『選ばれし黒衣の救世主』










「はい、カエデさん」

知佳は、自分となのはの部屋に訪れていたカエデに、赤い液体が並々と注がれたコップを渡す。

「うう……」

カエデは、それを少し青い顔で受け取った。

「これは血じゃないんだよ?」
「うう、わかっているのでござるが」

 そうこれは、カエデの血の恐怖を克服する特訓。
それに知佳はつき合っていた。
もっともつき合うとは言っても、ちょっと話を聞いたり、こうして『トマトジュース』を渡す、ぐらいのことしかまだできていないのだが。
だが、これは確かに特訓だった。






 第二十二章 追憶 






(救世主……か)

 知佳はカエデの顔を眺めながらも、心の中で呟いた。
 すでに知佳は、恭也から……リコには内緒で……禁書庫で何があったのかを聞いていた。
 それは本当に誰にも話せないことだ。
自分を信頼して話してくれた恭也を裏切る行為だし、この目の前の少女に……いや、彼女に限らず、救世主を目指す彼女たちには絶対に言えない。
彼女たちは信じているのだ。救世主が破滅を滅ぼすと……そして自分が救世主になると。
そんな彼女たちにどうして言えよう、実は救世主は破滅を滅ぼす存在ではない、と。
いや、今それを考えるのはやめよう。自分がしなければならないのは真実に辿り着くことだ。

(いくつか欠けているかもしれないけど、重要なピースはだいたい揃ってるはず)

 ならば、その欠けたピースを自分が補わなければいけない。

(赤と白の精……紅の精……二つの理……世界の運命……本当はまだ一度も真の意味で誕生していない救世主……それにレティアちゃんが言う『あいつ』っていうのも無関係じゃない……)

そこまで考えて、知佳は心の中でため息をつく。
 そんな知佳に気づくこともなく、カエデはトマトジュースを睨み、だが顔を青くさせて視線を反らし、すぐにチラチラと眺めて、また顔を青くさせるというのを繰り返している。
知佳はその姿に悪いとは思いつつも苦笑したあと、再び思考する。

(私一人じゃ限界がある)

いくつかの矛盾はなくなった。だか同時に謎が増えた。
これ以上は知佳の限界を超えていた。
知佳とて、今まで無為に日々を過ごして来たわけではない。この世界に来て、自分ができることを最大限に行ってきたのだ。
字を覚え、図書館の書物を調べたりもした。他の世界の人間であるため、余計な先入観もなく調べられたが、それでも目新しい発見はなかった。
知佳が知りたいのは、もう少し突っ込んだ内容である。
だが人からの情報と、すでに幾人もが調べ尽くした書物では、それはあまり期待できるものではなかった。

(せめて禁書庫に入れればいいんだけど)

恭也の話では、禁書庫には図書館以上に膨大な本が置かれていたとのことである。禁書庫というのだから余程重要であり、まだあまり知られていないような書物もあるだろう。
だが、そんなところに入れる権限は知佳にはない。
学園長に許可を貰いたいところだが、まだ自分たちは異端であるということで警戒されているだろうから、そんな許可は下りないだろうということもわかる。

(どうにかして禁書庫に入れないかなあ。もしくは学園長の許可を取れるような権限の持ってる人の協力がほしいな)

権限という意味では、恭也や他の救世主候補たちもそれほど大きくない。救世主候補とはいえ、結局この学園の生徒でしかないのだから、当然といえば当然だが。
というよりも、この学園にいる以上、学園長以上に権限のある人間に出会える可能性は低いだろうが。

(動きようがないよね)

心の中でため息をつく。
もっと恭也に協力したいのに、自分の力だけでは限界だなんて……。
恭也がいつかきっと無理をすることは目に見えているのに。

(弱音はダメだ)

自分も動かなくてはいけない、限界だなんて言ってられない。
今まで彼が、どれほど無茶と無謀を繰り返してきて、どれだけのものを心に背負い、そしてどれだけの人を守り、救ってきたのか、おそらくは自分が世界で一番知っているはずだから。
 だからこそ知佳は手伝いたい。今まではそういったことで力を貸すことはできなかった。だが、やっとその機会が訪れたのだ。

「知佳殿」
「え?」

考え事をしていて、カエデのことを忘却していた知佳は、突然呼ばれて顔を上げた。
 するとカエデはトマトジュースから視線を離して、知佳を見つめてきていた。

「知佳殿は苦手なものや怖いものというのは、ないのでござるか?」

なぜ彼女がそんなことを聞いてくるのかはわからないが、知佳はその質問に笑ってしまった。

「それはあるよ」
「あるのでござるか?」

そんなにも意外なのか、カエデは目を丸くしていた。

「人間だからね、どんな人だって苦手なものはあるよ。たぶん、カエデさんのお師匠さんの大河君も、そして恭也君もあると思うよ」
「うう、そのお二人はとくに信じられないでござるよ」

その答えに、やはり知佳は苦笑してしまう。
完璧な人間などこの世には存在しない。誰であろうと苦手なものはあるだろうし、怖いものはある。
恭也は、おそらく守れないことが一番怖いのだろう。あとは甘いものが苦手、と。

「知佳殿が苦手と思うもの、差し支えがなければ教えてはくださらんか?」

カエデに言われ、知佳は曖昧に笑う。
 差し支えという意味では多分にあるのだが……。

「そうだね……私が苦手なのは、人の心……かな」
「人の心でござるか?」
「正確には、人の心を汚して踏みにじること」

自分は簡単に人の心と思い出を踏みにじれてしまうから。
そうして、踏みにじってしまった人がいるから。
だから知佳はこの世で一番、人の心と思い出を踏みにじり、汚してしまうことが苦手で、怖かった。




 それは知佳が恭也という存在を知って、一年ほど後のことだった。
知佳は恭也という人に会ったことはあるが、それほど親しいわけではなかった。ただ、さざなみの寮生たちからよく噂が上がるため、その人となりはよく知っていた。
なんでも、知佳の姉である真雪よりも強い。
リスティからの依頼で、よくボディーガードをこなしている。
とても優しい人。
格好いい(これは知佳自身も思っていた)。
少し枯れている。
そして、とてつもなく鈍感で朴念仁で、人の好意に気づかない……等々。
そう言った話をさざなみに帰ってくるたび、耳にしていた。
リスティの病気、つまりHGSのことも知っているのと好奇心もあったので、ちゃんと話してみたいという思いはずっと前からあった。
そんなときだった。
知佳が休暇でさざなみ寮に帰って来ていた日。
寮生である那美の友人、高町美由希……つまり恭也の妹である彼女が、寮に遊びに来ていたのだが、携帯を忘れて帰って行ったらしい。
那美はそれを返すために高町家にまで行こうとしていたのだが、運悪く『仕事』が入ってしまった。
その場面をたまたま見ていた知佳が、自分が携帯を返してこよう、と言ったのだ。
最初は那美も悪いと言っていたのだが、最終的には折れ、高町家の詳細な場所を教えてくれたのであった。
まあ、知佳としても裏があった。
噂の恭也と少しぐらい会話ができるかもしれないと思っていたのだ。話したことがないわけではないが、会うときは大人数でばかりだったから、それほど親しく話していない。
というわけで、知佳は高町家に向かった。
運命だったのか、それは知佳にもわからない。
さざなみ寮と高町家までの道のりの半ば、そこで知佳は恭也と出会ったのだ。
 美由希が家に帰り、彼女も携帯をさざなみ寮に置いてきてしまったことに気づいたらしく、再びさざなみに行こうとしていたのだが、恭也が外に用事があるらしく、ついでに取りに行くことになったらしい。
その半ばで知佳に出会ったのだ。

「本当にありがとうございます」
「あはは、気にしないで」

 何度も礼を言う恭也に、知佳は手を振って答えた。
やっぱり真面目で誠実な人なんだな、と思う。
 さらに彼は礼をするから、翠屋に来てほしいという。それはさすがに悪いと思い、何度か断ったのだが、恭也も折れてくれない。
それにやっぱり翠屋のシュークリームは食べたいかな、とか思い、知佳はそれを受けることにした。
そして二人は歩き出した。
歩き出したのだが……。

(うう、いい話題が浮かばない)

話したいと思っていたのに、全然話題が浮かばないのだ。そりゃあ今まで二人きりで話したこともない相手との話題を探すのは難しいというもの。
趣味……盆栽、釣り、昼寝。
特技……剣。
 職業……大学生兼ボディーガード兼家業手伝い。

(って、話題にできそうなこと、もう知ってるし)

 ここに来て、無駄に寮生たちの話を聞いてしまったことに後悔する。
 しばらく沈黙だけが二人の間に流れる。
 どうにか話題を見つけたい知佳は、意を決して話しかけようとしたが。

「知佳さんは……」

唐突に恭也が口を開いた。

「え?」
「知佳さんは、国際救助隊で働いているんですよね?」
「あ、うん」

前方を眺めながら問うてくる恭也を、横から見つめて知佳は頷いた。

「人を救う仕事。誇りのある仕事なんでしょうね」
「そうだね。誇りはあると思うよ。でも、それはどんな仕事でも一緒なんじゃないかな?」

 確かに、知佳は人の命を救うこの仕事に誇りを持っている。だが、それはどんな仕事にも……その方向性に違いはあれ……あると思っている。
それは家族や寮生たちを見ていればわかることである。

「恭也君も……護衛の仕事だって同じでしょ? 色んな人を守って、救って、誇りのある仕事だと思うよ」
「え?」

 知佳のその言葉に、恭也は驚いたかのような表情をみせた。
なぜ、驚くのだろう?
 だけど、恭也はそれをすぐに消して、苦笑してみせた。

「俺の剣は……そんなに綺麗なものではありませんよ。ただ、他に何も知らないだけです。人殺しの剣で、人を傷つけ、ただ守ることしかできません。誇りはありますが、俺ができるのは身体を守ることだけで、救えているとは思えません。知佳さんのように大勢の人を救い、守れているわけでもないですし」

 ああ、やっぱりさざなみの寮生たちの言うとおりだ。
 この人は、本当に自分を過小評価しすぎてる。
 ある意味では、自分に自信を持てていないかのように。
 そしてこの話を聞いて、知佳は恭也の在り方が、なんとなく危ういと思った。

「それは……」

違うと言おうとした。
だが、その言葉は続かなかった。それを遮るように、急に恭也の目が鋭くなったのだ。

「っ!?」

 そして、恭也はそのまま駆けだしてしまった。
残された知佳は、一体何が起こったのかわからなかった。だが、すぐに恭也の向かう方向……離れた前方を見る。
そこにいたのは一匹の子猫。
十字路の真ん中を横断している子猫だった。
それだけならば、ただ普通の光景。
その横から猛スピードで迫る車がなければ。
それに目を見開く知佳。
 同時に恭也が何をしようとしているのかを理解した。だが、間に合わないことも同時に理解できた。
 知佳は迷いもなく、自分の能力を晒す。
甲高い音が響いた後、知佳の純白の翼が背後に現れる。
 念動力で猫を動かすか、自らがテレポートするか、もしくは猫をアポートするか。
一瞬で、自分にできる最善の行動を脳内に描く。
それは人を救うときと変わらない。
だがその一瞬……知佳が思考したその一瞬で、恭也の後ろ姿が突如消えた。

「え……?」

場違いにも、知佳は驚きに目を見開く。
そしてまた次の瞬間には、路上にいた猫も消え、そのあとに車は走り去っていった。

「あ……」

知佳は何が起こったのかわからない。
 だけど恭也は無事だ。
だって、車が通り抜けた十字路の向こう側で、恭也が猫を腕の中に抱えて立っていたのだから。
恭也がこちらに振り向く。
その目が、知佳の翼に向けられていた。
 しかし恐れの色はない。
 それにホッとしている自分がいる。
 そして、次に二人の視線は絡まった。




 その瞬間、流れ込んできた。




 一族の死滅……。

なんで!?

尊敬していた父の死……。

 ダメだ!

 残された誓いと約束を守るために、身体と心を削って強くなろうと……。

 ダメだ! ダメだ!

 自らの弱さを封印し、家族を守るために……。

 いけない! これ以上はダメ!

 涙すら捨て、大切な人たちを守るために……。

 私は覗きたいなんて思ってない!

 ただ守る、そのために……。

 止まって!

 自らが血に塗れても……死に汚れても……。

いや……。

彼は、ただ誰かのために……剣を振り続けてきた。

 いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!




「あ……ああ……」

 知佳は、流れ込んでくる記憶と感情の波を一方的に押し止める。だけど、それはもう遅すぎた。
気づいた時には、ただ座り込んでいた。

「う……」

知佳の目からボロボロと零れてくる涙。

「うぐ……」

ただ、しゃくりあげる。
端から見れば奇妙で不思議な光景に映る。
その少女には白い翼があり、顔をボロボロにして涙を流している。誰が見てもどんな状況かなどわかりはしないだろう。

「うっ……あっ……」

知らなかった。
そんなことで許されることじゃない。
自分は覗いてしまった。
いつもなら忌避することなのに、自分は視てしまった。
視たいと思ったわけじゃない。
……そんなこと理由にもならない。
だって、たぶん心の底では視てみたいと思っていたから。
好奇心もあった。だけど、少しだけ話して、さらに彼に興味を持ってしまって……彼のことが気になって、そんな自分の心が、能力に歯止めを効かなくしてしまったのだ。それは恭也の壮絶な記憶と相まってコントロールを失い、暴走と言えるほどに。

「うっ……うっっ……」

こんなにも重たいモノを背負っている。その記憶と想いを持っている彼に、自分は土足で踏み込んだ。

「うえ……うええぇぇぇ」

知佳は子供のように、ただ泣きじゃくった。
それしかできなかった。
 真っ白な翼を広げて、泣きじゃくる知佳。

「どうした……んですか? 知佳さん」

いつのまにか目の前にいた恭也。
 そして、恭也の手から下りた子猫が、知佳の手をペロペロと舐めていた。
だが知佳は泣くだけ、そしてそのまま恭也の胸に飛び込む。

「ごめ……ごめんなさい! うわぁぁぁああん! ひぐっ! うっ、ううっ!」

 恭也は彼女の頭を……末の妹にしてやるように撫でて、状況を悟った。

「すいません、知佳さん」

恭也は知佳の頭を撫でながら謝る。

「なんで……なんで、恭也君が謝るの? 覗き見たのは私なのに!」
「知佳さんは悪くないですよ」
「そんなこと言わないで……!」

だけど、恭也はそんな言葉を聞いてくれない。

「もっと気をつけておくべきでした。すいません」
「恭也君は悪くないよ。悪いのは私だよ!」
「知佳さんは悪くないです。猫を助けようとしただけなんですから」

それを繰り返す恭也。
恭也の心の声がフィンを通して伝わってきてしまう。彼は心の底から謝っている。視せてしまった自分に不甲斐なさを感じていた。イヤなのにそれが伝わってくる。

「ちが……ぐすっ……うよ! あやま……ひっく……るのは……私……だよ!」
「知佳さんは悪くありません。いつもなら、そういうのも防げるんですけど。すいません、猫を助けるのに、そのへんを忘れていました」

 それに合わせるように、猫がまるで謝るかのように鳴いた。それに恭也は苦笑して猫の頭を撫でた。

 そんなんじゃ、いつも気が抜けなくなってしまう。そう言いたかった。

(この人はずっと、ずっと辛い道を一人で歩んで来たんだ。そんなの酷いよ)

心の中で叫ぶ。声に出して言っても、彼はきっと曖昧に……そして寂しそうに笑うだけで、それに肯定も否定もしないというのがわかっているから。
恭也の腕の中で泣き続けて、やっと涙が止まってきた。

「少し、場所を移しましょうか?」

 恭也はぎこちなく笑って、そう言った。




 あの後、子猫と別れ……その際に、子猫は何度も恭也と知佳を振り返った……、二人は臨海公園にまで来ていた。
 知佳は、一人ベンチに座っている。

「はあ……」

 色々な意味で、知佳はため息をつく。
恭也の記憶と心を覗いてしまったこと、年甲斐もなく子供ように泣きじゃくってしまったこと。
 どれも情けなくて辛い。
そこに……。

「知佳さん」

恭也が現れ、その手に持っていた缶の紅茶を差し出してきた。
彼は自販機まで、飲み物を買いに行っていたのだ。

「ありがとう」

 知佳は少しだけ笑って、それを受け取った。
恭也もそれに頷いて、少し距離を取りながらもベンチに座った。その手にはブラックの缶コーヒーが握られている。
 沈黙が流れたあと、意を決したように知佳は口を開く。

「ごめんね」
「ですから、知佳さんは悪くありません」
「それでも! お願いだから」

 恭也がそう返すことなんてわかっていた。なぜならたぶんもう自分は、誰よりも……知識的な意味では……彼のことを知ってしまっただろうから。
自己満足とわかっていても、この言葉は伝えなくては、受け入れてもらわなくてはいけいのだ。

「わかりました」

そんな知佳の思いがわかったのか、恭也は神妙に頷いてくれた。
また沈黙が流れるのがイヤで、知佳は言葉を続ける。

「膝、大丈夫?」

 それは覗いてしまったからわかること。すでに、彼が膝を故障していることも知っている。あのとき、子猫を救い出した技も何となくではあるが理解できている。
それを掘り起こしてしまうのは辛いけど、聞かないといけないから。

「大丈夫です」

どうして知っているのか、などということは聞かずに、恭也は頷いてくれた。
 だけど、また沈黙が流れてしまう。
先程までとは違う意味での沈黙。それは、本当に知佳には痛いものだった。
 恭也は気にしていない……いや、むしろ逆に罪悪感を覚えてしまっているのがわかるから、余計に痛かった。

「俺の過去は……」

不意に、恭也が苦笑いながら言った。

「え?」
「きっと、血で汚れていたんでしょうね」

そんなことなどない。
確かに辛い記憶がいっぱいあった。たぶん自分では耐えきれないだろうという事がいっぱいあった。
だけど、彼は汚れてなどいない。

「そんなことないよ」
「そうでしょうか?」

 知佳はこの能力ゆえに、本当に人間の醜くて、汚いところをよく知っている。
 それでも恭也は違うと言える。

「恭也君は、ただ頑張ってるだけだよ」

 強くて、優しくて、ただ守るためだけに全力を尽くして。
だけど、彼はわかっていないのだ。周り人たちも、恭也を護りたいと思っていることを。それは身体ではなく、心を護りたいと。
 しかし、それは仕方のないことでもあった。
だって、彼は強くあらなければならない理由があったから。
父を亡くし、その代わりになるために、弱さを捨てて、守らなければならない者たちがあったから。
だけどその分、彼は本来必要なものをいくつも切り捨てて来てしまった。
その中に、自分を労るというものがあったのだろう。
自分に自信が持てないのも、彼はほとんど褒められたという経験がないからだ。普通の人間はお世辞であれ、本心からであれ、褒められることで自信をつけていく。
 だけど恭也には、父が死んでから自分を褒めてくれる人間など存在しなかった。どちらかと言えば褒める立場。そうであらなければならなかった。だから、彼は自分に自信が持てない。
だから、ちゃんと褒めてあげられる人が、自信をつけさせられる人が必要なのだ。

「さっき恭也君、自分は誰かを救えているとは思えないって言ったよね」
「はい」

 わかってる。なんで彼が『救う』という言葉に拘っていたのか。
 しかしだからこそ否定する。

「そんなことないよ」

同じ言葉を繰り返す。
彼は救えている。ちゃんと守れて、心まで救えている。
大切な人たちの心を。


でも……。


「これは、覗いちゃったから言ってるんじゃないからね」
「……はい」
「恭也君が救えていなかったら、きっと恭也君の周りにいる人たちは笑えてないよ」
「それは……」

 恭也が何かを言う前に、知佳は首を振った。

「救えてるよ。那美ちゃんとか、みんなで会ったときの、恭也君の周りにいる人たちを見ててもわかる。みんな楽しそうに笑ってる」

それは、彼の記憶の中にあった人たちも同じ。
 みんな綺麗に笑えていた。その中心には、いつも恭也がいた。

「笑っていられる、これってすごく大事なこと。恭也君はね、そこにいるだけで、ちゃんとみんなの心を救えてるんだよ。恭也君がいなかったら、みんなはきっと笑えない。だから、ちゃんと救えてる」

 知佳は、微笑んで恭也の手を握る。

「恭也君は、この手で……その手に握る剣で、いろんな人たちを守って、そして、周りの人たちの心も……ちゃんと救えて、護ってるよ」


 でも……。


「……はい」

 恭也は、微かに微笑んだ。



 でも……。



 彼自身は救われているのだろうか?
 いろんな人たちを守って、周り人たちを救って……。
 肉体的な意味では、彼は本当に強い。だから守られる必要はないだろう。
だけど、彼自身の心は救われているのだろうか?
 彼の心を救おうと、護ろうと思っている人たちは、きっとたくさんいる。
しかし、彼はそんな人たちに気づけていない。それはきっと、彼が切り捨ててきてしまったものだから、彼は気づけない。
人一倍、周りの人たちを守りたいと思っているけど、自分は護られる者ではない、と切り捨ててしまっているから。
 だから彼は気づけない。彼を護ろうとしている人たちに。
だからこそ、彼は危うい。
誰かを守れないなどということがあったなら、彼の心は簡単に壊れてしまいそうだった。


知佳は、そんな彼を護りたいと思ってしまった。
 彼の心を。
 彼の周りにいる人たちと同じく、自分も護りたいと。
そして、そのときに気がついた。
自分は………辛い過去を背負いながらも、守ることに一生懸命な彼に……恋をしたのだということを。




 あのときほど、知佳は自分の能力を呪い、感謝したことはなかった。
 彼の心と記憶に踏み込んでしまったことを呪い。だが、同時に彼を……その恭也という人の在り方を知り、彼を好きになることができて、感謝もした。
そんな正反対の結果を二つ手に入れた。
複雑なものだった。
自分の能力で、人の心に無断で踏み込むのはイヤだ。だけど、その能力があったからこそ、自分は今、恭也を護ろうと、この世界にいるのだから。

「むむ、何やら意味深でござるな」
「そんなことないよ。きっと、簡単なことなんだと思うよ。カエデさんだって、心は大事だと思うでしょ?」
「それは答えにくいでござるな。忍者としては、時に心も捨て去らなければならぬ時があるゆえ。ただ拙者個人としては、大事だと思うでござるよ」
「うん。それでいいの」

 知佳は笑いながら頷く。

「カエデさん、血も同じなんだよ?」
「同じ?」
「そう、人にとって血は大事なもの」

 それは身体的な意味だけではない。

「どんな人にも流れていて、その人を生かしてくれる、大事なもの。暖かい体温を与えてくれて、生きているとわからせてくれる。
カエデさんにも、私にも、カエデさんの大切なお師匠さんにも流れているもの」
「師匠にも……」
「そう、血はね、怖いものじゃないの。大切な人を生かしてくれる大事なものなの」
「大切な人を……生かして」

 しばらくカエデは何かを考えていたが、やおらトマトジュースが入ったコップに手をつける。
 それを見て、やはり顔を青くしているが、それでもちゃんと見ている。

「師匠にも、流れているもの……」

 カエデはそう呟いて、コップを口にもっていき、一気にその赤い液体を口へと流し込んだ。
そしてすべてを飲み干し、そのコップをテーブルの上に叩きつけるようにして置いた。

「うう……」

 まだ完全に恐怖感を拭えたわけではないだろう。さらにいえば、あれは血ではなくトマトジュースだ。
 本当に血の全てを克服したわけではないだろう。
 それでも……。

「よくできました」

知佳は優しく微笑んで、カエデの頭を撫でたのであった。
一歩進めたのだから、ちゃんと褒めてあげないといけないから。

(私も少しずつ、進んでいかないとね)

 そして、知佳は心の中でそう呟いた。








あとがき
 
知佳編終了。ほんとは十六夜編とか、久遠編とか、耕介編とかも書きたいんだけど、彼らが目立つようになるのはもっと先なのでまだ。
エリス「うーん、このごろあんた泣かせてばっかりじゃない?」
 そ、そんなことは。
エリス「女の子を泣かすなんて、やっぱり最低だね」
 し、仕方ないんだぁぁぁぁ! 自分はそんなんじゃないんだぁぁぁぁぁ!
エリス「あ、言葉でここまで痛めつけられるものなんだ、これはいい発見」
へんな発見すな!
エリス「まあ、それは置いといて」
 置かないでください。
エリス「いいから、次はちゃんと進むの?」
 はい、次はちゃんと進みます。
エリス「うん、それならとっとと書く」
ただ、大河編が迷ってる。
エリス「何が?」
 戦闘いれるか、もしくは前の章のようにスキップするか。
エリス「それはある意味、手抜きをするかしないのか、の問題じゃない?」
 そ、そんなことは……。
エリス「はあ、いいから早く書く」
 了解しました。
エリス「それではまた次回で」
ありがとうございました。







あとがき
 
知佳編終了。ほんとは十六夜編とか、久遠編とか、耕介編とかも書きたいんだけど、彼らが目立つようになるのはもっと先なのでまだ。
エリス「うーん、このごろあんた泣かせてばっかりじゃない?」
 そ、そんなことは。
エリス「女の子を泣かすなんて、やっぱり最低だね」
 し、仕方ないんだぁぁぁぁ! 自分はそんなんじゃないんだぁぁぁぁぁ!
エリス「あ、言葉でここまで痛めつけられるものなんだ、これはいい発見」
へんな発見すな!
エリス「まあ、それは置いといて」
 置かないでください。
エリス「いいから、次はちゃんと進むの?」
 はい、次はちゃんと進みます。
エリス「うん、それならとっとと書く」
ただ、大河編が迷ってる。
エリス「何が?」
 戦闘いれるか、もしくは前の章のようにスキップするか。
エリス「それはある意味、手抜きをするかしないのか、の問題じゃない?」
 そ、そんなことは……。
エリス「はあ、いいから早く書く」
 了解しました。
エリス「それではまた次回で」
ありがとうございました。






いやいや、エリスちゃん、それは違うぞ。
美姫 「何よ、いきなり」
ふっ。女の子の涙は綺麗なんだよ。
なら、その綺麗なものを書きたいと思うのは、物書きしては当然!
美姫 「滅茶苦茶な理論ね」
……やっぱりそう思うか?
美姫 「うん」
…テンさん、すまない! フォローできなかったよ。
美姫 「はいはい。今回は知佳編ね」
みたいだな。恭也と知佳の出会い。
うーん、ほろりとするね。
美姫 「相変わらず、素晴らしい文章ね」
本当に。見習いたいものだ。
美姫 「まあ、アンタには無理無理」
ぐはぁっ!
美姫 「さーて、次回はどんなお話が待っているのかな〜」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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