第三話





なのはは大きく息を吐いて、目の前の扉をノックした。

「なのはか? 入って構わないぞ」

その奧から聞こえてきた落ち着いた声。というか姿が見えてないのに相手がわかるのか、と考えながらもなのははゆっくりと扉を引き、中に入る。
その真っ白の部屋……病室のベッドから上半身を起こした青年を見て、なのはは少しため息を吐いた。

「おにーちゃん、お腹を怪我したんだから起きたらダメだよ」
「ふむ、もうかなり良くなったのだが」
「……おにーちゃん、まだ少ししか経ってないんだけど」

相変わらず人間離れした兄だと、なのはは少し疲れた表情を見せる。だがきっとまだ痛みはあるのだと言うことはわかっているので、それはどこか演技っぽい仕草になってしまった。
ただ兄が心配させないように言っていることがわかるので、深くは言わなかった。



結局あの後、恭也と同じ血液型の人に何人か手伝ってもらい、血液については事なきを得た。ちなみに血を提供してくれた人たちには、後日感謝として翠屋のシュークリーム詰め合わせを贈らせてもらった。
そして手術も無事に終わった。
恭也は銃弾を腹部に受けたものの、奇跡的に重要な臓器や神経、血管を傷つけることもなかったため、後遺症もない。恭也の話だとそれを意識して銃弾を受けた部分もあるとかないとか。
血が足りなくなったのも、どちらかというと銃弾を受けて激しく動いたせいの方が大きいらしい。
手術が終わり、手術室から出てきた恭也を見た時、なのはは大泣きしてしまった。もちろん後から駆けつけた桃子たちも同じようなものだったし、さらに後日イギリスから駆けつけたフィアッセなどもそうだった。
その後しばらく移動ができないような体調であったため、家から遠いあの手術をした病院に入院していたのだが、先日経過も良いので自宅から近い海鳴の病院へと転院したのだ。
なのはも恭也と会うのは三日ぶりとなる。

「おかーさんも来たの?」
「ああ、先ほどな。仕事があるからすぐに帰ったが」

どうやら入れ違いだったようだ。なのはは家に帰ってすぐにここへと来たので、まだ桃子とは会っていなかった。

「ふう、あまり長い間入院していると鈍りそうだ」

恭也はそう言いながら両手を開いたり閉じたりを繰り返して言うのだが、それを聞いていたなのははやはり呆れた表情を見せた。

「おにーちゃん、銃で撃たれたんだよ?」
「だから尚更だ。修行が足りん」

いや、剣で銃に対抗することの方がよっぽどおかしいと、なのははさらに呆れる。
だがすぐになのはは悲しみの表情を見せた。

「おにーちゃん、私、おにーちゃんが傷つくの見たくないよ」
「なのは……」
「私、この前いっぱい泣いたんだよ? おにーちゃんが死んじゃうかもしれないって、凄く恐かった」

あの時のことを思い出すと今でも身体が震えてくる。なのはが今まで生きてきた中で、一番恐かった。
兄が、大好きな人が死んでもしまうかもしれない、いなくなってしまうかもしれないという恐怖は、今でも消えていない。
それを思い出したからなのか、なのはの身体が小さく震えた。

「すまない」

そんななのはに恭也はそう言って手を伸ばし、その頬を撫でる。
剣を振り続けて、岩のようにゴツゴツとしてしまったその手は、同時にザラザラとしいて、裂けた皮膚が頬の皮膚に張り付き、多少の痛みを感じるのだが、なのはには逆に心地よかった。だって兄が生きているとわからせてくれるし、何よりその体温を感じて傍にいてくれるというのがわかるから。

(やっぱり無理だよ)

頬を撫でられながら、なのはは心の中で呟く。
恭也を失う恐怖を知り、さらにこうして傍にいてくれる幸せを再認識してしまったら、もう無理だった。
自分は本当に兄が好きなのだとわかってしまった。
このままでは、もう離れたくなくなってしまう。この報われない想いをなくすことができなくなってしまう。恭也以外の男の人なんて考えられなくなってしまう。
それがいけないことだとわかりながら、それでも消すことなんでできそうになかった。

恭也の手が、なのはの頬から離れる。それに寂しさを覚えるが、なのははグッと我慢した。 

「謝らなくていいよ」

色々な寂しさを堪えて、なのはは言った。

「おにーちゃんの剣は、護るためにあるって私も知ってる。だから、おにーちゃんはおにーちゃんのやりたいようにやればいいと思うから。
おにーちゃんが傷つくのはイヤだけど、それでも護ろうとするおにーちゃんのことが私は好きだから」

なのはは笑いながら自分の想いを紡ぐ。

(私はおにーちゃんが世界で一番大好きだよ)

そういった意味でなのはは好きだと言った。恭也の護りたいという想いすら、それで護った結果すら、彼女は愛していける。
きっと恭也にはそんなこと伝わらない。一生届かない。けれどそれで良い。
兄妹だから。伝わらない方がきっと良い。

「ありがとう、なのは」

ほんの少しだけ笑う恭也の顔が見れたから、それで良いのだ。


それから日常の会話に戻っていく。
なのはは学校であったこと、家であったことを楽しそうに話し、恭也はそれを聞く。恭也は自ら話題を振ることはなく、聞くことに徹していたが、それでもそんな穏やかな日常の会話がなのはには嬉しかった。
そんな時にノックの音が響き、恭也が応答すると、口にタバコをくわえたリスティが病室に入ってきた。

「リスティさん、タバコをくわえて病院を歩いているとまたフィリス先生に小言を言われますよ?」
「大丈夫だよ、火は点けてないしね」
「それでもフィリス先生は怒ると思いますが」
「けど小言を言われるのはボクより恭也の方が多いと思うけど? 昨日もフィリスに隠れて投げものの練習をしてたらしいじゃないか? アイツ、かなり怒ってたぞ」

リスティは苦笑して言うのだが、その話を聞いてなのはは少しだけ恭也を睨む。やはりじっとしていなかったのか、と。
これはフィリスに代わって説教をすべきか……もしかしたらすでに終えているのかもしれないが……と思ったのだが、その前にリスティがなのはの方を向いた。

「なのは、悪いけど恭也と二人にしてくれないかな?」
「え?」

一瞬、リスティの言葉に呆然としてしまった。まるで恋人同士二人きりにさせてほしい、とでも言われたかのようで。
もしかして二人は付き合っているのかと。
だが……

「この前の仕事の話をしなくちゃいけないんだ」
「あ……」

そうだった。二人の関係はそういうものだ。
リスティも今まで何度か恭也の見舞いには来ていたようだったが、その時はまだ恭也があまり長時間喋れる状態ではなかった。だから今日、この怪我の原因になった仕事について話しに来たのだろう。

「わかりました」

それがわかり、なのはは心の中で安堵の息を吐く。

「じゃあおにーちゃん、今日はもう帰るね」
「ああ、すまないな」
「ううん、明日も来るから」

なのはは手を振ってバイバイと告げると、部屋から出た。そしてしばらく病院の廊下を歩いて恭也の病室から離れたあと唐突に止まり、ため息を吐いた。
この頃……という、恭也への叶わない想いを自覚してからは、本当にため息を増えたと思う。これが嬉しさによるとか、幸せによるため息ならば言うことはないが、おそらくそんな息に変化することはないというのは理解している……いや、理解しなければならない。
だが、

「ダメだなぁ」

リスティのちょっとした言葉にまで反応してしまっている。この前まではここまで過剰に反応することはなかったはずなのに。
本当にダメだ。
きっとこの想いは、すぐにでも閉じてしまわなければならないのに。それなのに強くなってしまう。それは身近な人に軽く嫉妬してしまうほどに。
消さなければいけない想いであるはずなのに、それができない、消したくない。諦めなければいけないのに諦めたくない、諦められない。
恋というのは厄介なものと聞くが、自分の場合は本当に色々な意味で厄介だ、となのはは寂しそうに笑った。
そしてもう一度ため息を吐き、なのはは再び歩き出そうとした。

「あれ」

だがその前に見覚えのある人物が視線の中に入った。

「あ……」

その人物もなのはに気付き、その足を止めた。
そして二人は廊下の真ん中でお互いを見つめ合う。

それがきっと二人の初の出会いと言ってもいいものだった。二人が相手を意識した瞬間。
この出会いが、二人の……いや、恭也を含めた三人の物語が始まった瞬間だった。





「恭也、君はあの場にはいなかったことにしたけど、良かったよね?」

リスティは先ほどまでなのはが座っていたパイプ椅子に座ると、開口一番でそう言った。
あのパーティー会場にはいなかった。ボディガードもしておらず、つまり恭也は撃たれていないということにすると言っているのだ。

「ええ」

それがわかっていて、恭也は頷く。

「関係した人間は、みんな黙らせてあるから」
「ありがとうございます」

情報を操作、もしくは止める。それらの難しさと必要な労力は、並ではないことを恭也もよくわかっており、心の底から感謝する。もし恭也が動けたなら、下手をすれば『実力行使』で黙らせていた可能性とてあった。

「ボクとしては感謝されるようなことをしたわけじゃないし、恭也が撃たれなかったことにするなんて腹立たしいんだけどね。
ま、会長さんもすまないと言っていたけど」

とリスティは軽く鼻を鳴らして言う。
だが恭也……だけでなく、恭也に護衛を依頼した人物のことを考えてもその方がいいのだ。
今回恭也が護衛をしていた人物は、ある会社の会長だった。そしてその会社で始めたプロジェクトを中止しろという脅迫状が届いたのだ。そのため恭也に護衛の依頼が来たわけである。
もしここで恭也が撃たれたなどという情報が流れたら、マスコミが食いつくだろう。いくら妨害してきた人物たちが悪いとは言っても、銃で撃たれた人物がいるなどというのが世間に伝われば、会社のイメージががた落ちだ。
そのため会長としてはなかったことにしたいのだ。そしてそれは恭也とて否はない。護衛をしている自分が、護衛者に迷惑をかけるなどというのはあってはならない。
そして何より、恭也も過去の出来事から、それがどんな理由であれ、自らの名が世の中に出回るのはまずいのである。

恭也は正義の味方ではない。そんなものになりたいと思ったこともない。むしろ自身の剣は、世間から見れば悪と言ってもいいものであり、それで良いと思っている。そんな剣だからこそ護れることがある。全ての原因を斬ることができる。
だからそれらを止めるためなら、恭也は実力行使に出ることすら厭わない。つまり剣による脅し……もしくは物理的に黙らせることすらあるかもしれない。他にも色々と方法はあって、これは最悪の場合ということだが。
そのへんのことをリスティも理解しているからこそ、苦労してまで情報を止めてくれたのだ。もっとも、リスティ……おそらく恭也が護衛した人物も手伝っているだろうが……のやり方とて、物理的以外の脅しが入っているだろうし、それとて露見すれば犯罪行為には違いない。
そういうこともあり、本当に心の底から恭也はリスティに感謝している。

「とりあえず、事が起こったのが裏口で良かったよ。会場はもちろん受付まで行かれてたらどうなってたかわからないしね」
「ですね、まだパーティーが途中だったから、人もいませんでしたし」

そこまで言って、恭也は少し考えてからまた口を開く。

「そういえば、久保さんの娘さんはどうしてあそこに?」

久保、というのは恭也が護衛していた人物なのだが、なぜその娘は裏口にいたのか。元々彼女がパーティーに出席していたのは恭也も知っていた。そして彼女にも一人護衛がついていた。だが、なぜ彼女はパーティーの途中で裏口になどにいたのか。

「ああ、体調が悪くなったから帰るつもりだったらしい。元々人混みとか苦手らしいから。けど主役の娘が途中退場っていうのは受けが悪そうだから、簡単に理由を作って裏口からこっそりと行こうとしたみたいだよ。そこに運悪く、って感じかな」
「なるほど」

それはすまないことをした、と恭也は心の中で呟く。
そんな状態で、血を大量に見たりなどしたら、相当に辛かっただろうと。

「それで襲撃者たちは?」

恭也が捕まえた六人。すでに調べ上げられているだろう。

「今じゃ日本でも結構銃は出回り初めてるけど、突発事態だったとはいえ、躊躇せずに人に向けて引き金を引けるのなんてそうはいない。おまけにサイレンサー付きだ」
「動きはほとんど素人でしたが」

恭也のその言葉に、キミから見たらだいたいのヤツが素人だろ、と言ってリスティは笑う。
それにそんなことはありませんよ、と恭也は返すのだが、リスティは軽く肩をすくめてしまった。

「答えを言っちゃうと暴力団関係者だった」
「そこから今回の件は終わらせることはできますか?」
「終わらせられるか、じゃない、終わらすさ」

恭也の言葉に、リスティは断言してみせた。だがそこにあるのは自信ではなく、怒りに近い。

「恭也が怪我を負ってまで捕まえたんだ。そしてここからはボクの仕事だ。必ず尻尾は掴んで、頭まで引きずり出す」

リスティとて恭也と一緒なのだ。親しい者が傷つけられて、黙っていることなどできない。
何より恭也は護衛という仕事を越えて結果を出し、会場を警備していた者たちの尻拭いまでしたのだ。それは護衛者としては褒められた行動ではない。しかしこれは事前に契約者である久保から頼まれていたことでもあるので、今回の場合は間違った行動ではない。
それを無駄にする気など彼女にはない。

「お願いします」

恭也が頭を下げると、リスティは笑って頷いた。
それからリスティは、今回の件の概要を軽く説明する。
被害者は恭也を入れて二人。残りの一人は恭也の護衛対象の娘をガードしていた者で、スタンガンを当てられて気絶していたが、怪我の程度はたいしたものではないらしい。
襲撃者は事前にどこかで情報を手に入れていたのか、裏口の警備員たちの交代の時間を使って潜入したのだという。このへんは警備の甘さとしか言いようがないかもしれないが。
そもそも襲撃者たちは、流石にそこまで力押しでいくつもりはなく、爆弾に見立てた爆音が響く機材を設置して、脅しをかけるだけのつもりだった。だが、誰もいないと思われた裏口に、いるはずのない者……それがさらに狙いの人物の娘だったということで、咄嗟に行動したというものだった。
それらを聞き恭也は、

「あまり場慣れはしてないということですか?」
「だろうね、なんか聞いててかなりお粗末な感じだったよ」

本当にあまりにもお粗末だ。ほんの少し段取りが狂っただけでいきなり実力行使に出るとは、と恭也はため息を吐く。

「ま、恭也はしばらく養生するといいよ。恭也が退院するころには終わらせるから。護衛の方も増やした。捕まった者がいる以上そう簡単には手を出せないだろうし、こっちもだいたい掴んでるから」
「わかりました」

反論は何もない。リスティは今回の件を終わらせると断言した。ならばもうこの事件は終わったものだと思ってもいいとすら恭也は考えている。
リスティが恭也の剣の腕を信頼しているように、恭也も彼女のその能力を信頼している。彼女が終わらせると断言した以上は終わるのだ。
それにこの国の警察官たちとて決して無能ではなく、むしろ有能と言って良い方なのである。
無論、終わったと本当に報告がくるまで緊張感を緩めるつもりはない。入院している恭也には何もできないが、それでも気構えの問題だ。
それで仕事の話は終わり。それからリスティは軽く恭也のことをからかった後に帰って行った。

そして恭也の信頼に応え、リスティからこの件について本当に終わったと報告がくるのは、それから三日後のことである。




「はい、紅茶で良かったかな?」

女性は、手に持っていた缶をなのはの目の前に持っていく。

「あ、お金」
「いいよ、このぐらい」

慌てて財布を取り出そうとしたなのはを、女性は軽く苦笑して止めた。

「すみません」

なのはは頭を下げてから、女性から紅茶の缶を受け取る。それから彼女はなのはの目の前の椅子に座った。
今なのはがいるのは病棟にある談話室だった。
先ほど廊下で出会った女性……それはあのとき血だらけの服を着て、なのはと共に手術室の前にいた人。そして恭也に血を提供してくれた人の一人。
お見舞い用の花を持っているし、状況から言って、彼女が恭也のお見舞いに来たのは明白だった。
そのため今は仕事の話をしているから、少し時間を空けた方がいいとなのはから話しかけたのだ。そしてなぜか彼女と共にここに来てしまった。

「あ、名前を言ってなかったね、私は久保蛍(けい)って言うの」
「蛍……さん、ですか。私は高町なのはです」
「恭也さんの妹さん、だよね?」
「はい」

そんな自己紹介をすると、すぐに二人は沈黙してしまった。
何を話せばいいものか、となのはも考えるのだが、正直話題などない。こうして一緒になったのも、流れみたいなものだ。
その沈黙から逃れるために、なのはは紅茶を飲み始める。そしてそのまま目の前の女性……蛍の姿を眺め見た。
染めているようには見えないので、なのはと同じで髪の色素が薄いのか栗色の髪をしている。その髪を長くのばしていて、それを背中に流していた。
白のツーピースの服を着ているが、白というのが良く似合っている。何というか、その服の趣味がなのはは自分に似ているとか思った。年齢は聞いていないが、見た目的には高校生ほどに見える。童顔という可能性もあるが。

「あの、なのはちゃん」
「は、はい」

突然話かけられ、不躾に見すぎただろうかと、なのはは一瞬背を伸ばした。
だが蛍はそんなことには気付いておらず、言いにくそうにしている。そしてどこか意を決したかのようにもう一度口を開いた。

「なのはちゃんは私を怒らないの?」
「え?」
「恭也さんが傷ついたのは、私のせいなんだよ」

蛍はやはり辛そうな顔で、恭也が自身を護るために傷ついたことと、その理由を話す。
だが、それを聞いてもなのはは彼女に怒りが湧いてくることはなかった。それ所か兄らしいと心のどこかで思ってしまった。

「だからなのはちゃんは……恭也さんの妹であるなのはちゃんは、私を責める権利があると思う」

怖々とそう言う蛍を見て、なのはは静かに首を振った。

「あの時少しだけ、少しだけ心の中で怒りは浮かびました。けど、そのことを責めるつもりも、怒るつもりも、私はありません。もしおにーちゃんが死んでしまっていたとしても、責めません、憎みもしません」

もちろん兄が死んでいたらなんていうのは考えたくもない。だが、それでもその結果になってしまっていたとしても、彼女を恨む気なんてない。
なぜなら……

「それをしてしまったら、おにーちゃんを否定することになっちゃう。そんなの私はイヤですから」

それは大好きな兄を否定することになる。
何より、彼が今まで歩んできた道そのものを否定することなどできない。

「もちろん、おにーちゃんに傷ついてほしくないし、死んでほしくもないです。だけど、おにーちゃんは護る人だから。どんなに傷ついても……自分が死んでしまったとしても、護る人だから。
おにーちゃんが護った人を責めるのは、おにーちゃんがしたことを、おにーちゃんが歩いてきた道を否定してしまうことだから、絶対にしたくありません」

なのはは少しだけ笑いながら言った。
きっとこの考えは変わらない。そういった姿を含めて、なのはは恭也のことが好きなのだから。

「何より、悪いのは蛍さんじゃありませんから」

もう一度笑って告げると、蛍は少し驚いた顔を見せた。

「強いんだね、なのはちゃんは」
「はにゃ!? そ、そんなことないですよ! ただ私はそういうおにーちゃんが好きだから!」
「お兄ちゃんっ子なんだ?」

確かにその言い方も間違ってはいないが、ハッキリと言われて、なのはは顔を真っ赤にした。

「なのはちゃんは何歳なの?」
「えっと、十一歳の小学六年生です」
「そっかー、私がそのぐらいの時は、家族のことでそこまで大人でいらなかったからなぁ。だから私から見るとやっぱり強いよ、なのはちゃんは」

そう言って、蛍はなぜか寂しそうに笑った。
その表情の意味はわからないが、なのはは話の流れを変えたくて口を挟む。

「蛍さんは何歳なんですか?」
「私? 私は十九歳だよ」

なのはは高校生ぐらいかと思ったのだが、どうやら少し幼い顔立ちをしているようだ。いや、顔立ちもそうだが、雰囲気もなのかもしれない。

「今は海鳴大学に通ってるの」
「海鳴?」

恭也と同じ大学だ。
なのはの言いたいことがわかったのか、蛍は少しだけ苦笑した。

「うん、恭也さんと同じ大学。恭也さんは私のこと知らないと思うけど。恭也さん、有名だから私は知ってるよ」

なぜ有名なのか……そんなことは聞かなくともなのはでもなんとなくわかった。

「だから、お父さんの護衛として恭也さんが来た時は本当にびっくりしたよ。しかも名字は不破って名乗ってたし」

確かに普通の大学生だと思っていた人物が、いきなり家族の護衛に現れれば驚くだろう、となのはは頷いた。名字を変えていた理由はなのはにもわからないが、それは父の旧姓であったことは少し前に聞いたことがあった。
それからなのはは蛍と色々な話をした。どういうわけか、彼女とは話しやすかったのだ。
そんなとき談話室の入り口から、ひょっこりとリスティが顔を出してきた。

「なのはの話し声がすると思ったら、蛍も来てたのか?」

今度は全身を入り口の前に出し、リスティは蛍を見た。
リスティも彼女とは顔見知りなのだろう。

「あ、はい」
「恭也の見舞いだね。なら、もう行っても大丈夫だよ。ボクの話は終わったから」

それだけ言って、リスティはドアの向こうに消えた……と思ったら、またも顔だけを出して、なのはと蛍の顔を交互に見た。

「声もそうだけど、髪の色と質といい、顔立ちとか雰囲気とか、二人とも良く似てるな」
「そう……ですか?」

リスティに言われて、なのはは蛍の顔を見る。蛍もつられるようにしてなのはの顔を見た。
そんなに似ているだろうか、と二人は首を傾げたが、端から見るとその行動も良くに似ている。
だがなのはからすると、どちらかというと母親の桃子に似ているような気がした。

「行動も似てる」

同時首を傾げた二人を見て、リスティは軽く笑うと手を振って今度こそいなくなった。
取り残された二人はしばらくお互いの顔を見続けていたが、同時に苦笑して立ち上がった。
そして蛍はテーブルに置いた花束を持つ。それからいつのまにか中身を飲み干していた缶を捨て、二人は談話室を出た。

「それじゃ、なのはちゃん」
「はい」

二人は簡単に別れの挨拶をして、反対方向に歩き出した。
だが、

「なのはちゃん」

すぐに背後から蛍に呼び止められ、なのはは振り返る。

「何ですか?」

なのはがそう聞き返すと、蛍はなぜか少し考えるかのような素振りを見せた後に口を開いた。

「えっと、なのはちゃんはO型なの?」
「はい、そうですけど」

確かに彼女と初めて会ったときにそれを言ったが、なぜそんなことを今更聞いてくるのだろうと、なのはは首を傾げてしまう。

「なんでもないの、ちょっと聞きたかっただけだから」

蛍はそんなふうに言って苦笑し、もう一度なのはに別れを告げて、恭也の病室へと向かって行った。
なのはも別れを告げたあと、もう一度首を傾げ、家へと帰るために歩き出した。




なのはは家に戻ってくると美由希に挨拶をし、相変わらず喧嘩をしていた晶とレンに説教をし、それから自分の部屋に戻った。
そこでふと、蛍との最後の会話が脳裏に過ぎる。
そして……

『あなたのお兄さんはAB型なの』

あの時看護師に言われた言葉が、再びなのはの脳裏に再生された。
同時に感じた些細な違和感も思い出す。

「なんでだろ?」

兄の血液型が間違っていたと言われただけで、なぜ多少とはいえ違和感を覚えるのか。
なのはは恭也本人に彼の血液型を教わったわけだが、それが間違っていただけだ。恭也自身がおそらく知らなかったのだろう。
なのはは、恭也に聞かされた血液型は覚えているが、どんな状況で聞いたのかは覚えていない。日常の中で交わされた言葉。いくら大好きな兄から聞かされたものでも、さすがに全ての状況と、全ての言葉を覚えているわけではないのだ。
日常の中での会話であるからこそ、忘れるのも早い。それを聞いたのも何年も前のことなのだから当然だ。
故に、その前の桃子と恭也の会話も覚えていない。恭也が唐突に士郎の血液型を気にしたということを思い出せない。
だからこそ、恭也も自分の血液型を間違えていたと思っている。

なのはは浮かんでくる違和感に首を傾げながら、自分の机の上にあるノートパソコンを起動させた。
そしてそれからインターネットに接続し、検索サイトへ。検索する単語は血液型。

「いっぱいあるなぁ」

検索結果を見て、なのはは苦笑した。
ヒット数はかなりのものだ。
絞り込みはせず、上から順にサイトを見ていく。

「あ、後でおにーちゃんの本当の血液型とで相性見ないと」

そんなふうに独り言を漏らしながらも、順々に見ていく。
はっきりと言ってしまえば、なのはは自分が何をしたいのかわかっていなかった。別に本当の恭也の血液型で相性を知りたかった訳ではない。それこそ血液型について検索をしてから思ったことだ。
何となくに近かった。
こうすれば、違和感が解消できるのではないかと……。

「遺伝……?」

何となく見つけたもの。
それは血液型の遺伝について。
何かが、本当に小さな何かが気にかかり、なのははそのサイトの内容を読み進めていった。

「え……?」

そして……その答えは……。

脳がうまく動いてくれない。
それでも何とかなのはは考える。

自分の血液型はO型だ。これは母が同じ血液型だから問題はない。
そして、兄である恭也はAB型。母である桃子はO型であるが、恭也とは血が繋がっていないため関係ない。

思い出せ、思い出せ。
会ったこともない父の血液型。
どこでだったかは思い出せないが、自分は聞いたことがあったはずだ。それは母の言葉であったはずだ。
その血液型は何だった?

『士郎さんはO型よ』

いつだったか母が言っていた父の血液型。
その前後は思い出せないが、その言葉だけは思い出せた。

「あ……れ? お父さんとおにーちゃんは……でもそれなら……」

だが、それは……。

「え……あ……」

また思考が止まる。

「どういう……こと?」

わからない。
わからない。わからない。
わからない。わからない。わからない。
わからない。分からない。解らない。判らない。
わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。わからない。分からない。解らない。判らない。

思考が乱れる、混乱する、混沌とする。
思考が白くなり、空白となり、何も考えられない。
まるで正反対の思考が繰り返される。
だが、その中にあった小さな理性が……淡々と答えを出した。
つまり……

兄、恭也とは兄妹ではない『かもしれない』。

「でも……! だって……!」

それでも心は落ち着いてくれない。
そんな荒れる心に、理性はさらに言う。


嬉しくないの?


「あ……」


血が繋がってなければ、問題はないんじゃないの?


「で、でも……」


おにーちゃんを好きでも問題ない。


「そ、そんなこと……」

きっと問題なんかいっぱいある。この世界はそんな簡単にはできてない。この抱いてはいけない想いの問題が一つ解決されただけで、他にもきっと問題はたくさんある。
でも、それでも一番大きな問題が確実に排除されるかもしれないのだ。

「けど……!」

だが、それでもなのはは恐かった。
それは本当の恐怖。
この答えは希望にはならない。
なのはは呆然とした表情から、それを恐怖へと変える。

「血が繋がってなかったら……おにーちゃんが、おにーちゃんじゃなくなっちゃうよぉ」

もし恭也と血が繋がってなかったら、真実他人になってしまう。
恭也はきっとこのことを『知らない』。
だけど、恭也がこのことを知ってしまったらどうなってしまう?

わかってる。わかってる。
血の繋がりが家族と示す証ではないことは。
この家で育ったからこそ、そんなものが家族であることに重要なものではないとわかっている。
だがそれでも恐いのだ。

「あ……あ……」

兄がそれでも妹として接してくれるというのもわかってる。
だが、恐い。
もしかしたらという考えが拭えない。

それにもしこれで自分が兄を男の人として好きだと告げて……いや、告げずとも、それがばれてしまったら。そしてそれが拒絶されたら……。
それは本当に兄と他人となる瞬間ではないのか?
妹にも戻れなくなる。

「う……あ……」

こんなこと知らなければ良かった。
そう思う一方で、この想いを本当の意味で向けられるかもしれないという考えもある。
それらが同時にあるからこそ、なのはの恐怖は倍増する。

「私……おにーちゃん……私は……」

なのは呟きながら、首を振り、そしてすぐにインターネットの接続を切り、パソコンの電源を落とした。
それはまるで、他の誰にもそれを知られたくないかのように……。
そして、恐怖から逃れるようにベッドへと飛び込み、布団を被った。


このときのなのはの行動。
血液型について調べるという行動が正しかったと思うことになるのか、それとも後悔となってしまうのか……それはまだわからない。










あとがき

いきなりオリキャラ登場でした。
エリス「恭也が護った人だね」
とりあえず必要なキャラなんで。ちなみに見た目と雰囲気は、リリちゃの大人(?)なのはに似てます。髪を下ろしてるし、瓜二つとまではいきませんが。
エリス「重要なキャラなの?」
かなり。下手すると一番重要。
エリス「とにかく、今回一番重要なのは、なのはも知ってしまったということだね」
そだね。たぶん読んで下さっている人たちの予想に反して、なのはは嬉しがってないけど。
エリス「むしろ怖がってるように見えるけど」
いきなりこんなこと知ってしまったらこれが普通だと思うよ。とりあえず思考停止するから。それも誰かから教わったわけではなく、自分で知ってしまったから尚更。恭也の場合は、そういうのもありえると元々思っていたことだし、精神的な理由でそこまでいかなかったけど。
エリス「とりあえず、なのはがこれからどんな行動をとるのか」
それはまた次回ということで。
エリス「といったところで、今回はここまでです」
それではー。





うーん、なのははちょっと混乱気味かな。
美姫 「やっぱり妹としての感情もあるでしょうしね」
いやいや、続きがとっても気になりまする。
美姫 「一体どうなっていくのかしら」
ぬがぁぁ〜、続きが〜〜。
美姫 「次回も楽しみに待ってますね〜」
ではでは。



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