ルイズは夢を見ていた。

 記憶の断片を繋ぎ合わせた空想の物語ではない。

 それは過去に実際に起こった出来事の再演だった。

 夢の中でルイズは、六歳の幼い頃に戻っていた。

 トリスティン魔法学院から馬で三日ほどの距離にある、生まれ故郷のラ・ヴァリエールの領地にある広大な自邸。屋敷の中庭には迷宮のような植え込みが広がっており、幼いルイズはその陰に隠れ、追っ手の追跡を必死にかわしていた。二つの月の片一方、赤の月が満ちる夜のことだ。

 ルイズは自分を叱る母親と、母親が差し向けた召使い達から逃げていた。夢の中のルイズは、出来の良い姉達と魔法の成績を比べられ、母親から物覚えが悪いと叱られていた。その厳しい叱責に耐えられず、ルイズは母親の目の前から逃げ出したのだった。

「ルイズお嬢様は難儀だねぇ」

「まったくだ。上の二人のお嬢様はあんなに魔法がおできになるっていうのに……」

 自分を探す召使い達の声に、ルイズは泣きそうになった。

 しかし、幼心にも抱いた貴族としてのプライドが、涙を流すまいとさせる。

 悲しさから、悔しさから、ルイズは歯噛みしながら逃走を続けた。

 やがてルイズは、彼女自身が秘密の場所と呼んでいる、中庭の池へと向かった。

 あまり人の寄り付かない、うらぶれた中庭だった。池の周りには季節の花々が咲き乱れ、寂れた場所にも僅かながらの華を添えている。池の中央には小さな島があり、そこには白い石で造られた東屋が建っていた。今日の天候のせいで、中庭の島には薄っすらと霧がかかっている。

 島のほとりに、小船が一艘浮いていた。舟遊びを楽しむための小船だ。

 しかし、いまではもう、この池で舟遊びを楽しむものはいない。姉達はそれぞれ成長し、魔法の勉強で忙しかったし、軍務を退いた地方の領主の父は、近隣の貴族との付き合いと狩猟以外に興味はなかった。母は、娘達の教育と、その嫁ぎ先以外、目に入らない様子だった。少なくとも、この頃の幼いルイズにはそう見えた。

 忘れさられた中庭の池は、ルイズが唯一安心出来る場所だった。この池と、そこに浮かぶ小船を気に留める者は、この屋敷にはルイズ以外にいない。彼女は叱られると、決まってこの中庭の池に浮かぶ小船の中に逃げ込んだ。

 幼いルイズは小船の中に忍び込むと、用意してあった毛布に潜り込んだ。

 そのまましばらくじっとしていると、やがて霧の中から、マントを羽織った少年が一人、ルイズの前に現われた。

 貴族の少年だ。齢は一六かそこらか。すらり、とした長身。藍色の衛士服。羽根飾りのついたつばの広い帽子を被っている。

「泣いているのかい、ルイズ?」

 少年が、声を掛けてきた。

 帽子の陰から、端整な顔立ちの甘いマスクが覗いている。

 子爵だ。最近、近所の領地を相続した、年上の貴族。夢の中のルイズは、ほんのりと胸を熱くした。頭の中で、いくつもの感情が乱れ飛ぶ。憧れの子爵。晩餐会をよく共にした。そして、父と彼との間で交わされた約束……。夢の中のルイズは、顔を赤くした。

「子爵さま、いらしてたの?」

 幼いルイズは慌てて顔を隠した。みっともないところを、憧れの人に見られてしまった。このまま消えてしまいたいくらい恥ずかしかった。

 そんな幼い貴族の態度に、憧れの子爵は柔和な笑みを向けた。

「今日はきみのお父上に呼ばれたのさ。あのお話のことでね」

「まあ!」

 ルイズはさらに頬を染めて俯いた。

「いけない人ですわ。子爵さまは……」

「ルイズ。ぼくの小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?」

 おどけた調子で、子爵は言った。

 夢の中のルイズは、かぶりを振った。

「いえ、そんなことはありませんわ……。でも……。わたし、まだ小さいし、よくわかりませんわ」

 「結婚のことなんて……」と、呟いて、ルイズははにかんだ。

 帽子の下の顔が、にっこり、と笑った。

 そっと手を差し伸べてくる。

 ルイズは差し出された右手を見つめた。

 幼いルイズには、少年の手はとても大きなものに映じた。憧れの手だった。

「子爵さま……」

「ミ・レィディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって。もうじき晩餐会が始まるよ」

「でも……」

「また怒られたんだね? 安心しなさい。僕からお父上にとりなしてあげよう」

 ルイズは頷いて、立ち上がった。

 その手を取ったところで、不意に、彼女の視界が暗闇に閉ざされた。

「……え?」

 ルイズは思わず当惑の声を発した。

 視界が奪われただけでなく、聴覚、嗅覚といった他の五感の機能も、急速に衰えていく。

 人間は一度の睡眠の間に何回もの夢を見ている。翌朝の記憶に残っているのはそのうちのごく限られた回の内容だけで、実際にはそのほとんどが記憶に残らない夢ばかりだった。どうやら、この夢はここで終わりらしい。

 再び視界を取り戻した時、まずルイズが目にしたのは広い背中だった。

 オリーブドラブの奇妙な服に包まれた、大きな背中。

 自分を守ってくれる、強い背中。

 桜坂柳也。

 異世界からやって来たという、奇妙な男。

 平民のくせにプライドが高くて。

 平民のくせにやたら意地っ張りで。

 平民のくせに無茶ばかりする、優しい男。

 自分のゼロの由来を聞いても、笑わなかった男。

 破壊の杖事件では、命がけで自分を守ってくれた。窮地に陥った自分を、何度も助けてくれた。頼もしい背中。いつの間にか、頼りにしていた背中。

 ルイズは自然と、目の前の背中に手を伸ばした。

 指先が触れる。熱い。軍服の生地越しにも拘らず、火傷しそうなほどに熱かった。その熱が、ルイズには頼もしく思えた。

 男が首だけ動かして振り向き、莞爾と微笑んだ。

 決してハンサムな顔立ちではない。だが、屈託なく笑う男の微笑を眺めるうちに、ルイズは胸の奥が温かくなっていくのを自覚した。

 幼い頃、憧れの子爵と会った時に感じた、あの胸の熱と、同じ温もりだった。





永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:21「悪夢」





 桜坂柳也は夢を見ていた。

 記憶の断片を繋ぎ合わせた空想の物語ではない。

 それは過去に実際に起こった出来事の再演だった。

 二〇〇五年六月二二日。

 柳也がまだ、中学二年生だった日の出来事だ。それは、決して記憶の中から忘れ去ることの出来ない事件だった。

 事件の間接的な原因は虐めだった。

 しらかば学園の生徒で、柳也より一つ年下の弟分の哲夫が、クラスの同級生達から虐めの被害に遭った。原因は今もって分からない。おそらくは思春期特有の、鬱屈した暗い情動のはけ口に、親のいない彼が使われたのだろう。

 虐めの手段は様々だった。暴力と恐喝。自分達の代わりに万引きをさせたこともあれば、クラスの女子生徒の下着を盗まさせられたこともあったらしい。裸に剥かれて写真を撮られたり、小便をかけられるのは日常茶飯事だったという。いちばん酷かった暴力は、体育マットで簀巻きにされた状態のまま、自転車で体当たりをかまされたことだった。顔面を血だらけにして施設に帰ってきた弟分を見て、柳也はようやく虐めの実態を知った。

 翌日、柳也は哲夫を虐めていたグループを呼び出し、報復した。虐めのグループは男女合わせて五人いたが、当時十四歳だった柳也はすでに一七五センチの長身で力も強く、あっという間に五人を病院送りにした。これが、事件を起こした直接の原因だった。

 哲夫を虐めていた一人の高校生の兄が、仕返しにと、今度は柳也を狙った。それも、大勢の仲間を連れて。

 件の高校生は不良で、ほとんどやくざの予備軍のような奴だった。彼はトルエンをやっており、その繋がりで何人もの仲間がいた。その中には暴力団の団員もいた。高校生の不良グループを、チンピラがいいように扱っているという組織だった。後で元警官の柊園長に聞いたところ、さして珍しい形態の組織ではないらしい。

 二〇人近い年上の男達に囲まれて、柳也はリンチに遭った。

 さしもの柳也も、数の暴力には敵わない。それに連中は、みな大なり小なりの武装をしていた。四人倒したところで、袋叩きにあった。ズタズタに叩きのめされた柳也を、連中はバイクに乗せた。跨った男と背中合わせにロープで縛り付けられ、カーブごとに何度も左右に揺さぶられた。暴走族がよくやるリンチで、柳也は二十キロ付き合わされた。

 リンチが終わった後、柳也は哲夫以上に顔面を血だらけにしていた。

 身体には力が入らず、指一本動かすのも辛い状態だった。

 だが、柳也の心はまだ屈していなかった。

 柳也は炯々と輝く眼光で、相手を睨みつけた。

 その目つきが気に障ったか、周りから大西と呼ばれている男が、もう一度柳也をバイクに縛り付けた。今度は、五十キロ付き合わされた。

 それでも、柳也は睨むのを止めなかった。

「殺しちまえ!」

 剣呑な声が響いた時、助けがやって来た。一人。それは、警察でも、柊園長でもなかった。自分の、親友だった。

「……お前達、僕の友人に、何をしてくれているんだ?」
 
 銀髪の少年は、端整な顔を禍々しく歪めて言い放った。

 それから、瞬は自分を助けるためにリンチの輪の中に飛び掛った。二人倒して、そこで袋叩きにあった。ズタズタに叩きのめされた瞬を、連中はバイクに乗せようとした。

 柳也は痛む身体を必死に起こして、運転手の男を殴った。

 とうに空っぽの身体だった。体力なんててんで残っておらず、怪我の方も深刻だった。しかし、バイクに乗せられた瞬を見た時、なんとしても助けなければ、と思った。そう思ったら、身体に力が湧いてきた。

 柳也は殴った。殴り続けた。連中の持っていた金属バットを奪い取り、思いっきり振り回した。

 瞬も殴った。殴り続けた。一枚看板を背負っていけるだけの甘いマスクを朱色に染めながら、目の前の敵を殴り続けた。

 そして――――――――――

 そして、気が付くと二人は、冷たいコンクリートを背に、仰向けに寝転がって朝日を眺めていた。

 結局、柳也と瞬は連中にコテンパンに伸された。

 二人で十二人倒したところまでは覚えていたが、それ以降は一方的にやられるばかりで、辺りは血と、自分達の吐瀉物とで、とんでもないことになっていた。

「おい。瞬……」

 血まみれの顔面のまま、腫れた顎を必死に上下させて、柳也は隣で倒れる親友に言った。

「どうして、助けに来た? こいつは、俺の喧嘩だぜ? 暴力には暴力が返ってくる。テメェの馬鹿な行いが招いた、当然の報いだぜ?」

「……友達を助けるのに、理由が必要か?」

 瞬は激しく咳き込みながら言った。

 親友らしからぬシンプルな答えに、思わず笑みがこぼれる。

 瞬は透明な朝の日差しを仰いぎながら続けた。

「助けたいと思った。だから、助けようとした。それだけだ。……結局、助けられなかったが」

「へへっ……清々しいくらいにボロ負けだなぁ。俺達」

 柳也は莞爾と微笑んだ。横隔膜を動かした拍子に、ごほごほ、と咳き込む。血の滲む唾が、唇からだらしなく糸を引いた。

「瞬……その……あれだ。……助けに来てくれて、サンキューな。お前が来てくれた時、かなり、嬉しかった」

 照れくさそうにほろ苦く笑って、夢の中の柳也は言った。

 連中の一人が殺害をほのめかす言葉を口にした時、真実、死を予感した。恐怖はなかった。しかし、自分はこんなところで死ぬのかと思った途端、途方もない孤独感にさいなまれた。死への恐怖よりも、こんなことで一人死んでいく己の孤独を呪った。そんな時に、目の前の親友はやって来た。自分を助けるために、やって来てくれた。嬉しかった。泣きそうなくらい嬉しかった。いや実際に泣いて友の来訪を喜んだ。この上ない嬉しさが、腹の底からこみ上げてきた。

 柳也は瞬を見た。

 瞬は、いつもの無愛想な表情のまま、自分を見ていた。

「貸し一つだ。今度、虎屋の羊羹でも奢れ」

「おいおい。俺が万年金欠なの、知ってるだろう?」

「ああ。知っている。知ってて、言った」

「タチ悪いな、お前」

 ズキズキと痛む首を動かして軽く睨みつける。

 瞬は苦笑をこぼしながら、「忘れたか? 僕はそういう人間だ」と、言った。

 シニカルな冷笑が、端整な甘いマスクによく似合っていた。

 直後、柳也の目の前が真っ暗になった。

 視界が奪われただけでなく、聴覚、嗅覚といった他の五感の機能も、急速に衰えていく。

 どうやら、この夢はここで終わりらしい。

 以前、ものの本で読んだことだが、人間は眠っている間に何回もの夢を見ているという。翌朝の記憶に残っているのはそのうちのごく限られた回だけで、実際にはそのほとんどが記憶に残らない夢ばかりだという。

 はてさて、自分の脳は、次はいったいどんな夢を見せてくれるのか。 

 出来れば楽しい夢であってほしいが。

 柳也が抱いたそんな淡い願望は、しかし、すぐに裏切られる。

 続く柳也の夢は、悪夢以外の何物でもなかった。

 再び視界を取り戻した時、柳也は見知らぬ荒野にいた。

 灰色の砂地が一面に広がる、開けた荒れ野だ。昔、瞬に半ば強制的に連れていかれたテキサスに、こんな地形があったか。しかしどうやら、あの時の思い出ではないようだ。その証拠に、あの時は隣にいた親友の姿がない。

 そればかりか、荒野からは自分以外の生き物の気配がまるで感じられなかった。人間はおろか、草木一本生えていない。

 見渡す限りの灰色の景色。耳が痛くなるほどの静寂。それ以外に、五感を刺激する情報は何もなかった。

 ――……何なんだ、この夢は?

 我が脳内で起きている現象とはいえ、そう思ってしまう。

 なぜ、こんな夢を見ているのか。なぜ、こんな夢を見させられているのか。まったく意味が分からなかった。

 不意に、耳膜を小さな喧騒が撫でていった。

 この荒野に立ってから初めて聴く音だった。どうやら、複数からなる人の声のようだ。幾人もの発する黄色い声が重なり合い、轟いて、こちらに近付いてくる。

 地響き。件の集団は、こちらに向かって走ってきているらしい。

 音のする方へ視線を向ける。

 途端、懐かしい顔ぶれが視界に映じた。

「みんな……」

 茫然とした呟きが、柳也の唇から漏れた。

 柳也の視界いっぱいに、龍の大地でともに戦った仲間達の姿が映じた。

 アセリア。エスペリア。オルファ。悠人……。スピリット・タスク・フォース隊の戦友達……。

 わずかに二週間、会っていないだけなのに……。もう、ずいぶんと長く、顔を合わせていないような気がする。

 夢の中のこととはいえ、懐かしい戦友達の顔を見て柳也は、思わず涙の雫をこぼした。

 だが、懐かしい仲間達は、そんな自分の様子などおかまいなしに、猛然と突き進んだ。まるで、自分の姿が見えていないかのようだった。

 いや実際、いまの彼らに、自分の姿は見えていないのだろう。

 彼らの双眸は、荒野に立ち尽す己ではなく、その背後に向けられていた。険しい表情。剣呑な覇気。全員、各々の相棒たる永遠神剣を手に、戦装束を身に纏う仲間達は、自分の背後に、何らかの敵を見出しているようだった。

 柳也は自然と、後ろを振り向いた。

 慄然と、黒檀色の双眸が見開かれた。

 頭を、金槌で殴られたかのような衝撃。

 背骨を貫く、電流のような驚愕と絶望感。

 柳也の背後に、その男は立っていた。

 見慣れた紺色のブレザーに、見慣れぬ黒い陣羽織を羽織った姿で、銀髪の親友は、そこに立っていた。

「瞬……!」

 秋月瞬。

 己の親友。

 両親を失い、暗闇の未来しか見えなかった自分に、光をくれた大切な幼馴染。

 親友の少年はワインレッドの瞳に研ぎ澄まされた刃のような敵意を宿し、自分の戦友達を睨んでいた。

 その右手には、見知らぬ赤い刀剣が握られている。見たこともない剣だ。どういうわけかは分からないが、永遠神剣かもしれない、と思った。

 嫌な予感がした。

 自分の隣を、戦友達が通過していく。

 剣呑な眼差しを叩きつけるその先には、まごうことなき親友の姿があった。

「やめろ!」

 柳也は叫んだ。

 叫んだ時には、ネリーが地面を蹴って瞬に襲い掛かっていた。

 リープアタック。

 跳躍の勢いを刀勢に載せた斬撃を、銀髪の親友は後ろに跳んで避けた。

 軽やかな動き。赤い閃光が、その手から放たれる。

 跳躍と同時に切り上げた赤い永遠神剣が、ネリーの胸を裂いた。

 柳也は絶叫した。

 直後、ネリーの体は黄金のマナの霧となって霧散した。

 STFの戦友達は、なおも瞬に襲い掛かった。

 アセリアが、シアーが、ヒミカが、三方から同時に雪崩れかかる。

 そのすべての攻撃を、親友は手にした赤い剣で次々といなしていった。

 殺到するすべての白刃を捌ききった親友は、また次々とカウンターの斬撃を放つ。

 アセリアとシアーがウォーターシールドで防御するが、瞬の一撃は水の障壁を軽々突き破り、瞬く間に二人の青スピリットを消滅させた。

「やめろ! やめてくれ!」

 親友と、戦友達との戦いを前に、柳也は悲鳴を上げた。

 夢の中とはいえ、自分の大切な人達が争う姿を、これ以上見ていたくはなかった。

 柳也は戦闘を止めるべく前へ踏み出そうとした。しかし、夢の中の自分は、いつの間にか下肢に力が入らなくなっていた。

 ならばと腹の底から声を張り上げ、戦いを止めるよう切々と訴える。

 しかし、瞬も、悠人達も、自分の声が聞こえていないのか、戦いを止めようとしなかった。

 エスペリアが消えた。

 オルファも消えた。

 瞬が赤い永遠神剣を振るう。

 その度に、仲間達が一人、また一人と消滅する。

 そしてついには、戦場には悠人と、瞬の二人だけが残った。

 二人は二〇メートルほどの距離を隔てて睨み合った。

 互いに構えは正眼。

 紫色の〈求め〉と、赤い永遠神剣が鈍く輝く。

 悠人が、吼えた。

 瞬も、吼えた。

 柳也は、泣き叫んだ。

 やめろ、と強く叫んだ。

 しかし、二人はなおも止まらなかった。

 悠人が前に踏み出す。

 瞬も前に踏み出す。
 
 両者はともに八双へと構えを変じ、相棒の神剣を袈裟に振り下ろした。

 激突。

 鍔迫り合い、回転し、離れる。

 両者は互いの位置を入れ替え、再び斬撃をぶつけ合った。

 またも鍔迫り合う。

 今度は回転せず、後ろに下がって距離を取った。

 瞬が、神剣魔法の呪文を唱えた。

 悠人も、神剣魔法の呪文を唱えた。

 両者の詠唱が完結したのは、まったく同じタイミングだった。

 瞬の赤い神剣から放たれた高密度のオーラフォトンが天へと上り、光の槍の雨となって、悠人に向けて降り注いだ。

 悠人の〈求め〉から放たれた高出力のオーラフォトンの光線が、瞬に向けて真っ直ぐ突き進んだ。

 両者の攻撃は、やはりまったく同じタイミングで炸裂した。

 三人分の悲鳴。そのうちの二つは、強力な神剣魔法を受けた苦しみから。そして一つは、友人達の争いの結末を憂いて。

 濛々と土煙が立ち上る。

 濛々と、 金色のマナの蒸気が立ち上る。

 はたして、悠人は、瞬は――――――

 やがて視界を遮る煙が晴れ、柳也は、見た。

 悠人が、酷薄な視線を親友に向ける光景を。

 上段に振りかぶった〈求め〉の刀身が、いまにも振り下ろされんとする光景を。

 瞬の命が、いまにも消えゆかんとする光景を。

 柳也は、見てしまった。

「おお……おおお……おおおおおお――――――ッ!!!」

 怒りが、肺を満たした。

 心臓を狂わす熱が、血管に溶け身体中を駆け巡った。

 悲憤の咆哮が、唇から迸った。

 気が付くと金縛りが解けていた。

 気が付くと、右手で同田貫を握っていた。

 柳也は前へと踏み出した。

 手の内を練り、刃筋を立て、獅子吼を上げながら荒野を駆けた。

 声が響く。

 耳の奥で、頭の中で、魂の奥底で、声が響く。

 止めろ。

 あの刃を止めろ。

 傷つけさせるな。

 瞬を傷つけさせるな。

 瞬を守ること。〈世界〉を守ること。

 それが己の願い。己の使命。己の、〈宿命〉。

 心臓が、唸りを上げた。

 頭の中が、結晶した想いで塗り固められた。

 瞬を、守れ。

 悠人を、斬れ。

 〈求め〉を、破壊しろ――――――
 
 悠人が、向かってくる己の存在に気が付いた。

 柳也は、構わずに前進した。

 間合が詰まる。

 一気に、詰まる。

 柳也は同田貫を正眼に構えたまま、腰を沈めた。

 刺突。

 己の持つすべてのエネルギーを、切っ先の一点に集中し、突き出した。

 そして……。

 そして、紫色の刀身は……。

 柳也の目の前で、バラバラ、に砕け散った。

 瞬が、動いた。

 自分が〈求め〉を砕いたのを見越していたかのように、赤い永遠神剣を、悠人の胸に衝き立てた。

 血煙。

 返り血が、瞬を、柳也を濡らす。

 黄金のマナの霧が、悠人の胸から噴出する。

 視界が、赤と、金とで、埋め尽くされる。

 悠人の絶叫が、苦悶の顔が、耳朶を撫で、鼓膜を焼き、魂を、揺るがした。

 心臓から、熱が引いていった。

 頭の中が、急速にクリアになっていった。

 あれほど魂に語りかけてきた声も、もう聞こえない。

 柳也は、茫然と目の前の光景を眺めた。

 親友が、親友の手によって殺された。そのトドメの一撃のきっかけを、自分が作った。

 柳也の口から、絶叫が迸った。

 瞬の口から、哄笑が迸った。

 



「ぐ、あああああッ!!」

 言葉にならない絶叫を迸らせて、柳也は飛び起きた。

 荒い呼吸を繰り返しながら、暗い部屋の方々に視線を飛ばす。

 最初に視界に映じたのは、コーポ扶桑の見慣れた天井ではなかった。石造りの壁。石造りの天井。一瞬、ここがどこなのか分からなくなる。

 窓から差し込む月の光。視線を向ければ、夜空には二つの月が浮いていた。それを見て、そうだ、ここは、と思い出した。

 ――そうだ。ここは……。

 柳也は、じっとり、と脂汗の浮かぶ額を手の甲で拭って呟いた。

 分厚い胸筋にも、玉のような汗が滲んでいる。柳也は裸のまま眠っていた。毛布を引っつかみ、汗を拭う。

 するとその時、隣から声がかけられた。女の声だった。

「まったく! なんてはた迷惑な寝言だい!」

 そう言って睨んできたのはマチルダだった。伊達眼鏡を外した素顔を、月明かりに晒している。

「マチルダ?」

「あんたの大声でこっちまで起こされたじゃないか」

「あぁ……も、申し訳ない」

 言いながら、柳也は軽くかぶりを振った。

 意識が次第にはっきりとしてくる。ここがどこなのかも、完璧に思い出した。

 ――そうだ。ここは、マチルダの部屋だ。

 破壊の杖事件で土くれのフーケことマチルダの使い魔となった柳也は、その日から彼女の部屋で寝泊りする生活を送っていた。オスマン氏から命じられた監視の役目を果たすためで、そこは魔法学院の教職員のために与えられた寮の一室だった。間取りはルイズの部屋とさして変わらないが、荷物が少ない分、広々とした印象がある。

 柳也は隣のマチルダに視線をやった。

 月明かりと、灯りを絞ったランプの小さな光芒に照らされる彼女は、自分と同様裸身を毛布で包んでいた。二人は裸のまま、同じベッドで眠っていた。

 柳也とマチルダが男女の関係になったのはつい最近のことだった。

 互いに恋愛感情はなく、たまたま二人揃って性欲の昂ぶりを覚えた日に、戯れに相手を求めたのが始まりだった。体の相性が良かったらしく、以来二人は夜を迎える度にお互いを貪り合っていた。添い寝をするだけの日もあれば、本番をせずに終わらせる夜もある。翌日が虚無の曜日ならば激しく求め合うのが、最近の常だった。

 柳也はいまだ荒々しく脈打つ心臓を押さえようと胸に手を当てながら呟いた。

「本当に、申し訳ない。……ちょっと、嫌な夢を見た」

「ちょっと? ちょっと嫌な夢を見たくらいで、あんたはあんなに大声を出すのかい?」

「あ、いや。訂正する。だいぶ、だ」

 マチルダの強い語気の問いに、柳也は慌てて言った。

 どうせ四六時中一緒にいなければならないのなら、なるべくお互いが不快な思いをしないようにしよう。

 マチルダの監視役を命じられたその日の夜、彼女は柳也にそう言った。

 自分は隠し事をされるのが嫌いだ。嘘をつかれるのも好きではない。

 さばさばとした態度で言い放った彼女の言葉を思い出した柳也は、言葉を飾ることなく続ける。

「まったく、酷い悪夢だったよ」
 
「どんな夢さ? 教えなよ」

「……同じベッドで寝ているとはいえ、俺とお前は恋人同士でもなんでもないんだが?」

 暗に、話したくないという意思の主張。少なくとも自分達の関係は、ベッドの上で裸になって、夢の内容を語り合うような間柄ではない。

 しかしマチルダは、薄く笑ってそっけなく呟いた。

「でも、ご主人様と使い魔だ。使い魔は、主人の命令を聞くものさ」

「……元の世界で一緒に戦った仲間達が、次々殺されていく夢だよ」

 柳也は深々と溜め息をついた後、重たい舌を滑らせた。

 マチルダが苦々しげに顔を歪めた。

「悪かったよ」

「いや……俺の方こそ」

 柳也はかぶりを振って言った。

 その拍子に、拭いきっていなかった汗の飛沫が散る。

「……やっぱり、心配かい?」

 マチルダが訊ねた。彼女は柳也が異世界の出身であること、異世界で戦争に参加していたことなどを知っていた。

 裸の女の問いに、柳也は重々しく頷いた。

「ああ。……当然だろ? 大切な、仲間なんだ」

 悠人。アセリア。エスペリア。オルファ。STFでともに戦った戦友達……。そして何より――――――。

「瞬……」
 
 自然と、口をついてその名が飛び出した。

 天井を仰ぐ。
 
 現代世界でメダリオ達との戦いに敗れてから、親友の行方はようと知れなかった。

 生きているのか。無事なのか。

 生きていてほしい。無事でいてほしい。

 はたして、いま、お前は……。

「お前は、どこにいるんだ……?」

 溜め息混じりの呟きは、やがて異世界の夜気に飲み込まれていった。

 奇しくもそれは、同じ異世界の空の下で、銀髪の少年が呟いた言の葉と、同じ意味を孕んでいた。





 男は夢を見ていた。

 記憶の断片を繋ぎ合わせた空想の物語ではない。

 それは過去に実際に起こった出来事の再演だった。

 といっても、そう遠い昔の出来事ではない。僅かに半年前の出来事だ。

 その夜、馴染みの酒場でキープしてもらっているボトルを開けていた男は、隣の席に座った男から声をかけられた。

 長身の男だった。赤毛の髪。金色の眼差し。鋭利な刃物を思わせる美貌は端整で、甘いマスクには柔和な笑みが浮かんでいる。シックな色合いの茶の上下を纏い、その上に白いマントを身に付けていた。勿論、初見の男だ。

 男はたまたま隣り合わせていただけの自分に、やけに馴れ馴れしい態度で話しかけてきた。

 あまりにも気安すぎる彼の態度に、男は最初鬱陶しさを感じていた。しかし、彼の人懐っこい笑顔を見ていると、何も言えなかった。赤毛の男は、人たらしの天才らしかった。

 彼の話に耳を傾け相槌を打つうちに、、彼はいつの間にかボトルを二本空にしていた。

 男は驚いた。一晩でこんなに飲んだのは久しぶりのことだった。

 このままでは明日の仕事に差し支えると判じた男は、そろそろ帰るよ、と赤毛の男に切り出した。

 すると彼は、唐突に口調を改めて言った。
 
「聖地に行きたいんだろう、ジャン・ジャック? だったら、この手を取れ」

 赤毛の男は人懐っこい笑みを浮かべながら、右手を差し出してきた。

 男はその右手を鋭く睨んだ。

 ジャン・ジャックというのは己の幼名で、偶然知り合った赤毛の男が知りうるはずのない情報だった。それを知っているということは……この男、自分の素性を、調べてきたのか。

 彼はここにきて、目の前の男は目的があって自分に接触してきたのだ、と気が付いた。

 懐から軍杖を抜き、一戦を辞さぬ覚悟で身構える。男は、メイジの貴族だった。

 店の主人が、はらはら、しながら自分と、赤毛の男の顔を見回した。

 揉め事はやめてくださいよ、と悲壮な眼差しが、頬を撫でた。

 赤毛の男が、微笑を浮かべたまま口を開いた。

「可愛いジャン。わたしのジャン・ジャック。母の代わりに聖地を目指してちょうだい。きっと、そこに救いの鍵がある……」

「貴様、なぜ、それを……?」

 男は怪訝に訊ねながら、杖の先端を相手に向けた。

 赤毛の男が口にしたのは、どんなに自分の素性を調べたところで決して知ることの出来ないはずのフレーズだった。

「お前さんの母君の、日記に記された一文だな?」

 赤毛の男がニヤリと笑った。

「我が主は何でも知っているのさ。お前さんの母君が遺した日記の内容も、お前さんの母君が知ってしまった、この大陸にまつわる恐ろしい真実についても、な」

「主、だと?」

「ああ。今日、お前さんにこうして接触したのは、主からのお遣いでね。

 改めて、用件を言うよ、ジャン・ジャック。お前さんは聖地に向かいたいんだろう? だが、聖地にいるエルフどもは強力だ。それを駆逐するための力を、お前は欲している。ために、お前さんはレコンキスタなんて組織と繋がりを持った」

「…………」

 レコンキスタ。自分の所属する、もう一つの組織の名前。よもやそこまで情報を持っていようとは……。

「言っただろう? 我が主は何でも知っているんだ。

 さて、ジャン・ジャック。お前さんは力を求めてレコンキスタに入ることにした。しかし、そのレコンキスタとて、聖地を目指す上では十分な力とは言えない。お前さんは、そう感じているはずだ? だな?」

「…………」

 赤毛の男の問いに、彼は沈黙を以って答えた。無言の肯定だった。

 赤毛の男は嬉しそうに微笑んだ。

「そこでだ、ジャン・ジャック。俺と、俺の主は、母君の最後の願いを叶えたいと思う素晴らしい息子に、協力を申し出たいんだ」

「協力?」

「そうだ。聖地のエルフどもさえ駆逐出来るだけの力を、俺達は持っている。それをお前、くれてやろう、と言っているんだ」

「…………」

 男は無言で赤毛の顔を睨んだ。

 相変わらずの、柔和な笑み。

 親しみを感じさせる微笑とともに、また、右手が差し出された。

「亡きお母さまの願いを、叶えるために。……さぁ、この手を取れ。ジャン・ジャック」

「貴様は……誰だ?」

「俺か? そういえば、自己紹介がまだだったな」

 赤毛の男ははにかんで、芝居がかった仕草で純白のマントを翻した。

「俺の名はウィリアム・ターナー。永遠神剣第五位〈金剛〉の契約者にして、秩序の永遠者〈奇蛇〉のミカゲ様の臣下。……親愛なるジャン・ジャック。俺はお前に、夢を見せに来たんだ」




<あとがき>

 ゼロ魔やアセリアというファンタジー作品を扱うにあたって、絶対に避けられないものがいわゆる幻想動物の存在です。彼ら幻想動物は勿論実在しない動物です。ゆえに、その生態の描写は書き手の想像力と文章力次第。というわけで、現在、リアルな幻想動物の描写のために色々と勉強しているのですが……ドラゴン型の幻想動物を書く上では絶好のテキストということで、この間恐竜図鑑を読みました。すると、そこには驚くべき事実が!


<回想シーン>

某日、本屋にて

タハ乱暴「ぶ、ブロントサウルスがいなくなってるー!?」

<回想シーン終了>


 衝撃でした。子どもの頃、図書館の恐竜図鑑で見たブロントサウルスが消え、アパトサウルスに統一されているではありませんか! 最近の恐竜研究はこんなにも進んでいるのかと愕然としましたよ。

 というわけで(どういうわけだ?)、読者の皆様、今回もゼロ魔刃をお読み頂きありがとうございました!

 今回から風のアルビオン編、スタートです。

 原作ゼロの使い魔第二巻が、ルイズの夢から始まったので、今回の話ではその夢という素材を発展させる形にしました。

 時間的にはほとんど進んでいませんが、まぁ、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 次回は上手いこと文章が進めばアンリエッタの登場です。

 次回もお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜




うそ!
美姫 「何よ、大声を出して」
だって、プロントサウルスがいなくなっているって。今の今まで知らなかった!
美姫 「ふーん」
って、反応薄っ!
美姫 「今回はアルビオン編の冒頭って所ね」
みたいだな。しかし、いきなり永遠神剣を手にした者が接触している。
美姫 「こうなってくると、一筋縄にはいかないわね」
一体どんな展開を見せてくれるんだろう。
美姫 「今から楽しみね」
ああ。次回も楽しみにしています。
美姫 「待ってますね〜」



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