの日の記憶は……やはり判然としない。昨日、自宅で回想した時は鮮明に思い出せていたのに、この神社の境内で思い出そうとした時には、霞がかかったかのようにはっきりとしなかった。あれはいったい何だったのか?

 柳也は、あの晩自分を見たという時深に、その時の出来事を衝動的に訊ねたいと思ったが、時深の話の腰を折るわけにもいかず、黙っていることにした。

「でも、それが何か?」

「いえ、ちょっと…でも、それでしたあと少しだけ私に付き合ってくれませんか? ほんの十分ぐらいで結構ですので…」

 時深の言葉に、腕時計で時間を確認する。一旦家に帰宅するにしても、急げばまだ十分間に合う時間だ。

「分かりました。それで、俺はどうすれば?」

「ちょっとだけ私に着いてきてください」

 時深の先導に従い、ペットボトルの紙袋と学生鞄を持ったまま外に出る。

 案内されたのは、祭事の際に必要な道具などがしまわれていると思わしき、神木神社の倉庫蔵だった。

 一瞬、倉庫の整理でも手伝わされるのかと思ったが、どうやら違うらしい。そもそも、たった十分の時間で整理整頓が行き届くほど倉庫蔵は小さくない。

 倉庫蔵の管理も任されているのか、時深が懐から鍵輪を取り出すと、それを錠前に差し込んだ。ガチャリと、巨大な錠前をはずしてこれまた巨大な扉を開けると、柳也達の鼻をかび臭い空気とむわっとした埃が襲った。思わず、二人して咳き込み、顔をしかめてしまう。

「ここに、何が……?」

 咳き込みながら、柳也が訊ねた。

「サイズが合うとよいのですけれど…」

 問いかけに対して、時深は何も言わずに倉庫の奥の方へと歩を進めた。

 ひとり蔵の入口に取り残されてしまった柳也は、やることがない。そのままの姿勢で一、二分ほど待っていると、「ありました、ありました」と、よほど深い倉庫だったのか、やや埃を被った姿で時深が戻ってきた。

 倉庫から出て、太陽の下で服を払う。時深は、なにやら長方形の木箱を抱えていた。

「それは……」

「どうぞ、開けてみてください」

 そう言って、差し出された木箱を、柳也はまじまじと見てみる。

 なんとも古めかしい箱だった。縦四十センチ、横一メートルといったところか。意外と高さのある箱で、受け取ってみると質量もそれなりに重い。箱自体の重さというよりは、中に入っている物の重さが影響しているように思える。神社の倉庫蔵に眠っていたという先入観があるためだろうか、いかにも曰くありげな木箱だ。

 柳也は時深に確認してからそっと木箱を地面に置くと、無地の木目の蓋を取った。

 どうやら最後に開けたのは相当昔のことのようで、柳也は箱を開けるのに思いのほか手間取ってしまった。

「こ、これは…」

 大量の油紙に包まれて中から出てきた物に、柳也は目を見張った。

 倉庫蔵の中から時深が持ち出してきたのは、なんと大小の拵だった。

 双方ともに無骨な泥臭さかが魅力の庄内拵の鞘、菱に巻いた柄巻を漆で塗り固めた実用的なの漆柄、鍔の形は碗形で、華美な装飾は一切なく、味気のない、しかし実用面一本の造りをしている。鞘の長さは、それぞれ打刀が約八十センチ、脇差が五十一、二センチといったところか。飾り気のない無骨さが、

 父の形見の同田貫によく合うような気がする。

 思わず、時深から許可を得るよりも先に柄を握ってしまう。

 まるであらかじめそうなるようにしつらえたかのような握り心地。滑りにくく、握り易い。自分の手の大きさに、しっくりくる。

 おそらく中身は竹光(竹製の刀身。実際の刃の代用品で、鞘の保存などにも用いられる)だろうが、それでも抜き差ししたくなる一式だった。

「これは、いったい……?」

「一昨日の晩に柳也さんが刀を持っていたのを見て、蔵の中にあるのを思い出したんです。それで、神主さんに相談して…」

「気に入ってくれました?」と、問いかける時深の言葉に、柳也は大きく息を呑んだ。

 話の流れから察するに、時深はこの大小の拵を自分に渡そうとしている。しかし、なぜ? 会ってまだ三日目にすぎない自分に、なぜこれほどの品を……?

 柳也はただ圧倒されながら、訊ねる。

「これを……なぜ、俺なんかに……?」

「柳也さんは、虫の知らせなんかは、信じる方ですか……?」

 柳也の問いに、時深はあっさりと答えた。一昨日、柊園長が自分に父の形見を渡した時と、同じ言葉を使って。

「私はこれでも巫女ですから。そういった物事は、信じる方なんです。その私の直感が、一昨日の朝、柳也さんに声をかけたぐらいから、ずっと告げてるんです」

「……」

「近い将来、柳也さんはこの鞘と柄を、必要とする日が来ると……」

「時深、さん……」

 ――これは、いったい……どういうことだ?

 柊園長と倉橋時深。まったく面識のないはずの二人が、まったく同じ事を言って自分にそれぞれ刃と、それを納める鞘を渡そうとしている。いやそればかりか、時深はこの神社の神主と相談の上で、大小の拵を渡そうとしているのだという。

 しかも、柊園長の時は刀身だけで、時深の時は拵一式だ。この符号は、いったい何なのか。

 柊園長から渡されたふた振りは白木鞘に納められていただけで、園長も他の鞘や鍔といった拵は持っていなかった。どうやら桜坂雪彦という男は刀の身の部分にしか興味がなかったらしく、拵の方には執着しなかったらしい。柊園長も、「雪彦さんは居合の大会に出るたびに、白鞘を買い換えていたぐらいだから」と、言っていた。

 白鞘は長期にわたる刀剣の保存に適しているが、お世辞にも実用に耐えうるほど堅牢な造りをしているとは言い難い。居合といえば刀にも鞘にも相当な負担のかかる技だ。亡き父は大会に足を運ぶその都度、いくつもの予備を揃えて馳せ参じたという。そんな何振りも揃えるぐらいなら、実用性のあるひと振りを買ったほうが経済的だと思うのだが……とは、柳也と柊園長の一致した意見だった。

 そして、そんな刀を受け取ったばかりの柳也のところに、実用一点張りの拵を譲り渡そうと、時深は言い寄ってきた。

 虫の知らせを信じない柳也だったが、こうも偶然が重なると、何か霊的なものを感じずにはいられない。

 一昨日の晩の記憶の欠落もある。

 どうもここ数日、自分はそういったものに憑かれているようだ。

「気に入り、ませんでしたか?」

 時深が、不安げに訊ねてきた。

 相手に贈り物を手渡す時の、相手が喜んで受け取ってくれるか、それともこんなものはいらないと付き返してくるか、先の分からない未来に不安を覚えている表情。しかし、時深のそれには不安以上にどこか必死さが窺えた。

 まるでこのふたつの拵を柳也が受け取ってくれなければ、その時点で世界が滅んでしまうことが確定してしまうかのような、切迫した決断を求めているかのようにすら思える。

 そんな表情を向けられて、また、こうも偶然が重なる状況の中で、柳也は、答える術をたった一つしか知らなかった。

「……」

 柳也は無言でズボンのベルトをひとつ緩めた。

 木箱の中からふたつの拵えを取り出し、かつて古の剣客達がそうしたように、皮のベルトを帯代わりに、日本差しに鞘を佩く。

 ――うん、しっくりくる。

 痩せても枯れても、桜坂柳也は剣士だった。

 職業としての侍がいなくなり、もはや平時には刀を佩くことも許されぬ時代に生まれた、剣客だった。

 鞘の重さから中身は竹光と分かっていても、二本を佩刀する柳也の表情は輝いていた。

「……」

 半眼になった柳也は静かに二度、呼吸を繰り返した。

 息を吸い込む鼻腔も、吐き出す口元も、決して大仰には動かさない。

 両肩の力は、綺麗に抜けている。足を肩幅よりもやや狭めに開き、腰を正面に向けた姿勢は隙だらけのように見えて、隙がない。見事な自然体の構えだった。いやそもそも、剣豪・宮本武蔵に言わせれば、剣術に構えなどはないという。

 かつての連合艦隊司令長官・山本五十六も言っている。常在戦場。常に自然体であることこそ、剣士にとっては臨戦の構えなのだ。

 柳也が、三度目に息を吸った時、体側に下げていた右手が、静かに動いた。

 遅れることなく左手が鍔元に伸び、鯉口を切ったその瞬間、右足が一歩、前に出た。

 刹那、

 枯れて久しい竹色の、閃光が横一文字に走った。

 抜き放つ居合の一閃こそ、時深達の申し出に対する柳也の答えだった。

 何十年ぶりか、それとも何百年ぶりか……

 抜き放たれた竹光の、仮初めの刃が砕け散り、

 朝日差し込む境内で、きらきらと散る竹の破片に目をくらませて、

 柳也の目の前で、巫女がはじけるように笑った。






 ――同日、午前八時五分。

 立て付けの悪いドアを少し傾けて、横に押す。

 築三十年で、ちょっと大きな地震がくれば一発で倒壊は間違いないであろう安アパートの、部屋を借りた当初から傾いていたドアを開ける手つきも、もはや慣れたものだった。

 東向けに取り付けられた扉を開け、背中に太陽の大らかな日差しを浴びながら、一日ぶりに帰宅した我が家で、柳也が最初にしたことは四本のペットボトルを冷蔵庫にしまうことだった。

 続いて学生鞄を床に置き、今日の授業の用意を積めて、臨戦態勢を整えておく。

 そして最後に、柳也は今朝時深から譲り渡されたばかりの大小の拵を抱えて、ひとつしかない押し入れの戸を開いた。

 敷金、礼金なし。家賃は月一万五千円。築三十年。トイレ、キッチン共同。風呂なし。四畳半一間。窓は西に一つ。出入り口にある以外、戸は押し入れの一つだけ。壁の薄さは二センチあるかどうか。

 貧乏長屋といおうか、安下宿というべきか、柳也の暮らす城“コーポ扶桑”はとにかくそんな場所だった。

 自室の唯一の押し入れの中には布団と本箱、趣味で集めているミリタリー・グッズに、剣術に関する物しかない。

 そんな押し入れのお仲間に、一昨日新しく入ったのが父の形見のふた振りで、今日また入ることになったのが時深から受け取った大小拵だった。

「んむぅ…スペース的にちときついか?」

 貧乏暮らしの上に基本的に物欲のない柳也のこと、押し入れの中の物は量だけみれば多くはない。しかし、その表面積、体積、質量は無視できるものではなく、特に剣術関係の物置は、木刀がひと振りに〈振棒〉がひとつ。竹刀がふた振りにトレーニング用のウェイトが計十キロ。それに加えて真剣ふた振りが収められているから、新たに大小の拵をしまうのには少しばかり骨が折れそうだった。

 とりあえずミリタリー・グッズの中でも特にかさばるもの……ドイツのタイガー戦車とアメリカのトムキャット戦闘機にそれぞれ出撃と離陸をしてもらい、押し入れの中のスペースを確保する。

 新たに設けたその空間に木箱をしまおうとして、ふと、柳也は時間にまだ余裕があることに気が付いた。

 ――試しだけ、してみるか。

 時間にまだまだ余裕があるとなれば、一昨日手に入れたばかりの白木鞘のふた振りに、本日仕入れたばかりの拵を装着して見てみたいと思うのは人情だ。

 柳也は拵の入った木箱を床に置き、その隣に父の形見のふた振りが収められた木箱をふたつ、並べて置いた。折りたたみ式の簡易テーブルの上には、素早く並べた刀剣の手入れ道具一式を置く。

 まずは九州肥後同田貫上野介から、柄を交換し、鞘に納める。

 実用一本の造り込みの、同田貫の名刀に、これまた実用性一本の黒鞘は、よく似合っていた。

 続いて無銘ながらもその輝きに惚れ込んで、刀剣屋から父が値切って購入したという脇差。剣術には詳しくも剣そのものにはあまり精通していない柳也でも、思わず目を奪われてしまう浅い反りと乱れの少ない直刃が特徴的な脇差は、一尺六寸(約四八・五センチメートル)の鞘にぴたりと納まり、柄の長さも片手で持つにはちょうど良い、理想的な調和を成し遂げていた。

 早速、帯代わりのベルトにふた振りを佩き、狭い部屋の中を行ったり来たり。

 ――重すぎず、軽すぎず。腰にしっくりくる。

 柳也の部屋には姿見がないので自分自身の姿を見れないのが残念でしょうがなかったが、柳也はこのふた振りがすっかり気に入ってしまった。

 柳也はその後しばらくの間、腰に下げたふた振りの具合に陶酔し、時にニヤニヤと笑い出し、時に鞘の位置を直したりなどして時間を過ごした。

 ……学校への遅刻タイムリミットが、間近にせまるほどに。

「ち、遅刻どぅぅぅわあああッッ!!!」

 玄関を飛び出す柳也の顔は、しかしそう言いながらも輝いていた。






 ――同日、午前八時四二分。

 遅刻タイムリミットは、一昨日までの柳也の脚力から導き出された数字だった。

 しかし今日の柳也は、遅刻タイムリミットぎりぎりに家を出たにも拘わらず、予鈴が鳴る三分前には教室に到着していた。

「お、桜坂、今日は遅かったじゃないか?」

「ああ、ちょっとな…」

 すれ違うクラスメイト達に片手を挙げて返事をしながら、柳也は思う。

 ――やっぱり、今日もおかしい。

 全力疾走の最中、柳也が感じたことは一昨日よりもはるかに軽く、昨日よりもなお軽かった自分の体への不信感だった。今朝はいつも以上に下肢に力が漲り、いつもならばタイミング的に待ちぼうけをくらってしまう交差点も、なんなく通過することができた。

 また、いつもなら予鈴の三十秒前の到着が、その六倍もの余裕がある。

 教室に到着してからも、柳也の疑念は尽きなかった。

 ――本格的に、医者に行くべきか?

 身体の不調を訴えて医者に駆け込む者は珍しくないが、身体の好調を訴えて医者に駆け込む人間は前代未聞だろう。

 一時の恥を選ぶか、それを承知で自分の体内で我知らず起きている“変化”の真相を究明するか……しかし、病院に行くか、行くまいか、その結論を出したのは、桜坂家の台所事情だった。残念ながら桜坂家に、精密検査を受けるほどの余裕はない。

 結局、自分自身で考え、どうにかするしかなく、朝から暗鬱な気分のまま、柳也は自分の席に着いた。椅子に腰掛け鞄を置く。

 朝っぱらからの全力疾走にも拘わらず、わずかにしか弾まない呼吸を整えると、隣の席から声がかかった。

「今日はどうした?」

「いや、ちょっとな…」

 尊大な態度ながら友の身体に対して心からの憂慮を感じさせる声音に、柳也は曖昧に笑って返した。

「昨晩、調子に乗りすぎたみたいだ」

 決して嘘は言っていない。

 昨夜、気を失う直前までの記憶は柳也もちゃんと憶えている。

 頭痛を止めるためとはいえ自分から石畳に額をぶつけるなんて、我ながら荒療治すぎたかもしれない。特に大きな傷が残らなかったから良かったものの、少し反省せねばならないだろう。

「それにしても、瞬に心配されるようじゃ俺も落ちぶれたもんだな…」

「なんだ、その言い草は? せっかく、僕がこんなに心配してやっているというのに」

「冗談だよ。そう怒るなって」

 すでに担任の教師が来ているため、二人の声はひそひそ話といった程度だ。

「まぁ、柳也が調子に乗っているのはいつものことだが」

「おいおい、それはそれで酷い言い草だな」

「ところで……」

 未だ納得いかないという口調のまま、瞬が切り出してきた。

「今日の放課後、開いているか?」

「今日の放課後? ……ああ、たしかバイトもなかったはずだが。もしかして、デートのお誘い?」

「そんなところだ」

 柳也のボケを、瞬は冷静に突き返した。

「昨日は嫌な事があったから、気分が悪い。気晴らしに付き合えよ」

「……了解」

 柳也は複雑に笑いながら頷いた。

 瞬の言う「嫌な事」が、昨日の東棟での一件であることは間違いない。わざわざ自分が説教をして、その上で一日が経過しているというのに、執念深いこの親友は、未だ根に持っているらしい。

 いや、あるいは単純に柳也と遊びたいだけなのかもしれない。プライドの高いこの少年の口から、自分から素直に遊びましょうだなんて言葉は間違っても出てこないだろう。単純に、柳也と遊ぶための口実が欲しかったのかもしれない。秋月瞬は、普段は何事も器用にこなすくせに、変に不器用なところがある。

 柳也としては、望むべくは後者の推論を信じたいところだった。






 ――同日、午前十二時十五分。

 昼休み。

 大半の生徒達はこのたった一時間の憩いの時間のために、午前の授業を受けている。

 柳也もまた普段はそうした大部分の生徒達のひとりなのだが、今日ばかりは事情が違った。

「さて、どうするかねぇ……」

 呟いた言葉も、思わず愚痴になってしまう。

 いつもは朝食の残り物などで弁当を作って持参している柳也だったが、さすがに今朝は時間もなく弁当が作れず、本日の彼は手ぶらで学校に来ていた。
弁当がなければ学食に行けばよい。もしくは購買部でパンか何かを買えばよい。どこからかそんな声が聞こえてきそうだが、無論、貧乏暮らしの柳也にはそんな余裕はない。

「仕方ない、か」

 手ぶらのまま中身の薄い財布をズボンのポケットに差し込み、柳也は食堂……ではなく、購買部……でもなく、水飲み場へと向かう。

 ――金がないんだから仕方がない。

 水で腹を膨らませようという腹積もりなのだろう。

 それでもなお空腹感が残るというなら、満腹中枢刺激用のガムもポケットにはある。味がなくなったガムに再び味を付けるための、先日喫茶店に入った際に余分に貰って(くすねて)おいたシュガースティックも三本ある。

 また、その上でまだ我慢知らずの坊っちゃん腹が抗議を上げるというのであれば、柳也には最終手段……“精神力で空腹から耐える”が、あった。

「……全部貧乏がいけないんだぁ!」

 柳也はひとり呟きながら階段を下りていった。

 そんな柳也の背中を、知った声が引き止めた。

「あれー? 桜坂先輩?」

「ぬぅッ! この昼夜問わずに明るく、決してその炎消すことのない太陽のように輝く声は……小鳥ちゃんくぅわああッ!!?」

 腹は減っていても、ボケだけは忘れない。

 ポーズを取りながら振り向くと、立っていたのは案の定小鳥だった。隣には佳織もいる。

「んーと…今日の桜坂先輩のポーズは……四六点!」

「よっしゃッ、記録更新!」

 ガッツポーズを取る柳也。それにしても最高記録が四十六点というのは微妙な点数である。

「マキシマム一〇〇〇点満点なんですけどね」

「ちなみに今日の減点対象は?」

 佳織の何気に残酷な一言を聞き流し、柳也は小鳥に意見を求める。

 なんだかんだで柳也と小鳥が知り合った瞬間より十秒前から続いているこの遣り取りは、今や柳也の学園生活には欠かせないちょっとしたイベントとなっていた。

 ある日、おふざけで取ったキメポーズの採点が意外に低かったことから、柳也はいつか小鳥から満点の評価を頂くべく、日夜格好の良いポーズの研究に余念がなかった。

「……知り合った瞬間より十秒前?」

「佳織〜、あんまり突っ込まないほうがいいよ。……それでですね、今回の先輩の減点理由は……」

「おう。忌憚のない意見を頼む」

 小鳥は一度大きく息を吸い込むと、大声で言った。

「顔! ……以上!!」

「顔かよッ!?」

 どうやら減点評価の原因は、日夜の研究だけではどうにもなりそうになかった。

「そうかぁ…顔かぁ……顔だけは、どうしようもないなぁ。整形手術は嫌だし。……ところで二人とも、どうしてこっちにいるんだ?」

 顔のことでひとしきり落ち込んでいた柳也は、ふと気が付いた。

 佳織達付属校生の活動範囲は東棟がメインで、ここは柳也達上級生達のクラスがある南棟だ。下級生の佳織や小鳥が南棟にいるのは珍しい。

「ああ、小鳥たちはお昼を食べにきたんですよ」

 二人はそう言って手にした弁当箱の包みを柳也に見せた。

「これから、悠人先輩たちの教室に行くところなんです」

「なるほど」

 高嶺悠人にぞっこんの、いかにも小鳥らしい台詞だった。隣で佳織が恥ずかしそうに頬を赤らめている。

 とはいえ、一見して恥ずかしそうにしている佳織もまた、悠人達の教室に足を運ぶのを嫌がっていないことは誰の目にも明らかだった。悠人のシスコンが校内で有名ならば、その義妹の佳織もブラコンぶりも学園内ではかなり有名なのだ。本心では暇さえあれば行きたがっているに違いない。

 ――それに、昨日のこともあるしな。

 佳織にとって昨日の出来事は、まだ完全に吹っ切れるほど時間は経っていない。

 自分達の教室で昼食を摂っていたら、いつまた秋月先輩がやってくるか分からないという不安もあるだろう。

 ――恐がられたもんだな、瞬よぉ。

 恐怖の原因を作ったのは他ならぬ瞬自身だ。しかし、それでも柳也は親友として瞬に同情せざるをえなかった。

「申し訳ないな、佳織ちゃん」

「え?」

「昨日の瞬のこと。俺の監督不行き届きだったよ。それから、突然怒鳴ったりして、本当に申し訳ない」

「そんな…秋月先輩のことについては桜坂先輩が謝ることじゃないですし。それにあの時、桜坂先輩が来てくれなかったらお兄ちゃんも秋月先輩も、きっと大変なことになってたろうし…」

「そうですよ。そもそも、勝手にわたしたちの教室に来て、勝手に佳織を連れ出したのは秋月先輩なんですから! 桜坂先輩が謝る必要なんてないですよ。むしろ佳織に謝らなくちゃいけないのは秋月先輩です! 秋月先輩こそ諸悪の根源なんです!」

「……小鳥ちゃん。一応、瞬は俺の友人なんだ。それを悪く言うのは、よしてくれ」

 柳也はほとほと困ったといった表情を浮かべて言った。

 校内における親友の不人気ぶりは柳也も知っている。

 しかし、それを他ならぬ友人から告げられるのは、さすがに柳也もショックだった。

 柳也の言葉に小鳥はしまったと表情を一変させ、途端に申し訳なさそうに表情を曇らせる。隣の佳織も同様に、八の字に眉を垂らしながら、小鳥は言った。

「あ…す、すいません。桜坂先輩の気持ちも考えずに…」

「いや、いいよ。人間、生きている限りどっかで陰口叩かれるのは、生まれながらの業みたいなものだから。瞬だって、それぐらいは承知しているさ」

 柳也の声は、佳織達の耳には妙に生々しく聞こえた。

 施設の出身である柳也も、幼い頃はよく知らぬところで陰口を叩かれた。柳也だけでない。しらかば学園の兄弟達は、みな多かれ少なかれ好奇の視線と見下した態度、そして悪魔のような蔑みの言葉とともに生きていた。

 そして、そうした言葉を投げかけるのは、なにも同い年の子ども達ばかりではなかった。柳也達、親のいない子ども達をいちばんに見下し、蔑んだのは、本来ならば彼ら子どもらを擁護しなければならないはずの、他ならぬ大人達だった。

 だから柳也は知っている。幼少の頃から、人間の暗い部分を見る機会に恵まれてしまった少年は、知っている。人間がどこまでも汚い存在になれることを。醜い存在になれることを。愚かな存在に、なれることを…。

「と、ところで桜坂先輩――――」

 暗くなってしまった場の雰囲気を払拭するように、小鳥が明るい口調で切り出した。

「桜坂先輩こそ、なんでこんなところに居るんですか?」

 唐突に質問の矛先が、柳也に向いた。

「いつもは教室でお弁当を食べているって、前に言ってましたよね。まだ、昼休み始まったばかりですけど…はっ、まさか、もう食べちゃったんですか? いくらなんでもそれは早すぎません?」

「いや、そうじゃない。それに早食いは身体に悪いし、何より顎の力が鍛えられん。俺は基本的に早食いはやらんよ」

 顎の力を鍛えるために食物を摂取しているのか、この男は。

「じゃあ、なんで階段下りようとしてるんです?」

「……弁当忘れた」

 柳也が、情けない声で言った。

「ああ…それで食堂に向かおうとしていたんですね」

 小鳥が、合点がいったという風に頷く。

 しかし、柳也は首を横に振った。

「いや、違う」

「? それじゃ購買部ですか?」

 今度は佳織が柳也の行き先について訊ねる。柳也はそれに対しても首を横に振った。

 たしかに、食堂も購買部も一階にあり、二階にある柳也達の教室からは階段を下らなければならないが、同じように階段は下っても、校舎の中にある食堂や購買部と、校舎の外にある柳也の目的地とでは、天と地ほどの差がある。

 食堂や購買部で待っているのは、それはもう、柳也にとっては最上級のフレンチに匹敵する品々ばかりだ。しかし、それを食すためには柳也の財布の中身はあまりにも心許なかった。

「そんな食堂や購買部に行って何か食べるほど、俺は金ないよ」

「それじゃあ、どこへ?」

「校庭の水飲み場」

「水飲み場、ですか?」

 そう、向かう先は水飲み場。そこには財布の中身に関係なく、タダで……

「水で腹を膨らませに行こうとしてたところだ」

「……」

「……」

 瞬間、下級生二人は絶句した。

 桜坂柳也という男の私生活の一端を垣間見て、たいそう驚いているらしい。

「じゃ、俺はそろそろ行くから……」

 片手を挙げて、その場から立ち去ろうとする柳也。

 ――と、歩き出したその左手を、何者かに掴まれる。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」

 左手を掴んだのは小鳥だった。

「桜坂先輩、それマジですか? 本気で水であとの授業を乗り切るつもりなんですか!?」

「ああ。本気も本気だが」

 信じられないといった少女達の表情をむしろ不思議に思いつつ、柳也は深々と頷いた。

 これまでにも、弁当を作るのを忘れたり、弁当を作る金さえ節約せねばならなくなった時など、柳也はこの方法で度々窮地を乗り切ってきた。ゆえにこの“水道水で腹を満たす”という方法は、柳也の常識ではすでに当たり前の方法と化している。あくまでも、柳也の常識の範疇では。

「何か問題でも?」

 自分のやろうとしていることはあくまで普通の事と信じて疑わない柳也の、素朴な疑問。

 たしかに、普通の食事の代わりに水を飲んで過ごすようなダイエット方法がある昨今である。しかし、その方法はあくまでダイエットという目的のために水を飲むのであって、決して空腹を満たすために水を飲むのではない。

 純朴な表情で訊ねてくる柳也に、小鳥達は頭を抱えながら対処せねばならなかった。

「大アリですよ! あまりにも問題が多すぎてわたしでもどこから突っ込めばいいのやら……」

「さ、桜坂先輩…もし、よかったら、わたしたちのお弁当、半分食べます?」

 おずおず、と自分の弁当箱を差し出しながら、佳織が問うてくる。

 両親が死んでから、高嶺家のおさんどん役を務めている彼女の腕前は、柳也もよく知っている。

 今の柳也にとっては実に魅力的な提案だったが、しかし彼は首を横に振った。

「い、いやさすがにそれは悪いって。俺が普段食べる量は知っているだろ? それに半分だけって言っても、その弁当箱の量じゃ全体の内容量なんて高が知れている。佳織ちゃんは、もっとちゃんと食べるべきだ」

 佳織も小鳥も、同年代の平均を下回る身長、下回る体格の持ち主だ。お節介焼きの柳也としては、ちょっと無視できない体つきだった。

「えっと、食べるべきっていったら桜坂先輩も同じだと思いますけど…」

「そうですよ! 桜坂先輩は直進陰流の剣士さんなんですから! たとえ少しでもお腹に入れておくべきです!」

「小鳥ちゃん、小鳥ちゃん、直心影流だから」

「そんなことはどうでもいいんです!」

「いえ、あの…一応ですね。にわか剣士といえど、自分のやっている流派にぐらいは、誇りを持っているわけでして、そんなどうでもいいっていう発言は無視できないのですが……」

 しかし柳也の言葉は、小鳥には届かなかった。

 いやそればかりか、佳織にも。

 小鳥に掴まれていた左手……その反対側の右手も、佳織によって掴まれてしまう。

「あ、あのぅ…佳織、さん?」

「佳織、ソッチしっかり持ってて」

「う、うん。桜坂先輩、ごめんなさい」

 ごめんなさいと言いながら、柳也の腕をしっかり掴んで離さない。十六キロの〈振棒〉を一日に二千回振るう柳也の腕力ならば非力な少女二人を引き剥がすことは造作もないことだったが、この男には絶対にそんなことはできない。

 それが分かっているから、佳織も小鳥も大胆な行動を取ることができる。

 両手に花というある意味美味しい状況に、しかし柳也は語気荒く言い放つ。

「ま、待つんだふたりとも! 分かった。水で腹を膨らませようなどという底浅い考えは捨てよう。しかし聞いてくれ。俺にはまだ、“水を飲んで腹を膨らませる”とは別に、もう一つの最終手段がある!!」

「最終手段?」

「おおッ! なんかカッコよさそうですねー」

「それすなわち、“精神力をもって空腹に耐える”!!」

「……佳織、絶対に離さないでよ」

「うん、わかったよ。小鳥」

 小鳥の言葉に佳織がにっこりと笑みを浮かべて答え、非力な少女二人の腕力に抗えぬまま、柳也は悠人達の教室へと連行された。

 身体の自由を奪われながらも、しかし柳也の表情は明るい。

 自分を連れ去ろうとする二人の少女が、本当に自分の身体のことを案じてくれているのだと、理解しているからこその、明るい笑みだった。
柳也は知っている。たしかに人間は愚かで、醜くて、どこまでも汚い存在になれる生き物だ。

 しかし、柳也は知っている。人間は愚かで、醜くて、汚い存在にもなりうるが、同じように崇高で、美しく、輝いた存在にも、なりうることを…。この世界には、そうした輝く生き方をしている人間が、数多くいることを……。

 だからこそ、柳也は母の最期の言葉を、今でも守り続けることができるのだ。






 ――同日、午前十二時二〇分。

 別のクラス(派閥)の人間が、別なクラス(派閥)の教室(本拠地)へ足を運ぼうとすると、少なくない抵抗がある。

 やってきたのがその学園の中でもよほど人気があるか、広く名前が知られている人間でもない限り、入室者はそのクラスの中で異端として扱われ、気の弱い者であれば教室から出て行くまでひどく居心地の悪い思いをすることになってしまう。

 桜坂柳也の場合は、学園内での人気はそこそこ、知名度もそれなりで、少なくとも居心地の悪い思いをすることだけはなかった。悠人と瞬の関係を、学園の関係者で知らない者はいない。そしてその間に立っている桜坂柳也の存在を知らない者も、学園の関係者ではほとんどいない。そして学園の関係者ならば誰もが関わりたくないと思っている二人の諍いを、唯一止められる彼の学内での人気は、それなりに高かった。

「悠人せんぱ〜い! 獲物を一名確保してきました〜〜!!」

 もはや悠人達の教室にはお馴染みの、元気の良い後輩の声。

 上級生のクラスだというのに物怖じせず入室してくる小鳥に対して、周囲が注ぐ視線は好意的だ。

「獲物一名、確保されました〜……」

 その一方で、二人の下級生に引き摺られる形で入室した柳也に注がれる視線は、なぜか生温かい。

「……桜坂? お前、何やってるんだ?」

「聞くな。後生だ。武士の情けだ」

 悠人の質問に柳也は悔しげに答えた。

 小鳥と佳織が、突然昼休みにやってきた(連行されてきた)他クラスの生徒の内情を説明すると、生温かい視線は一転して同情の色を含んだ。

「同情するなら金をくれ」

「また古いネタだな」

「俺は水で十分だと言ったんだが…」

「まぁ、桜坂の気持ちはよくわかるけどさ」

 柳也ほどではないにしろ、貧乏に関しては決して他人事ではない悠人が苦笑を浮かべる。彼もまた、普段、佳織や友人達の目がないところでは、大量の水を飲むことで育ち盛りの身体を支えていた。

「桜坂も大変だな。三分の一でよければやるぞ」

「かたじけない。和尚殿」

 御仏の慈悲に心から感謝しつつ、両手を合わせて光陰を拝む柳也。

 三分の一といってもその量は決して少なくない。柳也以上に長身で、同じく武道をやっている光陰もまたよく食べる。持参してくる弁当は悠人のゆうに二倍はあり、その三分の一となると、佳織や小鳥が持参する小さな弁当箱ひとつ分の分量に相当していた。大食漢の柳也としては、ありがたすぎる申し出だ。

「その代わり今度しらかば学園のお前の妹さん……由梨ちゃんだったっけ? あの子の写真を二、三枚都合してくれれば……」

 ひそひそ、と柳也の耳元に口をもっていき、光陰はニヤケ顔を隠そうともせずに囁いた。

 三条由梨はしらかば学園に在学する柳也の妹のひとりで、十一月に十歳になったばかりの娘だ。柳也と同様に事故で両親を失い、境遇が似ているせいか他の妹達よりも特に柳也に懐いている。まだ幼い少女だが死んだ母親に似た美人で、柳也もその将来を楽しみにしている。

 交換条件を持ち出された柳也はあからさまに嫌な顔をした。彼は碧光陰の持つ性癖というか、趣味嗜好というか……とにかく、成績優秀、運動神経抜群で知られる碧光陰の、あまり表沙汰にはできないもう一つ側面について、あまり良く思っていなかった。

 光陰のもう一つの側面……それすなわち、幼女趣味。

「……俺に由梨ちゃんを売れと?」

「そこまでは言ってないさ。ただ、二、三枚写真を撮ってきてくれるだけでいいんだ。……希望は風呂に入っているところとか」

「……」

 柳也は光陰の側から二歩、後ずさった。

 光陰の弁当は魅力的だったが、やはり命あってのものだねだ。

 ……そう、命あってのものだねだ。

 柳也はこのまま光陰の側に立ち続けていることは、生命の危機に直結すると剣士の本能で薄々感づいていた。だからこそ、彼は光陰から距離を取ったのだった。直心影流の二段の剣士が本能的に後ずさるほどの、生命の危機、それに対する恐怖だった。

 光陰の背後から、鬼が迫っていた。

「……ん? どうした桜坂? なんでお前そんなに離れたところにいるんだ? ……それに、悠人と佳織ちゃんも」

「あ、あはは、あはははは……」

「光陰…強く生きろよ」

「碧……大丈夫だ。俺は、お前ならばその窮地を乗り越えられると信じている! ……多分」

 佳織が愛想笑いを浮かべ、悠人が大仰な仕草で十字を切る。そして握り拳をつくって胸を張る柳也は、自信なさげだった。

 光陰はみなの視線が自分……ではなく、それよりやや後ろに集中していることに気が付いて、振り向いた。そして、一秒と経たずして、後悔した。
光陰の背後で、ハリセンを持った小柄な鬼が、にこやかに微笑んでいた。

「こ・う・い・ん……?」

「ま、待て。今日子。落ち着け。話せばわかる……!」

「あ〜…碧、こんな状況で言うのもなんだけどな、話せば分かるって、話さなければ分からないってことだぞ?」

「今日子先輩、碧先輩と会話する気ゼロですねぇ」

 苦笑混じりの小鳥の言葉も、今や光陰には聞こえない。

 今の光陰には背後に立っていた今日子の姿しか見えず、その耳は今日子の言葉しか聞こえていなかった。

 こう書くと、たいへんロマンチックな状況に思えるかもしれないが、実際はロマンチックとは到底かけ離れた状況である。

 今日子の手に握られたハリセンは、なんのことはない、普通のハリセンだ。特別に鉄でできているとか、威力増強のためにトゲが付いているといった処理が施されているわけでもない。

 しかし、代々の陸上部部長に受け継がれるそのハリセンを、岬今日子が手にした瞬間、それはただのハリセンではなくなる。普段、足の遅い後輩達の尻を叩くために使われるそれが、彼女の幼馴染の二人の男に振るわれる時、それは究極の兵器へと昇華する。

 岬今日子の究極兵器にして、彼女を紙一重で殺人犯にすることを防いでいる、良心の最終兵器。

 それが今、唸りを上げた。

「こぉの……………………」

「はッ! 殺気!?」

 剣士の本能を激しく刺激する殺意。

 空腹も忘れて身構える柳也の視界を、閃光の如き一撃が切り裂いていく。

 放たれたハリセンの軌跡を……柳也は、最後まで見届けることができなかった。

「アホンダラ――――――ッッッッ!!!」

 凄まじく派手な音を立てて、光陰の脳天に叩き落される紙製ハリセンの一撃。

 しかし、光陰は、女の細腕から放たれた攻撃によって……

「……なぁ、高嶺」

「ん? どうしたんだよ、桜坂?」

「俺、剣士やめたくなったよ」

 真面目に剣術の稽古をしている自分が、馬鹿みたいだった。

 いったいどんな神業を用いたのか、脳天に向けて一直線に急降下したハリセンの直撃を受けたはずの光陰は、なぜか天井に突き刺さっていた。






 かくして、悠人達のクラスの教室に、新しいオブジェができた。

 製作者の名前は岬今日子。

 作品名は〈愚か者の末路〉。

 首から上を天井に埋没させた男の像は青年期に差しかかった若者達の未来に対する不安を見事に表現し、風になびく男の両脚からはなにやら哀愁めいたものすら感じられる。言葉を失った像が無言のうちに物語るのは、好きなことに関する発言ひとつ許されない現代社会の無情さに対する、男の憤慨の気持ちなのか。

 若者の先行き不透明な未来に対する不安と苦悩、そして(少なくとも本人にとっては)不条理な社会に対する怒りを見事に表現した一品に注がれる、クラスメイト達の視線は、微妙に怯えの色を含んでいた。

「……諸行無常だよなぁ」

 一方、友人の変わり果てた姿を目の前に、他クラスからの来訪者は世の儚さをあわれんでいた。

「……どういう意味だよ?」

「万物は絶えず生滅変化して留まるところがないという意味。この世に永久不滅の存在なんてないってことだな。……碧も、ほんの五分前までは元気だったのに……くそぅッ!」

「桜坂……でも、光陰に後悔はなかったと思うぜ」

「?」

「光陰は、自分に正直に生きて、逝ったんだ。時に自分を殺すことも必要な現代社会で、自分の信ずるものを貫き通したんだ」

「…立派な、男だったな」

 教室に咲いたアートを前に感涙に咽びく二人の男。いや悠人達だけではない。遠巻きに眺めていたクラスの男子生徒達も、光陰の生き様に涙している。
碧光陰は、たしかに立派だった。現代社会では問答無用で悪行とされ、そうと発覚すればすぐに社会的に抹殺されることを宿命づけられた性癖を背負いながら、その本性を暴かれてなお、彼は自分の生き方を貫き通したのだった。

 悠人達は、決して忘れないだろう。

 悲しき業を背負いながら、なお自分を貫き通して逝った、男の名を。

 その男……碧光陰の、生き様を…。

 他方、男達が感涙に咽びくそのすぐ隣では、女達の黄色い声が響いていた。

「えっと、佳織の答えはV、U、Vだから、結果は……『あなたがもっとも愛するタイプの人は、とても無口で……純粋な心を持つ人。あなたの心も透明にしてくれるでしょう。あなたは水のような透明な心の持ち主です』だって」

「へぇ…佳織ちゃんってこういう性格だったんだ」

 小鳥が持ち込んだ一冊のティーンズ雑誌。そうした出版物には興味の薄い柳也ですら、名前くらいは知っているような有名雑誌の今月号に掲載されていた性格診断の結果を肴に、お喋りに花を咲かす乙女達を取り囲む空気は、たいへん華やかなものだ。

 彼女達の頭の中に、散っていった男の存在は、すでにない。

 佳織や小鳥はもとより、〈愚か者の末路〉の製作者すら、「碧光陰? ソレ誰だっけ?」とばかりに、露骨に天井からぶら下がっている足を視界に入れまいとしている。

「光陰、哀れすぎる……」

「碧が浮かばれんなぁ」

「俺は…まだ……死んで、ない…ぞぉ……」

 なにやら天井からくぐもった声が聞こえるが、気にしない方針でいこう。うん。これはきっと天国に住んでいる神様のお声だ。うん。たしかに、不死の神様が死ぬわけないじゃないかぁ。

 どこか恨めしげに響く天啓を無視して、

「無口ってことは、少なくとも悠や光陰は佳織ちゃんのタイプじゃないわね」

「でもでも、純粋な心の持ち主っていう点では、悠人先輩もそれっぽくありません?」

「そう……かしら? たしかに悠は佳織ちゃんのことになると純粋っていうか、真面目を通り越して馬鹿になることもあるけど、それ以外は……ねぇ?」

 なにやら意味深な今日子の視線が、悠人の頬を撫でる。なお、彼のすぐ側には天井から伸びている太い両足が垂れ下がっているのだが、今日子はそれに対して一瞥もくれなかった。

「授業中は寝てばっかだし、この間なんてまったく関係ないのにわたしを小テストに巻き込むし、とても純粋なんて…」

「居眠りについてお前にだけは言われたくないぞ、今日子」

「……わたしは今、悠の話をしてるんだけどなー?」

 スチャッと、静かにハリセンを構える。

 あからさまな脅迫行為だったが、すでに目の前でそのハリセンの威力を見せ付けられている悠人に、口答えできるはずがなかった。

「……すいません、今日子様。わたしが悪うございました。わたしはたしかに授業中に居眠りをしていました」

「うんうん。素直でよろしい」

 自分のことは棚にあげ、従順な悠人の態度ににっこりと笑みを浮かべる今日子。彼女もまた、悠人に負けず劣らずの授業中居眠り常習犯のひとりなのだ。

「高嶺も岬も、どっちもどっちって気がするが…」

「何言ってるの。わたしと悠とじゃ同じ授業中の居眠りでも時間と回数が違うんだから」

「……なんだ、この低レベルな争いは?」

「あ、あはは…」

 柳也が誰に言うでもなく複雑な表情で呟き、悠人の隣で佳織が苦笑した。柳也も佳織も、普段授業中に居眠りするようなタイプではないから、今日子の言い分にはどうしても同意できなかった。

「……それにしても、そんなに当たる占いなのか?」

 複雑な顔から一転して興味深そうに、柳也が件の雑誌を持つ小鳥に訊ねた。

「占いじゃなくて、性格診断です。凄いんですよー、この雑誌の診断は。前の休み時間にも悠人先輩にやってもらったんですけど、なんと的中率三五〇%!」

「そりゃ凄いな!」

 なんとも胡散臭い数字だが、それだけにこの雑誌に全国の少女達が注目しているのだと感じさせる。虫の知らせを信じない柳也は、占いとか、この手の性格診断はあまり信じる方ではなかったが、巨大な数字に否が応にも期待は高まった。

「桜坂先輩もやってみますか?」

「高嶺も佳織ちゃんもやったんだろ? 流れでいえば、次は俺がやるべきだろう」

 雑誌の紙面上に書かれた質問項目だけで、その人の性格人格が本当に細部に至るまで推定できるとは、柳也も思っていない。人間とは複雑怪奇な生き物だ。心理学者達はもう百年以上も昔から人の心について研究を重ねているが、人間の心に関してのエキスパートである彼らですら、未だにその全部は解き明かせないでいる。しかし、話のタネには、これぐらい軽いノリの雑誌に掲載されているような方がちょうど良い。

「さてさて、桜坂先輩? この小鳥センセーがとくと診断してあげましょ〜!」

「おう、どんとこいやぁッ!」

「第一問です! じゃん!」

 クイズ番組の司会者のノリで、質問項目を読み上げる。

「あなたに大好きな恋人がいます。でも、その恋人が自分の夢のために外国に行こうとしています。そうしたら、二人は離れ離れになってしまいます。あなたはどうしても、日本を離れることができません。その恋人になんと言いますか?

 選択T。私のために行かないで!

 選択U。夢のためなら、私待っているから。

 選択V。私もついていく

 さぁ、桜坂先輩、どれですか?」

「むぅぅ……二番、だな」

 その人に夢があるのなら、止めるべきではないと思うし、まして恋人なら応援してやるべきだと思う。あくまで、現時点で思う……なので、実際に恋人ができた時、同じように結論が下せるかどうかは分からないが…。

「これで終わりか?」

「いえ、まだあります。じゃ、次! じゃじゃじゃん!」

 再び、雑誌を持って内容を読み上げる小鳥。

「あなたの恋人が罪を犯してしまいました。そのことをあなただけが知っています。あなたはどうしますか?」

 なかなかにシビアな質問内容だ。女の子という生き物は、こんな辛い状況をシュミュレートするのが好きなのだろうか。

「選択T。好きだから、庇い通す。

 選択U。罪は罪だから自白するように説得する。

 選択V。密告する」

「これは……二番、だな」

 本当にその人のことを想っているのなら、やはりやり直す機会を…償いのための機会を与えてやるべきだと思う。やはり、あくまでこのあくまで現時点で思う……なので、実際の恋人ができた時、同じような結論を下せるかどうかは、分からないが……

「なるほどなるほど…では、最後の問題です! …じゃーーーーんっ!!!」

 最後らしく、小鳥はやたらと派手に宣言した。

「あなたと恋人はついに結婚して家庭を築きました。ひとりの子供に恵まれ、貴方はとても幸せです。でも、その時間は長く続きませんでした……」

 これまたシビアな質問だ。

「家族でドライブの途中に、事故にあってしまったのです」

「……ッ!」

 目に見えて、柳也の表情が青冷めた。掌がじっとりと汗で湿り気をおび、息苦しさが増すのと同時に動悸が速くなっていく。

 自分と、最愛の妻と、ひとりの子ども。幸せな家庭、幸せな時間。そして、自動車事故……。

「桜坂先輩……?」

 さっきまでは、普通に質問に答えていたのに。明らかにおかしい柳也の変化に、小鳥だけでなく、今日子も心配そうな視線を向ける。

 そんな中で、佳織だけが、柳也の変調の原因に気が付いた。

 ――そういえば、桜坂先輩の家族は……。

 自動車事故で、亡くなったのではなかったか。

 そしてまだ幼かった柳也を助けるために、彼の父と母は亡くなったのではなかったか。

 桜坂柳也にとって、“自動車事故”という単語は、最悪の記憶を思い出させるキーワードではないのか。幸せな時間、幸福な家庭に憧れることはあっても、それを唐突に打ち壊す可能性を持っている言葉は、忌避したい単語ではないのか。

「……大丈夫だ」

 みなの憂いの視線を一身に浴びて、柳也は絞り出すように言った。

「大丈夫だ。ちょっと、気分が悪くなっただけ。それより小鳥ちゃん、質問の続き、続き」

「あ、は、はい。……えっと、でもその時間は長く続きませんでした……。家族でドライブの途中に、事故に遭ってしまったのです。あなたは、子供か、妻か、自分自身、誰かしか救えません」

 柳也の肩が、またわずかに震えた。

 父は、まだ幼かった自分を守るために車内に残った。

 母は、まだ幼かった自分を庇って犠牲になった。

 父だって恐くなかったはずがないだろう。母だって熱くなかったはずがないだろう。

 二人とも死の恐怖に怯えながら、それでも、自分を守ってくれたに違いない。たったひとりの愛する息子を、守るために命を投げ出したに違いない。

「選択T。自分自身。

 選択U。妻。

 選択V。子供。

 ……あなたは、誰を選びますか?」

 さっきまでの質問に対する回答には、実際にその時にならなければ変わるかもしれない可能性があった。

 しかし、今回の質問に対する回答だけは、違う。

 父と母の犠牲によって生かされている自分。そんな自分が、かつての両親と同じような状況に陥ったとしたら、取るべき答えは、決まっている。

「勿論、三番だ」

 柳也は、力強く言いきった。

 己がもし、二人と同じような状況に立たされたとしたても、やはり守ろうとするだろう。

 愛する子どもを。輝かしい未来を。

「……で、結果は?」

「えっと…はい。桜坂先輩の結果は……『あなたがもっとも愛するタイプの人は……誰かが守らないといけない儚い人。あなたが守ることで、ふたりとも前に進めるでしょう。あなたは誰かを守りぬく、そんな強い力の持ち主です』」

「あ〜…なんとなく、わかる気もするわね」

「そうか…ねぇ? 自分で言うのもなんだが、そんな高尚な人間じゃないと思うが」

 診断の結果に、柳也は気恥ずかしげに笑う。客観的な観点からそんな好意的に自分を評されるというのは、たとえそれが雑誌の性格診断にすぎなくともやはり背中がくすぐったい。

「……わかります」

 照れ笑いを浮かべる柳也に、佳織が言った。

「『あなたは誰かを守りぬく、そんな強い力の持ち主』……わかるような気がします。だって桜坂先輩は、初めて会った時からそうだったから」

「……ずいぶんとまた、昔のことを思い出してくれるな」

 自分達の過去の出来事を思い出して、柳也は苦笑いを浮かべた。

 佳織と初めて出会った日……それは柳也にとって、親友との出会いの日でもあった。

 ふっと、柳也が穏やかな視線を佳織に注ぐ。

 父の遺言を守って、ただひたすらに強さだけを求めていたあの頃、初めて他人のためにその力を振るったあの日から、もう十年近くが経っている。

「……あれから、ちょっとは強くなったと、思うか?」

「はい。柳也先輩は、あの日からずっと強くなって…優しい人に、なったと思います」

「そうか。そりゃ、嬉しいな」

 淀みのない佳織の返答に、柳也は、“自動車事故”と聞いて冷え冷えとしていた自分の心が、少しだけ温まるのを感じた。






 ――同日、午後五時十二分。

「申し訳ない。遅れたな」

「遅いぞ、柳也」

 放課後。

 掃除当番の都合で教室を出るのが遅くなってしまった柳也が、校門のところで待ち合わせていた瞬のもとにやってくることができたのは、ちょうど五時を過ぎるか過ぎないかの時間帯だった。

「掃除当番なんて、サボってしまえばいいものを」

「俺一人そうもいかないだろう。みんなやっていることだぜ」

「僕との約束事と、掃除当番と、どちらを優先するべきかぐらい、柳也なら分かっていたと思っていたが」

「そりゃ、当然、掃除当番だな」

 柳也はニヤリと笑うときっぱりと言い切った。

 瞬は一瞬、憮然とした表情を浮かべたが、それ以上、この話題で柳也に突っかかってこようとはしなかった。

 学内での悠人との関係が有名なせいか、とかく執念深い一面ばかりが性格面では強調されてしまう瞬だが、この少年が腹を空かした蛇のような執念深さを見せるのは、あくまで悠人、佳織絡みの時だけだ。普段の秋月瞬という男は冷静で、知的で、感情論が最も似合わない、理知の人なのである。

 基本的に瞬は自分のことにしか興味がなく、他事には関心を示さない。自分には無縁の掃除当番という仕事についての関心は、実は最初に柳也が謝罪の言葉を述べた時点で霧散していた。

 これ以上つまらない事柄に関わって、貴重な時間を無駄にするのは非効率的だ。そう考えた瞬は、ひとりでさっさと歩き始めた。

「お、おい。待てよ」

 先を進み始めた瞬の背中を、慌てて柳也が追う。

 追い着き、隣に並び歩く彼は、瞬に訊ねた。

「それで? 今日はどこ行くんだ?」

 瞬は立ち止まると、隣を歩く親友に振り向いた。

「柳也の家」






 ――同日、午後五時三四分。

「……お前、気晴らしって言ったよな」

「ああ、言った」

「俺の部屋に何もないこと、知っているよな?」

「ああ、知っている。何度も訪れているからな」

「それじゃ、何で……」

「お前の部屋が、いちばん落ち着くんだよ」

「……」

「柳也とだったら、ただ話しているだけでも、気が晴れる」

「……嬉しいこと、言ってくれるじゃないの」

 アパートまでの帰路、始終そんなやり取りを続けて歩いていた柳也達が、目的の場所に辿り着いたのはあっという間だった。

 最近では逆に珍しくて高価な木造建築の威風堂々たる建物が姿を現し、それを見て瞬は一言。

「相変わらずぼろいアパートだな」

「うるへぇ」

 一言の下に両断され、我が家をけなされた柳也は思わず涙目になる。これでも、小学校卒業からずっと住んでいる、柳也からしてみれば愛着のある部屋なのだ。

 歩く度にギシギシと鳴る階段を上って、二人は二階の柳也の部屋へと向かった。

 コーポ扶桑は激安の家賃のわりに居住者が少なく、八部屋あるうちで埋まっているのはふた部屋しかない。二階の柳也の部屋と、一階にある部屋に住む名前も顔も知らない誰かだけだ。不況、不況と言われる世の中だが、柳也のように家賃の格安さだけで部屋を選ぶ日本人は、この近辺にはあまり住んでいないらしかった。

 勝手知ったる他人の家とばかりに、柳也の前を瞬が突き進み、彼の部屋の扉に手をかける。柳也が鍵を開け、瞬が扉を開けようとする………………が、古アパートの一室の扉は、なかなか開かなかった。

「……開かないぞ?」

「ん? ああ、前に瞬が来た時よりも、傾きが酷くなっているからな」

 そう言って、さすがに慣れた手つきで戸を傾けて横に引き、我が家への門戸を開放する。

 今にも崩れそうな不吉な音を聴いて、瞬がわずかに表情を青ざめさせた。

「なぁ、柳也…。少しぐらいだったら僕も金を出す。だから、移住を考えないか?」

「ん〜…まぁ、大丈夫だろう。まだ」

 瞬としては“まだ”という部分が気になって仕方がない。“まだ”の期間が終了した時、このアパートはいったいどうなってしまうのか……考えるだけで、恐ろしかった。

「ここから少し歩いたところに、バス停まで徒歩三分、銭湯まで徒歩五分の、八畳一間の部屋が三万円である」

「ああ、俺もそれは知っている。あれだけ良い立地条件で、家賃三万円って格安だよなぁ」

 柳也が、まるで他人事のように腕を組んで頷く。

 ちなみにコーポ扶桑から銭湯までは徒歩十分、バス停までは徒歩五分の距離だった。

 東側に設けられた部屋の戸をスライドし、二人の少年達は四畳半一間の空間へ一歩歩を進める。真正面から、夏の日差しよりも柔らかで、落ちていくのも早い冬の陽光が、小さな窓から差し込んでいた。

 朝の雰囲気をまるで感じ取ることのできない、西日だけが注ぐ一室。部屋の灯りは、アパートの電圧規格に沿って後から買い揃えたものだ。省電力ながら広範囲にわたって明るく照らす最近の照明器具は、柳也のような貧乏暮らしの一人暮らしには欠かせない備品である。

「ようこそ愛しき君よ。我が城へ」

 気取った口調で、柳也が言った。

 瞬はそれに答えることなく、さっさと靴を脱いで畳の座敷に腰を下ろした。

「……少しは、反応してほしかったかな」

「何を馬鹿なことをしている? 早く、あがってこい」

「ここ、俺の部屋なんですけど…」

 苦笑しながら、一歩我が家の框を踏む。

 瞬はもう、折り畳み式のテーブルを展開し、勝手に冷蔵庫まで漁っていた。

「なんだ? 酒がないぞ」

「そんな高いモン買ってられるか! それに、かの一刀流の伊東一刀斎様も言っている。剣士に女と酒は禁物だ」

「二週間前、駅前の居酒屋、手羽先定食…」

「……お互い、浴びるように飲んだな、瞬の奢りで」

 二週間前、佳織関連で何か良い事があったのか、それとも悠人関連で嫌なことがあったのか、待ち合わせ場所の居酒屋で、瞬はもう酔っていた。それこそ、浴びるように酒をかっくらい、いつにないハイテンションで柳也に絡んできたものだ。そして、当の柳也もまた負けじと飲みまくり……

「……結局、収拾つかなくなったんだよなぁ」

「そういえば、気が付いた時には僕の財布の中身がまったくの空になっていたが、柳也、まさかお前じゃないだろうな?」

「俺が盗っていくと思うか? あの後、俺もなけなしの財布の中身が空になっていたんだぜ?」

「……」

「……」

 柳也と瞬は、しばし無言のまま互いに見つめあった。

 やがてどちらからともなく溜め息をつくと、

「……コーラ、貰うぞ」

「…おう。二本入ってるはずだから、一本よこせ」

 瞬が冷蔵庫から缶コーラをふたつ取り出し、ひとつを柳也に手渡す。一方の柳也は食器棚からコップをふたつ出して、片方を瞬の差し出してきたアルミ缶と交換した。

 “プシュ…”と、炭酸の抜ける音が狭い部屋の中で反響する。

 どんな清涼飲料水もそうだが、缶から直接飲むのは不味い。コップに泡立つ濃いカラメル色の一杯を注いで、二人はグラスをぶつけて打ち鳴らした。



 桜坂柳也と秋月瞬が遊ぶのに、最新のゲーム機器や特別に広い空間は必要ない。

 ただ、意思疎通のための言葉と、議論を交わすだけの時間さえあれば十分だった。

「……だから、俺はやはり天下一の剣士は上泉伊勢守秀綱様だと思うんだよ」

 二本目のコーラの缶を開けたところで冷蔵庫の中が空になったため、新たに沸かした茶をすすりながら柳也は言った。

「返す返すも悔やまれる。なぜ俺はあと五百年早くこの世に生まれなかったのか。五百年の昔に生まれていたら、絶対に稽古を着けてもらったのに…」

「五百年前に生まれたとしても、その人と出会えるかどうかなんてわからないじゃないか…」

「いやいや。俺達剣士には強者の所在に反応するサムライ・レーダーなる特殊兵装が搭載されていたりいなかったり……」

「どんな代物だ、それは?」

「こんな代物だ」

 両手で頭の上にレーダー塔を作り、柳也はそれを回転させる。

 自分の好きなこと……剣術について語る彼の表情は、底抜けに明るく、輝いていた。

 それに対して、まだ二本目のコーラ缶を開けたばかりの瞬は、親友に呆れるような視線を向けていた。

「……相変わらずの剣術馬鹿だな。柳也は」

「おう。今日にいたるまで、ずっとこればっかりやってきたからな」

 両親の葬儀が終わって一週間後、最初は父の遺言を守るつもりでやり始めた剣術は、今や柳也の生活には欠くことのできないものになっている。

「多分、俺は生涯、剣術を好きでい続けるんだろうな。剣じゃ飯を食っていけないこの時代で、ずっと剣術をやり続けていくんだろうよ」

 柳也は一口茶をすすると、両手で竹刀を握る真似をして、

「不幸な時代に生まれたもんだ。柳生十兵衛三厳、宮本二天武蔵、塚原卜伝……名だたる剣豪達は、みんな剣士が剣士として生きる上で、幸せな時代に生きていた。榊原健吉みたいな例外を除けば、今は剣士にとっての暗黒時代だ。武術は精神修行の一環とされ、立会い稽古は見世物化された」

「柳也は戦国時代に生まれたかったのか?」

「気持ち的には二・八ぐらい、だな。……戦国時代に生まれていれば、たしかに俺は剣士として幸せな生涯を遅れたかもしれない。けど、現代に生まれたからこそ、瞬や佳織ちゃんとも出会えたわけだし。そもそも、俺が剣術を始めるきっかけになったのは父さんの影響だ。現代に生まれていなかったら、俺は剣術をやっていなかったかもしれない。……それに、平和にこしたことはないしな」

 平和な時代に、究極的には人殺しの術を教える剣術は無用の長物だ。柳也は剣術を学ぶことは好きだが、基本的に争い事は嫌いだった。

 ――矛盾してるよなぁ。

 誰だって人殺しなんてしたくはない。少なくとも、現代の日本人のほとんどはそうだろう。柳也もまた、そんな平均的な日本人のひとりだったが、その一方で、人殺しの術を効率化した剣術を学ぶことを楽しいと思っている。

 柳也のみならず、現代に生きる武術家達は、少なからずそうしたジレンマを抱えている。だが、そんなジレンマを抱えながらも、剣術を、武術を学ぶことを、楽しいと思っている。そして、平和なこの時代に生まれたことに、少なからず感謝している。

 柳也はニヤリと唇を歪めると、言った。

「戦国時代に生まれなかったことは悔やまれるが、今、こうしてお前と話している時間が、たまらなく楽しい。剣士としての桜坂柳也はたしかに不幸な時代に生まれたかもしれないが、秋月の瞬の友人としての桜坂柳也は、間違いなく幸福な時代に生まれたよ」

「面と向かってそういうことを言って…お前、恥ずかしくないのか?」

「いやぁ…恥ずかしいっすよ。でもよ、人間、ここぞという時にどんだけ恥ずかしい事をできるかで、真価が問われる時ってあるだろ」

「例えば?」

「……プロポーズの時、とか?」

 しばらく考えて、柳也は答えた。

「客観的に見れば恥ずかしい行為も、本人にとっては真剣なことで、そういう恥とか外聞とか、全部勇気でカバーして、その上でやるもんだろ。ああいうのって」

「……暗に僕と佳織のことを言っているのか?」

「いやいやいや、佳織ちゃんに接する時の瞬は、恥も外聞も気にしないっていうより、頭の中にないだろう」

「……」

 否定の言葉はなかった。

 柳也の指摘が、まったくその通りだったからだ。

 佳織と接する時の自分に、恥や外聞という言葉はない。そのせいで目の前の親友にも、たいへんな迷惑をかけてしまっている。

「ところで……」

 バツの悪そうな表情のまま、取り直すように瞬が切り出した。

「剣術の話をしている時の柳也はいつもそうだが、今日はやけに上機嫌だな。何かあったのか?」

「んう? まぁ、あったといえば、あったが…」

 柳也は立ち上がると、この部屋で出入り口以外にある唯一の戸……押し入れの前へと移動した。柳也の部屋には瞬も何度か訪れているので、その中に何があるのかは大体知っている。大方、新しい戦車のプラモデルでも買ったのだろう……しかし、瞬の予想ははずれた。

 柳也が持ち出したのは、なんと刀だった。

 実用性一本張りの鞘に納められた打刀と脇差が、それぞれひと振りずつ。

 ヤスデの葉を思わせる大きな手の中で、圧倒的な存在感をかもしている。

「……それ、本物か」

「ああ。一昨日、園長先生に貰ったんだ。なんでも、父さんの形見だってよ」

 柳也はそう言ってベルトの留め金を一つはずすと、大小の鞘を佩刀した。
 
 昔の武士のように帯を巻いていないから、鞘が擦れ合って音を立てるが、実用上問題のあるほどではない。

 左腰に差した刀を引き抜き、柳也はその刀身を部屋の照明の下にかざした。

 幅広の刀身に、真っ直ぐ屹立する稲妻が走っていた。

「九州肥後同田貫上野介。肥後の同田貫といえば、頑丈な造り込みの実用刀で評判の高い刀剣一派だ。その上野介……棟梁格の作刀となれば、俺の腰には勿体無い一品だ」

「なるほど。それで機嫌が良かったけか」

 剣士にとって、己が振るう刀は魂も同然だ。

 剣術が無用の長物となった時代に剣の道を進もうとする柳也にとってもまた、自分だけの刀というのは特別な意味合いを持っている。それが父の形見、世に知れた有名な刀工作のひと振りとあれば、嬉しくないわけがない。

「父さんはこの一刀で、警察庁主催の大会でいくつもの賞を得た。なら俺も、この一刀に相応しい使い手にならねばならん」

 柳也は力強い口調で言い切ると、抜き放った刀身を袈裟に振り切った。

 剣術には素人の瞬ですら、部屋に漂う空気が二つに分かれたのを感じた。

「少なくとも、自分で道場でも興すくらいには、強くならないと」

「その時は遠慮なく言え。秋月家がスポンサーになってやる」

「そいつは頼もしい」

 天下の秋月がバックに着いてくれれば、道場の安泰は確実だ。柳也は頼もしげに瞬に視線を向けると、笑って言った。

 しかしそのうち、ふっと、柳也の表情が真顔に戻る。

「……『強い男になれ。どんな時でも、大切なものを守れる強い男になれ』……」

「……親父さんの、遺言だったな」

「……」

 柳也は無言で頷いた。

 窓から差し込む西日が、彼の頬と、彼が手に執る豪剣を赤く照らした。

「真剣ひと振り手にしたからって、何が変わるものでもない。けど、こうして実際に刀を握っていると、あの日から……父さんが死んだあの日から、瞬や佳織ちゃんと出会ったあの日から、ちょっとは強くなれたんじゃないかって思える。……この刀を振るっていいぐらいには、強くなったんじゃないかって…錯覚かもしれないけどさ、そう思うんだ」

「柳也……」

 強い男になれ。どんな時でも、大切なものを守れる強い男になれ……。

 だが、大切なものを守れるだけの強さは、いったいどれほどのものなのか。

 強さには、果てがない。そして、人間の一生で求められる力など高が知れている。限られた時間の中で、父が望み、柳也が求める強さは、はたして手に入るのか。

 かつて多くの剣士達がぶつかったその難問に対するその答えは、柳也にはまだ見えない。

 しかし、これだけははっきりと言える。

 たとえ父の望んだ強さが、手に入ろうが、入るまいが、自分はこれからも剣術を学び、強さを求め続ける。

 この身に備わった剣の技で、

 この身に備わった力で、

 新たに得たこの刃で、

 大切なものを、守り抜くために……。

「……守り抜く。この刀で、瞬や、佳織ちゃん……俺の大切なものを、守り抜いてみせる」

 口に出して呟く決意と覚悟。もう、何度となく口にした誓いの言葉。

 瞬は、虚しく部屋に響くその言葉を、黙って聞いていた。






 鍵のついていない記憶の扉を開ければ、今でも鮮明に思い出すことができる。

 自分……秋月瞬が、桜坂柳也に、最初に会った日の事を。

 まだ悠人という邪魔者がいなかった時代、瞬にとって佳織は唯一の友達であり、当時からすでに瞬にとって大切な女性だった。彼女の父親は瞬の父親の取引先に勤めており、家も近く、会おうと思えばいつでも会うことができた。

 その日、瞬は佳織の家に遊びに出かけ、彼女を家から連れ出した。佳織に格好の良いところを見せたくて、自分だけが知っている秘密の場所に連れて行こうとしたのだ。

 瞬がその秘密の場所を発見したのは、まったくの偶然だった。神木神社の裏手にある森の奥深くに滝壺があるなんて、自分の目で見るまで知らなかったし、その日うっかり屋敷の手伝いとはぐれて迷わなければ、おそらく生涯立ち寄ることのなかった場所だろう。しかし瞬は偶然にも滝壺の側に迷い込み、そこを見つけてしまった。それが、さらなる悲劇を呼んだ。

 滝壺は偶然に行き着いた場所だった。まだ幼かった瞬に、一回の偶然を次から必然と変えるだけの能力はなかった。またも道に迷った瞬は、佳織と一緒に森の中を彷徨うことになってしまった。

 日が暮れて、とっぷり夜になった。

 持っていたお菓子も底を着き、空腹と足の痛みで佳織が泣き出してしまったその時、二人の周りを、四頭の野犬が取り囲んでいた。どれも獰猛な顔つきの犬ばかりで、低い唸り声を上げながら、今にも飛びかからんばかりに身を屈めていた。ぽたぽたと地面に落ちては染み込む涎が、まるでSF映画のモンスターのようだった。

 あの時感じた恐怖を思い出すと、瞬は今でも震えてしまう。

 二人の四方を取り囲む野犬はすべて中型犬だったが、当時の瞬達にとってはテレビアニメに登場する怪獣も同然だった。

「瞬くん……」

 背後の佳織が、必死にしがみついてくる。当時、佳織はまだ瞬のことを名前で呼んでくれていた。「瞬くん」が「秋月先輩」に変わったのは、悠人が来てからのことだ。

「佳織……」

 瞬は、足下に落ちていた木の棒を拾うと、震える切っ先を野犬の群れに向けた。本当は瞬も泣き出したいぐらい恐かったが、佳織の手前、泣き出すわけにはいかなかった。

 ――佳織だけは絶対に守らなきゃ!

 幼心にも好きな女の子を守るのは男の仕事と、瞬は理解していた。

 瞬は勇敢にも犬を一手に引き付けて、その隙に佳織を逃がそうと考えていた。

 しかし、犬達は狡猾にも二人を分断しようとしていた。犬達は目の前の二人がまだ幼く、自分達に抗う力など持っていないことを承知していた。

 瞬と佳織の間に、頭格のぶち犬が割って入ってきた。

 その時、濃密な森の空気を裂くように、甲高い少年の気合が轟いた。

 茂みの中からつむじ風のように一人の少年が飛び出し、持っていた赤樫の木刀でぶち犬の頭を打った。ぶち犬が、額を襲った軽い衝撃に地面につんのめる。

 瞬は、現れた少年に茫然とした視線を向けていた。

 歳の頃は自分達と同じくらいだろうが、体格は瞬より一回りも二回りも大きい。少年用の木刀を正眼に握る両手もまた、齢のわりに巨大だったが、まだ剣術を始めたばかりのその手は柔らかく、節くれだってもいなかった。

 まだ名前も知らぬ日の、桜坂柳也だった。

 両親を失ったばかりで剣術を始めたばかりでもあった柳也は、当時、未熟な幼児の身体が耐えられる限界ぎりぎりの修練を積んでいた。父の形見の言葉を胸に、ただひたすらに実際的な強さだけを求めようと気が急いていた幼き日の彼は、道場での稽古だけでは満足せず、夕方遅くに神木神社の森に入っては日々黙然と赤樫の木刀を振るい続けていた。

 その日もまた、柳也は定時に終わる道場での稽古を経て、神木神社の森に足を運んでいた。

 四半刻ばかり木刀を振るっていると、柳也は森の中に人の気配を感じた。
素振りを中断し、耳を澄ますと、風に運ばれて聞こえてきたのはすすり泣く女の声だった。音の響きからしてそう遠い距離ではなく、齢も自分と同じぐらいだろう。

 ――迷子かな……?

 おぼろにそう思った柳也は、声のする方に足を運んだ。

 そして、四頭の野犬に囲まれた瞬と佳織を見つけたのだった。

「だいじょうぶ…?」

 今にも飛びからんとする野犬の予備動作を見て、思わず飛び出した柳也は、まだ舌ったらずな声で背後の二人に言った。

 銀髪の少年が頷くのを確認すると、木刀を正眼にしながら少年は安堵の笑みを浮かべる。しかし、浮かべる笑みに反してその心中は穏やかとは言い難かった。

 瞬や佳織が野犬の群れを恐がっていたように、柳也もまた野犬たちに対する並々ならぬ恐怖に囚われていた。

 彼は、自分の放った先刻の一撃が命中したのは、まぐれ当たりだと承知していた。

 当時の柳也はまだ六歳。剣術の腕はまだまだ未熟で、子どものチャンバラ剣法とさして変わらない。手にした木刀も脇差ほどの大きさでしかなく、野犬の頭に奇襲が命中したのは偶然の出来事にすぎなかった。しかもその一撃も少年の筋力と技とでは必殺には程遠い。

 柳也が背後の二人から視線を対峙する先頭の犬に戻した時、奇襲を受けた頭格のぶち犬はもう起き上がっていた。

 獰猛な爪と牙が、標的を柳也に変えて剥き出しになっていた。

 滴る涎と野生の本能で真っ赤に燃えた狂犬の瞳が八つ、四方から柳也を射るように光線を放つ。

 たちまち柳也は、恐怖で金縛りにあったように動けなくなってしまった。

 柳也が二人を助けに入ったのは、何も正義感からくる行動ではなかった。まだ幼い少年の心の中にはテレビのヒーローに憧れる童心はあっても、正義感という確たる気持ちは存在していなかった。当時の柳也の心の中にあったのは、亡くなったばかりの父が遺した、『大切なものを守れるだけの強さを持て』という言葉だけだった。

 この当時、柳也は瞬と佳織の名前すらまだ知らなかったが、それでも柳也にとって二人は守らねばならない“大切なもの”だった。警察官だった父にとっての大切なものとは、一に家族、同列で市民全員だった。亡き父にとっての大切なものは、自分にとっても大切なもの。父の遺言を盲目的に守り続けようとする少年は、身の丈に合わぬ考え方を抱いていた。

 野犬に睨みつけられる恐怖を、柳也は背後の二人を守ろうとする意志で上塗りし、克服しようとした。

 二頭の野犬が左右から同時に襲い掛かり、柳也はまず右から迫る野犬を迎え撃った。

 しかし、少年の太刀筋は野犬には届かなかった。

 野生の本能を持つ動物は稲妻のように素早く、大津波のような勢いを持っていた。

 まして一度目の奇襲はまぐれ当たり。二度目の攻撃が避けられるのは、至極当然の帰結といえた。

 時節は冬の始め。地面に散らばる枯れ葉が赤に染まり、佳織が悲鳴をあげた。

 きゃ、きゃきゃん!

 第二撃は避けられたが、我武者羅に振るい放った第三撃、第四撃は見事命中した。

 しかし、柳也にできたのはそこまでだった。

 左側から襲ってきた赤犬に腕を噛まれ、それを合図に襲いかかってきたぶち犬ともう一頭の赤犬にも身体中を深く噛み裂かれ、柳也の口から悲鳴が飛び出した。遠慮も加減もない、顎の力の限り突き立てられた鋭い犬歯に肉を裂かれた痛みは凄まじく、柳也の意識はそこでぷつりと途切れてしまった。

 懐中電灯の光線が薄紫色の空気を裂いたのは、その時だった。

 柊慎二園長は亡き友人の息子が道場稽古の後、毎日のように神木神社の森の中へと足を運んでいたのを知っていた。しかし、まだ六歳にすぎぬ少年のそんな行動を、柊園長は見てみぬふりをすることにした。強さを求める柳也の気持ちも分からなくはない。ただ、せめて友人の息子が間違った方向にだけは進まぬよう、人知れず見守ってやろう。直心影流六段の実力者に、チャンバラ剣法程度の腕前でしかない少年に気配を察知させることなく尾行するのは造作もないことだった。

 柊園長の疾走は、野生の犬をも上回っていた。

 少年少女達の目にはつむじ風のように映り、気が付いた時にはもう柳也は園長先生の逞しい腕の中にいた。

 柊園長は素手だった。しかし稲妻のような攻撃の連続は三頭の野犬をことごとく追い払った。

 もとより、野犬達も相手が無力な子どもだから襲ったのである。そこに大人――それも自分達を歯牙にもかけずに鎧袖一触せしめるほどの実力者――が現れたとなれば、ここは逃げた方が得策だ。

 野生の動物は頭が良い。はたして、野犬の群れは一目散にその場から離れた。柳也に打ちのめされた赤犬も、よろよろとした足取りだったがその場を離れた。

 その場には、目の前で起きた光景が信じられない二人の少年少女と、柊園長の腕の中でぐったりとしている柳也だけが残された。

「あ、あの……」

 柊園長に声をかけたのは、瞬ではなく年下の佳織だった。

「し、しんじゃったの?」

 幼い少女にはまだ死の概念は難しすぎて理解できない。全身から血を流してぐったりとしている柳也だったが、呼吸は正常だったし、柊園長の診たところ命に関わるような怪我は負っていなかった。

「大丈夫だよ」

 柊園長はしゃがみこんで二人の目線に合わせると、にっこりと微笑んだ。子どもと接するのが仕事の柊園長の笑顔は、見せるだけで佳織の心を安心させる不思議な力があった。

 柊園長は紅葉のような佳織の手を取ると、柳也の胸の上に置いた。とくん…とくん……規則正しい心臓の音が、小さな手を伝わって柊園長にも感じられた。

 園長は未だ恐怖で表情を強張らせた瞬の手も取ると、弟子の胸の上に置いた。

「あ……」

 瞬の口から、驚きの声が漏れた。

 柳也の胸の上に置くことによって必然的に触れた佳織の手の温もり、そしてそれ以上に熱を帯びた柳也の身体の温もりが、指先から伝わってきた。
瞬の瞳から、なぜか涙がこぼれた。

 佳織と初めて出会った時の感動、そしてそのとき感じたものとは別の温もりが、自分の心を満たしていくのを感じた。

 自分達を守るために、己を盾とし、身を投げ打って救おうとしてくれた名も知らぬ少年…。瞬にとってそんな風に誰かのために己を殺すことのできる人間との遭遇は、佳織を例外とすれば初めてのことだった。佳織を含めれば、まだ二度目の遭遇だった。




 高嶺佳織は、瞬にとって初めて自分に優しく接してくれた存在だった。

 瞬の母親は、彼を産み落とすと同時に亡くなった。父親はそれを息子のせいと決めつけ、ろくに顔を会わすことなく邪険に遠ざけた。父にとって息子は、愛する妻を殺した忌まわしい存在だったからだ。

 瞬は、本来なら愛情を受けるはずの父親から憎まれ、疎まれて育ったのだ。

 幸いにして、秋月家は名家だった。使用人も多く、世話をする者は掃いて捨てるほどいた。莫大な資産に群がり、犬のように這いつくばる連中ばかりだった。自由にならないことは、何一つとしてなかった。

 冷血な父親を見返すために、勉強でも運動でも執念を燃やして取り組んだ。少年は力が欲した。父親のものではなく、自分だけの力を渇望した。瞬にとって父は、いつか、必ず倒さねばならない相手だった。

 その苛烈な決意に相応しく、瞬の神童ぶりは絶えず周囲の大人たちを驚かせ、畏れを抱く者も少なくなかった。

 この小皇帝の未来に、誰もが期待と同時に戦慄を覚えた。実際、ライバルたりえる者は一人もいなかった。

 しかし、少年の心が満たされることはなく、いつも神経が苛立っていた。友人はなく、孤独だったが、それが原因でないことはずっと昔から自覚していた。

 ――優れている人間は常に少数だ。愚かな虫けらが、選ばれた人間と対等になれるはずがない。

 そんな中で、佳織だけが唯一の例外だった。

 佳織との出会いは、瞬にとって人生の転機だった。

 向けられたその眼差しは、初めて体験するものだった。媚びも、怖れもなく、小柄な少女は、太陽のように明るく笑いかけてきた。それは、温もりとなって愛情に飢えた少年の心を満たしてくれた。

 瞬は、幼かった佳織に聖母を見た。

 自分の背後にある権力という奥深い闇ではなく、秋月瞬という個人を見てくれる、少女に……。

 桜坂柳也もまた、佳織と同じだった。

 初めて出会ったその日、名も知らぬ少年は自分の背後にある闇のために戦ったわけではなかった。

 ただ自分を……自分と、佳織を守るために、名前も知らない二人を守りたいというその一心に突き動かされての行動したのだった。

 ――だがそれは自分が“秋月”だと知らないからだ。

 自分が秋月家の長男だと知れば、あの少年も掌を返すように媚びを売ってくるに違いない。

 佳織に合わせて市立の小学校に進学した際、再会した柳也に、瞬は自らの秘密を打ち明けた。

「……秋月って、何だ?」

 驚いたことに、少年は自分の家のことについてまったく知らなかった。

 そのことについても説明すると、

「ああ〜……あの丘の上のでっかい屋敷の……あそこ、お前の家だったのか!?」

 驚く視線に媚びの色はなく、怖れの色もなかった。

「……ってことは、俺はこれで秋月家の長男とお友達ってことか? やった! 儲け儲け」

 悪びれもなく言うその口調に、邪な考えは微塵もなかった。

「ふざけるな、瞬ッ!」

 自分を怖れず、まして自分の背後にいる秋月すら怖れず、常に背水の陣を敷いて、常に全力の体当たりでぶつかってきて……瞬を友達と思ってのその言葉は、時に暴力へと変わることすらあった。

 桜坂柳也は瞬の心の深いところにまで入り込んできた。

 誰もが怖れ、敬遠する秋月瞬の心に、自ら触れようと歩み寄ってきた。

 媚びの感情も、怖れの感情もない。本当に心から瞬のことを友達と思っての言葉、思っての行動、思っての鉄拳だった。

 佳織とは別次元の優しさ、別次元の温もり……いや、温もり以上の熱で、柳也は瞬の心を満たしてくれる存在だった。






「……強い、さ」

「ん?」

 気が付くと、瞬は豪剣を見つめる柳也に声をかけていた。

「僕が保証する。柳也は、強い。あの時から……僕と、佳織を助けようとしてくれたあの日から、ずっと強くなった」

「瞬……」

「僕には剣術のことはよく分からない。だが、これだけは確実に言える。お前は……桜坂柳也は、強い」

「……ありがとな」

 柳也は、にっこりと満面の笑みで瞬に笑いかけた。

 真剣を手にして僅かに怯えていた己を、勇気付けようとする友の想いに応える、力強い笑みだった。

「守ってくれよ。その剣で。僕と、佳織を」

「ああ! 任せてくれ。なんなら、この場で金打(きんちょう)を打ってもいいぜ」

 柳也は、芝居のかかった口調で言った。

 剣術好きの柳也は、時代劇も大好きだ。柳也の部屋にテレビはないが、しらかば学園に足を運ぶ度に、テレビの前に噛り付いて画面の中の丁々発止のやりとりに魅了されている。

 金打とは、約束をたがえぬ証に侍ならば刀の鍔、僧侶なら鉦、女子ならば鏡などを打ち合わせて約定することだ。

 柳也の影響で時代劇を見る機会の多い瞬は、思わず吹き出した。

「じゃあ、お願いするとしよう」

「おう」

 柳也は刀身を鞘に一旦納め、ベルトから二刀を抜いた。

 彼は無銘の脇差だけをちゃぶ台の上に静かに置き、同田貫を垂直に持つと、鯉口を切った。

「我、直心影流剣士、桜坂柳也。今これより、我が親友・秋月瞬と、その想い人・高嶺佳織にいかなる災厄が降りかかろうとも、この一命を賭してかの二人を守り抜くとここに約定いたそう」

 時代のかかった柳也の、朗々たる声が雷鳴のように轟き、鍔の発する金属音が、部屋の中に響き渡った。



<あとがき>

柳也「……なぁ、タハ乱暴?」

タハ乱暴「うん? なんじゃい?」

柳也「今回の話を読んでいて思ったんだがよぅ……」

タハ乱暴「うん?」

柳也「直心影流って、居合あったっけっか?」

タハ乱暴「……いや、知らん」

柳也「…………」

タハ乱暴「……いや、本当に知らん」

柳也「……はい! 永遠のアセリアAnother EPISODE:03、お読みいただきありがとうございました!」

北斗「今回の主題は柳也と瞬、それから佳織の過去捏造か」

タハ乱暴「あと教室に咲いた芸術の花」

柳也「出演者の個人的意見としては美少女に監禁されたところがメイン」

北斗「あれが主題とのたまうか、この駄目人間どもめ…」

タハ乱暴「なにを言うか、この駄目改造人間」

柳也「そうだぜ闇舞北斗。お前は美少女に監禁されるなんて美味しいシュチュエーションに遭遇したことがないから言えるんだ!」

タハ乱暴「そうだぞ北斗。真名井美里に監禁された大介の嬉しい状況を思い出せ」

北斗「ならば貴様らもマナマナの恐怖を思い出せ」

タハ乱暴「うぐおふぁあっ!!」

柳也「……マナマナ?」

タハ乱暴「き、気にするな柳也。…お前は知らなくてもいいことだ」

柳也「えー! そう言われるとすっげぇ気になるじゃねぇかよ」

タハ乱暴「気にするなぁッ! 気にしたら負けだぁッ!!」

北斗「直心影流に居合があるかどうかも気にしたら負けだな」

タハ乱暴「…ごめんなさい。勉強不足でした」




素晴らしい芸術品はこうして作り出されていくのです、まる。
美姫 「いやいや、今回シリアスも結構あったわよ」
まあ、確かにそうなんだけれど、やっぱりこのシーンの印象が一番深いというか、残ってしまっていると言うか。
美姫 「まあ、確かに私も残っているけれど」
あははは。さて、最後で柳也が誓った言葉。。
これが今後どうなっていくか。
美姫 「楽しみね」
うんうん。次回も待っています。
美姫 「待ってますね」



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