「それじゃあ、おっぱじめますわよ」

 テーブルの盾の陰から店内で暴れる二体の怪物を睨みながら、キュルケが言った。

 ゲルマニアの女らしく、ルビーの瞳は好戦意欲の炎でぎらついている。そんな彼女の言葉に、殿部隊として残ったギーシュとタバサも頷いた。

「ねえ、軍師ギーシュ、まずはどうするべきだと思う?」

「そんなもの、決まっている」

 ギーシュは薔薇の造花を指先で弄びながら言った。

「まずは偵察だ。敵の情報を集める」

 ギーシュが杖を振ると、薔薇の花弁が一枚千切れ、宙に舞った。

 かと思うと、薔薇の花弁は一瞬にして青銅の甲冑を纏った戦乙女と化した。手には全長二メートルほどのショート・スピアーを持っている。ワルキューレ。ギーシュの最大の武器であるゴーレムだ。

 軍事の世界には威力偵察という言葉がある。通常、偵察任務というものは、敵に発見されないよう細心の注意を払いながら実施するものだが、威力偵察の場合は、敵と遭遇し、戦闘することを目標とする。敵の装備、部隊の練度など、実際に矛を交えることでしか分からない生の情報を得るためだ。したがって敵との間には、必ず戦闘が生じなければならない。ギーシュの口にした偵察とは、この威力偵察のことを指していた。

「まずはワルキューレを一体、あの二体にぶつけてみる。援護を頼むよ」

 ギーシュは薔薇の造花を振った。

 ワルキューレはショート・スピアーを下段に構えると、二体の怪物のもとへ突っ込んでいった。

 二体の亜人……サイクロプスとオーク鬼の反応は機敏だった。彼らはワルキューレの接近に気が付くや、ただちに迎撃姿勢へと移った。

 猪頭の亜人オーク鬼が前へと躍り出て、丸太そのものの棍棒を振りかぶる。棍棒の長さは、ゆうに二メートルはあろうか。オーク鬼の体格を考えるに、その間合は少なくとも四メートルは下らないと思われた。馬鹿正直に真正面から突っ込ませるのは、下策中の下策だろう。

 しかしギーシュは、あえてワルキューレを正面からぶつけることにした。

 これは威力偵察だ。ある程度相手からの反撃がなければ、意味がない。

 ワルキューレが、オーク鬼の間合の内へと侵入した。

 棍棒が、青銅の甲冑を叩き割るべく袈裟に振り下ろされる。

 速い。

 テーブルの陰からその運動能力を垣間見て、ギーシュは素直にそう思った。攻撃の動作に入られたら最後、自分のワルキューレの運動能力では、とてもではないが避けられない。二メートル近い棍棒は、相当な質量を持つ物体のはず。それに、あれほどの加速を与えるとは、なんという膂力か。凄まじい、の一言に尽きた。一発でも直撃をもらえば、青銅のワルキューレなどバラバラになってしまうだろう。

 ギーシュの隣で、タバサがルーンを唱え、杖を振った。

 途端、ワルキューレへと迫る棍棒の動きが止まった。

 エア・クッション。圧縮した空気の壁を何層にも重ねることで見えないクッションを形成、敵の攻撃を受け止める、風の防御壁だ。空気の壁は一枚でも飛んでくる矢をストップさせるほどの強度を有している。タバサは、それを三八枚重ねることが出来た。

 高密度で圧縮された空気の壁は、鉄のように硬い。

 何の備えもなしにそれを打撃すれば、当然、攻撃と同量のエネルギーがキック・バックする。

 突如として見えない壁に攻撃を阻まれたオーク鬼は、反発から思わず一歩後ずさった。必殺を期した一撃だけに、返ってくる衝撃も凄まじい。じぃぃん、と腕の痺れる感覚に、オーク鬼は苛立ちの雄叫びを上げた。

 その隙に、ギーシュのワルキューレはオーク鬼に挑みかかった。

 キック・バックのエネルギーで一歩退いたオーク鬼は、棍棒を振り上げたまま、胴体を前に突き出すという不自然な体勢にある。

 ワルキューレは、ショート・スピアーを中段に持ち上げるや、脂肪の塊そのものの下腹目掛けて槍を突き出した。

 脂を切り裂く手応え。

 そして、血飛沫。

 ギーシュの唇から、舌打ちの音が漏れ出た。

 致命傷ではない。派手なのは出血だけで、槍の穂先はオーク鬼の内臓までは傷つけていない。ぶ厚い脂肪の層のせいだ。脂肪が鎧の役割を果たして、致命傷を避けたのだった。

 短槍の穂先は浅い部分で止まっている。

 ワルキューレは即座に槍を引き抜くと、右へ跳んだ。

 攻撃を受けたことで怒ったオーク鬼が、棍棒を振り回す。

 棍棒が、ワルキューレのいた場所を粉砕した。

 木っ端が乱れ飛び、細かい石の破片が周辺に炸裂した。

 バーのカウンターに隠れる店主が悲鳴を上げた。

 着地したワルキューレはそのままオーク鬼の脇をすり抜けると、次いで待ち構えていたサイクロプスに挑みかかった。

 サイクロプスの反応は早かった。正面から突っ込んでくるワルキューレに対し、鉄拳を振り下ろす。

 しかし、その一撃はワルキューレには当たらなかった。

 タバサがエア・クッションを展開したから、ではない。

  攻撃がやって来るとギーシュが察したその刹那、ワルキューレが身を屈めながら左に跳び、攻撃を避けたためだ。

 ギーシュは思わず冷笑を浮かべた。

 サイクロプスの反応は、たしかに早い。攻撃に移るまでの動作も機敏だ。しかし、攻撃そのものはそこまで速くはない。ワルキューレの運動能力でも、十分対処可能なレヴェルだった。

  サイクロプスの鉄拳をかわしたワルキューレは、そのまま前に踏み込むや、伸びきった巨人の右腕を槍で叩いた。

 硬い。

 鉄を叩いたかのような手応えが、ワルキューレの手からギーシュ自身の手へと伝わってきた。

 打撃点が悪かったのか。

 サイクロプスに、ダメージを負った様子はない。

 ギーシュは諦めずに、ワルキューレにさらなる打撃を加えるよう命令を下した。

 青銅の戦乙女は、すれ違いざまの一瞬の間に、サイクロプスの右腕を二度三度と殴打する。その度に、鉄を叩くような手応えと反動がワルキューレの両手を揺さぶった。サイクロプスにダメージは見られない。それならば、とギーシュはワルキューレを一つ目巨人の背後に回り込ませた。

 背面はおよそすべての動物にとっての弱点だ。たとえば人間も、『下手な鍼師には背中を打たせるな』と言われるように、背中の肉の層は薄い。

 ワルキューレは、背後の一点に標的を見定めるや、思いっきり槍を突き立てた。膂力のみならず、腰の力を始めとする全身の運動能力を、ただ一点を貫くために集中した一撃だった。

 槍の穂先が、サイクロプスの皮膚に触れた。

 その瞬間、ガキィィン、と甲高い金属音が鳴った。

 「なっ」と、ギーシュの口から、思わず唖然とした悲鳴が漏れる。

 サイクロプスの背中に槍を突き込んだその瞬間、穂先の尖端が、バキバキ、と欠けてしまった。まさしくサイクロプスの肌は、鉄の鎧だった。

 背後からの攻撃に応じて、サイクロプスが振り返る。

 振り向きざま、一つ目巨人は長い両腕を鞭のように振り抜いた。

 轟。

 風の嘶き。

 ワルキューレは咄嗟に後ろへと跳び退く。

 巨人の腕が眼前を横切ったかと思うと、風圧が、青銅の甲冑をきりもみした。

 直撃こそ免れたものの、姿勢制御の困難な空中での加速だ。ワルキューレの体はバランスを崩し、床に叩きつけられてしまった。そこを、棍棒を持ったオーク鬼が狙った。

 一トン近い巨体が跳躍し、落下の加速を上乗せして、丸太そのものの棍棒が振り下ろされる。

 圧砕。

 今度は、タバサのエア・クッションも間に合わなかった。

 青銅造りのワルキューレは圧倒的な暴力の前にひしゃげ、その活動を停止させた。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:31「熱風」

 

 

 

 ワルキューレは破壊されてしまったが、その成果は上々といえた。

 青銅の戦乙女を送り込んだ理由は威力偵察。実際に矛を交えることでしか得られない情報を入手するのが目的だ。二体の怪物との戦いを通して得られた結果に、ギーシュは満足げに頷いた。

 オーク鬼とサイクロプスは、ともに巨躯とパワーに恵まれている。しかし、その戦力にはそれぞれ特徴が見受けられた。オーク鬼はパワーに加えて俊敏さも併せ持ち、何より棍棒という武器を使っているためリーチが長い。しかし、その身はワルキューレの槍が通用する程度には脆弱だ。分厚い皮下脂肪の層さえどうにかすれば、勝機はある。

 一方、サイクロプスの動きはそれほど速くはない。ワルキューレと同等の身体能力があれば、背後を取ることも容易だろう。しかし、そんな欠点を補うかのようにその身は硬い。金属の槍が歯が立たなかったくらいだ。ちょっとやそっとの魔法では、致命傷はおろか傷一つつけられないだろう。また、いくら動きが遅いといっても、それはあくまでワルキューレと比較して、だ。普通の人間と比べれば、その身体能力は卓越している。

 リーチとスピードのオーク鬼。

 防御力のサイクロプス。

 偵察による情報収集は終わった。次は、この二体を倒すための作戦を考え、実施する段階だ。

 古来より、戦いの原則に大きな変化はない。

 すなわち、一部を以って敵を拘置し、主力を以って目的を果たす。敵戦力の分断と、各個撃破だ。

 ギーシュはキュルケとタバサに声をかけた。

 この頃になると、オーク鬼とサイクロプスも、さすがに三人の居場所に気付いていた。

 二体の巨人は、足下に転がっている物を手当たり次第に拾っては投擲した。

 テーブル程度の盾では堪えられるはずもなく、三人の会話は移動しながらのものとなった。

「あの二体を同時に相手取るのは得策じゃない」

「その意見には賛成だけど!」

 新たな遮蔽物として選んだバーのカウンターに滑り込みながら、キュルケが杖を振った。

 ファイアボールの炎球が杖から飛び出し、サイクロプスに命中する。直撃弾。しかし、一つ目の巨人は、けろり、として、投擲による射撃を続行した。サイクロプスの投げた椅子がバーカウンターに置かれた金の置物を薙ぎ倒す。同じく、カウンターの陰に隠れる店主が泣きながら悲鳴を上げた。

「どうやってあの二体を分断するつもり? また、誰かが囮になるっていうの?」

「そうだ」

「正気?」

 迷うことなく頷いてみせたギーシュに、キュルケは呆れた表情を向けた。

「こっちはただでさえ戦力を分けて、三人しかいないのよ? その上で、また一人囮になれって? これ以上の戦力分散は自殺行為よ。……そもそも、誰を囮するつもり?」

「なあ、きみたち」

 ギーシュはキュルケの言葉には応えず、二人の顔を交互に見た。

「正直に答えてくれ。きみたち、ドットじゃないだろ?」

 ギーシュの問いに、キュルケとタバサは眉をひそめた。

 ドット。この修羅場において、その言葉が意味するところは、一つしかない。すなわち、メイジの格を意味する言葉だ。

 キュルケは美貌に険を浮かせながら、ギーシュに言う。

「言ってることの意味が、よく分からないわ」

「僕は正直に答えてくれ、と言ったんだけどな」

 ギーシュは苦笑を浮かべた。

「破壊の杖事件のとき、おかしいとは思ったんだ。先生達の話によれば、僕達の期にライン以上のメイジはいない。けれど、破壊の杖事件のときにきみたちが使っていた魔法は、明らかにドットの威力じゃなかった。きみたち、ランクを偽っているな?」

「…………」

「ここで聞いたことを、先生達に言うつもりはないよ。ランクを偽ったところでメリットは少ない。それでも、あえてそうするということは、それなりの理由がある、ということだろう? 僕はその理由についてまで訊くつもりはない。だから、隠さずに教えてくれ。きみたちは、メイジのランクを偽っているんだろう?」

「ええ、そうよ」

 キュルケは溜め息をつきながら、諦めたように頷いた。「まさかギーシュにばれるなんてね」と、頭を掻きながら呟く。

 キュルケはそれから、タバサと視線を交わした。タバサは自分の身の丈ほどもある杖を握り締めながら、小さく頷いた。

「もう隠す必要もないから白状するけれど、わたしと、この娘は、トライアングル・クラスのメイジよ」

「トライアングル!」

 ギーシュは驚きの声を発した。

 目の前の二人がメイジのランクを偽っていることは薄々気付いていたが、せいぜいライン・メイジだと思っていた。しかし、それがトライアングルとは……。ギーシュは驚きを隠すことなく唸った。

 また同時に、彼は得心した様子で頷いた。キュルケもタバサも、自分とそう変わらない年齢だ。自分とそう変わらないということは、魔法学院の生徒全員とも大差ない年齢であることを意味している。自分達と同じくらいの若さで、トライアングル・クラスのメイジであることが発覚すれば、いらぬ嫉妬を寄せかねない。事実、魔法学院には、かつて高すぎるメイジの才能を妬まれ、陰湿ないじめに発展した例がいくらでもある。二人が自らのランクを隠しているのは、そうした事態を避けるためなのかもしれなかった。

 二人がトライアングル・クラスのメイジだったことに対する衝撃は、ギーシュの中ですぐに消化された。

 いまは驚くよりも、あの二体を倒すことの方が先決だ。

 ギーシュはキュルケとタバサに訊ねた。

「トライアングルが二人掛かりなら、オーク鬼だろうが、サイクロプスだろうが、相手が一体なら楽勝だろう?」

「自分が囮になるつもり?」

 タバサは、ギーシュの問いに対して、逆に質問を投げかけた。

 ギーシュは曖昧に微笑んだ。

「トライアングル二人、ドット一人のパーティだ。囮になるのがドット一人なら、戦力の低下は最小限で済む」

「あの二体は強力。手を打ち間違えたら、あなたは死ぬ」

「なら、そうならないうちに、そっちの方を手早く片付けて、助けにきてくれ」

 ギーシュは微笑した。ケティを始め、数々の女の子を虜にした、魅力的な笑みがそこにはあった。

 ギーシュはいたずらっぽい口調で言う。

「もっとも、きみたちが駆けつける前に、僕が倒してしまうかもしれないけどね」

「言ってくれるじゃないの」

 ゲルマニアの女丈夫は笑った。途方もない自信と、余裕に満ちた笑みだった。

「トライアングル二人が揃えば、あの程度の敵は瞬殺よ? すぐにあなたを助けてあげる。……あなたの見せ場なんて、ないんだから」

「期待しているよ」

「あなたはオーク鬼を店の外に誘い出して」

 タバサが静かに言った。

 サイクロプスにワルキューレの武器は通用しない。ワルキューレが通用しないということは、ギーシュにはサイクロプスを倒す手段がない、ということだ。サイクロプスにしてみれば、ギーシュは脅威度の低い敵ということになる。どんな餌を用いるにせよ、ギーシュの誘いに乗る公算は低いだろう。

 他方、ワルキューレの攻撃が通用したオーク鬼にしてみれば、それを操るギーシュは、脅威度の高い敵ということになる。誘いに乗る公算は高いといえた。

 タバサの言葉にギーシュは頷くと、

「任せてくれ」

と、誇らしげに胸を張って、薔薇の造花を振った。

 花弁が、舞い落ちる。一枚。二枚。三枚。四枚。五枚。六枚……計六体のワルキューレが出現した。

「ほら、お前の相手はこっちだ!」

 ギーシュは遮蔽物のカウンターから飛び出すと、オーク鬼に向けて全ワルキューレを突撃させた。

 サイクロプスは無視し、とにかく、オーク鬼を狙う。

 群がる青銅の戦乙女達に、オーク鬼は鬱陶しいとばかりに棍棒を振り回した。その攻撃は、やはり速い。しかし、敵の数が多いせいか、狙いが定まっていない。まさしく乱れ打ちだ。回避するのは容易だった。

 新たに召喚されたワルキューレ達は、槍ではなく剣と盾で武装していた。

 彼女達はオーク鬼を包囲すると、攻撃を掻い潜りながら代わる代わる斬りかかっていった。

 包囲した敵に対して一度に飛びかるのは同士討ちの危険がある。しかし、連続して襲いかかれば、同士討ちの危険を少なく出来る上、敵の注意を常に多方向へ向けさせることが出来る。

 前かと思えば後ろ。

 右かと思えば左から。

 敵に休む暇を与えず、次々と、代わる代わる、青銅の戦乙女達はオーク鬼の巨躯へと殺到する。

 絶え間なく次々と襲い来る斬撃の嵐の中に放り出されたオーク鬼の体には、徐々に裂傷が増えていった。まさしく、蝶のように舞い、蜂のように刺す攻撃陣だった。

 もっとも、この蜂の一刺しは、オーク鬼に対して致命打になりうるほどの威力はない。分厚い脂肪の鎧に阻まれて、斬撃はすべて浅い傷に留まっている。

 しかし、オーク鬼を店の外へと誘い出す分には、浅い傷で十分だった。

 浅い傷の蓄積は、オーク鬼の体力と神経をすり減らし、苛立ちを募らせる。そして苛立ちは、この亜人から正常な判断能力を奪っていく。

 頃合良しと見たか、ギーシュは薔薇の杖を振って、ワルキューレ達に新たな命令を下す。

 直後、ワルキューレの一体にオーク鬼の棍棒が炸裂した。

 圧倒的な運動エネルギーの衝撃に、青銅の甲冑はたちまち変形し、ゴーレムとしての機能も停止する。

 完璧だった包囲の円環に、乱れが生じた。

 ワルキューレ達は包囲の輪を解くや、一団となってオーク鬼と対峙した。

 対するオーク鬼は、雄叫びを上げながら自らの胸を叩いた。ドラムリングだ。本来は威嚇行動の一種だが、ゴリラなどの中には、極度の興奮状態に陥ってときにも同様の行動を示すことがある。苛立ちながら放った一撃がようやく命中し、小うるさいワルキューレの一体を沈黙させたことがよほど爽快だったのか。いまのオーク鬼もまた、激しく興奮した様子で、ドラムリングを続けた。

 その威嚇行動に危険な匂いを感じたか、ワルキューレ達は一目散に逃げ出した。

 店の外へ。

 ギーシュも、その後に続く。

 興奮のあまり冷静さを欠いたオーク鬼は、目の前の獲物を逃すまい、とその後を追った。

 

 

「うふふ、三流役者にしては上出来ね」

 サイクロプスが破壊し、たったいまギーシュ達が出て行った店の出入口を見て、キュルケは薄く笑った。

 三流役者の大根芝居のおかげで、オーク鬼は店内から消えた。

 次は、主演女優が大立ち回り演じる番だ。

 キュルケは立ち上がると、優雅に髪をかき上げ、杖を掲げた。

 続いて、もう一人の主演女優も杖を握り締め、立ち上がる。静かなる瞳には、戦いに向けた意欲が滾っていた。

「それじゃタバサ、脇役が作ってくれた花道を歩くとしましょ?」

 キュルケは隣に立つタバサに軽くウィンクを投げると、ルーンを唱え、杖を振った。

 “炎”と、“炎”。“炎”の二乗。

 ファイア・ボールよりも巨大な炎球が発生し、サイクロプス目掛けて発射される。フレイム・ボールの魔法だ。直径一メートルになんなんとする炎の塊が、一つ目巨人に襲いかかる。

 ファイア・ボールがサイクロプスの鉄の皮膚に通用しないのは証明済みだ。では、“炎”の系統を二乗して威力を上げたフレイム・ボールならばどうか。

 大気を焦がしながら進む炎の塊を、サイクロプスは横に跳んで避けようとした。

 しかし、炎球は糸で繋がれているかのように、逃げる一つ目巨人を追尾した。

 炎の塊が、濃緑色の脇腹に炸裂する。サイクロプスの口から、苦悶の絶叫が上がった。

 その光景を見て、キュルケの唇からは舌打ちが漏れる。悲鳴は上がった。しかし、それだけだった。キュルケの視線の先で、サイクロプスは、けろり、としていた。炎球が直撃した脇腹には、火傷一つ見られない。どうやら悲鳴は、攻撃に驚いて発したものらしかった。

「ラインの火力でも駄目、か……」

 苛立ちを孕んだ呟き。しかし同時に、その声には自信と余裕がなお凛然と宿っている。ゲルマニアの女は、まだ勝負を諦めていなかった。

 キュルケ達の存在に気が付いたサイクロプスが、猛然と迫る。

 一箇所に留まっているのは危険だ。たちまち、一つ目巨人の圧倒的なパワーの餌食になってしまう。

 二人はカウンターを飛び出すと、威力は低いが速射性の高い小さな魔法で、その接近を牽制した。

 呪文詠唱中のメイジは、親から見捨てられた赤ん坊と同じくらい無力で、無防備な存在だ。ゆえに、メイジは使い魔やゴーレム、人間の兵士などを周りに置いて、自分の身を守らせながら魔法を使う。

 しかし、戦場では時として、周りに護衛を置けない状況に陥ることもある。そうした場合、メイジにとって何より重要なのは間合だ。敵を決して近付けない。近付けさせない。近付かれたら最期、呪文詠唱中の無防備なところを衝かれ、たちまちやられてしまう。

 いままさにそのような状況に置かれているキュルケとタバサは、サイクロプスとの間合に気を配りながら店内を走り回った。

 ファイア・アンド・ムーブメント。一箇所に留まることなく常に移動し、優位なポジションを確保、射撃する、歩兵戦術の基本だ。二人の戦い方は、まさしく現代の歩兵戦術を地で行くものだった。

 酒場は阿鼻叫喚の坩堝と化していた。二人が逃げ回れば逃げ回るほどに、サイクロプスは激しく暴れて、店の床や壁が破壊していった。対する二人の反撃も、店の内装を容赦なく破壊していった。店主の悲鳴が何度も上がったが、気にしている暇はなかった。

「サイクロプスの体に、生半可な攻撃は効かない」

 エア・ハンマーの魔法でサイクロプスの動きを牽制しながら、隣を走るタバサが言った。

 空気の鎚がサイクロプスの向こう脛を叩くが、一つ目巨人は構わず突っ込んでくる。ダメージはおろか、痛みさえ感じていない様子だった。

 しかし、タバサは表情を変えずに続ける。少女の額には、冷や汗一つ浮いていない。

「でも、サイクロプスの体にも、鉄の皮膚が覆っていない場所がある。そこが狙い目」

「それは……」

「一つ目。それから、口の中」

 タバサのひんやりとした声が、キュルケの耳朶を撫でた。

 キュルケは妖艶に微笑んだ。

「要するに、頭ってことね」

 弱点が分かったとはいえ、問題はまだある。サイクロプスは一つ目の巨人だ。たった一つしかない大切な目を守る瞼が、鉄の皮膚でないはずがない。目を閉じられたら最後、こちらの攻撃は通用しない。また、自分達が望むように、都合よく口を開けてくれるとも限らない。

 しかし、それでいてなお、キュルケは笑った。

 ゲルマニアの女は、勝利の確信を、自らの手の内に感じていた。

 キュルケとタバサは目配せすると、同時に立ち止まった。

 サイクロプスを睨みつけるや呪文を詠唱、先に詠唱を終えたキュルケが、巨人の頭部目掛けてファイア・ボールを放つ。

 サイクロプスは、迫り来る炎球を両腕をクロスしてガードした。

 腕の盾に阻まれ、火の粉が弾け散る。

 自らの放った炎球の末路を見届けたキュルケは、しかしニヤリと笑った。

 頭部を狙った攻撃に対して、サイクロプスはガードという防御行動を取った。これまで、こちらの放つ如何なる攻撃にもデフェンスらしい反応をまったくしなかった一つ目巨人が、だ。

 やはり、サイクロプスの弱点は頭部に集中している。そしてそのことを、サイクロプス本人も自覚している。キュルケは確信した。

 タバサが詠唱を終えた。

 “風”、“風”、“水”。“風”の二乗に加えて、水が一つ。

 空気中の水蒸気が凍りつき、何十本もの氷柱の矢となって、四方八方からサイクロプスに襲い掛かった。タバサの得意魔法、ウィンディ・アイシクルだ。

 氷の矢には、サイクロプスの鉄の皮膚を貫くほどの威力はなかった。命中するなり、次々と砕け散っていった。

 しかし、何十本もの矢の包囲と集中は、サイクロプスから軽快なフットワークを奪った。

 一つ目巨人が身動き取れないその間に、タバサは、続けて呪文の詠唱を開始する。大きな魔法を使った直後、間を置かぬ連続詠唱だ。少女の額には、玉のような汗の雫が浮かんでいた。

 タバサが呪文の詠唱を開始すると同時に、キュルケが動いた。

 彼女は、すらり、と長い下肢を動かして、厨房に滑り込んだ。

 調理用の油で満たされた瓶を引っ掴むや、サイクロプスの頭上目掛けて放り投げる。

 女の細腕による投擲だ。当然、飛距離は伸び悩む。しかしそこに、一陣の風が吹いて、瓶の飛翔を後押しした。タバサが送り込んだ風だ。

 油の入った瓶はサイクロプスの側頭部に炸裂した。当然、鉄の皮膚に、運動エネルギーによるダメージはない。

 硬い頭部にぶつけられて、ガラスの瓶が割れた。中の油が、盛大にぶちまけられる。サイクロプスの頭部は、油塗れになった。粘性の油が目に入ったか、サイクロプスは苦悶の声を上げながら目を瞑った。

 キュルケはそれを見て楽しげに笑った。豊満な胸の間に挟んでおいた杖を、色気たっぷりに引き抜く。

 カウンターの陰から恐る恐る顔を出す店主の表情が、硬化した。ぶちまけられた油と、“火”系統のメイジ。この先の展開を予想して、「やめてくれ!」と悲憤の声を上げた。

 店主の悲痛な叫びは、キュルケの耳には届かなかった。

 ルーンを唱え、杖を振る。

 小さな火種で十分だった。直径僅か数センチほどの炎の球が杖から飛び出し、目を閉じてのたうつサイクロプスの後頭部に命中した。

 ぶわっ、と炎が燃え広がった。

 頭部だけでなく、床に零れ落ちた油にも炎は引火し、サイクロプスはたちまち炎に飲み込まれた。

 炎の熱は閉ざされた瞼の僅かな隙間にも侵入した。眼球にこびりついた油が引火し、サイクロプスは、ついに痛みからくる絶叫を上げた。眼球を焼かれる凄絶な痛みに、急速に水分を奪われる壮絶な苦痛に、一つ目の巨人はのたうち回った。口を開けて、悲鳴を発した。その大口目掛けて、キュルケは今度こそと、特大のフレイム・ボールを発射した。さらにタバサも、杖を振って魔法の弾丸を発射した。ウォーター・バレット。“水”系統の攻撃魔法だ。水の弾丸を高圧で撃ち出すという、初歩的な魔法である。

 水の弾丸が、サイクロプスの口内に侵入した。

 油は、サイクロプスの口の中にも侵入していた。

 文字通りの炎の舌に舐められ、水の弾丸はあっという間に蒸発・分解される。サイクロプスの口の中は、酸素ガスと、水素ガスで満たされた。そこに、フレイム・ボールが叩き込まれた。

 水素ガスに、炎が引火する。

 水素が燃焼するときには、巨大なエネルギーが発生する。そのエネルギー量は、同量のメタンガスが燃焼した際の二・五倍もの出力とされる。

 サイクロプスの頭が、爆発した。

 頭部を失ったサイクロプスの身体が、ドスン、と倒れ込む。

 鉄の首輪が、床を転がった。

 店主の悲鳴が、キュルケ達の耳膜を叩いた。

 

 


<あとがき>

 店主の嘆きは、天には通じなかったとさ。

 読者の皆様、おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。今回もゼロ魔刃をお読みいただき、ありがとうございました。

 今回の話は、『キュルケ&タバサ VS サイクロプス』の戦闘をメインに書きました。鉄壁の防御を誇るサイクロプスを相手に、二人はどう知恵を駆使して戦うのか。ちょっとでもワクワクしていただけたのであれば、これに勝る喜びはありません。

 さて、次回は『ギーシュ VS オーク鬼』です。サブタイはその名も『青銅』。メイジとしても、そしてまた戦士としてもキュルケとタバサに劣るギーシュが、強力なオーク鬼を相手にどう戦うのか。欠片ほどの期待でも抱いていただければ、幸いです。

 ではでは〜

 

<今回の強敵ファイル>

サイクロプス

柳也を基準とした戦闘力

攻撃力 防御力 戦闘技術 機動力 知能 特殊能力
D

主な攻撃:怪力を活かした肉弾戦、投擲

特殊能力:なし

 永遠神剣第七位〈隷属〉の契約者である謎の男に使役される一つ目の巨人。身の丈四メートル、体重は一トン近い亜人で、一つ目と、濃緑色の皮膚が外見上の特徴。単眼ながらその視界範囲は広く、首を回さずとも左右八〇度の範囲をカヴァー。その視力は、特に遠近の距離感の把握能力に優れている。また、もう一つの特徴たる濃緑色の体表は鉄の強度を誇り、メイジの魔法さえ寄せ付けないほどの防御力を有している。唯一にして最大の武器は、オーク鬼の集団を圧倒するほどの怪力。

 これといった特殊能力を持たず、また光線などの間接攻撃の手段を持たないため、搦め手や射撃戦に弱い。しかし、その圧倒的なパワーと防御力を十全に活かすことの出来る正面きっての戦闘では、無類の強さを誇る。シクレー集団のオーク鬼は勿論、トライアングル・メイジのキュルケとタバサでさえ苦戦を強いられた。柳也とは直接戦っていないが、神剣士とはいえ、悠人やアセリアほどの重い一撃を持たない彼も、苦戦は免れられないだろう。

 弱点は鉄の皮膚が覆っていない眼球と、体内への直接攻撃で、これらの弱点が集中している頭部を最優先で守ろうとする習性がある。

 元ネタはギリシア神話に登場する一つ目の巨人、サイクロプス。但し、原典のサイクロプスには鉄の皮膚云々の記述はなく、この防御力についてはタハ乱暴の付与したオリジナルの設定である。また、この鉄の皮膚設定にも、参考にしたものがある。〈殲滅〉の泥人形のときにも参考にさせてもらった「ウルトラマン」だ。より厳密に言えば、「帰ってきたウルトラマン」に登場する怪獣ブラックキングを参考にした。地球侵略を目論むナックル星人が使役した怪獣で、その表皮はウルトラマンジャックの必殺技をことごとく跳ね返した。キュルケのファイア・ボールを両腕をクロスして防いだシーンは、同じく両腕をクロスしてスペシウム光線を弾いたブラックキングへのオマージェである。

 

原作では:原作に登場せず




キュルケとタバサの攻撃で何とか撃退できたか。
美姫 「上手い戦い方よね」
確かにな。しかし、心配なのは囮役を買って出たギーシュの方なんだけれど。
美姫 「そっちはどうなっているのかしらね」
次回が気になるところです。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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