――聖ヨト暦三三〇年、シーレの月、緑、ひとつの日、夜。


 スピリット・タスク・フォース(以下
STF)とエルスサーオ方面軍からなる侵攻軍が、リーザリオを攻略した五日後の夜。

 桜坂柳也は、ひとり占領下のリーザリオの街を歩いていた。時刻は午後九時半。市街地中心部の喧騒から少しだけ離れたそこは、いわゆる歓楽街と呼ばれる地域だ。

 その夜、柳也は夜の街に女を求め、春を買いに出かけていた。単なる性欲解消のためではない。性欲以外にも、この数日の間に溜まりに溜まった鬱憤を晴らすためだった。

 オペレーション・スレッジハンマーの第二段階、すなわちリーザリオ制圧戦は、結果だけを述べればラキオス軍の勝利に終わった。第三軍の壊滅とリーザリオの占拠という戦果に対して、我が方の損害は、僅かに人間の兵が二六名とスピリットが五名のみというもの。数字だけを見れば、ラキオス軍は大勝利を収めたといえるだろう。

 しかし、実際はそのように簡単な話ではなかった。リーザリオの占拠は、バーンライト王国軍にとって……いや、トティラ将軍にとって、想定の範囲内の出来事だったのだから。

 リーザリオを脱出して戦力をリモドアに集結し、改めてラキオス軍を迎撃する態勢を作る。そのために、第三軍は断腸の思いでリーザリオを一時放棄する。緒戦の敗北により手持ちの戦力の半分以上を失ったトティラ将軍が、あの短時間で練った戦略計画を柳也達が知ったのは、ラキオス軍がリーザリオの街を制圧した後のことだった。

 初めからトティラ将軍はリーザリオを防衛する気などなく、柳也達が遭遇した敵は殿部隊に過ぎなかった。囮役の三〇一歩兵大隊が砦に突入した時、リーザリオはもぬけの殻同然で、僅かに一体のスピリットの抵抗と、自爆用のエーテル火薬によるトラップに遭遇したのみだった。しかもその僅かな抵抗で、三〇一歩兵大隊は指揮官の大隊長戦死、スピリットも五体消滅という大損害を受けてしまった。他方、あれほど必死に戦った西門攻撃部隊からは、死者は一人も出ず、僅かに重軽傷者が五名出たのみだった。

 今回のオペレーション・スレッジハンマー第二段階は、全体としては作戦成功だったものの、実際の戦闘ではむしろ反省点の多い戦いだった。

 トティラ将軍の策を見抜けなかったために無駄な戦力分散を行い、損害を被ってしまった。のみならず、敵がなにより保全したがっていたスピリット戦力のほとんどを逃してしまった。トティラ将軍の生死は不明だが、おそらくは生きていることだろう。この失敗が今後の戦いにどう影響を及ぼすか。すぐに分析と近い将来の予測、一連の作戦と個々の戦闘の研究をする必要があった。

 しかし、柳也は――というより、ラキオス軍は――その作業に集中することが出来なかった。

 占領後のリーザリオ市民の統治と監視、砦の復興作業をしなければならかったからだ。

 トティラ将軍はリーザリオを放棄する際、砦から徹底的に軍事施設としての機能を奪っていた。糧食庫は焼かれ、機密文書は処分され、極めつけが司令部の爆破だった。ラキオス軍はまずこれの再建に取り掛からなければならなかった。なんとなれば、リーザリオ占拠の後は、この地に王都直轄軍を運び入れなければならないからだ。リーザリオ砦の軍事施設としての機能復旧は、何より優先するべき急務だった。

 また、占領下のリーザリオの市民が暴動を起こしたり、民兵となって破壊工作を取らぬよう監視態勢を作ることにも人員を割かねばならなかった。監視態勢の構築は、治安維持にも繋がるから、これまた急務だ。

 そして、リーザリオに攻め入ったラキオス軍は、二つの作業を分担して行えるほど、人手に余裕がなかった。

 このような有様では、分析・予測・研究のための時間など、取れるはずもない。

 エトランジェの柳也は、施設復旧と監視業務の両方に携わることになった。戦闘後の疲労著しい、疲弊した状態での命令だった。思うように仕事の時間が取れないばかりか、休息もない。フラストレーションが募った。

 また軍務以外にも、柳也は私事で問題を抱えていた。無論、あの戦闘の最中生えてきた青い右腕のことだ。自分の身にいったい何が起こっているのか。強いストレッサーだった。

 それでも柳也は、人質という弱みを握られている身ゆえの悲しさから文句一つこぼさずに作業に従事した。

 朝起きて突貫作業で施設の復旧を手伝い、周辺の哨戒・偵察任務を終えた後、街の監視に繰り出す。

 そんな日々を五日も過ごし、施設復旧の目処が立ったのが昨日の昼のこと。そして今日、やっとこさ王都から直轄軍四二〇名の兵とスピリット三四体がリーザリオに到着したのである。人手の余裕が出来たことで、柳也達はようやく戦闘後まともな休息を得ることが出来た次第だった。

 柳也はその晩、早速、夜の街に繰り出すことにした。

 男がストレスを解消するには、やはり女が一番だ。特別身体を重ねずとも、言葉を重ね、肌を触れ合わせるだけで神経が安らぐ。同じ酒を飲むでも、美人に酌をしてもらうのとでは味がまったく違ってくる。

 普段ならば、こうした性欲処理やフラストレーション解消ではリリィに相手をしてもらうところだが、あいにく、いま彼女は手近なところにいない。かといって、まさか
STFのメンバーにそんな事を頼むわけにもいかない。いや、頼めば相手をしてくれるだろうが、その代わり、翌日から白い目で見られることは確実だ。

 以上のことを考えると、多少の出費は痛いが、外に買いに行くのがベストだと思われた。

 幸い、ダグラスが“好意”でくれた軍資金一〇〇万ルシルには、まだ十分な余裕がある。女の一人や二人、余裕で買える金額が懐にはあった。

 柳也が目指したのは市内でも上位に入る風俗店だった。金次第では本番行為もさせてくれる、かなりのサービスが期待出来る店だという。ちなみにこれは、自分と同じように性欲処理のため風俗店を探していた兵士達の情報だ。セラスなどはそれを横で聞いて顔を真っ赤にしていた。初心な男だ。自分より年上なのに。




 革張りのソファは、あまり座り慣れていないせいかいまいちリラックス出来なかった。

 下着に近い店の女性のためか、館の構造は暖気を取り入れやすく、逃がしにくい構造になっているようだ。

 柳也が足を運んだ娼館は、二階建ての立派な外観をしていた。内装もそれに見合ったもので、看板に掲げられていた最低料金も、相場を考えればやや割高といえた。

 柳也は店の中でも二番目に人気が高いという女の子を指名した。源氏名はネネ。日本語に直せば、ピーチとなるだろうか。なるほど、いかにもな名前だ。紹介文には二六歳とあるが、さばを読んでいると考えるべきだ。

「お待たせいたしました、ウェイン様」

 店の支配人と思しき身なりの良い男が柳也の前に跪いた。なお、ウェインとは勿論偽名だ。このような風俗店で本名を名乗るのは絶対のタブーである。どこで足がつくか分からない。

「おう。待っていたぜ」

 柳也は愛想の良い笑みを浮かべて立ち上がった。導かれるまま、男に続いて絨毯敷きの廊下を奥へと進んだ。

「当店のナンバー2、ネネでございます」

 支配人の男は、薄いネグリジェ姿の女の子を促して言った。

 背は決して高くなく、ややふっくらした印象の、童顔でかわいげのある顔立ちの娘だった。二六歳とあったが、それよりも若く見える。やはりさばを読んでいるようだ。

「……いかん。思わず、恋をしてしまった」

 柳也は素早くベージュのネグリジェから除くふとももに視線を走らせた。ふくよかな肉つき。実に女くさい。口の中に唾液が溜まる。気に入った。

 ネネは柳也の前で三つ指をついた。意識したものではないだろうが、和式のその仕草が失笑を誘った。日本髪でなく、栗色の髪をしているのが残念極まりなかった。

「ネネです。わたくしでよろしいでしょうか?」

「ああ。勿論」

「では、よろしくお願いします」

 ネネはそう言って深々と頭を下げた。

「トイレの方は大丈夫だから」

「はい。では、お部屋は二階の方になります」

 柳也が慣れた口調で言うと、ネネは当たり前のように彼の手を取って、階段を上っていった。柳也もそれに従う。

 案内された部屋は、ゴシック調のタイル張りの六畳ほどの空間だった。手前にベッド、その奥に一畳程度の浴槽と、三畳ほどの洗い場が見える。なるほど。この店はマットがないタイプなのか。身体を流し終えたら湯船に使ってすぐさまベッド・インというわけだ。

 ハンガーを探す。

 ネネは何も言わずに柳也のジャケットをハンガーにかけてくれた。自分からネグリジェを脱ぎ、後ろ手にブラジャーをはずす。少し垂れ気味の、柳也のヤスデの掌に収まる程度の大きさの乳房がこぼれた。下腹部を締め付けるように纏っているショーツを、くるくる、と巻いて脱ぐ。栗色の髪と同色の茂みが覗いた。

 女に脱がせて、自分は脱がないというのは男ではない。

 柳也は自分から着衣を脱いだ。

「お客様、ずいぶん慣れてらっしゃいますね」

 そうしている間に、ネネはひとり洗い場に向かい、浴槽に湯を張りながら呟いた。

「これまでに何人の女の子を泣かせてきたのかしら?」

 軽口。一流の風俗店に勤める娼婦は、トークも一流でなければ務まらない。客の社会的地位や精神状態を素早く見極め、どんな会話を求めているかを、すかさず判断する能力が必要となる。

 柳也は肩をすくめて言った。

「さてね。そいつはこれに聞いてくれ」

 裸になった柳也は親指で自らの股間を示した。柳也の逸物は、久々に女を味わえるとあって早くも屹立していた。日本人離れした大柄な体躯に相応しい、肉の刀が刃筋を立てている。

 柳也の逸物を見たネネが、艶を帯びた溜め息をついた。

「はぁ……お客様の、ずいぶんとご立派ですね。それに、お身体も堂々としていて……」

 ネネは、うっとり、と柳也の身体を眺めた。

 日頃から剣術の稽古に余念のない柳也の肉体には、無駄な筋肉が一切ない。その一方で、激しい軍務を完遂するための脂肪は肉付き良く、一八二センチの長身は大柄だった。

 ネネの案内に促され、柳也は洗い場に置かれた椅子へと腰を下ろした。

 ネネは柳也の正面にしゃがみこむと、ボディソープを糠袋で泡立て、肩から胸、そして腹へと、順に洗う手を下ろしていった。

「うふふ。見た目だけじゃないのね。お客様のお身体、すごく逞しい」

 ネネは慣れた手つきで手を動かした。

 柳也はそんな彼女の裸身には触れず、目で楽しんだ。くっきりと浮き出た鎖骨、少し垂れ気味のバストの先に実る褐色の蕾、ほんの少し、ぷっくり、と突き出した下腹部の奥に除く黒色の茂み。匂いたつ女の色香が、男の本能を刺激する。下腹部で反り返った肉の刀身は、ネネの裸身を前に、脈動を繰り返していた。

 上半身を洗い終えたネネが、次いで、背中へと回った。絶妙な力加減で糠袋が肌の上を滑り、背中の肉をほぐしていく。ツボを押さえた手つきは、さすがに上手い。

「お客様、凝ってますねぇ」

「仕事が重労働でね。チップを弾むから、後でマッサージしてくれるかな?」

「うふふ。揉み甲斐がありそう」

 クスリ、と上品に微笑んだネネが、再び正面に回ってきた。

 目と目が合う。互いに微笑み合った。この手の店でマッサージといえば、意味するところは一つしかない。

 ネネの指が、下腹部に伸びた。泡のついた掌が肉槍を包む。全体に泡を馴染ませながら、上下にしごく。甘い痺れが、腰を駆け抜け、背骨に走った。良い気分だ。これで酒が入っていれば最高だった。

 満遍なく身体を洗うと、ネネは浴槽に溜まった湯を桶ですくい、洗い流した。

 その上で、彼女は柳也の逸物に消毒液をまぶした。ひんやりとした感触。これで痛みを感じると、病気にかかっている証拠となる。

「痛くないですか?」

「いや、まったく。若干、変に冷たいのがちょい不快だが」

 柳也は正直にいまの心持ちを告げた。

 ネネの繊手で揉まれているのに、消毒液の匂いやら冷たさが気になって、いまいち快楽に酔えない。医術が未熟な有限世界であればこそ、性病の感染を警戒するのだろうが、やられる方としては溜まったものではない。

 ――せめてコンドームがありゃなぁ。

 それも薄くて破れない日本製のやつがいい。以前、安い中国製を使ったことがあったが、分厚い上に行為の最中破れてしまうことがしばしばあった。しかしいまは、その中国製の粗悪品さえ恋しく思う。

 高品質の合成ゴムの精製技術が確立されていないファンタズマゴリアに、コンドームは存在しない。避妊と性病予防の両立を可能とした夜の友達との交友が断たれている現状、女を抱く上で、多少の不快感は我慢しなければならない。

「わたしも、いまとなってはコンドームが恋しいです」

 ネネが、消毒液をすすぎながら呟いた。

 彼女の手の動きにばかり集中していた柳也が、顔を上げる。

「殿方とこれから行為に及ぼうとしているのに、毎回このような事務的な作業をしなきゃいけないというのは、ね」

 ネネはそう言って、恥ずかしそうに微笑んだ。

 正常な男ならば、迷わず微笑み返したくなってしまう、艶めいた笑い。

 しかし、柳也の心はそれどころじゃなかった。愕然とした眼差しを、目の前の女に向けた。

 いま、この女は何と言った?

 コンドーム、と言ったのか?

 有限世界には存在しない発音の単語を、口にしたのか?

 肉の刀は、柔肌に擦られているにも拘らず、徐々に勢いを失くしていった。

 それを見て、女が笑う。

「あらあら、意外と小心者なのね。わたしの口から、故郷の世界の言葉が飛び出しただけで縮こまってしまうなんて」

「君は……」

 黒檀色の双眸が、鋭く睨む。

 勢いを失いかけた肉竿が、ずいっ、と逆立った。血管が、筋肉が、神経が、熱を帯びる。闘争本能が、全身の運動機能を支配した証拠だ。

 戦闘態勢に入った柳也は呼気を鋭く深く、臍下丹田に気を置き、舌に殺気を乗せて言い放った。

「貴様……いったい何者だ? 俺をラキオスのエトランジェと知った上での接触か?」

「勿論ですよ」

 ネネは、上品な仕草で頷いた。

「そうでなければ斯様に危険な言葉は使いません、エトランジェ・リュウヤ様。わたしの名前はネネ・アグライア。コードネームは〈隠五番〉。ダグラス様の密偵で……」

 ネネ・アグライアを名乗る女はもったいぶった口調で間を挟み、やがて人懐っこく微笑んだ。

「あなたと同じ、エトランジェです」






永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-

第二章「蠢く野心」

Episode44「リーザリオの夜」






 ――同日、夜。


 もはや行為に及ぶ雰囲気でもなくなった娼館の一室では、服を着なおした柳也と、ネグリジェ姿のネネ・アグライアがベッドの上で向かい合っていた。

 ダグラス・スカイホーク通産大臣の私兵を名乗るネネは好意的に微笑んでいるが、柳也の方は憮然として腕を組んでいる。ようやく女を抱ける、と喜び勇んだ直後に、行為の中断を強いられたことが相当頭にきているようだ。

「まず聞こうか。君の目的はいったい何だ?」

 柳也は深い険を帯びた眼差しでネネを見た。

「ダグラス殿の密偵と言ったな? 閣下と俺との連絡役は、リリィが務めることになっているはずだが」

「そのリリィ……隠〈八番〉が、国王陛下直筆の最終通告状を携えてバーンライトに向かったのは、リュウヤ様もご存知のことでしょう?」

 厳しい柳也の視線と語調を、しかしネネは平然として受け止めた。

「バーンライトにいる隠〈八番〉の代わりですわ。これからしばらくの間、リュウヤ様とダグラス閣下の連絡役は、わたしが務めます。今日はそのご挨拶と、初仕事のため、あなたの前に姿を晒しました」

「初仕事?」

「王都のダグラス様から、いくつか連絡事項を承っています」

 ネネは、先刻までの艶めいた時間が嘘だったかのように真顔になった。オン・オフの切り替えが素早いタイプのようだ。身に付けている衣服は相変わらずの薄いネグリジェなのに、妙な気分はまったく起こらない。

「報告する事は二つです。一つ目の報告は、マンハッタン・プランに関連することです」

 ネネの口にした“マンハッタン・プラン”という単語に、柳也の双眸から険が消えた。代わりに、黒檀色の瞳に映じたのは鋭い眼光。行為を中断された憤りも忘れて、柳也は「それで?」と、話の先を促した。

 マンハッタン・プランは現在王国軍内で進められている、柳也発案の秘密計画の一つだ。簡単にいえば、エーテル火薬を使って現代世界の火砲を再現しよう、という計画で、最終的には、現代世界で一九世紀半ばに実用化された後装式の鉄弾砲の再現を目指している。柳也がエルスサーオを発った時点では、前装式の石弾砲試作二号機が完成し、いよいよ本格的な試験が始まるか、という段階まで進んでいた。

 あれから五日……すなわち、有限世界における一週間が経過している。

 この数日は天候にも恵まれていた。はたして、試験の結果はどうなったのか。

「リュウヤ様がエルスサーオを発ってから五日の間に、試験は二回行われました。一回目の試験は試作二号砲が正常に機能するかどうかの射撃試験で、本格的な性能テストは二回目に行いました。二回目のテストでは、一号砲と二号砲の両方を稼動させています」

 本格的な性能試験の実施は試作二号砲の完成を待ってから、という方針は当初から決まっていたことだった。なんといっても、有限世界において火砲の作成は、前例のない、初めての事業となる。一号砲が失われた場合に備えて、予備の砲を完成させてから性能テストを実施するのは、当然の判断といえた。

「一回目のテストは成功しました。二号砲は無事機能し、五回の射撃すべてを成功させました」

「そうか」

 柳也は感嘆の溜め息を漏らすと、次いで満足そうに頷いた。

 先述の通り、有限世界の住人にとって、火砲の作成は初めての大事である。その設計・開発作業が難航するのはむしろ当然のことで、試作一号、二号砲ともに機能しない、という可能性は十分ありえた。それを考えれば、二号砲の射撃が正常に行われた事実は、驚嘆すべき出来事だった。

 なお、試作した火砲の緒元は次のようなものとなる。


 種別:カノン砲

 発射方式:前装式

 口径:七五ミリ

 砲身長:一二〇センチ

 砲重量:二〇〇キログラム

 全長:一六〇センチ

 装置全重量:二五〇キログラム

 高低射界:±〇度

 この火砲は前装式、つまり、砲口から発射薬を入れて石弾を発射する方式を取ったカノン砲で、中世後期に登場した最初期の火砲とまったく同じ発射機構、まったく同じ外観をしている。砲身を箱型の砲架に入れて、発射時には地面に固定するのだ。一度固定すると射角と照準を変えられないから、正面の目標にしか効果がなかったが、初期の火砲とはそういう物だった。

 ミリタリー・オタクの柳也だが、所詮はアマチュアだ。火砲を自分で製造した経験はない。技術的な問題は分からないし、出来ることはとにかく知識とアイデアを提供するだけだった。下手に背伸びをして、プロジェクトを凍結させるわけにはいかない。ゆえに、いちばん最初に再現するのは、最初期の火砲としたのだった。

「それで、二回目のテストはどうなった?」

 柳也自身内容の決定に深く関わった二回目の性能テストでは、完成した火砲二門の射程距離、発射速度、砲弾の威力と効果、連射に対する砲身の耐久性の四項目をテストする予定だった。二門でテストするのは、今後均質な工作精度で火砲の量産を可能とするために、性能のばらつき具合を比較するためだ。

 勿論、これらの性能は装填する火薬の量によって大きく変わってくる。よって二回目のテストでは、毎回同じ量の火薬を使うものとしていた。火薬の量を変えての性能テストは、次回以降に回す予定だ。

 柳也が話の先を促すと、ネネは淡々とした口調で答えた。

「二回目のテストは失敗しました」

 ネネはこともなげに言った。

 柳也の眉間に、深い縦皺が刻まれる。作業の難航は予想していたとはいえ、実際に試験が失敗した、との結果を聞くのは、さすがにショックだった。

 自分を見つめる柳也の眼差しが、再び厳しいものになったのを知ってか知らずか、ネネは平然と詳細な報告を続けた。

「テスト項目の射程距離、砲弾の威力と効果の測定については、それなりに信頼性の高いデータがいくつか得られました。ですが、発射速度と耐久性の項目について、十分な数のデータが取れませんでした」

「原因は何だ?」

「砲の連射の反動に、一号砲の砲架装置が耐えられず、割れてしまったんです」

「完成後通算一二回目の射撃の時でした」と、ネネは付け加えた。

「破損したのは一号砲の砲架装置のみでしたが、すぐに砲身のチェックが始められました。二号砲の砲身、砲架装置も同様です。一連の確認作業のため、性能テストは中断せざるをえなくなりました」

「原因は、砲架装置の強度不足か?」

「はい。それから、砲身の方にも無視出来ないダメージが確認されたようで、現在、補修作業が進められています。四発の連射で、砲身は軍手越しでも触れぬほど熱せられていたそうです」

「たった四発でか」

 先は長いな、と柳也は溜め息をついた。砲身と砲架装置の強度の問題は、一朝一夕で解決出来るようなものではない。

 しかしその一方で、四発の射撃によって砲の射程距離と威力のデータは取れたのだ。これはこれで十分な成果といえよう。

「それで、判明した二門の射程距離と威力は?」

「はい。射角をゼロ度に固定した一号砲の平均射程距離は約一五〇〇メートル。二号砲は、一三〇〇メートルでした」

「誤差範囲二〇〇メートルか。上々だな。初めて作った砲にしては、十分均質な精度といえる」


「効果は、五〇〇メートル先に設置した目標――煉瓦の城壁ですが――に対し、一号砲が最大一三三ミリ、二号砲が最大一一九ミリの貫通力を示しました」

「上等々々。正直、まともに命中するかも危ぶんでいたくらいだから」

「グルーピングは二〇メートル以上でしたが」

「そりゃあ……まぁ、命中精度は今後に期待ということで」

 柳也は苦笑した。たった四発の射撃で正確に集弾性が測れるとは彼も思っていないが、二〇メートルという数字はちょっといただけない。いくら最初に作る砲とはいえ、ライフリングくらいは彫っておくべきだったか、と少し後悔した。

 ライフリングは銃身や砲身内部に彫られた溝のことで、技術的な問題をクリアし、正確に彫ることが出来れば、銃や砲の命中精度をかなり高上させることが出来る。無論、今日のライフル銃の語源となった言葉だ。

 ライフリングを旋条するには高い工業技術が必要となる。今回はエーテル技術の潜在力が未知数だったため採用を見送ったが、すでに製作が始まっている試作三号砲は無理として、その次の四号砲で試してみるのもよいかもしれない。

「……ところで」

 その後も一号砲と二号砲の性能テストの詳細について述べていたネネが、不意に口調を改めた。

 どこか弾んだ、それでいて悪戯っぽい語調だ。

「試作一号砲と二号砲ですが、現場の技術者達の間ではすでにニックネームが付けられているそうですよ」

「ん?」

「一号砲がリュウヤ砲、二号砲がダグラス砲だそうです」

「……マジで?」

「マジです」

 柳也は思わず天を仰いだ。途方もない気恥ずかしさが、胃の辺りから込み上げてくる。兵器開発の過程で愛称が付くのはよくあることだが、それに自分の名前が使われるのはまったくの予想外だった。

 ネネは、くすくす、笑って柳也に言う。

「ちなみに三号砲はルーグゥ砲を予定しているそうです。砲身には龍の飾りが付くそうですよ」

「おいおい、陛下が三号砲かよ……」

「さて、次の報告ですが……」

「スルーですか。そうですか」

 柳也は肩を落とし、溜め息をついた。だんだん、ネネの性格が分かってきた。相手を自分のペースに巻き込むことで、精神的な充足感や快感を得るタイプのようだ。

 そしてその傾向は柳也にもある。相手を自分のペースに巻き込むことを常とする二人が顔を合わせた。はてさて、この勝負、己が勝つか、敵が勝つか。

【いつから勝負になったんですか?】

 ――気にするな。男という生き物は、何事も勝負に例えねば気の澄まぬ生き物なのだ。

 柳也はネネを見た。

「それで、次の報告というのは?」

「バーンライトに潜伏している、他のダグラス様の密偵が集めた情報です」

「聞こう」

 柳也の双眸に、再び鋭利な輝きが宿った。

 このタイミングで敵地に潜伏していた密偵達からの報告を伝える、ということは、今後の戦局を左右するような、あるいは左右しかねない情報なのだろう。それも、実際に戦場に立つ自分達にも関わってくる類の。

「バーンライトの第一軍の内部で、奇妙な動きが見られたそうです」

「……第一軍というと、王都サモドアの?」

「はい」

「具体的には? ……リモドアの第二軍との合流を図っているような素振りか?」

 もしそうだとすれば厄介な事態だ。リモドアの第二軍と、サモドアの第一軍が合流すれば、敵スピリットの数は五〇を下るまい。現在、リーザリオには、エトランジェを含めて六九人のスピリットが駐留しているが、相手の戦術次第ではこちらが敗北する可能性も考えられる。

 頭の中に浮かんだ最悪の未来像を、しかしネネはかぶりを振って否定した。

「いいえ。いまのところ第一軍が第二軍と合流する様子はないようです。ですが……」

「ですが?」

「この数日間、第一軍の全部隊……特に、山岳大隊の訓練が激しくなっています」

「山岳大隊の?」

 柳也の双眸が鋭くぎらついた。

 山岳大隊といえばバーンライト王国軍の最精鋭、虎の子部隊だ。その山岳大隊の訓練量が増加しているということは、どこかの戦線に投入されるのが近い、ということだろう。いったいどの戦場に投入されるのか。

「具体的な訓練の内容は? 訓練の内容から、敵の作戦をある程度探ることが出来るはずだが?」

「それが……通常の山岳戦闘訓練の量と密度を増しているだけなのです」

「山岳戦闘の訓練を?!」

 柳也は思わず目を剥いた。バーンライト国内で山岳戦闘のノウハウが活かせる戦場は、ラジード山脈とサモドア山脈しかない。しかし、リーザリオがラキオスの占領下にある現状、ラジード山脈で戦闘をする戦略的・戦術的な価値は低い。ということは――――――

「敵の目的は、サモドア山道の門を開けて、一気にラキオス領土に流れ込むことか!?」

「やはり、リュウヤ様もそうお考えになりましたか」

 サモドア山道を塞ぐ山門の鍵は、バーンライト側の掌中にある。その気なればバーンライトは、いつでも山道の門を開け、ラキオスを攻めることが出来た。

「戦略研究室でも、その線を濃厚視しています」

「いや、しかし……ラキオス軍とて、敵がそう行動することを警戒して、ラセリオには方面軍を残している。ラース襲撃事件の影響でそちらに戦力を回しているとはいえ、それでもスピリット二〇を擁する戦力だ。そう簡単に落とせるものじゃない。バーンライト側とて、それは分かっていはずだが……」

 山岳大隊には……いや、バーンライト側には、何か勝算があるのだろうか。それとも、一か八かの賭博行為に過ぎないのか。あるいは、捨て鉢になった破れかぶれの行動なのか。もし、勝算があるとしたら、それは何なのか。それを探る必要があった。

「……ネネさん、だったな?」

「はい」

「ダグラス閣下に伝えてくれ。桜坂柳也は、第一軍山岳大隊の動向について、もっと詳細な情報を欲している、と」

「そうおっしゃると思いまして、すでに閣下は手を打たれています」

 ネネは、にっこり、笑って言った。

「バーンライト王国内の密偵の人事を変えました。現在サモドアには、王国軍情報部諜報員の他、ダグラス様の私兵が六名潜伏しています」

「さすが閣下だな」

 柳也は莞爾と笑みを浮かべた。ダグラス・スカイホークという男の政治感覚は抜群だ。僅かな情報からどこが戦略的に重要なポイントなのかをすぐに見極めてしまった。そして、そのポイントに対し、迅速に、かつ適切に人事を投入する行動力がある。

 ――恐るべしは風見鶏だな。政治家として抜群の戦略眼と、類稀な行動力は、ダグラス殿の最強の矛だ。

 相手の弱点を素早く見抜き、そこを集中して衝く。自分にその力がなければ、人事を以ってこれに当たる。

「……本当、乱世向けの政治だよな。報告は、以上か?」

「はい。……あ、あと一つだけ」

「うん?」

「これはダグラス様からの命令ではなく、個人的に伝えておくべきかと思いまして……」

 ネネはそこでまた、悪戯っぽく微笑んでみせた。

「サモドアの王城に潜入している密偵仲間からの連絡です。〈隠八番〉……リリィは無事だそうですよ。軟禁状態にはありますが、ラキオスからの正式な使者ですし、本人も特に抵抗しないので、拷問や尋問の類も受けていません」

「……そうか」

 柳也は、ふぅっ、と安堵の息をこぼした。

 やはり内心、ひとりバーンライトの中枢に足を運んだリリィのことが心配だったのだ。本人の口からラキオスの使者として敵国へ赴く決意を聞かされた時は、目を剥いて仰天し、次いで反対したが……結果的に、使者は彼女で正解だったようだ。

「嬉しそうですね」

「嬉しいというか……ほっとした。人づてとはいえ、彼女の無事が確認出来て」

「そうですか……それで、どうします?」

「うん?」

「わたしから報告するべきことはすべて終わりました。……先ほどの続きをしますか?」

 先ほどの続きが何を指しているのか、ここで分からぬほど自分は馬鹿ではない。

 ネネは唇の端を釣り上げて、艶の帯びた眼差しを向けてきた。ほのかに潤みを宿す瞳は、男の本能を適度に刺激してくれる。

 とはいえ、先ほどまでの真面目な話で、すっかり、そんな気分は失せてしまっていた。

 柳也は小さくかぶりを振った。

「いや、いいよ。もう、そんな気分になれそうにない」

「あら、ではこのままお帰りですか? 勿体無い。まだお時間はあるのに」

「勿論、このまま帰るなんて勿体無いことはしないさ」

 柳也はニヤリと、笑った。

「君自身のことを教えてほしい。俺やダグラス殿と同じ、エトランジェなんだろう? コンドームを知っているということは……俺が暮らしていた時代から、結構近い年代だと思うんだが」

「女はちょっとくらいミステリアスな方がよいと思うんですけどねぇ」

「あぁ……大体分かった。その言い回しから察するに、少なくとも俺よりだいぶ年増だ」

「ひどい!」

 柳也の発言に、ネネは悲鳴を上げた。冗談混じりの反応ではない。本気で悲鳴を上げ、涙目になっている。どうやら彼女にとって、年齢の話題タブーらしい。もしかすると、一見若そうに見えて、その実、若作りには苦労しているのかもしれない。

「若作りとか言わない! わたしはまだ若いんです!」

「おっと、これは失礼」

 ネネの取った反応があまりにも可笑しかった柳也は、久しぶりに腹の底から笑い声を上げた。

 どうやら今回の勝負は、柳也の勝ちのようだった。

【いえ、ですから、いつの間に勝負事に?】

「ふふふ。それは永遠の謎に包まれているのだよ」




 ――同日、夜。


 あの後、ギャランディ分の時間いっぱいまでネネの身の上話を聞いていた柳也は、結局、性欲の滾りを解消することなく娼館を後にした。

 左手首に巻いた父の形見の腕時計が示す時刻は、もう深夜と呼べる時間帯だ。

 柳也はSTFで接収した仮の宿への帰路に就いた。

 帰りの道すがら、柳也は娼館の一室でのネネとの会話を思い出していた。

 娼婦としてのネネのトークは一級品だった。いまの自分がどんな話題を求めているか的確に見抜き、我侭な自分の心情に沿って話を展開してくれる。それによって喚起されるいくつもの感情は、己にとってとても心地の良いものだった。少しの間、仕事のストレスとか、自分の身体に関する不安とか、そういったものを忘れることが出来た。

 しかし、ストレスも不安も、忘れられたのはほんの一瞬だった。カネを払って得た楽しい時間は、あっという間に終わってしまった。

 ネネと別れて、ひとり夜道を歩いてみれば、心の中を占めるのは深い懊悩だった。

 占領したリーザリオのこと。ネネから聞かされたバーンライトの動向。マンハッタン・プランが直面した問題。そしてなにより、自分の身体のこと……。懊悩を少しでも払うために娼館へ赴いたというのに、館を出てみれば、むしろ悩みの種は増えていた。
 
 どれ一つとして、独力では容易に解決しがたい問題だ。

 その無慈悲な事実が、苛立ちと、不安と、それに伴う恐怖に拍車をかける。

「くそッ」

 柳也は歯を食いしばり、天を仰いだ。

 深夜の空では、異界の月が煌々と青い光を放っている。

 その月は、いつも見る月よりも小さく感じられた。己の心に、余裕がない証左だった。そのことが、余計に焦燥を強めた。

 かといって酒に酔って溺れることは、自分には許されない。体内寄生型の永遠神剣を二振りも抱えるこの身は、あらゆる身体機能が強化されている。いまの己の肝機能は、酒を一升二升とあおったところで酔えない身体にしてしまっている。薬も同様だ。肉体がドラッグを異物と認識したが最後、快楽はたちまちに消え、薬の成分は浄化されてしまう。

「酒も駄目。薬も駄目。考えたところで、問題は解決しない。どうすりゃいいっていんだよ……!」

 苛立ちに任せて拳を振り抜いた。

 虚空を薙いだ己の鉄拳は、自分の放ったものとは思えぬほどに鈍く、重かった。

 月の光に照らされて、握り拳が青白く映じる。

 脳裏に、あの青い異形の手の、禍々しい形状が思い出された。

「ッ……!」

 柳也は滅茶苦茶に拳を振り回した。

 頭の中に浮かんだ幻想を振り払うように、とにかく空を殴った。

 しかし、どれほど虚空を薙いだところで、幻の右手は消えなかった。

 柳也は頭を抱えた。その場に、うずくまってしまう。

 ――恐い……!

 これまでにも、考えることはたくさんあった。佳織のこと。瞬のこと。悠人のこと。彼らのいまを、彼らの未来を思うと、いつも恐怖が付き纏った。

 しかし、今回のそれはその比ではない。他ならぬ自分自身の身を起きた異変だ。自分自身、何が起きているのか分からないという、かつてない恐怖を伴う異変だ。

 自分の身は、いったいどうなってしまったのか。

 自分の身に、何が起こっているのか。

 自分は、いったい、これからどうなるのか。

 いまの自分は、いったい、何者なのか……。

「俺は……俺はぁ……」

 地面に、赤い雫が落ちた。

 唇が裂け、赤い滴りが生じるほどに噛み合わせた歯と歯の間からは、ほの暗い嗚咽が漏れた。

 化け物。

 かつて自分は、ことあるごとにそのフレーズを何度も用いた。

 あの右手は、まさしく化け物のそれだった。

 自分は本当に、化け物になってしまったというのか。

 柳也の懊悩は、果てしなく暗く、途方もなく深かった。




 以前、高名な心理学者が書いた本を、読んだことがある。

 攻撃行動は、内に溜まった不快な情動を静めるための手段だという。泣くという行動もそう。笑うという行動すら、不快情動を静めるための手段だという。

 いまの自分のように、誰彼憚ることなく、ひとり言葉を発し続けるのも、不快な情動を低減させる効果があるらしい。

 膝を抱え、その場にうずくまっていると、多少なりとも気分は落ち着いていった。

 とはいえ、まだ仮宿に帰れるような精神状態ではない。

 いまの自分は、仮にも責任ある立場の人間なのだ。部下達の前で、情けない顔をするわけにはいかない。

 ――もう少し、こうしているか。……あと少しだけ落ち着いたら、帰るとしよう。

 呼吸は静かに、深く、鋭く。臍下丹田に気を沈め、この血肉に夜気のマナを宿す。

 大丈夫。自分は、大丈夫だ。落ち着ける。また、みんなの前で笑顔を浮かべられる。

 みんなには、内心の不安を悟られないよう行動出来る。

「……よし」

 一つ頷いて、柳也は立ち上がった。

 両頬を、掌で叩いて気合を入れる。

 大丈夫。そう、大丈夫だ。少なくとも、今夜はこのまま乗り切れる。自分はまだ、大丈夫なはずだ。

 一度そう思い込んで気を静めてみれば、これまで見えてこなかったものが見えるようになる。心の余裕から視野が広がり、また同時に、聞こえなかったものが聞こえるようになる。

「…………ん?」

 不意に、違和感を覚えた。

 かすかに……本当にかすかな、しかし聞き慣れた女の声が、耳朶を撫でた。

 この声は―――――――

「……ハリオンか?」

 柳也は本日のハリオンの予定を思い出しながら呟いた。今日のハリオンは、昼はリーザリオ砦の復旧作業に従事し、夜は街の治安活動に携わることになっていたはずだ。ということは、いまは治安維持のため巡回の真っ最中なのか。

 柳也は耳膜に神経を集中させた。身体強化のために使っているマナのエネルギー配分を、少しだけ聴覚に集中してやる。

 はたして、同僚の声は、すぐに鮮明な音となって耳膜を揺さぶった。

 同時に、何人か男の声も聞こえてくる。剣呑な語調から発せられる言葉は、柳也の表情を険しくさせるのに十分な威力を伴っていた。

 柳也は深々と溜め息をついた。

 自分はこれほど深く、暗く、孤独に怯えながら悩んでいるというのに、この世界の連中は……。

 柳也は声の聞こえてきた方向へと足を向けた。




 声の主達はどうやら移動している様子だった。

 耳だけでなく、神剣レーダーも併用して声を追うと、市街地の中心からはさらに離れていった。郊外の路地裏。もともと人気が少ない上に、深夜の時間帯だ。人通りはなく、足音と、己の息遣いだけが静かに響く。

 青い月明かりを頼りに歩を進めると、辿り着いたのは袋小路だった。周囲からは死角となり、音も漏れにくい。高い壁に囲まれた街の行き止まりに、ハリオンと三人の男はいた。

 見るからに剣呑そうな雰囲気が場を支配していた。

 服装から察するに、リーザリオの一般市民……それも、中産階級の出身者だろう。一見した限りでは、全員十代後半から二十代前半と推定出来る顔立ちだ。ハリオンを取り囲み。口々に何か罵っている。

「スピリットごときが人間様を監視か? テメェ、何様のつもりだ!?」

「と、おっしゃられましてもぉ」

「大体なんだ? そのとろくせぇ喋り方は。聞いててムカムカするんだよ!」

「ごめんなさいですぅ〜」

 三人の中でも年長者と思しき男のあまりに身勝手な言葉に、しかしハリオンは素直に謝った。だが、間延びした口調は変わらない。そのことが男の怒りにさらに油を投じたらしく、米神が、ひくひく、と動いた。

 そんな男を止めるでもなく、周りの二人は、へらへら、と笑っている。

 その様子から、大体の状況はすぐに察せられた。

 リーザリオがラキオスの占領下に置かれてはや五日、住人達の不満もそろそろ蓄積されてきた頃だろう。そんな占領下の屈辱を味わっているリーザリオの一般市民三人が、ちょうどスピリットが街を巡回しているところに出くわした。スピリットは人間には抵抗出来ない。ストレス解消の恰好の獲物を見つけた彼らは、それで因縁を吹っかけたのだろう。ハリオンはちょうど良い憂さ晴らしの手段として見初められてしまったわけだ。

「スピリットごときに私生活を覗かれて、俺の心はズタズタだぁ。なぁ、スピリット? 俺のこの心の痛みを、どうやって癒してくれる?」

「どう、と、言われましても……」

「そういえばお前、スピリットのくせになかなか良い身体つきをしているじゃねぇか」

 年長の男が、ニヤニヤ、と卑しい冷笑を浮かべた。

 その視線は、ハリオンを見ているようで、彼女を見ていない。男の視線は、ハリオンの顔でなく、分厚い戦闘服越しにも圧倒的なボリュームが察せられる豊満な胸に注がれていた。その眼差しには、明らかな性欲の昂ぶりが見て取れる。どうやら連中の目的は、ハリオンの体らしい。

 溜まったストレスを女で解消する。同じ男として理解出来ない行動原理ではない。事実、自分もつい先ほどまでは同じことを考え、実践しようとしていた。自分に彼らの生理そのものを非難する資格はない。

 とはいえ、男達のやろうとしていることは明らかに行き過ぎていた。男達のやろうとしていることは相手の同意なき犯罪であり、しかも三対一で暴力を振るうという悪辣なものだ。加えて、人間には逆らえないスピリットを標的とした辺り確信犯だといえる。男達にとって、ハリオンはちょっと精巧なダッチ・ワイフくらいの認識に違いない。

「こんな胸しやがって。もしかして俺達を誘ってるのか? スピリットごときが」

 男がハリオンの胸に手を伸ばした。乱暴な手つきだ。ハリオンはすぐにその手を払い除けようとして、思いとどまった。スピリットは人間に逆らってはならない。どんなに嫌なことをされても、スピリットは人間の言うこと、することに従わなければならない。スピリット自身の感情は、一切無視されて。

 力強く胸を鷲掴みにされて、ハリオンの顔が僅かに歪んだ。普段、彼女の笑顔を見慣れている人間でなければ気付けないほどの、かすかな変化だ。しかし、そのかすかな変化は、彼女が苦痛を感じていることを如実に示していた。

 柳也は重い溜め息をついた。どうしてこう、自分はトラブルの女神から寵愛を受けているのか。それも、よりにもよってこんな精神状態の時に。

 柳也は軽く地面を蹴った。

 風よりも速く、気配を殺しながら、男達に迫る。

「おい……」

「あん?」

 声をかけられ、ようやく気付いた男の一人が、不機嫌そうに振り向いた。その面に、拳骨を叩き込む。グシャリ、と鼻骨の砕ける感触。心地良い。白目を剥いた男の鼻から噴出した血が、べっとり、と拳に纏わりついた。

 ガクガク、と震えながら男が膝から崩れる。地面に突っ伏し、僅かに痙攣。そうして、気を失った。

 仲間の一人が倒れたのを見て、残る二人が顔面を蒼白にする。その背後で、ハリオンの息を呑む音が聞こえた。

「な、なんだテメェは!?」

「いきなり何をしやがる?」

「……うるさい。それ以上、喋るな」

 年長の男の隣に立っていた若い男を殴った。相手の内懐に潜り込み、鳩尾を狙ってショベル・フック。回転を加えた拳が、相手の内臓を押し上げる。男の口から苦悶の呻きとともに胃液が吐き出された。自分の体温よりもやや温い吐瀉物が、頬を撫でる。

「汚いモン吐きかけてるんじゃねぇよ、この馬鹿が」

 ぐらり、と体重を預けてきた男の体を蹴り飛ばした。

 神剣の力を使っていないとはいえエトランジェの脚力だ。男の体は、空中で放物線を描いた。

 ハリオンの胸に手をかけたままの男は、唖然とその光景を眺めていた。

 あっという間に、二人、やられた。顔も名前も知らないような男に。その事実が、年長の男には信じられなかった。

 男が、ヒステリックに叫ぶ。

「な、なんなんだよ、テメェは!?」

「喋るな、って言ったのが、聞こえなかったか?」

 柳也は無表情に相手を見下ろしながら言い放った。男の身丈は一七〇センチ前後、柳也より頭半分小さい。身長に比して体格は小柄で、お世辞にも肉付きが良いようには思えない。

「ストレス抱えてイライラしているのはお前だけじゃないんだよ。誰もがみんな、ストレス抱えて生きているんだ。その鬱憤を女で晴らしたいっていうんなら、娼婦でも抱いてろ。無抵抗のスピリット一人を、三人掛かりで襲って良い気になるんじゃねぇ」

 眼光に怒りを、呼気に殺気を託して、柳也男の胸倉を掴んだ。そのまま、吊り上げてやる。両足が地面から離れ、男は軽いパニックを起こした。意味をなさない音の羅列を、恐怖の形相で吐き出す。

「な、な、なぁ!」

「喚くな。臭ェ息がかかるだろうが」

 柳也は強制的に男と顔を突き合わせた。目尻いっぱいに涙を溜め込んでいる男に、酷薄に笑いかける。

「俺が何者なのか、訊いていたな。いいぜ? 答えてやるよ。俺は、エトランジェだ」

 男のトラウザーズの股下に、黒い染みが広がった。失禁だ。スピリットと同等、あるいはそれ以上の力を有しながら人間に逆らえるエトランジェの名は、この世界の住人にとって恐怖の代名詞だった。

「悪いな。こいつは八つ当たりだ。お前達と同じで、俺もイライラしていたんだ。俺と出会ったこと、運が悪かったと思って、諦めてくれ」

 柳也は胸倉を掴み上げていない方の左手で拳骨を作った。

 男が、いやいや、と首を横に振った。

 助けてくれ、と何度も喚いた。

 柳也はニヤリと微笑んだ。

 右手を離す。同時に、左手を思いっきり振り抜く。顎先目掛けてのアッパーカット。骨の砕ける音と感触が、甘い痺れとともに拳を伝う。男の体が宙を舞い、夜空に消えて見えなくなる。比喩ではない。限りなく九〇度に近い角度に沿って放物線を描いた男の体は、やがて頂点に達し、落下を始めた。袋小路を演出する高い塀の、向こう側へ。グシャアッ、と鈍い音。音の聞こえ具合から察するに、背骨が折れたのだろう。大丈夫、まだ死んではいない。ほとんど瀕死の体だが、かすかに息遣いが聞こえてくる。

「リュウヤさま……」

 背筋を、ハリオンの声が撫でた。

 しかし、振り向ことはしなかった。

 いまの自分は、きっと酷い顔をしている。そんな顔を、彼女に見せるわけにはいかない。イライラしているとはいえ、それくらいの理性と冷静な思考はあった。

 柳也は静かに深呼吸を繰り返した。

 闘争とも呼べないような一方的な蹂躙の直後、昂ぶった気を鎮めるべく努める。

 五秒。

 一〇秒。

 頬に触れる夜風を冷たく感じ、もう大丈夫だろう、と柳也は同僚の少女に振り返った。

 努めて明るい声音で、努めて朗らかな表情で、彼女を見る。

「大丈夫だったか、ハリオン?」

「あ……はい」

 自分の顔を見て、ハリオンはやや驚いた表情を浮かべた。いつものようににこやかな笑みを浮かべようとしたその顔に、翳りがさす。また再び、息を呑む音。

 無理もない、と思った。いまの自分は、男達が排泄してくれた血やら吐瀉物やらで、ずいぶん汚れてしまっている。「大丈夫か?」という言葉は、むしろ自分にこそ向けられるべきものだろう。

 柳也は服の袖で顔を拭った。とにかく、頬に付いた胃液だけでも綺麗にしておく。

「災難だったな。面倒な因縁を付けられても難だ。今後、ハリオンはこの辺りの巡回はさせないようロールを組むから」

「あ、はい。ありがとうございます。……あのぅ、リュウヤさま?」

「うん?」

「その……………………リュウヤさまは大丈夫でしたか?」

 やけに長い間を挟んだ、ハリオンにしては珍しい、躊躇いがちに紡がれた言葉だった。

 服の汚れのことを言っているのだろう、と察しをつけた柳也は、苦笑いを浮かべた。

「ううん……どうだろうなぁ。血も、胃液も、一度乾いたら取り難い染みの代表格だ。この服はもう、処分しないといけないかも」

「いいえ。服のことではなくですねぇ」

「うん?」

 柳也は怪訝な表情を浮かべた。

 はて、服のことではない、とすると、いったい何を指しての「大丈夫ですか?」なのか。先ほどの一連のやり取りはハリオンも一部始終目撃しているはず。自分は一方的に相手を殴り、反撃らしい反撃をもらわなかった。怪我をしていないことは、彼女とて分かっているはずだが。

 しばらく考えても答えが見つからない柳也は、「何のことだ?」と、ハリオンに訊ねた。

 ハリオンは、また言ってよいものなのか躊躇しながら、おずおず、と口を開いた。

「その……リュウヤさまの目」

「目? 目が、どうかしたか?」

「涙」

「え?」

「リュウヤさま、いま、泣いているんですよ?」

 言われて、柳也は自分の顔に触れた。

 そうして、ようやく気が付いた。

 涙が。

 涙が、頬を濡らしていた。

 いったいいつから泣いていたのか、まったく気付かなかった。

 努めて朗らかな笑顔を浮かべていたつもりの自分が、その実、どんな顔をし、涙を流していたのか、まったく、気が付かなかった。

 涙を流すよう神経にシグナルを送った己の、心の機微に、まったく気が付かなかった。

「ハリオン……俺は……」

 頬を触った際、掌を濡らした熱い雫を茫然と見下ろして、柳也は次いでハリオンを見た。

 いつものようなにこやかな笑みはなく、柳也の身を案ずる不安そうな表情が、自分を見つめていた。

 柳也は、自分でも何を口にするべきか分からぬまま、しかし、無言でいるのが辛くて、口を開こうとした。

 その時だった。

 悲鳴が、耳朶を打った。

 塀の向こう側から。

 どうやら、殴り飛ばした男を誰かが発見したらしい。

 その、甲高い声に、柳也とハリオンは、はっ、となった。

 このまま自分達の存在が見つかれば、今後ラキオスがこの街を統治していく上で少々……いや、かなり不味いことになる。

 ハリオンが己の手を掴んだ。

 そして、強引に引っ張った。

「リュウヤさまぁ、こっちです〜」

 いつもの間延びした口調。しかし、その顔に余裕はない。

 必死の形相で手を引くハリオンに従って、柳也は足を動かした。




 ――同日、深夜。


 
STFが仮の兵舎として接収した館は、貴族が別荘として利用していた洋館だった。大浴場も設けられた贅沢な作りだったが、郊外の不便な場所にあるため、ラキオス正規軍の将兵達もあえて手をつけなかったのだ。とにかく部屋数が多く、STFのメンバー十人全員に割り当てても、まだ余っていた。

 誰にも見つかることなく無事に路地裏から逃げ出すことに成功した柳也は、しかし、館に戻ってからもハリオンに手を握られたまま、彼女の部屋へと招き入れられた。

 公正なくじ引きの結果、ハリオンに割り当てられた部屋は、一六畳ほどの広々とした寝室だった。羨ましいことに、ダブルサイズのベッドを一人占めする権利を得た彼女の部屋には、他にも鏡台やソファ、素人目にも高価と思しき花瓶といったインテリアまで置かれていた。

 ハリオンからベッドに腰掛けるよう薦められた柳也は、普段目にすることのない高級インテリアの数々に好奇の眼差しを向けては、感嘆の吐息をこぼした。

「はい、どうぞ〜」

 間延びした口調と、見慣れたにこやかな笑顔で、ハリオンは湯気の立つティーカップを差し出した。「ウレーシェ」と、呟いて、カップを受け取る。

「このハーブティーには気分を落ち着かせる効果があるんですよ〜。ですけど、あまりクセのない味なので、きっと飲みやすいと思います〜」

「ほぉ……」

 匂いたつ白い香をいっぱいに抱き込み、熱いカップを唇に寄せた。一口、飲んだ。僅かな酸味を孕んだ熱い液体が、舌を、そして喉を焼いた。なるほど、たしかにハーブティーだけあってやや香がきついが、飲みにくいということはない。むしろ、美味だと感じた。

「……うん。美味い」

「ふふふ。ありがとうございます〜」

 ハリオンは柳也の感想に嬉しそうに微笑むと、その隣に腰を下ろした。

 ぴったり、と寄り添い、同じデザインのカップで茶を飲む後ろ姿は、若い夫婦に見えなくもない。

「それで、落ち着きましたか〜?」

「……ああ」

 柳也はしっかりとした所作で頷いて、彼女の顔を見た。黒檀色の双眸に、透明な雫の顔はない。涙はもうとうに止まり、その跡は、ゆっくり乾き始めていた。

「ハリオンのハーブティーのおかげだな。落ち着いたよ」

「そんなに早くは効きませんよ」

 おどけた調子で言うと、ハリオンは、くすり、と微笑んだ。

 つられて、柳也も莞爾と微笑む。

 いつもにこにことして笑っているハリオンの笑顔には不思議な魅力がある。見る者を幸せな気持ちにする笑顔、とでも表現出来るか。彼女が笑っているのを見ると、気が付けば自分もいつの間にか笑みを浮かべているのだ。柳也はそんな、周囲の心を暖めてくれるハリオンの笑顔が好きだった。

「……それで、今夜はどうなされたんですかぁ、リュウヤさま?」

 寝室を漂う空気が程よく和み、頃合よしと見たか、ハリオンは柳也を真っ直ぐに見つめた。

 逃げようのない至近距離で孔雀石の眼差しを向けられた柳也は、しかし無言で微笑むのみ。ハリオンはさらに、言葉を重ねた。

「イライラしている、ストレスが溜まっている、って、口にしてましたよね?」

「…………」

「なぜ、そんなことになったのか、話していただけませんか?」

「…………」

「勿論、無理に、とは言いませんけどぉ〜」

「…………」

「口にするだけでも、気持ちが楽になることって、あると思いますよ〜」

 口にするだけでも。

 その甘美な言葉に惹かれて、一瞬、開きかけた口を、柳也は慌てて閉じた。

 駄目だ。口にしては駄目だ。たしかに気分は楽になるかもしれない。しかし、自分は彼女の上官なのだ。弱い姿を、見せるわけにはいかない。弱い姿を、見せてはならない。

 いいや。上司だから、部下だから、なんて、そんなものは言い訳だ。自分が、弱い姿を見せたくない本当の理由は別にある。ストレス発散のための性欲処理を、スピリット達に頼まなかった本当の理由も、別にある。弱い姿を見せれば最後、きっと、自分は――――――――

「……あの、右腕のことですか?」

「……ッ!」

 あの時、あの戦場には、当然のことながらハリオンもいた。切断された自分の右腕に起きた異変は、彼女も目撃している。彼女がその答えに行き着くのは、不自然なことではない。

 自分がいま抱えているいちばんの悩みを正確に衝いたその言葉に、柳也は思わず息を呑んだ。無言でいられる時間を一秒でも長引かせるために、間を保たせようと唇に寄せたカップの中身が、小さく跳ねた。動揺が、手に伝わったか。自分は最低の大根役者だ。これでは、質問に対し肯定の返事をしているようなものだ。

 柳也はハリオンを見た。

 即座に否定するべきだった。

 即座に否定すれば、まだハリオンに気取られなかったかもしれない。

 しかし、柳也が否定のために口を開きかけた時には、もう遅かった。

「そう……そうなんですね」

 ハリオンは得心した様子で何度も頷いた。

 柳也は「違う」と、言おうとして、やめた。今更否定したところで、ハリオンの考えは変わるまい。ハリオンに、弱い姿を晒してしまった事実も変わらない。

 それなら、これ以上のぼろが出る前に、いっそすべてを打ち明けた方がよくはないか。

 ハリオンの言うように、口にして、楽になってしまうべきではないか。

「……〈決意〉と、〈戦友〉にな、問いただしたんだよ」

 頑なな態度を貫いていた男は、やがて、口調に深い懊悩を乗せて、ようやく口を開いた。

 ハリオンは柳也の言葉を、無言で聞いていた。

「この右腕は何なのか。俺の身体に、いったい何が起こっているのか。俺の身体は、これからどうなってしまうのか。訊ねたんだ。……そしたら、な。〈決意〉も、〈戦友〉も、分からないって、言ったんだ。体内寄生型の永遠神剣で、文字通り、俺と一心同体の二人が、分からない、って言ったんだぜ?」

 柳也は自ら嘲笑って冷笑を浮かべた。

 ある意味で、自分以上に自分の身体のことをよく知る二人の口から、自分の身に起きている事態が何なのか分からない、と告げられた時、己の中に生まれた感情は、絶望だった。

 恐怖と、不安と、悲しみを孕んだ絶望は、自分の中で、日に日に大きくなっていった。

「恐くなった。自分の身体で起きていることなのに、何が起こっているのか、何一つ分からないことが。自分の身は、いったいどうなってしまったのか。自分の身に、何が起こっているのか。自分は、いったい、これからどうなるのか。いまの自分は、いったい、何者なのか。……そんな風に、色々考えているうちに、またどんどんどんどん恐くなった!」

 柳也は一旦、そこで言葉を区切った。

 暗い溜め息とともに吐き出した言葉は、震えていた。

 涙こそ流していなかったが、男の膝は震え、膝に置いた握り拳は青白くなっていった。

 ハリオンは、そんな彼の手を包むように自らの掌を添えた。

 震えは、止まらなかった。

 柳也の唇が、再び音を発した。

「…………けど、いちばん恐かったのは……恐怖に負けそうになる、自分の心だった!」

 柳也は、唇を噛んだ。

 眦に熱いものを感じ、咄嗟に天井を仰いだ。

 本日二度目の涙が、頬を伝って、顎先から、滴り落ちた。

 男の声に、次第に嗚咽が混じり始めた。

「恐怖に、負けて……誰かに……近しい人達に、相談に乗ってほしいと、思うようになった。そんな自分の心が、恐かった。恐怖に負けて……弱い姿を……くぁあ……ハリオン達に、見せて……慰めてもらいたいと……同情が欲しいと、思ってしまう、自分の弱い心が、恐かった。……君達の、優しさに……ぅっ……溺れたいと……溺れてしまいたいと……思う自分が、恐かった」

 抱え込んだストレスを、恐怖を紛らわすための手段として、女を抱こうとした。その際、外に女を求めたのは、隊のみなとの今後の人間関係を気にしたことだけが理由ではなかった。

 スピリット隊のみなは、基本的に優しい。自分が求めれば、彼女達は迷わず身を預けてくれただろう。体を許さずとも、自分の悩みを聞き、弱い自分を肯定してくれるくらいのことはしてくれたに違いない。柳也は、そんな彼女達の優しさに触れるのが、恐かった。一度その優しさに触れればとことんのめりこみ、溺れてしまうという確信が持てたから。

 柳也は、そんな己の弱さが恐かった。

「俺は……強くなくちゃいけないんだ。佳織ちゃんのためにも。悠人のためにも。瞬の……ためにも。……自分の命と引き換えに、俺を救ってくれた父さんと、母さんのためにも」

 強い男になれ。どんな時でも、大切なものを守れる強い男になれ。

 亡き父が死の間際に柳也に聞かせた言葉は、いまも己の胸の中で強く生きていた。

 恐怖は感じていい。悲しみも感じていい。不安も、憤りも、構わない。しかし、弱さだけは、自分の心にあってはならない。恐怖に、悲しみに、不安に、憤りに、負けてはならない。

 自分は、強くなくてはならない。弱さを捨て、弱さに溺れない、強い心を持たねばならない。強い心を持たねば、大切なものを何一つ守れない。

 いや実際、守れなかった。

 この世界にやって来るきっかけとなったタキオスとの戦い。セーラ・赤スピリットの突然の襲撃。そして、獅子身中の虫たる〈求め〉の存在。

 己の両手を見下ろしてみる。

 瞬を。佳織を。エスペリアを。悠人を。無力なこの両手は、守れなかった。

「俺は……強くなければいけないんだ。俺は……桜坂柳也は、弱くてはいけないんだ!」

 強い心が欲しかった。

 何事にも動じず、どんな不条理にも負けない、強い心が。

 その強い心に、甘えは……弱さは不要だ。

 不要なのに――――――

「俺は……俺の心は……いま、この瞬間にも……甘える場所を求めている。恐怖に怯え、震える自分を抱き締めてくれる存在を……求めている。ハリオン。君の肌を、熱を……求めてしまっているんだ! ……俺の、弱い心、はぁ…………助けを、求めているんだ」

 柳也はハリオンの手を握った。

 手を握り、吠えた。

 縋るような眼差しで、彼女を見た。

 そこに見る者の心を安らかにする笑顔はなく、一人の男が初めて見せる弱い姿を前に、どうすることも出来ない自分を恥じて、ハリオンは悲壮な表情を浮かべていた。

「強くなくちゃいけないのに……弱くちゃ、いけないのに……恐怖に負けちゃ、いけないのに……助けを…………助け、て……」

「リュウヤさま……!」

 涙で潤む視界が、唐突に暗くなった。

 頬に、柔らかく、暖かな感触。

 後頭部に回された両腕からの圧迫が、なぜか、心地良い。

 自分はハリオンに抱き締められたのだ、と気付くまでに数秒を要した。

 気付いてから、慌てて後頭部を押さえつける腕を振り払おうともがいた。

 しかし、ハリオンはがっちりと自分の頭をホールドし、離そうとしない。

 次第に、男の身体からは抵抗する力が失われていく。

 理性とは別に、本能が、魂が、女の肌を、救いを、求めてしまう。

「やめろ! ……やめて、くれ!」

 このままでは、溺れてしまう。

 ハリオンの熱に、肌に、溺れて、甘えて、縋りついて、弱い心を、認めてしまう。

「頼む……やめ、て……くれぇ……」

 恐い。自分の弱さを認めるのが、恐い。弱いと認めてしまったら、自分のこれまで築き上げたものが、すべて、無意味なものになってしまう。自分のこれまでの鍛錬が、人生が、瞬を守る、と誓ったあの約束が、無意味なものになってしまう。

 なによりそれが、恐かった。

 恐かった、のに……この、娘は……どうして、こんなに、優しく……。

「弱くなんて……ないです」

 否定の言葉は優しく、温かく。

 ハリオンは、柳也の頭を撫でた。撫でながら、泣きじゃくる彼に言葉を投じた。幼子を諭す母親のように、ゆっくり、とした口調で。彼女は、優しく柳也の耳膜を撫でた。

「弱くなんて、ないです。だってリュウヤさまは、とっても……とぉぉっても、優しい人じゃないですか。その優しさで、ネリーの心を……シアーの心を、救ってくれたじゃありませんか。……優しい、ということは、強い、ということなんですよ?」

 ハリオンは優しい微笑みを浮かべた。

 その微笑を眺めていると、不思議と冷静さが取り戻されていくのを柳也は自覚した。この笑顔の前では、自分を偽らなくてもいい、とそんな考えすら生じた。

「リュウヤさまは強い人です。ただ、いまはちょっぴり、お疲れなだけなんですよ。誰にだって、疲れている時はあるじゃないですか? そんな時、人が誰かの温もりを求めるのは、自然なことなんですよ」

 やけに達観した、ハリオンの言葉だった。知識として知っているというよりは、まるで実際にそうした人間を何人も見てきたかのような物言いだ。ふと、先ほどの袋小路での一件が思い出された。

「……さっきの人達もそうです。あの人達もきっと、ただ疲れていただけなんですよ〜。疲れていたから、人肌が恋しくなっちゃったんでしょうね。……あんな強引なのは、初めてでしたけど」

「だから、さっきは本当に助かりました」と、緑スピリットの少女は続けた。

 おそらくハリオンは、これまでにも何度か彼女の言う疲れた人達に、温もりを求められた経験があるのだろう。客観的に見ても、ハリオンは魅力的な肉体の持ち主だ。スピリットという問題に目をつぶってでも、一時、羽根を休めるために群がった鳥達はさぞ多かったに違いない。その中には、当然肉体関係を結ぼうとする者もいたのだろう。

 あるいは、そうした人生経験が、この暖かな笑みを生んだのかもしれない。

 彼女の前でなら、弱い自分を曝け出しても構わないと、思わせるような、魔性の笑みが。

 ハリオンは莞爾と微笑んで腕の中の柳也を見下ろした。

「だから、リュウヤさまも甘えてもいいんです。どんなに強い人でも、疲れてしまう時はあります。わたしは、そんな人のお菓子になってあげたいんです」

「ハリ、オン……」

「勿論、わたしだって相手は選びますけどね」

 ハリオンはそう言って柳也の頭を抱き締めた。強く。強く。

「それから、弱さを認めることは、罪じゃありません。弱さを認められる人は、強い人です。

 泣きたい時は泣けばいいんです。泣いて、弱さを受け入れた数だけ、人は強くなれるんですから。……リュウヤさまが泣きたい時は、お姉さんが、どーん! と、胸を貸してあげますから」

 自分は強い。弱いことは、罪ではない。泣きたい時は、胸を貸す。

 それらの言葉は、傷つき、疲弊した男の心に深く染み渡った。

 自分はこの弱い心を、認めてしまってもよいのか。ぼろぼろと溢れてくる涙を、自分はもう止める必要はないのか。自分は彼女に、甘えてしまってもよいのか。

「甘えても、いいんです。むしろ、甘えちゃってください。その方が、頼られているんだな〜……って、わたしも嬉しい気持ちになれます」

「……間違いなく泣くぞ。きっと。いまよりも酷く」

「はい。……でも〜、人間って泣くと、気持ちがすっきりしますよね」

「ハリオンの服も、ベッドも、きっと汚す」

「はい。そうしたら、後で洗濯をすればいいんですよぉ」

 力のない諫言にもハリオンは動じず、にこやかな笑顔を以って柳也に応じた。

 腕の中の男は、なおも何か言いかけて、やめた。

 部屋の主がここまで言ってくれたのだ。これ以上の躊躇いは、必要あるまい。

 そう思うと、途端、これまで溜め込んできた感情が、堰を切って溢れ出した。

 右腕のことだけではない。ファンタズマゴリアに召喚されたあの日から、今日まで。溜まりに溜まった怒りや悲しみ、不安や恐怖、後悔の念が、一気に表へ溢れ出した。

 柳也は、泣いた。

 声を押し殺して。

 しかし、涙は止めることなく。

 柳也は、泣き喚いた。




 ――聖ヨト暦三三〇年、シーレの月、緑、ふたつの日、深夜。


 あんなに激しく泣いたのは、いつ以来だろうか。少なくともここ五年のうちは、斯様に涙を流したのは初めての経験だったと確信出来る。

 そろそろ日付が変わろうかという時間帯だった。

 ハリオンの胸の中でさんざん泣き喚いた柳也は、そうすることでようやく落ち着いたか、すっきり、とした表情を浮かべていた。根本的な問題は何一つ解決していないが、少なくとも、あれだけ頭を悩ませていた不快な情動はいつの間にか消え去っていた。他人の目を気にすることなくわんわん泣いて、心理的な負のエネルギーが減少したらしい。

 柳也は赤く泣き腫らした瞳で、胸を貸してくれた自称お姉さんを見つめた。

「……醜態を晒したな」

「いいえ〜……可愛い泣き顔でしたよ?」

「……頼む。忘れてくれ」

「いや、です。あんな可愛らしいリュウヤさまを忘れるなんて勿体ないですよ〜」

 いつものにこやかな笑みの中に隠れた意地の悪い感情を見取って、柳也は渋面を作った。それから、苦悩とも安堵ともつかない溜め息をひとつ。有限世界にカメラがなくて本当によかった。もし、写真に撮られて永久保存などという事態になったとしたら、三日は寝込んでいたところだ。無論、心労で。

 ――心労、か……。

 振り返ってみれば、ファンタズマゴリアにやって来たその日から、自分は余裕というものをまったく失っていたように思う。瞬のことを気にし、悠人のことを気にし、佳織を、アセリアを、ネリーを、ファーレーンをと、周りの環境ばかりに目を向けて、自分自身に目を向けてこなかった。それだけ、余裕がなかったのだろう。

 ――これからは、もっと自分自身のことも考えないとな……。

 自分の身体に異変が生じて、不安なのは〈決意〉達も一緒だ。

 それに、悠人も言ってくれたではないか。自分のことを友と呼び、自分のことを心配したいと言ってくれた。彼らのためにも、今後はもう少し自分というものをいたわってやるべきだろう。

 柳也はベッドから立ち上がると、ハリオンに向き直り、腰を折った。

「……今日はありがとう。おかげで、少し、すっきり、した」

「少しだけなんですか〜?」

 少し残念そうな口調で、ハリオンが言った。

「まぁ、問題そのものが解決したわけじゃないからな」

 顔を上げた柳也は、言いながらも莞爾と笑う。

「けど、もう大丈夫だ。恐怖はあるし、不安もある。でも、もうそれに押し潰されることはない。……そう確信出来る」

「それでも、また辛くなった時は、いつでも言ってくださいねぇ〜。また、胸を貸してあげますから」

「ああ。頼む」

 柳也は力強く応じて、また微笑んだ。

 この時、柳也はいつにも増して饒舌になっている自分に気が付いていなかった。長期間溜め込んできたストレスを一気に発散した解放感からか、柳也はこの後、普段の彼では考えられないような失言をこぼした。

「今日は本当に助かったよ。おかげで明日からは、娼館なんぞの世話にならなくても済みそうだ」

「…………娼館?」

 瞬間、ハリオンのにこやかな笑みが固まった。

 柳也の微笑みも硬化した。
 
 しまった、と思った。

 ついつい口が滑ってしまった自分の浅慮を激しく呪った。

 よりにもよって女の同僚に対し、春を求めて街をねり歩いていたことを暴露してしまうとは……!

「娼館って、いったい何のお話ですかぁ〜〜?」

 ハリオンが、相変わらずの微笑みをたたえながら、顔を突き出した。

 柳也は生を遠く、死を近くに感じた。

 背筋が凍りつく錯覚。背中から、冷や汗が止まらない。

 顔は笑っている。口調もいつもと同じ間延びした、穏やかなものだ。それなのに……この、いまのハリオンから感じられる、攻撃的で、巨大なマナの気配は何なのか!?

「あ、あの……ええと……ハハハ、ハリオン、さん……もしかして、怒ってます?」

「いいえ〜。そんなことはありませんよぉ〜。ただぁ、どうして娼館のお世話になったのか、その辺りのことを聞きたいですねぇ〜?」

「いやぁ、あの、そのぅ…………お、俺にも、一人の男として、女性陣には言えない、性の悩みが、ありましてぇ……」

「なるほどぉ。大体分かりましたぁ〜」

「わ、分かっていただけましたか。あはは、あはははは」

 から笑いが、寝室に虚しく響いた。

 しかしこれこそ、柳也の作戦だった。

 笑って誤魔化して部屋を退室し、一目散へ自分に割り当てられた部屋へと逃げ込む。鍵を掛ける。どうだ。完璧な作戦じゃないか。

 しかし、柳也の作戦は失敗に終わった。

 さり気な〜く部屋の戸に一瞥くれて位置を確認した後、さり気な〜く後ずさろうとしたところで、ハリオンに両手を掴まれた。

「つ・ま・りぃ、性欲解消を外の女の人に手伝ってもらおうとしたんですね? それだったら、なんでわたしに言ってくれなかったんですか〜?」

「いやぁ、あのぉ、ね? 君達に、弱い姿を見せたくなかったから……って、“もらおうとした”って、何で未遂だって知っているんだ!?」

 柳也は激しく動揺した。

 もはや自分が娼館に足を運んでいた事実は隠しようがない。それはいい。いや、よくはないがそう納得するしかない。だが、あの寝室での出来事は自分とネネの二人しか知らないはず。それをなぜ、この娘は知っているのか。

「うふふふふ〜。お姉さんは何でも知っているんですよ〜」

 ハリオンは豊満な乳房を誇示するように、胸を張って笑った。

 そうか。何でも知っているのか。それなら仕方がない。……いや、そういうわけにもいくまい。

 えっへん、という擬音を自ら口にしている辺り間抜けに見えるが、そんな仕草にさえ、柳也の、生物としての生存本能は警鐘を鳴らしていた。

 やばい。やばい。ヤヴァイ。この女に逆らうな。この女に逆らえば、命はない。

「……リュウヤさま」

「は、はい!」

 柳也は思わず上擦った声で返事をした。

「言いましたよね〜? わたしは、疲れている人のお菓子になってあげたい、って」

「は、はい」

「未遂、ということは、まだ性欲は溜まったまま、ということですよね〜?」

「はい」

「それなら、わたしが抜いてさしあげますよ〜」

 その言葉が言い終わるや否や、柳也は剥かれた。「あーれー」と、叫びながら、強く抵抗したが、所詮、むなしい抵抗だった。服を剥ぎ取られては、おちおち部屋の外へも逃げ出せない。

「いやーーーー! 犯されるぅーーーーーー!!」

 第六位の神剣士とは思えない圧倒的な腕力でダブルベッドに押し倒され、シーツの切れ端やら何やらで拘束された柳也は悲鳴を上げた。野太い悲鳴だった。

「違いますよぉ〜。犯すのはリュウヤさまです」

 他方、いつの間にか自らも服を脱ぎ、生まれたままの姿になったハリオンは、柳也の腹筋の上に跨った。妖艶な笑みを、柳也に落とす。

 その艶っぽい微笑と、豊満なボディラインに見惚れてしまったのが不味かった。

 柳也の逸物はあっという間に臨戦態勢になってしまう。

 ハリオンが、目を輝かせた。

 どこまでも妖しかった。

「あらあら〜。元気なお子さんですねぇ〜……食べちゃいたいくらいです」

「い、いやぁぁぁぁぁぁあああああああ―――――――――――――!!! 喰われるぅぅぅぅぅぅぅううううううう――――――――!!!」

 比喩ではなかった。本当に喰われた。

 柳也はこの日、三度目の涙を流した。

 そしてこの晩、彼は人として大切な“何か”を失った。




 ――同日、早朝。


 行為が終わり、げっそり、やつれ果てた柳也が解放されたのは明け方のことだった。

 色々と搾り取られてしまった柳也は、掠れた声で、隣で横になっているハリオンに言う。

「なぁ、ハリオンさんや……」

「はい。なんでしょう?」

 にこにこと微笑むハリオンの頬は、若干、紅く上気している。

 他方、柳也はしかめっ面を隠さぬまま続けた。その口調には、右腕の件で悩んでいた時は別種の懊悩が滲んでいた。

「よかったのか? 俺なんかに大切な初めてを捧げて?」

 柳也はシーツの一点を顎でしゃくった。そこには、赤黒い純潔の証が点々と滲んでいた。言動から察するに経験豊富と思われたハリオンは、その実、生娘だったのだ。

 柳也がその事実に気が付いたのは行為の最中、騎乗位で事を進めようとするハリオンが、最初に腰を下ろしてきた時のことだった。肉槍にまとわりつく血に、最初は生理かと思った。しかし、スピリットに生殖能力はない。生理のないスピリットの股間から、なにゆえ血が流れるのか。その原因に思い立った時、柳也は顔面を蒼白にした。

 以前、リリアナからスピリットは総じて耳年増だと聞いたことがあった。

 戦える年齢まで鍛えられ、そして戦場で使い捨てられるまでに、多くのスピリットは純潔を失う。人間の教官や士官が慰み者にするためだ。

 一般的に、人間がスピリットと交わるのは獣姦に等しい下劣な行為とされる。しかし、なんといっても見た目は美しい少女だ。どうせ戦場に散る命ならと、男達の中には欲望の捌け口として利用する者も少なくない。そうした男達の牙から身を守るために、スピリット達の中には、生娘でありながら性のテクニックを磨く者も多いという。ハリオンもそのケースだと気が付いた時には、すべてが後の祭りだった。

 暗い面持ちで訊ねた柳也の言葉に、ハリオンは、こくり、と首肯した。しかし、動作に伴って紡がれた言葉は否定の意味を孕んでいた。

「リュウヤさまでよかった、じゃ、ありません。リュウヤさまがよかったんですよ」

 ハリオンはそう言って、にっこり、微笑んだ。

「リュウヤさまはご自分で思っているほど無価値な人間じゃありませんよ〜。

 初めて会ったその日から、わたしはずっとリュウヤさまを見てきました。ネリーのためにあえて悪役を買ったリュウヤさま。シアーのためにわざわざラセリオまで走ったリュウヤさま。ユートさまに心配をかけまいと気丈に振舞うリュウヤさま。カオリさまのために剣を振るうリュウヤさま……。リュウヤさまは誰かのために頑張れる、優しい人です。そんな優しいリュウヤさまのことが、わたしは好きですよ?」

「あ〜……そのぅ……なんだ……あ、ありがとう、と言うべきなのかな。ここは……」

 ストレートに「好き」という言葉をぶつけられて、柳也は赤面しつつ呟いた。

 この男は、真正面から気持ちをぶつけられるのに慣れていない。

 自分から感情をぶつけていくのには慣れているのだが。

 気恥ずかしさから、にっこり、笑うハリオンの顔をまともに直視出来なくなって、彼は視線を天井へ向けた。

 そんな男の横顔に向けて、「それに、リュウヤさまのことが好きなのはわたしだけじゃありません」と、ハリオンの言葉は続いた。

「ネリーもシアーも、ヒミカもヘリオンも、みんなリュウヤさまのことが大好きなんですよ〜? だから、リュウヤさまが辛い時は力になってあげたい。力になれなくても、その心を癒してあげたい、ってみんな思っています」

「…………」

 思わず、絶句した。

 なんということだ。ハリオンの口調から察するに、どうやら自分が得体の知れない恐怖に怯え、悩んでいたことは、
STFのみなには筒抜けだったらしい。

 そうとも知らず、己一人で悶々鬱々と悩み、挙句の果てに女に逃げようとしていたとは……。

「それなのにリュウヤさまってば、わたしたちには相談もしないで、どこの馬の骨とも知らない見ず知らずの、行きずりの女の人相手にストレスを解消しようとしていたんですから〜。そりゃあ、お姉さんだって怒っちゃいますよ〜」

 そう言ったハリオンの表情は、やはりにこやかに笑っているのに、奇妙な迫力に漲っていた。

 よく見ると、眉がほんの僅かに釣り上がっている。

 なるほど、先ほども相当怒っているな、と感じたが、原因はそういうことだったのか。

 柳也はハリオンの怒りの笑顔を真摯に見つめながら体を起こした。ベッドの上に胡坐をかいて座り直し、深々と頭を下げた。

「……そいつは、申し訳なかった」

「本当ですよ〜。わたしたちのことを、もっと頼ってください〜」

「いや、だからそれは、ハリオン達の優しさに溺れてしまうのが恐くて……」

 その先の言葉を、柳也は口にすることが出来なかった。横になったまま腕を伸ばしたハリオンが、「それ以上は、めっ、ですよぉ」と、人差し指を立てて自分の唇の動きを制止したからだ。

 ハリオンは上体を起こすと、柳也と視線の高さを合わせた。

 圧倒的な存在感を放つ乳房が、朝の透明な日差しを浴びて張りのある光沢を照り返していた。汗に濡れたハリオンの肌はどこまでも滑らかで、きめこまかく、瑞々しい艶を感じさせる。

 ハリオンは、右手を柳也の頬に添えた。

 女の顔が、徐々に男の顔へ近付いていく。やがて、傷つき、乾いた唇に、潤った温もりが触れた。キス。どちらからとなく、自然と舌を絡め合う。男の胸板の上で、たわわな二つの膨らみがつぶれ、変形した。唾液の糸を引き、二人の唇が離れる。

 ハリオンは、エメラルド色の眼差しに優しい光を宿して、柳也を見た。

「溺れそうになったら、叩いてでもわたしたちが気合を入れてあげます。わたしたちだって、リュウヤさまの情けない姿は見たくありません。リュウヤさまの心が弱さに負けそうになった時には、わたしたちが支えてあげます」

「……ありがとう」

 柳也は胸の内から込み上げてくる熱とともに、声を吐き出した。

 また、涙が一滴、こぼれた。

「もう一度だけいいか?」と、訊ねる。

 ハリオンが頷くのを確認して、彼はまた唇を重ねた。




 すぐそばにある男の温もりを唇で感じながら、ハリオン・緑スピリットは思う。

 この男の懊悩を知って、この男の弱々しい姿を見て、彼女は、思う。

 強い男になれ。どんな時でも、大切なものを守れる男になれ。桜坂柳也の亡父・雪彦が、最後に遺したというその言葉。その言葉を、彼女は鎖だと思った。柳也の思考と行動のすべてを縛る重い鎖だ、と。

 振り返れば、ハリオンの知る桜坂柳也という男は、強さに何かとこだわる男だった。力を求め、強さを求め、自らの強さを証明するためには命を危険に晒すことさえ躊躇わない男だった。

 ネリーとの特別訓練では自らも倒れるまで身を削った。ヘリオンとの居合の稽古では、他の事が目に入らないほど没頭した。先のオペレーション・スレッジハンマーでは、何度も命を危険に晒した。敵を一網打尽にするために、自ら囮役を買って出るような真似もした。悠人の助けを拒み、あくまでアイリスとの一騎打ちを望んだ。

 そして今夜、常に強い自分でありたいと願う彼は、自分に弱い姿を晒すのを恐れ、優しさに溺れるのが恐いと、胸の内を吐露した。

 なぜ、この男は斯様なまでに強さを求め、強さに執着するのか。自らの本心を偽ってまで、強くあろうとするのか。疑問に思ったことは、一度や二度ではない。

 その疑問が、ようやく氷解した。

 強い男になれ。どんな時でも、大切なものを守れる男になれ。

 その言葉を聞かされて、ようやく納得がいった。

 強さを求める柳也の原動力、その力の正体が、ようやく分かった。

 ――リュウヤさまのお父様の言葉は、この方を縛る鎖になっているんだ。

 桜坂柳也という男は、亡き父が大好きだったのだろう。

 亡き父を愛するがあまり、この男は父の遺言を頑なに守ろうとしているのだろう。

 強い男になってほしい、と言った父の願いを、常に叶える自分でありたい、と思っているのだろう。

 優しい人だと思う。

 すでに死んだ人間に対して、斯様なまでに真摯な態度を貫けるなんて、なんて優しい人なのか、と。

 だが同時に、危うい存在だと思う。

 愛するがゆえに縛られ、愛するがゆえに囚われ、愛するがゆえにこだわり、愛するがゆえに己を傷つける。愛ゆえに、自ら死地へと赴くことにも躊躇しない。

 すべての行動は、亡き父への愛ゆえに。

 亡き父を想う、優しい心ゆえに。

 強さを求める柳也。危険を欲する柳也。強敵との戦いを望む柳也。仲間達の笑顔を願う柳也。優しい柳也。

 そんな柳也が、ハリオンには危うい存在に思えた。

 思えて、ならなかった。




 ――同日、朝。


 ラキオス王城を本拠地とする王都直轄軍は、王都防衛を主な任務とする、王国軍最強の戦力だった。単に他の方面軍に比して兵力に勝る、というだけでなく、兵員の質においても、方面軍の将兵スピリットを圧倒している。その基幹戦力はスピリット三四名二個大隊からなり、彼女らはみな、王国軍の剣術指南役リリアナ・ヨゴウの指導を受けた精兵だった。あのアセリアやエスペリアも、元は直轄軍麾下のスピリット大隊の出身だ。実戦経験こそエルスサーオ方面軍のスピリット達に劣るものの、潜在能力の高さではどの部隊にも負けぬものがあった。

 また直轄軍は、スピリット以外にも人間の兵を六〇〇名抱えていた。このうちの五〇名は国王直属の親衛隊で、うち十人はリリアナと同じ騎士の身分にある。王国軍のどの部隊よりも優先的に最新の装備を支給されている彼らはみな士気高く、王国への忠誠厚い忠義の士といえた。
 
 そんな王都直轄軍の司令官には、その時の王国軍の最高司令官が就任するのが代々の伝統だった。王政国家のラキオスにおいて、軍の最高司令官とは国王のことを指す。今代でいえば、ルーグゥ・ダイ・ラキオス王その人だ。いわば王都直轄軍とは、国王の軍隊といっても過言ではなかった。

 勿論、国王たる者の常として、ラキオス王は多忙な毎日を送っている。なんといっても一国の君主だ。その職域は幅広く、軍事にのみ意識を向けるわけにはいかない。ゆえに平時は代役を立て、その将軍に軍政を任せていた。国王が直接軍の指揮を執るのは、有事の際にのみ限った。そして、バーンライトと開戦したいまは、まさしくその有事の時だった。

 クルセイダーズ・プランの第二段階の――占領したリーザリオを以後の戦いの前線基地とする――ために、リーザリオ入りを果たした直轄軍の戦力は、スピリット三四名、人間の兵士四二五名という大所帯だった。その中には勿論、指揮官たるラキオス王自身も含まれている。この措置により、リーザリオに駐留するラキオス軍の戦力はスピリット六九体、正規兵六四九名にもなった。一国の総人口が十万人にも満たないラキオスとしては、なかなかの兵力だ。

 リーザリオ入りを果たした直轄軍は、五〇〇人の軍隊を二ヶ月間(有限世界での二ヶ月=四〇日)養えるだけの兵糧とともにやって来た。

 三〇トン以上にもなる物量の中には酒や煙草といった嗜好品も含まれ、配給所ではエルスサーオ方面軍の兵士達が長蛇の列を作っていた。

 桜坂柳也はその光景を横目で眺めながら、復旧工事の進捗著しいリーザリオ砦の副官室へと向かっていた。なにゆえそのような場所へ足を向けているかといえば、ラキオス王から、「昼の軍議の前に二人きりで話しをしたい」と呼び出されたためだ。

 敵の自爆によって司令室が使用不能になってしまったため、ラキオス王は副官室を仮の宿に定めていた。副官室は司令執務室と階が離れていたために、爆発から免れていた。

 副官室の前には、国王直属の親衛隊の人間が四人立っていた。全員、チェイン・メイルを着込んだ騎士で、腰にロングソードを提げている。そのうちの一人は、柳也の見知った顔だった。

「ヨゴウ殿!」

「サムライ、無事だったか」

 ラキオス王の護衛として随伴したリリアナ・ヨゴウは、柳也の顔を見るなり喜色満面、両腕を広げて彼を出迎えた。

 硬い抱擁。

 同じ剣の道を歩む者同士、背中を撫でさする手つきには自然と親しみが篭もる。

 そうでなくともこんな時代だ。互いの壮健を喜び合って、二人は強く、強く抱擁を交わした。

 抱擁を解いた二人は、早速用件に入った。

 すでにラキオス王から、今日柳也の訪問があることを伺っているらしいリリアナが、親指で副官室の扉を示す。

「陛下がお待ちかねだ。入るといい」

「ん。そうさせてもらうよ」

 柳也は閂に差した大小を鞘ぐるみで抜くと、リリアナに差し出した。

 自分はこれから国王と二人きりになろうとしている身だ。武装解除とボディ・チェックは当然の措置である。

 一部の特殊な性癖の持ち主であればいざしらず、柳也に男に体をまさぐられる趣味はない。

 それをやられるくらいなら、自分からと、彼は愛用の得物を提出することにした。

 とはいえ、同田貫と無銘の脇差は父が遺した数少ない形見の品々だ。どこの馬の骨とも知れぬ衛兵達に預けるのは躊躇われる。その点、リリアナが相手であれば安心して預けることが出来た。この騎士殿は、例え一時のこととはいえ、剣士が他人に得物を預けることの意味を理解している。剣士が他人に武器を預けるのは、信頼の証に他ならない。

「うむ。しかと預からせもらおう」

 リリアナは重々しく頷くと、慎重な手つきでそれを受け取った。

 この男ならば、万が一にも手荒に扱うことはないだろう。

 柳也は副官室の扉をノックした。




 リーザリオ砦の副官室は一二畳ほどの広さで寝台が一つとデスクが一つ、ソファが二つ対面に座れるよう置かれていた。

 柳也の感覚でいえば十分に広く、豪勢なインテリアで固められているが、普段王宮で生活しているラキオス王にはそれでも不満らしい。

 国王陛下は憮然とした様子でソファに座っていた。

 まるで子どものようだな、と思いつつも、自分もさして変わらぬ身かと思い直す。

 有限世界にやって来て何が辛かったかといえば、薄い布団と麦飯が食べられぬことだった。普段慣れ親しんだ環境が突然変わってしまうというのは相当に辛い。

「いま、向こうのプロレスがどうなっているのか、ものごっつ気になるぜぇ〜」

「ぷろれす? いったい何の話だ?」

「いや、なんでもありません」

 柳也はラキオス王に招かれるまま対面のソファに座った。ラキオスが天下を取った暁には、プロレスを国技に制定してもらおう、と密かな野望を胸に抱きつつ。

「……それで、本日は何の御用でしょう?」

「王都直轄軍を運び入れたことにより、リーザリオの前線基地化は着々と進みつつある」

 ソファに腰を据えたラキオス王は、早速柳也を呼び出した理由について口を開いた。

「そなたの申していたクルセイダーズ・プランは、これで第二段階まで進行した。次は第三段階……リーザリオに集中させた大兵力を以って、リモドア制圧に挑むわけだが」

 ラキオス王はそこで一旦言葉を区切ると、柳也に厳しい眼差しを向けた。

 一国を束ねる君主とあって、切れ長の双眸からは老いてなお猛々しい覇気が感じられる。

「先のリーザリオ攻略戦と違い、リモドアの攻略については、そなたの口から具体的な作戦計画を聞いておらぬ。……よもや、策がないとは申すまいな?」

「いや、事実その通りなんですけどね」

 柳也はあっさりと結論を口にした。

 ラキオス王が途端、眦を吊り上げる。

 柳也は淡々と言葉を紡いだ。

「先のオペレーション・スレッジハンマーは、我が方に敵に関する情報が十分な量揃っていたからこそ発案出来たものです。対して、リモドアの防備に関する情報は十分に収集されているとは言えません。ダグラス殿の密偵や情報部も、リモドアの戦略的な価値はあまり認めていないらしく、質量ともに、満足出来るとは言い難い」

 そもそも現在のリモドアには、フレッシュな状態の第二軍に、トティラ将軍の秘策によって第三軍の残存兵力が合流しているはず。開戦前の資料や情報は、ほとんどアテにならないだろう。

 軍事における情報活動の原則は、『百聞は一見にしかず』であり、『百見は一触にしかず』だ。第二次世界大戦の将軍で最も有名な一人だろうドイツのエルヴィン・ロンメル将軍も、『怪しいところには弾丸をぶち込め!』と言っている。

「正直に申し上げて、実際にかの地へ赴いて情報を収集しなければ、具体的な作戦は練られません。ましてや、歯車一つ狂っただけで破綻してしまうような繊細な計画は絶対に無理です」

 柳也は一気にまくし立ててから、「もっとも」と、口調を改めた。

「まったくの無策、というわけではありませんが」

「というと?」

「ネタがあります」

 ラキオス王の紅い双眸が、ギラギラ、と好戦的に輝いた。

 柳也もまた、黒炭色の瞳に炯々たる炎を灯した。

「陛下、昼の軍議の議題に、一つ取り上げていただきたい事があります」

 孫子曰く、『戦いは奇を以って勝つ』。相手の意表を衝く奇策は、正攻法の中に巧みに織り交ぜてこそより高い効果を発揮する。

「現在リーザリオに駐屯している全スピリット隊の、青、黒スピリットに、いまから言う飛行訓練を徹底させてもらいたいのです」

「ふむ。それは?」

 柳也は、にっこり、笑って、自らが考えている作戦の内容を口にした。

「ご存知ですか、陛下? 人が神の怒りに触れる時、天罰はいつも天から行われるのです」

 ソドムとゴモラ然り。バベルの塔然り。果てはノアの洪水も、天より降り注いだ。

 オペレーション・ゴモラ。敵方の情報不足ゆえにいまだ現実味を帯びていないプランだが、試してみる価値は十分にある。事実、ベルギーのエバン・エマール要塞は、空からの拳の前に陥落した。

 第一次世界大戦時、小国ベルギーには、フランスへの侵攻を企てるドイツ軍にとって絶対に確保しなければならない交通の要衝があった。ミューズ川沿いの都市、マーストリヒトとリェージュの間に位置する渡河点で、ドイツ軍はこの渡河点の確保に躍起になった。その事情は続く第二次世界大戦でも変わらなかった。

 第一次大戦の後、ベルギー政府は問題の渡河点を要塞によって防衛しようと考えた。この要塞は、一九三二年から一九三五年にかけて、アルベール運河のほとりに建設された。要塞はその所在地に程近い村の名前にちなみ、エバン・マール要塞と命名された。

 一九四〇年五月一〇日、ドイツ軍はオランダ、ベルギー、ルクセンブルグを経由して、最終的にフランス本土を攻略する、オペレーション・ゲルブを発動した。

 天才戦略家として名高いエーリッヒ・フォン・マンシュタイン中将の原案に基づいたこの作戦は、侵攻の主役たるA軍集団がベルギー南部のアルデンヌの森を突破し、その陽動として、B軍集団がオランダとベルギー北部を席巻する、という概要だった。

 B軍集団の進撃ルート上には、エバン・エマール要塞の他にも重要な三つの橋梁が存在した。当然ながらエバン・マール要塞はそれら橋梁の中でも最重要目標であり、ドイツ軍はその攻略のため、精鋭の誉れ名高いコッホ突撃集団を差し向けた。

 その時、コッホ突撃集団が取った作戦とは……。

 柳也は出身世界の戦例を口にしながら酷薄に笑った。




<あとがき>

北斗「……はぁ」

タハ乱暴「ど、どうした北斗? いきなり溜め息なんぞつきおってからに……」

北斗「いや、呆れているんだ。EPISODE:26であれだけ悩んだにも拘らず、また懲りずに年齢制限するべきか否か迷うような話を書きおって、とな。しかも今回は、原作キャラに手を出した」

タハ乱暴「うぐ。それを言われると……アイタタタ」

柳也「今回の話はあれだな。確実に読者の数減らしたよな。下ネタに走りすぎって。タハ乱暴の書く文章は下品、って。しかも原作キャラに手を出すとかマジキモイ、って」

タハ乱暴「はうあ!」

北斗「……とはいえ、こんな話でも数少ない読者の方がいる。あとがきはやらねば、な」

柳也「だな。さて、読者の皆様おはこんばんちはっす。永遠のアセリアAnother、EPISODE:44、お読みいただきありがとうございました!」

タハ乱暴「えぐ…えぐ……こ、今回の話は……ぅぅ……柳也の抱える、心の闇に焦点を当てた……っぅ…うう……」

柳也「俺の心の闇よりも、官能シーンの方がインパクト強いっていう、お下劣極まりない話です!」

タハ乱暴「のうあああっ!」

北斗「いや、まったく。今回の話は下品だった。初めから官能シーンをメインに据え置いた構成ならともかく、主題が別で、しかも後半はギャグで申し訳程度に誤魔化す、という最悪の構成だった」

タハ乱暴「や、やめて。タハ乱暴のライフはもうゼロよ!」

柳也「エロとギャグは、感情を動かすという意味で全人類共通の文化だけどよ……使い方を間違えちゃいけねぇよ」

タハ乱暴「いぃやぁああ! もう、いじめないでぇぇぇ!」

北斗「……ふむ。確かに、これ以上の責めは単に俺達が楽しいだけで、あまり実のないことだな。では、タハ乱暴苛めはこのあたりにするとして……」

タハ乱暴「こ、今回の主題の、心の闇について……」

柳也「いやぁ、我ながら主人公しているなぁ。突如として自らの身に起こった異変に悩む主人公! まさにドリームな展開だぜぇ」

北斗「そしてSTF隊の中でハリオンだけが感じ取った、桜坂柳也の危うい部分。亡き両親を愛するがゆえに自らを追い詰めるという、シェイクスピアの悲劇さながらの主人公だが……一つ、残念なことが」

柳也「んう?」

北斗「盛り上がっているところ悪いが、次回、お前の出番はない!」

柳也「な、なにぃ!?」

タハ乱暴「次回はバーンライト・サイドの話だからね。あ、ラキオス勢ではリリィだけが登場する予定」

北斗「残念だったな、主人公。次回の主役は、トティラ将軍の意思を継いだあの人物だ」

タハ乱暴「ちなみに言っておくと、柳也はEPISODE:40にも出番がなかったから、すでに皆勤賞ではありません。主人公なのに、皆勤じゃない……」

北斗「今後は出演率九五パーセントの男と呼ぼう」

柳也「う、うわああああん!」

タハ乱暴「さて、読者の皆様、今回も永遠のアセリアAnotherをお読みいただき、ありがとうございました!」

北斗「次回もお付き合いいただければ幸いです」

タハ乱暴「ではでは〜」






<おまけ>

 反董卓連合の解散から三ヶ月が経った。

 自分の領地に戻ったジョニー・サクラザカと愉快な仲間達は、今日も今日とて先の戦の戦後処理に追われていた。

 董卓の台頭に端を発する先の戦は結果的に漢王朝の失墜を天下に如実に知らしめることとなった。中華の大地には戦乱の風が吹き、いよいよ群雄割拠の時代が本格的に到来しようとしていた。

 そんな時代の波に流されてしまわぬよう、ジョニー・サクラザカとその仲間達は自らの領地の統治に努めた。より強い軍隊を持ち、より豊かな国にするために。戦が終わってからの彼らには、休む暇などなかった。

「個人的には、やはり伯珪ちゃぁぁぁんの所と正式に同盟を結んだ方がよいと思うんだ」

 玉座の間。現代世界で暮らしていた頃には、自分がこんなところに座るとは想像もしていなかった王座の上で、柳也はかたわらの朱里に言った。

「この際、軍事同盟か経済同盟かは拘らずにいいと思う。現状、俺達の幽州にちょっかいを掛けてきそうな勢力は南の袁紹と、それよりもさらに南の曹操だけだ。ただ曹操に関しては、南東の陶謙や袁術との関係もあるし、すぐ直接的な脅威になるわけじゃない。それよりは、袁紹に対して警戒していった方がいいと思うんだ。そして三州をまたぐ袁紹の勢力に、俺達が対抗するには……」

「伯珪将軍のご助力は必要不可欠、ということですね? 同盟についてはわたしも賛成です。ただ、実際に連携して軍事作戦を執り行う、というのは止めておいた方がよろしいかと。伯珪将軍の軍と、我が軍とでは、性質がまるで違いますし」

 黄巾党からの再就職組が多いジョニー・サクラザカ軍と、北方の異民族と絶えず戦ってきた公孫賛伯珪の軍。片や一八〇〇年の未来からやって来た男の知識を平時訓練に取り入れた軍隊と、騎兵を主体とした機動力中心の軍隊。なるほど、両者は性質が違いすぎる。

 下手に連合を組んで同じ戦場に出向いたとしても、足の引っ張り合いになりかねない。

「最良なのは伯珪将軍と我が軍とで、二正面作戦を実施して、袁紹さんを挟撃する作戦ですね」

「あるいは、どちらか一方が陽動で、もう一方が本命の一撃を叩き込む、とかな」

 二人は今後脅威となりうるだろう対袁紹用の作戦計画を練っていった。

 そこに、軍の調練を終えた鈴々らがやって来る。その中には先頃ジョニー・サクラザカ軍に参加したタキオスと貂蝉の姿もあった。

「お兄ちゃん、今日の調練が終わったのだー」

「おう。そうか。よくやったなぁ、鈴々」

 柳也は王座の上から手招きして、鈴々の頭を撫でた。

 その様子を見て貂蝉が、

「あらやだ、リュウちゃん。私だって今日はあなたのために頑張ったわよん。私の頭もナデナデしてほしいわん」

と、言った。

 柳也は沈痛な面持ちをして貂蝉の頭を撫でた。

「桜坂柳也」

 タキオスが不意に柳也の名前を呼んだ。名目上はジョニー・サクラザカ軍の一員となったタキオスだが、自分の主人は法皇テムオリンただ一人と、彼は柳也を敬称で呼ぶのを拒んでいた。

「俺達に話があると聞いたが」

 今日の調練が終わった後、玉座の間に来てほしい。今朝の軍議の席で、柳也は居並ぶ諸将にそう言っていた。

「ああ。うん。特に、タキオスと貂蝉にな。相談したいことがあるんだ」

 柳也は頷くと、真面目な顔をして続ける。

「知っての通り、この時代、将が遠く離れた味方や敵に、我はいまだ健在なり、ということを示す道具として、牙門旗が使われる。一般的に、この牙門旗は姓の第一文字が刺繍されるものなんだが……二人の旗のデザインをどうしようかと思ってな」

 タキオスと貂蝉はいまやジョニー・サクラザカ軍の一員だ。あまりにも隔絶した戦力ゆえに一般の兵と一緒に行動するのは難しいが、それでも牙門旗は必要な装備だろう。

「一応、俺の中での候補は、貂蝉のは桜色の生地に“貂”一字、タキオスのは黒地に白抜きの“刃”一字を刺繍しようと思っているんだが」

「……牙門旗のデザインというのは、個人が勝手に決めてもいいものなのか?」

「いいんじゃないか? こんなもん、やった者勝ちだって」

 柳也は莞爾と微笑んで言った。なお、牙門旗のデザインのことで他の将を呼んだのは、この際、みなの旗を一新しようという考えからのことだった。特に、鈴々など最古参メンバーの旗は、度重なる連戦で汚れ始めていたから、良い機会だと思ったのだ。

「良いデザインが思いついたら言ってくれ。機織り職人に頼んでみるから」




 それからさらに一ヶ月後、幽州ジョニー軍の領地内で、黄巾党の残党二〇〇人ほどが集まって騒ぎ起こしているらしい、との情報が柳也達のもとに届いた。

 他の群雄に比べれば黄巾党には好意的なジョニー軍だが、決してすべての黄巾党を恭順させたわけではない。柳也は直ちに討伐に向かうことにした。

「ようし、新しい牙門旗のお披露目だ。野郎ども、カチ込みかけるぞう!」

「「「ヒャッハー!」」」

 柳也達は意気揚々と出発した。元が荒くれ者の集団だけに、その行軍はどこまでも暴力的だった。

 幟に掲げた旗は三枚。それぞれの旗には、“愛・熟女”、“テム命”、“漢女”と刺繍が施されていた。誰が指揮を執っているかは察するべし。

 こんなのと戦わなくてはならないのか、袁紹軍。




いや、もう危うく今回は18サイトへとアップしないといけないか、とか思ってしまいましたよ。
美姫 「ギリギリセーフ、なの?」
うちではセーフ。と、それは置いておいて。
今回は柳也が珍しく弱音を吐いたりしてたな。
美姫 「彼も人間だもの。そういう時もあるわよ」
流石に悠人には見せれないだろうが、仲間の一人に見せた事によって少しでも楽になってれば良いけれどな。
美姫 「その後、ちょっと困った事になったかもしれないけれどね」
美味しい目にあったのでは?
美姫 「それは本人次第よ。さて、リーザリオ攻略から数日経って」
次の進攻に向けての準備が始まるな。
美姫 「次回はどうなるのかしら」
楽しみに待ってます。
美姫 「待ってますね〜」



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