〜海鳴大学園祭までのちょっとした逸話〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁーら、そこにいらっしゃるのは、水野蓉子様ではございませんこと?」

「まぁ、本当ですわ。奇遇ですわねぇ?」

 白々しいと言えばまことに白々しい、いかにもお嬢様した言葉がかけられた。びくりと

身体を震わせて、蓉子は声のした方向に顔を向ける。

 そこには江利子と聖が、

(現場を押さえたぞ)

 そんな表情を浮かべて立っていた。ここに至っては、もう何の言い訳も効かない。そう

言えば、恭也がふと視線を動かしていたのを、ウェイトレスの働きぶりにでも目を光らせ

ているのかしら、と思って気にも留めなかったが、もしかしたら二人に気付いていたのか

もしれなかった。

「蓉子、隣いい?」

「え、ええ。いいわよ」

 江利子が蓉子の隣に座り、

「じゃあ、私はこっちね」

「どうぞ」

 聖が恭也の隣、江利子の正面に座る。

 ともあれ気を取り直した蓉子は、恭也に二人を紹介する事にした。

「ええと……私の隣に座っているのが鳥居江利子、そちらに座っているのが佐藤聖です。

二人とも、リリアンの親友ですわ」

「ごきげんよう。私、鳥居江利子と申します」

「ごきげんよう。佐藤聖です。よろしく」

「高町恭也です」

「こうして話すのは、初めてですわね」

 江利子が、恭也に笑顔を向けて話しかける。

「ええ、そうですね」

「それにしてもさ、蓉子も結構策士だよねぇ。まさか、抜け駆けするなんて」

「ちょっと、聖……」

「ええ、ええ。昨夜電話した時、用事があるからって言っておいて、ねぇ?」

「う……それは……」

 返す言葉に窮した感のある蓉子。それを見て、

(効果あり、だね)

(ええ、ここまでにして差し上げましょう)

 アイコンタクトを交わす江利子と聖。

「それにしても高町さま、今日はウェイターをされないんですか?」

 二人して注文を終えると、江利子が恭也に聞く。

「ああ、今は大学の学園祭の準備もあるので、バイトは無理してやらなくてもいい、そう

言われているんです」

「このお店、高町さまのお母様が経営されてるんですって」

「へぇ……それじゃあ高町さんって、ここの次期店長さんなんだね?」

 蓉子が恭也から聞いた事を教えると、聖がそんな事を言い出した。恭也は何度か瞬きし

て、

「そこまでは、まだ……」

 ちょっと苦笑気味に応えた。普段の凛とした、ある意味厳しさすら感じさせる容貌が、

こんなちょっとしたきっかけで、幼さを同居させているような印象に激変する。それはす

ぐに元に戻ってしまうが。

「あ、そう言えば学園祭で舞を舞うとか仰ってましたよね。日舞ですか?」

 蓉子の問いに、恭也は頭を振って、

「いえ、雅楽の方ですね。舞が入るので舞楽と言うそうですが」

「うん? 舞楽って日舞と違うのかな……?」

「聖、舞楽と日舞は違うわよ」

「そうなの? 江利子」

「ええ。私もちゃんとしたのを見た事はないけれど、舞楽って、神社の神事なんかで催さ

れるらしいわ」

「まぁ、そういう事をするんです」

「ふぅん……とりあえずそういう事をするってわけだ。なるほどなるほど」

 

 

 

 

 

 注文した品が来ると、それを楽しみながらの会話になる。江利子はアップルパイと紅茶

のセット、聖はシフォンケーキとコーヒーのセットだ。

「そうだ。高町さん」

「はい」

「高町さんが通ってる大学って、学園祭はいつなのかな?」

「えっ? そうですね……こっち……海鳴大は次の土日ですが」

 聖の質問に、恭也は何気なく答える。

「招待券とか、そういう制約はありません?」

「大丈夫です」

「高町さまは、いつ舞われるのですか?」

 江利子に続いて蓉子が質問してきたところで、恭也はわずかに片方の眉を上げた。三人

の雰囲気が、微妙だがにわかに変化しているのを感じたのだ。

(お嬢様というのは、割と珍しいものに敏感なのか、な?)

 内心で思う恭也だが、この場合においては見当外れもいいところである。リリアン女学

園の三薔薇さまの興味は、最初こそ海鳴、そして〔翠屋〕に向けられたものだったが、今

はもう、恭也自身がその対象となっているのだ。

「日曜の午後一時、という事になっていますが」

「ふんふん、日曜の午後一時、ね……」

 聖が、少し考えるような表情になる。そして。

「とりあえず、次の日曜は必ず空けよう」

「……は?」

 恭也が怪訝な表情になるが、それを気にした風もなく、

「江利子も、蓉子もいいね? 日曜は海鳴大。これは決定事項だから」

「ええ、楽しみね」

「聖には敵わないわね」

 どうやら恭也の舞を見に行く事を、舞う本人の前で決定してしまったようだ。

「高町さん、そういう事なのでよろしく」

「は、いや、その……むぅ」

 恭也、憮然とした表情になって言葉もない。それを見た江利子が、

(あら……こうして見ると、恭也さんって可愛く見えるのね)

 くすりと微笑んだ。実は最初の印象で、恭也はまるで表情を変えない人なのではないか、

そう思い込んでいた江利子だったが、それは既に早い段階で裏切られていた。当然ながら

良い意味で。それからは、恭也の表情の変化をなるべく見逃すまい、と思っている。

 何故、これほどの〔いい男〕が普段は無愛想な表情を崩さないのか、という事も含め、

(恭也さんを見てると、退屈しなくて済みそうね)

 江利子の表情が、更に緩んだ。

 蓉子は蓉子で、恭也が意外と押しに弱い事に気付いていた。もちろん、彼の性格を察す

るに、本当に嫌なのであればちゃんと断るだろう、とは思う。ただ、今の聖の発言に対す

る恭也の反応を見ると、そういう風にはあまり見えない。

(それに、恭也さんの舞う姿……絶対に見たいわね)

 既に蓉子は、恭也の舞を見に行く心積もりが固まっている。急速に恭也に傾いていく自

分を自覚するのを、彼女はむしろ楽しんでいるようだった。

 ところで聖は、今の恭也の反応を見て、

(うーん……堅そうに見えて、実は結構遊んでるかも、とか思ってたんだけどなぁ)

 そんな事を考えていた。恭也だったら、その笑顔ひとつで女性を何人でも虜に出来るだ

ろう、その推測は今も変わっていない。こんな事を言うと、恭也がまるでどこぞの国の俳

優みたいなのだが、その朴訥な表情の奥底には、私達の知らない何かがあるとも思う。

(それが分からないんだなぁ……知るのが怖い気もするんだけど、知りたい気もあるんだ

よねぇ)

 それを知ったら、知ってしまったら多分、いや確実に、

「好きなものが出来たら、敢えて一歩退きなさい」

 この忠告を守る事は出来なくなる。その時こそ、隣に座る男性――恭也にのめり込んで

しまうだろう。聖の精神が、密かに戦慄している。

 恭也は、そうした三人の心を透視出来るわけもなく、

(いつの間にか、話がどんどん妙な方向に進んでいるな……まぁ、本当に見に来てくれる

のなら、せめて醜態は晒すまい)

 話の流れに困惑しながらも、そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 時間が過ぎるのは早いもので、いつしか陽は傾き始めている。窓越しの光彩が、少しず

つ色を変えつつあった。

 外を歩く人達の姿にも、わずかに色調の異なる光がかかってきている。

「あ、もうこんな時間なんだね」

 聖が店内の時計に何気なく目をやって、ふと呟いた。

「あら、本当だわ」

「他にどこか回ってみる?」

 江利子の問いに、

「そうね……」

 蓉子は少し思案気な表情をすると、

「高町さま」

「はい」

「あの、お願いしたい事があるのですけれど」

「何でしょう?」

「この周辺で、もしお勧めの場所などありましたら、ご迷惑でなければ案内して頂けませ

んか?」

「はぁ……」

 恭也は眉根をわずかに寄せて、考える仕草を見せた。そうして沈黙する事しばし。

「では、臨海公園でも」

「決まりだね」

「ええ、そうね」

「高町さん、よろしくお願いします」

 こぼれるような笑顔が、恭也を戸惑わせた。

(俺に対する警戒感、というものは、この三人には存在しないのだろうか?)

 自分の雰囲気からして、何の警戒感も無しに近付いてくるとすれば、それは〔家族〕や

数少ない友人、そんなところだろうと思い込んでいるところが、恭也にはあった。

 もちろん、これにはそう考えている理由と言うものがある。自分が御神流という、かつ

ては暗殺剣とさえ呼ばれた古流剣術を使う、夜の闇にこそふさわしい〔剣士〕である、と

いう自覚の強過ぎる事が、強く影響していた。ごくわずかな人間しか知らないが、恭也は

〔戦闘〕というものを、実際に経験しているのである。

 それだけに、周囲から言われるような朴念仁と簡単に片付けるには、いささか恭也の背

負ったものは重過ぎるのかもしれない。

 普段の彼が無愛想に見えるのも、そうした陰の部分を決して表に見せない為の、ひとつ

の手段と言えなくもなかった。そんな表層の奥深くにある、本来の恭也の人となりが、彼

女達を惹き付けているのだが、当の本人にそれはまだ分からない。

 三人が支払いの為に、レジの方へと動く。恭也がその後に続くと、

「恭也、恭也」

 厨房から顔を出してきた桃子が、手招きをしている。

「何だ? かーさん」

「あのお嬢さん方、どこかに連れ出すの?」

「待て……その連れ出すって言い方は何だ?」

「え、違うの?」

「どこか、他にいい場所があったら案内してしてくれと、頼まれただけだぞ」

「あははは、ごめんごめん。じゃあくれぐれも、失礼のないようにね。帰りはちゃんと、

駅まで送ってあげなさいな」

「ああ、分かってる」

「よろしい。それじゃ、気をつけてね」

「うん」

「あ、恭也」

「ん?」

 支払いを終えた三人が、店の外で待っているのを見て恭也が動こうとするのを、桃子が

不意に呼び止めた。

「もし、あのお嬢様三人の中から誰か選ぶなら、本当にちゃんと教えてよ? 将来はうち

に〔永久就職〕してもらうかもしれないんだから」

「かーさん、無茶苦茶な事言わんでくれ」

「えー、かーさん早く孫の顔が見たいのにー」

「はぁ……とにかく、もう行くから」

「はいはい。じゃあ、行ってらっしゃい」

 何とも平和な親子であった。

 

 

 

 

 

 海鳴臨海公園。市民の憩いの場である。

 海水浴場が隣接している事もあり、夏場は特に人が多く、夜にはライトアップもされて

大いに賑わうのだが、秋に入った今頃は、夏に比べると人の集まりも比較的、落ち着いた

ものとなる。それでも、よく整理された趣のある場所柄から、デートスポットとしての価

値は高い。

「風が気持ちいいわ」

「結構、いい感じだよね。あちこちにベンチとかあるから、ちょっと息抜きするのにも丁

度良さそう」

「向こうには、屋台もあるのね……ここで時間を潰すのも、面白いかも」

 三人三様の好意的な評価が、恭也を安心させた。惜しむらくは、歩いている内に陽が傾

いてきたので、時間的にそう長くいられない事だろうか。

 簡単な造りの四阿(あずまや)に、恭也は三人を案内した。そこからは居ながらにして、

眼前の海の光景を独占出来るのだ。

 眺めると、海が西陽に照らされて彩りを変えていた。ずっと視線を伸ばすと、カモメが

数羽、悠然と翼を拡げて空を横切って行き、その下の水平線近くに、大型の貨物船が一隻、

ゆらりと佇んでいる。

「凄く落ち着いた感じよね」

「そうね。でも、一人でこうしているよりは、誰かと一緒の方がいいわよね」

「やっぱりデートの途中でひと休み、って感じじゃないかな。ここは」

「そうねぇ……だとしたら」

 江利子がふと、恭也の方を見て、

「これもデートになるのかしら?」

 唐突にのたまったものである。恭也は、と言えば、目をぱちくりさせて不思議そうな顔

になっていた。

「デートと言うより、観光なのでは……」

 苦笑のようなものを閃かせ、困ったような表情になる。それを見た聖は、

(恭也さんって……もしかしなくてもお堅い人かな……)

 江利子は江利子で、

(あら、ちょっと困らせちゃったかしら?)

 蓉子は、海鳴駅前で恭也が女友達――月村忍と親しげに話しているのを見ていたから、

(恭也さんって、こういう事については不器用なのかしらね……朴念仁ともちょっと違う

感じに見えるけど、どうなのかしら?)

 少しうがった見方をしているが、いずれにしても三人共通して、恭也が恋愛の感覚につ

いては慣れていない、と言うか鈍いと言うか、どちらかと言うと朴訥、いや、やっぱり不

器用なのだろう、そんな印象を持ったようだ。

 しばらくそこで色々と話している内に――日曜の正午に、海鳴大の正門で落ち合う事も

決めた――夕闇が周りを覆いつつある。そろそろ、海鳴駅に戻るべき時間だった。

「皆さん、そろそろ時間では?」

「ええ、そうね。聖、江利子、そろそろ行かないと」

「時間が経つのは、早いものなのね」

「うーん……でも、いい感じだね。ここって」

 三人の会話を、微笑ましげに目を細めつつ聞いていた恭也の表情は、自然に微笑に変わ

っている。

「駅まで、送ります」

 奇襲だった。聖も江利子も、前に見た恭也の営業スマイルの威力には驚いたものだった

が、今度は営業という言葉が抜けている。凛とした雰囲気が引っ込み、代わりに現れた控

えめな、しかし柔らかくあどけない少年の面影を残す微笑は、営業スマイル以上の威力だ

った。

(うわ……こんな可愛い笑顔が出来るなんて)

(は……反則にも、程ってのがあるわよ……)

 恭也の微笑を二度見る事になった蓉子は、完全に参ってしまったようだ。

(……だ、だめかも……)

 その後三人は、どこをどう歩いたものか結局あやふやなまま、恭也の先導にただ付いて

行くだけで、いつの間にか海鳴駅に着いていた。その呪縛が解けたのは、乗った電車が動

き出し、プラットホームで見送る恭也の姿が見えなくなってからである。

 

 

 

 

 

「はぁ……で、聖」

「どしたの? 江利子」

「何か、考えてる事でもあるの?」

 その話が江利子から持ち上がったのは、帰りの電車の中での事だった。〔翠屋〕での聖

の言葉を思い出して、ふと気になったのである。

「んー。一応、ある事はあるよ」

「やっぱり」

「でもね江利子、これを実行に移すには、どうしても蓉子に動いてもらわないと」

 蓉子が何を言い出すのか、という顔付きになる。

「聖、一体何をするつもりなの?」

「簡単に言ってしまえば、〔恭也さんをリリアンの学園祭にご招待作戦〕ってね」

 前に、恭也を『シンデレラ』の王子様役に出来ないものかと、口の端に上せた事を思い

出して、

(聖ったら……恭也さんを、本当に気に入ったみたいね。恋愛感情かどうかはともかくと

して)

 蓉子は軽く肩をすくめた。普段は、どちらかと言うと物事から一歩距離を置く、という

姿勢を取り続けているように見える聖だが、

(これと決めたら、ひたすら一途にのめり込む)

 そんな情熱的な一面を持っている事を、これまでの付き合いでよく知っている。彼女が

その性格故に、かつて苦い経験をした事も、今の言動がその経験に基づいている事も。そ

して恭也との出会いが、彼女のその部分に影響を与えつつあるだろう事も。

「で、この作戦を実行するのに、どうしても蓉子に一肌脱いで欲しいんだなぁ」

「私に?」

「そう、蓉子によ」

 ここで、江利子がとんでもない事を言い出した。

「聖、もしかして蓉子に、恭也さんに色仕掛けしろって、そんな事考えてるんじゃないで

しょう?」

「え、江利子! あなた、何を言ってるの!?

 思わず、江利子に向かって口調を荒げる蓉子。車内ゆえ、もちろん声音は密やかなもの

ではあったが。受け止める江利子の瞳が、面白げな光を宿している。

「うふふふ。でも、まんざらではないんじゃなくて? 抜け駆けしてまで恭也さんに会い

に行くくらいだもの、ねぇ?」

「……あのね、江利子」

 二人のやり取りを見てくすくすと笑うと、聖はおもむろにこう言った。

「江利子、いくら何でもそんな馬鹿な真似はしないし、させないよ。私が蓉子に頼みたい

のは、共犯者を誰か作ってもらいたいって事」

「共犯者?」

「そう。こっち側……〔山百合会〕じゃなくて、先生の方にね」

 つまり、こういう事だった。

 女子校であるリリアン女学園と、隣の男子校、花寺学院とは、男女別学という違いこそ

あれ、隣接している事もあって姉妹校としての位置付けがなされている。それだけに、双

方学園祭ともなると、生徒会のレベルでちょっとした交流をする事も、珍しくなかったの

だ。

 今回〔山百合会〕主催の演劇『シンデレラ』における王子役に、花寺の現生徒会長を選

択しようとしている背景には、こうした一面も存在している。

 しかし、恭也に関して言うと、そうしたつながりは全くない。聖としては、『シンデレ

ラ』を見てもらう為に一般の客として招待するのはともかく、折角だから恭也にもリリア

ンの学園祭に参加してもらおうじゃないか、そんな思惑があった。

 もっとも、厳格なカトリック系女子校であるリリアンの事、三薔薇さまのお気に入り、

というごく個人的な理由では、確実に恭也を入れてくれないだろう。

「確かにそうよね……で、蓉子に何を吹き込ませるの?」

「うん、ちょっと適当な理由をつけて、先生の誰かが私達と一緒に、海鳴大の学園祭を見

に行くように仕向けるの。高町さんの舞を実際に見てその気にさせれば、こっちのものだ

と思うんだ」

 なるほど、という顔になって、江利子がにんまりと蓉子の方を向く。もちろん、聖も同

じような表情になっていた。蓉子はひとつ溜め息を落とすと、

「……どうなるかは分からないけど、やってみるわ」

 苦笑して、首を縦に振った。

 もう少しすれば、三人の降りるべき駅に、電車が滑り込む。既に暗くなった車窓の外か

らは、住宅街特有の、きらびやかな都会のそれとは違う、つつましやかな光が過ぎていく

のが見えている。








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