破壊の杖を手に取った瞬間、フーケの頭の中に、男の声が流れ込んだ。

【ようやく、手にしてくれたな】

 自分の頭蓋を震えさせる声に、しかしフーケは、恐怖や嫌悪感を抱かなかった。

 むしろその声は、フーケにとって天啓さえ思えた。

 声は言った。自らの名を。自らの求めを。その代償に与える、自らの力を。

【我が名は〈殲滅〉。永遠神剣第五位、〈殲滅〉。我の望みは、破壊。この世界に存在するすべての破壊……。汝、我が求めに応じるのであれば、我は汝に、最高の力を……破壊の力を提供しよう】

 魅力的な提案だった。

 この世界に存在するすべての破壊。

 自分をいまの境遇に追いやったこの国の貴族達への復讐。

 それを果たすための力を、いま、自分は掌中に握っているのだ。

 快感だった。爽快だった。

 フーケに、〈殲滅〉を名乗る永遠神剣の提案を断る理由はなかった。

 フーケは、悪魔との契約書に、サインをした。





永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:13「長助骨挙筋の暴力」





 新しい玩具を手に入れた子どもが、それを試してみたい気分だった。

 コロナ・インパルス。

 第五位の〈殲滅〉を名乗る永遠神剣の持つ、最大最強の神剣魔法。

 太陽の表面をのたうつコロナと同じ百万度の熱量を持った熱塊を、秒速二キロメートルの速度で撃ち出す。

 その情報が頭の中に流れ込んできた時、フーケがまず思ったのは、その威力を試してみたい、ということだった。

 そのための恰好の標的は、すぐ近くにいた。

 春先の使い魔召喚の儀式の際に召喚された、あの裸体の男。〈殲滅〉を手にしたことでようやく気が付いた。あの男も、神剣士だった。これ以上の標的はなかった。

 フーケは早速呪文を詠唱した。

 かつてない昂揚感が、身を、心を包み込んだ。

 細身のシルエットを、黒いオーラフォトンがのたうつ。

 青い結晶体から生じた光芒が、部屋中を満たした。

 フーケは、詠唱の完了とともに、炎の塊を、神剣の気配のする方向へと撃ち放った。

 そして――――――

【……まったく、考えなしに大技を撃つのではない】

 頭の中に、〈殲滅〉の声が響く。

 呆れを含んだ感情イメージに、フーケは薄く笑っただけ。

 〈殲滅〉はなおもフーケに苦言を呈する。

【長き眠りから覚めたばかりで、我はいまだ本調子ではない。コロナ・インパルスのような大技を撃つためのマナは、そうそう残ってはおらぬ】

 〈殲滅〉によれば、永遠神剣の力を使うには、原始生命力たるマナが必要だという。

 長く眠り続けていた〈殲滅〉は、そのマナのストックが少なく、あまり無駄遣いをするな、と言った。

 そんな相棒に向かって、フーケは「安心おし」と、呟いた。

「マナなら、あいつからいくらでも補充出来るから」

 フーケはそう言って、瓦礫の転がる宝物庫の床を蹴った。

 レビテーションの魔法を唱え、ふわり、と宙に浮かぶ。

 外に出た彼女は、ゴーレムの肩に降り立つと、地面を見下ろした。

「へぇ……〈殲滅〉のコロナ・インパルスを受けてまだ生きているなんて……あんた、なかなかやるじゃないか?」

 コロナ・インパルスを……百万度の炎の塊をぶつけてやったはずの男は、しかし、生きていた。

 その身は傷つき、原始生命力たるマナも大きく消耗していたが、それでもなお、生きていた。

【ふむ。おそらくは最初に展開したオーラフォトンの壁で、コロナ・インパルスのエネルギーの約二割を相殺したのだろう。下位の神剣士のようだが、マナの使い方に慣れている。侮れぬ相手だ】

 フーケは口元に妖艶な笑みをたたえた。

 そうでなくては面白くない、と口の中で呟いて、驚いた。

 はたして、自分はこんなに好戦的な人間だったのか、と。

 青い結晶体が、不気味に明滅した。

 頭の中に、金属の鎚でガラスを割ったかのような甲高い警告音。

 フーケは咄嗟に右側方に向けて、炎の盾ファイア・シールドを展開した。高速回転する火砕流を盾とした防御の魔法だ。たちまち、殺到したファイア・ボールとエア・ハンマーを飲み込む。上空を旋回するウィンドドラゴンに跨った二人のメイジによる魔法攻撃だ。

 フーケはお返しとばかりに〈殲滅〉を振るった。

 青い結晶体を中心に魔法陣が展開。ファイアボルトの小火球の弾幕が、ウィンドドラゴンを襲った。

 美しい龍は襲来する炎の嵐を必死に避ける。だがそのうち一発が尻尾に命中。ガクン、と速度を落としたところに、続けて、二発目が炸裂。ウィンドドラゴンは墜落した。

 フーケはまた妖艶に微笑んだ。

 あの小生意気なメイジども。〈殲滅〉の力を振るうウォーミングアップには物足りないが、いい暇潰しにはなるだろう。さて、彼らはいったいどんな声で鳴いてくれるだろうか。

 フーケはゴーレムに待機を命じたまま、レビテーションを使って浮遊。ゆっくり、と、地面に降り立った。





 シルフィードの墜落と同時に地面に投げ出されたタバサとキュルケは、すぐさまルイズを引っつかんで逃げるギーシュと合流した。そこに、ケティを連れて才人もやって来る。

「みんな、すぐにこの場を逃げるんだ!」

 ギーシュは開口一番そう言った。

「ミスター・リュウヤの言葉だ。あいつに構うな。逃げろ」

「冗談じゃないわよ」

 ギーシュの言葉に、キュルケは自信たっぷりに言った。

 金髪の少年と違い、いまだ敗北を知らない彼女は、貴族が敵を前にして逃げるなど許されない、と言い張った。

 フーケが着地した隙を狙って、速射性に優れるファイアボールをぶっ放す。

 完璧なタイミングだと、内心ガッツポーズを取った。

 しかし、キュルケの火球はフーケには届かなかった。

 黒いローブのメイジは、手にした杖を掲げると、またしても高速回転する炎の盾で、こちらの攻撃を飲み込んだ。

「……ファイア・シールドというのさ」

 男の声だった。おそらくは、魔法で声を変えているのだろう。

 フーケは二メイルはあろうかという巨大な杖をまた振るった。青い結晶体から、灼熱の槍が飛び出した。

「そしてこれが、プロミネンス・ランス」

 炎の槍は、圧倒的な速度でキュルケらに迫った。

 タバサが風を操って軌道をそらそうとするが、間に合わない――――――!

 キュルケは、この時初めて恐怖を感じた。

 物心ついてから初めて体感する生命の危機に、彼女は、思わず悲鳴を上げた。

 無様に。

 髪を振り乱して。

 その時、一陣の風が吹いた。

 黒い風だ。

 肉の焦げた嫌な臭いが、キュルケの鼻腔をついた。

 その人物は、黒く焼け焦げた背中を彼女に向けた。

 声高に、気力の充溢した言の葉を吐き出す。

「オーラフォトン・バリア!」

 次の瞬間、キュルケ達の身を、暖かな精霊光が包んだ。

 オーラフォトン・バリア。高密度のオーラフォトンを、壁のように展開した防御の神剣魔法。

 黒き男……桜坂柳也の展開した精霊光の壁にぶつかって、炎の槍が消えた。





 なんとか、間に合った。

 間に合うことが、出来た。

「……驚いたねえ」

 フーケは、真実そう思っているかのように声を吐き出した。

「コロナ・インパルスの直撃を受けて生きているだけでも驚きなのに、まだ、そんなに動けるなんて」

「…………」

 諧謔を含む言葉にも、柳也は応えない。

 キュルケ達を背にした彼の顔は黒く焼け焦げ、皮膚はただれ、ケロイド跡からは夥しい出血が認められた。

 ただ、炯々と輝く眼光だけが、フーケを睨みつけている。

 柳也は、ゆっくり、とした動作でタバサからのプレゼントの剣を八双に構えた。

「……ろ…と……った……ずだ……」

 か細い声が、ただれた唇から漏れた。

 ルイズが、ギーシュが、その声に、はっ、とする。

 熱波によって声帯を焼き尽くされた柳也は、前を睨んだまま、必死に声を吐き出した。

「……逃げ……い……だ……」

 逃げろと言ったはずだ。

 柳也の言わんとすることを悟ったギーシュの瞳から、涙がこぼれた。

 この期に及んで。こんなにボロボロになってまで。この人は、自分達のことを……。

「……ご……いろ……」

 そこにいろ。事態がこうなってしまっては、もはやこの場から逃げ出すのは難しい。だったらせめて、自分の目の届く範囲にいろ。

 自らの意図を一方的に告げた柳也は、前へと踏み込んだ。

 神剣の位階の差はそのまま実力の差だ。加えて、敵が万全な状態に対して、こちらは消耗した状態。しかし、後ろへ引くことは許されない。後ろへ引けば、みなを危険に晒すことになる。

 ――〈決意〉、〈戦友〉……分かっているな?

 声の出せぬ柳也は、胸の内で相棒二人に呼びかけた。

 壊れかけの己の肉体を必死に支えてくれている相棒二人は、静かな声で答えた。

【分かっている。第五位に相当する神剣に対し、我ら勝機をつかめるのは今この時をおいて他にはない。覚醒したばかりで、マナが不足している今しか……】

【ですがご主人様。さきほどの一撃ご主人様のお身体はもう限界です。直撃弾を一発でも受ければ……】

 ――だったら、受けないように、しっかり運動機能の管理と防御、よろしく頼む。

【……仕方あるまいな】

 〈決意〉から、諦めの溜め息。直後、鉛のように重かった体が、ほんの僅かに、軽くなる。〈決意〉が、運動機能の修復と効率化を図ってくれているおかげだろう。

 さらに柳也は贈呈品の一刀に〈戦友〉を宿して強度を上げた。大量生産の数打ち物も、こうすることで、業物の切れ味と強度を得る。

 五体に、そして得物に漲る相棒達の力を莞爾ながら、柳也は、くたびれた肺を必死に動かし、阿吽の呼吸を繰り返した。

 刀を八双に構えたまま、猛牛の如く地面を滑る。

 眼前に、フーケの放った小火球の弾幕が迫っていた。





 フーケの火力は圧倒的だった。

 一発々々の威力はそれほどでもないが、複数の小火球を連発することで弾幕を形成出来るファイアボルト。

 単一の目標にしか威力はないが照準の精度に優れるプロミネンス・ランス。

 純粋に威力の大きなファイアボール。

 フーケの放つ神剣魔法は、実質的にはこの三種類に過ぎなかった。

 しかしフーケは、これらの魔法を状況に応じて使い分けることで、柳也に対して絶大な火力を発揮した。

 敵との距離が開けばプロミネンス・ランスの精密な射撃で狙い撃ち、かの男が接近戦を挑もうとすればファイアボルトの弾幕でその動きを牽制する。敵の動きが止まった時は、すかさず特大のファイアボールを叩き込む。

 〈殲滅〉の攻撃力以上に、これらの魔法を適宜使ってくるフーケの頭脳と戦闘センスは、消耗したいまの柳也には何よりの脅威だった。

 ――〈決意〉、サイレント・ストリュウム!

【応ッ】

 周囲の大気を焦がしながら肉迫するファイアボールに、消滅魔法をぶつけてこれを無力化した柳也は、すかさず前へと踏み込んだ。

 敵の攻撃は、こちらの反撃の好機でもある。

 八双からの打ち込みを狙う柳也は、一瞬で一〇メートルの隔たりを詰めようとして、次の瞬間、正面からファイアボルトの砲火に襲われた。

 即座に正面にバリアを展開しながら、地面を蹴る。左に向かって跳躍。相手の死角に回り込むべく機動する。

 神剣の加護を受けたフーケの運動能力はたしかに優秀だが、体内寄生型を二振り持つ自分ほどではない。スピードの勝負となれば自分の優位は崩れない。そう思い、足を動かす柳也だったが、彼の運動能力よりも、プロミネンス・ランスの殺到するスピードの方が速かった。

 ――チィッ!

 目の前の空間を薙ぐように炎の槍が伸びた。

 己の未来位置を正確に予測した上での射撃。

 突進の勢いを殺さぬまま、〈戦友〉の寄生した一刀に精霊光を篭め、袈裟に一閃した。

 たちまち、炎の舌が斬割され、黄金のマナとなって分解される。

 返す刀で切り上げながら、フーケに突進する柳也。

 しかし、黒いローブのメイジは軽く地面を蹴って宙へと逃れ距離を稼ぐや、猛進する敵に向けてファイアボールを撃ち放った。

 ――クソッ!

 柳也は苦悶の表情を浮かべながら、眼前へと迫るファイアボールを両断した。上下に分かれた熱波が、柳也の髪を、肌を撫でる。鋭い痛みが、背筋をひた走った。

 柳也は必死に苦痛をこらえ、地面に着地した。

 直後、またもファイアボールが大気を焦がしながら突き進んでくる。

 柳也は後ろに飛び退いた。

 また、距離が開いてしまった。

 柳也は歯噛みしながら上空のフーケを睨み上げた。

 剣士であるがゆえに相手との接近が不可欠な柳也に対し、フーケは終始距離を取り、射撃を以って彼を攻め立てた。

 相手の得意とする土俵で戦わず、自分の得意とする間合を保ちながら攻撃を続ける。戦術の常道をひた走るフーケは強く、隙がない。自分がこれまで戦ってきた敵の中でも、トップ・クラスの実力者だと思われた。

 ――なんとかして奴に接近せねば、どうしようもない!

 かつて有限世界で戦っていた頃には決して感じなかった焦燥感。

 有限世界には、自分の接近を可能とさせてくれる、戦友達がいた。

 しかしいま、あの頃ともに戦っていた仲間達は、自分の側にはいない。

 自分ひとりで、何とかするしかない。

 ルイズ達を守りながらフーケの隙を誘い、一瞬で接近して斬割する。そんな作戦を、講じる他ない。

 ――ははっ。そんな都合の良い作戦がそうそう思い浮かぶものか。

 不敵な冷笑が、唇に浮かぶ。

 直後、ファイアボルトの弾幕が、自分に向かって殺到した。

 すでに発動した神剣魔法を、サイレント・ストリュウムですべて消滅させるのは難しい。かといって火球を両断するにも限界がある。ここはバリアで凌ぐしかない。

 素早く判じた柳也は前面にバリアを展開しながら再度フーケに接近を試み……ほどなくして、踵を返した。

 ファイアボルトの一発が、流れ弾となってルイズ達のいる方へと泳いでいった。

 ――俺を殺すつもりなら、もっとちゃんと狙いやがれ!

 柳也は悪態をつきながらルイズらのもとへひた走った。





 フーケの放った小火球の一発が、物凄い勢いで迫っていた。

 しかし不思議と、ルイズは肉迫する火球に対して恐怖を抱かなかった。

 大丈夫。この一発は、決して自分達の脅威にはならない。なぜなら、この戦場には、彼がいるから。

 根拠のない確信がルイズの心を支配したその時、一陣の黒風を纏いながら、やっぱり、そいつはやって来た。

 自分達を守るために。わが身を盾にして。

 不思議な光の障壁を前面に展開して、異世界からやって来たと自称する平民は、自分達の前に立った。

 フーケの放った小火球が、光の盾に触れて蒸発する。

 いまだ口の聞けぬ召使いは、もともと凶悪だった面魂を火傷で醜くして、こちらを振り向いた。不思議と、嫌悪感は湧かなかった。

「…………かぁ……?」

 ゆっくり、と、皮を剥がしながら唇が動く。

 大丈夫だったか?

 そう、言ったような気がした。

 ルイズにはそう思えた。いや自分だけでなく、他のみんなもそう感じているようだった。

 あの時と同じだ、と思った。

 あの決闘騒動のあった日、ギーシュと戦っていた才人と同じだ、と思った。

 あの時の才人も、こんな風にボロボロになりながら、けれども、決して立ち向かうことを辞めなかった。

「……なぜ?」

 背後のタバサが、ぽつり、と呟いた。

 その問いは、いったい誰に対する、どんな疑問だったのか。

 質問の意図が判然とせぬままに、しかし柳也は……この裸の召使いは、莞爾と微笑んだ。

 微笑んだような、気がした。

 唇が、動く。

 音は発しない。

 ただただ、形だけをなす。

 ルイズは、タバサは、その場にいたみなは、慄然とした。

 柳也の唇は、信じられないほどシンプルな答えを、彼女らに提示した。

 守りたいから守る。助けたいから助ける。ただ、それだけだ。

 柳也はまた、自分達に背を向けた。

 そうかと思った時には、もう、ルイズの召使いは……自分のゼロの理由を聞いても馬鹿にしなかった唯一の男は、フーケに向かって、突貫していった。

「……なあ、ギーシュ」

 背後で、才人の声がした。

 振り向くと、使い魔の少年は背中に背負った鞘からデルフリンガーを抜き、正眼に構えていた。

「あいつ、柳也さんとやたら距離を取ろうとしているよな?」

「ああ」

 ギーシュも、バラの杖を構えた。

 桜坂柳也の弟子を自認する二人の眼には、強い決意の炎が灯っていた。

「そして柳也さんは、なんとかしてあいつに接近しようとしている」

「ああ」

「なら、やることは一つだよな」

「ああ。……師が戦っているのに、弟子が黙って見ているだけじゃ、申し訳なさすぎる」

 二人は少年は顔を見合わせて、前へと進んだ。

 前へと進んだ少年達の背中を、ルイズは茫然と眺めていた。






 フーケとの戦闘が始まって、すでに十分以上が経過していた。

 ファイアボルトの弾幕に接近を阻まれながら、柳也はいよいよ追い詰められていた。

 コロナ・インパルスのファースト・ストライクを許してしまった時点で、柳也は戦闘用に貯蔵しているマナの八割を失っていた。いまは肉体を構成しているマナさえも削って、戦闘を継続している状態だ。持久戦になれば消耗している自分の方が不利になるのは戦う前から明白だった。

 ――一瞬だ。ほんの一瞬でいい。奴に接近出来るだけの隙さえ作れれば……。

 募る焦燥とは裏腹に、自身の五体は次第に重くなっていく。

 〈決意〉が身体機能を最適な状態に保つようコントロールしてくれているおかげでなんとか戦いを続けているが、もとより、いまの自分は激しい運動に耐えられるような身ではない。いよいよ、限界が近いようだ。弾速が比較的遅いファイアボールさえ、回避が難しくなってきた。

「ここまでよく避けてきた。けど、そろそろ終わりにしようじゃないか」

 黒いローブのメイジが、男の声で言った。魔法で声を変えているのは間違いないが、その口調から、柳也は相手が女性ではないか、と考えていた。

 フーケは破壊の杖を天高く掲げた。

 青い結晶体が、まばゆい輝きを放った。

 足元に魔法陣が形成される。

 と同時に、周囲一帯を焼き焦がす赤マナの気配。

 広域神剣魔法の気配だ。

 ――フレイムシャワーか!?

 フレイムシャワー。文字通り、一定の範囲内に炎の雨を降らせる広域神剣魔法だ。ファイアボルトと同様、炎の一発々々は大した威力ではないが、広範囲に降り注ぐことで回避や防御を困難なものにしている。

 この魔法を一〇〇パーセント防ぐためには、発動前に消滅魔法をぶつけるしかない。柳也はすぐさまサイレント・ストリュウムを唱えようとして…………歯噛みした。

 戦闘が始まってすでに十分。いまやこの身に、消滅魔法を発動させられるだけのマナは残されていない!

【バリアも無理です。ご主人様。いまの私達には、あと一撃を叩き込めるだけのマナしか……!】

 ――クソッ!

 せめてもの防御策は、少しでも足を動かして爆撃の中心地から遠ざかることぐらいしかない。

 柳也は勢いよく地面を蹴った。下肢の筋肉を必死に動かし、その場から逃れるべくひた走った。

 しかし、いまや体は思うように動いてくれてなかった。

 〈決意〉が必死に運動機能の最適化に努めてくれているが、それももはや限界だった。

 いまの柳也を動かしているのは、マナの力でも、筋肉の脈動が生み出すエネルギーではなかった。ただただ、気力だけで、柳也は足を動かしていた。

 その歩みは哀れなほどに重々しく、はたして、フーケの神剣魔法は柳也が安全圏へと逃げ出せぬまま、完成した。

「……フレイムシャワー」

 フーケが、妖艶に微笑んだ。

 空に、灼熱の雲がたれこめ、直後、炎の雨が降り注いだ。

 柳也は咄嗟に両腕をクロスして頭上にかざしたが、勿論、その程度の防御で凌ぎきれるような攻撃ではない。

 目前に迫る死の恐怖が、柳也の背筋を貫いた。

 ――こんな、ところで……!

 恐怖は、無論あった。それ以上に、悔しさが募った。焦燥が募った。

 己は、死ぬのか。

 このような場所で。

 まだ、有限世界にも帰れていないのに。

 まだ、瞬の消息を掴んでもいないのに。

 まだ、己は何もやり遂げていないのに……。

 柳也は、悔しさに歯を噛み締めた。

 柳也の頭上に青銅色の壁が出現したのは、まさにその時だった。

 いつの間に背後に忍び寄ったのか。ワルキューレのゴーレムは柳也の頭上に自らの身を置くと、盾となって炎の雨を受け止めた。

 一発、二発と、青銅の鎧が貫かれ、燃えていく。やがて青銅の戦乙女は、あまりの熱量に耐え切れず、男の目前で爆散した。柳也はその光景を、呆気に取られた様子で見つめていた。その頃には、もう、フレイムシャワーの雨は止んでいた。彼に対する直撃弾は、一発もなかった。

 呆気に取られていたのは柳也ばかりではない。

 フーケも呆気に取られていた。

 フーケの周りを、いつの間にか六体のワルキューレが包囲していた。

 槍を持ち、剣を持ち、包囲の円環の中心に立つ盗賊に向かって、一気に殺到する。

「ちッ」

 フーケが舌打ちしながら、右手に持った〈殲滅〉を振り、ファイア・シールドを展開した。併せて、左手に持った杖で錬金の魔法を放つ。

 右からの攻撃はすべて防げた。ワルキューレ達の斬撃は、刺突は、そのことごとくが炎の盾に阻まれ、そればかりか炎の熱に得物を溶解させていった。

 他方、左からの攻撃は防ぎきれなかった。二体を錬金で土くれに変えることには成功したが、残る一体の攻撃を許してしまった。

 脇腹に裂傷。咄嗟に身を捻って避けたため、致命傷にはならなかったが、少なくないダメージだった。

 フーケはすかさず残る四体のワルキューレを一掃しようとファイアボルトの呪文詠唱を開始した。

 しかし、それが完結するよりも先に、背後から斬撃の緊迫が襲ってきた。

「おおおおおお―――――ッ!」

 才人だった。

 デルフリンガーを上段に構え、思いっきり振り下ろす。

 単調な一撃は、フーケにあっさりと避けられてしまったが、その呪文詠唱を中断させることに成功した。

 柳也は我に返った。

 いま、フーケの意識は、突然の襲撃者たる才人とギーシュの二人にのみ向けられている。

 これは、またとない好機だ。

 弟子達が、我が身を顧みずに作ってくれた、またとないチャンス。この一瞬を、逃してなるものか!

 柳也は猛然と駆け出した。

 五体に残る、最後の力を振り絞って駆け抜けた。

「おお……おおおおおおお―――――――ッ!!!」

 獅子吼。

 かつてない猛気を、かつてない剣気をその身に纏い、男は、吼えた。

 とうに動かぬ声帯を必死に震わし、吼えた。

 魂からの、絶叫だった。

 柳也はタバサから送られた一刀を右手に、そして左手に無銘の脇差を取った。

 守護の双刃。

 かつて、龍の大地最北の国、ラキオス王国にその人ありと謳われた、かの国の最強戦力の一人。

 両手の二刀の手の内を、しっかり、と練り込み、柳也は、一匹の獣となって猛進した。

 力強い踏み込み。

 力強い一歩に、大地が揺れた。

 フードに隠されたフーケの顔が、間近に迫る。

 想像していた通り、メイジの怪盗は女だった。それも、飛び切りの美人の。柳也の、知っている顔だった。

 ――あんただったのか……ミス……。

 フーケに肉迫した柳也は、ニヤリ、微笑んだ。

 身体を捻る。両膝を軽く折り、姿勢を低くしてその場に屈んだ。そして、そのままの姿勢で跳躍。身体を独楽のように回しながら、両の二刀を猛禽の翼の如く振り回した。

「スパイラル大回転斬り――――――ッ!!!」

 六〇〇年の長きにわたってその技を伝える剣術の名門・香取神道流剣術に、“抜附之剣”と呼ばれる居合がある。左足を着いた体勢から自分の身の丈ほども跳躍し、抜刀する豪快な技だ。そこから抜刀の動作を排除し、代わりに回転しながらの斬撃を振り撒くその技こそ、桜坂柳也独創の必殺剣、スパイラル大回転斬りだった。

 無限に等しい遠心力を得た二条の刃は、まさに竜巻の如く。

 フーケは咄嗟にファイア・シールドを展開した。

 暴れ狂う大小の双刃が、炎の盾を無数に連打し、確実にすり減らし、ついには破壊する。

「これで、終わりだぁぁ――――――――ッ!!」

 炎の盾を失ったいま、フーケを守るものは存在しない。

 柳也は、才人は、ギーシュは、自分達の勝利を確信し、咆哮した。

 最後の一太刀を、女の身体に向かって叩き込む――――――

【……ッ。ご主人様、駄目です!】

 頭蓋に響く、〈戦友〉の声。

 その意味を察するよりも先に、それは、起こった。

 右手にとったタバサの一刀。

 遠心力を刀勢に乗せて振り抜いたその刀身に、小さな亀裂が生じた。

 あっ、と思った時にはもう遅く、フーケの肉を断つ寸前、柳也の手の中で、数打ち物の一刀は、砕け散った。

 ――この、タイミングで寿命が尽きた……!?

 柳也は愕然と表情を硬化させた。

 冷静に考えてみれば、それは十分起こりうる可能性のある事態だった。いかに〈戦友〉を寄生させた強度を上げたといっても、所詮、数打ち物は数打ち物。その数打ち物で、今日だけで自分は何度敵の火球を切り捨てただろうか。あまつさえスパイラル大回転斬りは、得物に遠心力による凄まじい負担をかける技だ。突如として刀身が寿命を向かえたとしてもおかしくはない。

 かつての愛刀・同田貫であれば絶対にありえなかった事態を前に、柳也は僅かな一瞬、思考を止めた。

 それは本当に瞬きほどの一瞬に過ぎなかったが、その一瞬の虚があれば、フーケには、十分だった。

 フーケは素早く神剣魔法を詠唱。

 プロミネンス・ランスを、眼前の敵の胴体を狙って放った。

 青い結晶体から伸びた炎の槍は、柳也の腹部を貫いた。

 一撃ももらってはならぬいまの柳也に、とうとう、致命的な一発が炸裂した。





 いまのは、不味かった。

 真実、命の危機を実感させる攻撃だった。

 己の展開した炎の盾を斬割するその白刃は、刀勢の乗った強い連続斬だった。肉を易々と断ち、骨を容易く砕く攻撃だった。それでいて、その太刀裁きは洗練された、素早いものだった。避けることも、防ぐこともかなわぬ圧倒的な暴力だった。まともに喰らっていたら、自分は間違いなく死んでいただろう。

 だが、勝利の女神は自分に微笑んだ。

 あと、僅かに一サント。

 たった一サントの距離を詰めようとする寸前、敵の武器は砕け散った。

 フーケにとっても、おそらくは目の前の男にとっても予想外の事態。

 驚愕する男の動きに一瞬の遅滞が生じ、フーケは、その隙を衝いて神剣魔法を詠唱した。

 プロミネンス・ランス。

 一万度の炎を、槍のように細く、長くして放つ、精密射撃魔法。

 はたして、手にした杖から放たれた灼熱の槍は、狙いたかわず男のどてっ腹へと炸裂した。

 男の身体が、吹っ飛ぶ。

 圧倒的な熱量に身を焼かれ、男の口から、血が、絶叫が迸る。

 男が白目を向いた。

 男が地面に膝を着いた。

 とうとう、とうとう、倒した。

 歓喜が。

 この上ない歓喜の感情が、腹の底から込み上げてきた。

 思わず鬨の声を上げたい気分になったフーケは、しかし、そうしなかった。

 〈殲滅〉を手にした瞬間、強化された耳膜を、複数の足音が叩いた。

 そちらを振り向く。

 ランプを手にしたオールド・オスマンを先頭に、魔法学院の教師陣が、がやがや、とやって来た。

 どうやらこの騒ぎを聞きつけてきたらしい。

 フーケは軽く舌打ちした。

 面倒な奴らがやって来た。永遠神剣を手にしたいまの自分ならば、あれくらいのメイジはものの数でもないが、いちいち相手にしていは面倒だ。

 フーケは手の中の相棒に声をかけた。

「〈殲滅〉……」

【現在貯蓄しているマナでは、コロナ・インパルスはあと一発の発射が限界だ。周囲からのマナ吸収だけでは、一発撃つためには五分は何もせずじっとしている必要がある】

「一発撃てれば、十分だよ」

 フーケは薄い微笑みを口元に浮かべた。

 ワルキューレによって付けられた脇腹の傷が、じくじく、と痛むが、そんなものが気にもならないほど、彼女の気分は昂揚していた。

 杖を抱える。

 真っ直ぐに。

 やって来る教師陣の方に。

 青い結晶体が、鈍い輝きを放った。

「永遠神剣第五位〈殲滅〉の主、フーケが命ずる。マナよ、わが願いに応じよ。太陽をのたうつ黒き熱塊となりて、我が眼前の敵を粉砕せよ……」

 魔法陣が、足下に展開した。

 恩人の杖を握る自分の姿を見たオールド・オスマンが絶句した。

 フーケは、小さく呟いた。

「コロナインパルス、シュート」

 青い結晶体が、まばゆい輝きを放った。

 瞬間、太陽の大気と同じ百万度の熱の塊が、青い結晶体から撃ち放たれた。

 地上に存在するすべての物質を焼き尽くし、破壊する、死の熱塊が、撃ち放たれた。

 その時、フーケの足下で一陣の黒い風が舞い起こった。

 咄嗟にそちらの方を見ると、そこに、先ほどまで対峙していた男の姿はなくなっていた。

 フーケはついで、反射的にオスマン達の方を見た。

 コロナインパルスの熱塊の軌道上に、その男は、立っていた。


 ◇


 とうに空っぽの体だった。

 筋繊維はズタズタに引き裂かれ、肉体の運動機能は完全に失われていた。

 そんな身を無理矢理マナで動かし、立ち上がった。

 そして、無理矢理に走らせた。

 脳裏に、オールド・オスマンと交わした過日の会話が蘇る。

 あの時、オスマン老人は自分の持つ永遠神剣の力を知って、この力を何のために使うのか、と訊ねた。

 その問いかけに対して、己は答えた。
 
 この世界で出来た大切な人のために使いたい、と。その中には、オスマン老人も含まれていた。

 立ち止まる。そして、踵を返す。

 大気を焼き焦がしながら迫る、炎の塊と対峙した。

 バリアを展開するほどの余力は、もはやこの身に残ってはいない。

 いやそもそも、自分の形成した精霊光の壁では、コロナインパルスの一撃は防げない。

 であれば、残された手段はたった一つ。

 多分に博打的要素の強すぎる、作戦と呼べない作戦。

 しかし柳也は、躊躇うことなく、身を投げ出した。

 自己犠牲の精神ではなかった。

 ただ、純粋に守りたいと思った。

 背後の老人を。

 背後に立つ人々を。

 守りたいと思った。思ったから、身を投げ出した。

 両腕を伸ばす。

 前に。

 炎の塊を、その両腕で受け止める。

 手が焼けた。

 皮膚が、

 肉が、
 
 骨が、

 血が、

 魂が、

 己の肉体を構成する原始生命の力が、

 蒸発していく感覚を、自覚した。

 そして――――――

 そして、柳也は――――――

 迫り来るエネルギーの、すべてを――――――

「お、おおお、おおおおお……!!!」

 取り込んだ。

 比喩ではない。

 向かってくる熱の塊を受け止め、取り込んだ。

 柳也の眼前からコロナインパルスの熱塊が消滅し、男の体内に、太陽の熱が生じた。

 男の口から、目から、全身の穴という穴から、熱があふれ出した。

 ――こ、堪えろ……。

 柳也は自らの体を抱き締めた。

 自分自身の存在を確かめるように、強く抱き締めた。

 ――コロナインパルスなんてたいそうな名前が付いてはいるが、要するにこいつはマナの塊。万物に宿る原始生命力を攻撃力に転化した、炎の塊だ。

 マナとは、原始生命力。

 すべての命が持つ、生命の輝き。

 ならば。

 ならば、その攻撃力を分解し、その力を支配すれば、同じくマナで構成された己の肉体の一部とすることは、不可能ではない!

 ――取り込め。この攻撃力を……この凄まじいマナの活力を、肉体に溶かし込め!

 細胞が、破壊されていく。

 その直後、物凄い速さで細胞が修復されていく。

 取り込んだマナの力が。

 コロナインパルスという活性化したマナの力が。

 己の肉体を破壊し、修復する。 

 破壊。

 修復。

 破壊。

 修復。
 
 破壊。

 破壊。

 修復。

 破壊。

 破壊。

 破壊。
 
 修復。

 次第に、修復よりも破壊のペースの方が速くなっていく。

「ま……げぇ……るヴぅ……ぐあああああああ――――――ッ!!!」

 咆哮とともに、血の塊が迸った。

 身体中の穴という穴から、血煙が噴出した。

 魔法学院の芝生を、真紅の血が穢す。

 しかしその血はすぐに、黄金のマナの霧となって蒸発する。

 原始生命力の霧に。

 桜坂柳也という男の、生命の輝きが。

 心臓が熱い。

 途方もなく熱い。

 その熱を堪え、柳也は、天を仰臥した。

 その瞬間、柳也の体から、金色の閃光が放たれた。

 天へと向かって。

 生命の、輝きが。

 コロナインパルスのエネルギーが。

 天へ向かって、放出された。

 夜の風が、柳也の頬を撫でた。

 冷たい。

 寒い。

 すべての熱を放出しきった男の体は、凍るように冷たかった。

 膝に力が入らない。

 柳也は、地面に向かって前のめりに倒れた。

 意識を失う寸前、柳也はフーケが破壊の杖を持ったまま、いずこかへ飛び去っていくのを見た。




<あとがき>

 今回の戦闘BGMはRIDER CHIPSのDreamerが適当かと思いますです。はい。

 どうも、読者の皆様おはこんばんちはっす。

 今回もゼロ魔刃をお読みいただきありがとうございます。

 いやあ、身から出た錆とはいえ、柳也ボロボロですねぇ。

 アセリアAnother本編よりも、ゼロ魔刃とかディケイドとかでの方が重傷を負う我らが主人公。うぅむ。微妙だ。

 ちなみに今回の戦闘シーンでは、前話のかめはめ波に引き続いて、九〇年代のジャンプ・コミックスをイメージしながら書きました。

 ラストの引きとか、もう、ドラゴンボールか聖闘士星矢かっていうくらいの悪ノリぶり(笑)。

 お気に召していただけたのなら嬉しく思います。

 次回はフーケ捜索隊の出発ですか。

 次回もお読みいただければ幸いです。

 ではでは〜




不意打ちだったとしても最初の一撃が相当にダメージだったみたいだな。
美姫 「それでも追い込んだんだけれどね」
ここぞという所で武器がついてこなかったか。
美姫 「言っても仕方ないけれど、本当におしかったわね」
かなりの重症を負ったみたいだけれど、何とかまだ生きてはいるみたいだな柳也。
美姫 「ああ、とっても気になるわ」
そんな気になる次回は……。
美姫 「続けてすぐ!」



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