「親友を失った日」

 

 

 

「わたし、ユーノと寝たんだ」

 夜の澄んだ空気を裂く自分の声と、それに覆いかぶさるようにして響く、肌を叩く音。

 頬を刺す痛みと直前まで視界に映じていた光景から、相手から平手をされたのだ、と脳が認識した後も、驚きはさほどなかった。

 自分がこう言えば、きっと彼女はそうしてくる。それが分かっていたから、備えもしていたし、心構えも出来ていた。だから、驚きはなかった。ただただ、痛みだけを感じた。身体と、心の、両方への痛みを。

 衝撃で、頬の毛細血管が破裂したか。急速に熱を帯びた右頬をさすりながら、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは正面に立つ親友の眼差しを真っ向から受け止める。

 鋭い眼差し。怒りで頬を紅潮させ、きっ、と自分を睨んでくる親友の顔。

 もしかしたら、初めてではないだろうか、と思った。もう十年以上の付き合いになる彼女の、こんな顔を見るのは、と。

 高町なのは。かれこれ十年以上の付き合いになる自分の友人。自分を暗い闇の中から救ってくれた大切な友達。自分の大好きな、友達。

 その友達は、いま、自分に憎しみに滾る眼差しと、険を帯びた表情を向けていた。

 出来ることならば、正対するのを避けたい視線、避けたい顔。だが、フェイトは決してなのはの視線から目を逸らしはしない。

 怒りの原因は、他ならぬ自分自身が作ったもの。だから、自分は彼女から目を逸らすことなく、彼女と向き合わなければならなかった。

 

 

 フェイトにはなのはとは別にもう一人、十年以上の付き合いになる、大切な幼馴染がいた。

 ユーノ・スクライア。なのはに魔法を教えた先生で、彼女と一緒に自分を救ってくれた男の子。

 今日、フェイト達が『PT事件』と呼ぶ出来事があった頃から、ユーノがなのはに特別な好意を抱いていたことは、当時からして誰の目にも明らかだった。知らぬは当のなのは本人ばかりで、あの頃から、彼と彼女の周りの人間達は、一向に進展のない二人の関係にやきもきしたものだった。大人しい性格のユーノは恋愛に関しても奥手だったが、決してノン・アプローチというわけではなかった。むしろ、彼にしては積極的になのはに自分の想いをぶつけていたように思う。ただ、肝心のなのは自身がこと恋愛に関してあまりにも鈍感だった。加えて、彼女は何よりも仕事を第一に考える人間だった。ユーノがデートに誘っても、なのはそれを友人同士のお付き合い程度にしか感じず、別の日にユーノが食事に誘った日には、仕事を理由に断った。平時の最前線と呼ばれる無限書庫での仕事に追われながらようやく掴んだ休暇を、彼女の方の仕事のために、一人で過ごさなくてはいけなくなったユーノを偲んで、義兄と一緒に慰めに出かけたのは一度や二度ではない。

 そんな彼の片思いの日々がかれこれ十年以上続いていたある日のこと、フェイトはユーノを飲みに誘った。

 本来ならばその日、ユーノはなのはと一緒に食事に出かけているはずだった。無限書庫司書長という立場と権限、コネクションをフルに活用してなのはのスケジュールを入手。彼女の休暇と自分の休暇の日を合わせるべく、二ヶ月も前から仕事のスケジュールを組んで、ようやく得たたった一日の自由時間は、しかし、他ならぬなのはからの連絡によって、気の重いものになってしまった。

「新人の子たちが、どうしても練習に付き合ってほしい、って言うから」

 苦笑しながら、けれども頼られていることに対し満更でもない様子で、なのははユーノからの誘いを断った。

 ユーノは、当然、不満や悲しみ、寂しさなどの諸々の感情を抱いたはずだが、そこは気の優しい彼のこと、なのはを傷つけぬよう、彼女の心に負担をかけぬよう、やんわりとした笑顔で、快くその言葉を受け止めた。その、無理に作った泣き笑いの表情を見かねたフェイトは、仕事が終わった後、彼を慰めるつもりで近所のバーに誘ったのだった。フェイトもユーノも、決してアルコールに強い体質ではなかった。しかし、以前義理の兄から「心の痛みを和らげるために酒が必要な時もある」と教えられたこともあり、以前、女三人で訪ねた飲み屋に足を運んだのだった。

 ユーノは、表面的にはどうということはない、という顔をしていたが、その実、胸の内では荒れた感情を持て余していた。

 酒に酔った彼はタガが外れたように、日頃のありとあらゆる不平不満を口にした。仕事のこと。なのはとの進まぬ関係。ユーノは、普段の彼からは考えられない粗暴な口調で、日頃の鬱憤を喚き散らした。

 語気が荒くなるにつれて、ユーノの酒を飲むペースはどんどん早くなっていった。

 釣られて、フェイトも普段は敬遠するような強いアルコールをどんどん痛飲していった。

 バーを出る頃には、二人ともしたたかに泥酔していた。

 最初に相手を誘ったのは、はたしてどちらだったか。

 気が付くと二人はホテルの一室にいて、ベッドの上で肌を重ねていた。

 先に正気を取り戻したのはフェイトの方だった。突如として下腹部を襲った重い鈍痛に腰ばかりか脳天を揺さぶられ、彼女は酔いから醒めた。

 ユーノが正気に戻ったのはその直後のことで、よりにもよって行為の最中に正気を取り戻した彼は、正常位の体勢のまま青い顔をしてフェイトを見下ろしていた。

「ご、ごめん! すぐどくから……ッ」

 一瞬の当惑。そして動揺。聡明な彼はいまの状況をすぐに理解した。

 幸いにしてまだ最悪の事態になってはいない。自分がいまだ一度も射精していないことを確認したユーノは、慌ててフェイトの中から抜け出そうとした。

 しかし、腰を引こうとするユーノのその動きを、フェイトは制止した。

「いいよ、続けて」

 退くユーノの腰に腿を絡め、痛みから顔を顰めるフェイトは不器用に笑ってみせた。

「途中でやめるのって、辛いでしょ? わたしも、ユーノならいいから」

 口に出してみて、フェイトはいまの自分が感じている気持ちを自覚した。

 痛みはあった。だが、不快感や嫌悪感は微塵もなかった。ユーノのことは嫌いではなかったし、むしろ知り合いの男性の中では好きな部類に入る人物だった。ユーノにならいい。むしろ、ユーノにしてもらいたい、とフェイトは真実そう思った。

 ユーノが幼馴染のなのはを好きになったように、自分もまた、幼馴染のこの青年のことを、いつの頃からか好きになっていたのだ。

 彼女は、ユーノを受け入れた。

 そしてユーノも、「ごめん。ごめん」と何度も呟きながら、泣きそうな顔をして、フェイトを求めた。

 そして、果てた。

 フェイトの中で。

 何度も。何度も。

 フェイトはユーノの熱を感じ、ユーノの命を感じた。

 行為の後、ユーノはフェイトに土下座した。

 お互いに、酒に酔った勢いでの行為だ。ユーノにもフェイトにも、避妊の準備はなかった。それなのに、ユーノは彼女の中で果てた。ユーノはそのことを恥じ、悔やみ、床に額をこすりつけるようにして、何度も謝罪の言葉を口にした。

「許してほしい……とは言わない。煮るなり焼くなり、フェイトの好きにしてくれ」

 覚悟を決めた表情でそう言ったユーノに、フェイトは何もしなかった。

 彼女はユーノを赦した。のみならず、彼女はユーノに「またしてほしい」と、甘く囁いた。

「ユーノの気持ちは知ってるよ。すごいよね、ユーノ。なのはのことを……たった一人のことを、もう十年も想い続けてるなんて。でも、もう、私の気持ちの方が、限界なんだ」

 きっかけは、酒の勢いに任せての交合。だが、十年をかけて熟成された想いは、その僅かなきっかけで、一気に弾けた。

 フェイトは、ユーノに自らの想いのたけりをぶつけた。

 ずっとユーノのことが好きだった。ずっと君のことを見ていた。なのはとではなく、自分と一緒の時間を共有してほしい。なのはではなく、自分を見てほしい。なのはではなく、自分と付き合ってほしい。

 熱烈な告白にユーノは、困惑した表情を浮かべ返答に窮した。無理もない。これまでなのはだけを見ていた彼は、この瞬間まで、フェイトが自分にそんな想いを抱いていたなど想像だにしていなかったのだ。フェイトのことは嫌いではないが、即答出来ぬのも詮無きことだった。

 重苦しい沈黙が、二人の間を漂った。

 断るべきか、否か。断るとしても、どういう言葉なら相手の傷を最小限に留められるか。

 しかし結果的に、ここで即答しなかったことが、フェイトの心を勇気付けてしまった。

 ――すぐに断らないってことは、脈ありってことだよね。

 フェイトはユーノの態度をそう結論付けた。

 まったく脈がないわけではないのなら、時間をかけて自分の想いをぶつければ、きっと彼は自分の方に振り向いてくれるはず。幸いというべきか、恋敵のなのはは六課の隊長に教導官にと忙しく、なかなか彼と会う時間が取れないでいる。忙しいのは執務官の自分も一緒だが、こちらは捜査の名目で、わりと自然な形で彼の職場に足を運ぶことが出来た。

 フェイトはその晩、「返事はいまじゃなくてもいい」と、ユーノに、そして自分に時間を与えた。

 翌日からフェイトは暇を見つけてはユーノのもとへ足を運ぶようになった。

 フェイトの想いを知ってしまったユーノは、彼女からのあからさまなアプローチに戸惑った。しかし、決して拒絶することはなかった。そこには、酒の勢いにまかせて抱いてしまったという負い目と、もともと彼女のことは嫌いではなかった、という思いがあった。

 人間というのは単純な生き物だ。

 何度も、何度も顔を合わせるうちに、ユーノの戸惑いはやがて歓喜という感情に変わり、フェイトが無限書庫に顔を出すや自然と笑顔で迎え入れられるようになっていった。

 そんな二人を、無限書庫の司書達はお似合いのカップルと評した。ともに美男美女、聡明な執務官と、若干一五歳で無限書庫の司書長に抜擢された麒麟児の二人は、見た目も社会的な地位もちょうど釣り合いが取れていた。

 また、性格的な相性についても、

「司書長は控えめな性格ですからね。あれくらい行動力のある女性と一緒になった方がいいっすよ」

と、なかなかの高評価が口ずさまれていた。

 部下達の噂話を耳にしたユーノが、顔を真っ赤にして照れていたのが、フェイトには嬉しかった。彼は照れ笑いを浮かべただけで、フェイトとの関係を否定しなかったのだ。

 ユーノは確実に自分を好きになり始めている。そのことが実感できて、フェイトは嬉しかった。

 ――そろそろ、返事を聞かせてもらおうかな?

 自分を、ユーノの彼女にしてほしい。

 もう一度、彼にそう言おうと思ったそんな矢先、フェイトはなのはから呼び出しを受けた。

 

 

 二人の関係についての噂話は、無限書庫を飛び越えて機動六課にまで及んでいた。

 恋愛事に関心の薄いなのはの耳にもいつかは届くだろう、とフェイトも思っていた。

 その“いつか”がとうとう来た。

 噂の真偽を確かめようとするなのはに、フェイトが呼び出されたのは六課の訓練場。一日の課業を終えたバトル・フィールドは、しかして、定時の後も、教導官権限によっていまだ電気が灯っていた。

「ユーノ君と付き合ってるって、ホント?」

 フェイトを呼び出したなのは、開口一番そう言った。それはフェイトがあらかじめ予想していた発言だった。だからフェイトは、迷いも、淀みも、躊躇もなく応じた。

「ううん。違うよ」

 かぶりを振って答えたフェイトに、なのはは安心したような表情を浮かべた。

 しかし、安堵の時間は僅かに一瞬のことだった。

 続くフェイトの言葉に、なのはの表情は凍りついた。

「でも、いずれはそうなる」

 フェイトは驚愕に強張るなのはの顔を正面から見据えて言い放った。

「わたし、ユーノと寝たんだ」

 瞬間、頬に衝撃を感じた。

 なのはが平手をしたのだ、と脳が認識するまでに要した時間は、コンマ数秒のことだった。

「……どう、して」

 肌を叩く音に次いで、耳朶を撫でたのは震える声だった。

 普段、太陽のような笑顔が似合う親友の顔には、禍々しい凶相が浮かんでいた。

「ねぇ、どうして? フェイトちゃん、わたしの気持ち、知ってたよね?」

 ズキン、と胸の奥が痛みを訴えた。

 心臓を、鷲掴みにされたような、強烈で、それでいて鈍い痛み。

 なのはの気持ち。そう、自分は彼女の気持ちを知っていた。知っていて、ユーノと寝た。ユーノを、好きになった。

 なのは、ユーノが好きだった。おそらくは、ユーノがなのはを好きになったのと同じ頃から、彼女は彼に特別な好意を寄せていた。しかしそれは、ユーノの想いほど周囲には暴かれていなかった。なのは、ユーノ以上に奥手で、鈍感で、なにより恥ずかしがりやだった。自分がユーノに寄せている想いを知られるのは恥ずかしいと、特に親しい者達にしか、自分の本心を語らなかった。その、特に親しい者の一人が、フェイトだった。

「……うん。知ってた」

 なのはの問いに、フェイトは粛と頷いた。

「なのは自身の口から聞かされたことだもの。忘れるはず、ないよ」

 フェイトは、なのはの怒れる眼差しを真っ向から受け止めた。

「わたしは、なのはの気持ちを知ってて、ユーノと寝たんだ」

 引き金を引いたのは多量のアルコール。だが、気持ちの弾丸を撃ち出すための火薬は……想いは、十年をかけて自分の中で蓄積されていた。

「わたしも、ユーノのことが好きだから。ユーノと寝たんだ」

「……ッ!」

 また、頬に痛みを感じた。

 再度の平手。

 自分の頬肉を叩く音に覆いかぶさるように、なのはの声がフェイトの耳膜を叩いた。

「フェイトちゃんなんて、大ッ嫌い!」 

 なのははそう叫んで、訓練場から立ち去っていった。

 

 

 誰もいなくなった訓練場で、フェイトは一人、立ち尽くしていた。

 なのはに、事実を告げた。ユーノのことが好きななのはに、自分の想いを告げた。

 後悔はなかった。

 ただただ、冷たい痛みが、彼女の身と、心を攻め立てていた。

「……そういえば」

 不意に、フェイトは気が付いた。

 十年以上になる付き合いの中で、なのはから魔法攻撃を受けたことは何度もあった。

 しかし、彼女から直接叩かれたのは、これが初めてではないか、と。

「それだけ、怒ってった、ってことか……」

 小さな、呟き。

 小さな、嘆き。

 急速に、目頭が熱くなってきた。

 涙腺から溢れ出した雫を、フェイトは止められなかった。

 どうしようもない孤独感。

 途方もない寂寥感。

 フェイトはこの日、親友を失った。

  


<あとがき> 

 突発的に書きたくなった短編SSパート3にして、さりげなくリリカルで文章を起こしたはじめての作品です。

 世間的には『なのは×フェイト』のカップリングが一般的なんでしょうけどね(百合が一般的って……)。タハ乱暴的には、『ユーノ×フェイト』も有りだと思うんですよ。痛みを伴う恋愛って、題材としては王道ですし(笑)。

 ちなみに、個人的にはリリカルではシグナムが好きです。次点はクロノ。なんか応援したくなるんですよね。この二人。共通点は苦労人ということですが。なお、この二人のカップリングでは『ヴァイス×シグナム』、『クロノ×なのは』が好きです。『ザッフィー×はやて』なんかもいけますね。主に恋心を抱いてしまい苦悩するザッフィーとか、いつか書いてみたいです。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

 最後に一つ。青年の主張ならぬ、おじさんの主張を……。

 『リリなの』のベスト・カップルはレイハさんとバルディッシュだよね!? 答えは聞いてない!

 ではでは〜

 ある次元の裂け目から、彼女は、一人静々と泣く少女の姿を、怪訝に眺めていた。

「……まったく、人間というのは分からない生き物ですわね。こうなることはあらかじめ容易に予想出来たでしょうに」

「それでも、止められなった、ってことでしょう?」

 独り語りと思われた女の言葉に、一緒にその光景を眺めていた男が、応じて言う。

「理性じゃ、親友の好きな男を奪うことになる、って分かっていても、どうしても止められなかった。人間は、いまだ獣なんですよ。霊長類だ、食物連鎖の頂点だ、って言っても、人間は、どこまでいっても獣なんです。理性じゃどうにもならない、激情を持った獣なんです」

「……お前は……」

 ふと、寂しげに女の声が異界に響いた。

 小柄な身体が男の胸板に寄せられ、幼い眼差しが見上げてきた。

「お前は、私のもとから、離れていきませんわよね?」

「言ったでしょう? 人間は獣だって。俺も、獣の一人ですから」

 男の手が、女の頭に載せられる。愛撫。絹糸よりもなお艶やかで、滑らかな手触りを堪能しつつ、男は、白い少女に囁いた。

「桜坂柳也という男の獣の本能は、法皇テムオリンを求めてやみませんゆえ……どこにも行きません。あなたが、俺を失うことは、ありません」

 男の言葉に、永遠の時を生きる少女は、満足そうに頷いた。




行き成り修羅場から突入。
美姫 「親友同士で同じ人を好きにね」
どちらが悪いとも言えないような気もしないでもないが。
美姫 「ちょっと珍しいパターンの話だったわね」
だな。投稿ありがとうございました。
美姫 「ありがとうございました〜」



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る