この世界には常識では計り知れない不思議な現象や出来事が存在する。

世の人はそれを“超常怪奇現象”と呼ぶ。

UFOや未確認生物の目撃……

亡霊や魔術などの心霊現象……

透視、念動力といった超能力現象……

数え上げれば、それこそ切りがない。

だが、それらの現象に対して、現代科学は本当に無力なのだろうか?

否、断じて否!

現に固体、液体、気体に続く第4の状態……プラズマの発見により、それらはすべて解明されつつある。

……しかし、世の中にはやはり科学では解明できないものもある。

推測でしか物事をはかれない事象もある。

 

 

 

『古代種』……と、呼ばれる人間がいる。

歴史の中に時折現れ、奇跡を起こしてきた者達……

かつてこの地球を支配していた旧支配者……クトゥルフの邪神を駆逐すべく、神が人間に与えた異能なる力……そして、その力を受け継ぐ者達のことを、ごく限られた一部の人間はそう呼ぶ。

一説には、『人間の闘争本能を司る遺伝子が進化したもの』、とも言われる。

彼らがその身に秘めた能力は絶大である。

旧支配者を駆逐するために与えられた力は普通の人間よりもはるかに強く、その頭脳ははるかに賢い。

そしてなにより、絶対的な力を持つクトゥルフらに対抗するべく、神が与えた異能の力……真空空間にも関わらず炎を出現させたり、慣性の法則が働いているのにも関わらずマッハの動きをするという、本来ならばありえない現象を引き起こす能力。

彼らの能力は大海を割り、劣勢の戦場に嵐を巻き起こすなど、ともすれば1人で何百万という軍勢を相手にしても勝利しかねぬほどの威力を持っている。

だが、それゆえに彼らは人々から恐れられた。能力のない人々に、恐れられた。

弾圧に継ぐ弾圧。殺戮に継ぐ殺戮。

彼らにとって幸いだったのは、古代種の数が、思いの他少なかったことだろう。

いつしか古代種はその強大な力を使うことなく、隠者として生活していった……。

だが、世界がまだ平坦だった時代はそれでもよかった。地球は丸いと人類が知った頃、古代種は求められた。

戦争の、道具として……

当然の結果であった。

コロンブスの航海により新たに発見された新大陸の所有権を賭けて、世界は水面下での激突を確実なものとしてしまった。

人々は、一度は根絶やしにしようとした古代種を探し求めた。

それは“現代”も、変わっていないのかもしれない……

 

 

 

――2001年1月7日9時21分

 

 

 

鈴鐘寺の裏手にある墓地へと続く林道を、純白のトレンチコートを着た信一が黙々と歩いていた。右手には、長さ1メートル余りの、黒皮のケースを抱えている。

照明のない林道は暗く、よほど夜目が利かないと足元も見えない。まさに、一寸先は闇といったところである。

しかし信一は、そんな闇の中を、ライトもなしに平然と歩いていた。しかも、そのひとつひとつの動作に隙がない。

やがてしばらく歩くと、ぱーっと開けた場所に出た。目的の、墓地である。

小高い丘を切り開いて作られた斜面に、いくつもの墓石が群を成して、並んでいた。綺麗に磨かれたものもあれば、古くなって打ち捨てられたものもある。

墓地の奥の方に、人の気配があった。

信一はその気配の出所へと、一直線に進む。その歩みは、堂々としており、力強い。

やがて、見なれた後ろ姿が信一の目に留まった。

信一が、ほっと溜め息をつく。

闇に同化するかのように真っ黒なロングコートは、信一のトレンチコートとはまるで正反対の印象を受ける。

信一が声を掛けようとして、ふっと、その背中が立ち上がる。

振り向くと、見慣れた青年の顔が信一の網膜に焼きついた。彼は穏やかな表情で

「驚いただろ?城原さんのこと」

「ああ……」

和人の言葉に、信一はゆっくりと頷いた。

上唇を一舐めして、言葉を探すようにしながら、ゆっくりと口を開く。

「……正直、天地が逆転するほどには驚いた。あれは……反則だ」

「……だろう?俺も、彼女の姿を見たときには、心臓が止まるかと思った」

自嘲気味に笑って、和人は墓石へと向き直った。

墓石には、『鈴風静流』と刻まれていた。

信一が、墓石の前に立つ。

そして、そっと瞼を閉じると、静かに、墓石へと控えた。

「久しぶりだな、静流……」

 

 

 

第八章「亡霊、来る」

 

 

 

――2001年1月7日、午後9時25分

 

 

 

墓石に向かい合いながら、信一は今日のことを思い出し、悔やんだ。

無論、自分が思わず『静流』と呼んでしまったあの少女について、である。

無意識のうちだったとはいえ、結果的に彼女……城原愛歌に訊ねる形となってしまった信一の質問は、愛歌の逆鱗に触れようだった。

自分の犯した失態に、心ならずとも溜め息が出る。

和人が、信一の肩に優しく手を置いた。

「罪の意識を、感じているのか?」

「……感じないわけがねぇ。俺は、知らずとはいえ、彼女の心の傷とやらに、土足で触れちまいかけたんだからな」

「しかし、未遂だ」

「未遂ってことは……完遂する可能性もあったわけだろ?」

「繊細すぎるぞ、お前は」

信一は自嘲的に笑って、立ち上がった。

振り返り、和人の肩をバシバシと叩く。和人が、それを無言で払った。

「……止めろ馬鹿力、とは言わないんだな」

和人の表情は、真剣だった。

信一は、おどけたように笑って、呟いた。

「少し、歩くか」

和人の返答も待たずして、信一は歩き出した。

鈴鐘寺の境内へ向って……ではない。

1月1日の深夜に、和人があのロシア人達と戦った雑木林の中だ。

照明のない夜の雑木林は暗く、道も枯れ木で荒れていたが、和人と信一はその中を苦もなく突き進んでいった。ライトがないにも関わらず、2人の双眸はギラギラと不気味な光を放ち、冴えている。

距離にして数百メートルの距離を歩くと、不意に、どちらからとなく立ち止まった。

鬱蒼とした雑木林の中に、開けた場所が続いている。そこにあるはずの木々は根元からバッサリと切られ、背の低い切り株を作っている。都市部から延びる開発の魔手は、こんなところにまで広がっていることを覗わせる光景だった。

信一が、切り株のひとつに腰掛けた。

190センチ近い長身が座った衝撃で、切り株に寄生していた茸がぼとぼとと落ちる。

信一が、コートのポケットに手を突っ込み、中からシガレットケースを取り出した。箱からケント紙を1本取り出して、咥える。

それを見て、和人がふっと表情を和らげた。

「おい、そこの高校生」

「いいだろ、法律には違反していない。俺も、 お前も、今年で21なんだからよ」

ライターで火を点けて、ぐっと吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。

真っ白な煙は、冬の夜気にまぎれてすぐに掻き消される。

何度か紫煙を吸っては吐いてを繰り返し、ケント紙が根元まで熱を帯びてくると、信一は煙草を捨てて、丹念に靴の底で火を揉み消した。

煙草の火という灯りが消えたことで、辺りは薄っすらと差し込む月光のみに照らされる。

信一が、持っていた黒皮のケースのファスナーを半分開けた。ケースの中身が、チラリと覗く。それを見て、和人がはっと息を呑んだ。

信一はさらに、トレンチコートの閉じていた第1〜3までのボタンをはずした。やはりこちらも、コートの下に何かを隠しているようである。

和人は、秒とかからずにそれがなんなのか悟ると、自身も傍にあった切り株に腰を降ろし、周囲を警戒しつつ信一の顔を見た。

万人を魅了するはずの美貌に、少しだけ翳りがある。

やがて、信一が何かを呟いた。

それは恐ろしくか細い上に、かなりのスピードであったため、至近距離にいた和人でさえ注意せねば聞き取れぬほどだったが、なんとか、和人はそれを聞き取り、同時に理解した。

「……で、何を話してくれるんだ?」

英語だった。それも、日本語の文法に沿って『主語・目的語・述語』の順番に単語を繋げている。

明らかに、第三者の盗聴を恐れての話し方だった。

「簡潔に重要なことだけを述べよう。『メサイア・プロジェクト』がレベル3に達した」

「『メサイア・プロジェクト』……」

和人の顔色から、見る見るうちに血の気が引いていった。

顔面蒼白になり、愕然とした表情で、信一を見つめる。

一方の信一は、やや俯き加減に悲痛そうな表情をしていた。

「そうか……ついにレベル3に……」

「すまんッ、和人!」

直後、信一は切り株からばっと身を離すと、地面に膝を着けて土下座した。

和人が、慌てて彼の肩を持とうとするが、信一は頑として動かない。

ただ、「すまねぇ。すまねぇ」と謝罪するばかりだった。

「俺達はあれだけ多大な犠牲を払っておきながら、未だ、奴らを潰せていない。それどころか、奴らの目的はこれで7割が完成したも同然だ。……あれだけの、あれだけの犠牲を払っておきながら……!」

「もういい、顔を上げてくれ。それに、俺もお前に……いや、お前達に謝らなくてはならない。俺が、襲ってくる刺客を殺すたびに、その死体の処理をしてきてくれたのはお前達だろ?……すまない、迷惑をかける」

「そんなもの、比較にはならない。お前がこの4年間、どれだけ苦しんできたか……それを思えば、俺達の行ってきた死体処理など、苦にはならない」

「比較にはならないさ。比較するべき、物差しがないんだからな」

ふっと、和人は穏やかに笑った。

信一の顎に優しく触れ、顔を上げさせる。

そこには、聖母の如き慈愛の笑みを浮かべた青年がいた。

「もういい……もういいから……」

信一の目尻から、涙が流れた。

それは長年にわたり罪悪を感じていた男が、懺悔して、許しの時を得た瞬間だった。

和人はふっと切り株から立ち上がると、掠れるような声で呟いた。その視線は、乳白色の雲に隠れた月を捉えて離さない。

「……思い当たるふしはあった」

信一が、はっと顔を上げて和人を見る。

「ここ最近、ほぼ毎日のように刺客が来て、俺を襲ってくる……そしてそれは、常に数人だった。本気で俺を捕まえるか殺したければ、もっと兵力を投入すべきことは明白だった。にも関わらず、連中は常に数名だった。まるで、その人数でなければ俺との接触すらままにならないように……な」

和人は振り返って、信一を見た。

「お前達だったんだな。お前達が、警備網を強化してくれたおかげで、大人数の襲撃を抑えてくれた。まず先に言っておく。ありがとう」

「和人……」

「今までも度々襲撃を受けることはあった。しかし、去年の10月頃からその頻度が明らかに増しているのにも気付いていた。だから、薄々は感じていた。『メサイア・プロジェクト』が、急速に進みつつあることに……」

信一でさえ、はっと息を呑むような光景だった。

大自然を背景に、薄っすらと差し込む月光に照らし出された和人は、彼をして、美しいと

感じるほどであった。

だが、その形のよい唇から紡がれる言葉は、信一にとって、絶望的な単語ばかりだった。

「なにせ、『メサイア・プロジェクト』は俺がいなければ完遂しないのだからな……」

「――だからこそお前が狙われる。数多の勢力がお前を殺そうとし、捕らえようとしている……すまねぇな、和人。俺達はいつも後手に回って、お前にだけ苦労をかける」

信一が、力なく項垂れて言った。

「仕方ないさ。それが組織というものだ。感情論だけでは5桁規模の組織は成り立たない」

「すまねぇ」

「……お前が俺とこうやって接触をしてきた理由は?」

「……すまねぇ」

「いや、いいんだ。組織には守秘義務というものがあって当然だ」

和人はふっと微笑んでから、信一の肩に手をおいた。

信一が、もう一度だけ「すまねぇ」と呟いた。

 

 

 

――2001年1月7日、午後10時7分。

 

 

 

どれほどの時間が過ぎたのだろうか。

長時間にわたって、お互いに無言であった2人の間に衝撃が走った。

強風で木々が揺れ、枯葉が吹き上げる。

“ザワザワッ”という音にまぎれて、人間の足音が聞こえた。それもかなり巧妙に隠された、足音だ。

「信一……」

和人の呟きに、信一がゆっくりと頷く。

抱えていた黒皮のケースを利き腕とは反対の手で持ちなおす。

和人は、ロングコートの第1〜3ボタンまでをはずすと、さり気なく両手をダラリと下げた。

「13人……いや、14人か……」

「結構な人数だな」

直後、一際強い強風が雑木林の中に吹き込んだ。

“ザザザザザッ”と、いくつもの足音が迫ってくる。

そのうちのひとつが、急速に迫ってきた。

「……来るぞッ」

2人が気を抜いた状態から身構えた刹那、雑木林の中から、錫杖を巨人が出てきた。

巨人は2人の目の前に立つと、くわッと目を見開いて、彼らを睨んだ。その顔には、ロシア人の特徴がありありと覗える。

大きい!190センチの信一が見上げるほどの、大男である。

信一の全身の筋肉が、静かに膨れ上がった。全身の体毛が張り詰め、本能が、『危険』だと告げている。

「我々の目的は叶和人ただひとり……」

巨人が、やや訛りのある英語で言った。

多くを語らないのは、信一が警察に駆け込んだときのことを恐れてだろうか。

信一は、相手が自分の素性に気付いていないと思った。

「ソ連国家保安委員会……」

信一が、英語で呟いた。

巨人のこめかみに、ぴくりと一筋の血管が浮き上がる。

信一が、それを見てニヤリと笑った。

ソ連国家保安委員会……略称、KGB。

この恐るべき国家機関は、自国の党要人間の通信や、国防省と重要司令部間の高度通信までも監視している。

本国ロシアにいたっては『KGB専用鉄道』まで存在し、これは一般に出回っている地図にすら載っていない。未だ刑罰として“流刑”が現存する広大なロシアを監視するために、彼らはそれを利用している。

……もっとも、公式にKGBという組織が存在したのはつい先日までの話である。

ソビエト崩壊後のKGBは防諜局(FSK)、対外情報局(SVR)、警護総局(GUO)などに細分化され、権限の縮小を図られたが、その後、FSKを連邦保安局(FSB)に改組拡大し、再び権限の著しい強化を図られてきた。GUOに所属していた特殊部隊『アルファ』もまた、すでにFSBに移され、現在ではこの組織が旧KGBの体質をほぼ取り戻したとされている。

「ソビエトの亡霊が今更、何の用だ?」

しかし、信一の言葉はまるで、解体されたはずのKGBが未だ存続しているかのような口ぶりだった。

「殺れッ」

巨人が言ったとき、雑木林の中で、オレンジ色の光が“バッバッバッ”と煌いた。

和人と信一が、秒とかからずに懐に手を伸ばし、自動拳銃を取り出してスライドを引き、初弾を装填する。

和人はベレッタM92F。

信一は……スイス、SIG(シュバイツェリッシャー・インドゥストリー・ゲゼルシャフト)アームズ社の高性能自動拳銃……ザウェルP226。

かつて米国空軍制式拳銃トライアルで和人のベレッタM92Fとその座を巡って争い、あらゆる性能でベレッタを上回っていたが、ただ一点、価格の問題から不採用となった悲運の高性能自動拳銃である。

口径は9mm×19。9mmルガー弾を、15発装填することが出来る。

和人と信一が、世界最高水準の性能を誇る2挺のトリガーを引き絞ると、雑木林の奥で、黒い影がつ、宙を踊るようにして倒れた。

巨人が、背後から錫杖を2人に振り下ろす。

信一は反射的に半開きの黒皮のケースから中身を取り出すと、身を翻してそれを受け止めた。

重量感たっぷりの錫杖を、受けた凶器は、白木作りの鞘に納められた日本刀だった。相手の力を利用してそのまま巨人を弾き飛ばすと、その瞬間を待ち構えていたかのように、敵の猛射が襲いかかる。

「散ッ」

信一の叫びに、和人がその場から離れる。

突然、右手の林からマシンガンを手にした2人のロシア人が飛び出し、素早く、散開した和人に突進した。

和人が、両手でベレッタを連射した。

前を走っていた男が横転し、後ろを走っていた男の肩を弾丸が抉る。

刹那、林の中でオレンジ色の閃光が走り、和人に自動ライフルの銃弾が降りかかった。

脇腹を、一弾がかすめて、和人の背後にあった木を貫く。

和人の体が、激痛で海老のように曲がった。

左肩を和人に撃たれた男が、地面を転がる和人にマシンガンを連射する。

和人が、体を横たえたまま2発撃った。

1発がマシンガンのトリガーガードごとロシア人の人差し指を潰し、1発が眉間に1センチほどの穴を穿つ。

男は、膝をガクリと折った。

間髪いれずに、和人は振り向くと右手でベレッタを持ち、左手でナイフシースからシャドウVを引き抜いて、走った。

信一は巨人に追われながら新たに出現した3つの影と戦っていた。

和人が、走りながらベレッタで援護射撃をした。

3つの影のうちの1つが、倒れ、あとの巨人を含めた3人が散開する。

右手の林から、別の2つの影が飛び出して、和人を狙い撃った。

信一が、振り向いてザウェルを撃つ、撃つ。

2つの影が、殴り倒されるように沈んだ。

背後から、先ほどの影の2人が和人に襲いかかった。

反射的にナイフシースからシャドウVを抜き、振り返りざまにそれを投擲し、疾走する。

1人が、銃を放り投げて倒れた。シャドウVが喉を貫き、致命傷を与えている。

物凄い速さで迫った和人は、流れるようにロシア人の喉からシャドウVを引き抜くと、その刃をもう1人に振るった。

2人分の鮮血が、木々を汚す。

「和人ッ」

信一が叫んだ。

振り返ると、先刻の巨人が錫杖を振りかざしている。

咄嗟に地を蹴って後ろに跳躍する。

間一髪。

錫杖は和人の頬を掠めたが、致命傷にはならなかった。

和人の視界の隅で、新たな影が4つ、現れる。影は、いずれも錫杖を持っていた。

「叶和人は殺すなッ」

巨人が、ロシア語で叫んだ。

殺すな、と言っているが、4つの影は凄まじい殺気を漲らせていた。

「和人ッ!」

信一が、4人と和人の間に割って入った。

変幻自在に襲いかかる錫杖の切っ先を、あわやというところですべて捌く。

「そいつは殺せッ」

4人の刺客が、信一を取り囲み、錫杖を構える。

信一は、白木の鞘を払うと、足元にそれを置いた。

鞘に隠されていた刃は、氷のような輝きを放っていた。刃渡り2尺4寸の、ほぼ無反りの太刀である。

――備前長船『刃月(はづき)』。それがその日本刀の銘だった。

円陣を組み、襲いかかろうとしている彼らの背後で、和人がゴクリと息を呑む。

美しき凶器と、それを操る美しき青年……あまりにもミスマッチしたその光景と、刃を手にした彼の実力を知っているだけに、和人は息を呑まざるおえなかったのだ。

「ここまでだな、猿が」

巨人は、吐き捨てるように言って、下卑た笑みを浮かべた。

信一は、無言だった。しかしその無言の中に、灼熱の殺気が息づいていることを、刺客達は感じ取っていた。

4人のロシア人は、信一を取り囲んだまま、身動き一つしない。否、動けないのだ。

信一は、『刃月』をダラリと下げたままであった。

「ドブ鼠……」

信一が、ぽつりと呟いた。

巨人の顔が、硬化する。

「日本の猿の恐ろしさを知るまい、赤いドブ鼠が」

信一の口元に冷笑が浮かんだ。

和人と4人の刺客の背筋に、冷たいものが走る。彼らに、顔色はなかった。

ただひとり、巨人のこめかみだけが痙攣し、その頬が紅潮していた。

「死ねッ」

巨人が4人の刺客に命じたのとほぼ同じくして、信一の巨体が跳躍した。

「うわッ」と叫んで、4人のうち2人が朽木のように倒れた。右腕を切り落とされている。秒とかからぬ、神業だ。

「くそっ」

残った2人が、左右から一気に信一へと襲いかかった。

『刃月』が、右の男を袈裟がけに切り、かえす刀で円を描くように、左の刺客の首を跳ね上げた。見事な袈裟切りである。

ドサリと音がして、首級が巨人の足下に落下した。

段違いの信一の強さに、巨人の顔から表情が消えた。

「き、貴様は一体……」

「ノーデンスの…………『鷹』!」

「なっ!?」

「切る」

信一は、爛々とした目で巨人に迫った。

巨人は、錫杖を頭上で水平に構えた。

信一の体が、静かに沈んだ。右膝を軽く地面につき、左膝を90度に曲げて、『刃月』を右斜め上段に構える。両足の筋肉が、次なる跳躍に備えて、隆々と肉の山をつくった。

――大神真刀流奥義之二『天槍』の陣。

己よりも体格の勝る相手に対しては相手の頭上を飛び越えて……

己よりも体格の劣る相手に対しては相手の脇をすりぬけて……

放たれる斬撃は鋭く、凄まじい。

「くらえ!」

錫杖が、信一の眉間に風を切って振り下ろされる。

信一の体が、『鷹』のように飛翔した。

『刃月』の刃が、巨人の肩を深々と切り裂く。

「がぁッ」

巨人が、頭上を飛び越えた信一を追って振り向く。刹那、『刃月』が地から天へと矢のように走った。

股間から肺までを割られた巨人が、ぐわっと叫んで倒れる。断末魔の咆哮だった。

「……墓地に戻るか」

信一が、何事もなかったかのように呟くと、和人もそれに従った。

 

 

 

――2001年1月7日、午後10時14分

 

 

 

墓所にある水汲み場で、血で汚れた刀身を清めると、信一は錆を防ぐために柔らかなティッシュペーパーで『刃月』を丹念に拭った。

血で汚れたコートのポケットからサラダオイルの入ったボトルを取り出すと、ほんの少しだけティッシュペーパーに染みこませ、軽く刃を撫でる。

それにしても、凄まじきは備前長船『刃月』であった。

あれほどの戦闘をこなしたというのに、刃こぼれひとつしていない。

どれほどの名刀も、一度打ち合えば、刃こぼれが生じるのは必至。

5、6人の人間を骨の髄まで斬れば、刃はボロオロになる。

信一は余分な油を完全に拭きとって、ようやく鞘へと『刃月』をしまった。

「お前もやっとけよ」

「そうだな」

血まみれのシャドウVを桶に汲んだ水に浸すと、赤黒い刃からはたちまち汚れが清められ、漆黒の刃へと戻った。和人は素早くシャドウVを水面から離すと、ティッシュペーパーでこれでもか、というぐらい丹念に拭った。

さすがに、刃こぼれは酷かったがこれは家で研ぐしかない。

和人は一連の作業を終えると、シースにシャドウVをしまった。

刹那、和人の背中に激痛が走った。

反射的に振り向こうとするも、第二撃が、和人の脇腹をしたたかに打ちのめした。

「不覚……」

和人が、自嘲的に笑って、呟いた。

うつ伏せに倒れる和人の背中を、信一の大きな足が踏みつける。

頬に、ギラリと鈍い光を放つ『刃月』の刀身が触れた。

「……なんのつもりだ?」

「……頼みたいことがある」

「脅迫の間違いじゃないのか?」

「いや、頼み事だ。ちゃんと拒否権はやるさ。ただし、その後の展開が想像できぬお前じゃねぇだろう?」

「……やはり脅迫じゃないか」

和人は苦笑して、信一の言葉に相槌を打った。その表情は、頬に刀の刃が触れているとは思えないほど朗らかである。

「俺に……“あのとき”のリベンジをさせてくれ」

和人は、なんだそんなことかといった風に笑って、「……いいぜ」と、静かに告げた。

      

   


章末詳細資料

―― SIG Sauer M P226 ――

 

 

タイプ

セミオートマチック・ピストル

口径

9mm×19

全長

196mm

銃身

112mm

重量

845g

装弾数

15+1発

ライフリング

6条右回り

射程

50m

初速

352m/秒

開発

スイス、SIGアームズ社

 

 

 

タハ乱暴「まさか信一に射撃をさせるとは思ってもみなかった」

信一「構想段階では、たしか俺は刀オンリーで戦う予定だったんだよな?」

タハ乱暴「そうそう。でもそれじゃいくらなんでもってことで、銃を持たせることにしたのよ。この設定をどうするかなと考えた時間、わずか20秒弱」

信一「……その20秒弱の間に俺は生死に関わる設定を考えられたのか」

タハ乱暴「HAHAHAHAHA!そう悲観するな、信一。それに持たせるにしても、何を持たせようかについては、3分は! 悩んだぞ」

信一「……まぁ、いい。SIGザウェルP226。世界最強の特殊部隊としても名高い、イギリスのSASでも使用されている高性能自動拳銃だ。

スイスと言えば精密な作りで好評の時計なんかが有名だが、同じスイス人が作っているだけあって、ザウェルも恐ろしいほど精密に作られている。かの有名な、ロイヤル・カナディアン騎馬警官隊のテストで、10挺のザウェル……それも、このP226に計15万発の弾丸を装填したところ、作動不良の割合はなんと0.007%という数時を叩き出しやがった。こいつぁ、和人のベレッタじゃ、まず不可能だな。

そうそう、ベレッタと言えば、かつてこのザウェルP226と、和人のベレッタM92は、米国空軍制式拳銃トライアルで、ザウェルと頂上決戦を果たした仲だ。M92よりも、全長で21mm、銃身長で13mmも短いP226だが、ベレッタ以上の命中精度を見せ、また、ベレッタよりも130gも軽い。まさに、化け物としか形容のしようがない拳銃だったわけだ。しかし、結局トライアルで勝利したのはコストの問題からM92だった。基本価格140ドルの差は大きかったみたいだな。

とはいえ、その正確さを見込まれて、ザウェルは仕官用の拳銃や、特殊部隊向けの拳銃として抜擢されることも多かった。コンパクトなボディに、照準も射撃もしやすく、すべてのモデルにダブル・アクション機構と、左利きの射手用に逆向きにできるマガジン・キャッチと……価格以外ならば良い事尽くめのこいつが、人数の少ない特殊部隊なんかに好まれるのは当然の成り行きだな。世界最強の特殊部隊とすら謳われる、イギリスのSAS連隊でもこいつは使われている。

肝心のフレームは切削性のいい軽合金で製作され、スライド本体部分は、スティール板をプレス加工で製作するように設計されている。

ちなみに以下は、ザウェルの長所をピンポイントにまとめたものだ。

高い信頼性

安全性(暴発の危険性が極めて少ない)

装弾数が多い(ダブル・カーラム、シングル・ローの両方のタイプのマガジンがある)

コンパクトなボディ

左右どちらが利き手の射手にも使いやすい

素早い弾倉交換が可能

即座に作動し、悪天候の下でも確実に作動する

……とまぁ、こんな感じだな。おそらく、このザウェルに対抗できる拳銃は今のところ、和人のベレッタや、ワルサーといった有名処の高性能拳銃か、ベルギーにあるFNハースタル社で生産されている次世代型拳銃……ファイブ−Sevenぐらいなもんだな。いくらザウェルでも、最大射程数百メートルのこの化け物には敵わねぇ……逆を言えば、それだけの物を投入しなければ、ザウェルには勝てないっていう、優秀さを照明してるんだけどな。

ちなみに、日本の自衛隊はP226の前身で、ダブル・カーラムではなく、シングル・ロー・マガジンを使用しているP220、日本の警察はさらにコンパクトなP230を使用している。いずれも、ミネビアのライセンス生産だけどな」

タハ乱暴「ザウェルはタハ乱暴も好きよ〜。タハ乱暴的には拳銃部門ランク2番目」

信一「2番?じゃぁ、一番は?」

和人「コレ(ベレッタM92F)だよな?」

タハ乱暴「ひ、ひぃ〜〜〜〜〜、いつからそこにっ!?」

信一「さっきからいたぜ?気がつかなかったのかよ?」

タハ乱暴「お、俺はお前達みたいな化け物じゃねぇんだよ」

和人「……あからさまな人種差別だな(ベレッタのスライドを引く)」

信一「情状酌量の余地は……ないな(ザウェルのスライドを引く)」

タハ乱暴「お、おたすけ〜」

和人&信一「No!」

 

パンッ!

 

和人「……さて、ゴミ掃除も終わったことだし、そろそろお開きにするか」

信一「そうだな……それじゃ、See you again.

タハ乱暴「ううぅぅぅぅ……痛いよぉ」

   



メサイア・プロジェクトについて一つ分かったな。
美姫 「まだ全貌は見えないけれどね」
さて、次回はどんな展開になるのだろうか。
美姫 「やっぱり、和人と信一の…」
だろうね〜。果たして、どんな結果が。ワクワク。
美姫 「次回も楽しみに待ってるわ〜♪」
それでは、次回で〜。



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