〜冬の情景〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恭也はただ、そこに端然と立っている。

 墓標をただ、見つめている。

 雪がはらはらと、聖と恭也を隔てた距離を、周り一面を舞い降りている。

 幻影を見ているようだった。全く現実味を感じない。

 そうだ、これはまぼろしだ。

 こんな所に、恭也さんが来るわけがない。

 ちょっと瞬きしたら、きっとこの光景はすぐに消え去って――

(って待った! そんなわけないじゃない!?

 急に、恐ろしくなった。

 今――今、私は何を考えてた? 今見てる光景が夢や幻だったら、一体私はどうして、

こんなところに突っ立ってなんかいるの!?

 不意に、背筋にぞくりとするものが走る。ぶんぶんとかぶりを振って、

「恭也さん!」

 呼ぼうとした。もし、実際に声が出たら、それは無様に音程がひっくり返った、悲鳴に

近いものになってしまっただろう。

 しかし、そうするより前に、恭也はこちらの方を向いていた。その表情にはいささか、

困惑気な感じが見て取れる。

 それまでいた場所から、彼はゆっくりとこちらに近付いて来る。

 そして、呆然としている聖の前に立つと、

「誰かが後を尾行ているとは、分かっていましたが……聖さんだったんですね」

 そっと苦笑した。

「……へっ!?

 間抜けた声が、聖の口から吐いて出る。

(わ、分かっていた、って……)

 何だか、気が抜けてしまった。

 

 

 

 

 

「商店街を出たところで、気配には気付いていました」

「えっ? そ、そんなとこから!?

 それにしては、全然振り返る気配もなかったのに。

「……気付いてたなら、何で声のひとつもかけてくれなかったのかなぁ?」

 聖は反撃に転ずる。が、恭也はそれに対して特に、答えをくれそうもなかった。その代

わり、苦笑の度合いを先程よりもう少し、大きくしている。

「まぁ、いっか。こんな所で立ち話、ってわけにもいかないし。そう言えば……」

「?」

「展望台、この近くだよね? ちょっと、付き合ってもらっていいかな」

 頷いた恭也は、今度は聖に合わせてゆるりと歩き始めた。

 霊園から程近い展望台は、藤見台と呼ばれる高台の中で、最も海鳴の市街地を見渡せる

場所にある。ちなみに霊園からも見下ろす事は出来る――それが霊園での分譲の売り文句

らしいと恭也から聞き、なるほどねと、聖は頷いたものだ。

 大して歩かぬ内に、二人は展望台に着いた。もっとも、展望台とは言うが、実際の見た

目はそれほどご大層なものではない。

 小さな売店と出店がふたつみっつある他は、せいぜい望遠鏡が数基、いかにも展望台の

備品ですよ、と言わんばかりに設置されている程度。駐車場そのものが、展望台としての

役割を果たしているようにも見える。

 むしろ、望遠鏡が必要ないくらい眺めは良い。転落防止の為に、周りを柵で囲っていた。

柵のすぐ側まで行くと、恭也がおもむろに指差す。

「あれが、海鳴駅です」

「へぇ……それじゃあ〔翠屋〕は、あの辺なんだ」

 聖が指差すのに恭也は頷いて、

「あそこから、あの道をずっと歩いてきたんですよ」

「……あー、それじゃあ結構歩いてきたんだね、私」

 

 

 

 

 

 ひとしきり景色を堪能してから、少し休む事にする。

 売店で買ったホットの缶コーヒーをひと口飲んでみて、聖は思った。やたら甘い。

 揃ってベンチに腰を降ろしている様子は、まるでひと組のカップルが、ちょっとひと休

みと洒落込んでいる風だ。

 隣で恭也は、ブラックの缶コーヒーを片手にしている。何と言うか、そんなどうと言う

事もない仕草まで、やけに決まってるような気がした。

(でも、全然嫌味じゃないんだよね……)

 運命の出会い、と言うにはちょっと違うように思う。でも、恭也さんが私の方を向いて

話してくれると素直に嬉しい。反面、彼の事を断片でしか知らない――それは蓉子や江利

子、他の〔山百合会〕メンバーもそうだが――事が、ひどくもどかしい。

 それにしても、霊園で見た時の雰囲気は、あまりにも異様に見えた。まるで、恭也がこ

の世に別れを告げている、聖はそんな錯覚を感じてしまったのだ。

 一体、霊園に何をしに行ったのか。気になって仕方ないのに、聞くのがどうもはばから

れる。

(ど、どうしよう?)

 迷っていると、沈黙は恭也の方から破られた。

「あの場所……俺が立っていた場所は、高町家の……俺の父さんの墓です」

「えっ?」

「時々、顔を見せに行くんですよ」

 今年ももう少しで終わるから、という事で〔翠屋〕のバイトを早めに上がり、ここに来

たという話だった。

「そうだったんだ」

 確か桃子さん――〔翠屋〕の店主にして、高町家のお母さん――は、蓉子から聞いた話

だと恭也さんの義理の母親、だったっけ。

 そんな事を、聖は思い出していた。

 

 

 

 

 

「……恭也さん、実は結構苦労したんだ?」

 聞いてはみたが、推測する限り結構どころの話ではなかったのではないか。妹二人(聖

を含む〔三薔薇さま〕は、この時点で美由希(みゆき)が恭也の実の妹だと思い込んでいる)に同居

人二人。既に父親が故人となってしまっている中で、恭也は桃子さまに代わって彼女達を

文字通り〔護り続けてきた〕のだろう。

 聖はそんな事を思っていたが、当の恭也は、

「そうでもないですよ」

 苦笑混じりに、短く言葉を紡ぐ。

 いかにも恭也さんらしい答え方だと、聖は微笑んだ。

(もしかしたら、私の〔過去〕を何も言わずに聞いてくれるかもしれない)

 ついこの前の『いばらの森』という小説に端を発した、一連の騒ぎ。

 小説の内容は、禁断の恋に落ちた二人の女子高生が、遂には心中を図るというもの。元

になったのは、戦時中に実際にあった話だったとか。執筆者本人と、もうひとりがその当

事者だったと言うのだから、これほど確実な事もない。

 それはともかく、執筆者のペンネームが〔須賀聖(すがせい)〕だった事から、実は書いたのが自分

じゃないかと、新聞部に騒がれる羽目になってしまったのである。

 それだけなら別になんて事もない。ただ、やはり過去の事は心の奥底に、重く澱んでい

た。自分で分かっているのが、尚更始末が悪い。

 何しろ、聖はかつて『いばらの森』に書かれた内容そのまま、とも取れる事を、実際に

したからだ。

 あの時〔お姉さま〕や蓉子(ようこ)達がいなかったら、今頃私はここまで立ち直れてはいなかっ

ただろう。

 それは、確信としてあった。

(でも結局、祐巳(ゆみ)ちゃんや由乃(よしの)ちゃんが動かなかったら、そのまま閉じ込めてるだけ、だ

ったけどね)

 

 

 

 

 

 閉じ込めているだけ。それでは、何の解決にもなりはしない。

 聖自身が一番良く分かっている事だった。親しい人に、誤解や憶測を持たれたままで付

き合いを持たれるのも、嫌だった。だから、祐巳や由乃には過去の事を話した。

 蓉子に江利子(えりこ)を始めとする今の三年生や、その下の二年生で話を(多かれ少なかれ)知

っている面々は、敢えてその事ついて口にしない。

 以前の聖が、その事に触れられるのを極端なまでに嫌っていたからだ。

(ううん、恐れていた……のかも)

 その事を知っていたからこそ、周りが聖に対して配慮してきたのだ。

 結果的にその配慮は、小説をきっかけとした新聞部のお約束――話題の提供はスピード

が勝負、という姿勢――のおかげで、瓦解してしまったようなものだが。

「……」

 ふと、視線を感じてその方向を向くと、どこか気遣わしげな恭也の表情と、まともにご

対面した。どうやら、今まであれこれ話していたのに、急に黙り込んだのを気にかけたよ

うだ。恭也の、澄んだ漆黒の瞳を至近距離に見て、聖は少しどきっとする。

「聖さん……何か、考え事でも?」

「あ、うん……ちょっと、去年の事、思い出しちゃってね」

「そう、ですか」

 簡単な返答だったが、だからとて恭也が過去を詮索するつもりもない事は、充分に感じ

取れた。全く不器用だけど、これほど優しい不器用さもない。

 聖は、直感に従う事にした。これからの関係がどう変わるかは分からない。でも、恭也

さんには自分の過去をちゃんと話しておかないと、きっと後悔する。

 聞いてもらえるだけで、それだけでいい。私が、改めて前に進む為の、これが第一歩に

なるはずだ。

「恭也さん……もし良ければ、私のちょっとした話を、聞いてくれないかな?」

 聖の表情を見て、恭也は黙って頷いた。








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